2019年06月22日

モリンガ(ケロール)ってな〜に?(313)

ウブドの私の周囲では今、モリンガの話題で盛り上がっている。

身体に良い薬草だと聞いている。

「そんなのもうだいぶ以前から知ってるよ!」の声が聞こえてきますが、そんなことに疎いのが私「うぶなウブディアン」なんです。

世の中は健康志向で、この手の情報はたちまちのうちに拡散していく。

ちょっと、ネットで調べてみた。

モリンガの正式名は、モリンガ・オリフェイラ(Moringa Oleifera) 。

90種以上もの豊富な栄養素を含むスーパーフード「モリンガ」。

種・茎・葉・花・根の部分に栄養素が含まれている植物。

葉と花の部分はハーブやお茶として、種はオイル、また化粧品や香水にも使われている。

インドネシアではケロール(Kelor)と呼ばれ、ジャムー(インでネシア漢方)に、バリでは青汁(Lolo Bali)として服用している。

タガス村のチャ・ニナさんがケロールの湯気が目に良いらしく、ココナッツ殻のお椀に顔を伏せている動画を、先日インスタグラムにアップしていた。

伝統的治癒方だとのこと。


「Kafe Mpat」で、今ウブドで旅行者にケロールが人気だとという話をすると、

住人Waunさんが「ケロール料理のワルンが、PalbapangのT字路の近くにあるよ」と教えてくれた。

好奇心をそそられる情報だ。

ヘルシー志向者のサプリメントだと思っていたが、日常的に食している人々がいるのだ。

と言うことで、今回はメニューにケロール(モリンガ)料理のあるワルンを紹介しよう。

ローカルバスに揺られて出かけた。

PalbapangのT字路は、バリからの深夜バスで降り立った場所だ。

Waunさんの情報は、Tの字の横棒を東に進んだコンビニの近くだという曖昧なものだった。

コンビニの左右を見渡し、見つからないので商店が切れるところまで行ってみた。

見当たらないので、西に戻ることにした。

出鼻を挫くように、小雨が降り始めた。

軽い好奇心で雨に濡れてまで、食べたいわけでもない。

Tの字の縦棒を越えたところになければ、あきらめよう。

なんと目の前に、看板が立っていた。

目的地は東300Mだった。

同じ道を戻り、かなり歩いたY字路で2つ目の看板を見つけた。

本通りを左手に避ける道の看板には、150Mとある。

左手に足を進めると、バス会社や鉄工所などの町並みになった。

雨は止んでいた。

道の先には、背の高い草の繁る風景が広がる。

地元の人と思われるおじさんに「このあたりにダウン・ケロールのワルンはありませんか?」と尋ねた。

「知らない!」の返事。

意外と認知されていないメニューなのかもしれない。

それとも、私のインドネシア語が理解できなかったのか。

鉄工場で仕事をしている若者に尋ねると「それなら、その先にあるよ」と教えてくれた。

彼は、ワルンの常連のような言い方だった。

しばらく歩くと、ブロック塀に貼られた看板が目にはいった。

たらい回し情報でなかったことに安心する。

バリでは、知らなくても教えてくれる人がいて、何度もたらい回しにあっている。

ブロック塀の続きにワルンがあった。

kelor1.jpg

kelor2.jpg

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ほとんどが、知らないメニュー。

女将さんは、話好きだった。

日本人が珍しいのか、私とのツーショットを撮るために、ご主人にスマホを渡した。

撮り終わると、さっそくどこかに送信していた。

kelor_nasi.jpg
《 Nasi Sayur Kelor 》Rp8,000-(料理Rp5,000-/白飯Rp3,000-)。

kelor_rolada.jpg
《 Rolada 》Rp5,000-
ケロールを混ぜた豆腐を揚げた「 タフ・ゴレン」。

kelor_bobor.jpg
《 Bobor 》Rp5,000-
若いパパイヤとケロールとココナッツ・ミルクのスープ。

kelor_bening.jpg
《 Bening 》Rp5,000-
トウモロコシとケロールの透明なスープ。

ケロールは、無味、無臭だった。

料理には、採りたての葉を使っている。

葉は、長い方が2センチほどの楕円形で薄くて肉厚が薄い。

栄養豊富ならサラダにして、食べてもいいな。

後日、知人の家を尋ねた時に、炒め物をご馳走になった。

激辛だったが、白飯によく合った。

ケロールは小さくてワカメのように薄いので、他の野菜を混ぜないと炒め難いだろうな、なんて料理もできないのに想像した。

バリに戻ったら、ケロールのハーブティーを愛用しようかな。



◎参考資料
《 効能・効果 》
〈 葉 〉
免疫力を高め、血圧や脳細胞をコントロールし、ホルモンのバランスを整え臓器と潰瘍の治癒に効果的
熱、気管、目、耳、感染症カタル、甲状腺機能亢進に効果的
糖尿病治療や高血圧の抑止、精神(特に自律神経系)の安定に効果的
肌の殺菌に効果的
母乳を豊富に作り、貧血にも効果的
肝臓・腎臓・脾臓・膵臓を活性化する
便秘の改善、アルコール代謝の促進、不眠症の改善に効果的
〈 鞘・種 〉
若い鞘は高級食材として利用
口内炎、疲労回復、胃潰瘍や胃ポリープに高い効果がある
噛で砕いて食べると口臭がなくなり、毎日食べると虫歯予防になる
抗酸化作用が非常に高いオイルが取れる
〈 花 〉
香水の香料として有名
古くから強壮剤、利尿剤として使われている
絞ったジュースは喉の痛みやカタルを緩和
男性の強壮剤として効果的
〈 根 〉
非常に高い解毒作用(デットクス)で腸内のガスを取り除く
すりおろし、塩と混ぜるとリウマチ・関節痛のシップ薬になる
壊血病の治療に効果的
高麗人参の数倍の栄養価で滋養強壮に効果的


posted by ito-san at 19:11| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月13日

べべ(Bebek・アヒル)の行列にアクシデント(312)

バナナのことはインドネシア語で、Pisang。

ジャワ語では、Gedang。

スンダ語では、Cau。

このジャワ語のGedangが、スンダ語ではパパイヤのことになるらしい。

そんな言葉がたくさんようだ。

いやはやまったく、紛らわしい。

Pisang.jpg
《 珍しい双子のピサン 》

聞かなきゃよいものを好奇心が旺盛な私は、つい訊ねてしまう。

共同体に馴染むには、その地域の言葉を覚えるのが有効的だという考えはバリで習得した。

片言でも一生懸命、その地方の言葉を覚えようとする外国人に対して、親しみを覚えるのは当たり前。

ボロブドゥール地域はジャワ語。

インドネシア語も小学生低学年レベルなのに、ジャワ語を覚えるのは至難の技。

しかし、仲間意識を芽生えさせるのは、片言でもいいからジャワ語を覚えたい。



「Kafe Mpat」滞在中に、月曜日が3回あった。

月曜日恒例の早朝散歩、すべてに連れて行ってもらった。

毎回コースは異なり、朝陽を浴びたり、道端に咲く野花を愛でた。

あぜ道トレッキングだが、時には道無き道や小川上りをするハプニングもある。

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20羽ほどのべべ(Bebek・アヒル)の群団を引き連れる老人が、我々の前を行く。

バリ語でべべは、イティ(Itik)。

老人は細い竹の棒を左右に振りながらべべを誘導する。

この風景はバリの風物誌でもあり、私にとっては珍しくはない。

かつてバリでは、日本人団体客をべべと呼んでいた。

引率者の小旗に続く、従順な団体客の風景を揶揄した言葉だ。

前方から10羽ほどの小さな群団が、やはり年老いた男性のべべ使いに追い立てられるように進んで来る。

行列がすれ違う風景は、バリでも見たことがなかった。

両群団は道の左右に分かれて、行列を乱すことなくすれ違った。

なるほど、よく飼い慣らされている。

bebek1.jpg

しばらく進むと、もう一団が現れた。

30羽ほどの大群を2人の若者が、連れている。

今度も道の左右に分かれて素直にすれ違うだろうと思ったが、そうではなかった。

両群団は遭遇すると同時に、入り乱れ、混乱が始まった。

ベーベーとかしましい。

私には、他部族との交流を楽しんでいる風情に思える。

老人と若者のべべ使いが、混乱を鎮めるためにべべを引き離す。

何事もなかったように、若者たちの行列は進み始めた。

取り残された老人のべべが、明らか半減している。

老人は、若者たちのべべを振り返った。

若者たちのべべに、老人のべべが混じっている。

べべには、持ち主の目印がついている。

若者たちは、何事もなかったように行列を追い立てて行く。

老人は、自分のべべを取り戻そうと若者たちの行列を追いかける。

列は乱れ、道いっぱいに広がった。

若者たちは、まったく協力しない。

メスのべべに、オスのべべがついて行ってしまう。

これはオスの本能なのか?

積極的なのは良いが、立場もわきまえないとね。

老人は、無事取り戻すことができたようだ。

こんな風にして、べべが盗まれることがあるのだそうだ。

のんびりとした早朝の散策で、こんなアクシデントにも遭遇する。

そんなすべてが、新鮮なカルチャーショックでもあった。

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(写真提供:Nubogana Badaさん)


次回は、メニューにケロール(モリンガ)料理のあるワルンを紹介したいと思います。

お楽しみに!


posted by ito-san at 16:29| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月08日

インドネシア人はフライド・チキンがお好き!?(311)

「ボロブドゥール遺跡公園の外周散策(310)の続きということで。


外周散策の出発地点だったボロブドゥール遺跡公園正面入り口に戻った。

この地点は、チャンディ・パオンから真っ直ぐに伸びる道でT字で交わっている。

先ほど進んだ、西側の柵沿いの道の反対側は、商店が連なっていた。

お腹が空いたので、どこかで食事がしたい。

角のレンタカー屋から50メートル先の脇道の角にあるロスメンまで、バイク店、コンビニ、マスジット(モスク)、スパ、ワルン、カフェなどが軒を並べている。

その一つのワルンの店先に、気になる看板を見つけた。

看板には、"Ayam Geprek"と"Ayam BECEM"とメニューが書かれてある。

Ayam Geprek1.jpg

"Ayam"とあるから鶏料理だろう。

値段が安い!

どんな料理かわからないが、ワルンに飛び込んだ。

Rp10,000-のAyam Geprekを頼んだ。

しばらくして、運ばれてきたのが、これ。



これは、鶏肉を揚げたフライド・チキンだ。

インドネシア語で、フライドはゴレンで、鶏肉はチキン。

だから、アヤム・ゴレンと呼ばれているはずだ。

アヤム・ゴレンは、バリ人ばかりじゃなくインドネシア人の大好物。

鶏肉だから、豚肉料理の駄目なムスリムの人も食べられる。

牛肉の食べられない、ヒンドゥー教徒も大丈夫だ。

こんな土壌だから、KFC(ケンタッキー・フライドチキン)のインドネシア進出も可能だったのだろう。

KFCのフライド・チキンにも、ナシプティ(白飯)付きがある。

インドネシア専用スペシャル・メニューだろう。

バリの各地に、KFC(ケンタッキー・フライドチキン)に似た、フライド・チキン店が増えている。

話が逸れた、なぜアヤム・ゴレンがAyam Geprekと呼ばれるか?

郷土料理なのか?

Ayam Geprekは、形が少々崩れていたが美味しかった。

次回は、Ayam BECEMを試そう。


あとで、バダさんに聞くと、

「Geprekは叩くという意味で、Ayam Geprekは叩き潰されるチキンの意味だ」と教えてくれた。

Ayam Bacemは、ジャワ料理で、砂糖漬け料理のことのようです。

ジャワ語&スンダ語も興味が惹かれるが、地方料理にも食指が動く。

アロンアロン&プランプランと、ゆっくりゆっくりと知っていくとしよう。


posted by ito-san at 18:15| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月31日

ボロブドゥール遺跡公園の外周散策(310)

ボロブドゥールとジョクジャカルタとの南部にある海岸沿いに、国際空港が建築中。

4月開港の予定は、大幅に遅れているようだ。

開港されれば、ボロブドゥールまで車で1時間30分以内に着ける。

ジョクジャカルタの渋滞を避けて、ボロブドゥールに直行する観光客も増えると予想される。

ウブドから移り住んだインドネシア人画家も多く、アーチストの町として注目されつつある。

今後の発展を目撃したくて、私はボロブドゥールに通っている。

果たして、どんな形で発展するのか。

「ウブドのようになる」と予想する人がいるが、それは無理だろう。

観光客が増えたとしても、バリの濃密な文化が残るウブドのようになることは難しい。

ウブドのように発展するには、独自の文化と芸能が不可欠だろう。

近い将来ウブドのようになると予想されるボロブドゥールのロケーションが気になるところ。

バダさんには「一周2時間くらいかかる」と聞いている。

ボロブドゥール行きのバスの乗り方は覚えた。

料金はRp5000-、ボロブドゥールは終点駅だし問題はない。

車窓を眺めながらのローカルバスは、楽しい。


ボロブドゥール遺跡公園の正面入口に立った。

今日(4月21日)は、ボロブドゥール遺跡公園の周囲を一周するつもりでいる。

さて、どちらから進もうか。

正面入口を見て、左手の道を選んだ。

きっと西に向かっているのだろう。

公園の柵に沿ってしばらく進むと、なだらかな坂になる。

そのあたりで柵が切れ、民家が続く。

しばらく進むと十字路に出た。

外周は公園を回り込むようにあるはずなので、ためらわず右折する。

行き交う人も、通り過ぎる車も少ない。

10分ほど歩くと「バレコンデス・ボロブドゥール」の前に出た。

ここは立地条件が良い。

ホテルからは、ボロブドゥール遺跡観られるようだ。

balkondes1_5.jpg

バレコンデス・ボロブドゥールを過ぎると、後ろに丘を控えた田んぼが左右に広がる。

右手の田んぼの向こうの丘に、ボロブドゥール遺跡先端のストゥーパが覗いている。

この沿道に遺跡ビューのワルンを作れば繁盛するかな、なんて良からぬ想像をする。

妄想している先に、ホテル&レストラン「GOPALAN BOROBUDUR」が建っていた。

ここからは、田んぼビューと大ストゥーパが観える。

表現力のある人が観れば、この景色をどんな文章にするだろうか。

あいにく、私にはそんな能力は持ち合わせていない。



ボロブドゥール遺跡が観えるポイントは意外と少ない。

遺跡公園内以外では、外周道路のこの地域しか観られないそうだ。

ジャワ・コピを飲み終え、レストランを出て先に進む。

小さな村がある。

ここから、ボロブドゥール遺跡に戻る道のりは遠い。


いにしえの歴史と神秘さを享受しようと、ゆっくりとした歩みで散策を続ける。

田舎道をのんびり歩いていると、いきなりトイレに行きたくなった。

小さい方でないのが困る。

品のない話になってゴメンなさい。

とは言え、自然現象ではしかたがない。

田んぼに降りる道がない。

小川も見当たらない。

途中、田んぼビューの「kopi Badhek」があったが、トイレ設備があるように思えない。

私を小川を探して歩を進めた。

マスジット(モスク)が目に入った。

ここならトイレも借りられるだろう。

外から見ると、建築中のようだ。

近くで草刈りをしている青年に「マスジットのトイレを借りられるか?」と聞くと、「まだ、完成していない」との答え。

「その先に学校があるから、そこを借りるといい」と教えてくれた。

日曜日でよかった。

その後、幾つかの村を通り過ぎ、ボロブドゥール遺跡公園の正面入口に戻った。

外周道路は、かなり手を加えないとツーリストは散策しないだろう。

さてさて、ウブドのように発展する「通り」は、どこになるのかな?


とりあえず、今日の散歩は終了。

お腹が空いたので、ワルンに飛び込んだ。

(続く)


posted by ito-san at 23:04| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月21日

チャンディ・ボロブドゥール@ マゲラン滞在!(309)

マゲランに来て、バリ語の混じった言葉を耳にすることがある。

畦道ですれ違ったおばさんに「アロンアロン!(alon alon)」と声を掛けられた。

アロンは、バリ語の丁寧語でゆっくりの意味。

2度続けるのは、強調しているのだろう。

疑問をバダさんにぶつけると、ジョグジャカルタの王宮(クラトン)で使われる言葉とジャワ語とバリ語は、ルーツが同じだと言う。

マゲランは、ジャワ語圏だからと納得。

バリ語のNikiもよく聞く。

Nikiは丁寧語で、普通語はNe、インドネシア語のIniだ。

インドネシア語の「ゆっくり」には、いろんな言葉があるようだが、私は「プランプラン(pelan-pelan)」を使っている。


ボロブドゥール遺跡(Candi Borobudur)見学は、4月17日にした。

この日は平日、おまけにインドネシア大統領選挙の投票日。

訪れる客は、少ないだろうと考えた。

と言っても、投票日は公休日になる。

投票を終えてから来る人もいるだろう。

私は、午前9時に小屋を出た。

バス停は、チャンディ・パオンへ(14日)行った時に、バスが止まった雑貨屋の前とした。

手を上げればどこでも止まってくれるが、人目を引く場所のほうより良いだろう。

雑貨屋は、開店前だった。

バスの姿は見えない。

私は、隣のワルンに歩いて行った。

店内には、3人の男性と女将らしいおばさんがいた。

男性の1人が「チャンディ・ボロブドゥールにいくのか?」と声を掛けてきた。

私が「そうだ」と答えると、「オジェックで行け!」と続けた。

「Rp25,000-」のバイクタクシーをすすめてくる。

「私はバスに乗りたいのです」フレンドリーに断った。

「今日は投票日だから、午前中バスは走らないよ」

男性は私の出鼻を挫くショックな言葉をはいた。

昨日の夕食時、会話の中でそんな話をしていたような気がする。

バダさんは「投票時間は朝から晩までだから、交代で投票して交代で勤務に就くことも考えらるよ」とも言っていた。

時間は今、9時15分。

午後を迎えるには、まだまだ時間がある。

小屋に戻って出直すか、歩いて行くかの二者選択。

オジェックを頼む手段もあるが、今回の旅では避けたい。

出直すのも気勢がそがれるし、片道3時間を歩くのも大変だ。

さて、どうしよう。

とりあえず、ワルンでコピを頼んだ。

コピを運んできた女将に、チャンディ・ボロブドゥールまでのバス料金を尋ねた。

その答えがなんと「私は、バスに乗らないから知らない」だった。

女将はオジェックの男性に気を使ったのだろうが、私の女将評価は最低となった。

「Rp5,000-!」奥から男性の声が聞こえた。

3人の男性がワルンを出るのを見送りながら、コピの口をつけた。

"甘〜い!"

女将の評価は、さらに下降していった。

コピは口をつけただだけで、残してきた。

料金はRp10,000-、高く感じるのは気のせいか?

”何も考えずに、歩こう〜!” 元気よく歩き出した。

しばらく歩いて、考え始めた。

チャンディ・ボロブドゥールに3時間掛けてたどり着き、そのあと見学。

果たした、回廊を周り周り、天辺まで登って行ける気力・体力は残っているのか。

私は、どうでもいいようなことを、くよくよ考える人種のようだ。

バスの姿は見えない。

今なら、小屋に戻って出直す時間もある。

どうしよう。

体は、戻る行為に移っている。

道端に、座り込んでいる青年がいた。

少女が、近くにたたずんでいる。

バスを待っている仕草だ。

「今日、バスは走らないんですか?」と聞いてみた。

「30分も待てば、来るよ」元気が出る言葉を聞いた。

青年と一緒に、ここでバスを待つことにした。

おばさんがひとり、こちらに向かって来る。

”ここはやっぱりバス停なんだ” 喜んだのも束の間。

おばさんは、私の横を抜けて小道に入って行った。

”あらら!” 青年と少女がついて行ってしまった。

振り向くと、バスが向かって来るところだった。

結局のところ、雑貨屋の前に立ってから、バスに乗るまでの時間は30分ほどだった。


ボロブドゥールのバスターミナルまで、10分ほどで着いた。

バスに乗れてよかった。

バスターミナルからチャンディ・ボロブドゥールまでは、歩いて5分ほど。

チャンディ・ボロブドゥールは、今回で3度目の訪問。

1度目は30年近く前、2度目は20年近く前で、ボロブドゥールの印象は曖昧だ。

インターナショナルのチケット売り場で身分証明書(KTKK)を見せると「ドメスティックで入場できます」と言われた。

外国人価格の大人Rp350,000-が、現地価格になる。

ドメスティックのチケット売り場に移動して、身分証明書を提出する。

電光掲示板にはRp40,000-とあるが、実際に払ったのはRp36,000-。

なぜか、安くなっている。

午前10時に入場した。

遺跡公園だから入園かな。

Candi Borobudur2_2.jpg

回廊を一層二層三層と周りながら、曼荼羅を上っていく。

遺跡公園をあとにしたのは、正午12時を回っていた。

2時間を費やしたことになる。




無教養かなと思われるのもしゃくだから、ネット検索したチャンディ・ボロブドゥールの解説を添付しておく。

ジャワ島中部のケドゥ盆地にあるチャンディ・ボロブドゥールは、カンボジアのアンコール・ワット、ミャンマーのバガンと並ぶ、世界三大仏教遺跡のひとつ。

チャンディは、8世紀に栄えたシャイレーンドラ王朝によって建造されたとされている。

ピラミッド状に積み上げられた建造物は、仏教における宇宙観を立体の曼荼羅として表している。

各層の壁には、釈迦誕生図などの物語がレリーフで描かれ、これらを見ながら上層階に上っていくと、悟りの道が開けるという。

壮大かつ綿密に造られたものながら、完成後まもなくジャングルの中に埋もれ、1000年以上も人々の記憶から忘れ去られていた。

その理由は、火山の噴火によるもの、イスラム教徒の破壊を恐れて埋めたというものなど、諸説が囁かれている。

以上、簡単にまとめてみました。


posted by ito-san at 16:54| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月12日

チャンディ・パオン(Pawon)@ マゲラン滞在!(308)

愛用のカメラが、機能しなくなった。

写真は今日から、スマホ(iphone)で撮ることになる。

チャンディ・パオン(Pawon)の画像から、iphoneからiPhotoに送信できなくなった。

解決策は、ウブドの戻って「和るん・あんかさ」のコテツちゃんに頼むこと。

ブログのアップは、ウブドに帰ってからになりそうなので、支障はない。


さてさて今日は、4月14日(日曜日)。

天気も良いことだし、チャンディ・パオン(Pawon)に行こうと思う。

歩いて行こう・・・と考えたが、チャンディ・パオンまではチャンディ・ムンドックからに2キロ先。

チャンディ・ムンドックまで1時間、さらにチャンディ・パオンまでは1時間は要する。

往復4時間は、老人にはキツイかな。

少々、自信がない。

そんなわけで、乗りたかったローカルバスで行くことにした。

ジョクジャカルタとボロブドゥールを往復する中型バスが、30分ほどに1本の割で通過する。

決まったバス停はない。

幹線道路にT字で交わるところまで出て、雑貨屋の前でバスを待つ。

時間は今、午前11時。

前を通るバスは、すべてボロブドゥール行きだから乗り間違えることはない。

まっすぐに伸びた幹線道路に、バスの姿は見えていない。

雑貨屋に入った。

チャンディ・パオンまでのバス料金を聞くのが目的だ。

アクアとオレオを買って、料金を聞いた。

店を出ると、タイミング良くバスが来た。

「チャンディ・パオン」と車掌に伝えて、運転手の後ろの席に腰を下ろす。

バスは、4分ほどでチャンディ・ムンドックの前を通り過ぎた。

1時間かけて歩いた道は、バスならあっという間だ。

チャンディ・パオンの入口まで、バスの所要時間7分だった。

なんて早いんだろう。

雑貨屋で聞いたバス料金Rp3000-を、車掌に手渡した。

バスを降りた地点から、チャンディ・パオンまでは歩いて10分。

Pawon1.jpg

Pawon2.jpg

チャンディ・パオンの外周をひとまわりする。

これだけの観光地。

もうひとつ工夫が欲しいかな。

土産屋が並んでいるが、購買を誘い商品がない。

売り娘の熱意にほだされて、ボロブドゥール遺跡の写真集を購入。


チャンディ・パオンからチャンディ・ボロブドゥールまでは、一本道。

ゆっくり歩いて約30分だった。

チャンディ・ボロブドゥール遺跡公園の入場料は、地球の歩き方(2018〜19)には25ドルと書いてあった。

今の私には高額。

近いうちには入場するが、今日ではない。

念のために、価格を確かめていくことにした。

チケット売り場は、左手にインターナショナル、右手にドメスティックと別れている。

インターナショナルの電光掲示板には、大人Rp350,000-/子供Rp210,000-。

この金額では、何度も見学することはできないな。

ドメスティックには、大人Rp40,000-/子供Rp20,000-とある。

ここで、あるアイデアが閃いた。

もしかすると、キタス(リタイヤメントビザ)で割引が効くかもしれないゾ。

ドメスティックは、KTP(身分証明書)を掲示している。

キタス所有者の取得する身分証明書(KTKK)も有効かもしれない。

次回、入場するときは聞いてみよう。


遺跡公園前のネットができるカフェで、地元っちの振りをして時間を潰した。

ボロブドゥールからの最終バスは、午後5時と聞いている。

そろそろ戻らなくてはいけない時間だ。

バスターミナルに向かう。 ひなびたバスターミナルに、バスの姿はない。

若い兄ちゃんが、オジェック(バイクタクシー)Rp25,000-で行けと誘ってくる。

料金がRp5,000-なのは、雑貨屋で聞いている。

私は、後学のためローカルバスを利用したい。

しばらくして到着したバスに、飛び乗った。

車掌に町の名前を伝えたが発音が悪かったようで、魚研究所の前で降ろされた。

バダさんに「Ibu Empat」と伝えれば、T字路で降ろしてくれるよ」と教えられた。

Ibu Empat(イブ・ムパット)は、亡くなられたバダさんのお母さんの名前。

レストランの名前が、バス停の名称になるほど有名なんだ、と感心した。

「イブ・ムパット」は、伝家の宝刀のように効き目があった。


posted by ito-san at 18:08| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月07日

バルコンデス @ ジョグジャカルタ(307)

ボロブドゥールからウブドに戻ってきたのは、4月30日。

生活環境の時差ぼけで、パソコンを開く気もおこらず過ごしている。

いつまでもダラダラしておれない。

気力を奮い起こして、ブログを書き始めた。

当分、ボロブドゥールの生活ブログが続きます。


バルコンデスについては「バルコンデス @ マゲラン滞在!(305)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/465218138.html」で説明した。

ジョグジャカルタにも、チャンディ・プランバナン周辺の村々に「バルコンデス」計画があるようだ。

チャンディ・プランバナンは、カンボジアのアンコール・ワット同様に遺跡群の一つだ。

ジョグジャカルタのバルコンデス第一号が大成功しているということで、見学に行くことになった。

先日「kopi mpat」を訪ねて来たShivaValleyさんに招待されたのだ。

4月9日、案内役をかってくれたShivaValleyさんの村にある「CANDI BANYUNIBO」の前のカフェで待ち合わせ。

CANDI BANYUNIBO.jpg


BANYUNIBOへは、マゲランから車で約1.5時間。

村で亡くなった人が2人いて、Shivaさんは儀礼のために少し遅れて顔を出した。

カフェは村人の手で運営されている。

JIP WISATA(4WDツアー)、 乗馬、トレッキング、などのアクティビティもある。

小規模ながら、これも村おこしの一つ。

案内したいところを先に回りたいということで、コーヒーは戻ってからにすることになった。

Gubuk Sawah Kopi.jpg

私は、Shivaさんの運転するJIP(ジープ)の助手席に乗る。

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ジープは、スズキ・ジムニーだった。

かなりの年代物で、乗り心地はあまり良くはない。

まずは、開発途中のゴア・ジャパン(日本軍が作った洞窟)に立ち寄った。

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ゴア・ジャパンからの景色。

さてさて、これがどうように開発されるか楽しみだ。

私も微力ながらお手伝いできれば、嬉しいな。


そして、大成功をおさめているバルコンデスの施設「TEBING BREKSI」に向かう。

急坂をオンボロのジープが息急き切って登り切ると、断崖が現れた。

鉱山採石場跡地だ。

2015年5月30日、バルコンデスによって観光地に変身。

毎日数千人という観光客が訪れていると言う。

駐車場に車を止めると、目の前に石灰岩の断崖が押し迫ってくる。

断崖は、30メートルと見上げる高さだ。

広大な敷地には大駐車場が完備され、レストラン、フードコートなどが点在している。

ジョクジャカルタの街を一望できる丘に立つ施設は、サンライズ&サンセット・ビューポイントでもある。

時間を忘れるほど、サンセットを堪能。

発着する飛行機の機影が、私の郷愁を誘う。

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隣接するホテルを見学して「CANDI BANYUNIBO」のカフェに戻った。



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2019年04月26日

ジャラン・ジャラン @ マゲラン滞在!(306)

19日の満月の夜「Kafe Mpat」で、アーチストを集めたイベントが行われた。

午後5時からの開場で、ライブ・ミュージックが始まる8時までフリータイム。

コーヒーを飲みながら、オシャベリをする人。

スケッチをする人、景色や満月の写真を撮る人など、それぞれ時間を楽しんでいた。

ライブ・ミュージックは、マゲランの街から来た6人編成で、ギター、ベースに民族楽器を加えたユニークな音色を奏でるグループだった。

客席には、20数名のファンとイベント参加者が。

午後11時過ぎまで盛り上がっていた。

私は、午後1時からバナナ・ペーパー・作りのワークショップをした。

バナナ・ペーパーは、バナナから作る紙ですが、実ではなくて、実を収穫したあとの不要となった幹の繊維を取って作ります。

南米コロンビアに旅した2015年5月以来のワークショップです。

その時の話は「バナナ紙作り@ CHICHAN(31)」http://itosan-ubud.seesaa.net/article/419931388.htmlを読んでください。

想像以上に簡単に紙ができるのを見て、みな一様に驚く。

興味を持つ人が多く、27日にも開催することになった。

貧しい家庭の子供達を援助している女性は、援助資金を作る手段としてバナナ・ペーパーを考えていた。

一軒のバルコンデスのスタッフも興味を持ってくれた。

人の役に立てるとすれば、幸いなことだ。


今日の本題は、散歩(ジャラン・ジャラン=Jalan Jalan)の話。

ジャラン・ジャランはインドネシア語。

スンダ語もジャラン・ジャランだが、ジャワ語は、まったく違う言葉だった。

インドネシア語も充分に話せないので、今のところ、ジャワ語もスンダ語も覚える気はない。

とは言え、調べてはみた。

ジャワ語の散歩は、丁寧語がMlapah Mlapahで一般語はMlaku Mlakuと教えられた。

バダ一家は、毎週月曜日早朝5時出発の散歩がルールとなっている。

バダさんとワオンさんは「kopi_mpat」を始める前、2人で毎日歩き回っていたそうだ。

1年以上歩き続けて、さまざまなルートを開拓した。

今のように週一でスタッフ参加になったのは、昨年10月から。

強制ではないが、健康にために提唱しているバダさんの意向を汲んで私も参加した。

早起きは苦手だが、9時には戻るので、また寝ればいいだろう。


夜明け前の暗いうちから歩き始める。

散歩の途中で撮った写真を集めてみました。

バダさんのお母さんが経営していたワルン「Bu Empat」の看板。

ウンパットは、3年前に亡くなったお母さんの名前。

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距離が違う看板。

私の目測では、150メートル。



メイン通りとT字で交わる道の角にあるワルン。

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私が前を通り過ぎる時、扉から子供が顔を出していることが多い。



湧き水が豊富なので、魚の養殖が盛んな村。

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この派手な玄関のある建物は、魚研究所と市場とか。


廃墟の窓から顔を覗かせる、この木何の木?。

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チャンディ・ムンドックに立ち寄った。

甘い香りの花が咲く木に出会った。

木の名称はサラ(=SALA)、英語名はキャノンボールと聞いた。

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1人の時とは違った角度から観察できて、新鮮だ。



呼吸法の道場を発見。

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月曜日は休日だった。

日をあらためて訪れるつもりだ。


バリで「トゥンジュン」と呼ばれる蓮の花は、いたるところで見られる。

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我々が想像する、パドマと呼ばれる蓮を見かけることは少ない。

「Kafe Epat」の池にないので、育ててくれるように頼んだ。


バリと似た風景

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こうして、少しずつ土地鑑を育てていくのであった。


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2019年04月18日

バルコンデス @ マゲラン滞在!(305)

マゲラン名物「ミー・ドゴッ(Mie Godok・Mie Godog)」を食べに外食。

ミーというからには、麺料理だろう。

「ミー・ドゴッ」は、Bakmi Godokとも呼ばれる。

初回はスープに甘いソースが入っていたので、2回目をソース無しにしてもらった。

このソース抜きが、日本の薄味ラーメンに近い味で、私には美味しかった。

Rp13,000-、およそ100円。

待つのが長く感じたので、作っているところを覗いてみた。

初回の店は2人前、2回目の店では1人前づつ作っていた。

これでは待たされるはずだ。

5人で入店して注文すると、5人目のミー・ドゴッが到着する前に、最初の人は食べ終わっている。

なぜだかな〜?




ミー・ドゴッもそうだが、マゲランに来て、初めて聞く言葉に出会うことが多い。

「バルコンデス(Balkondes)」と言う言葉も初めて聞いた。

このバルコンデスは、balei ekonomi desaを短縮した新語。

直訳すると、村の経済の建物(意味不明だけど)。

村の経済的発展を助ける制度だそうだ。

現在の大統領ジョコウィ氏が、1年ほど前から奨励した制度らしい。

素晴らしい制度などで、紹介したい。

国営企業が、村々に金銭的援助をする。

日本円でおよそ850万円と言われる。

インドネシア国営の企業は、電気、ガス、水道、石油、電話、電車、セメント、航空、などなど20社以上はある。

援助企業は、経営に口出しをしない。

そのために、専門的な管理会社が設立されている。

管理会社は、バルコンデスを観光地としてPRするのが役目だ。

バルコンデスは、村所有の土地を利用して作られる。

宿泊施設をメインにして、レストランや土産物店などが付設されていることが多い。

村の特徴を探し、特色を持った経営が望ましい。

管理会社は、1年から3年の間をサポートする。

サポート期間の間に、村人に経営ノウハウを取得してもらい、村営として成り立つようにアシストする。

その後は、自力で経営しなければならない。


バルコンデスは、世界遺産のあるボロブドゥールとジョクジャカルタで見られる。

ボロブドゥールには20の村があり、それぞれにバルコンデスがある。

そのいくつかの村を見学した。

村によって意気込みが違うのを感じた。

興味深い試みなので、成功して欲しいと願っている。

以下に、4つのバルコンデスの写真をアップします。

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posted by ito-san at 18:25| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

チャンディ・ムンドゥ @ マゲラン滞在!(304)

インドネシアの大統領選挙を今月4月17日に控えて、各地で集会が催されている。

ジョコウィ氏の再選、プラボウォ氏の挑戦、軍配はどちらに?

この3〜4日、夕刻まで、幹線道路から爆音が聴こえてくるので「何事か?」とバダさんに聞くと。

大統選挙の立候補者を応援するデモンストレーションで、公道をバイクでアピールしているのだそうだ。

動画は、昨日13日のデモンストレーションの模様です。


マゲランには、幾度か訪れているが、まったく土地鑑はない。

自分の居住する現在地を把握するのは、必修だ。

将来的に移動手段は、バイクに乗るつもりでいるが、まずは、近場を歩いて探索するつもりでいる。

マゲランは、ジョクジャカルタと同じ盆地にある。

ケドゥ盆地と言うらしい。

私の居住している小屋からも、360度、遥か遠くまで平野は続く。

テラスから西方を望むと、稲穂の波と椰子林の向こうに、峰々を背にしたチャンディ・ボロブドゥールのシルエットが薄っすらと見られる。

遺跡は、お椀型の小高い丘で、乳頭が少し尖っているが、おっぱいのように見える。
ボロブドゥール遺跡の見学は、次回に残して、まずは近場の観光地「チャンディ・ムンドゥ(Mendut)」に行くことにした。

チャンディ・ムンドゥは、ボロブドゥール周辺の寺院遺跡群の一つであり、チャンディ・ボロブドゥールについで有名なところだ。

遺跡群は、西暦8世紀から9世紀に建立されたとか考えられている。

チャンディ・ムンドゥは、通算2度目の訪問。

前回は、チャンディ・パオンと共に見学した記憶がある。

20年ほども前の話だ。


4月6日、道草をしながら1時間ほど歩いて、チャンディ・ムンドゥに到着。

入場料金は、チャンディ・パオン(Pawon)の2カ所が見学できてRp3,000-。

プラス、保険料のRp500。

勉強不足で、チャンディ・ムンドゥの詳細は知らない。

まずは写真に残すことにした。

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出入り口の隣に、日本軍戦没者の墓が、ひっそりと建っていた。

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大東亜戦争の名残だ。

太平洋戦争、第二次世界大戦の呼び名もある。

日本の宗教団体(創価学会)の援助で建てたと言われる仏教寺院にも入った。


帰路のこと。 お腹の調子が悪くなった。

普段でもお腹はゆるいが、マゲランに来て辛い物を食べている。

それが原因で、下痢になったのかな。

あと100メートルで小屋に着くというところで、辛抱たまらず小川に飛び込んだ。

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久しぶりの川厠(かわかわや)。

こんなところが、田舎の良いところだ。


小屋に戻り、「地球の歩き方・インドネシア編」を見ると、シャイレンドラ王朝の8世紀末〜9世紀初に建立されたとに載っていた。

チャンディ内の中央に如来像、左手に観世音菩薩、右手に文殊菩薩。

中央如来像の高さは3mと言われる。

興味がなかったので、全く知らない。

おいおい、調べることにしよう。

posted by ito-san at 18:00| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする