2016年12月06日

ムチャル(=Mecaru)の儀礼(102)

我が家のオダラン(創立記念祭)の本番は7日で、10日まで続く。

12月2日は、Potong Babi = ポトン・バビ(ブタの解体)があった。

※「ポトン・バビ体験記

※「ポトンバビ・完全取材(Potong Babi)

動画でアップしたので御覧下さい。

ちょっとグロイかもですので、残酷なのが苦手な方は飛ばしてください。

血は、すでに他の場所で抜いてある。

解体場所は、屋敷前のスバック(水利組合)の水路。

内蔵を取り出すところまでです。

肉の捌きは、明朝だとのこと。

とうことは、昼飯は血入りラワールとバビ・ケチャップ入りのナシチャンプールだ。

私も、ご馳走をご相伴しよう。






12月4日には、ムチャルが執り行われた。

ムチャルは、チャル(caru)とも言われ、ブト・カロ(下界の神々)や邪悪な力をはらうための儀礼。

特徴は、さまざまな動物が供物獣として使われこと。

小さなムチャルは一匹、普通で5匹。

セノ家では、未確認ですが、相当の数を生け贄にしたようだ。

小さなワンちゃんは、どうなったかな?

闘鶏、奉納芸能(舞踊、影絵芝居)と盛りたくさんのムチャル儀礼の日でした。


儀礼のための闘鶏(タジェン=Tajen)が、裏庭で開帳。

血を流すことで、地の霊を鎮める。

※「タジェン(Tajen = 闘鶏)






同時進行で、芸能が奉納された。

玄関先では、子供たちによる奉納舞踊ルジャン(Rejang)とトペン(仮面劇)が演じられた。

動画は、テガランタン村の子供たちによるルジャンの前半一部。

高僧プダンダを待って3時間。

踊る時には、雨が降り始めた。

それでも、けなげに奉納舞踊に向かう子供たち。

大雨の降る中、表情も変えずに無垢に踊る姿に感動。

7日は、私もこの場所でトペンを奉納する予定だ。






屋敷に中央にあるバレ・ダギンでは、スクリーンを張らずに演ずるワヤン・クリット(影絵芝居)が奉納された。

スクリーンを使わないので影絵にならないワヤン・クリットのことを、ワヤン・ルマ(=Wayang Lemah)という。

※「ワヤン・クリット(Wayang Kulit=影絵芝居)






雨の中、雨具を着てのムチャル儀礼。

セノ家の家族、村人、皆様、お疲れさまでした。


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2016年12月03日

奉納舞踊・リベンジである(101)

決めた!

踊ることを決めた。

何日間も悩んだ末の結論だ。

我がセノ家の家寺のオダランが、12月7日にある。

今回は、家寺創設以来の大規模な儀礼を執り行うようだ。

この次は、100年後(バリ歴210日が一年)かも、とセノ氏は言っている。

「奉納舞踊しないのか?」

私が以前、奉納舞踊をしていたことを知っている、まわりの村人が訊いてくる。

住まわせてもらっているのに、村人と同じようにはお手伝いできない。

男性は祭壇作り、女性は供物作りの相互扶助(インドネシア語でゴトンロヨン)をしている。

ゴトンロヨンは、バリの重要な文化だ。

私ができることは、バリ舞踊。

テガランタン村での奉納舞踊は、私の初舞台だった。

初舞台は、最悪の奉納舞踊となった。

その話は「神々に捧げる踊り・第一章 バリ舞踊に挑戦」に書いてあるので読んでください。

20年ぶりのリベンジの意味を含めて承知した。

お面と衣裳の一式は、日本一時帰国(2014年)の折りに日本に持ち帰り、水野さんに預けてある。

もう踊らないと決めたので、水野さんに使ってもらおうと考えていた。

今回、お面を2つ、日本から知人に運んで来てもらった。

踊らないと、固い決意をしたのが16年前。

奉納舞踊は16年ぶりになる。

踊らなくなった理由は、踊れないと感じたからだ。

その時の、気持ちをどこかに書き留めたつもりでいたが、見つからない。

もしかすると思っていただけで、その時の強烈な印象が強く残っていただけなのかもしれない。


Monyer.jpg
写真提供:大原正博(踊り手・itosan)


今、思い出している。

タガスカンギナン村・デサ寺院のオダランが近い。

リノ氏から「トペン、踊らないかと」誘われている。

3度目の奉納舞踊になる予定だ。

オダランの前日、リノ氏の家で下げいことなった。

ガムラン奏者の集まりが悪い。

全員揃わず、クンダン(太鼓)奏者がいなかった。

いよいよ私の音合わせ。

音が掴めず、恐る恐る踊り始める。

リノ氏が横から現れ、「今回は、こんな感じで」と手ほどきをする。

今までにない、振り付けだった。

難しい振り付けだ。

焦った。

私の技量に合わせて教えてよ! と叫びたくなる。

この場でガムランと会わせなければ、本番では立ち往生するだろう。

舞踊が悲惨になることは、目に見えている。

一通りおさらいすると「じゃあ明日」ということになった。

おいお〜い。

バリ人なら、これでOKなんだろうが、私は日本人。

それも、物覚えの悪いオヤジだよ。

「明日は、全員揃うから大丈夫」と言われても。

新しい振り付けを、まったく記憶できないまま、私は帰った。


次の日、私は寺院に行かなかった。

リノ氏の振り付けが覚えられていなければ、今までの踊り方で踊ればいい。

身体が、登校拒否&出社拒否(この表現であってるのかな?)のように動かない。

踊る自信が、まったくなくなっていた。

巧く踊りたいという気持が、ビビらしているのだろうか?

奉納舞踊は、巧く踊る必要はない。

神に捧げる心持ちがあればいいのだ。

そんなことはわかっている。

リノ氏には、あとで「逃げたな!」と言われた。

「風をひいた」と言い訳を伝えたが、逃げたのは確かだった。

これまでは満足に踊れなくても、寺院での舞踊が心地よくてチャレンジを繰り返してきた。

つぎは、もっと心を込めてと思う。

プレッシャーは感じなかった。

今回は、私の奉納舞踊に対する考えが、根底から覆された感がある。

何か得体の知れない物が、私の舞踊に待ったをかけた。

もう一度、バリの文化・宗教・慣習を修得せよ、と言われているようだった。

私は、この日から踊ることを止めた。

その時の気持ちは、今でもうまく説明がつかない。


セナ家のオダランに一役できればと、封印を解いた。

奉納舞踊は、12月7日。

安穏な精神状態で、のぞめたらいいなと思っている。


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2016年11月23日

ルドラクシで作るビーズ(100)

ルドラクシは、シバ神の涙という意味だと言われている。

ルドラは、シヴァ神でもあるルドラ神のこと。

インドのヒンドゥー教の神々には、こういった化身がよくある。

支配星は木星。

平安な心をもたらし、すべてのチャクラに作用するらしい。

バリでとれるルドラクシは、5面。

5面のルドラクシは、パンチャ(5の意味)・ムキーと呼ばれる。

健康に貢献すると言われている。

ある文献には:

シヴァ神の祝福を受け、どの職業分野でも成功できる。

これを身につけるものは、病気とは無縁である。

特に、高血圧の患者に最適。

このルドラクシを3つ身につけることにより、十分な利益を得て富を獲得できる。

パンチャ・ムキーを身につけるとき唱えるマントラは:

「オーム・フラーム・パーンチャ・ヴァクトラシャ」

「オーム・フリーム・アーム・クシャムヨーン・スヴァーハー」

意味は:

「私たちの欲求を満たしてくださる5つの顔をお持ちの至高の主に帰依いたします」

「素晴らしい結果をもたらし、豊かさと名声への欲求を強め、守護を与えてくださり、究極的な平安へと導く幸福をお与えくださる至高の主に帰依いたします」

ルドラクシを手に持って、マントラを108回唱えます。

そのあと、そのビーズを身につける。

ここに記載するルドラクシの効果は、古典文献の記載に基づくものであり、誇張された表現が含まれている可能性があります。とあったので・・一言添えておきます。


☆☆☆


ルドラクシの実(ビーズ)で作るブレスレットについては「ルドラクシの実がなる樹(62)」で説明したが、もう少し詳細に解説することにする。

ルドラクシの実がなる樹は、バリ語でジェニトゥリ(Genitri・インドネシア語も同じ)と呼ばれ種類の菩提樹。

これと同じ種類の菩提樹の前で、釈迦が悟りを開いたと言われている。

瞑想中に、頭の上にルドラクシの実がポトポトと落ちてきたのかな。

それでも気が散らなかったから、悟れたのだろう。

インドでは、この菩提樹、なんと呼ばれているのでしょうね。

根元は、こんな感じのヒダになっています。


Rudraksh1.jpg


枝の葉は、数枚が深紅に染まり、赤い花が咲いているように見える。


Rudraksh2.jpg


地面に落ちたルドラクシの実は、さくらんぼのように小さな枝のついた青い実。

どの時期に実が落ちるのかは、定かでない。

7月に入ってから一粒も落ちてこなくなり、11月に入って少しずつ落ち始めている。

枝葉が深紅に染まり始めた頃と、時期を同じくしているのか。


Rudraksh3.jpg


ルドラクシの実を集めて、外皮を剥がす。


Rudraksha1_2.jpg


外皮の除去が、もっとも面倒な作業だ。

さまざまな方法があると思うが、私が次の方法を試した。

1)煮込む

2)苛性ソーダを入れて煮込む

3)外皮をナイフで剥いてから煮込む

4)外皮をナイフで剥いて、苛性ソーダを入れて煮込む

棒でかき回しながら、2〜3時間煮込む。

1)番の単に煮込む方法で、結果は同じだった。


ほとんど外皮は煮込みの過程で取れるが、ルドラクシ独特のシワには、まだ果肉が残っている。

これが白い線を作って、見栄えが悪い。

この白い果肉を取るのに、カルキ(プールなどを掃除する時に使われる漂白粉)に浸けてみた。

あまり効果はなかった。

歯ブラシでこすっても、ワイヤーブラシでも取れない。

最終的には、千枚通りで丹念に取り除いている。

苛性ソーダやカルキを使う方法は、止めた。

よく乾いてから穴を開ける。

乾くと、生成りの色です。

我が家のルドラクシの実は、1センチ前後の大ぶり。


Rudraksha4-1.jpg


貫通はしていないが、小枝の先に始めから穴があいているため、ドリルを通す作業は簡単。

中心が出ない実もあり、それは外しています。

以上が、ルドラクシの実(ビーズ)作りです。

そうそう、生成りのまま使うのもオシャレですが、私はココナッツ・オイルを塗っています。

オイルを塗ると、赤みを帯びた色になります。

使っていないと、油気が抜けて白くなってくるので、時々、オイルを塗って生き返らせます。


この取り立ての実以外に、数年、もしかすると数十年の間、庭に落ちていたと思われるルドラクシが見つかった。

古色の感じがいい。

虫に食われ、腐り、風雨に晒されて、すでに外皮はなくなっている。

これなら、外皮を剥くこともない。

その変りに、年月が経っているので、割れる確立が高い。

水洗いで泥を取り、水に浮く物を取り除く。

やはり、ドリルで穴を開けた時に中心が出ていない物は除ける。

中心が出ていないと、繋いでブレスレットにした時、左右不規則で一直線にならない。

このオールド・ルドラクシは、ココナッツ・オイルを塗らなくても渋い茶色で私は気に入っている。

どちらかと言うと、男好みの色かな。


実験中なのは、新しい実を土の上に置いて腐らせ、自然に外皮を取り除く方法。

これが成功すれば、外皮剥がしの煮込み行程が省かれるし、薪の消費がなくなる。

なおかつ、古色風味のオールド・ルドラクシが見込まれるというわけだ。

どのくらいの期間、寝かせておくかが問題だ。

完成するのは、まだまだ先の話になりそうです。



posted by ito-san at 16:34| 愛知 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

nessa warung・こんなワルンがお気に入り(99)

私は、ビザの申請を代理業者に任せている。

書き換えが12月に迫ったので、昨日(17日)パスポートを届けにデンパサールに行った。

待ち合わせ場所は、イミグレーション・オフィス。

代理業者にパスポートを渡して、その足で「マタハリ・デパート」へ向かった。

「マタハリ・デパート」に来たのは、10年ぶりの以上だろう。

以前、待ち合わせ場所が「マタハリ・デパート」の入口だったことがある。

時間は、午前11時。

店内を軽く一周する。

通路部分が、狭くなっていた。

ズボンを買おうかと値札を覗くと、日本円で六千円から1万円していた。

眼鏡をかけていなかったので間違いかもしれないが、高くない?。

私の生活水準では、買えない値段だ。

地下街に下りて、フードコートで朝食。

別段、お腹がすいているわけでもないが、久しぶりのデンパサールなので、ちょっと寛いでみようと思ったわけだ。

Free WiFIを使ってネットを繋ぐ。

ドリップ・コーヒーの味に期待を大きく裏切られ、居心地が悪くなる。

ウブドに帰らなくっちゃ。


気を取り直して、最近見つけたウブドのお気に入りのワルンを紹介します。

ゴータマ通りは、レストラン街としてツーリストに人気のオシャレエリアだ。

ワルン・ビアビアがオープンした2001年には、裏道の格安ワルン通りだった。

15年が経ち、200メートルほどの通りの左右はすべて店舗で埋め尽くされた。

デヴィシータ通りを渡った南側の道にまで、店舗が増え始め、いつのまにか通りの名前が「ゴータマ・スラタン(南)通り」と呼ばれるようになった。

参考までに、1990年のゴータマ南通りの入口の写真を添付しました。

湿気の多いウブドでは、写真の保存も気を配らないと、こんな結果になるという証拠の一枚。


ゴータマ通り2.jpg


私は、10メートルほど入った右手にある中華の「ワルン・ケレウー」の常連だ。

ウブド・ワルン・リスト(Warung List in Ubud)ゴータマ通りを御覧下さい。

ここでは、餃子とフーヨンハイが定番。

ゴータマ南通りは、L字道路を突きあたって左手・東に進み、ハヌマン通りまでの約200メートルの通り。

ハヌマン通り側からの入口は、入るのをためらうほど鬱蒼とした竹やぶが奥にあった。


ゴータマ通り南.jpg


バイクが脇道として利用する程度の通りは、「タクス・スパ」がオープンした頃から出店が増え始めた。

ベジタリアン・レストランの「Down to Earth」も集客力を持っている店だ。

雑貨やコスメの店も並び、人通りが賑やかになってきた。

L字の右手「タクス・スパ」の隣りが、老舗ホームステイ「スリ・ナディ(Sari Nadi)」。

「スリ・ナディ・ホームステイ」の屋敷前にオープンしたのが、紹介したい「ネサ・ワルン=nessa warung」。

「ネサ・ワルン」は、「スリ・ナディ」の家族が経営。


nessa_warung.jpg


人通りが多くなったのを契機にしての開店だろう。

小さな店舗と、外壁に沿って作られた素朴なテラス席がある。

枝木作りの垣根が新鮮。

ロンボク島北西に並ぶ3つの島・トラワンガン、アイル、メノに開発前にあったワルンに似ている。

好感の持てる、私好みのワルンだ。

値段は、安めに設定したツーリスト向け。

是非一度、ご訪問ください。


★メニュー:インドネシア中華

★食事:ナシゴレン(ベジタリアン)Rp20,000-(アヤム)Rp25,000-/ミーゴレン(ベジタリアン)Rp20,000-(アヤム)Rp25,000-/ナシチャンプール&チキンカレーRp25,000-/

★飲物:コピ・バリ&紅茶Rp10,000-/ジュース各種Rp15,000-/ビンタン・ビール大Rp35,000-小25,000-/

★営業時間:9.00am〜11.00pm / 定休日:儀礼祭礼日/




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2016年11月09日

ままならない家庭菜園(98)

焼き芋のリベンジは、大成功だった。

落ちだ枝を薪にして、おき火を用意した。

落ち葉を燃やして、1時間ゆっくり焼いた。

ホカホカで、柔らかくて美味しい焼き芋ができた。

焼き芋作りは、私におまかせください。


残念なことに、家庭菜園は伸び悩んでいる。

キュウリは、2つ収穫したあとから、枯れてしまった。

オクラは、ひとつ実がついたあとから、成長していない。

ナスも同様、成長を止めている。

キュウリの足下を掘り起こすと、蛆が発生していた。

枯れた原因は、蛆だろうか。

農薬を使いたくないので、このままの方法でいくしかない。


本格的な雨季に突入した模様で、このところ豪雨のスコールに見舞われることが多い。

家庭菜園の今後が思いやられる。

天候に左右されるので、あきらめはつく。

自然が相手だから、私の無能を棚の上にあげられる。

命がかかっているわけじゃないので、困ってはいない。

実がなれば、完成。

楽しみに待っていよう。






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2016年11月07日

生け贄となる犬(97)

2、3日前から、我がセナ家に、子犬が飼われた。

写真を撮ろうとしていた私を見つけて、

「パケッ・ウパチャラ=儀礼に使う」と、イブが声を掛けてきた。

予想はしていた。

子犬は、来月執り行われるセナ家の寺院祭礼の生け贄になるのだ。

私は、カメラをしまった。

そんな子犬を写真に撮るのは、心苦しい。

可愛がると情が移ってしまうので、無視することにした。

生け贄になる犬の写真を、動物愛護の団体が見つけたらどうなるだろう。

バリ人の信仰するヒンドゥー教を批判をするだろうか。


セナ家には、2匹の犬がいる。


anjin1.jpg

anjin2.jpg


番犬として飼われているのだろう。

近頃、ペットとして犬を飼うバリ人も増えている。

生け贄ー番犬ーペット。

同じ犬だが、意味合いが違う。

バリ人は、どんな感情で対応しているのだろうか。

私は、べべ(バリ語はイテッ=あひる)や鶏は気にならないのだが、犬だと少し心が痛む。

バリ人は、日本人と感情に似ている点が多い。

しかし、彼らは生け贄の犬に、心が傷むことはないのだろうか。

生け贄は、人間の身代わりとなる。

重要な儀礼のひとつだ。

ズレは、彼らの宗教観からくるのだろう。

私が理解が出来ない、バリ人の感情のひとつだ。

バリ人気質の探求は、まだまだ続く。


ついでに、極楽通信・34「バリの犬(Anjing)」もお読みください。


posted by ito-san at 17:47| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

テガラランのライステラス(96)

ウブドから最も近いところにあるライステラスは、通称「テガラランのライステラス」と呼ばれている。

正式名は「チュキン・テラス」。

渓谷の両側に、箱庭のような景色が広がる人気の観光名所。

もっとも美しい眺望が、チュキン村側から見られる。

沿道には、レストランと土産物店が軒を連ね、毎日、大勢の観光客が訪れる。

最近、畦道を下りて向こう側まで行けるようになったとの情報を聞いた。


知人親子が日本から訪ねてきていたので、数年ぶりに案内することにした。

畦道は、無惨にも踏み荒らされて土を露出させていた。

遠目に見るから美しいのに、何故に下りて行くのだろう。

今後、もっと荒らされてしまえば、観光名所としての価値がなくなってしまうのではないかと心配だ。


極楽通信・49「ウブドのライステラス(Ceking Terrace)」に詳しい道順を説明してあります。

是非、お読みください。






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2016年11月03日

椰子の葉を編んで作るネット(95)

家主宅の家寺の寺院祭礼(オダラン)が一ヶ月後に迫った。

正式には12月7日。

ウク暦の24週目・Prangbakat Rabu (Buda) Umanis。

今回は、数十年に一度行われる大規模な儀礼のようだ。

準備のため、毎日、村人が手伝いに訪れ、邸内は慌ただしくなった。

おびただしい数の供物が用意されるのか、各種供物台が作られ、供物のための下準備が整ってていく。


供物台1.jpg

供物2.jpg

供物3.jpg


この日は、椰子の葉を編んで作るネットを勉強した。

実は、見ているだけですが。

ネットの名称をクラバン(=kelabang)と言う。


kelabang3.jpg


大きな葉は、屋根に拭かれたり、編んで壁や日除け使われる。

ジャコー椰子(シュロ椰子)の葉は、長さ3メートル、幅1メートルはある。

オジイさんの熟練の技を御覧下さい。



極楽通信:16「椰子の木はスーパーマン」も読んでね。


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2016年10月30日

第79回:ウブド・本の交換会 @ ティー・ルーム終了

初参加の会場「ティー・ルーム」での「ウブド・本の交換会」は、今までにない盛況のうちに無事終了しました。

オーナーmikiさんの、声かけの努力と人脈の多い人柄が成し遂げた結果だろう。

古着の出店が多かったからか、ローカルの若いお嬢様がたくさん押し掛けていました。

賑やかなことは良いことだ。





店主から、お礼の一言がありましたので掲載します。

『大変、心配な天候でしたが、風の心地よい日となりました。

たくさんの出会いや発見のある楽しい1日♪

フリマに協力出店を頂いたみなさま、本の交換にいらしてくれたみなさま、本当にありがとうございました。

次回も楽しい1日となるよう。

ご意見、ご希望などありましたらメールくださいませ。』


次回の第80回は11月、「和るん・あんかさ」での開催となります。

フェイスブック「ウブド・本の交換会」コミュニティーに、随時情報をアップしています。
https://www.facebook.com/honkoukankai/

皆様のお越しを、心からお待ちしております。


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2016年10月21日

ウブドで焼き芋に挑戦(93)

裏庭の落ち葉焚きは、私の専門職となった。

私が滞在し始めた当時のセナ家の裏は、雑木林だった。

運動不足解消のために始めた、雑木林の掃除。

途中から、デング熱などの蚊の発生、毒蛇の棲息を防ぐためにもなると思い始めた。

ブッシュを切り開くと、雑木林は見とうしのきく小さな林に変身した。

私は、小さな林を裏庭と呼んでいる。

将来、ここにハンモックを吊って昼寝をむさぼるつもりでいる。

裏庭の奥は畑、その向こうに竹林がある、竹林の下は渓谷だ。

陽射しが少し柔らかくなった午後4時頃、私は裏庭に行く。

ゴム長靴をはいて、手に「エース」で買った熊手とルドラクシ(※ルドラークシャ)を入れるザルを持って。

※ルドラークシャ:今後は、インド人の発音するルドラクシと明記する。

適当な位置にザルを置き、熊手でせっせと落ち葉を集める。

今月(10月)に入ってから、ルドラクシの青い実が落ち始めた。

3ヶ月周期か。

落ち葉を集めながらルドラクシの実を拾い、ザルに投げ込む。

蚊よけのために、落ち葉に火をつける。

日本では、焚き火も自由にできなくなったと聞く。

ここでは、大好きな焚き火が気兼ねなく楽しめる。

ふっと、焼き芋の匂いがした。

気のせいだ。

食べたくなったので、想像したのだろう。


夜の「和食・影武者」で、女将に「仕入れの時に、サツマイモも買って来て」とお願いした。

翌日、火がよく通るからと、小振りのサツマイモが届いた。

サツマイモ(インドネシア語でクテラ=Ketela。ubiという呼び方もあるようだ)7つ・Rp14,600-。

バリ語で、セロ=Sela。

(※山芋=ubi rambat&ketela・サツマイモ=ketela&ubi jalar・ジャガイモ=kentang)

セナ家の敷地内にあるアトリエ・スタッフのオヤツと考えていたので、ジャストの数だ。


20日、焼き芋作り本番の日を迎えた。

昨夜のうちに洗っておいた芋を、「影武者」でわけてもらったアルミホイルで包む。


Ketela1.jpg


地面にサツマイモを七つ並べた。

これがあとで問題になる。


Ketela2.jpg


何年ぶりの焼き芋作りだろう。

まったく覚えていない。

幼少期以来かもしれない。幼少期

食べること専門で、作っているところを見たことがない。

全責任を持って、焼き芋を管理した体験はない。

未経験の領域。

焼き上がりは、20分〜30分だろうと決めた。

大雑把だな。

落ち葉を集め、サツマイモの上にかぶせる。

火をつける。

落ち葉が、勢いよく燃え始める。

次から次へと、落ち葉をかぶせていく。

思ったより20分は長く、落ち葉のほとんどを使い果たした。

アルミホイルに包まれたサツマイモを一つ取り出して、爪楊枝を刺してみる。

途中から、少し固くなる。

真ん中まで、火が通っていないのかもしれない。

おき火の状態で、もうしばらく焼くことにした。

待つ間、畑に水をまいたり、雑草を鍬で起こした。

アトリエのスタッフが帰宅してしまった。

彼らには、またの機会ということにしてもらおう。

灰に包まれたアルミホイルを取り出す。

熱々のアルミホイルを剥がすと、ふっくらと焼き上がった芋が出てきた。

美味しいじゃないですか!

芋は生でも齧られる(私だけかもしれないが)。

火を通して不味いはずがない。

片面が少し固いのは、地面についていた側だろう。

初めに、おき火を作っておいて、その上にサツマイモをのせれば、こんなことはなかったはずだ。

途中で、位置を変えるのもよいかもしれない。

「正しい焼き芋の作り方」は、残り火でじっくり焼く、だと思う。

開眼だ。

セナ家の食卓に、2つ置いて来た。

夜の影武者に、1つ持っていくことにした。


ネットで調べたら、落ち葉だけではダメで、薪を用意する必要があった。

最初に小枝と落ち葉を燃やしておき火を用意し、その上にサツマイモを置き、落ち葉や薪をかぶせる。

おき火で、1時間ほどじっくり焼くのが「正しい焼き芋の作り方」のようだ。

存知の方には読むに価しない話ですが、知らない者にとっては楽しい新しい発見なんですよ。

数日後に、リベンジをするつもりだ。


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2016年10月16日

家庭菜園に奮闘中(92)

せっかく新芽が出て来たのに、鶏&イテッ(べべ=あひる)に食べられた。

豪雨で畝が流される。

散々の家庭菜園です。

種から始めているので、どんな新芽が出て来るかわからない。

雑草と若芽の見分けがつかないので、取りあえず大きくなるまで待つことにしている。

茎が真っすぐ育つのか、つる状になるのかも知らない。

どんな形状で成長するのかわからにので、これも取りあえず、添え木をしている。

成育を助けるために竹の補助棒を立てたら、トルニャン村の風葬場のようになってしまった。

※トルニャン村はバトゥール湖畔にある、古からの風習が残るバリ・アガと呼ばれる村。

風葬場には、竹で囲われた中に遺体が寝かされている。

風葬場.jpg


一本の茎しか成長できなかったキュウリ。

実がひつとつきました。

「収穫は、トゲが取れてから」とイブから聞いていた。

かなり大きくなったので、収穫した。

「黄色く色好き始めてからでは、遅い」イブからチェックが入る。

トゲは自然に取れるのではないようだ。

指でこすると、トゲは簡単に取れた。

初収穫を皆に祝ってもらおうと「和食・影武者」に持って行った。

女将・由美さんのお陰で、美味しい料理に変身。

収穫が遅かったので、皮が固かったようだ。

生まれて初めて自分で育てた野菜。

チョット苦く感じたが、それでも十分に美味しかった。


キュウリ.jpg



12日、先週に続いて2本目を収穫。

小指ほどの小さな実ができたなと思ったら、あっという間に大きくなっていた。

2本目は、影武者に持って行かず、乱切りにして食べた。

菜園主任のBさんが、この頃、顔を出さないので、勝手に取って食べちゃった(ゴメン)。

塩もマヨネーズも何も持っていないので、そのままカジッタ。

瑞々しく、おいしかったよ。

希望は、スティックにして丸かじり。

次回はステュックにして、マヨネーズをつけよう。

それとも、スライスしてし塩もみにしようか。


オクラの実が、確認できるほど育っている。

上向きに尖って成長するのを知った。


オクラjpg


茄子もピーマンも、順調に育ってきているようだ。

ピーマンだと思っているが、もしかするとパパイアかもしれない。

流された畝から、人参が芽を出すのを待っている。

次は、レタスに挑戦。

カマドの灰を蒔いたレタス用の畑が、さっそく雨で流されていた。

ゴム長靴もミニスーパー・マッサーズで見つけたし、園芸用ミニスコップも買った。

出来れば裸足で動き回りたいのだが、私の軟弱な足はそれを許さない。

少しは勉強して、立派に野菜を育てようとデヴィ・スリに誓った。

デヴィ・スリは、田んぼや稲の女神。

バリの大地は、ヒンドゥーの神デヴィ・スリが管理している。


ガアガア・・。

窓の向こうから、数匹のイテッの声が聞こえる。

覗いて見ると、植木鉢の若菜が消えていた。

芽が出るまでは、植木鉢に籠をかぶせて、鶏&イテッ対策は怠りなかった。

太陽に当て、雨の日は軒下に移動させた。

今日、畑に植え替える予定だった。

9苗が育っていたので、縦横3列3列で植えられる畑をおこしてある。

昨日は、雨に流されないように周囲も固め、準備も終わっていた。

断水のため、植え替えを断念した。

数週間かけて育てたレタス。

何故今!というタイミングで、イテッの群団はついばんで行った。

10匹のイテッは、美味しく食べたことだろう。

数週間の努力は、一瞬のうちに水泡と化した。

一瞬は、数秒だったろう。

以外と腹は立たなかった。

守るべき努力が不足していた私が悪いのだ。

所詮、この程度の打込み方だったというわけだ。

身体を張って、守るほどのことではない。

この場合、若菜を守るのか、イテッを守るのかも理解できないでいる。


私のこれまでの人生で、命がけで何かを守ったことはあったか?

Nathing!

自分を守ることで手一杯だった。

きっと、余裕がないのだろう。

まわりを見渡せる、心の余裕を持ちたい。

ふっ、とこんなことを考えていた。


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2016年10月13日

貝殻パーツのアクセサリー(91)

9月末、友人の用事に便乗させてもらい、バリ南部クタ地区まで出かけた。

目的は、ルドラクシを使ったアクセサリーを作るためのパーツ探し。

何年ぶりのクタ遠征。

アクセサリー・パーツの店「トコ・セントラル」が、品揃いが豊富ということで行ってみた。

道路が様変わりしていて、どこを走っているわからない。

店の前に降り立って、思い出した。

以前、ウブドでアクセサリーを作っていた知人と何度もバイクで来ていた店だった。

ショーケースにズラリと並べられたパーツに、さっそく尻込み。

自分で選ぶのは初めて。

こんなにたくさんの中から、これから使うだろうと思われるパーツを探すのは大変だ。

すでにウンザリしている。

アイディアが、浮かばない。

針金を曲げてアクササリーを作っていたのは、45年以上も前。

リサイクルと手作りの「人畜無害」と言う名の店を開いて、ヒッピー風な生活をしていた頃。

昔取った杵柄は、まだ大丈夫だろうと思っていたが、まったく使い物にならなかった。

ダメだ、ダメだ、ダメだ。

オジイになった私に、女性向けのオシャレなアクセサリーは作れない。

好きな人にとっては、宝庫。

次から次へと、アイディアが湧いて来るのだろうな。

自信をなくしている。

取りあえず、ブレスレットでも作ってみようか、と思い立った。

思い立っても、具体的にイメージができない。

可愛い貝殻が眼に入った。

ほとんど衝動買い。

貝殻のパーツ2種類と金具を購入。

穴が一つしか空いていない貝殻は、使い勝手が難しそう。

使い道は、これから考えるとしよう。


貝殻1.jpg

貝殻2.jpg


流木オブジェに、ひとつ付けてみた。


lost-article.jpg


苦肉の策で、こんなストラップを作ってみた。

センスが、まったく感じられない。


ストラップ.jpg


ブレスレットの新作。

こんな野暮ったいデザインでは、売れないだろう。


ブレスレット.jpg


モビールにも使ってみた。

これに関しては、チョットばかし満足している。


mobile10.jpg

mobile11.jpg

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mobile13.jpg

mobile14.jpg


こんな微々たる使い方では、使いきれないだろう。

いつまでも残っていると気が重い。

知人に、もらってもらおう。

次回は、イメージを具体的にしてからパーツを探すことにしよう。


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2016年10月08日

第79回:ウブド・本の交換会 @ ティー・ルーム(90)

月一回の開催となった「ウブド・本の交換会」。

今回(10月)で79回を迎えます。

会場は、新たに加わった「Tティー・ルーム」が初お目通り。

ウブド南部テガス村からギャニアール方面に向かうゴアガジャ大通り沿い。

「チェディ・クラブ・アット・タナ・ガジャ」の手前。

田んぼビューが望める「ティー・ルーム」で、ウブド名物にもなっている「ウブド・本の交換会」をお楽しみください。

★日時:10月26日(水)・13.00pm〜15.00pm

★TEL:0856-3722-888


tea-room13.jpg


私の「ティー・ルーム」感想。

窓の向こうには、田んぼビュー。

田んぼの向こうに、椰子の樹が連なる。

その後ろに、霊山アグンと霊峰バトゥカルのパノラマが広がる。

自然が放つエネルギーは、心にリズムを響かせる。

食事は、オムライス。(これが、美味しい〜!)

飲物は、コピ・バリ。

★営業時間:10.30am〜17.30pm(定休日・日曜日&儀礼祭礼日)


「Tea Room」の全貌を動画で御覧下さい。






バザー&フリーマーケットも同時開催。

今回は,沢山の出品が予定されている。

フリマは婦人、紳士、女子子供服、ヨガウェアの中古品を中心にバッグやアクセサリー、お皿、etc。

有名店のアウトレットは見逃せませんよ。

バザーは出汁巻き,おでんなどお惣菜、パン、デザート系が予定。

ティールームからは、特別メニューとしてベジカレー、カツカレーが提供されます。

体の滞り部分をオーリングで見つけ、施術し整えるクイック・オーリング整体(15分 Rp.50,000)も開催予定です。

などなどなど、もりたくさ〜ん。

ツーリストの方々のお越しを、お待ちしています。

本を持って来てくれると嬉しいで〜す。


初の開催で、何かとご迷惑をかけることがあると思いますが、それも「バリ」と言うことでお許しください。

フェイスブック「ウブド・本の交換会」コミュニティーに、随時情報をアップしています。

https://www.facebook.com/honkoukankai/

第80回目は、11月に「和るん・あんかさ」での開催となります。

皆様のお越しを、心からお待ちしております。


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2016年10月05日

あんかさ自家焙煎コーヒー豆、日本へ発送します!(89)

ウブドに住むふるくからの友人「コテツ君」が、念願のコーヒー焙煎機を購入した。

日夜、熱心な研究の結果、自身が納得できる自家焙煎によるコーヒー豆が仕上がった。

そして、この度「日本のあんかさコーヒー愛好家の皆様」に、朗報を持って登場しました。

オリジナルのコーヒー豆を、日本に発送できるようになったのです。

あんかさからのプロモーション・メッセージを下記に掲載します。


angkasa.jpg



あんかさコーヒー豆、日本へ発送します!

バリ島キンタマーニ産コーヒーの質が良くて、なかなかウブドに来られない方にもお試し頂きたいと思い、あんかさ自家焙煎コーヒー豆、日本へ発送します!を始めます。

ご注文はメールにて承ります。

代金・送料は日本の口座へ振り込んで頂き、入金を確認後、ウブドの郵便局からEMSにて発送致します。

日本へは、通常5〜7日程で届きます。

あんかさコーヒー豆とは、焙煎機「マデさん」で自家焙煎した、厳選バリ島産コーヒーです。

色は正確ではありませんが、これは浅めの焙煎です。

浅煎りから深煎りまで、違った特徴を出せるのが、素質が良く力強い、良い豆の証だと思っております。

現在、3種類のオリジナルブレンドを店頭にて販売していますが、それを、ウブドの郵便局からEMSで日本の皆様へ送ります。

まずは、ブレンドの紹介です。


「あんかさブレンド」


angkasa_blend.jpg


深めの焙煎で、,まずはお試し頂きたいブレンドです。

店名を冠したブレンド、苦めのコーヒーです。


「バリ アグン ブレンド」


bali_agung.jpg


世界的に浅めの焙煎がトレンドかな、と思いますが、エスプレッソでもお試し頂きたいブレンドです。

浅煎りでも、時間をかけて豆の水分を飛ばすので、エグ味が出ず、後からすっきりした酸味が味わえると思います。


「アイスブレンド」


ice_blend.jpg


豆に油が浮くまで深く煎ります。

インドネシアのコーヒーを言えば、持ち味は、苦みとコクが持ち味のマンデリンが好みでした。

それをイメージしたこのブレンドは、氷が溶けてちょうど良い位、濃く感じるかもしれません。

僕はホットでいくのも好きです。


以上、3種類のブレンドですが,いずれも100gパックでRp38000-。

現在のレートでは約300円です。

豆か粉を選べますが,エスプレッソ用の細挽きは出来ません。

日本への発送は計5パック以上で承ります。

メールでのご注文方法ですが、info@angkasa-bali.com宛にお願い致します。

件名を「あんかさコーヒー豆希望」など、日本語で、キーワードとして「あんかさコーヒー豆」を入れて頂けると助かります。

本文には,例えば「あんかさブレンド5パック豆のまま」や、「バリアグンブレンド3パック,アイスブレンド2パック、全部粉で」など、ブレンド名、個数、豆か粉を指定していただければOKです。

メール受信後、確認のメールを返信致しますので、その時、お届け先の情報などいただきます。

代金・送料は、ご注文確定後のレートで日本円に換算し、北洋銀行にお振り込み頂きます。

振込手数料が必要な場合はご負担願います。

現在のESM料金ですが、梱包後の重量が500〜1000g(5〜9パック)で約2,700円、1000〜1500g(10〜14パック)で約3,300円程です。

誠意を持って発送させて頂きますので、クレーム,返品は無しでお願いします(笑)。


■「和るん・あんかさ」(モンキーフォレスト通り)

■TEL:0361-7462278

■E:mail:info@angkasa-bali.com

■Blog:http://angkasa.seesaa.net

■Web:http://angkasa-bali.com


皆様、ドシドシご注文ください。

プロモーション協力者・伊藤博史


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2016年09月29日

ウブドっぽい店・Made Mako(88)

まだ残っていた。

ガラクタをひっくり返したような、こんな店。

こんなの好きだな。


ウブド大通りからタマン村スリ・ウェダリ通りを、20メートルほど入った左手。

道路にまで、レンタル自転車がはみだしている。

観光案内の各種看板が掲げられているところをみると、観光案内所のようだ。

「アパ?情報センター」の商売がたきだ。

観光案内所には「Made Mako」の看板有り。

店舗のほうには「family sgop Wax's」とある。

店内には、壁一面に掛けられた絵画。

「ハヌマン・アートスペース」のイワン君と同じ匂いのする絵が置いてある。
ハヌマン・アートスペースのオープン(67)

ギャラリーのように見えるが、雑貨も混じって足の踏み場もない。


made_mako4.jpg


「ユニークでしょう?」

後ろから声を掛けられた。

スリ・ウェダリ通りで、よく見かけるお兄ちゃんだ。

いつも欧米人ツーリストに話しかけている。

あれは、観光案内所の仕事だろう。

ガイドもやっているようだ。

彼の名前が「Made Mako」。

マコ? 女性ぽい名前だ。

風貌のワイルドさから、マコは想像できない。

自分の店をユニークだと思っている。

自分で「ユニーク」だと言う奴と、自分のことを「変わり者」だと言う奴は信用しないことにしている。


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「昨日、チャンプアン橋の下の川から、この石を拾って来た」

道端に置いてある石彫は、彼の作品だ。

絵も彼の作品だと言う。

バイクのヘルメットにも、絵を描いている。


made_mako5.jpg


確かに、ユニークだ。

シラケルから、自分で評価するな。

「変わり者」のオーラを発するお兄ちゃんだった。





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2016年09月26日

バリ島物語・コミック版が出版(87)


sasouakira.jpg


漫画家・さそうあきら氏によって、名作「バリ島物語」(ヴィキイ・バウム/訳者:金窪勝郎)がコミック化された。

双葉社より2016年8月27日に、第一巻が出版。

(アパ?情報センターバリ関係・推薦本コミック・バリ島物語

コミック版を読んだあと、久しぶりに、日本語訳を読み返してみた。

バリ島民が今も変わらず、「バリ島物語」にあるようなキャラクターなのが微笑ましかった。

風習やバリ人気質の情景が事細かに織り込まれていて、読み応えがある。

(アパ?情報センターバリ関係・推薦本小説・バリ島物語


さそうあきら氏から、「ププタン・バドゥン」の口実となった、サヌール沖に難破した船の石碑があると聞いて出かけた。

オランダ軍に立ち向かう、バドゥン王家の「死の行進」をププタン・バドゥンと言う。

1904年、バドゥン王家のププタン=Puputan(死の行進)は、バリ島の歴史上で有名な話だ。

場所は、マタハリ・トゥルビッ海岸(Pantai Matahari Terbit)と呼ばれている地域だった。

ウブドから向かうと、サヌール交差点手前左手の大きな石像が入口の目印。

Pantai Matahari Terbit 石像.jpg


レンボンガン島、ペニダ島への定期船発着所の海岸より、海に向かって左手の北へ200メートルほど行ったところ。

「インナ・ウランド・バリ・ビーチ」「ル・メイヨール博物館」とは、反対方向になる。

散骨が許される海岸のかたわらに、難破船の記録とププタン・バドゥンの二つの石碑が建っていた。

Pantai Matahari Terbit 1jpg

Pantai Matahari Terbit 石碑.jpg


碑文には、こう書かれていた。

『サヌール海岸に取り残されたスリ・クマラ号。

1904年5月27日、この場所にバンジャルマシンから出航したオランダ領東インドの旗を付けた、中国商人・郭 得昌(クエン・チク・チャン)所有の貿易船スリ・クマラ号が座礁。

バドゥンの住民により略奪をこうむる。

これは906年9月20日、ププタン・バドゥンとして知られるオランダ領東インドから攻撃受ける口実となった。


もうひとつ石碑があった。

それは、こう書かれていた。

『ビーチサヌールに上陸オランダ軍

この場所は、rost van toningen率いるオランダ領東インド軍が1906年9月14日に上陸した地点。

16隻の艦隊には、大砲が搭載されていた。

軍人2312名と民間人741人のからなる3053人の遠征隊。

激戦の結果、オランダは1906年9月20日にクシマン王宮、デンパサール王宮、プムチュタン王宮を占有した。

3つの王宮の陥落は、バリ王国のすべてがオランダ領東インドの支配下に落ち着いたことを意味する。

インドネシアの独立共和国の後、地元政府は9月20日をププタン・バドゥンとして設定した。』


こんな感じで理解しました。

原文は、動画でチェックしてください。




「バリ島物語」は、110年以上も前の物語だが、今も残っているバリ人の気質と彼ら危惧している現実は今も変わっていない。

近頃、バリ人がよく口にすると似た内容の箇所があったのでメモしておいた。

『この土地を外国人に、やったり売ったりすることはできない。

彼らは我々の神々を知らないし、人間が守らねばならぬ約束をもわかっていないだろう。

寺院は破壊され、そうなれば神々は我々の島を見捨ててしまうだろう。

サトウキビだって、我々の農夫が食べ物を甘くして子供たちを喜ばせるために植えている程度を超えて、全島をサトウキビだらけにしてしまうだろう。

そしてそれを、大きな建物の中で煮つめて砂糖にするだろう。

そのため村中は、その悪臭でいっぱいになるだろう。

そして砂糖は大きな汽船にのせられ、金に換えるために運ばれる。

みっともない樹を植えて、ゴムを採取するだろう。

彼らは水田を荒廃させ、美しい椰子や果樹を切り倒して、空地を作り町を建てるだろう。』

・・・・中略・・・・

『闘鶏や祭りや音楽や踊りを楽しむ余裕を奪ってしまうだろう。

女たちは、娼妓のように胸をおおわせられ、誰ももう髪に花を挿さず、供物を寺院に持って行く者もなくらるだろう。

心からの歓びをむしり取ってしまうだろう。

そして忍耐と寛容と優雅との美しい性質をもぎとってしまい、意地の悪い、不親切な、不平に満ちた人間になってしまう。』


漫画家・さそうあきら氏のコミック版・第二巻が待ちどうしい。

コミックを読んで、バリ島に興味を持ってくれる人が増えるといいな。


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2016年09月22日

BENAR(正しい)& SALAH(間違い)(86)

昼過ぎに起床。

外は、カンカン照りのバリ陽気。

今日(21日)の予定は、ゼロ。

まったく、することが浮かばない。

こんな日は、どこにも出かけず部屋で本でも読んでいるに限る。

お腹は空いていないが、取りあえず昼食にしよう。

トゥブサヨ村の「ワルン・サリ・ラサ」で、ナシゴレン。

ここのナシゴレンは、腹痛でも、空腹でなくても食べられる。

ナシゴレンを食べたら、元気がでてきた。

ジリジリと肌を刺すような太陽の陽射し。

よし、今から流木拾いにでかけよう。

日射病になりそうな暑さの中を、なぜか出かける気になっていた。


途中のトゥンクラ村に入って思い出した。

数日前、「和食・影武者」で、SATORUさんから、聞いていた情報。

http://furuyasatoru.com・HAPPY UBUD DAYSの悟さんです)

トゥンクラ村のプセ&デザ寺院入口前に、掲げられた看板のことだ。

看板は、寺院に入る正装についての注意書き。

「BENAR(正しい) 、SALAH(間違い)」が、写真で説明されていると言う。

ウブドのプセ寺院の看板は「 DRESS WITH RESPECT!!、FULL ADAT ONLY!! 」と英語で外国人ツーリスト
に注意を呼びかけている。

英語訳できないけど、きっと「厳粛な伝統衣装の正装で!」と呼びかけているのだろう。

FULL_ADAT_ONLY.jpg

トゥンクラ村の寺院に、ツーリストが参拝することはあまりない。

BENAR、SALAHは、インドネシア語。

悟さんは、地元の人に呼びかける注意だろうと言う。

大テーブルで情報を聞いた常連客は、看板を見ていないが、口々にかってな意見を飛ばす。

「地元のバリ人に、注意を促す必要はないだろう」

彼らは、すでに正装については心得ていると言う考え方だ。

「それに、バリ人に対するならバリ語で書くのではないか」

「バリ人でないとすれば、他の島から来るインドネシア人を対象としているのでは」

どちらにしても、不可解な情報であった。

「次回、写真を撮って持ってきます」の悟さんの発言で、この晩はお開きになった。


寺院へ行く場合の正装についての注意事項。

女性の場合、上半身には袖付きのクバヤ(ブラウス)、下半身にはカマン(腰布)を着け、腰にはスレンダン(帯)を巻くのが一般的です。

髪の長い方はまとめます(既婚女性はサングル付けたりと、まとめ方があります)。

色使いは特に決まった決まりはないようですが、生地・デザインとともに流行があります。

男性は、上半身には袖つきのサファリ(シャツ・ジャケット)を着て、下半身にはカマンを巻いた上にサプッ(腰巻き)を巻いてからスレンダンで締めます。

頭には、ウダンと呼ばれるはち巻をします。

色使いはサファリとウダンを白(または白系の色)にし、サプッを黄色あるいは白にします。

寺院に行く際は、事前にシャワーを浴びるなどして体をきれいにした後で正装しましょう。

境内でのカメラのフラッシュ撮影は禁止。

祭司やご神体より高いところにあがらない。

生理中、出産後間もない方、近親が亡くなって間もない方、けがで出血をしている方、飲酒している方は残念ながら、寺院に入れません。

以上を守れば、気持ちよく参加できるはず。

ルールを守れば、地元の人々もこころよく受け入れてくれます。

・・・とはいっても、必要以上にドキドキしなくても大丈夫。

わからないときには周りの人たちをよく見て、行動を。

これは、アパ?情報センターのホームページ・オダラン情報に記載されているものです。


そして、私は見ました。

大きな赤いバッテンのついた「SALAH」の看板。

これは、バリ人に対しての注意書きだ。

悟さんは、正しかった。

benar.jpg

女性の正装については、毎年のように流行があり、クバヤの色・デザイン、カマンの巻き方にも工夫が見られます。

結婚式などのお祝い事の儀礼なら許される正装も、いざ寺院となると厳格になる。

では、何が SALAH(間違い)か。

▲長い髪をまとめていない(女性)。

▲女性の短い袖、男性のベスト。肌を見せないのが基本です。

▲カマンがだらしない(男性)。

▲女性の場合、カマン(腰布)の合わせ目から、足首より上の生足がのぞくのはアウトです。

カマンのように巻かないタイトスカートタイプの便利でオシャレなサロンが流行しています、これも、スリットからおみ足が見えるのが SALAHのようです。

都会なら許されそうな正装も、トゥンクラ村の田舎ではまだまだ市民権を得られないのかもしれませんね。


プルナモ(Purnama)海岸、炎天下の流木拾いは、収穫ありでした。

さてさて、何を作ろうかな?



posted by ito-san at 14:38| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

ウブドの変則十字路の意味(85)

ウブドの道路には、変則十字路、T字路、S字カーブが多い。

Jl.rayaubud2008.jpg
サレン王宮の変則十字路(撮影:2008年)

ハヌマン通りのT字路.jpg
ハヌマン通りとウブド大通りとのT字路


Cat Cafe Ubud7.jpg
プンゴセカン通りのS字カーブ


何故だろうか?

それは、バリ人の風俗習慣に関係する。

彼らは、悪霊は真っすぐにしか進めなくて行き止りがあると右往左往する、と考えている。

だから辻には、必ず、悪霊を鎮めるため祠が建っている。

深夜、辻々に、犬がたむろするのは、そこに何らかの霊的パワーがあるからだろう。

屋敷の門をくぐってすぐ正面にある、背の低い壁も悪霊除けだ。

悪霊除けの低い壁は、アリン・アリン(=aling_aling)と呼ばれる(丁寧語も普通語も同じ)。

各家々で、工夫を凝らして作られている。

作られていない家もあるようなので、必須ではないようだ。

aling_aling1.jpg

aling_aling2.jpg
悪霊除けの壁・アリンアリン

壁にぶつかって、引き返す悪霊も罪がない。

悪霊がはびこっていると考えるところがバリらしい。

沖縄にも、そんな魔除けの壁があると聞いている。

インドネシア語の「チャンプール」は、沖縄の「チャンプル」と同義語らしい。

もしかして、ルーツが同じかも。


バリ人の住む地域の道路は、ほとんどが変則十字路、T字路、S字カーブの構造になっている。

村々では、村はずれの結界だと思われる場所がそうなっている。

たいてい、そこには寺院がある。

pura2016.jpg
S字カーブに建つ寺院


交通量の少ない時代には、自動車&バイクのスピード緩和に役立っていた。

年々交通量は増え、道幅が狭いため交通渋滞を頻繁におこしているのが現状だ。

と言って、道を拡張してバリのユニークな風習が途切れるのは問題だ。

ウブドは、この村規模のまま発展させたい。

『 流入車両の規制と駐車場の完備 』

これしか、問題解決の方法はないのだろうか?


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2016年09月09日

虫に刺されて寝正月(84)

ガルンガンは、ウク暦の最大の祭礼日。

正月のようであり、お盆のようでもある。

三が日は、当日ガルンガンと前日プナンパハン、翌日マニス・ガルンガン。

毎年言っているが、滞在者の私が観光客だと実感する日。

今回は、寝正月だった。

実は、4日の早朝のこと。

寝床の中で左足の小指と薬指の付け根に、針で刺されたようなチックとした感覚がした。

急いで飛び起き、付け根を見たが、刺された跡は見えない。

蜂の仕業だと思ったが、蜂の姿は無い。

こんな狭い指の間に、蜂が入り込むことはないか。

痛みも残っていない。

再び寝床に着いた。

しばらくすると、今度は左手の小指と薬指の付け根に同じ感覚の痛みが来た。

付け根を見るが、刺された形跡は残っていない。

ムカデかもしれないと、ブランケットをはたいてみた。

何も出てこない。

手の指の付け根なら、ムカデの動きはわかるはず。

虫に刺されたのではないとすると、身体の中からの反応か。

内蔵のどこかが悪いのかもしれない。

足と手との違いはあるが、同じ左で小指と薬指の付け根。

ここに何か符号があるのか。

少し不安になる。

とにかく横になることにした。

足はなんともないが、手の方がカユミをともなってジワジワと痛くなって来た。

見ると、手の甲が腫れていた。

みるみる小指が太くなり、腫れは肘のあたりまでに達した。

5日、知人からカユミ止めのクリームをもらった。

効果てきめん、カユミ、痛みは止まった。

やっぱり虫さされだったのだろうか?

左手が不自由なため、三が日は寝正月となった。



虫に刺される前に、撮っていた動画をアップします。

8月末、「アパ?情報センター」の掲示板・Web版自由筆記帳に、質問があった。

「モンキーフォレスト大駐車場のその後は、どうなっていますか?」

モンキーフォレスト東通りの大駐車場(3)」で報告してしてから、8ヶ月が過ぎている。

私も気になっていたので、現場に行って来ました。


大駐車場入口に、電光掲示板が建った。





駐車場は、完成当時の一年ほど前と変らず、稼働しているのは四分の一程度。

利用台数が少ないのは、路上駐車が可能だからだろう。

全面駐車禁止にしない限り、ウブドの渋滞は解消されない。

流入車両に対して駐車場が足らない。

指数を出して、行政が駐車場経営をバックアップする必要があるのではないだろうか。







posted by ito-san at 16:55| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

かごめ、かごめ・・・?(83)

バリの祭礼日「ガルンガン」。

9月6日:プナンパハン

9月7日:ガルンガン

9月8日:マニス・ガルンガン

この期間、ツーリストの私は、いたって暇な時。

読書に耽ることにした。

手にした本「ダレカガナカニイル・・・」著者:井上夢人に、「かごめ」歌詞について面白い解釈が載っていた。

ご存知の方も多いとは思いますが、私には初耳の話なのでメモして残すことにした。


かごめ、かごめ

 籠の中の鳥は、いついつ出やる

夜明けの晩に、鶴と亀がすべった

 うしろの正面だあれ


子供の頃に、こんな歌を唄った覚えはありませんか?

私は、覚えがあります。

歌詞のほうは、今、考えてもさっぱり意味がわからない。

かごめは、カモメじゃないことを私は知っている。

名古屋出身の人はカゴメと言えば、まず「カゴメ株式会社」を思い起こす。

それは私だけか。

カゴメ株式会社は、名古屋が本社の飲料、食品、調味料の大手総合メーカー。


本には、鶴と亀がつっぺったの歌詞がある。

鶴は宇宙を現して、亀は大地の象徴。

つっぺったは、突っ入ったと書き、突入する意味とある。

歌詞にでてくる“かごめ”は、竹で編んだ籠の目だ。

鳥かご.jpg

「カゴメ株式会社」も古くは、籠目の六角形のロゴ・マークを使用していたと記憶している。

籠目の六角形に星形の目は、ユダヤ民族を象徴するダビデの星と同じ。

イスラエルの国旗などにも使われている。

イスラエルの国旗.png

日本の籠目は、厄除けの力があるという。

伊勢神宮の燈籠にも、籠目が刻まれている。

何か奥深い物を感じるが、調べることは止めにした。


書物内の新解説ですが。

本文から抜粋しました。

「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やるー

鳥というのは、大空を翔るものの代表でしょう?

宇宙を翔るものー真理を追い求めるものってことね」

「宇宙の真理が現れるのはいつでしょう。

そう歌は問いかけているの。その問いに対してー夜明けの晩に鶴と亀がつっぺった。

うしろの正面だあれ。と歌は答える。

夜明けの晩というのは、朝でも夜でもない時間、だから時間など超越した境地に達した時ということね。

そうなった時、鶴と亀がつっぺったー

宇宙と大地と、つまりすべての存在が突然出合うことになる。

なにもかもが融合するの。

そして、それがかなえば、うしろの正面だあれー

それまで知覚できなかったものを知ることになるでしょう、と言っているんです」

新解釈は私には難しくて、私が解釈することは避けました。


地方により歌詞が異なるようなので、それもメモしておきました。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ

かごめかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもお鳴きゃぁる(お鳴きやる) 八日の晩に 鶴と亀が滑ったとさ、ひと山 ふた山 み山 越えて ヤイトを すえて やれ 熱つ や(お灸を据えて、やれ熱や)

籠目籠目 加護の中の鳥居は いついつ出会う 夜明けの番人 つるっと亀が滑った 後ろの少年だあれ?

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だぁれ?

ウィキペディアには、そのほかさまざまな説が載っていた。


ガルンガンは浄化儀礼。

浄化された心は解き放たれて、人間本来の心を取り戻す。

これ、「かごめ」の新解釈からヒントを得た、私の「ガルンガン」新解釈。



posted by ito-san at 18:27| 愛知 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする