2021年01月16日

昼食は、ワルン・スマイルでボロネーゼのペンネだった!( 360)

ウブド・ハヌマン通りを南下すると、そこはプンゴセカン村になる。

さらに南下すると、そこはロットゥンドゥ村。




ロットゥンドゥ村の集会場(2階建)から、北に30メートルほどにある小さなカフェ。

ここが、今回紹介したい「ワルン・スマイル=Warung Smail」。

2020年10月のコロナ禍でのオープン。

私が、密かに追っかけている料理人が調理する店なんです。

彼女の名前は、Itami Sumieさん。

記憶しているだけで、ハヌマン通りにあった「チャイナ・ムーン=China moon」

クデワタン村の「ザ・サヤン・ハウス=The Sayan House」

ペネスタナン村の「カフェ・べスパ=Cafe Vespa」

テガランタン村の「ビー・サイド=bside」と渡り歩いている。

店名の由来を聞くと・・・

オーストラリアでケーキ学校に通っていた時のことだと、彼女は過去を振り返った。

友人から、”Sumie”のスペルが”Smile”に似ていると告げられたのが、記憶に残っていたと言う。

《 Smile 》お客様を笑顔にできる商品を作りたい、という思いから決めたようです。




この日は、ボロネーゼのペンネを食した。

もちろん、私の好きな味。

小さい小さい店なので、腕前のほどを充分の発揮できないでいるでしょう。

将来、屋敷の敷地に、もう少し大きなワルンをオープンしたいと希望を語ってくれました。

期待&応援しています。

コロナ禍の今は、マルシェ(市)にケーキを出店して、経営を維持しているそうです。

■定休日:年中無休(マルシェは不定期)

(祭礼日などの都合で休むことがあるようなので、要・予約。ケーキなども予約するといいですよ)

■営業時間:午前11.00〜午後6.00

■Phone:081237667646

*小さな店ですが、トイレはあるのでご安心ください。

《 徘徊老人の食堂レポ @ワルン・スマイル 》



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2021年01月08日

ギャラリー・ブンブンの開設!(359)

コロナ禍で、バリ人の多くが困窮している。

サナ氏家族もそのひとつだ。

そんな彼らを応援できないものか。

応援しながら、自分にも幾らかの収入になる方法はないものかと思考した。

そうして思いついたのが、バリ絵画を販売するギャラリーだった。

まず初めに、グスティ・サナ氏と三男カデッ氏の作品を紹介したいと思います。

まだ準備中ですが、わたくし伊藤がセレクトした作品の数々です。

販売は、FACEBOOK・UBUD-ian(https://www.facebook.com/ikariachohatu)のショップを利用させてもらうつもりです。

準備が整い次第、報告致します。

もうしばらく、お待ちください。


イ・グスティ・プトゥ・サナ(I Gusti Putu Sana)

プンゴセカン村在住。

サナ氏は、独特の図法で傑作を次々と生み出している、優れたアーチストだ。

描く絵は、幻想的。

バリのおとぎ話からテーマをとり、竹ペンとチャイニーズ・インクで、細かいディテールまで丁寧に描きあげる。

カエルの絵もユニークだ。

ちょっとグルテスクにも見えるカエルが、ラーマヤナ物語のヒーローになったり、バリ舞踊の衣装をつけた踊り娘になったりする。

バリ絵画を紹介した本にも、サナ氏の絵は必ず載せられる。

サナ氏の絵に魅せられた外国人のファンは多く、海外から「また、描いてくれ!」と注文がくる。

スタジオに行けば、その数々の傑作を見ることができる。

次男のカデッ氏の作品も、同時に掲載しました。

気に入った絵があれば、良心的なプライスで譲ってくれる。

是非、立ち寄ってみてください。





Gusti Sana

■タイトル:タントリ寓話・Tantri (Sana-001)
Sana-001.JPG
サイズ:W22.8cm×H30.6cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 30,000円

■タイトル:カーマスートラ・Kama sutra(Sana-002)
Sana-002.JPG
サイズ:W23.6cm×H27.1cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格:25,000円

■タイトル:薪拾い・Cari kayu bakar(Sana-003)
Sana-003.JPG
サイズ:W17.3cm×H24.5cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格:15,000円

■タイトル:カーマスートラ・Kama sutra(Sana-004)
Sana-004.JPG
サイズ:W16cm×H23cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:男性舞踊・Menari(Sana-005)
Sana-005.JPGサイズ:W16cm×H22.6cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 14,000円

■タイトル:蛙のレゴン舞踊・Kodok menari legong(Sana-006)
Sana-006.JPG
サイズ:W15.4cm×H21.4cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:蛙のオレッグ舞踊・Kodok menari oleg(Sana-007)
Sana-007.JPG
サイズ:W19.7cm×H24cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:蛙の妊婦・Kodok hamil(Sana-008)
Sana-008.JPG
サイズ:W14cm×H19cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:タントリ寓話・Tantri(Sana-009)
Sana-009.JPG
サイズ:W16.4cm×H20cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:蛙のケチャ・Kodok kecak(Sana-010)
Sana-010.JPG
サイズ:W10.6cm×H12.3cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:蛙の薪拾い・Kodok cari kayu bakar(Sana-011)
Sana-011.JPG
サイズ:W17.3cm×H19.8cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:タントリ寓話・Tantri(Sana-012)
Sana-012.JPG
サイズ:W15.4cm×H12.2cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:蛙のケチャ・Kodok kecak(Sana-013)
Sana-013.JPG
サイズ:W19.3cm×H30cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格:20,000円

■タイトル:蛙のケチャ・Kodok kecak(Sana-014)
Sana-014.JPG
サイズ:W21cm×H28.3cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 20,000円

■タイトル:蛙のケチャ・Kodok kecak(Sana-015)
Sana-015.JPG
サイズ:W22.6cm×H27.5cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 20,000円

■タイトル:シータ姫・Dewi sita(Sana-W001)
Sana-W001.JPG
サイズ:W10.3cm×H12.3cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 13,000円

■タイトル:ガネーシャ神誕生・Lahirnya ganesha(Sana-W002)
sana-W002.JPG
サイズ:W10.7cm×H17.1cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:蛙のケチャ・Kecak kodok(Sana-W003)
Sana-W003.JPG
サイズ:W10.7cm×H17.1cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:蛙のケチャ・Kecak kodok(Sana-W004)
Sana-W004.JPG
サイズ:W12cm×H15cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格:15,000円

■タイトル:蛙の儀礼・Upacar kodok(Sana-W005)
Sana-W005.JPG
サイズ:W11.6cm×H14.7cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:タントリ寓話・Tantri(Sana-X001)
Sana-X001.JPG
サイズ:W25.5cm×H18.5cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円

■タイトル:曼荼羅・Mandala ikan(Sana-X002)

Sana-X002.JPG
サイズ:W20.2cm×H14.8cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 15,000円


Gusti Kadek

■タイトル:タントリ寓話・Tantri (Kadek-001)
Kadek-001.JPG
サイズ:W20cm×H30cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 8,000円

■タイトル:スタサモ物語・Sutasoma(Kadek-002)
Kadek-002.JPG
サイズ:W23cm×H30.5cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格: 6,000円

■タイトル:双子・Anak kembar(Kadek-003)
Kadek-003.JPG
サイズ:W24cm×H35.5cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格:8,000円

■タイトル:マハバラータ物語・Mahabrata(Kadek-004)
Kadek-004.JPG
サイズ:W24cm×H35.5cm
素材:アート紙+チャイニーズインク&アクリル
価格:8,000円

■タイトル:市場・Pasar tradisional(Kadek-005)
Kadek-005.JPG
サイズ:W25.5cm×H38cm
素材:アート紙+チャイニーズインク&アクリル
価格:10,000円

■タイトル:魔術・Magic(Kadek-006)
Kadek-006.JPG
サイズ:W27cm×H38cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格:8,000円

■タイトル:ガドル女神・Dewi gadru(Kadek-007)
Kadek-007.JPG
サイズ:W26.5cm×H39cm
素材:アート紙+チャイニーズインク
価格:10,000円

■タイトル:ガネーシャ神・Tenung gana(Kadek-008)
Kadek-008.JPG
サイズ:W39cm×H28cm
素材:アート紙+チャイニーズインク&アクリル
価格:10,000円

■タイトル:ガルーダ神・Garuda(Kadek-009)
Kadek-009.JPG
サイズ:W29.5cm×H39.5cm
素材:キャンバス+チャイニーズインク&アクリル
価格:10,000円

■タイトル:聖獣バロンバンクン・Barong bangkung(Kadek-010)
Kadek-010.JPG
サイズ:W35cm×H45.5cm
素材:アート紙+チャイニーズインク&アクリル
価格:20,000円

■タイトル:ジョゲッブンブン舞踊・Joget bunmbung(Kadek-011)
Kadek-011.JPG
サイズ:W40cm×H50cm
素材:キャンバス+チャイニーズインク&アクリル
価格:20,000円


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2021年01月04日

第6弾:徘徊老人のハイカイ先は? (358)

あけましておめでとうございます。

徘徊老人シリーズ・21回から24回までの4回が、たまったので第6弾として掲載します。

お付き合いください!


私が深く関わっている「アパ?情報センター」のワヤン君からの報告です。
『クラウドファンディングはじめました。
みなさんのご支援をお願いします』
「アパ?情報センター」存続支援プロジェクト 。
募集終了まで26日と、残り少なくなりました。
『あなたの力をお貸しください!』
https://camp-fire.jp/projects/view/354237


《 第21回:徘徊老人@モンキーフォレスト入口界隈 》

モンキーフォレスト旧入口付近にある、ビスマ通に抜ける道。

車が通り抜けできるようになるれば、モンキーフォレスト通の渋滞が緩和されるはず。

と、叫ばれて何年になるか?




《 第22回:徘徊老人@ガング・ソカ 》

ガング(Gang)は、家と家の間の狭い通路のこと。

ガング・ソカ(Gn.Saka)って、何処?

ほとんどの方は知らないと思いますので、是非、ご覧ください。

ウブド大通りからの横道。

知る人ぞ知るサテ・バビ屋の露店が出る小道。




《 第23回:徘徊老人@サッカー広場東側・モンキーフォレスト通り 》

サッカー場の正式名は、アスティナ広場。

広場の東面に、人気のレストランが数件あった。

特に「デリキャット=DeliCat」は、人気が高かったですね。

さて、今はどうなっているかな?




《 第24回:徘徊老人@小学校北横・モンキーフォレスト通り 》

小学校横の道を入る。

老舗バンガローの「 OKA WATI」、評判の高い「Beji Ayu Spa」がある通りです。




いかがでしたか?

そろそろ徘徊する路地が少なくなってきました。

残り何回、紹介できるかな。

今年もよろしく、お願いいたします。



posted by ito-san at 17:16| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月25日

リンディックを習う(357)

私が深く関わっている「アパ?情報センター」のワヤン君からの報告です。

『クラウドファンディングはじめました。みなさんのご支援をお願いします』

https://camp-fire.jp/projects/view/354237


ウブドを訪れた当初から気になっていた、竹の楽器。

ホテル、レストランなどから聴こえてくる、心地よい音色。

時には、二人ひと組の生演奏も聴ける。

名称をティンクレックと聞いていたが、今回、習うことになって先生に聞くと「リンディック」だと教えてくれた。

一台の単体の場合はティンクレックと呼んでもいいが、二台以上になるとガムラン・リンディックと呼ばれるらしい。

ガムラン・リンディックには、スリン(縦笛)も含まれる。

どうして習うことにしたか、と言うと。

コロナ禍で心に波風が立ち始めた時に、リンディックの澄んだ音色を聞いた。

聴けば聴くほど、心の落ち着く。

私には、絶対に演奏できない楽器だと思っているが、コロナの終息が不透明なこの時期。

自主自粛で有り余る時間のある、この機会に習ってみようと思った。

演奏できれば、将来、役に立つような気もしている。

幸い私はバリにいるので、音に関しては、気兼ねなく練習できる。

日本では、近所迷惑も考えて四六時中叩くわけにはいかないだろう。


青銅ガムランは、数種類のパートに分かれていて、楽器の数が多い。

リンディックは、二人がベストだが、一人でも演奏できるところが利点。

青銅ガムランより、音は小さく、楽器も軽い。

楽器を手に入れるにしても、青銅ガムランに比べれば格段に安い点もいい。


少しづつ進歩しているところ動画で残しました。

私も習ってみようと思っている人に参考になるのではないかと、アップしました。


始めるにあたって。(2020/11/24)




カデッ先生の見本。(一週間後)




黙々と自主練! (二週間後)

一向に、進歩が見られない。

奇跡を待っている。

まずは、楽器に慣れることですね。




練習方法を考えた。(三週間後)

弾みが良くて、聴き取りやすい音の出る竹筒で叩いたらどうか?

とにかく、左右の手で、別々のリズムが取れるようになればいいのだから。

「結果はこれ」と言いながら、左手は違うところを叩いている。

少しずつ、左手のリズムができるようになってきてる気がしませんか?




基礎の基礎は、教授した。(一ヶ月後)

あとは、習得するだけ。

当分、このフレーズを叩き続けるのじゃ!




《 友人達からの励ましとアドバイス 》

Kさん
左右で違う事をやっている、と思うとさすがに厳しいですよね。
ひとつのリズ厶、そしてメロディを両手に分けて演じる。
私の脳みそは、こっちの方が理解しやすいみたいです。
それにしても、素晴らしいです。
楽しまれて下さいね。

Nさん
右手のコテカン部分を口で歌ってみて、それに左手を合わせてみれば?
ガムランは体でビートを刻めないと、コテカンに引きずられちゃいがちなんです。
拍がめちゃ大事です。
家でも、口ずさみながらテーブルを叩けば練習になると思います。
頭じゃなく体で覚えましょ!
音楽は「音を楽しむ」ですから、楽しむのが基本。

Mさん
右と左のフレーズの重なり方、コンビネーションを噛み締めながら、丁寧に、ものすごく、ゆっくりやってみてください。今の段階で早いスピードは、スピード違反!Let`s Try!


posted by ito-san at 19:31| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月18日

マクドナルド @ サヌール(356)

私が深く関わっている「アパ?情報センター」のワヤン君からの報告です。
『クラウドファンディングはじめました。みなさんのご支援をお願いします』
https://camp-fire.jp/projects/view/354237


およそ一年ぶりのサヌール。

ビザ関係以外で、バトゥブラン村を越えることはない。

今日もその用事だ。

昨夜のビザ・エージェントとのやりとりでは、待ち合わせ場所はデンパサールのイミグレーションだった。

しかし、待ち合わせ時間をあとから知らせると言っていたが、この日に連絡はなかった。

朝には、連絡が入るだろうと待っていたが、それもない。

この機を逃しては、オーバーステイになってしまう。

どうしても、午前中に書類を渡したい。

待ち合わせ時間は決まっていないが、何時間でも待つつもりで、ウブドを出発した。

バトゥブラン村の近くで、スマホに連絡が入った。

待ち合わせ場所が、サヌールのバイパス沿いにあるマクドナルドに変更された。

待ち合わせ時間は、午前11時。

ウブドから出発していたら、間に合わない時間だ。

スマホのデジタル時計は朝10時30分を表示している。

見切り発車していてよかった。

ここからなら、ギリギリに間に合いそうだ。

マクドナルドが角に立つ十字路で、赤信号に引っかかる。

時計を見ると、時間は10時59分。

ジャスト11時、マクドナルドにゲートイン。

バイクを駐車場に止め、あたりを見回す。

目当ての人の姿はない。

車も見当たらない。

私の勘は、まだ到着していないと告げている。

店内にいるかもしれないので、念のため、電話をかけてみたが繋がらない。

一番よく目立つ、駐車場で待つことにした。

約束の時間より1時間遅れて登場。

おかげで、読書が進んだ。

今、読んでいる本は、石田衣良の「池袋ウエストゲートパーク外伝 / 赤・黒」。

駐車場で、必要書類をエージェントに渡して別れる。



時間は、昼12時。

空腹ではないが、はるばる来たのだから、ちょっとマクドナルドに寄ってみようという気になった。

私の中では、サヌールといえば「マクドナルド」。

それは、ソフトクリームが食べられるから。

友人の空港送迎の時に、仲間と食べるソフトクリームは格別。

私の送迎の時にも、ソフトクリーム休憩はある。

エントランス前で、体温測定と手の消毒。

体温測定は、35.9の平温 。

入店の許可が出た。

コロナ禍のディスタンスは覚悟していたが、店内は、すっかりコロナ仕様に変わっている。

日本で生活している人には、先刻承知の案件かもしれないが、私にとってフィジカル・ディスタンシングは初見だ。

一階に、テーブル席がなくなっていた。

McDonald1.jpg

サービス・カウンターの幅が短くなっていた。

カウンターの背面上部にあるはずの、ファーストフードらしい電飾のメニューが見当たらない。

オーダーは、タッチパネルを使用する。

McDonald2.jpg

スタッフが横に立ってアシストしてくれたので助かったが、それでも大いに戸惑う。

タッチパネルが吐き出したオーダーメモを持って、レジ・カウンターに向かう。

会計をすませると、35と書かれた大きなプラスチック製の番号札が手渡された。

McDonald3.jpg

オーダー商品は、セルフサービスでなくスタッフがトレーで運んで来てくれる。

番号札を持って、二階客席に移動する。

テーブル席は、ひとりおきにディスタンスされていた。

McDonald4.jpg

動画を撮ろうと、一番奥に席を取った。

しばらくして、オーダーした商品のったトレーが、女性にスタッフによって運ばれてきた。

スタッフがアシストしてくれたのに、フライドポテトは二重にオーダーしていたようだ。

はじめは、コーラも二重に注文していたようだが、それについてはスタッフが確認訂正してくれた。

ファーストフードのフライドポテトは、ポップコーンと違って、冷えると食べたくなってしまう味なんですよね!

McDonald5.jpg

動画をフェイスブックにアップした。

友人から「イトーさんとマック…なんかシュール…??笑」とコメントがあった。

私は「スマホで動画を撮っている自分の姿に、違和感」と答えを返した。

食したのは、久しぶりのハンバーガー。

ちょっと後悔した、昼食でした。


posted by ito-san at 22:38| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月09日

第5弾:徘徊老人のハイカイ先は? (355)

私が深く関わっている「アパ?情報センター」のワヤン君からの報告です。

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《 第17回:徘徊老人@パダンテガル村 》

第4回で話題にした「ホワイト・ハウス」を探して!

パダンテガル村ハヌマン通りの南端、西側にある寺院の横の道を入っていく。

50メートルほど入るとハヌマン通りに並行して走る道がある。

このあたりは軒並みホームステイを営んでいる。

ホワイト・ハウスは、渓谷沿いに建つバンガローだ。

開店休業状態だと考えられるバンガロー内の撮影は、気が進まず、入りませんでした。



《 第18回:徘徊老人@ウブド市場駐車場 》

現在のウブド市場駐車場は、私の記憶と比較すると、1990年の時より1メートルほど高くなっている。

なんて、しょうもないことに、こだわって検証している徘徊老人です。





《 第19回:徘徊老人@チャンプアン界隈 》

第7回で紹介した「ビンタン・スーパー」に繋がる道。

階段下に立って、チャンプアン・ホテルの壁を見る。

現在、壁になっているところに、昔々、小さな食堂ワルンがあったそうだ。

どのくらい昔かは、定かではない。

このワルン、ツーリストが溜まり繁盛していたという。

一度入ると虜になって、通ってしまう。

そして「ワルンのイブはレヤックだ」と、噂が立つ。

ブラック・マジックを使って客を寄せている。

バリなら、あっても不思議じゃない話。

階段を上り詰めた先にある村は、村名に霊力が強いと言う意味の含まれるペネスタナン村というのも、信憑性を感じる。

30年前、階段先には、ピッピー風の外国人が住むエリアがあった。

さて、現在はどうなっているでしょうか?





《 第20回:徘徊老人@デゥイ・シータ通り界隈 》

ツーリストでも、宿探しのツーリストしか入ることのないであろう袋小路。

便利な街中にあって、騒音の少なそうな地域とお見受けする。




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2020年12月08日

キンドル=Kindleってなに?(354)

私が深く関わっている「アパ?情報センター」のワヤン君からの報告です。

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「ウブド・本の交換会」が開催されなくなり、本の入手が困難になった。

活字に飢えたウブド在住者のために始まった、本の交換会。

幕開けの第1回は、2009年3月21日モンキーフォレスト通りの「カフェ・アンカサ」だった。

本を読む人が減ったのか?

電子書籍で読む人が増えているのか?

閉会は、2019年9月1日。

*「ウブド・本の交換会」閉会(326)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/470343490.html

実に、10年間。

月一回の予定で、100回続いている。

くしくも、最終回も「和るん・あんかさ」だった。


世の中はインターネットの普及で、本は電子書籍で読むようになってきているという。

「電子書籍元年」は2010年。

火付け役となったのは、漫画を愛読する若者たちだ。

電子書籍で読まれているジャンルは、小説を抜いて漫画が1位を独占している。

印刷物の読書でなく、データ化された「電子書籍」。

パソコンやスマートフォン、タブレットを持っていれば、そこから閲覧できる。

専用機「電子書籍リーダー」というものもあるそうだ。

気軽に持ち歩け、いつでも・どこでも読める。

これが、若い世代に支持されている要因だろう。

アマゾンで、少額のギフト券が手に入った。

そんなに便利なら試してみようと、キンドルでお気に入りの本を購入することにした。

電子書籍のことをキンドルと呼ぶ、と私は思っていた。

どうやら違っていたようだ。

主にインターネット上で流通する電磁的に記録された読み物の総称を電子書籍と言い、各メーカーによって、電子ブック、デジタル書籍、デジタルブック、Eブック、オンライン書籍などと名称もまちまち。

キンドルは、アマゾンが販売している電子書籍の商標だったのを知る。

(参照:Wikipedia)

スマートフォンでは、文字が小さくて読めないだろう。

タブレットを持っていないので、ノート・パソコンで見ることになる。

ノート・パソコンでは、文庫本のように寝転がって読めない。

使いこなせないからかもしれないが、電子書籍は不便だ。



では、どんな読み方がしたいのだろうか。

考えてみた。

寝転がって読みたい。

ページをめくりたい。

しおりを挟みたい。

ブックカバーに凝ったこともあったな。

読書の途中で一旦休止する際には、本を開いたまま伏せたい。

チェックしたページが、あとで開きやすいように角を折っておくこともある。

こういった機能はついているのかもしれないが、私の能力では使いこなせないだろう。

時間をかければ、慣れるのだろうか。

はたして、慣れるものだろうか?

蔵書に場所を取られないのは歓迎だが、やっぱり印刷物で読書したい。


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2020年11月10日

プンゴセカン村に引っ越し(353)

9月29日のポカポカ陽気の昼下がり。

テラスで寛いでいた私に、家主のパチュン君が話しかけてきた。

「クタの親類の娘が、海外の仕事が終了して帰って来る。テガランタン村のホテルで就職が決まり、10月からこの村に移って来たいと言われている」と言う。

コロナの影響で、海外の就職先を解雇されたのだろうか。

就職が決まったことは、祝福したい。

「ほかの部屋は使っているので」と、言葉を濁す。

私に、この部屋を明け渡してくれ、と言いたいのだろう。

とぼけて聞き流せばいいものを、感の良い私は、言葉の内容を汲み取ってしまう。

これまで、まったくそんな素振りを見せなかったので、寝耳に水だった。

突然の宣告に、唖然とした。

よりによって、先の見通しのつかないコロナ禍の最中で。

日本帰国、ボロブドゥール移住、ウブドに止まるかの選択に苦慮しているこの時期に、まさかの事態だ。

困惑で、小さなパニックを起こしている。

「今は家賃も安くなっているだろうから、部屋はすぐに見つかると思うよ」と、ありがたくもないアドバイスをしてくれる。

私の払う家賃が少額なのも、理由のひとつかもしれない。

2015年のコロンビアに旅立つ前、奥さんから「伊藤さんは、家族の一人だから、ズ〜といてくれると思ったのに!」の一言が胸に残り、甘えていたのかもしれない。

頭の中は、すでに転居先を模索していた。

パチュン君にも、何らかの思惑があるだろう。

彼の立場を考慮すると、拒むことはできない。

一ヶ月の猶予をもらって「10月中には出て行きます」と応えた。


友人の家、以前に滞在したことのある宿など、幾つかの候補が思い浮かんだ。

積極的に動かないうちに、「和食・影武者」のスタッフの一人が空き部屋を見つけてきてくれた。

1軒目は、屋敷の一番奥で、数段の階段を降りる。

階段が濡れていて、滑るのが難点だ。

部屋は、湿気を含んだ古い部屋だった。

雨風がしのげればよいと考えていた私には、ここでも問題なかった。

2軒目は、住居が密集しているが、部屋は真新しく清潔だった。

1軒目を見た後だから真新しく見えたわけはなく、実際に改装したばかりで、まだ誰にも使われていない部屋だった。

私は、借りたいと即決した。

「影武者」のスタッフは、1軒目を見た時から、こちらを推薦するつもりだったようだ。

こうして、プンゴセカン村に転居することが決まった。


11月1日からの入居だが、新しい大家さんは、1週間前から荷物の運び入れを承諾してくれた。

2週間の猶予があるので、バイクで引っ越しをすることにした。

自称・生涯旅人の家財道具は、バックパッカー荷物に工具少々と着替えがプラスされる程度だ。

コロンビア移住を諦めたあとも、4月にボロブドゥール移住を考えていたので、大きな荷物はほとんどない。

1週間で運ぶことのできる荷物以外は、一時、影武者に預けることにした。

預けた荷物は、引っ越してから運ぶ予定だ。

1週間は、毎日少しの荷物を運んだ。

10月31日の最終日、最後の荷物と共に、パチュン家を後にした。

家賃の不足分は、バイクを手放すときに精算する約束だ。

今回のパチュン家滞在は、ほぼ一年間。

快適な住空間だった。

以前、私の置いていった家具のうちベッドは虫に食われ新しくなっていたが、タンスと本棚、その他小物は揃っていた。

ホットシャワーとバスタブとの別れが、辛かった。

お世話になりました。

プンゴセカン村のデワさん家に、引っ越し完了。

この日から、新しい下宿先に泊まることになる。

家具ひとつない部屋だが、バックパカーの私には、まったく問題はない。

ホットシャワーがないのは可哀想だと、「影武者」の女将が一口ガスレンジとガスボンベ、大きなヤカンを用意してくれた。

今度の下宿先は「和食・影武者」に、バイクで5分とかからない。

近すぎて寄り道ができないのが、ちょっと残念だが。

真新しい部屋での生活も、10日目になる。

長々とつまらない日常を綴りましたが、コロナ禍の中、ストレスを溜めないように心がけて生活を送っている私の情報です。

1日も早くコロナが終息して、皆様に再会できることを楽しみにしております。


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2020年11月05日

第4弾:徘徊老人のハイカイ先は? (352)

私が旅の信条としていること。

それは、世界のどこにもおもしろくない場所など存在しない、だ。

自分が行き先に選んだ場所をオモシロがれないとしたら、それを楽しむ努力が足りない自分の責任だろう。

想定と違うなら、その想定を軌道修正すればいい。

それでも、どうしても楽しめないというなら、立ち去ればいい。

通過者には、その自由がある。

だが、選んだ場所を批判する権利はない。

今回の徘徊も、楽しませていただきました。

お楽しみください。


《 第13回:徘徊老人・ハヌマン通りに残る空き地 》

パダンテガル村ハヌマン通り沿いに、一つ残る空き地を撮影。

画家・ブディアナ氏のアトリエがあった建物横の小道を入る。

小道沿いに、日本人の友人・知人の定宿が並ぶ。




《 第14回:徘徊老人 @ 和食・影武者 》

「和食・影武者」の南(裏手)にあるタマン寺院。

村人にはタマン寺院と呼ばれているが、聖水を作る湧き水のでるベジ寺院でもある。

苔むした寺院の鄙びた感が好きだ。




《 第15回:徘徊老人@ペネスタナン村 》

ペネスタナン村とカティッランタン村の村境にある、かつて畔道だった小道を入る。

一望できた田園風景は、ヴィラ棟に遮られていた。

しばらく進むと、田園風景が残る場所に出た。

風を感じて、ガゼボで休憩。

小道を前進すれば、クデワタン村の大通りに繋がる。

一時間ほどで往復できる散歩コースだ。




《 第16回:徘徊老人@プリアタン村 》

プリアタン村パンデ(Pande)寺院横の小道を入る。

パンデ寺院は、鍛冶屋の親族集団の寺院。

パンデの称号で呼ばれる、太古の火の祭司だ。

その昔、神秘的な炎を操り、霊力を持つ金属を細工し、男性生殖器の象徴である呪的なクリスなどの神聖な物を作ったところから、バリ人に尊敬されている。

カースト導入後も、スードラではあるが、カーストに属さない特別な階層として扱われている。

建築中のパンデ集団事務棟の北(うしろ)の田園風景は、広がっていた。

休憩した小屋の横にある畦道を進めば、もっと楽に徘徊できたかもしれない。

次回があれば、釣り堀・レストラン「サワ・インダ」まで行ってみたい。





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2020年10月24日

日本占領下・バリ島からの報告:鈴木政平(351)

自粛生活で、読書がすすむ。

残念なことに、読む本がなくなった。

蔵書を引っ張り出しみた。

再読した本を紹介する。

「日本占領下・バリ島からの報告(東南アジアでの救育政策):鈴木政平」

日本軍占領下のアンボンとバリ島に、2年半の間、赴任した教育者が残した報告書。

日本認識、日本的訓練、日本語教育を目的とした指導に打ち込む著者の姿勢が報告されている。

1943年〜1944年(昭和18年〜昭和19年)のバリ滞在中の報告書は、現在でも大差のない事柄もあり、バリ好きには興味が持てる読み物だろう。

州都が、北部バリのシンガラジャだった頃の実話。

私は訪れた1990年に、同様の感想を得たことに驚いた。

46年の時を経ても、まったく変わらない文化がそこにあった。

そして、30年後の現在を訪れる人々は、変わらないと感じるか、変わったと感じるか。

そんなことに興味があって、この本の内容を原文のままで抜粋して記載した。

Report from Bali1.jpg


第二信 第一節 バリ島点描

この島はどこへ行っても田、田、田、田の連続であります。

半年ぶりで一望千里の水田を見たときの私たちのよろこびを想像してみてください。

まったく内地へ帰ったような親しみを感じたものであります。

しかも、水利が非常によく行きとどいて、山の中腹まで開拓されているのは感心のほかはありません。

畔の切り方、苗代の様式、苗の植え方、農夫のすげ笠までが、内地とほとんど同じです。

もしその間に椰子の木立の点在がなかったならば、誰だって内地に来たんじゃないか、という錯覚をおこしたにちがいありません。

ところがここに、内地の水田風景とは途方もなくちがった一点があるのです。

こちらでは早苗をとっているかと思うと、その隣では稲が一尺も伸びて青々と波うっている、そうかと思うと向こうからは、抜穂の収穫を頭にのせて運んでくる女の群れがあるといった有様なんです。

つまり内地の、4、5、6、7、8、9、10、11月の水田風景が、ここでは同じ場所に圧縮されて、一緒くたに展開されている。

年柄年中稲が実るという証拠ですが、しかし聞けば、年二回の収穫はせぬという。──施肥をしないから、二回とったんでは地力がつづかない、というのです。


第八節 

この島を訪れる誰でもが、ヒンズー文化の伝統を引く建築、彫刻のすぐれた特異性におどろかぬものはないでしょう。

それはもちろん奈良時代などに現れたような渾然たる総合性は見られず、またあれほど優雅、巧緻、精彩、気品はありませんが、しかし、それにもまさる単純が豪壮さがあり、神秘的な諧謔さがあります。

さらにここ独特のゴン音楽と踊りとが織りなす絢爛たる総合的舞踊芸術に至っては、遺憾ながら日本には比肩すべきものがないのではないかと思われるほどであります。


第三信 第十五節 伝統的文化と宗教指導 

すでに多くの人々によっても紹介せられているように、独自の香りとゆたかな個性に彩られた輝かしい固有の文化を発見するものでありまして、その意味では南方地域においてはまれに見る文化人だということが出来るのであります。

これは通りすがりの旅行者などにもただちにそれと感得出来るような際立ったすがたを呈しているもので、例えば寺院建築、それに配置された彫像、あるいは集落形式、家屋構造、住民の風俗等は特にそうでありますが、もししばらく滞在でもするものであれば、さらに独特の音楽や舞踊、さては祭式、年中行事等にも自然にふれる機会が出てきますし、絵画や工芸などの特色を発見するにも至るでしょう。

卒然としてこの島にやってきた人々でさえもそうでありますから、もしジャワやその他の島々についての見聞や知識をもったものであれば、さらにいっそう鋭くその特異性について印象を得るでしょうし、この小っぽけな島だけが万緑中の紅一点のごとく、別種の彩りをもっているのかと、研究的な興味をさえそそられるにちがいないと思われます。


旅行者や研究家たちはよく「バリ人の生活はスンバーヤン(祭祀)に終始している」とか「千ヶ寺の島バリ」とか語っていますが、これは決して誇張した言葉ではなく、正しく事実の真を突いたものということが出来ます。

二カ年に近いバリの生活において我々は、スンバーヤンの主要なるものについては若干の知識をもつことができましたが、その細かなものに至っては枚挙にいとまなく、到底理解どころではない有様でありました。

−−シンガラジャ市内だけに限って見ても、スンバーヤンの供物をささげた盛装の女たちを見ぬ日とては少ないほどで、いったいこの島にはどれほどの祭日があるか、なんびとも容易に知ることの出来ない有様であります。

冠婚葬祭はもとより、ほとんど一切の年中行事がヒンズー信仰にもとづいていることは申すまでもなく、建築彫刻絵画工芸、音楽舞踊演劇等、何らかの意味でヒンズー教につながりをもたぬものは少ないのであります。

彼らが生活歴(これはインド伝来の太陰暦でありますが)のほかスンバーヤン歴(一年を二百十日とす。すなわち七日を一単位とするもの三十箇によりて構成せらる)をもっていること、そしてその祭祀歴が圧倒的な力をもっていて、生活歴の使用が主として農事に限られていることなども、彼らの信仰生活の根ぶかさを物語っているものと申さねばなりません。


結信 第二節 バリ人諸君に呈する書

十年後、二十年後のバリ、それはいったいどんなすがたのものであろう。

アゴン山は依然としてその雄姿を三千余メートルの天空に聳立させているだろうし、バトール湖は今日と同じようにバトール山の噴煙を映しているだろうし、ニッピやサラスワテの奇習もまた今日と同様年々歳々に行われているだろうし、ガロンガンのペンジョル(飾り物)は相変わらず諸君の家の門口や街頭を美しく飾っているだろう。

諸君は相変わらずゴンを楽しみ闘鶏に興じ、ハリラヤには取っておきの美しいサロンやスレンダンを着飾ってお寺詣りに忙しいことだろう。

おそらくこうした生活の面には何ら変化もないことだろう。

そして私もこうした方面には変化ないことを希望してやまないものである。


どうでしたが?

自分の感想と、相違はありましたか?

きっと、同感する部分も多かったと思います。

77年を経ても、変わらないバリは素晴らしい。


「日本占領下・バリ島からの報告」著者:鈴木政平
 (1999年8月16日・第1刷発行)
(アパ?の蔵書あります。貸し出し可)


posted by ito-san at 17:26| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする