2014年02月03日

“孤高のバリ” スバリ村(40)

私は、バリ・パスフィンダー(BALI PATH FINDER)を愛用している。

ウブド滞在を始めてからズ〜と使っている、首から上が指差しになっている表紙のバリ島地図だ。

一番詳しくウブドが載っているのがパスフィンダー。

通った道を鉛筆で塗りつぶしていくのが楽しみだったのは、いつの頃だったか。

パスフィンダーは、ウブド在住のシルビオ・サントーサ氏が発行している。

シルビオ氏は、バリが好きで住み着いたジャワ人男性。

私と同じ1947年の生まれ。

ウブドのツーリズムが始まると同時に、ツーリストと村人との間で金銭的なトラブルが頻発した。

トランスポートやツアーの料金が一定していなかった1983年、シルビオ氏は問題解決の手段として《ヴィナ・ウィサタ(BINA WISATA)観光案内所》を開設し料金の均一化を図った。

1984年に発行されていた地図が「バリ・パスフィンダー」だ。

1989年6月、シルビオ氏の「ヴィナ・ウィサタ」は閉鎖された。

その後「ヴィナ・ウィサタ」は、村営の観光案内所として現在の位置で再開している。

“酔いどれシルビオ” に会ったのは1990年6月「ウブドのセンゴール」だった。

小冊子「バリ・パスフィンダー」の日本語版「バリ島。海のない村」が1990年5月に発売されている。

写真:1990年《ヴィナ・ウィサタ観光案内所》

bina-wisata.jpg

地図と言えは、地名だ。

地名と言えば、村名。

強引に話を変えて。

村名に “bali” が組み込まれているのを見ると、私は異常に反応する。

バリ・フィリークなのに、村名で贔屓する。

例えば、ウブド北部のライステラスと田舎が残っているスバリ村。

「Se-bali」と書くところが気に入っている。

Seは、(1)ひとつ:sebuah一個、(2)全部:sedunia全世界、(3)同じ:seibu同じ母、の意味、と辞典(谷口五郎編)にある。

私は “孤高のバリ” と勝手に解釈している喜んでいる。

村名に惹かれて散策するうちに、スバリ村との関係が深くなっていった。

ジョゲッ・ピンギタンもそんな因縁で知ることになる。

ジョゲッ・ピンギタンの上演では、しばしば踊り手がトランスしてしまうことが起こった。

村人は、冠に神聖な力が宿っていると考え、呪術的舞踊、神聖な踊りとして、寺院内で儀礼用として演じられるようになった。

現在、ウブド近郊の2〜3の村で残っているが、儀礼用として踊られるのはスバリ村だけだ。

スバリ村は、ウブド日記「ポトンバビ・完全取材(17)にも登場しています。そちらもお読みください。

sebali.jpg

続いて、バリ東部クルンクン県にあるパクスバリ村。

パクスバリ村は、近年人気上昇中のリゾートエリア・シドゥメン村へと続く街道の入り口にある村。

「Pakse-bali」。Pakseの語源が知りたい。誰か教えてください。

「Pak-sebali」とも分解できるが、まさか、スバリおじさん(Pak=bapakの省略語)と言うことはないよね。

パクスバリ村のパンティ寺院(Pura Panti)は、喧嘩神輿のトランスが有名だ。

パンティと聞いて、不謹慎な興味を示すツーリストが時々います。

興味を持つところが違うだろう〜!。

あなた、あなた、あなたです、お慎みください。

「アパ?情報センター」では、毎年「喧嘩神輿・オダラン・ツアー」で世話になっている。

喧嘩神輿の情報は、テガランタン村のオカちゃんが幼少の頃世話になった村だったことから、1990年から見学させてもらっている。

やはり縁のある村だ。

Paksa-bali.jpg

「Se-bali」「Pakse-bali」と不思議な縁を感じて「バリ・パスフィンダー」地図上で “bali” と付く村名を探したことがあるが、地図上では見つけることはできなかった。

幹線道路をバイク・ツーリング中に、見つけることがある。

トランス儀礼を求めて、バンリ県を頻繁に徘徊していた頃のことだ。

眼に入った看板には「タマン・バリ=Taman-bali」と書かれてあった。

タマンは、花園と訳しておこう。

この時、高名なバリアンと知り合うことになる。

ワヤン君にまかせっぱなしのアパ?ですが、以前は「バリアン・ツアー」に名前を連ねて頂いたことのある御仁だ。

「Sindu-bali」&「Juwuk-bali」

写真は残っているのだが記憶がよみがえってこない。

両村の関係者の皆様には、ゴメンナサイ。

“bali”と付く村名探しも、いつの間にやら尻切れトンボで終わっていた。

taman-bali.jpg
Sindu-bali.jpg
Juwuk-bali.jpg

最後に、バリ関連の番外編です。

先日、アグン・ライが一時帰国していた時に、こんなことがあった。

ヤンデェ家のガゼボでのことだ。

「ポロンポロン」と、ライの携帯電話が鳴った。

生意気にも iPhon だ。(ひがんでいる発言)

「今バリに居るんよ」

iPhon を手に、愛媛弁でライが答えている。

「だから、今バリなんです。インドネシアの・・・」

相手はインドネシアと聞いて、やっと理解したようだ。

ライは日本人女性と結婚して、今、松山市に住んでいる。

出身がバリ島だと言うことは、仕事仲間も知っている。

電話の相手は「今治なら、近いじゃないですか。今から来てくれませんか?」と言ったそうだ。

愛媛ならではのジョークかもしれないが、日本にもバリと発音する都市があったのに嬉しくなった。

いつか私も、今治に行って「今バリに居るんよ」なんて、誰かに言ってみたい。


「アンギン(アグン・ライ)の帰郷(71)もお読みください。お願い。

posted by ito-san at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする