2020年09月18日

先進国と発展途上国という言葉に異論!(346)

田舎っぽさが気に入って、滞在を始めたウブド。

滞在を始めてすぐ、この村は人類が理想とする先進した村ではないだろうかと思った。

そう言う意味で、使い古された言葉だが「最後の楽園」を感じた。

街づくりに興味がある私が最初に驚いたのは、1990年に訪れた時に、すでに「セミパブリックスペース」があったことだ。

今では、日本でも普通に使われている言葉だろう。

セミパブリックスペースとは、プライベートなスペースとパブリックなスペースの中間的な役割をする場所。

例えば、屋敷内と外。

ウブドには、屋敷の道路側に幅の狭い空間があり、ほとんどが小さな庭になっている。

私は、曖昧なスペースと呼んでいる。

曖昧な部分は、バリの二元論にも通じると思っている。

「バリ人の信仰するヒンドゥー教の二元論について考える(355)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/476168500.html

道路ギリギリに、家が建っているわけでないので、圧迫感がない。

滞在当時、塀も生け垣だったり、低い土塀だったので、さらに圧迫感は薄い。


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(写真提供:中村政広氏)

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(写真提供:中村政広氏)

現在は、わずかしか残っていないが、田舎に行け、ばまだ見られる風景だ。

滞在が長くなるうち、この曖昧さは、バリの個性でもあること気がついた。

そう、キッチリ割り切らなくてもいいだろう、と言う考え方だ。

これが、ストレスを溜めないテクニックに思えた。


バンプ(Bump)の存在にも目を奪った。

バンプとは、道路の一部を隆起させ、通過する車両に上下の振動を及ぼすことで運転者に減速を促す構造物の総称。

機能や形状によって、スピードバンプやスピードクッションなどとも称される。

インドネシア語では、ホリス・ティドゥールと云う。

横たわっている警察官とも訳そうか。

日本では、ニュータウンや住宅地などに設置されている。

ウブドでは、幹線道路を除いて、すべての道にバンプが敷設されていた。

残念ながら、簡易なため壊れやすいバンプでもあった。

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先進国、後進国という言葉がある。

先進国は、高度な工業化を達成し、技術水準ならびに生活水準の高い、経済発展が大きく進んだ国家のこと。

後進国は、経済発展や開発の水準が先進国に比べて低く、経済成長の途上にある国を指すらしい。

後進国は、侮蔑的な言葉とされ、現在では発展途上国(開発途上国)の呼称が一般的になっている。

途上国という言葉にしても、先進したとされる国の、上から目線としか思えない。

よその家と比較して「うちはお宅より、文化的生活しています」だから先進国なのよ的な発想だ。

先進国にしても、到着点に達したわけではない。

すべての国は、現在進行形の発展途上国。

あえて先進を使うなら「先進途上国」だろう。


人間がもっとも人間らし生きられる国造りに、すべての国は邁進している。

インドネシアには、外部と接触を持たない村があり、数世紀前の文明のままで生活している人々がいる。

先進国の人々は文明人と称し、文明に取り残された(本人たちは、そう思っていないかもしれないのに)人々をしばしば未開人=野蛮人と呼ぶ。

果たして文明は今、正しい方向に向かっているのだろうか、それは疑問だ。

発展途上国とされる国民は、先進したいと願っているのだろうか。

果たして、先進する必要があるのか。

開発することが良いのか?

発展することが良いのか?

私的には、先進の反意語は後退だと思っている。

人類は、今、後退するべきかもしれない。

退行的進化だ。


ウブドが、退行的進化した村ではないかと感じた点を、いくつかあげてみる。

バンジャールと呼ばれる最小単位の村組織は、その一つだ。

役割は、寺院の維持、管理、寺院祭礼の運営や奉仕活動(ンガヤ)だ。

さらに、バンジャールの集会場や村内の道路などの労働奉仕(ゴトンロヨン)。

そして、村民同士の相互扶助。

相互扶助は人類の誕生以来、世界各地に存在していたようだが、現存しているのは珍しいと思われる。

日本にもあった、ようですね。

ンガヤ&ゴトンロヨンの連絡が頻繁にあるため、干渉は密である。

先進国のコミュニケーション不足と比べれば、かなり干渉過多かもしれない。

生活の拠点がバンジャールにあれば、日本のような孤独死はない。

日常生活にも、退行的進化を感じた。

朝陽とともに仕事を始め、日没には仕事を終える。

それは、信仰儀礼中心の生活だからだろう。

庭には野菜や果物がなり、飼われた鶏は卵を産む。

半自給自足。

儀礼の時には、鶏や豚を生贄にする。

生贄にされた動物は、その後ご馳走になって給される。

飲料水には、湧き水が豊富に供給できる。

充分に食事がとれて、健康であれば、それで良いのではないだろうか。

裸足での生活。

古着のようだが、洗濯は頻繁にされている。

無駄に贅沢はしないのだ。

バリアンと呼ばれる呪医師がいる。

呪医師は、いろいろな薬用植物を使用して治療する。

あとは、近代医療設備の整った病院があれは、もう怖いものない。

万全な医療と衛生管理が行き届いた生活。

自分に必要と思われる物だけを選んで、享受していこう。

望むならば、個人個人が楽しくあれば、いい。


posted by ito-san at 13:35| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月13日

ミンタ・ウアンに遭遇したら!(345)

徘徊老人の動画を撮りに出かけた、ある日の午後。

行き先は、ウブドの西・チャンプアン橋を越えたサンギンガン通りにある「ビンタン・スーパー」。

「ビンタン・スーパー」の南側に、壁に沿うようにして階段がある。

階段を上り路地を進むと、見晴らしのよい田んぼに出る(はず)。

今回の徘徊は、このあたりの散歩コースを開拓したいと目論んでいる。


帰りに買い物をしたいので、バイクを「ビンタン・スーパー」の駐車場に止めた。

駐車場の端にある階段を下りる。

歩道に出ると、幼児を抱えた若い女性が右手を出してきた。

ミンタ・ウアン(minta uang)=お金を求める仕草だ。

妖怪じゃありません、我々と同じ人間ですよ。

お乞食さん、でもありません。

一説では、バリ東部の貧困の村がらの出稼ぎだという。

某村の風習のようなもので、ある時期になると出現する。

顔ぶれは変わるが、今では一年を通して見かけるようになった。

幼児は同郷の村人から借りてくることもあるらしい。

モンキーフォレスト通りやガソリンスタンド近くなどの、大勢の人がいそうな場所にいる。

観光地ウブドのイメージが悪くなるのを懸念して、ギャニアール県は時々、警官を動員して彼女ら締め出しをする。

私は、遭遇すると、たいてい小銭を渡すようにしている。

これは、托鉢する修行僧に対するお布施のようなものだと心得ている。

ウエストバッグに、小銭が入っていた。

掴むとRp500-が、4枚出てきた。

いつもなら全部渡すところだが、この日はなぜか2枚を差し出した。

手のひらにのせて、歩き始める。

彼女たちは、感謝の意を表さない。

5メートル先に、もうひと組の親子がこちらを見ていた。

先ほどの女性よりも、さらに若い。

コインを渡すところを見ていただろう。

グループじゃないだろうから、ひとりに渡したからって済むことではない。

彼女に、施しをしないわけにはいかないだろう。

残っていたRp500-2枚を渡した。

財布の中には、一万ルピア以上の札しか入っていない。

もうひと組いたら、どうしてただろう。

2組のミンタ・ウアンをやり過ごして、徘徊ために階段を上る。


次の日、動画の撮り忘れがあったため、再びビンタン・スーパーへ向かった。

買い物がないので、バイクを路肩に止めることにした。

路肩には、バイクが列をなして止まっている。

ちょうど階段前に、一番分のスペースがあいていた。

駐車して、歩き始めると、目の前に一台のバイクが止まった。

婦人が運転していた。

バイクに乗ったまま、声を掛けてくる。

「この近くで、仕事はありませんか?」

かなり唐突な質問だった。

サンギンガン通りの従業員募集の情報が、私の耳に届くはずもない。

コロナ禍で解雇の噂は、聞こえてくるが。

私は、困惑した。

そんな私の表情を見てとったのか、こんなことを言う。

「仕事が見つからなくて。シンガラジャまで戻るのですが、ガソリンがなくなりかけていて」

今すぐ、お金が必要な状況なのだと理解した。

ということは、砂やブロックを運ぶ日当の仕事を探していたのか。

ウブドに、日雇い仕事の受けいれ業者があるかどうかも知らないし、昼3時を過ぎた時間から仕事を探すのも難しいだろう。

彼女の話を、腰を据えて聞いてやる時間はない。

私の頭の中は、混乱している。

仕事は見つけられないが、なんとかしてあげたい。

できることと言えば、ガソリン代を少しカンパすることくらいだ。

「これでガソリンを買ってください」と、1万ルピア札を渡した。

節約生活している私にとって、たとえ少額でも痛い出費だ。

果たして、これでシンガラジャまで帰れるかどうかはわからないが、今の私にはこれしかできない。

婦人を疑う気持ちは、起こらなかった。


2日続けてのミンタ・ウアン遭遇。

観光客がいなくなった今、ビンタン・スーパーマーケットの脇は長期滞在の外国人を待ち構えるに最適な場所なのだろう。

ガードマンのいる入り口には近づかないし、駐車場内には入ってこないので、普通は遭遇しない。

初めから渡すつもりでいる私には問題ないが、こういう行為の許せない人にとっては「鬱陶しい」ことかもしれない。

風習とは言え、好ましい行動とは考え難い。

インドネシアの経済が発展すれば、ミンタ・ウアンの姿も減るのだろうか?


posted by ito-san at 15:01| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月02日

徘徊老人のハイカイ先は?(344)

コロナ禍の外出自粛で、怠惰な時間を浪費する日々。

何もしないより、何かをしていたい。

そんな思いで、自撮り棒を買ったのをキッカケにして、フェイスブックに己の姿をさらけ出すことにした。

みんなに忘れられないために、との言い訳を含んで。

高齢になって、恥ずかし気もなく露出趣味が漏出してきた。

この歳になると、「恥ずかしい」という感覚が希薄になるようだ。

「徘徊老人のハイカイ先は?」のタイトルで投稿している。

写真じゃなく、それも動画で喋りも入れて。

と言っても、全編私の顔が入っているのも鬱陶しいだろうと考え、景色はカメラで撮影しています。

フェイスブックの友達が、ブログの読者とは限らない。

重複している人には申し訳ないが、投稿を掲載させていただいます。

フェイスブックで繋がっていない友人のために。

これまでの4回分を、公開します。


《 第1回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

デヴィシータ通りの橋の上に立って、緊張気味にコメントしている。

さて、行き先はどこだ!





《 第2回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

プンゴセカン通りのある場所に立っています。

「グリーン・フィールド」と「テガル・サリ」のリピーターの方には、懐かしい風景かもしれません。

自撮り棒の使い方がイマイチ掴めないのと、畦道での使用は危険だと判断して、普通のカメラに持ち替えました。

ひとりで喋るのって、難しいね。

他人には、独り言をつぶやいて歩いている、変な徘徊老人に見えているのかな?





《 第3回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

プンゴセカンにあった頃の「初代・影武者」の跡を訪ねてみた。

庭から見えていた田んぼは、全滅。

これではホタルも飛んできませんね。

裏にあったコスは、廃墟。

「二代目・・影武者」は、ゲスト・ハウスになっていました。





《 第4回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

「和るん・あんかさ」のある路地をハイカイしました。

「アパ?情報センター」があったところも紹介しています。

「ホワイト・ハウス・バンガロー」を「スリー・ブラザーズ」と言い続けていますが、終了間際に気づいて訂正しています。

誤報のないように気をつけていますが、そこは老人のすること間違いは多くなると思います。

そこのところ、よろしく!

畦道を通って「ホワイトハウス」に行くのですが、右手・南側には下りの田んぼが遠くまで続く風景でした。





バリ関係と旅の動画を、細々とYouTubeにアップしているので、覗いてやってください。

https://www.youtube.com/channel/UCuxCYokJu-mzTfxTK5Xe2eg?view_as=subscriber

よろしく!



posted by ito-san at 11:39| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月25日

自撮り棒についての考察(343)

自撮り棒(インドネシア語でTongkat selfie)を買っちゃったですよ。

私はナルシストじゃない。

自撮り棒を手にしてまで、なんで己の写真を撮るのかな。

冷めた目で見ていた私であったが、潜在的に欲しかったんだと気づく。

よく利用するスマホ屋さんで、プルサを買いにいった時に見つけて、価格を聞いたら安かったので。

5万ルピアが4,5万になると聞いて、400円もしないと、即買い。

この値段で、手元で操作できるのに驚いた。

手元で操作できないと多いに困るのだけど、こんなことに感心している無知に私。

一週間もしないうち、35,000とデスカウントされていた。(小さくショック!)

現在の自撮り棒には、様々な機能が付いて、さまざまな機種が販売されているようだ。

安かったのは、時代遅れだからかもしれない。

老人には、これでも画期的ですから満足です。


自称・生涯旅人のわたくし、一人旅が多い。

旅先で、どうしても景色の中に収まった自分が撮りたいときがある。

そんな時は、三脚を立ててセルフタイマーで撮る。

タイミングが掴めず、間抜けたな写真ができあがることもある。

そんなアクシデントも楽しかった。

人混みが多い時には、カメラから離れることはできない。

そんなときは、近くにいる人に、お願いして撮ってもらう。

カメラを持って逃げられるのじゃないかと心配しながら、信用できそうな人を選んでカメラを渡す。

「写真を撮ってもらえませんか?」の英語を必死に覚えたものです。

Would you mind taking a picture for me?

通じない時には、「JTBの六カ国語会話」を指差した。

こんな体験が「旅の指さし会話帳」の出版のキッカケになっているのではないかと、今更ながら感心した。

Google翻訳には「Could you take a picture of me?」と表記された。

こっちの方が覚え易いな。

私の場合、撮ってあげる機会の方が多かった。

旅先でのコミュニケーションだと、大歓迎だった。

自撮り棒が普及すると、こんなことも無くなってしまうのだろうか。


百も承知だとは思いますが、自撮り棒についておさらいします。

これは、自分のために確認です。

ウキペディアによると、1980年代初頭に日本で開発され世界で発売されたが、普及しなかったとある。

それ以前にも、棒の先にカメラをつけて撮っていた人は、各国にいたようだ。

スマートホンのカメラに、自撮りに切り替える機能がついた。

写真や動画が瞬時に公開できる。

SNS(ツイッター&フェースブックetc)で、さっそくアップロード。

流行りましたね「何処何処・ナウ!」。

私には理解できなかったが、以外と自分の写真を公開する人は多いんですね。

みんな、ナルシストなんだ。

「ナウ」はしないが、そういう私も最近は頻繁に自分の写真をアップロードしている。

カメラを手に持っての撮影には、限界がある。

自分一人じゃなくて、友人も一緒に入った写真が撮りたい。

それは、少し遠くから撮る必要がある。

そこで登場したのが、自撮り棒。

各種SNS(インスタグラムetc)の普及が拍車をかける。

ヒットしたのは、2014年と言われている。

インドネシアの自撮り棒普及は、早かった。

おりから韓流ブーム。

ボーカル・グループのコンサートでは、熱狂的ファンの自撮り棒が立ち並ぶ。

これは自撮りじゃないね。

こんなところが、私の自撮り棒に関する認識だ。

おおむね正しいようだね。


私は、写真を撮るのではなく、動画を撮りたいと思っている。

「徘徊老人のハイカイ先!」と銘打って、フェイスブックにアップし始めた。

生存確認のメッセージです。

ひとりでしゃべっているので、変なおじさんに見られるんじゃないかと心配になるが、現代人には見慣れた風景だろうから気にする必要はないかもしれない。


何をしようとしているのか?@ NG編


posted by ito-san at 16:21| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

朝市 @ プンゴセカン村(342)

朝市(Pasar Pagi)と言えば、バリ人の台所だ。

村々には、必ずと言ってよいほど朝市が開かれている。

大きな町では、大きな朝市(Pasar Pagi)が開かれている。

州都デンパサールには及ばないが、ウブドにも、この地域で最大の朝市が立つ。

ウブドの朝市は、さまざまな形で紹介されているので、ご存知の人も多いだろう。

そんなわけで、今回は、小さな朝市を見学したい。

もっとも適していると思われるのが、プンゴセカン村の朝市だ。

もしかすると、古くから受け継がれている朝市の風景を感じられるかもしれないと考えた。

毎朝6時頃から9時ころまで開かれる、と知人が情報をくれた。

7時に到着できるように、早起きしてプンゴセカン村に向かった。

画家グスティ・サナさんの家の前に、無断でバイクを止めさせてもらう。

サナ家の長男コンピアン君からバリ舞踊を習ったり、「アパ?情報センター」主催のバリ風結婚式の会場として利用させてもらったり、舞踊&絵画の体験の紹介をさせてもらった関係がある。

勝手知ったる他人の家。


広場には、供物用の花と葉、取り立て野菜と果物、朝食の具や弁当、新鮮鶏肉などの屋台店が、肩を寄せ合って軒を連ねている。

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古い動画には、風呂で使うような低い椅子に腰を下ろした売り子の前に、やはり低に机に品物を並べての商売だった。

上半身裸の女性の姿が見られるが、さすがに今の時代にそれはない。

屋台の設備は様変わりしたが、冷蔵庫のなかった時代から変わらない品揃えだろう。

その日に使い切る品々が並んでいる。

売り手は、村内からがほとんど。

私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

振り返ると見知った顔があった。

「和食・影武者」の厨房スタップの女性だ。

親戚のおばさんの弁当屋を手伝っていると言う。

買い物客は、歩いて来ている村人たちだ。

村人が作った農作物や家で飼っていた鶏肉などを持って来たのだろう。

近隣の村からも駆けつけている人売り手も、少しはいるだろう。

もしかすると、古く物々交換の時代から、連綿と続いているのかもしれない。

工芸の得意な者は、カゴやゴザなどの生活雑貨を店頭に並べていたかもしれない。

村人による、村人のための朝市として、今なお続いている。

賑わいを見て、スーパーマーケットの出店に危惧していた私は、胸をなでおろしたのであった。

金銭的な活動を行っていない私の行動範囲は、まったく村から出なくてよい。

村人も、他の村に行くことは少なかっただろう。

朝市で買い物をして、あとは行商が通るのを待っていれば、それで充分かもしれない。

バンジャールには、スーパーマーケットもコンビニもない。

バンジャールとは、村の最小単位・集落のこと。

ウブドは、2000年初頭からスーパーマーケット&コンビニの出店が相次いだ。

便利になることは良いことだが、ウブドらしさが失われていくようでもあり、複雑な気分だ。

経済的に打撃をうけた村人も多かったことだろう。

プンゴセカン村には、村はずれにコンビニあるが、共存しているようにみえる。

日本の小さな村でも、地域に根ざした相互扶助な商売が増えて欲しいと思っている今日この頃。




帰路の途中に、マウス・マスクをしていないことに気づいた。

村人のほとんどがマスクをしているのに、私としたことが、この日に限って忘れて出かけてしまった。

家に着くまで、冷や汗が流れていた。


posted by ito-san at 14:32| Comment(4) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月08日

クレープの店・MEALS ON WHEELS(341)

まだまだ、自粛の日々は続いている。

久しぶりに太陽が顔を見せたので、いつもより少し遠回りでウブドに出ることにした。

たまには、息抜きのバイク・ドライブも必要だ。

テガランタン村を北上して、ジュンジュンガン村のT字路からクトゥ村に南下する道を選んだ。

その途中左手に、フォルクスワーゲン(VOLKSWAGEN)・タイプ2(バス)の止まる店を発見。

フード・トラック(キッチン・カー)だ。

ワーゲンはビートルとタイプ2を愛用したことがあり、バスはバニングにして乗りたかった時期もあり、憧れの車種だった。

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場所は、クトゥ・カジョ村ティルタ・タワール通りの、昔々「ボタニック・ガーデン・ウブド」があった駐車場の跡地。

ボタニック・ガーデンは、2006年6月17日に開園したが、いつの間にか閉業。

極楽通信UBUDのニュースには、「2006年10月12日(晴):ウブド植物園オープン」とある。

内容には、こう書かれてある。

ウブド大通りとティルタ・タワール通り(Jl.Tirta tawar)が交わるT字路から、1.5キロ北上したクトッ・カジョ村に、6月17日、「BOTANIC GARDEN UBUD=ウブド植物園」が開園した。

のんびり散策して1時間ほどの、安全なジャングル・トレッキングといったところだ。

入場料50,000ルピア(ローカル30,000ルピア)。

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恐竜の造形物は、その名残り。

アルミ箔は、新たに装飾されたのだろう。

恐竜がマスクをしてたら、インスタグラム・スポットになるかな。

ジャングル・トレッキングも楽しかった。


ワーゲン・バスも魅力だが、店舗も私の趣味にドンピシャ。

さっそく入ってみた。

店名は「MEALS ON WHEELS」

廉価な予算で開店できたと思われる、オープンスペースの店が。

コロナ対策には適していが、風雨対策には万全ではない。

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ワーゲン・バスは改造されて、クレープのキッチンになっている。

クレープがメインで、7月18日に開店したようだ。

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可愛いワゴンが、ジュースコーナー。

メニューにはアイスコーヒーしかなかったが、私はアイスコーヒーを飲まないので、ホットコーヒーを頼んだ。

ホットコーヒーは、ネスカフェでRp30,000-。

料金を考慮すれば、ジュースにすればよかったと後悔。

2人いる女性スタッフの1人が、テガランタン村から来ていて、私の下宿近くの娘だった。

共通の知人がいて、話が盛り上がった。

もうひとりは、少し遠方のパヤンガン村からの娘で、こちらは共通点がみつからなかった。

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私のウブド滞在年(30年)より年下の彼女たち。

「チャンティック=可愛い!」の一言に、快く写真撮影に応じてくれた。

「インスタグラムにアップしてよ!」と、お願いしてくる。

デリバリーは、テガランタン村の娘が配達するという。

「大変ですね」と言うと「大丈夫です」とガッツポーズをした。

オーナーらしいスペイン人の女性が現れたので、席を立った。

椅子の座り心地が落ち着かないので、永いができない。

ネスカフェは、ほとんど口をつけていない。

インスタントコーヒーは、私の口に合わなかった。

クレームばかり書いてしまったが、開放感には満足している。

次回は、クレープとジュースを注文することにする。

*営業時間:昼12時からよる8時まで。

*定休日:月曜日。

*メニューは、写真で。

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posted by ito-san at 15:38| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月05日

ウブドは今、閑古鳥が鳴いている!(340)

バリ州政府は、7月31日より、国内観光客に対して観光を再開する旨の発表をした。

これで、少しでも観光業が潤えばいいな。

国内観光客にはインドネシア在住の外国人も含まれるが、海外からの観光客は含まれない。

海外からの観光客受け入れは9月からと言われているが、どんなもんでしょう。

まず、日本人の来バリ島は無理でしょうね。

それぞれの村にもバリ州から指示書が配布されているようです。

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観光地(kanko-chi)ウブドは今、閑古鳥(kanko-dori)が鳴いている。

ウブドは、閑古鳥が啼くゴーストタウン状態です。

自粛が緩んだ今でも、閉店、休業中のシャッターが目立ちます。

見ると心が沈みますよ。

すれ違う人も心なしか、元気がないように見える。

観光客ゼロのバリ島の懐具合は、寂しいと思います。

しかし、バリ人は逞しいのだ。

道端には、弁当や揚げ物などなどの店が、続々と登場。

ネットで、野菜やスイーツなどなどの販売。

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「なるようにしかならない」と考えるのか、日本人のように悲観感は漂っていない。

時の流れに身をまかせるように生きている。

楽しい会話の中に包み込んで陰にならなければ、落ち込まない(暗くならない)ですむ。

「果報は寝て待て」と言ったところか。

今回の新型コロナウイルス感染症が、「災い転じて福となす」になればいいな。



在デンパサール日本国領事館からのメールを掲載します。

バリ州に入域する際の諸要件に関しては、変更はない。

国内観光客がバリ州に入域する際の諸要件に関する通達(骨子)

1 認定機関が発行したPCR検査陰性証明書、あるいは迅速抗体検査(Rapid検査)陰性証明書の提示。

2 同証明書の有効期限は発行日から14日間。

3 有効な同証明書を提示した観光客は症状がない限り同検査の受検が免除される。

4 同証明書を提示できない観光客はPCR検査、あるいは迅速抗体検査を受検しなければならない。

5 迅速抗体検査結果の陽性者は続いてPCR検査を受検しなければならない。同検査結果が出るまでの間バリ州政府が指定する機関で隔離される。

6 PCR検査結果の陽性者はバリ州に所在する医療機関に入院し看護を受ける。

7 検査費用及び入院等のかかる費用は観光客が負担する。

8 すべての観光客はバリ州に入域する前にLOVEBALI(https://lovebali.baliprov.go.id)にアクセスして同アプリをインストールしておかなければならない。

9 観光客はバリ州に滞在する期間、以下の新時代における生活秩序のプロトコールを実践しなければならない。

a マスクの着用

b 手洗い等の励行

c 他者と1m以上間隔を開ける

d 清潔かつ健やかな生活を営む

e くしゃみや咳をする時にハンカチ等で鼻・口をふさぐ

f 目・鼻・口など顔の表面を直接に手で触らない

g 体温計の携行

h 携帯電話等身の回り品を清潔に保つ

i 新型コロナウイルス感染防止に協力する

j 他者との身体接触を避ける

10 観光客はバリ州に滞在する間、安全確保のためスマートフォンのGPS機能をオンにすること。

11 観光客はバリ州に滞在する間、LOVEBALIアプリを通じて体調不良や問題を通報することができる。

12 観光客は本通達の諸要件に従わなければならない。これに違反した場合は法により処罰される。


こんなに面倒な手続きが必要だけど、旅行する人がいるのかな?

なにはともあれ、経済の活性化は必須でしょう。


posted by ito-san at 15:34| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

SKTT(居住地証明証)・2度目の申請は楽勝!(359)

私のパスポートの延長期限は、今年12月末日。

5年間の延長が終わったので、新規取得のためにシンガポールの出国する必要がある。

新型コロナウイルスの影響で、出国できるのか不明だが、準備をしておくことは大事だ。


今年もビザの申告用に、SKTTを入手しなければいけない。

リタイヤメント・ビザを取得するに、必要な書類のひとつ。

SKTTとは、Persyaratan Surat Keterangan tenpat Tinggal=居住地証明証のこと。

インドネシア人のKTP(Kartu Tanda Penduduk=住民登録証)のようなもの。

3月末、書類を揃えてギャニアールにある市民登録局(Dinas Kependudukan dan Pencatatan Sipil)に出向いた。

あいにく役所は、その日から新型コロナウイルスの影響で業務を停止されていた。

そして、外出自粛にはいった。

提出書類は、11種類ある。

詳しくは、2019年02月24日:■SKTT、四苦八苦の結果入手!(296)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/464294839.htmlで。

もっとも手間取るのがドミシリー。

居住地の集落(バンジャール)の長が所有する書類に、長のサインをもらう。

就業しているので、在宅を狙うのが大変。

金銭を請求する悪習が残っている、集落長もいる。

集落によって金額も異なる。

ドミシリーが欲しいのは外国人だからと、法外な金額を請求する集落もあると聞く。

作成しない決まりのある集落もあるようだ。

このあと、集落長のサインの入った書類をウブドの役所に持っていく。

所長のサインをもらうためだ。

所長がオフィスに居れば、ラッキー。

スムーズにことが運べば、2〜3日で出来上がる。

ドミシリー以外にも金銭出費と手間時間がかかるという理由で、SKTTをビザ代行業社にお願いしている人が多い。

どんなテクニックがあるのか、SKTTの手続くを省いてKITAS取得をしている。

私は、入場料金がドメスティック価格になるので、是非SKTTを取得したい。

ボロブドゥール遺跡&プランバナン遺跡の入場料金が、外国人ツーリストは30ドル以上するが、地元価格だとRp4万だ。


4月15日、市民登録局に再度訪問。

ものものしいディスタンス状態になっていた。

インドネシアもやるときはやるのだ!

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なぜか客は、私以外に1組の男女だけだった。

申請用紙を預け、金曜日にできると伝えられた。

金曜日(17日)に行くと、建物の外で熱検査の鉄砲を額に当てられる。

36.5度で、無事通過。

受付に行くと、月曜日(20日)朝9時に変更された。

こういうことは、良くある話で、どうってこともない。

バリ人の信仰するヒンドゥー教の中に、3つの教えがあるそうな。

怒らない(Jangan Marah!)

嫌わない(Jangan Benci!)

逃げない(Jangan Minggat!)

彼らはこれを、小学校から習うと聞いている。

人間関係には、必要なことだ。

だから私も、怒らない。

そして、月曜日。

5分も待たず、手に入れることができた。

SKTT6.jpg

昨年と同じ写真を使用。

現在の私は、白いヤギ髭をたくわえている。

使用できる期間が残り5ヶ月しかないが、とりあえず一安心。


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2020年07月24日

バリの風物詩・凧あげ(Layang-layang terbang)(358)

会う人会う人が、暗い話ばかりする。

それは、新型コロナウイルスに対する憶測。

それも、本人に都合のよい推測でしかない。

できることなら、明るいニュースが聞きたい。

不況を吹き飛ばす、前向きな情報はないのか。


吹き飛ばすと言えば、凧ですよね。

かなり無理のある、こじつけですが。

この季節、バリは凧揚げのシーズンです。

毎年7月、8月、9月は、オーストラリア方面から吹く風が凧揚げに最適で、青空に凧が飛び交う。

バリの風物詩ともいえる。

サヌール海岸の「大凧大会」は、海外からの参加もあり有名ですが、ほかの地域でも開催されている。

大凧は、トラックの荷台からはみ出すほどの大きさ。

トラックの前後には、応援隊のバイクがガードしていて、他の車両を寄せ付けない。

そんなことで、この時期は、凧渋滞となる。

今年は、コロナの影響で中止になったようだ。

しかし、こんなことでバリ人はメゲません。

青空に浮かぶ凧は、いつもの年より多い。


プリアタンにある「凧資材屋」が大繁盛。

竹、ラタン、生地、テグスetcなどが売られている。

通りのあちらこちらにも、にわか「凧屋」がオープン。

これって自粛景気?

凧Rp10万etc、骨組みRp3,5etc。

layang-layang1.jpg


我が下宿の家族も、凧揚げが大好きだ。

コマン君が幾つも作っている。

layang-layang5.jpg

揚げているところを撮影させてもらった。

遠くを見て、風を読んでいる。

大きな樹の先の揺れを見ている。

30分以上も待つこともある。

糸を引くタイミングも難しそうだ。

毎回、風に乗り切るまで、ハラハラして見ている。

上げ終わり凧が安定すると、テグスをどこかにくくりつけ、その場を後にする。

いったい何も楽しんでいるのだろう。

パチュン君に聞いてみた。

「上がった凧を見るのが楽しんですよ」と言う。

凧揚げは、大人の遊びのようです。



凧を風にのせるタイミングの緊張感を共有してください。


星の瞬きが多い夜だ。

他の惑星に来たような、錯覚をする。

こんな美しい星空を見るのは、初めてだ。

自粛で、空気が綺麗になったのか。

それとも、私が覚醒してしまっているのか。

バイクを止め、目を凝らして夜空を見上げる。

瞬きが、微かに揺れている。

さらに目を凝らして見ると、ドローンのように浮遊する光がある。

ここで、気がついた。

これは凧だ!

凧に、点滅電球がついているのだ。

今年のブームは、電飾凧か。

バリ人の遊び心に、感心するやらウットリするやら。


こんな凧にも、バリの風物詩だと悠長なことを言ってられない事故がある。

失速して落下した凧は、見つけられない場合は放置される。

樹木や電線に引っ引っ掛かって、ゴミと化した凧。

問題は、透明なテグス糸だ。

電線や枝に掛かったテグスは、バイクや歩行者を危険にさらす。

規制が必要になるかもしれない。


私が下働している「アパ?情報センター」では、来年の今頃、コロナが終息していることを願って新企画を立てたようです。

《 親子で凧揚げ!・ツアー 》

期間は、2021年7月、8月、9月。

無風、雨の日は、中止です。

鬼が笑う来年のことですが、予約受付中。


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2020年07月19日

「東インド諸島への航海」追記(357)

興味深い記載が2箇所あったので、追記します。


《 流刑の地だったヌサ・ペニダ 》

バリ島上陸:1596年1月28〜2月21日


*現在、リゾート地として人気の「ヌサ・ペニダ」が、かつて流刑の地だったという、現実がある。


10ないし12年前のこと、王の近親の1人が多数の兵士を集めて大がかりな陰謀を企てた。

宮殿を襲って王を殺し、みずからその座につこうとしたのであるが、露顕して、ことごとく捕らえられて死刑を宣告された。

しかし、王はこの者たちを不憫に思い、その宣告を改めて流罪に処することとし、バリの南東にあるプロー・ロサ(5)すなわち荒島と称する荒涼とした未開拓の島に追放したのであった。

 (5)マライ語でプラウ・ロサ。「鹿の島」の意。バリの東南にあるプニダ島をさす。なおプニダpenidaもバリ語で鹿を意味する。

かれらは今なおこの島に住んでいて、そのバリの王に服しているのだが、バリ島に帰ることは許されない。

かれらには大勢の部下や奴隷がいたから、今日、この島は非常に良く開墾され、人口もいちじるしく増えている。

家畜の繁殖もおびただしい。

島民はバリの住民と同じく異教徒である。

(*ここで言う異教徒とは、バリのヒンドゥー教のことだ)


《 ジャワ・芸能 》

「第32章 ジャヴァの農民、小作人および奴隷について」


中部ジャワの王都スラカルタSurakartaでの光景

Houtman4.jpg

Houtman5.jpg

かれらは銅鑼をならす。

またかれらは当時〔ホラント〕で塔の上で〔鐘を鳴らす時に〕使うような調子で音楽を奏でる。

(*:バリでは、クルクルと呼ばれる伝達手段の道具で、木洞や竹筒で作られている)

それらの銅鑼は銅で鋳造されているから、とても響きがよい。

これは人々を国王の名のもとに呼び集めようとする際にもかれらは人々にわれわれと売買をさせるのにそのようにした。

もっとも、われわれはそのことほとんど気づかなかったのだが」(第34図)

かれらは男も女も、鋼鉄の板の上にのせた数本の葦〔竹〕がならす音に合わせて踊る。

それはオルガンもしくはクラヴサンに似ている。

かれらはまた節をつけてうたいながら、腕と脚をのばし、巣から這いだして来た犬のように全身をくねらせる」(第35図)

(*ジャワのヒンドゥー教徒の芸能は、バリ芸能のルーツと考えられる。
この舞踊の影響を受けている舞踊を知らない)

*人々や服装が西洋風になっているのは、実写ではないからだろうか。

舞踊も聞き描きかもしれない。


posted by ito-san at 15:06| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする