2013年10月14日

ダラム寺院のオダラン(58)

私の滞在しているテガランタン村ダラム寺院のオダラン(寺院祭礼)が、10月8日から始まった。

早いもので、3月12日からウク歴の一年である210日が経ったのだ。

今年、2度目のダラム寺院のオダラン。

テガランタン村住人になって10ヶ月の私にとっても2回目の参拝となる。


3月のオダランは、サコ暦の新年(1935年)・ニュピと重なった。

バリ島内すべての行事が中止されると考えていたニュピだが、オダランはニュピより優先されるようだ。

オダランのための寺院への行き来が特別に許される。

自動車&バイクなど音の出るものは使用禁止。

そう、静寂の日だからね。

徒歩ならOKということだ。

カレンダー上、どの寺院でもいつかはニュピとオダランが重なるだろう。

計算すれば、何年に一度巡ってくるのかわかるはず。

しかし、観光客が遭遇するチャンスは少ない。

現に私は、24年間の滞在で初めての経験だ。

特例として外出を許された村。

全島外出禁止の聖なる日に、おおピッラに道路を歩くことができるのだ。(と言っても、村内だけですが)

私がテガランタン村に滞在している間に、もうチャンスは巡って来ないかもしれない。

午後5時、正装に身を整え、これといって用事はないがダラム寺院の方角に歩いて行く。

テガランタン村の中央を貫く幹線道路を歩く。

一本しかない、まさにメイン道路だ。

普段でも人通りが少ない村、風景はいつもと変わらない。

罪にならない安心感と、ひょっとしていけないことしてるかもという、ちょっとした罪悪感のせめぎ合いが心地良い。

この地域だけに特別に許された、一日だけのVISA。

特権を噛み締めながら、ゆっくり歩く。

貴重な体験をさせていただいた、ニュピと重なったオダランでした。


今回のオダランは11日までの4日間。

3月の時は一日だけ。次回210日後のオダランも一日だそうだ。

8月30日に行われた「合同火葬儀礼」の、嵐のような忙しさが去ったあとのオダランはあっけなかった。

事前の準備も少なかった。

今回、各家からの相互扶助は、椰子の葉を編んだスダレ4枚と竹2本の提出だった。

椰子の葉を編むところを見たかったが、パチュン君はすでに終えていた。

「ラジカセを聴きながら、作っていたよ。気がつかなかった?」と言う。

隣家の若旦那がラジカセを大きく鳴らしてると思い込んで、私が小さく腹を立てていた時だ。

あの時の音源は、パチュン君が犯人だったのか。

なぜかバリ人は、大きな音でラジカセを聴く。

こんなバリ人気質を、私はまだ理解できていない。

まさかあんな大音響で、パチュン君がラジカセを聴くとは思ってもいなかった。

パチュン君は、紛れもないバリ人だ。

あの時、もしかして疑っていれば、椰子の葉を編むところを見られたのだ。

次に編む時は教えてくださいと伝えておいた。

編んだ椰子の葉は、寺院内の境内に作られた日除け屋根に使われていた。

yasinoha.jpg

8日の初日は、トペン&ワヤン・ルマの奉納があった。

ダランの顔に見覚えがある。

カルタが「オカ・カルティニのバグース君だよ」と教えてくれた。

昔々「居酒屋・影武者」に、よく顔を見せていた人物だった。

観客のいない寺院内右門に向かって、神々に奉納する彼の姿が凛々しかった。

Wayang Lemah.jpg

9日10日の2日間は、闘鶏が催された。

ワンティランの中央に土が敷かれ、まわりに観客席がパイプで組み立てられた闘鶏場が完成していた。

観客席はリース会社から借りた物らしい。

「何でも買います・貸します」の全盛期が訪れる予感がする。

他の村からも大勢が闘鶏に遠征して来ていた。

招待状が配られるのそうだ。

バリ人男衆の金銭感覚はどうなっているのだろう。

いくらバンジャールとの付き合いとはいえ、ギャンブルには違いない。

損得勘定は合っているのか?

収支決済は、どうなっているのか?

今日もまた、誰かが涙を流していることだろう。

入場料Rp25,000-の収益と胴元としての収入は、プセ&デサ寺院の改修費となる。

toukeijyou.jpg

11日の最終日にはプレンボン劇が上演された。

夜10時に始まり、0時過ぎに終演。

パイプで組み立てられ観客席は、老若男女で満席だった。

お腹に危険物を抱えているような不安のある私は、0時前に帰宅した。

腸の調子が悪いのは、どうやらクニットの飲み過ぎのようです。

今日だけの教訓「なにごともほどほどに」。


posted by ito-san at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする