2016年08月21日

ホームセンター・エース(82)

私の買い物と言えば、ほとんどが日用品だ。

フットワークを軽くするため什器の購入を控えているし、バイクで運ぶことのできる程度の大きさの物しか買わない。

ウブド内のコンビニかスーパーで用は足りている。

スーパーは、チャンプアン橋を越えたサンギンガン地域の「ビンタン」に行くことが多い。

アンドン地域にある「デルタ・デワタ」の方が価格が安いようだが、レジが混んでいることが多いので避けている。

それでも、ウブドの変則十字路の交通渋滞が著しい時には、「デルタ・デワタ」にバイクを走らせる。

コンビニは、地元民が値段が安いと噂するプリアタン村南部の「アルファ・マート」がメイン。

あとは、都合に合わせて最寄り店に行く。


バトゥブラン村に、バリ南部にあるホームセンターの「エース=ACE」の支店が開店したのは昨年のことだったか。

クタの「エース」に行った時、男心を誘う道具&工具類の品揃いに興奮したのを覚えている。

そんな店が、ウブドからバイクで30分の距離に開店した。

こりゃ行くしかないだろう。

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クタの「エース」に比べて小規模だが、それでもウブドでは見られない商品があるので、私には充分満足。

最初の買い物は、電気ドリルだった。

これがあれば、細かい作業の効率があがる。

一台目は、ドリルの先がブレルという致命的な欠陥商品だったので交換してもらった。

モビールを作ったり、ルドラークシャに穴を開けるのに、現在活躍中です。


次に買ったのが、シュラーフザック。

略称、シュラーフ。

寝袋とかスリーピングバッグとも言う。

今回の引っ越しでは、部屋を広く使いたいために、ベッドを置かなかった。

作業スペースをとるために、移動可能なシングルサイズのクッションを「デルタ・デワタ」で購入した。

クッションの上で、シュラーフにくるまって寝ている。

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アウトドア派の私は、テント生活が希望だ。


機能的に優れたリュックサックも手に入れた。

リュックともザックとう言う。

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知合いから頂いたリュックサックも、傷んで来た。

見た目も汚れている。

コロンビアの旅を無事に終えた僚友は今、大事に保存されている。


時々、裏庭でルドラークシャを拾うついでに、落ち葉掃除をしている。

バリ人のようにホウキでは、うまく集めれない。

短いホウキは、腰を疲れさせる。

熊手を探していたら、「エース」にあった。

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日本では、竹や太い番線で出来た熊手がある。

竹が豊富にあるバリで、なぜか竹の熊手を見かけない。

見つけたのは、プラスチックの熊手だった。

柄は、アルミ製。


裏庭の掃除が終わったら、ハンモックでも買おうかな。

木々に渡したハンモックで、のんびり揺られたい。

揺られながら、畑から収穫した野菜を生かじり。

いいな。

セノ家の家族と友達を招いてバーベキューもいいな。

夢は広がる一方だ。

あれっ!(首を傾ける)

荷物を増やさないと言いながら、「エース」がオープンしてから買い物、増えてないか?


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2016年08月16日

小型スーパー・マッサーズの役割 (81)

一週間前、居候先のイブにミニャッ・クラパ(ココナッツ・オイル)を作ってもらった。

イブのアルバイトになればと、「ウブド・本の交換会」で試しに売ることにした。

今回は、8月20日に「和るん・あんかさ」での開催だ。

ミニャッ・クラパを、小瓶に小分けしなくてはならない。

小瓶は、100mlと250mlを購入してある。

小分けに使う道具は、ジョウロだったかジョウゴだったか。

いつも迷う。

先日、畑に水をやるために購入したのがジョウロ。

漢字にすると、如雨露。

ジョウロは、露とあるので水を撒く道具とわかる。

ジョウゴは、漏斗(=ろうと)ととも言う。

さっそく、ジョウゴを買いに、ウブド南部プリアタン村にある小型スーパー「マッサーズ=MASSA'S」へ。

ウブドには「デルタ・デワタ」と「ビンタン」と2つの中型スーパーがあるが、こんな雑貨の買い物の時は「マッサーズ」に限る。

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店内に入って、真っ先に店員を捕まえた。

捕まえたのはいいが、ジョウゴのインドネシア語を私は知らなかった。

調べて来ていない。

ジョウゴは「口の狭い容器に液体を注ぎ込む道具」で「上方が朝顔の花のように開き、下端が細く尖っている」。

片言のインドネシア語で、これを説明した。

やり取りに5分くらいを費やして、やっとこさ理解してくれてた。

インドネシア語でジョウゴは、corong。

チョロンと発音するようだ。

名は体を表す、ジョウゴらしい名前だ。(かな?)

5メートルほど先の陳列棚に並んでいた。

この位置なら、店内を物色すれば、すぐに見つけられた。

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「マッサーズ」は、日常雑貨の種類が豊富にあるので、チョットした物を探す時に立ち寄る。

ローカル色豊かな、コンビニエンス(便利)な店だ。

バリ人の日常使われる道具が、雑然と所狭しと並んでいるところが良い。

日本では、見られない道具類にも興味が引かれる。

例えば、料理やお菓子作りの道具。

ブリキの道具も可愛いし、台所用品もユニークだ。

まないたが、丸太の輪切りなのがバリらしい。

営業時間&定休日を聞くのを忘れた。

まっ、いっか。


ミニャッ・クラパの瓶ずめは無事終了した。

100mlをRp20,000-で、250mlをRp40,000-で販売する予定。

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2016年08月09日

ウブドの水道事情(80)

マス村(5日)、ペネスタナン村(6日)の合同火葬儀礼も終わり、ウブド近郊では残すところプリアタン村(20日)だけとなった。

まったく関係のない私にも、どことなく醸し出している慌ただしさが感じられるウブド。

加えて、ハイシーズンを迎えたウブドは今、観光客が歩道に溢れ活気づいている。

昼2時頃から5時近くまでは、交通渋滞でお祭り騒ぎのようだ。

合同火葬儀礼の話も、もう食傷気味だなと考えていたら、ブログのアップが滞っていた。

ネタも枯渇しているし、このまま、しばらく休んじゃおうかな。

と思ったが、小さなネタが見つかった。

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ウブド公設市場


この頃、我がセノ家は、時々、断水する。

ハイシーズンを迎えて、ホテル&ヴィラの利用者が増えたせいだろうか。

断続的に降る雨の量が減っているのも原因だろう。

日中は暑いので、シャワーは必須だ。

ウブド近辺の川は汚濁が進んでいて、昔のように川で水浴びというわけにもいかない。

バケツに貯めたおいた、もしかのための水を使って、急場をしのいでいる。

断水を想定しての “もしか” です。


テガランタン村は、昔から、井戸の枯れる地域だった。

上水道が敷設されるようになって、井戸は埋められた。

当時、井戸と上水道の併用は、許されていなかったと記憶する。

パチュン家もそうだったが、セナ家も枯れた井戸は埋められている。

上水道になってからも、テガランタン村は断水が多い。


上水道は、公共が供給している。

給水制限がされることもあるので、事前にタンクに水を貯めて使っている。

井戸を復活させている家もある。

税金がかかるが、上水道と井戸を併用だ。


以前、井戸は手掘りだった。

1990年、「和食・影武者」の井戸も人力で掘った。

直系1メートル20センチほどの穴を掘っていく。

穴が深くなると、掘った土をバケツに入れて上に上げる。

狭い穴の中での作業は、動きずらそうだ。

地上には、バケツを上げ下げする助っ人がいる。

何度も何度もバケツが往復する。

掘り手は、不安定な縄梯子を伝って下りていく。

10メートルも掘り進むと地下の空気が薄くなって苦しいだろうが、そんな素振りをみせない掘り方さん。

掘り方さんは、地下水の湧き出る地点まで掘りすすむ。

今回は、12メートル掘ることになっている。

少しづつ水が溜まってくる。

底に溜まる水に潜って土を掘っていく。

眼を真っ赤にして井戸から出て来る職人さんを見て、感動と感謝した。

危険がともなう仕事。

年々、井戸掘り師は少なくなっていると聞いている。


今は、スムールボル(Sumurbol)がある。

鉄パイフを水圧で地中に挿していく“スムールボール”と呼ばれる井戸掘り手法だ。

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高校生の頃にアルバイトでやったことがある、ウエル・ポイント工法だ。

工事現場の地下水を汲み上げる鉄パイプを挿す。

現場の水を確保する時にも、施す。

人力で、4〜メート5ルほどのパイプを何本も刺していく。

掘り抜き井戸のスムールボルは、50メートルの水脈まで打ち込むことができる。

ウブド近郊は、もうこの深さでは水が出なくなって来ている。

ホテル&ヴィラ、別荘など建築ラッシュが原因だと言われる。

プールは、中級クラス以下の宿泊施設にまで完備されている。

場所によっては、100メートル前後も打ち込まなければ水脈にあたらない。

公共水道局の水が枯れ、一般家庭に供給できないこともたびたび。

農業にも影響を及ぼして来ている。

交通渋滞は一部地域だが、水の確保とゴミ処理はバリ島の深刻な問題だ。

このまま開発が進めば、一般市民の社会生活にも支障をきたすだろう。

早急な解決が望まれている。


※バリ島滞在記「ウブドに沈没」3月・28)建築現場はショックの連続


posted by ito-san at 15:49| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月01日

ウブドの交通渋滞緩和の将来は?(79)

この頃のウブドの天気。

一日に、曇&雨&晴の揃い踏み。

短いと30分おき、長くて2〜3時間おきにと、めまぐるしく変化する。

晴れ間は嬉しいのだが、断続的に降る雨は困り者。

我が家を出る時に晴れ間だった空は、パダンテガル村のハヌマン通りに入ると雨が降り始める。

慌てて雨具を着るが、一キロ先のプンゴセカン村は降っていない。

アスファルト道路に、降った形跡も見えない。

ウブドは、雨の地域が、まだら模様に存在する。

「和食・影武者」の食後、雨が上がってから帰路につく。

タマン村のスリウェダリ通りから、パラパラと雨模様。

この程度の雨なら雨具はいらない。

テガランタン村に入ると、大雨。

あと500メートルほどで我が家だ。

突っ走れ!

今夜も濡れた。

「風邪に、ご注意ください」天の声


交通渋滞の時に降る出す雨は、バイク乗りには苦行だ。

雨合羽を取り出すタイミングが難しい。

私は、濡れ鼠のことが多い。

「くれぐれも、風邪にご注意ください」天の声


ウブドの交通渋滞は、相変わらずだ。

現在は、プンゴセカン村のガソリンスタンドがあるT字路が、異常な渋滞を起こしている。

中華系の観光客がバリに訪れるようになって、ウブドに大型観光バスが乗り入れるようになった。

この頃から、ウブドの渋滞が始まったと考えられる。

2010年頃、外国人滞在者から「大型バス通行禁止」のキャンペーンが盛り上がった。

2016年02月22日:■大型観光バス乗り入れ反対(33)にも書いた。

大型観光バスが、モンキーフォレスト通りとハヌマン通りを通行すると大交通渋滞をまねく。

ウブド市場前での、乗下車も渋滞を巻き起こしていた。

その頃、トゥブサヨ村のダラム・プリ寺院の広場は、大型観光バスの駐車場となった。

交通渋滞を引き起こす原因のひとつだった、大型観光バスを収容している。

駐車料金の収入は、ダラム・プリ寺院の修復費などに当てられると聞いている。

モンキーフォレスト通り&ハヌマン通り通過する大型観光バスが減り、また、ウブド市場前で乗下車していたのを止めたお陰で、渋滞は少々緩和された。

モンキーフォレストの大駐車場、スゥエタ通りの駐車場、民間の月極駐車場も増え、徐々にではあるが改善されつつある。

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ダラム・プリ寺院前の駐車場

シャトルバスが運行しているのを発見。

ダラム・プリ寺院に駐車する大型観光バスの乗客を送り迎えしているようだ。

トゥブサヨ村から徒歩でウブド市場方面に向かう観光客に対する、送迎サービス。

ボディにバリ風景のイラストが描かれたシャトルバスが、4台待機している。

シャトルバスは、ダラム・プリ寺院が運営していると聞く。

収益金は、寺院の運営費に割り当てられるそうだ。

shuttlebus.jpg

この位の大きさのバスなら、渋滞も少なくすむだろう。

一台50,000〜100,000ルピアで、チャーターできる。


モンキーフォレスト通りの大型観光バス乗り入れは、激減した。

しかし、交通渋滞は続いている。

ウブドの交通渋滞の原因は?

そろそろ抜本的政策を強行しなくてはいけないのでは。

「抜本的政策」とは。

今、考えています。


posted by ito-san at 23:08| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月29日

69歳の誕生日を迎えて(78)

7月25日をもちまして、69歳を迎えました。

1年前の68歳の誕生日は、南米コロンビアのサレントで迎えた。

お祝いのメッセージが、フェイスブックで繋がっている友達からたくさん届いた。

遠く離れていても「一人じゃないんだ」という心の支えとなった。

25年間のウブド滞在から脱皮しようと、様々なことを考えてのサレント滞在。

南米コロンビア版「寝床を探す旅」は、思いのほか高揚することがなく、潔く退去することにした。


やっぱりウブドは、居心地がいい。

ウブドに戻った今年も、大勢の仲間からお祝いのメッセージをいただいた。

ついにと言うか、やっとと言うか、69歳。

70歳の区切りを前にして、やり残したことは無いか? と自問する。

来年の誕生日は、3度目のアグン山登頂を目標にしている。

目標に向けて体力作りでもしようかな。

一緒に登ってくれる人、募集しています。

「みんなで登れば、怖くない」


そして、必ず巡ってくる70歳。

残りの人生、どうやって過ごそうか。

どちらにしてもたいしたことはできないが、悔いの残らない一生で終わりたい。

今生は、変貌するウブドを見届けることにした。

それが私の使命のような気がしている。

皆様の暖かい応援を励みに、これからも精進していきたいと考えています。

今後とも、よろしく。


※誕生日の日に行ったプルナモ(Purnama)海岸。

purnama.jpg

3週間前は、午後3時到着で満潮時だった。

潮の満ち引きの時間は、日々変ると聞いて、この日は2時到着にした。

当てずっぽうに出かけた時間は、干潮が始まるところだった。

波高し。

あいにく、流木はゴミ共々姿を消していた。


posted by ito-san at 15:17| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月25日

開いてて良かった「カキ・リマ・ベンシン」(77)

ウブド地域に、ガソリン・スタンドの一号店がオープンしたのは、1998年のテガス村(マス方面)だった。

ガソリン・スタンドは「ポンパ・ベンシン(Ponpa Bensin)またはプルタミナ(PERTAMINA)」と言わないと、バリでは通じない。

ポンパ・ベンシンができるまでは、雑貨屋(ワルン)でガラスビンに小分けして売られていた。

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雑貨屋の店先に「PETROL」書かれた看板を出している。

ウブド大通りはもちろんだが、村道沿いには軒並み(100メートルおき)に見つけられた。

そんな雑貨屋は「カキ・リマ・ベンシン」と呼ばれていた。

古くは、台車(カキ・リマ)で出し入れしたことから付いた名前だろう。

たいていが、一瓶5,000ルピア。

「10,000ルピア」と金額で注文すると、2瓶を入れてくれる。

瓶から、濾過布のついたプラスチックのジョウゴに注ぐ。

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そんな話を、ウブド村徒然記「カキ・リマ・ベンシン(33)」に書いてある。


ポンパ・ベンシンの2号店は、テガス・カンギナン(Tegas Kanginan)村の2001年。

続いて、アンドン地域の2005年。

プンゴセカン村は、2006年に開店。

ポンパ・ベンシンの出店で、近辺の「カキ・リマ・ベンシン」は姿を消した。

ウブドでは、遠く離れなければ見つけることが困難なほど激減した。

現在、大きな街を繋ぐ幹線道路にはポンパ・ベンシンがある。

村々を繋ぐ村道には、まだまだカキ・リマ・ベンシンが残っている。

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サバ村近郊のカキ・リマ・ベンシン(撮影:2016年7月25日)


ウブドで生き残っている「カキ・リマ・ベンシン」もある。

そんな店が、この頃、写真のようなガソリン販売機を店頭に置き始めた。

「PERTAMINI」の見慣れた文字。

ちがった!

見慣れた文字は、国営石油会社の社名「PERTAMINA」だ。

この販売機は、PERTA-MINIだ。

MINIは、プルタミナのミニ版と言う意味か。

販売機は、プルタミナから7〜8,000,000ルピアで購入するらしい。

手回しだけど、グレードアップな感じだ。

10,000ルピアで、ポンパ・ベンシンでは1.52リットル。

PERTA-MINIのオヤジは「10,000ルピアで1.5リットルくらいかな」んて、曖昧なことを言っている。

pertamini.jpg

ウブド生活者の私は、アンドン&プンゴセカンのガソリン・スタンドを利用している。

時々、ガソリンメーターがレッドゾーンの時がある。

時計の針は、交通渋滞の時間帯をさしている。

こんな時には、近くの「カキ・リマ・ベンシン」に急ぐ。

開いてて良かった「カキ・リマ・ベンシン」。

ガラスビンからハンド吸出機?(呼び名を知らない)に持ち替えたイブ(お母ちゃん)は、多いに戸惑い気味。

こうしてウブドは、様変わりしていくのであった。


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2016年07月23日

シルビオ・サントーサ氏との再会(76)

トゥブサヨ村スクマ通りをダラム・プリ寺院から南下すると、ローカルに人気の「ワルン・サリ・ラサ」がある。

この店のナシゴレンは、炒飯ぽい私好みの味。

週に、2度は行く。

毎回、ナシゴレン(Rp10,000-)とテ・ボトル(Rp4,000-)。

Rp14,000-は、只今のレート(¥1=Rp123)だと約114円。

私が入っていくと、注文する前から「ナシゴレン」と言われる。

バイクを止めるところから見られている。

「ナシゴレン」が来たとでも、思っているのだろう。

期待は裏切れない。

テ・ボトルは、自分で冷蔵ケースから出す。

ナシゴレンは、吉野家の牛丼ほどの早さで出て来る。

早くて、安くて、美味しい、三拍子揃った店が「ワルン・サリ・ラサ」。


サリ・ラサの2軒南隣りにワルンがオープンしたのは気がついていた。

3月頃だったか、記憶は定かでない。

店名は「ワルン・ユニーク」。

気にはなっていたが、サリ・ラサの前を素通りして、眼と鼻の先で浮気はできない。

この日、サリ・ラサの前まで来て気がついた。

日曜日が定休日だというのは知っているが、この日が日曜日だというのを忘れていた。

さて、どうしよう。

この機会に「ワルン・ユニーク」に入ってみようか。

店頭でメニューを見ていると、店内から声が掛かった。

よく聞き取れなかったが、きっとインドネシア語で「いらっしゃいませ」とでも言ったのだろう。

声のした方を見ると、見覚えのある顔がそこにあった。

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シルビオ・サントーサ氏だ。

バリ島の地図「バリ・パスファインダー」の出版者。

シルビオ氏とは、10年前に「バリ島ウブド 楽園の散歩道」のインタビューで会って以来だ。

それより以前は、26年前のウブドのセンゴールだった。

間違いないと思いながらも、もうひとつ自信が持てない。

彼は、私のことを覚えていないようだった。

メニューは、さして高くはない。

もう少し、観察しようと、店に入った。

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ナシゴレンを注文した。

どこに行ってもナシゴレン。

ナシゴレンなら、カレーライス同様、少々まずくても食べられるほどの好物。

シルビオ氏が、厨房に立った。

ナシゴレンの味は、サリ・ラサにはかなわない。

懐かしい人に会えたので良しとしよう。

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年を重ねて、風貌に以前のハツラツさはなくなったが、シルビオ氏に間違いない。

私は、帰りがけに声を掛けた。

住まいはクトゥ村、息子がイギリスに行っている。

会話から検証しても、間違はいない。

「健康のために、ワルンを開いている」と言う。

「話が弾めば、深夜まで営業してるよ」と言う。

夜な夜な、ウブドのセンゴールを徘徊していたシルビオ氏の姿を思い出した。

アラック(椰子酒)が入り、興にのるとウブドを熱く語ってくれる。

店名のユニークの意味、きっとシルビオ氏本人のことを指しているのだろう。

忘れられていたのは残念だが、お互いに大好きなウブドで生きていることに感謝だ。


「ワルン・ユニーク」のメニュー

★食事:カレー各種Rp15,000〜Rp35,000-/ナシゴレン&ミーゴレンRp20,000-/チャプチャイRp25,000-/etc

★飲物:コピバリ&紅茶(ホット)各種Rp5,000-(アイス)/ビンタンビール大Rp40,000-小20,000-/etc

★営業時間:11.00am〜10.00pm (気が向けば深夜まで)/ 定休日・儀礼祭礼日/


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2016年07月18日

クトゥッ・リエールさんの火葬儀礼(75)

イ・クトゥッ・リエール(I Ketut Liyer)さんの火葬儀礼が、7月16日、盛大に執り行われた。

ご存知のように、ジュリア・ロバーツ主演の映画『Eat, Pray, Love』(邦題:食べて、祈って、恋をして)で一躍世界的に有名になったバリ人。

場所は、プンゴセカン村ダラム寺院の火葬場。

リエールさんは、バリヤン=Balian(バリの呪術師)

専門は、手相占い&薬草による病気治療。

生前、アパ?では「バリヤン体験」で、大変お世話になった。

お疲れさまでした。

天国でノンビリお過ごしください。


映画『Eat, Pray, Love』は、エリザベス・ギルバート著の紀行記の映画化だ。

エリザベス・ギルバート氏が、ウブドでリエールさんと出会う。

リエールさんは、ウブドでは高名なバリヤン。

手相占いを受けたエリザベス・ギルバート氏の人生が、変わっていく。

2010年9月17日に各国で封切られ、日本でも公開された。

紀行記の日本語訳(訳者:那波かおり)は、ランダムハウス講談社から2009年12月16日に出版。

Laveの章で、バリ島が登場する。

映画は、ウブドの風景が随所に映し出されている。

内容はともかく、ウブド好きにはヨダレものの風景が映る。

※MIXIの日記に、ウブドでの撮影裏話風が残っていたので巻尾に掲載しておきました。

後ほどお読みください。


私が最初のリエールさんにお会いしたのは、1991年、プンゴセカン村の知人宅の屋敷寺での祭礼だった。

リエールさんは僧侶(プマンク)で、その場を取り仕切っていた。

力強く精悍な顔つきに、バリの呪術師を認めた。

その後、手にした書物「虹の理論」に、リエールさんの名前を見つける。

「虹の理論」は、平成2年9月25日・発行された中沢新一の著書。

「第二章ファルマコスの島」は、リエール氏に弟子入りした時にまとめたレポートと聞いている。

ブラック・マジックの話だ。


この日は、デワ・カワン(kawan)氏の家族の火葬儀礼も行われた。

カワン氏はプンゴセカンスタイルの画家で、旧影武者前にあったギャラリーのオーナー。

「Tako Casa」「Le Moulin」などの大家さんだ。

インドネシア語で友人の意味を表す「kawan」さん。

大勢の弔問客が訪れていた。

プンゴセカン村は、私にとってゆかりの深かった村。

多くの知った顔に出会った。

皆、一様に年輪を刻んだ風貌に変っている。

在ウブド26年を懐かしく、また、感慨深く思った火葬儀礼となった。


火葬儀礼で出合った人々。

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デワ・ニョマン・スギ君は、マイペースで歩いていました


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デワ・ニョマン・イラワン君は、御神輿を担いだようだ


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「グリー・フイルド・バンガロー」のボス、サンタナ氏がプマンク(僧侶)になっていた


その他、大勢の方にお会いしましたが、割愛です。


プンゴセカン村でリエールさんとお分かれしたあと、ウブドの合同火葬儀礼へとバイクを飛ばした。

久々の火葬儀礼のはしごだ。



クトゥッ・リエール氏の火葬儀礼



デワ・カワン氏家族の火葬儀礼


2009年12月28日:MIXIの日記です。

10月の始め、ウブドにハリウッド映画の撮影隊が来るとの噂が立った。

そして、実際に15日にはベントゥユン村で撮影があった。

主演女優はジュリア・ロバーツ。

ウブドのパサール、ペネスタナン、プンゴセカン等々で撮影が行われ、彼女を一目見たくて、ウブド在住の幾人かが追っかけた。

私もその1人。

「ジュリア・ロバーツ見た?」が、在住者の挨拶になっていた。

映画は、著者:エリザベス・ギルバートの紀行文「Eat, Pray, Love」の映画化。

公開予定は2011年と1年も先。

知ってしまうと、一日も早く観たいのが人の心というもの。

撮影現場は追っかけたものの、原作を読んでいないので、あらすじも掴めない。

邦訳が出ればいいのにな、と思っていた矢先、

12月16日訳者:那波かおり、でランダムハウス講談社から出版された。

さっそく、近日中に来ウブドする知人に頼んだ。

副題:女が直面するあらゆること探求の書

第1部:イタリア/イタリアでは食べまくり
第2部:インド/インドでは瞑想に励み
第3部:インドネシア/バリでは恋をした(帯より抜粋)

バリは、ウブドでの話だ。

話は、プンゴセカンのバリアン、クトゥさんを中心にして展開していく。

ジュンバワン通りの「トラディショナル・バリニーズ・ヒーリング・センター」。

モンキーフォレストも登場する。

ペネスタナンでの撮影は、クトゥ氏所有の治療手引きをコピーするのシーンだったようだ。

ウブドらしいエピソードの数々に、ウブド好きは、親近感で満腹になることだろう。

原作が、どんな映画に姿を変えるか、そんなことも楽しみの一つだ。


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2016年07月17日

合同火葬儀礼の季節到来(74)

バリ・ヒンドゥー・ダルモで、もっとも大切な儀礼は火葬儀礼。

火葬儀礼には、個人葬と合同葬(ガベン・マサル/Ngaben Masal)がある。

合同火葬儀礼は、一つの村で2年〜6年に一度に行われる。

時節は、サコ暦のなかから人間(特に死者)の儀礼にもっとも適したサシー・カロ(sasih karo=第2月)。

西暦の7月から9月の間にあたる。

毎年、どこかの村で合同火葬儀礼が執り行われている。

Ngaben_Masal1.jpg


7月15日に、ウブドの北に隣接するクトゥ村で合同火葬儀礼があった。

この村では、5年ぶりのこと。

5年分の遺体が、この日、合同で火葬されることになる。

火葬場には、火葬堂(バレ・パバスミアン)が14基用意されている。

私が到着した時間には、すでに、プトゥラガン(張り子の棺=patulangan)も安置されていた。

一家族に、一基の火葬堂と一体のプトゥラガン。

遺体は23体。

5年の間に、故人が2名以上出ている家族があるのだ。

Ngaben_Masal2.jpg
珍しい、半牛半魚のプトゥラガン


バリは公開火葬。

火葬の途中、遺体が跳ね起きるのを防ぐため、竹で押さえる。

燃え盛る火の中に、遺体が確認できる。

遺体が燃えていくのを目の当たりにする。

これは、かなりカルチャーショックだった。

そんな光景を見に来た観光客も多かっただろう。

今では、鉄板で囲われて、遺体が燃え落ちていく姿は見られない。

見せないようにしてるのかもしれない。

Ngaben_Masal3.jpg


この頃、合同火葬儀礼では、遺体が燃える光景は見られない。

遺体は数日前に掘り起こされ、その場でバーナーで燃やされる。

死者に対する感情が、私たち日本人と違うのを実感する。

傍目から見ると、遺体が雑に扱われているように見えるが、遺体はすでに抜け殻だ。

火葬儀礼は、魂の浄化儀礼。

死を、魂の旅たちと考えで解放する。

燃やされるプトゥラガンには、シンボル(+遺灰)が安置される。

数年前から遺体を掘り起こさず、シンボル(+埋葬場の土)を作ってそれを燃やす村も増えている。

シンボルの正体は、人体の絵を描いた木札を入れた白布の包み、だそうな。


合同火葬儀礼のプトゥラガンは小さい。

大人の遺体を入れるには、小さすぎる。

死後、数年経ている遺体は小さくなっているのだろうと、都合良く考えていた。

しかし、日数の新しい遺体もあるはず。

この頃と思っていたが、私が知らなかっただけで、合同火葬儀礼では、以前から遺体は事前に燃やされていたのかもしれない。


儀礼のプロセスが、延々と続いている。

我々観光客が見たいのは、遺体が燃えるところだ。

いつ始まるかわからない。

ひたすら、待つのみだ。

焼けるような陽射しの中、プトゥラガンに火がつけられた。

熱風が押し寄せて来る。

プトゥラガンの燃え落ちるのが早い。

遺体は、すでにシンボル(遺灰)になっている。

見物人が引いていく。

お疲れさま。

私も、その場を後にした。






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2016年07月14日

高僧プダンダの火葬儀礼(73)

雨に打たれたせいか、窓を開け放して寝たせいか、風邪をひいてしまった。

9日から、鼻水垂れ流しの生活だった。

頭は鈍痛、身体もだるい、節々も少し痛い。

影武者25周年の10日も体調の悪い状態で、顔を出した。

大テーブルに鼻をかんだトイレットペーパーを山積みにして、冴えない顔の私が腰を下ろしている姿を想像してください。

見られたものではなかったはず。

幸い、何のイベントもなかったので助かった。

身内だけで、ささやかな乾杯をした。

「30周年には、何かしようかね」と女将を話を交わした。

もし影武者が存続していて、さらに私がウブドに居たらの話だ。

あと5年後の私は、元気な身体でウブドで徘徊しているのだろうか?

できることなら、30周年を迎えたいと思っている。

風邪の治療は、薬を使わず、ひたすら寝ることにした。

13日には、鼻水は治まり、ほぼ治った。


テガランタン村で12日、高僧プダンダの火葬儀礼が行われた。

相変わらず儀礼で忙しい日々のバリ人だ。

葬式だからと、正装は黒シャツを着て出かけ。

どうも私の持っている情報が間違っていたようで、村人は皆白いシャツを装っていた。

僧侶の火葬儀礼では、白が基本なのだろうか。

次回からは、白にしよう。

鼻水垂らして待ち構えていた場所は、偶然にもダラム寺院のジェニトゥリ(Genitri=菩提樹)の下だった。

表皮の剥がれたルドラクシャを数個摘んで、ポケットにしまう。


高僧プダンダの火葬儀礼の動画です。

風邪のため、燃やすところまでは参列していません。






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2016年07月12日

ベベ(アヒル)の行列(72)

アヒルのことは、インドネシア語でベベ(bebek)、バリ語ではイティ(itik)。

10年ほど前、kのないベベ(bebe)は、どこかの国のファッションと知った。

その時、インドネシア語→日本語の辞書で「bebe」を調べてみたことがある。

語源は、ポルトガル語。

1)女の子の着物・ガウン

2)植民地時代の地方政官

3)乳児・ベビー

とあった。

日本の童謡にある「♪赤いベベ着たお人形は♪」のベベは、ひょっとするとひょっとするかもと思った。

思っただけで、確証は取っていない。


バリの風物詩に、隊列を組んだべべの行進がある。

bebek_tao1.jpg

田んぼに水が張られ、田植えの前にべべが放たれる。

これは水利組合で決まられた行事。

大量に飼っている農家から借りる。

多い田んぼでは、100匹を越えることもある。

餌をついばんだべべの排泄物が肥やしになると言う。

日本で言う「カルガモ農法」と同じだ。

bebek_tao2.jpg

べべは、田んぼの立ててある竿を中心にして、餌をついばむ。

竿の先には、小さな布が付いている。

これが目印だ。

移動は、それまで田んぼの立ててあった竿を先頭に進む。

小さな布の付いた竿を持った、おじさんの後ろをついて、べべは移動する。

おばさんのべべ使いを、一度も見たことがない。

もしかすると、この仕事、男子専科か。

日本では、まず100匹ものべべが行進する姿を見ることはないだろう。

先頭の一匹の行動は、瞬時に最後尾まで伝わる。

先頭役はだれがするのか?

瞬時の伝達の能力は何なのか?

疑問点は数々あるが、道路を占領してピョコピョコ右往左往するべべの微笑ましい姿は見て。その疑問はスルーする。

この光景に例えて、日本人ツーリストをべべと呼ばれていた時代があった。

団体旅行華やかな頃のことだ。

bebek_tao3.jpg



なぜべべは、小さな布についていくのか。

生まれて最初に見たものをお母さんだと思い込む、剃り込みと言われるが、そうではない。

これは、遺伝子の仕業らしい。

ちょうど手にした本に、ハイイロガンの話が載っていた。

バリのべべにも通じる物があったのでメモしておいた。

それは、こんな内容だった。

ハイイロガンは、生まれながらに親の姿を知っているわけではない。

こんな羽色で、形はこうで、こんな歩き方をするなどという細かい情報をいちいち遺伝子は請け負うわけにはいかない。

その代わり遺伝子は、こんなプログラムを考え出した。

「ふ化後初めて見たもののうち、大きくて、しかも動くものをよく覚えよ。

歩けるようになったら、いつでもどこでもついて行くのだ」

自然界でこの条件を満たすものは、酔狂な動物行動学者を除けばまず間違いなく自分の親である。

遺伝子はそのあたりのことをよく承知しており、手を抜けばよい部分については徹底して手を抜くことにしているらしい。

そうかこれは、剃り込みとは言わず、遺伝子の仕業なのだ。

バリでは、こんな遺伝子の特徴を利用して、竿の先に付けた布をべべたちの目印にしたのだった。

思いのほか竿の先の布は小さいが、生まれてすぐの、べべのべべ(ベビー)たちには、さぞ大きく見えたことだろう。

べべがハイイロガンと同種かどうか確認していない。

ネット環境の悪い住居にいるので、検索できないでいる。

調べるのは、いつになることかわかりませんが、次回に繰り越すことにしました。

それとも、誰か教えてくれる?

(写真提供:田尾美野留)





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2016年07月10日

パチュン家の長女アユの結婚(71)

7月6日、パチュン家長女・アユの婚姻儀礼が執り行われた。

おめでとうございます。


嫁ぎ先は、デンパサール市内。

儀礼は午前中に、新郎の実家で行われた。

私は、午後からのパチュン家での儀礼に参加させていただいた。

婚姻儀礼には何度も参列しているが、お嫁さんの実家から嫁を送り出す儀礼は初めてのことだ。

パチュン家には、テガランタン村から大勢の村人が参列していた。

陽射しが暑いので、皆、日陰を探して腰をおろしている。

デンパサールで婚姻儀礼を終えた新郎新婦、そして家族・親類縁者、村人が出向いて来た。

これは嫁をもらいにきた儀礼か?

新郎の情報は、まったく知らない。

本人が愛し、両親が認めている結婚相手の身上調査を私がすることもない。


パチュン家は、2013年3月10日から2015年2月1日にかけて、お世話になった。

家族にも、優しくしてもらった。

(詳しくは「テガランタン村滞在記」をお読みください)

コロンビアの旅行中、アユには「私が帰るまで結婚式はしないください」とフェースブックでコメントした。

が、まさかその通りになるとは。

バリに戻ってから何度もパチュン君に「アユの結婚式はいつになるの」と問いても「わからない」との返事が返ってくるだけ。

バリでは、本人同士の意志が固まるまで、結婚することを両親にも伝えないようだ。

途中で、破談になることを嫌うのか。

だから、急に結婚の日取りが決まる。

授かり婚が多いのも、子供が出来てしまえば別れないだろうという気持ちからだ。

授かり婚とは、俗にいう「できちゃった婚」のこと。

10年ほど前からパチュン家と縁のあるF氏ご夫妻が、日本からアユの結婚式のために飛んで来ていた。

彼らも「結婚式には、是非、呼んでください」と伝えてあったようだ。

F氏ご夫妻は、午前中の婚姻儀礼にも参列している。

怠け者の私とは、入れ込み方が違う。

私は、送り出す婚姻儀礼に参加できたことで良しとした。


私が暮らしていた懐かしい部屋の前で、村の世話役による儀礼が行われた。

本人同士、両家の両親、そして両家の村の合意を得る。

結束の強い村組織のバリでは、婚姻は村の結縁でもある。

ayu1.jpg
寛ぐ新郎新婦

この部屋は今、友人のB君が住んでいる。

B君は、このめでたき日に、運転手&カメラマンとしてお手伝いしていた。

私が住んでいれば、私の仕事だったところだ。

B君、ありがとう。

ayu2.jpg

ayu3.jpg

アユは、グスティのカーストから称号のない階層に嫁ぐので、家寺でのお祈りはこれが最後になるのかもしれない。

バリのカーストは称号だけが残っているのだが、慣習にも少し影響をおよぼしているところがある。


長男マデ君がクルーズの仕事で参列できなかったが、その分次男コマン君が張り切っていた。

パチュン君も奥さんも、緊張しているようだった。

胸に熱いものが込み上げてくる。

他人の幸せそうな姿に、私の心も満ち足りてくる。

末永く、お幸せに。

お父さん、お母さん、お疲れさまでした。






※ 婚姻儀礼:http://informationcenter-apa.com/kb_pernikahan.html

※「伊藤博史のブログ|生涯旅人・ウブド村徒然記 / バリ人男性をちょっと考察・婚姻儀礼(83)


posted by ito-san at 17:06| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月07日

ウブドの生コン事情(70)

7月に入ってから、ルドラクシャが一粒も落ちてこなくなった。

毎日、あんなに落ちていたのがピッタリと止んだ。

実のなる時期があるのを知った。

際限なく収穫できるものだと信じていたので、キズものやイビツなルドラクシャは処分していた。

処分した残りは、ほんの少しだった。

ブレスレット作りは、遅々として進まない。

老い先は短いが、ノンビリいこう。


先日、タマン村のスリウェダリ通りの建築現場で面白い物を見つけた。

まず、写真を見てください。

mixer1.jpg

コンクリートを流し込む作業で、こんな重機を使っていた。

ミキサーは珍しくはないが、その後が珍しい。

それは、私には初お見みえの道具だった。

こねられたセメントは、鉄柱に添え付けられた箱に流し込まれる。

箱は、人力に寄って、鉄柱を昇っていく。

簡易昇降機だ。

上が待ち構えている作業員が、箱からコンクリートを流し込んでいく。

重機と呼ぶほどの規模ではないが、かなり便利な代物だ。

小さな建築物なら、この道具で充分だろう。


以前、この程度の現場は人海戦術だった。

写真を御覧下さい。

流れ作業2.jpg

1990年頃の写真です。

何度も紹介している写真なので、ご存知方も多いかもしれませんね。

バケツリレーで、コンクリートを流しています。

プンゴセカン村のガソリンスタンド近くの建築現場です。

男性に混じって働く、婦人の姿がタクマしい。

簡易昇降機は普及していないのか、ところによっては今でもこの風景が見られる。

働き者の婦人たちのアルバイトは減ってしまうが、簡易昇降機の普及は必要だろう。


ウブドも大きな建築物が増えている。

近年、写真のような重機で流し込んでいるのを見かける。

コンクリート・ドレーン機とでも呼ぶのか?

生コン2.jpg

プンゴセカン通りの「カキアン・ベーカリー」前の現場だったと記憶しています。

渋滞回避のため、コンクリートミキサー車が出動するのは深夜のことが多い。

こんな風景も、ウブドが都会になってきたと実感する要因だ。


話を冒頭に戻す。

ルドラクシャと同時に、落ち葉も減った。

これが雨季と乾季の変わり目なのだろうか?

だとしたら、大きな発見だ。

落ち葉を熊手でかき集めながら、ルドラクシャを拾うという楽しい日課が奪われた。

さて次は、何して時間をつぶそうか。


posted by ito-san at 16:50| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月02日

クレープの店「ル・ムーラン」(69)

私的には、丸くて薄い皮に砂糖をまぶして、扇状にたたんだのがクレープと認識している。

皮の材料は知らない。

生まれて始めて口にしたクレープは、フランスはパリのカルチェラタンでの立ち食いだった。

20歳の時だから、49年も前の話だ。

1969年に出発した節約旅行の途中、パリで6ヶ月間アルバイト生活を送った。

バリではあり、パリです。

今でも鮮明に記憶している。

田舎もんの私には、縁の薄い食味だった。

テークアウト専門の小さなクレープ店前に、できている行列の最後部についた。

前に並ぶのはフランス人だろう。

地元のパリジャン&パリジェンヌかもしれない。

客は、クレープ手にすると歩きながら頬張り始める。

歩きながら食べることを「行儀が悪い」と教えられた私には抵抗がある。

が、食べながら歩く姿はオシャレに映った。

私も歩きながら食べることにした。

生まれて初めて手にしたクレープは、扇状にたたまれて白い薄紙に包まれていた。

ザラメ砂糖が包まれた肉厚の薄いクリーム色のクレープは、甘かった。

その時、インプットされた味が未だに忘れられないでいる。

他にも種類はあったと思うが、フランス語の話せない私が、どうやって注文したかも覚えていない。


その後の日本滞在20年間、そしてバリ滞在25年間にクレープを食する機会はみつけれなかった。

バリ南部に出向けば食べられただろうが、それは面倒だった。

1990年代、ウブドではパンケーキ(ホットケーキ)が主流だった。

ロスメン(宿)の朝食メニューにも含まれている。

アイスクリームが珍しかったウブド。

冷蔵庫が無い、あったとしても頻繁に訪れる停電では、アイスクリームは保存できない。

王宮関係のレストランで、辛うじて食べられた。

当時、パンケーキの上にアイスクリームをのせたメニューは、私の大好物だった。


2015年のコロンビア・サレント滞在中に、軽いカルチャーショックを受ける。

無知とは恐ろしい。
「クレーパー・コー(CREPERS CO)」という店に入った時のこと。

クレーパーは、クレープのことだと思う。

店名にクレーパーとつけているくらいだから、クレープ専門店だろう。

クレープは、スイート系のお菓子と認識している私。

だから、食後のデザート的役目。

この日は、3時のオヤツに入店した。

たくさんの種類から一つを選ぶ。

私のイメージとはかけ離れた、まさかのクレープが運ばれて来た。

それは、15センチ角・厚み3センチのオムレツのようだった。

ボリュームのあるクレープは、食事だ。

縁日で買い食いするお好み焼きの感覚クレープを、ホークとナイフで食べる。

これはクレープ発祥地フランスとは違う南米独自の文化か?

思いもしなかった展開に、ショックを受けた。

その時の話は、WiFi ポイント・その壱「CREPERS CO」(42)をお読みください。


昨年(2015年)夏、ウブドにクレープ専門店がオープンした。

Le-Moulin1.jpg

名前は「Le Moulin」。

場所は、プンゴセカンは「ママミーア」の斜め前、メキシコ料理店「タコ・カサ」の並び。

フランス人のオーナー&シェフ。

早くも、人気店になっている。

一年が経過し、店も落ちついたことだろう、と覗いてみた。

クレープはスイート系のデザートだと思っていたら、甘いお菓子系のクレープ・シュクレ(Crepes sucrees=砂糖のクレープ)以外に、軽食系のクレープ・サル(Crepes salees=塩のクレープ)があった。

チョコレートのかかったクレープを、ホークとナイフを使って食べた。

これは誰もが知る文化だ。

コロンビアに行く前に知っていたら、困惑することもなったろうに。

本格的クレープの食べられる店がウブドに出店したことに驚いている。

これは近代化の証だろう。

(資料提供・南国うまうま日記&イブウブ子@バリ島奮闘記)


Le-Moulin2.jpg

Le-Moulin3.jpg


★食事:クレープ・シュクレRp35,000〜/クレープ・サルRp45,000〜/etc

★飲物:コーヒーRp20,000〜/紅茶Rp22,000〜/ジュース各種Rp35,000-/ビンタンビール大Rp35,000-小Rp24,000-/etc


詳しくは、次のブログを御覧下さい。

※南国うまうま日記/バリ島ウブドの生活:「ウブドにできた!クレープのお店・ル・ムーラン(Le Moulin)

※イブウブ子@バリ島奮闘記:「イケメンフレンチが作るクレープ屋さん@le moulin


posted by ito-san at 23:38| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

ガヤトリ・マントラ(68)

このところ平穏な日々が続いている。

慌ただしくもなく、暇すぎるわけでもない。

知人が持ってきてくれたガヤトリ・マントラ(GAYATHRI MANTRA)を聴きながら、ルドラクシャのブレスレットを作る平穏な毎日。

ガヤトリ・マントラは、ヒンドゥー教の真言。

女性の透き通る声が、耳朶に心地よい。

知人は、詩歌訳もプリントしてくれていた。

こんな内容でした。

(ガヤトリ・マントラ、日本語訳、インドネシア語訳の順です)

(1) Om(オーム)

至高の神よ

Om,

(2) Bhur(ブール) Bhuvah(ブヴァッ) Suvaha(スヴァハ)

地、空、天界

adalah Bhur Bhuvah Swah .

(3) Tat(タット) Savitur(サヴィトゥル) Vareniyam(ヴァレーンニャム)

私たちの聖なる母よ、その輝きは、私たちの心にある暗闇を滅します.

kita pusatkan pikiran pada kecemerlangan dan

(4) Bhargo(バルゴー) Devasya(デーヴァッスヤ) Dheemahi(ディーマヒ)

私たちは、その聖なる輝きに瞑想します.

kemuliaan Sang Hayang Widhi

(5) Dhiyo (ディヨー)Yo(ヨー) Nah(ナッ) Prachodayath(プラチョーダヤート)

私たちの内なる知性を目覚めさせたまえ.

semoga diberikan semangat pikiran kita .


このガヤトリ・マントラを唱える時、神を描写し(1〜3)、瞑想し(4)、祈願する(5)、という3つの意念が込められている。

一日3回唱えることが定められています。

3回とはすなわち、朝と昼と夕方です。

朝は夜明け、昼は正午、夕方は日没と解釈しています。

時間の節目で、霊力が強いと言われる瞬間。

早朝はできないので、正午か日没に唱えるようにしている。

敬虔なヒンドゥー教徒というわけじゃないので、時間厳守ではない。

インドのマントラでは、上記の詩歌を延々と繰り返す。

延々は、108回と聞く。

では、皆さんご唱和ください。


バリのマントラは、6番まである。

1番は同じ詩歌(スペルの違いはある)。

テレビなどで、朝・昼・夕とお坊さんの唱える、のんびりしたマントラが流れる。

Om, Om, Omで始まり、Om Santih, Santih, Santih Omで終わる。

意味は理解できないが、心が浄化されるように気持ちになる。

オダラン(寺院祭礼)で、マントラを唱えながらお祈りできる日を夢見ながら聴いている。

あくまでも夢。

バリのマントラを覚えるのは無理だ。

バリ人の瞑想好きな知人は「Om Bhur Bhuvah Suvaha」を三回唱えるだけでもいいよ、と教えてくれた。

究極の短縮マントラだ。

これなら、今でもできる。

まずは、1番だけでも詠えるように努力しています。



posted by ito-san at 18:57| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

ハヌマン・アートスペースのオープン(67)

この頃のウブド、昼間は暑いが夜になると肌寒い。

パッチをはいて、寝ている。

ラクダのモモヒキじゃないよ。

日本が夏の時、バリは寒い時期。

8月なれば、もっと冷えるだろう。

夜、バイクの外出時には、長袖を着用。

ジャンパーを着ることもある。


ウブド大通りに近くハヌマン通りにある、私のお気に入りギャラリー「ハヌマン・アートスペース=Hanoman Art Space」。

今年(2016年)に入って、店舗の改築工事が始まり閉店していた。

家賃の高騰で、イワンさんの店が再開できるか心配だ。

オープンできたとしても、以前のユニークなファサードがどこまで再現できるか気にかかる。

旅行者が、記念写真を撮っていくほどの人気のファサード。

それは、イワンさん自身も不安に思っていることだった。

6月初旬、装いも新たにオープンした。

ギャラリーは半分に縮小されていた。

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Art_Space4.jpg

ファサードも頑張って、イメージに近づけている。

まあ、こんなところだろう。

ウブドのユニークな店が、ドンドン姿を消していく。


アートスペースには、私のつたない絵を置かせて頂いている。

私の「引きこもりの日々」に描いている、こまい絵だ。

絵と言えるどうかも、怪しい代物。

でも、たまに売れている。

再び、絵を置かせて頂こうと、図々しく持って行った。

新しい作品、恥を忍んでをアップしました。

暇のある方は、是非とは言いませんが、覗いてみてください。

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引きこもっていても、日々、それなりにすることはある。

こまい絵に挑戦する日。

流木を手にする日。

今は、ルドラクシャに手を染めることが多い。

「引きこもりの日々(18)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/431840148.html」は、昨年12月29日にブログでアップしているので、読んで頂けると嬉しいです。
お願い事ばかりで、ゴメン。


posted by ito-san at 18:42| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

カフェ・トピ @ ウブドらしい店(66)

この頃の私は、昼間は「カフェ・トピ」「ワルン・ソパ」「ソパ・ガーデン」を渡り歩いている。

理由は、ネットの繋がりがスムーズだから。

Free WiFIのレストランに入り、メニューを注文をしたあと、理不尽にもネットの繋がりが悪くて、早々に席を立ち、他店に移動しなくては行けないことがあった。

こんな時に、必ずと言ってよいほど、繋がりの良いのが上記の3店。

そして、3店とも長居しても嫌な顔をされないところも嬉しい。

メニューもお値打ちだし。


紹介するのは「カフェ・トピ=KAFE TOPI」。

プンゴセカンの「シシ=sisi」の裏にある「カフェ・トピ」をご存知でない方も多い。

「シシ」と「複合施設・ガーデン(Garden)」の間にある通路を進んで行く。

KAFE TOPI1.jpg

中庭を囲むようにしてあるカフェが「カフェ・トピ 」だ。


入口がわかり難いという声もある。

確かに看板も見当たらないし、どこが玄関なのかも定かでない。

「sisi」の店内を通るのが、正当法なのか。

そうだとすると、カフェ目当ての人には抵抗があるな。

それがオーナーの経営方針なのかもしれないが。

私は困らないので、意見は控え目にしておこう。

私的には、知人の隠れ家にでも訪れたような感覚で楽しい。

90年代のウブドは、自然に溶け込んだ質素な別荘が主流だった。

そんな別荘のガゼボに来ているようで落ちつく。

借景の棚田はないが、暑い陽射しを避けてマッタリできる。

ウブドらしい店としてお薦めしたい。

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長期滞在者の間で人気の《サンデーオーガニックマーケット 》は、朝9.30am〜12.00amまで開かれている。

毎週、ブドゥグル高原から採れたての新鮮なオーガニック野菜や果物が届く。

KAFE_TOPI5.jpg
撮影・2012年11月

私にとって、この時間帯の出動は苦難な道。

この日は、日曜日恒例のバリ草野球が雨のため中止になったため、時間ができたので立ち寄った。


「カフェ・トピ」と「シシ」とに、併設している「複合施設・ガーデン」。

「複合施設・ガーデン」内には、レストランの「ソパ・ガーデン」を中心にして数軒の店舗が取り囲んでいる。

多目的ホールでは、骨盤ネジしめ・ヨガ・kids空手・kidsカポエラなどの教室が催されている。

来店者には、日本語の本の図書室(無料貸出)&子供の遊び場も重宝しているようだ。


ユニークなメニューも「カフェ・トピ」の魅力。

★食事:ナットー・フライドライスRp25,000/キムチ・フライドライスRp27,000/オムライスRp33,000-/カレー・プレートRp38,000-/etc

★飲物:コーヒーRp13,000-/紅茶Rp14,000-/ビンタンビール大Rp37,000-小Rp28,000-/etc

★営業時間:9.30am〜6.00pm/定休日・年中無休

★Tel:0851-0072-0545

御用とお急ぎでない方、是非、お立ち寄りください。


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2016年06月14日

猫カフェが、ウブドに開店したニャン(65)

ウブドの南部・プンゴセカン通りに、Sの字カーブが2つある。

一つは「Cafe ARMA」の前のカーブ。

二つ目は、人気店「Mamma Mia」&「Tako Casa」のあるS字カーブ。

このカーブのせいで、車の渋滞になることが多い。

ゴメンゴメン、渋滞はカーブの性じゃなかった。

カーブは、車&バイクのスピードダウンを強制し、風景を変化させることで通過者の眼を楽しませてくれる。

根源は、大型観光バスだと思う。

ウブド初登場の猫カフェは、二つ目のS字カーブに開店した。

「Mamma Mia」の東隣りだ。

店名は、そのものズバリ『Cat Cafe Ubud』。

Cat Cafe Ubud1.jpg

バリで猫カフェ?

なんでウブドで?

と疑問符イッパイ。

1990年初頭、ウブド・サレン王宮の芸能定期公演に、長期滞在していた日本人男性が犬を連れて入場して来た。

ウブドで首輪をつけて引っ張られている犬を見るのは、初めてだった。

牛、ブタ、にわとり、アヒルなどの家畜さえも放し飼いになっているウブドで、どうして犬が紐に繋がれなければならないのか。

自由気ままに動き回る動物たちの姿を見るのと人間と動物が共存しているウブドが好きな私には、この日本人男性の姿にショックを受けた。

一緒にいたインドネシア人画家は「自分が首輪を付けられたら、嫌だろうにな!」とつぶやいた。

確かに、放し飼いの犬は恐い。

でも、彼らのテリトリーを侵さなければ害を及ぼさない。

人間の都合で動物たちを束縛してはいけない。

こんな考えの私が、猫カフェに行くことになった。

日本でも、一度も行ったことがない。

私が居た27年前には、なかった商売かもしれない。

信条的には、納得できない商売だと思っている。

10日にオープンしたばかりの『Cat Cafe Ubud』。

15日には帰国してしまう知人に、是非、見ていただきたくて案内した。

知人は、名古屋で猫カフェを営業している関係者。

「ニャーゴニャーゴ」は、10年続いている、この道の老舗だそうだ。

果たして、私の心は冷静にいられるだろうか?


建物横の階段を上る。

扉を開けると、まず入口で、外履きから室内履きに替える。

そして、手を洗う。

猫に接する心得の説明を、少し受ける。

ここは、猫のいるカフェ・スペースに入る手前の部屋で、猫グッズが展示してある。

儀式を終えて、いよいよ猫様のおいでになる部屋に。

クーラーが効いていた。

案内された、三人掛けのテーブルに座る。

メニューに、日本食の朝食セット(8.00am〜9.00am)があった。

サンドイッチなどの喫茶メニューも豊富。

お手頃価格だ。

コピバリRp10,000-を注文した。

会計には、猫ちゃんチャージ10%と税金5%が加算される。

食事中、猫が側に来ることを嫌うお客様に、ガラス張りに小部屋が用意されていた。

Cat Cafe Ubud2.jpg

Cat Cafe Ubud3.jpg

Cat Cafe Ubud4.jpg

見渡すと、欧米人女性の2人組と日本人ご夫妻の先客がいた。

楽しそうに、猫と戯れている。

オープン2日目で、すでに常連客か?

猫10匹。

毛がフサフサの猫たち。

この子たちに、クーラーが必要なのだろう。

種類はわからないが、どれも、上品でおとなしい。

皆、マイペースで、のびのびとしている。

仕草の一つ一つが可愛い。

見ているだけで、楽しい。

入店したのが昼間だったからなのか、ズ〜と寝ている猫もいる。

夜になったら、もっと活発に動く猫もいるのかな?

どの時間帯の猫たちが、可愛いのかな?

きっと、どの時間に訪れても満足することだろう。

いや〜、長い時間座り込んでしまった。

結局、私も猫好きなんだ。

猫好きにとっては、最高の癒しなのだろう。

私もすっかり癒されたようで「これもありかな!」なんて思うようになっていた。

Cat Cafe Ubud5.jpg
おまけ


猫カフェは日本人特有の文化だと思っていたら、発祥地は台湾だそうだ。

バリに猫は多いが、愛玩する文化は希薄そうだ。

インドネシア人が、猫カフェを訪れる日が来るのか。

今後、どんな人種が顧客となって定着していくか楽しみだ。

これを機に、猫カフェが世界中に開店するかもしれない。

世界中を旅しながら、猫カフェを巡ることもできる。

「猫カフェを巡るツアー」が実現する日も近いでしょう。

★営業時間:8.00am〜9.00pm(年中無休)

★TEL(携帯):081-236-663380


おまけの動画。

「Cat Cafe Ubud」の2階から表の通りを見下ろす。

以前「日本食・影武者」があった道です。

わかるかな?

右手には「Tako Casa」が写っている。





posted by ito-san at 17:10| 愛知 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月12日

マスク・ミュージアム(64)

「マスク・ミュージアム」は通称。

正式名は「Setia Darma House:Masks and Puppets」。

ジャカルタ出身のインドネシア人事業家のコレクション。

バリ島のトペン(仮面)&ワヤンクリット(影絵人形)はもちろん、インドネシア各地・中国・タイ・ミャンマー・カンボジア、その他の国々からも蒐集されている。

収蔵品は、4000体と聞いている。

一見の価値有り。

これが入場無料とは、大盤振る舞いだ。


ウブド中心部(変則十字路)から、バイクで20分ほど走ったところにある。

住所はマス村だが、私は、いつもゴアガジャ通りを走りトゥンクラ村から行く。

数年ぶりに訪れた。

ワヤン・クリットで使われるのグヌンガン(カヨナン)の石彫看板が迎えてくれる。


Masks and Puppets1.jpg


グヌンガンは、宇宙を象徴していると言われ、ワヤン・クリットの開演には必ず用いられる。


橋を渡り、エントランスは長い。

幾つかの建物が建っているが、何の目的の建物かわからない。

建物の前を通り過ぎで、ミュージアムにある方向へ向かう。

ミュージアムの入口に、以前はなかった「CAFE TOPENG」が建っている。

Masks and Puppets2.jpg

疲れたら、ここで休憩すればいい。

ありがたい心遣いだ。


広々とした敷地に、ジャワ伝統的古民家(ジョグロ)の展示館が建っている。

ジョグロの大きさから推測するに、位の高い人の館のように思われる。

前に訪れた時には3棟だった展示館が、6棟に増えていた。

各館に種類&地域別に納められていて見やすい。

バリ島のコーナーには、シンガパドゥー村のタングン氏制作のトペンが幾つかある。

今は亡き、タングン氏のトペンが見られるだけでも、嬉しい。

ワヤン・クリットの館には、珍しいワヤン・ベベールの原画が展示されている。

展示館内も庭も掃除が行き届いて、気持ちがいい。

オーナーの、展示物への思い入れが伺われる。


Masks and Puppets3.jpg

各種イベントが開催されるように、円形のオープンステージがある。


閉店時間間際に到着したので、駆け足でした。

興味のある方は、現地に出かけて自分の眼でお楽しみください。

動画で「ペタ・ペタ・ペタ」と聴こえる音は、私のはいているゴム草履。

耳障りでゴメンなさい。


★営業時間:8.00am〜4.00pm(年中無休)

★入場無料:寄付金の受付あり

★住所:Jl.Tegal Bingin , Mas-Ubud

★TEL:62-361-977404/

★Email:setiadarmabali@yahoo.co.id




posted by ito-san at 16:57| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月08日

クダイ・デ・サワ @ ウブドらしい店(63)

ウブド郊外トゥグス村に、ナイスビューのワルンがオープンした。

メニューは Asian & BBQ。

店名「クダイ・デ・サワ=Kedai D'SAWAH」。

意味は、田んぼ(sawah)にある店とでも言うのか。

トゥグス村から「古代遺跡・ゴアガジャ」に向かうゴアガジャ街道の途中、右手にある。

道路からは植木・造園屋の木々に隠れて店舗が見えない。

看板に、ご注意ください。


「クダイ・デ・サワ」には、トゥンクラ村にある「マスク・ミュージアム」への寄り道。

「マスク・ミュージアム」のことは、この次に書く予定でいる。

ウブド中心部(変則十字路)からだと、バイクで10分ほど走ったところにある。

バイクのまま、造園屋の中庭に乗り入れる。

中庭が駐車場になっている。

店舗は、表通りから20メートルほど奥にあった。

ホコリも、ここまでは飛んでこない。

道路を疾走する、車やバイクの騒音も気にならない。

田んぼの見渡せる位置に、ジャワ建築(ジョグロ)のガゼボが数棟建つ。

180度の風景に、ホテルやヴィラの建物が見えない。

これは貴重な風景だ!

期待していなかっただけに、満足度フル。

プンゴセカン村にあった「クブク」を思い起こす。

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注文したのはナシゴレン。

飲物はコピバリ。

眼の前には、ロータスの池。

次回は、ロータスの咲く時間を狙って訪れよう。

農夫の働く姿がある。

べべ(あひる)が、田んぼの虫をついばんでいる。

ココカン(白鷺)が滑空していく。

エアコンでは得られない、心地よい風が通り抜ける。

この日、田んぼが田植え前で、時々、腐った匂いも流れてくる。

貴重な風景、このくらいのことでクレームを言っちゃいけない・ゾ。

植木屋の緑に囲まれた憩いの空間で不粋だが、のんびりFree WiFIを利用する。

繋がりも良好で、ストレスが貯まらない。

理想の空間に、理想とする時間が流れる。

絶賛!

褒め過ぎたかな。

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少しウブド寄りにある「ワルン・ジャンガール・ウラム=Warung Jangar Ulam」と、コンセプトは似ているかもしれない。

どちらも、値段はローカルワルン価格。

ツーリストには嬉しい価格設定だ。


★メニュー:インドネシア料理 & BBQ

★飲物:紅茶Rp5,000-/ジュース各種Rp10,000〜/コーヒーRp15,000-/ビンタンビール大Rp30,000-小Rp20,000-/etc

★食事:ナシゴレン&ミーゴレンRp15,000/BBQRp10,000〜/etc

★営業時間:11.00am〜10.00pm/定休日・年中無休

★Tel:0361-9081067/


posted by ito-san at 16:00| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする