2019年02月15日

ケヘン寺院のビンギン樹に会いに(295)

バリ島には、8つの県がある。

北の「ブレレン」、左周りに「ジュンブラナ」、「タバナン」、南に「バドゥン」、東隣に「ギャニヤール」、その東隣に「クルンクン」、クルンクンの北部に「バンリ」、東端が「カランアサム」。

この中で、海に接していない県がひとつある。

バンリ(Bangli)県だ。

私の滞在するギャニヤールの東隣に位置している縦長の県。

北部に、風光明媚なバトゥール山とバトゥール湖を有する。

珍しい儀礼の多い地域で、私は何度も訪れている。

奉納舞踊で幾度か参加させてもらった地域でもある。

県庁所在地は、バンリ市。

バンリ市には、バンリ王朝時代の国寺であったクヘン寺院(Pura Kehen)がある。

11世紀頃、スリ・ブラフマ・クムティ・クトゥ(Sri Brahma Kemuti Ketu)によって建立された。

市北部の小高い丘に、町を見下ろすように建っている。

境内のビンギン大樹は、樹齢600年。

大樹の胴回りは、私の目算でおよそ30メートル。

樹元に耳を当てると、水が吸い上げられる音が聴こえるようだった。

余談だが、アパ?情報センターのスタッフだったワヤン君をスカウトしたのは、クヘン寺院近くのダラム寺院の祭礼日だった。

通称ワヤン・バンリと呼んでいた。

ワヤン・バンリ君は今、インドのサイババから支持を得て、バンリ市にアシュラムを開いた奥さんのアシスタントをしている。


2月4日:久しぶりに朝から晴れ間が見えた。

このチャンスを見逃す手はない。

思い切って、ケヘン寺院のビンギン大樹に会いに行こう。

いざバンリへ・・・・・。

ウブドからバイクで40分ほどで着く。

祭礼のない平日、参拝客は私ひとり。

ビンギン大樹目指して、階段を上っていく。

闖入者に驚いた犬が、吠える。

大樹は今も、かつての姿を残し佇んでいた。

見上げる大きさと、気根の造形に圧倒される。

現在、壁に拒まれて一周することはできない。

以前訪れた時には、大樹の周りを一周できた。

その時に、話し掛けてきた老人の名前は「グデ・ライさん」。

幾人かの日本人に、ワヤンクリッを教えたと言っていた。

ウブドに戻りカセットショップを覗くと、グデ・ライさんのカセットが販売されていた。

ダラン(ワヤンクリッ=影絵芝居の演者)で有名な人とは知らず、バリ芸能について語り合った。

寺守りの村人にグデ・ライさんの消息を聞くと、「亡くなった」と悲しい情報が返ってきた。



線香と花を寺守りの村人に用意してもらい、奥の境内に腰を下ろす。

静寂の中でのお祈り。

合わせた両手の指先に花を挟み、眉間の前にもっていく。

神聖で厳かな涼風が頬を撫でていった。



ケヘン寺院は、アパ?情報センター:「古都バンリを巡る旅!」などのツアーで参加できます。

見どころは、ワヤンの登場神の石彫、樹齢600年を超える巨大バンヤン樹、壁に埋め込まれた中国陶器など。

何と言っても、心地よい風が心身を癒してくれる。

是非、ご利用ください。


posted by ito-san at 16:29| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月08日

LOLOH BALI(バリの伝統療法)294

ウブドには、ホームステイを営む家が多い。

屋敷内にはバリの伝統に従って造られた幾つかの棟があり、その一部をツーリストに貸している。

宿泊すれば、ヒンドゥー・ダルモを信仰するバリ人の日常を垣間見ることができる。

彼ら信仰や慣習は、たいへん興味深いものがある。

そんな中の一つに、彼らの伝統療法がある。

私もホームステイしていた時に、しばしばお世話になった。

熱がある時に、大きな葉っぱをお腹に貼ってくれてことがあった。

お腹の調子が悪い時には、生薬を処方してくれた。

バリ人の屋敷は、どこも緑が庭に溢れている。

なにげなく植えられた草花には生薬も含まれていて、ちょっとした薬草園だ。

村人の多くが漢方医のようなもの。

もっとも薬草にたけているのが、バリヤンと呼ばれる人々。

葉っぱや根っこや実を潰したり絞って、飲み薬や塗り薬にする。

中でも、葉っぱから作られる生薬のことをバリ語でロロ(Loloh)と呼ぶ。

処方は、採りたてを絞ってジュースにして服用することが多い。

ジャムーと同じルーツだろうが、バリ特有の生薬に興味が惹かれる。

バリ独特のものとして商品化できないものだろうか、と考えた。


ご存知の人も多いと思うが、インドネシアには伝統療法の「ジャムー=JAMU」がある。

日本では、インドネシアの漢方のようなものと説明している。

古くから伝わるハーブ薬のことで、インドネシアに自生している植物の実や皮、葉、根、木の皮などを原料としている。

インドからヒンドゥー教が伝えられた時、インド古代医学のアーユルヴェーダもインドネシアに入ってきた。

アーユルヴェーダをヒントに、改良を重ねられて行き出来上がったものがジャムーだと言われている。

ルーツがアールヴェーダであることは、中部ジャワのボロブドゥール遺跡にも描かれているらしい。

これらの知識は、ネットで調べた。

インド(印度)からのルーツだとすれば、漢方と言わずに ”印方” が正しいのじゃないかと、へそ曲がりの私なんかは考えてしまう。

印方では、聞き間違いが起こる可能性があるか。

私のジャムー初体験は、ペットボトルを何本も背負って売り歩いているおばさんだった。

ペットボトルの中身は、乳白色に濁った液体ジャムー。

ジャムーが、不味いという情報は知っている。

『良薬口に苦し』だ。

体の調子はすこぶる良いが、好奇心がジャムーを求めた。

勇気を出して、私は、おばさんを呼び止めた。

おばさんは、道端の縁石に荷物を降ろして店開きを初めた。

ペットボトルから、ジャムーをコップに移し替え、私に手渡す。

「む〜ん、苦い!」

不調だったら、これもまずく感じないのかな?

とりあえず、バリ島入門の通過儀礼のひとつが終了した。

ボトルごと買うこともできる。

こういった行商以外に、店を構えているジャムー屋もある。

ジャムー屋には、工業生産で作られた商品を売っている。

生が一番だろうが、我々旅行者は、そうもいかない。

そこで、持って帰ることができる、乾燥ハーブとなった。

粉末やカプセルもあるが、個人的には、煎じて薬湯として啜ることをお勧めする。

ウブドの3つのスーパー(デルタ、ビンタン、ココ)に、ジャムー・コーナーがあるのに驚いた。

かなり以前から「Utama Spice」「Nadis Herbal」「Angelo Store」「Cantika Spa Zest」などのコスメ専門店でも販売しているらしい。

観光客が買っていくということだろう。

私が知らなかっただけだ。

loloh2.jpg

ロロを商品化するなら、ジャムーを知る必要があるだろう。

スーパーで売られているジャムーの全種類を買い込んだ。

ロゼラ、レモングラス、明日葉、シルサック、バタフライピーなどの葉、そしてマンゴスチンの皮などなど。

ハーブ茶と粉末の2種類が売られている。

売られているジャムーの中に、ロロの種類は少なかった。

loloh1.jpg

ハーブ茶は、煎じて飲んだ。

カビ臭い匂いと味がした。

粉末も、煎じて飲んでみた。

口内に粉末が残り不快だったので、濾過して試した。

お湯で溶くだけと聞いたので、そうしてみた。

ハーブ茶も粉末も、どちらも苦くてまずい。

私は、蜂蜜を入れて飲んでみた。

苦味は薄まるが、まずいのは変わら無い。

ジャムー屋では、ウズラのタマゴや蜂蜜などを混ぜて、症状に合わせて処方する。

全種類を飲み終えるには、何日も掛かった。

効能は、飲み続けないとはわからないだろう。

一発で効果が出たのは『Daun Jati Cina』。

「ダイエット、コレステロール値を下げる、便秘解消、体内脂肪を便として出す」と効能に書かれていた。

分量が多すぎたのだろう、一週間も続く下痢になった。

メタボの友人に『Daun Jati Cina』を、お土産に渡した。


ロロの生産は、栽培するところから始めなくてはならない。

それをハーブに、そして粉末にする。

ハーブ茶にしたり粉末にしては、効果は半減するだろう。

こんなに苦くてまずくては売れるとは思えない。

バリ人宅で、その場で薬草を処方してもらったほうが効果は期待できる。

そうだ、そうした方が良い。

そこで一考。

バリ人の信仰や慣習を体験する「アパ?情報センター」のプログラムに加えられないだろうか?

「バリ人宅を訪問してロロを飲む」

こんなツアーを企画しては、どうかと思うようになった。

こうして昨年からの懸案であった「ロロの商品化」は、努力の甲斐もなく挫折したのでありました。


◼︎補足:LOLOHの種類、私が聞いた限りでは以下でした。

『Daun Sirsak』 Sursak

『Daun Sambiloto』

『Daun Dapap』

『Daun Sembung』

『Daun Kayumanis』

『Daun Bluntas』

『Daun Dapap』

『Daun kelor』モリンガ

これ以上に、あると思います。



posted by ito-san at 15:41| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

トゥガナン村の奉納舞踊ルジャン(293)

バリには、ジャワ島から「カースト」を持ったヒンドゥー教徒が移り住む以前から、バリ島民がいた。

ジャワ文化に影響を受けず、古来からの慣習を守り続けている集落がある。

その村のことを「バリ・アガ」と呼ぶ。

「バリ・アガ」で有名なのが、カランアッサム県トゥガナン村。

グリンシン(縦横絣)を織る村として名が知られている。

村では年に一度、ウサバ・サンバ(Usaba Sambah)の祭礼が催される。

中央の長い建物には、グリンシンをまとった独身女性たちの美しい姿。

その前では、上半身裸の男性たちが棘のある葉を持って戦い合うムカレ・カレ(Mekare Kare)の奇祭が繰り広げられる。

この地域のバリ・アガ独特の木製巨大ブランコも見応えがある。

祭りの間、村に残る独特の響きを持つ鉄製ガムラン、ゴン・スロンディン(Gong Selonding)が村内で奏でられる。


知人から、トゥガナン村の祭礼が1月18日から22日まで5日間催されると情報が入った。

都合で、21日しか行くことができない。

スケジュールは、まったくわからない。

ムカレ・カレが見られたらいいなと、小さな期待を持って出かけた。

正午に下宿を出発した。

到着したのは、1時40分(所要時間:バイクで1時間40分)。

小さな展示館が完成し、入村するエントランスが観光地らしく整っていた。

入村料はドネーション。

ドネーション帳の記載には、Rp20,000-が多かったので、私もそれに倣った。

村内は静かで、祭礼が行われる雰囲気がまったくない。

家々に、ガルンガン祭礼日ペンジョールが飾られていない。

バリ・アガだからだろうか?

屋台でアクアを買い、コピバリを注文した。

縁石に腰を下ろし、コピバリを啜る。

スロンディンの調べは、聴こえてこない。

祭礼の開催は5時からだ、と村人が教えてくれた。

3時間は待てない。

村の最奥に、お気に入りのビンギン大樹がある。

気根がトンネル状になっているビンギンだ。

今日は、それを見て帰ろう。



ビンギン大樹を見たあと、写真を撮りながら村内を散策。

時間は4時になっていた。

あと一時間も待てば、祭礼が見られる。

雨が落ちてきた。

この間に、昼食を済ませてしまおうと考えた。

トゥガナン村近辺にワルンがないようなので、チャンディダサまで足を伸ばした。

雨脚が激しくなってきた。

この状態で、祭礼は行われるだろうか?

とりあえず、雨の中をトゥガナン村に戻った。

中央の長い建物に、正装の女性たちの姿が見える。

なんらかの祭礼が行われそうだ。

私は持つことにした。

いくつかの屋敷門から、着飾った若い娘たちが出てきた。

娘たちは一応に化粧が上手く、ツケマツゲが施されている。

足元には、カカトの高いサンダル。

時代の様変わりを感じる。

トゥガナン村独特の気怠いルジャン(Rejang)の奉納が始まった。




今回の祭礼が、どうも腑に落ちない。

帰宅してから、「地球に歩き方・バリ島」を開いてみた。

トゥガナン村のページのコラムに「ウサバ・サンバ」が載っている。

そこには、ウサバ・サンバは例年6月か7月に3日間行われるとある。

お祭りの期間はムカレ・カレやトランスダンスのほかにも、二日目の深夜にドラマゴン、三日目の夜にジョケッ・ブンブンで、おおいに盛り上がると記載されていた。

祭りの一週間くらい前から、村には露店が出て、とても賑やかになる。

闘鶏なども見ることができる。

もしかすると今回の祭礼は、それと異なるのではないだろうか。

「アパ?情報センター」のワヤン君に、次回の「ウサバ・サンバ」の情報を調べてくれるようにお願いした。

posted by ito-san at 16:20| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月24日

エアメールでお礼の言葉を(292)

エアメール(AIR MAIL)って、懐かしい言葉ですよね。

私の子供の時代は、家族に、もちろん私にも、海外に知り合いがいないので、航空郵便にはまったく縁がなかった。

いつの頃からか、E-mal(Electronic mail)に取って変わられ、久しく使わなくなった言葉。

E-malが普及したおかげで、不揃いの字を書く私は、恥をかかなくてすんでいる。

「ウブド・本の交換会」に、本を送っていただいたリピーターの方にお礼の手紙を出さなくては。

と思って、連絡先を調べてみると・・・・・。

E-malもフェイスブックにも繋がっていなかった。

そんなわけで、お礼のエアメールを出すことになった。

バリから絵葉書で手紙を出したことはあるが、封書での手紙は何年ぶりだろう。

思い出せないほどの昔だ。

20歳のころの節約旅行では、最初の3ヶ月は世界の各地から日本の両親にエアメールを送った。

そのあとの一年間は、便りをしなかった。

親からすれば「なしのつぶて」「音信不通」状態。

きっとあの時以来、手紙を書いていないかもしれない。

AIR MAIL.jpg

封筒も便箋も持っていない。

どこで売っているかも、わからない。

ウブド郵便局に併設していたコンビニで売っていたような記憶があるが、現在、改装中で店がない。

便箋は、手持ちのコピー用紙でいいだろう。

よく行く文房具店に、エアメールの封筒は置いていなかった。

コンビニを数件廻ったが、こちらにもなかった。

普通の封筒に、エアメールと赤文字で記せばいいのは知っている。

しかしそれでは、お礼の手紙としてははやるせない。

縁に赤・青の縞模様が入り、PAR AVION・AIR MAIL・CORREO AEREOと書かれた封筒がベストだ。

スーパーマーケットのデルタ・デワタで売っていた。

一枚しか使わないのに、ひと束買うのももったいないが、やむを得ない。

ワンセット10枚をRp10,000-で購入。

「郵便局でひとつでもわけてくれるよ」と、教えてくれた知人がいたがすでに遅かった。

知人は、いつも持ち歩いているらしい。

「うちのスタッフは無くしてしまうので、給料袋は目立つエアメールで渡している」と言う。

E-malが普及していない頃、郵便局止めの届く手紙を受け取りに行くのを楽しみにしていた友人がいた。

郵便物は、3ヶ月ほど局に保存されたあと処分される。

このシステムは、現在どうなっているのだろう。


手紙の最後に「乱筆乱文にて失礼いたします」と謙遜の意味で書く言葉がある。

私の文集は、支離滅裂で理解に苦しむだろうな。

文字は、読みに難い、ただの下手くそ。

さぞかし、解読不能な手紙だったと思う。

なのに、手紙の最後に「乱筆乱文にて失礼いたします」と記していた。

恥ずかしい話、謙遜して使う言葉を堂々と書いていたのだ。

それに気がついてからは、その言葉を使っていない。

人前で話をするより、手紙の方が苦手だ。

手紙は、残ってしまうのも嫌だ。

今では、シャベリも動画で撮ると録音されてしまう。

赤面ものだ。


お礼の手紙は、前略も時候の挨拶もなしに、いきなり本題に入る。

本題だけだと、要件は三行で終わってしまう。

ナニヤカンヤを継ぎ足して、やっと5行の手紙が完成した。

どんなけ苦手なんだ、と思うでしょう?

だからブログは、凄く努力しているんですよ。

「それでも、この程度かい!」そんな声が聞こえてた気がするのは空耳か。

重要なのは、気持ちですよね。

書き終えたエアメールは、郵便局のカウンターに持って行った。

これで一件落着。


posted by ito-san at 17:13| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月19日

「ダイソー」@レノンに立ち寄った(291)

1月15日(火):デンパサール・レノン地域にあるイミグレーション事務所に出頭。

私のビザ(入国査証)は、昨年の12月半ばで切れている。

本来なら今、私はオーバーステイ。

罰金は1日、30ドルと聞いている。

ひと月近くのオーバーステイ。

相当の罰金になるだろう。

遅延の責任はビザ代行業者にあるとは思うのだが、罰金の幾らかを私が負担しなくてはいけない事態になるかもしれない。

金欠状態の私は、昨年末からドキドキものだった。

「来週、イミグレーション事務所で会いましょう」ビザ代行業者のAlexさんから連絡が入った。

月曜日の朝8時、イミグレーションで待ち合わせ。

約束の時間に、30分も早く到着した。

この機を逃しては、と待つのを覚悟で家を早く出た。

Alexさんは、いつもと変わらない態度で現れた。

オーバーステイの話もしない。

その話には触れないのが賢明だろうと、私も口をつぐんだ。

待合室のベンチに、二人並んで腰を下ろした。

たわいもない世間話で待ち時間を消費し、いつものように写真と指紋をとられて無事終了。

追徴金は、なかった。

パスポートは、このあと3日間ほどで手元に戻ってくる。

延長の日付はいつのなるのだろう?

手元に返って来ればわかることがだ、ちょっと気になる。

イミグレーションの駐車場で、Alexさんとわかれた。

「テレマカシ=ありがとう」

感謝の気持ちが、いつもより大きい。


時間は、朝9時を少し回ったところ。

まっすぐ帰れば、10時頃には帰宅できる。

天気は快晴。

どこか寄り道をして帰ろうか?

流木拾いは、昨日行った。

今は、コーヒーが飲みたい気分だ。

帰路の途中にある「プラザ・レノン(Plaza Renon)」に行ってみよう。

最近ここに、日本の百円ショップ「ダイソー( DAISO JAPAN)」が出店した。

ウブドでは手に入らない物が、売っているかもしれない。

他に、日本人長期滞在者がよく利用するパン屋やレストランやカフェが入っている。

3階建てで、地下一階は駐車。

屋外の駐車場にバイクを止め、そこにいた青年に開店時間を聞くと「10時だ」と教えてくれた。

時計はまだ、9時30分。

店頭にある「スターバックス」で時間を潰そうと思ったが、ここも10時開店。

オープンエアーの客席を拝借し、読書をして開店を待った。

10時になった。

ショッピングモールに入るのは、シンガポール以来だからもう3年も前だ。

ウブドのカントリーボーイには、不似合いな場所だ。

「ダイソー」は、ちょっと大きめコンビニといったところ。

日本のダイソーを知らないので、比較することはできない。

目の前に包丁が・・・・。

店長と思われる男性に「これはいくらですか?」と指さすと、「すべての商品がRp28,000-です」という答えが返ってきた。

これは、今のレート(Rp10,000=130円)だと、日本円で220円ほど。

百円ショップではありませんね。

よ〜く見ると、ギザギザのあるパン用のナイフだったのでキャンセル。

開店早々ということもあってか、通路には商品が散乱している。

いやいや、これは開店前に済ませる業務だろう。

足元の商品を避けながら、一列一列丁寧に見て歩く。

見つけたいのは、日本製のサランラップ。

これでいいのかわからないが、耐熱ラップというのを買った。

料理用温度計があった。

これも探していた一品だ。

お買い上げは、この他に、お米の軽量カップとコンパクト軽量スプーンと巻きす。

五品のトータル、Rp14万。

この買い物リストで、料理ができない私がどうして、と不可解に思ったでしょう。

次回ジョクジャカルタ・マゲランに行った時、世話になるバダさんたちに巻き寿司を作ってご馳走したいと考えているんですよ。

だから、このところ自主練中。

「スターバックス」でコーヒーでもと思ったが、時間は11時。

チュルク村で見つけた「ワルン・トーキョー」で昼食にしようと「プラザ・レノン」を出た。

あっ! 写真を撮るのを忘れてる。

再訪はないとは思うが、あまいいか。

駐車料金1時間20分で、Rp4,000。

車(時間)Rp3,000-/バイク(時間)Rp2,000-とあった。

追加料金については見てこなかった。

コーヒーを飲んでいたら、もっと金額は大きくなっていたな。

館内に映画館があったけど、映画を見てショッピング&食事をしていたら駐車場料金はRp10,000-は超えるだろう。

130円(Rp10,000-)で、ビビっている私だった。


posted by ito-san at 15:50| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月10日

ムコテカンと呼ばれる珍しい儀礼見学(290)

2019年1月5日:クニンガン祭礼日

この日、タナロット寺院の近くのムングー村で、珍しい儀礼が行われる。

儀礼の名前は、ムコテカン(Mekotekan)。

地図で確認すると、ウブドからバイクで飛ばせば40分ほどの距離。

迷路のような村道が続いて、いつまでたっても目的地が見えない。

目的地の近くにいたのに、迷いに迷って2時間以上もかかって到着。

屋根に立てかけた長い数本の細木の近くに、若者たちがいる。

そんな光景が、沿道のあちらこちらに見える。

Mekotekan1.jpg

バイクを裏道に止めて、メイン道路に出る。

街の中心と思われるデサ寺院前で待機していると、午後2時にあと10分という時間にバレガンジュールの音が聴こえてきた。

手に手に細木を持った若者たち数百人の行列が、ブリンギン大樹のある南方に向かって歩き始めた。

ムングー村の12の集落から集まった若者たちだ。

長さ2〜3メートルの表皮を剥いだ白い細木は、一見長槍のように見える。

Mekotekan5.jpg

ブリンギン大樹の前で婦人たちのお祈りが始まると、威勢の良い若者たちの掛け声と共に細木が重ねられた。

円錐形の山が、細木で形作られていく。

この時の音が、ガムラン演奏のコテカン(裏打ち)に似ていた。

そんな理由から、ムコテカンという名前が付けられたのかな〜、と想像する。

細木の山に、勇敢にも飛び乗る男がいる。

男は、鼓舞するように見栄を張る。

しばらくして、山は崩れる。

再び、山は作られる。

細木の山がふたつ作られ、ぶつかり合う。

こんな儀礼を見るのは、初めてだ。

1946年に始まった、ムングー村の伝統儀礼だという。



このあと行列は、村を巡る。

これは、ご神体・聖獣バロンと同じ厄払いの意味があるのだろう。

儀礼の内容については、ただいま調査中。

行列は、1時間後、村の北端に到着するという情報をキャッチした。

私は、先回りして待つことにした。

バンジャールに帰って行った隊列もある。

残った細木隊は、それでもかなりの人数がいた。

小休止したあと、掛け声とともに細木の山が作られた。



儀礼は、無事に終えられたようです。

雨季の真っ只中だったが、好天気に恵まれたクニンガン祭礼日でした。

儀礼に参加している村人、特に若者たちは、暑かったことでしょう。

お疲れ様でした。

見学させていただいて、ありがとうございました。

次のクニンガン(2019年8月3日)には、「アパ?情報センター」がツアーを組む予定をしています。

皆様、是非見学してください。


ムコテカン儀礼の伝説は、2つのバージョンがある。

ルスラン君が主宰する「ubud community」に、英語の解説が載っていた。

私は訳せないので、ここに原文を掲載します(誰か訳して)。

There are two version about the history of Mekotekan.
According to Ida Pedanda Gede Sidemen Pemaron, Mekotekan ritual related to Raja (king) IV Cokorda Nyoman Munggu from Puri Agung (palace of) Munggu who govern Mengwiraja territory. One day in the past, Yeh Penet river was flooding and floot off a shrine which then be stuck fast at the root of Jepun Sudamala tree. The king heard about this and order his men to retrieve it.
At the same time, one of the villagers was in trance and declared himself as a represent of Ida Betari (goddess of) Ulun Danu Beratan and told people to build a temple dedicated to Ida Betara (god) Luhur Sapu Jagat, guardian god of Mengwiraja. He also told that they will find chunks of iron to make kingdom’s weapons and holy stones which should be keep in the temple.
All words from the man comes true when the ground had dug.They found tamiang (guard) shape stone and iron weapons. The king ordered his blacksmith to make keris and spear.Three months later after all weapons had been blessed, on Kuningan holy day, all men from Munggu village had performed a battle scene and since then thisMekotekan have been performing on Kuningan day and became tradition in Munggu village.
Other version as told by Ketut Kormi−custom leader of Munggu village, is Mekotekan which have been performing by community in Munggu village from generation to generation, is related with the expansion trip of the King of Munggu to Blambangan. On the way back to the village, the kingdom troops had merrily celebrate victory from the battle field by lifting the spear upwards.As they were too excited, some of their body got pierced by the spears and get injured.
In his meditation, the king got instructions to perform Mekotekan ritual in order he can heal his troops wounds quickly and also to chase away the plague which may come in Munggu village.


posted by ito-san at 17:02| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月07日

謹賀新年・2019年(289)

あけまして、おめでとうございます。

『一年の計は元旦にあり』と言われていますが、私はいつも通りこれといった計画は立てていません。

今年も、健康で楽しい一年が送られたらいいなと、願うばかりです。

そして、読者の皆様に幸せが訪れることを祈う私です。

(実は内密ですが、年内か遅くとも再来年の初頭には、仏教遺跡ボロブドゥールのある村に本拠地を移そうと考えています)


私の過ごした元旦の1日を、ザ〜と紹介します。

いつもより早めに下宿を出て、バイクにまたがりプンゴセカン村にある「カフェ・トピ」に向かう。

本日「カフェ・トピ」で、恒例の「餅つき」がある。

笑い声が聞こえる。

在住者の方々の歓談の輪が、あちらこちらに見られる。

「笑う門には福来る」

こいつは元旦から縁起が良いわい。

私はマイ箸を持参しての初参加。

つきたての餅で作られた「おはぎ、きな粉、のり巻き」をほうばる。

雑煮も振る舞われた。

美味しかった!

michituki1.jpg

michituki2.jpg


このあと「カフェ・トピ」隣接の「ソパ・ガーデン」でネット。

夕方6時の待ち合わせには、まだ時間があったので、一度を下宿に戻ることにした。

待ち合わせ時間より、ちょっと早めに着いた「和るん・あんかさ」で、知人母子と歓談。

楽しいひと時を共有できた。

mori1.jpg


久しぶりの「スマラ・ラティ」を、知人母子と鑑賞。

運良く、今夜の演目は特別公演だった。

応援を続けて、30年になる。

リーダーのアノム夫妻の子供たち4人が、大きく育ち、グループに加わってい姿に感無量。

30年を経ても色褪せない、素晴らしい舞踊と演奏の「スマラ・ラティ」だ。

semararatih1.jpg

semararatih2.jpg


〆は、「和食・影武者」で、夕食。

今夜は、心尽くしのおせちと雑煮でした。

赤味噌の雑煮に、感動。

大晦日は、年越し蕎麦をご馳走になった。

zouni.jpg


「和食・影武者」が、〆のはずだった。

が、帰宅途中、モンキーフォレスト通りにある「和るん・あんかさ」の電気が、おいでおいでをするように輝いていた。

深夜12時、もう帰り仕度をしているだろう。

迷惑も顧みず、吸い寄せられるように店内に入っていった。

2階の大テーブルに、いるいる知人たちが。

昼、母子と歓談した大テーブルだ。

愉快な仲間たちと酒を酌み交わす。

集合記念写真は、ありません。

以上、私の元旦のでした。

今年もよろしくお願いします。



posted by ito-san at 15:25| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月01日

続き最終回:バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(288)

《 ジョグジャカルタの旅のメモ 》

年内には最終回を書き終えるつもりだったのに・・・。

ウダウダしてる間に、年が明けてしまっていた。

『あけましておめでとう、ございます』


もうひとつ、案内しておきたい場所があります。

ボロブドゥール近郊に仏教徒の村がある。

キリスト教徒の村もあった。

村の名前は、教えてもらったはずだが、覚えていない。

足を伸ばして、キリスト教徒の村に出掛けた。

車は、ボロブドゥールから1時間ほど南に走り、幹線道路を右折した。

いくつかの村を過ぎて、田んぼの風景がある道を進んだ。

「このあたりからキリスト教徒の村になります」バダさんが教えてくれた。

十字架のある建物がなければ、普通の田舎の村だ。

「あの看板が、犬のサテを売っている店の印です」

キリスト教徒の村で、犬のサテが食べれるワルンがあるのは、教えられていた。

そうか、今日は、そこを案内していくれているのだ。

「私は食べないけど、ワルンでコーヒーは飲むことはできるよ」とバダさんは言う。

興味はあるが、食べたいとは思わない。

ワルンの椅子に腰掛けて、興味本位に店内を物色するのは気がひける。

看板の犬の写真を見て、嫌悪感は倍増している。

B1は犬を意味し、 B2は豚を意味するらしい。

イスラム教徒の多いこの島では、表示することが義務ずけられているのだろう。

できれば早く通り過ぎて欲しい。

我々の他にも、看板を一瞥して素通りする車があった。

tongseng1.jpg

tongseng2.jpg



最後に、バダさんから聞いた面白い実話。

バダさんの友人が、ジャカルタでの任期を終えて日本に帰国することになった。

帰国する前に、御別れ会をしたいと考えたバダさんは、電話を入れた。

「Tolong beritahu(トロン・ブリタウ)・・・・」

このあと”日本に帰る前に”と続く。

「日本に帰る前に、教えてね」と伝えたのだった。

数日後、友人は、豆腐を持ってバダさんのマンションを訪ねて来た。

「えっ! 何で豆腐?」とバダさん。

「だって、トロン・ブリ・タウと言われたでしょ」と友人。

ここでバダさんは、大きな勘違いを発見した。

友人は、ブリタウをbeli tahu(豆腐を買う)という意味に受け取っていた。

以前に、豆腐を買って来てと頼まれたことがあったのかもしれない。

豆腐はインドネシア語では、タウと発音する。

どちらも同じタウ。

買うのブリ(beli)と、教えてのberitahuのブリ(beri)。

エル(l)とアール(r)の違いを、聞き取らなければならない。

発音のできない私には、現地の人の微妙な違いを、今でも聞き分けられないでいる。

私よりインドネシア語が堪能な友人でも、聞き間違えることがある。

インドネシア語にも、発音が似ていたる言葉があるという話でした。

余談だが、バリ語でお兄さんのことはブリで、 オカ兄さんはブリオカと呼ぶ。

魚のブリを買ってきては、ブリブリかな。

くだらない冗談は、このくらいにして。

最後までおつき合い、ありがとうございました。

今年を、よろしくお願いしまう。


posted by ito-san at 15:15| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月21日

続きその2:バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(287)

《 ジョグジャカルタの旅のメモ 》


この日(11月19日)、私の帰バリ航空券を購入するために、ボロブドゥールの町に出かけることになった。

バダさんの運転する車に、Waunさんと私が同乗する。

Waunさんは、バダさんのジャカルタ時代からの友人で「Kafe-mpat」が気に入り住み着いている。

Kafe-mpatは、4月から工事が始まり9月にオープンした。

下見やプランニングは、1年前から進めていたらしい。

ランドスケープの仕事をしている絵描きさんのWaunさんは、造園が得意なのでのプランニングの段階から腕をふるっている。

花を愛でるのが好きな、飄々とした小柄の中年男性だ。

両人は、何のスキルも持っていない私に「ここに、住んではどうか?」と薦めてくれる。

私も住みたいと思い始めている。


チケットはネットで購入するつもりでいたが、バダさんが煩わしそうだったので、旅行代理店で頼むことにした。

結婚式が終わったばかりの新婚さんに、面倒な仕事をお願いするのは気がひける。

この地では、Free WiFiも容易に見つけられないし、私の場合支払いがコンビニなので手間が掛かる。

バリの戻る予定にしていた20日は、イスラム教徒の祝日だった。

そんなことはまったく失念していた。

チケットは売り切れ、延期するしかない。

バダさんが「ゆっくりしていけばいい」と言ってくれた。

翌日(21日)夕方発のチケットを予約した。

22日に予定が入っているが、余裕でセーフだ。


チケットを入手したあと、仏教遺跡ボロブドゥール周辺を案内してもらうことにした。

仏教遺跡ボロブドゥールの入場は、バダさんたちは何度もに来ているはずだから、今回は遠慮した。

私は2度見学しているが、何度でも通いたい場所だ。

遺跡周辺は今、観光化が進んでいると言う。

ボロブドゥールを中心にして、ぐるりと一周できる道沿に、安いロスメンから高級ホテル&レストランが急増している。

ウブドの観光化と似た動きがあると言われている。

地元の若手リーダーに面会した。

ウブドに30年近く滞在している私から、観光地としての心得を聞きたいと言っていた。

短い時間では語り尽くせないので、次回、ゆっくりと時間を作って会うことを約束して辞去した。


ここ近年、ボロブドゥール周辺に多くに絵描きさんが住み始めている。

ウブドから移り住んだ絵描きさんも多い。

家賃や物価がウブドより格段に安い。

ウブドがアーチストの集まる場所として栄えたと同じ現象が、この地で始まっているのだ。

近くに、旧都ジョクジャカルタという大きな商圏がある。

学生の街と言われるジョクジャカルタのヤングパワーも、ジョイントしてくるだろう。

空港も国際空港としての整備も整い、海外からの観光客の増加も予想される。

そうなれば、ボロブドゥール周辺の発展は可能性は大だ。

「いと〜うさんも知っている絵描きさんがいるから会いに行きましょう」とバダさんに言われ、行くことになった。

バダさんは、いとうの”と”を一度あがり、”お〜”と伸ばして発音し、さんと落ちる発音をする。。

連れて行ってもらった画家の家は、大きな川が合流する地点の丘の上にあった。

やはり、ウブドで何度も会ったことのある顔見知りだった。

彼は、町の有名人になっていた。

「彼がいれば、この近くにいと〜うさんが住み始めても安全だよ」

困ったことがあれば彼に相談すればいい、と心強い言葉が添えられた。

広い敷地に、住宅とアトリエと宿と画廊がある。

知人、友人の近況報告をしたあと、見学させてもらった。

ユニークな家に住んでいた。

すべて手作りだそうだ。

私もこんな家に住みたい。




記憶があいまいで、記載が出来事順に書かれていない。

今更直せないので、このままでいきます。

ごめんなさい。


posted by ito-san at 19:49| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月06日

続きその1:バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(286)

《 ジョグジャカルタの旅のメモ:その1 》

飛行機は、10月28日に墜落した「Lion Air」を避けて「AIR ASIA」にした。

久しぶりの国内線に、右往左往。

ボディチェックに、新設備「Pro Vison」が設置されていた。

入り口は、3箇所。

右手は、従来の額縁型ボディ探知機(正式名称は知りません)。

中央が、円筒形探知機「Pro Vison」。

左手は、探知機のない入り口。

私は、係官に手招きされて、「Pro Vison」の前に立った。

「Pro Vison」のベルトコンベアーに荷物を乗せた。

ご存知の方も多いと思うが、備忘録として新設備「Pro Vison」について説明をしておく。

ProVison.jpg

何も危険な物は持っていませんよと、両手を挙げて中に入る。

出口の向こうにいる係官が、ベルトも探知機に乗せろとジェスチャーする。

えっ! これプラスチック製のパックルだよ。

ベルトもハイジャックの武器になるのかな?

まさかベルトを外すと思っていなかった。

外に出て、ベルトコンベアーの暗幕内にベルトを突っ込む。

ズボンが下がる。

手で押さえながら、再び「Pro Vison」に入る。

係官が、足元を見るようにとジェスチャーをした。

下を見ると、そこには足跡のマークがあった。

マークに従って足を乗せると、左側を向く姿勢になる。

そこは半円のガラスだった。

ガラスに書かれているイラストのように、私は両手を広げた。

ズボンが落ちる。

半円のガラスは二重になっていたようで、カメラのシャッターのように移動した。

「Pro Vison」は、一瞬にボディチェックを終えた。

これなら人員削減できるだろう。

外に出ると、係官が2人立っていた。

横を抜けようとすると、手を挙げるようにと指示された。

えっ! チェック終わったんじゃないの?

右隣の従来型ボディ探知機と同じ扱いだ。

探知機のない左手の入り口の方が、スムーズに流れている。

こんなことなら「Pro Vison」は、いらないのでは。

取扱チェック期間か? それとも怪しげな人物に対しての厳重ダブルチェックか?

私は、危険人物には見えないと思うがね。

開発途上時には、こういうことが起こるんですよね。


昼食は、マゲランで有名なワルンでKupat Tahuを食べた。

Kupatは、バリで言うティパット(蒸しご飯)のことだろう。

Tahuは、豆腐1

他にテンペと野菜が入って、ちょっと甘辛い料理でしたが美味しかった。

kupatTahu.jpg

夕食は、マゲラガン(Mageragan)をブンクス(弁当)。

マゲラガンは、ナシゴレンとミーゴレンが一緒になった地元マゲラン(Magerang)料理。

地名のマグランから変化して、マゲラガンという名前になったようだ。

これが美味しい。

そりゃそうだろう、どちらも私の好物だから。

写真を撮るの忘れてた!

ナシゴレンとミーゴレンなら、写真がなくてもわかってもらえるか。


こんな感じで、「ジョグジャカルタの旅・メモ」があと2回ほど続きます。

お楽しみに。

Kafe-mpat.jpg

おまけの写真。


posted by ito-san at 18:08| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする