2013年09月25日

グスティ家の三姉妹(19)

バリ芸能に興味ある人々に、グスティ(Gusti)家は芸術一家として知られている。

グスティ家の三姉妹、長女のアルタティック=Artatik(1980年1月14日生)、次女のユリアティ=Yuriati(1984年2月15日生)、三女のビダニ=Bidani(1986年4月26日生)は、プリアタン村を代表する踊り手である。

お気づきだと思いますが、我が大家さんのグスティ家とは違うようです。

そうです、お察し通り、プリアタン・トゥブサヨ村のグスティ家のことです。


「ご結婚、おめでとうございます」

三女のビダニが、9月9日に結婚儀礼をすませた。

彼女のファンも多いと思うので、ここで報告することにした。

これでグスティ家の三姉妹は、すべて嫁に出たことになる。

末っ子で長男の情報は少ないので、ここでは省略させてもらう。

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1990年代初頭、プリアタン村のイブイブ(婦人連)ガムラン・グループで踊られた「タリ・クリンチ=ウサギのダンス」

元気に飛び跳ねる幼年の踊り娘たちの姿は、微笑ましかった。

幼稚園の学芸会のような舞踊に、イブイブたちの優しい眼が注がれる。

そこで、ひときわ人目を引く少女がいた。

バリ舞踊に詳しくない素人から見ても、ブレのない動きとキレのある動きに無駄が少なかった。

それいぜんに、明らかにほかの踊り娘たちと違う空気をまとっていた。

これをオーラと呼ぶのだろうか。

見えないエネルギーを私は感じていた。

この踊り娘に注目していた、日本人観光客は多かったと思う。

「彼女は、きっと素晴らしい踊り娘になるよ」と、予言する友人もいた。

彼女の動向を追っかけるファンが現れるようになった。

そして友人の予言通り、チョンドンの踊り子として開花した。

オイリーの後を継いで、グヌン・サリ(Gunung Sari)歌舞団とティルタ・サリ(Tirta Sari)歌舞団で、レゴン(チョンドン)を踊る彼女は、天才少女として頭角を現していく。

日本人の「追っかけ現象」に拍車がかかる。

ポートレート写真を大きな額に入れてプレゼントした、私の友人カメラマンが2人いる。

どちらも私が立ち会った。

今でも、飾ってあるのだろうか。

ユリアティがチョンドンの踊り子として人気が沸騰する時期、実家の敷地に宿泊施設が完成。

名前も「ユリアティ・ハウス」。

ユリアティ・ファンには、たまらない施設だ。

彼女は、何度も招請されて日本公演している。

NHK教育テレビ「アジア語楽紀行」(2005年4月)では、インドネシア語の先生として出演。

インドネシア語教本「アジア語楽紀行」が出版されている。


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「極楽通信UBUD・Vol.25」に紹介された「ユリアティ・ハウス」
興味のある方は「Club Bali・極楽通信UBUD」をご覧ください。


ビダニもユリアティと同じ軌跡をたどった。

タリ・クリンチで人目を引き、レゴンの踊り子となる。

これは私の趣味だが、ビダニは、ユリアティより一段と美形だと思う。

ビダニの追っかけも現れた。

ユリアティとビダニの人気は凄まじかった。

「今夜、ユリアティは出演しますか?」「今夜、ビダニは、どの公演に出演しますか?」

こんな問い合わせが《アパ?情報センター》にある。

グヌン・サリとティルタ・サリの定期公演に、彼女たち見たさの日本人観光客が押し寄せた。

人気芸能人の2人にも会える「ユリアティ・ハウス」に、日本人宿泊客は絶えない。

こうして、日本人リピーターの根城となっていく。

一般的にバリ人は、観光客を心から歓迎し家族のように接してくれる。

彼らの優しい待遇に、自分は特別なんだ「私は家族の一員なんだ」と錯覚してしまう日本人は多い。

「うちの娘が、今夜、チョンドン踊りますよ」なんて、勘違いオヤジがウザイ発言をする。

ビダニとユリアティが、お前をお父さんだとは思っていないゾ! 眼を覚ませ!オヤジ。

テラスから望遠カメラを構えて彼女たちの日常の姿を追う、宿泊客のキモイおじさんは多々。

家族の気持ちは知る由もないが、有名人の宿命にしても迷惑な話だ。

結婚した彼女たちは、こんな露骨な好奇の眼から逃れられる。

過去形になってしまうが「一世を風靡した」と言う言葉を、彼女たちに捧げたい。

今後、彼女たちのように大輪を咲かせる踊り子が現れるだろうか。

バリ島の芸能が廃れないためにも、現れて欲しいと願っている。

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「居酒屋・影武者」を訪れたユリアティとビダニ


長女・アルタティック(Artatik)は、パダンテガル村の「ラハユ・バンガロー(Rahayu Bungalow)」の長男に嫁いでいる。

彼女のオレッグ・タムリリンガンは、いい。

三姉妹の中では一番踊りは巧いだろうと、批評家風に知ったかぶってみよう。

彼女の舞踊指導能力は優れていて、日本人の舞踊愛好家がたくさん教えを受けている。

アパ?推薦の先生です。

三姉妹には、テガランタンの住民・西村家の新築祝いのパーティーで、グヌン・サリ歌舞団の演奏で踊ってもらったこともある。(アパ?でお願いできます)

ビダニの結婚を機会に、過去を振り返ってみました。

最後に、グスティ家の健康と幸福を祈願して。

「オ〜ム・シャンティ・シャンティ・シャンティ・オ〜ム」

posted by ito-san at 17:09| Comment(4) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月19日

不可解な音(54)

テガランタン村の住民・西村夫妻が、14日に日本に一時帰国することになった。

予定は一ヶ月ほど。

一時帰国の理由を知っているが、ここには書かない。


12日夜6時、まみちゃんを伴って西村家を訪問した。

まみちゃんは、小顔でバリ人系美人。

私のガールフレンドではありません。(残念ですが)

まみちゃんとは、昔々、影武者で知り合った。

旦那さんのカメラマン・小原孝博さんとは、1990年のグルン・ルバ寺院オダラン以来の付き合いだ。

小原さんは、写真集「オラン・バリ」(1996年6月27日・初版発行)の著者。

アパ?のホームページ「バリ関係・推薦本」に、バリをこよなく愛した写真家・小原の「つぶやき」が聞こえる一冊。オラン・バリ(バリ人)の内面が、リアルに滲み出ている。

なんてコメントを、私が書いている。

まみちゃんは、タバナン県にある某寺院で奉納芸能する日本のガムラン・グループの一員として、6日に来バリした。

3年ぶりのバリだ。

奉納芸能を見学するつもりでいた私は「寺院は、チャングーとタナ・ロットの間」という、あまりにもアバウトな情報に恐れをなして、行くことを断念した。

今回はガムラン奏者として参加している彼女は、日本では踊り手としても活躍している。

14日、西村夫妻と同じ日に帰国する。

小原夫妻と面識のある西村夫妻のため、私はまみちゃんとの歓談の席をセッティングしたのだ。

ぎりぎりセーフで会うことができた。

実に、10数年ぶりの再会だ。

小原さんは、来月1日、仕事でバリを訪れることになっている。

やはり3年ぶりになる。


「冷蔵庫の中身を片付けたい」と、私にとっては有り難い理由で、西村夫妻は、さまざまな手料理を大テーブルに並べてくれた。

お好み焼きは、旦那の制作。

いつもは、ふんだんに贅沢な料理をご馳走になっていることを、夫妻の名誉のために補足しておく。

もちろん、ワインは旦那の蘊蓄を伴ってサービスされた。

まみちゃんと「美味しい、美味しい」と連発して、ご馳走になる。

途中から、オカちゃんとラティが参加した6人で、昔話に盛り上がった。


「そう言えば」と前置きして、私はちょっと前から部屋で起こっている話を切り出した。

深夜、ベッドで横になっていると、横で寝ている愛猫チビタの身体が跳ね上がった。

同時に、頭上で「ドスン!」と壁が落ちたよう大きな音がした。

天井が抜けてもおかしくないほどの大きな音だ。

この頃、深夜になると私の部屋の屋根裏で不審な音がする。

トッケイが飛び降りた音とも、ネズミが走り廻る音とは明らかに違う。

我が家のトッケイは、身長30センチほどある大物だ。

トッケイとネズミが戦う騒音は、日常茶飯事。

壁の表面が剥離してこぼれ落ちるような「サラサラ」した音もする。

私の話を聞いていたラティが、少し緊張した顔になった。

そして、「それは、土の音だね」と言う。

それを引き継いで、オカちゃんが「あのあたりは40年前、埋葬場だったんだよ」と言う。

再びラティが、少し微笑みながら「土を掘ってる音だね」と念を押した。

遺体を埋めるために穴を掘っているのか、火葬するために遺体を掘り起こしているのか?

私は、聞くことを躊躇した。

思い起こしてみると、音が始まったのは、火葬儀礼の準備が始まった頃のような気がする。

ひょっとすると、この不審な音は火葬儀礼と関係があるのか。

もし不審音が、火葬儀礼の終了と共に、聴こえなくなったとすれば・・・・・。


不思議なことに、14日以降、土がこぼれる音はしなくなった。

しかし、不可解な音は、その後も依然として続いている。


posted by ito-san at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

歯を削る儀礼(53)

今日もパソコンの機嫌をとりながら、急いでアップしている。

急いだから巧く行くとは限らないので「送信が終わるまで、優しくしてください!」と神頼み。


9月11日、昼12時に目が覚めた。

今日は「合同削歯儀礼」の日だった。

インドネシア語で削歯儀礼は、ポトン・ギギ(Potong gigi)と言われる。

バリ語ではムサンギ=Masangih(=ムパンダス=Mepandas)。

ムサンギ(=ムパンダス)とは、削歯(サクシ)儀礼のこと。

合同の削歯儀礼だから、ムサンギ・マサルとなる。

合同火葬儀礼に関連して行われる「合同削歯儀礼」は、テガランタン村で始めてのこと。

是非、見ておこうと心つもりしていたが、寝坊するという体たらく。

イブに聞くと「朝から始まっているよ」と返事。

儀礼は、12時をまたいで行わないはずなので、すでに終わっているだろう。

念のため、寺院近くに住むマリちゃんに電話をしてみた。

「読経が聴こえるから、まだやっているんじゃない」の答えに、取りあえず、行ってみることにした。

顔を洗おうと蛇口をひねると、運悪く断水していた。

こんなことのため、2つのバケツに水を溜めている。

これは長年の生活の知恵。

溜水を使って歯を磨く。

正装前のマンディ(水浴び)は省略した。


儀礼用建物に向う。

運良く、削歯儀礼は行われていた。

慌てていたせいか注意力散漫で、運悪く “UNKO” を踏んでしまった。

ウンコ&うんこと書くのはあまりにも下品。といって運子、雲子というのも可愛すぎる。

UN子は、少女A子のようで犯罪の匂いがする。

悩んだ結果、バリで開催される “APEC”に引っ掛けて、英字四文字の “UNKO” にしました。(あまり意味ないけど)

APEC(Asia-Pacific Economic Cooperation Conference=アジア太平洋経済協力会議)は、10月の5日から10日の間に開催されるようだ。

ゴム草履を地面になすりつけるようにして“UNKO”を落とす。

火葬儀礼の遅れで、ムサンギ・マサルは12時過ぎてから始まったようだ。

Masangih1.jpg

ムサンギ・マサルには、33名が参加していた。

参加者は、奇数と決まっている。

神の使いと言われている白いひとこぶ牛がテガララン・タロ村からやって来て、儀礼用建物をまわったそうだ。

これも合同火葬の儀礼のひとつだと言う。

私が踏んづけた “UNKO” は、神の使いの牛の排泄物だった。

どうりで、犬や人間のとは違い、粘り気のないあっさりとした糞だった。

Masangih2.jpg

夕方6時から、奉納舞踊のトペン劇があると言うので、あとでまた来ることにした。

あいにく6時から雨が降る始める。

7時になっても止まないので、鑑賞をあきらめた。

深夜1時に、トペン劇の音声が、スピーカーから聴こえていた。

村人は明朝、ムラスティ儀礼のために海岸に向う。

14日には、ゴア・ラワとブサキ寺院を訪れて「合同火葬儀礼」のすべてが終了するらしい。

posted by ito-san at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月13日

庭の木が切り倒された(52)

パソコンが爆発寸前で、思うように使えない。

おまけに、撮ったはずの写真がなぜか消えていた。

そんなこんなで、ブログが書けなくなっている。

一度、消滅してしまった内容を思い出しながら、パソコンの “隙をついて“ 書いたものを、久しぶりにアップします。


8月31日、庭の木が切り倒された。

5月12日のブログで書いた「レンタル・ハウス(27)」が建築されることになったのだ。

バリでは、物事を起こす時、バリの暦に従って行う。

稲を植えたり刈ったり、樹木を植えたり切ったり、家を建てる時、習い事を始める時、牛を買うのに良い日などなど、日常のほとんどだ。

暦の良い日の項目に、31日は載っていなかった。

木を切り倒すに良い日を、パチュン君が選んだかが心配で訊いてみた。

「建材でなく、薪用だから大丈夫です」の答えが返ってきた。

バリ人の彼がそう言うのだから仕方がない、納得することにした。

枝を払い落とし、幹を斧とチェンソーで切り倒していく。

伐採技術を収めた写真が、神隠しにあったように消滅してしまった。悔し〜い!

職人さんが2人、休憩を挟んで2時間ほどで伐採は終了した。手間賃2人で20万ルピア。

切り倒されたのは、大きなニャンブー(Nyambu)が1本とナンカ(Nangka)が3本。

根っこは後日、掘り起こされる。この手間賃は50万ルピア。


ニャンブーは、インドネシア語でJambu、英語でWater Apple。

ピンクの実は、英語名のとおりジューシーでリンゴっぽい甘さだ。

ナンカはインドネシア語でも同じ、英語でジャックフルーツ・Jackfruit。

土壌が悪かったのか、木は大きくならず実が育たなかった。

ナンカの実は、大きくなると50キログラムに達すると言う。

果物でもあるし、野菜として料理にも使われる。

ナンカは霊力の強いと言われる木で、固くて強い黄色い芯の部分がクルクル(Kul-Kul)や家寺の柱に使われる。

私の部屋・バレダジョーの4本の柱も、庭で育ったナンカの木を使用している。

niwa.jpg

6月初旬から毎週金曜日の夕方、庭でチャッチボールをしていた。

バリ南部チャングーからバイクで1時間ほどかけて「坂田こうじ君」がやってくる。

彼はサーファーだが、バリ島在住日本人の草野球チームに入っている。

ジンバランにある大学の野球場で、彼らは毎週日曜日試合を楽しんでいる。

私も1年前まで、6年間ほど在籍していた。

2010年度第1クール(11試合)で、4割7分4厘の成績を残してリーディングヒッターに輝いたこともある。

その時の出塁率は、0,667だった。

こんな自慢の栄光も過去のもの。

自慢ついでに、受賞した時の写真を添付しておきました。

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現在は、66歳の老齢ということで、ハードなスポーツは避けようと保身に走っている。

チャッチボールは、坂田君の投手登板を夢見てのピッチング特訓だ。

坂田君とのピッチングで、私の野球したい願望を鎮めている。

庭は、パチュン君がチャッチボールができるように整備してくれた。

庭でチャッチボールが出来てしまう広さの家も凄い。

そして、木を切り倒すほどの庭を持つ家も凄い。

パチュン君の家が特別大きな屋敷だということではない。

押し並べて、バリ人の家は、この程度の土地を持っている。

木材が片付けば、庭が一段と広くなり、チャッチボールに最適の場所となりそうだ。

しかし、それは出来ない相談だ。

近々、建築が始まることになるだろう。

8月末に坂田君は、日本に一時帰国した。

次回、来バリした時に、この練習場はない。


レンタル・ハウスは、パチュン君が建築デザイナーと相談して決めた。

予算もあることだし、任せるしかないだろう。

部屋のレイアウトや使いかって、素材、色など、私のアイデアは伝えてある。

家のまわりには、新たに草木が植えられることだろう。

さて、どんなレンタル・ハウスが完成するか楽しみだ。

posted by ito-san at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする