2014年04月27日

名古屋一時帰国のお知らせ(1)

5月9日にバリを発ち、翌日10日に名古屋着の飛行機で、25年ぶりの日本一時帰国をいたします。

名古屋滞在は約40日と考えています。

友人の水野さんが、たくさんの人に会えるようにと、24日(土)集合を掛けてくれています。


《 Welcome back! Ito-san!!! 》

バリ島在住の伊藤博史さんが24年ぶりに日本に帰国されます。\(^O^)/ 

つきましては歓迎の宴を催したく是非ご参加下さい。
 
現在、ご参加頂ける方の人数把握後、会場の予約をしたく準備中です。
 
ご参加頂ける方、参加表明の程、よろしくお願い致します。
 
また私の知らない伊藤さんのご友人も多いかと思いますので、お知り合いにもお声がけ頂けませんか?

伊藤さんが好き、バリ島が好き、バリの文化が好き、海外生活に興味のある方、是非是非ご参加を!

伊藤さんを囲んであれやこれやお話ししながら楽しい時間をすごしましょうね!

(from 水野真人)


みんなに、会えるのを楽しみにしています。

25周年記念として「伊藤さんとツーショット」企画を続行しています。

ご希望の方は、ドシドシ申し出ください。

私のフェースブックに載せちゃいます。

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2014年04月25日

寺院祭礼に侵入するテロリスト(50)

この頃のウブドは、景気のよかった12年前に戻ったかのように、ツーリストが増加している。

おかげで交通渋滞が凄いことになっている。

思い起こせば2002年、バリ島南部のリゾート地クタで爆弾テロ(10月12日)の悲劇があり、そのあと、バリ島のツーリストは激減した。

この夜は、日本人会主催の盆踊り大会が南部で開催された。

「爆発音が響き激しい振動が車を大きく揺すったのは、通り過ぎた後だった」と帰宅途中に現場前を通過した知人が興奮気味に話してくれた。

数分の違いで、彼ら家族は被害を免れたのだ。

ウブドから、烈火が夜空に浮かび上がるのを見た人もいる。

テロ直後のバリ島から、ツーリストと在留外国人が慌ただしく帰国していった。

日本の外務省からは「海外危険情報」危険度最高の「退避を勧告します。渡航は延期してください」が発令された。

テロのターゲットと思われるアメリカ人とオーストラリア人は、強制退去だ。

日々、外国人が帰国する。

日本からの飛行機に2人しか、乗っていない日もあった。

ウブドからツーリストの姿は消え、モンキーフォレスト通りには、店頭で暇をもてあます店員の姿が目立った。

11年を経て、ツーリストは戻って来た。





2001年9月11日、ニューヨー・ツインタワーのテロ。

1年後、ひと月といち日遅れの2002年10月12日、バリ島クタ爆弾テロ。

2003年は、東南アジアを中心としたSARSの流行。

バリは今、近年にない不景気に見舞われている。

私は今、2003年にタイムスリップしてこの話を書いている。


このところ、私の心は落ち着かない。

ひと月といち日遅れが、私には符号のように思われてしかたがない。

今年2003年11月13日に、あと5日と近づいていることを気に掛けているのだ。

なにごとも起こらなければいいがと願っている。

13日は、50年に一度巡ってくる大きな寺院祭礼がウブドで始まる日だ。

初日には1000人以上の人出が予想される。

テロリストは、人が大勢集まるところを狙う。

「王宮の定期公演が狙われている」

「レストラン・ベベ・ブンギルかもしれない」なんて噂がはびこっている。

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アンドン交差点からウブド方面を見る(1990年)

人が多く集まる寺院祭礼は、テロリストに絶好のターゲットだろう。

「寺院祭礼が危険だ」という、嫌な噂があちこちの村で流れ始めた。

寺院祭礼では、通常村人による自警団が祭礼が滞りなく終わるようにと警備する。

大規模な祭礼では警察官も動員される。

今回のウブドの寺院祭礼は、いつも以上の警備体制だ。

私は村の世話役に頼まれて、外国人ではあるが格闘技ができるということから祭礼期間中、テロリストの警備に当たることになった。

今日13日は、奉納芸能に仮面舞踊で参加することにもなっている。

寺院に入るには、それなりの正装が必要で、参拝者は門前でチェックされる。

今夜は持ち物もチェックされている。

境内は、すでにたくさんの参拝者であふれていた。

チェックのカマン(腰布)に黒いベストを羽織った男たちが、要所要所で警備している。

彼らの顔が、いつになく緊張している。

昨日は、テロリスト対策の講習会が開かれた。

何をどう調べればよいのか、具体的にされない対策に、私は不安になってくる。

私は、サロンも上着も白ずくめの正装だ。

芸能が行われる予定の建物には、すでに観客がいっぱいだ。

入り口のチェックが万全でなかったとしたら、テロリストはすでに寺院内にいるかもしれない。

楽屋では、踊り手たちがテロの話をしている。

不安を隠しきれないようすだ。

私は踊りの衣裳に着替えながら、客席に眼を配る。

いつもの寺院祭礼風景とどこも変わったところはない。

変わったところといえば、外国人ツーリストの姿が見えないことぐらいだ。

これは昨年のテロの影響からツーリストが激減しているからだ。

寺院祭礼の雰囲気は、神々しくて心が洗われるようで気に入っている。

こうしてバリ人に混じって奉納舞踊できることを、私は至福と感じる。

テロリストは狂信派のイスラム教徒だといわれている。

インドネシアにも狂信派はいる。

バリのテロ犯人であるアムロジーもそうだ。

イスラム教徒と言っても、バリ人と同じインドネシア人だ。

寺院祭礼に紛れ込んでしまえば、たやすく見分けることができないだろう。

今夜は、バッグやカメラなどの手荷物を持つ外国人ツーリストがいないのでチェックはしやすい。

バリ人は供物と線香以外持ち込むことはないので、爆弾を隠し持つことは難しい。

もっとも、バリ・ヒンドゥー教徒が寺院を爆発させるとは考えられない。


客席の3列目あたりに、バリ人にしては正装がどことなくチグハグな男がいる。

肩からカメラ・バッグをさげているが、先ほどからいっこうに撮影しようという意識が見えない。

落ち着き払っているようだが、その眼は芸能を観るでもなく散漫だ。

歓迎の踊りが、小学生くらいの女の子たちによって奉納された。

次は、男の子たちによる群舞バリス・グデだ。

テロリストが早々に席を立ってしまってからでは遅い、私は進行係りに、群舞バリス・グデの先に踊らせてもらえないかと頼んだ。

演奏者にそのむねが伝えられると、仮面舞踊の曲が流れてきた。

私は仮面をつけ、幕を少しずつ開けていった。

男に気づかれないように、しかし、注意は男に向いている。

舞台に踊り出た。

おどけた演技に観客がどよめく。

私は頃合いを見計らって舞台中央にある階段を下り、観客の中に入っていった。

即興でジョゲッ・ブンブンを踊る。

数人をやり過ごして、目的の男を舞台上に誘った。

男は戸惑いがちにカメラ・バッグを両手で抱えた。

大事そうに抱えるバッグを、私は引ったくるように取り上げて幕の裏に押し入れた。

男はバッグを取りに幕の裏に入ろうとするが、私は執拗に踊りに誘い、それができないようにした。

幕の裏では、警察官がカメラ・バッグの中を改めている。

予想した通り、時限爆弾が入っていた。

仮面をつけた数人の踊り手が舞台に登場すると、男を肩車して退場していった。

なにも知らない観客は、面白い余興だと拍手喝采だ。

私は両手を大げさに広げて「何が起こったの?」とジェスチャーをして舞台を引っ込んだ。


テロリストはひとり、時限爆弾は仕掛けられてはいなかった。

なにごともなかったように群舞バリス・グデがはじまり、奉納芸能は続けられた。

私は汗で湿った衣裳をはずしながら「どうも、納得いかないな」とつぶやいた。

簡単にテロリストが捕まったことが不信となっている。

「テロリストが捕まってよかったですね」今夜の付き人ニョマン君は、たたんだ衣裳をバッグにしまいながらニコニコしている。

深夜になって、州都デンパサールの寺院祭礼でテロがあったニュースが入ってきた。

テロリストは警察をウブドに注意させておいて、はじめからデンパサールを狙うつもりだったのだ。

大胆にも、警察署から50メートルと離れていない、眼と鼻の先の寺院だった。

被害者の数は、まだ発表されてない。


妄想もここまでくると立派なものでしょう。

でも、実際に、こんな場面に遭遇したら、どうしていただろうか。

妄想でよかった。

posted by ito-san at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月17日

パパイアのバリ語名はグュダン(80)

昨年の9月に西村家でご馳走になったパパイアの果実は、ほんとうに美味しかった。

その美味しかったパパイアの苗木をいただいだ。

テガランタン村滞在記に再々登場する西村家については「西村邸を訪問(40)」を御覧下さい。

パパイアは、バナナと同じように大きな茎の植物だ。

だから苗と呼ぶ方が正しいのだろうが、大きさは苗木なみだ。

パパイアはパワーが強い木だということで、バリでは何故か屋敷の裏に植えられるのが通常。

果実の生らない雄のパパイアは特にパワーが強く、チャロナラン劇の舞台に使われる。

西村家からいただいたパパイアは、パチュン家の裏に植えられた。

半年で果実がなると言われているから、今年の3月を楽しみにしていた。

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根付いたパパイヤ(2013年12月2日)

「Fruits of Bali」で、パパイアを調べてみた。

Papayaは、ラテン語&インドネシア語だった。

バリ語ではグュダン(gedang)だって、知ってた?

私は、今の今まで知らなかった。

知ろうとしなかった。

知ったとしてもグュダンは使わずパパイアと言ってただろうな。

その理由は、次の通り。

「影武者」のウィキペディアことダユーに、パパイアのバリ語名を訊いてみた。

バリ文化についてわからない時は、いつもダユー質問する。

ダユーはいつも的確な答えをくれる。

「パパイアこと、バリ語でガダンって呼ぶんだよね?」

さっそく、私は昨夜知ったばかりの知識をひけらかす。

ダユーは笑顔で「ガダン(gadang)は、バリ語で緑色です。パパイアのことはグュダンと呼びます」といなす。

そうだった「椰子の実の話(29)」で教えてもらっていた。

ニュー・ガダンは緑色の椰子で、黄色い椰子はニュー・ガデン(gading)と呼ぶと教えられた。

私は「Fruits of Bali」で調べて、控えた時にガダンと書いてしまったようだ。

「グュダン? グュダンって倉庫のことでしょう?」

納得できない私。

「それはグダン(gudang)。インドネシア語で倉庫のことでしょ」とダユー。

また、私の耳に同じ発音に聴こえる単語が登場した。

何度もグュダンとグダンを繰り返して発音してみたが、ダユーとは同じにならなかった。

gedang、gadang、gudang、おまけにgadingが乱入して、私の脳味噌がパニックしている。

クウチン=kucing(猫)、クンチ=kunci(鍵)、クンチン=kencing(小便)の三つ巴以上の四つ巴地獄だ。


果実が生るはずの2014年3月が過ぎ、4月に入った。

花は咲いたが、未だ果実はならず。

土が合わないのかもしれない。

もう1〜2ヶ月すれば果実がなり、食べられるようになるだろう。

美味しかったパパイアの食感がよみがえる。

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パパイヤの花(2014年4月1日)

そして悲しい現実が待ち構えていた。

「ルアック・ヴィラ・スパ」工事の境界線に、パパイヤが掛かってしまったのだ。

このままだと、撤去される。

ここまで大きくなると移植は無理だとのこと。

子供の頃よく遊んだ砂取りのように、パパイヤを残してまわりが削られていく。

なんとかならないのか。

岸壁に立つ灯台のようにひっそりと立つ姿を、せめて写真だけでも残しておこう。

明日、ギリギリに残ったところを撮影しよう。

その考えがアダとなった。

13日の朝、写真を撮ろうと早起きして現場を覗くと、もうそこにパパイヤの姿はなかった。

枝や土砂と同じように、谷間に投げ捨てられたのだろうな。

職人は、最後まで残してくれていたと思うが、残念である。


そして翌日。

パチュン君に「パパイヤが渓谷に飛び込んでしまったね」と言うと、思わぬ答えが返ってきた。

「植え直しました。その裏に」

パパイヤの実る夢が復活した瞬間です。

さすがパチュン君だ。

育つかどうかわからないが、悲しみは延期され、小さな楽しみが残った。

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移し替えられたパパイア(2014年4月14日)

posted by ito-san at 18:16| Comment(4) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月13日

もしかして、何かの祟り、それとも因縁?(79)

11日、名古屋のヒロさんから電気ひげ剃り機が、新品になって戻ってきた。

運び屋は、名古屋の高木さん。

これで煩わしいT型カミソリでのひげ剃り作業から開放される。

冒頭をお借りして、ご両人にお礼を述べさせていただきます。



雨季の終わりがけは、マンギス(manggis)の季節のようだ。

シーズンによってフルーツが違うのは季節感があっていい。

この時期、パチュン家のマンギスの木は果実をたくさんつける。

私のテラスにある大テーブル上のガラス器に、毎日のようにマンギスが盛られる。

果実を採るために、木に登るのがこの頃の日課になっているパチュン君。

「渓谷沿いの木々が切られ見通しがよくなったので、怖くて天辺まで登れなくなった」とぼやいている。

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約束通り7日に、ルアック・ヴィラ・スパの現場で「ウパチャラ・ムチャル(お祓いの儀礼)」が行われた。

オーナーはジャカルタに住む中華系インドネシア人で、職人はジャワ人だが、ここはバリ。

バリのヒンドゥー教に従って、儀礼は遂行される。

たくさんの供物が用意された。

プマンク(僧侶)は、初代・影武者を建てた大工の棟梁だった。

渓谷に向かって、工事の無事を願い祝詞をあげた。

これで、安心だ。

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翌朝、パチュン君の目の前で、ムチャルに使われた「トゥトゥアン=Tutuan」と呼ばれる祠が渓谷に飛び込むように落ちていった。

写真の右隅に写っている、白い布が巻かれた竹製の祠です。

大人の背丈ほどあるトゥトゥアンが、頭から渓谷に向かって落ちて行く姿を想像した。

これは笑い事ではない。

私の背中に悪寒が走った。

もちろん、早々にトゥトゥアンは作り直された。


同じ日の夕方、不思議な事件が起きた。

テガランタン村のイダ・バグース氏がハンドルを握る車がサクティ橋の南を通りかかった時、不穏の音を伴って車体が落ちた。

車は止まったが、タイヤが一つ渓谷に向かって転がっていった。

タイヤは飛び込むようにして、渓谷に落ちていったそうだ。

パチュン君は見て来たように説明してくれた。

渓谷は、パチュン家の裏と同じ渓谷だ。

ブラフマ(高僧)階層のイダ・バグース家は、供物作りのプロだ。

現場の供物は、イダ・バグース家から仕入れたものだった。

この2つの事件に、繋がりを感じる。

ここは、神々の棲むバリ。

精霊からのメッセージか?

超怖い!

これって妄想。

メッセージの内容は?

取り敢えず、供物を欠かさないように心掛けようということになった。

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職人が入ったのは、3日後の昼近く。

5人の職人が、猫の額で掘削工事を開始した。

猫の額については「これは “妖怪神隠し” の仕業か?(78)」を読んでください。

サクティ橋は、架橋工事の途中、一度崖崩れを起こしている。

そんなことで私は、今回の工事現場の崖崩れが心配で、毎日覗くことに決めた。

私が覗いたからと言って、事故がなくなるわけではないのだが。

なんとなく気になるので。

サクティ橋工事で、作業中何人かのケガ人が出、亡くなった人もいると聴いている。

架橋現場だから、往々にして事故はある。

現場からケガ人がでないことを願っている。

ルアック側からバリ人スタッフが毎日、トゥトゥアン祭壇に神々のための供物を、そして、地霊の供物を地面に捧げている。


4日後に、パチュン君からこんな話を聴いた。

話していいものか躊躇しながらも語ってくれた。

35年ほど前、イダ・バグース家の家長が乗る車が渓谷に落ちた。

運転していたジャワ人は助かったが、父親は亡くなった。

場所は、現在のサクティ橋あたり。

これも、なにか因縁ぽい。

こうやって、バリの不思議を信じようとする私がいる。


posted by ito-san at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月11日

カフェ・チュンパカ “幻” のカレーライス(49)

私の大大大〜好物は、カレーライスだ。

ライスカレーとも言う。

「カレーライスとライスカレーとは違う」と知人は能書くが、私の知ったこっちゃない。

ウブドにカレーをメニューに出しているレストランは多い。

ほとんどが、鶏肉の入った “カリ・アヤム=Kari Ayam” と言う名のインドネシア料理だ。

ココナッツミルクの甘みとスパイスの辛みが絶妙にきいたシャビシャビ・スープ状のカレー。

深皿に入って出て来ます。

インド料理のレストランでは、もちろんインドスタイルのカレーが出る。

どちらも、日本のようにご飯にかけて食べることはない。

カリ・アヤム、インド・カレー、日本のカレー、どれもカレーと呼ばれるが、私は個々の料理だと思っている。

私はカレーと呼ばれる料理なら、なんでも食べれそうなくらい好きだ。

どの店で食べてもハズレがないのは、カレー好きが旨さの許容範囲を広くしているのかもしれない。

カリ・アヤムもインド・カレーも好きだが、やはり私は量感のある日本のカレーが大大大〜好きだ。

スプーンで、ご飯とカレーを均等にすくって口に運ぶ。

この作業を繰り返し、皿の上を奇麗に食べ尽くす。

ご馳走さまでした。


日本風味のカレーがウブドで食べられるようになったのは、1997年のこと。

「カフェ・チュンパカ=Cafe Cempaka」のオープンを待たねばならなかった。

現在「ALAYA」ホテルが建っている最奥にあったレストランだ。

当時「居酒屋・影武者」にカレーライスはなく、私は好物のカレーライスを求めて「Cafe Cempaka」に出掛け2階席で至福の時間を過ごした。

オーナー・みちこさんが時間をかけて作ったカレーは、絶品だった。

「どう美味しかったのか」と問われても困る。

料理について説明は苦手ですので、ゴメンナサイです。

ほかのメニューもおいしかったと思うのだが、私の記憶のほとんどがカレーライスで埋められている。

2階からは、両手を広げた幅いっぱいにライスフィールドが見渡せた。

吹き込む風が、ちょっと強かったのを思いだす。

残念なことに2年弱で閉店。

こうして、みちこさんのカレーライスは、私の中で “幻のカレーライス” となったのである。



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4月6日(日)、 “幻のカレーライス” を何年ぶりかで食べさせていただく機会を得た。

ニュークニン村にある、みちこさん宅に友人たち総勢9人が集合した。

みじん切りにしたタマネギ9個は姿形もなく、鶏肉もほどよくホツレ煮込まれていた。

2日にかけて数時間、煮込んだと聞く。

「腱鞘炎になってしまう」と言いながら、鍋とニラメッコするみちこさんを想像すると微笑ましい。

みんなの為に頑張ってくれたのだ。

感謝・感謝で、今回も美味しくいただきました。


みちこさんの “幻のカレーライス” はこんな機会でしか食べられないが、私のカレー懐古心を満たしてくれる店がウブドに3店あるので紹介したい。

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まずは「ワルン・ソフィア」。

ペネスタナン村の “日本料理風居酒屋・ワルン”です。

私は、餃子+大根サラダと共に、具だくさんのソフィア特製ポーク・カレーライスRp35,000-をいただく。(写真)

女将からの要請で:15時から17時はタイムサービス、バッソー(アヤムかイカン)、肉まんか野菜まん、紅茶のセットがRp30,000ぽっきり。TAXもインクルード!! を追加しました。

★場所:チャンプアン橋の西、急な坂を登りつめた突き当たり。

★営業時間:3.00pm〜10.00pm/定休日・日曜日&儀礼祭礼日。

★TEL:0819-1643-7658(日本語可)



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そして「ジャパニーズ・カレーの加哩屋」。

2014年1月にオープンした「カフェ・アンカサ」系列の店。

ローカル客を対象にした値段設定は、長期滞在者にも魅力。

トッピングの種類も豊富だ。

写真はポーク・カツ・カレーRp28,000-(野菜カレーRp16,000〜/揚げ野菜カレーRp18,000〜もあるよ)。

★場所:ウブド・ワルン・リスト:[スグリオ通り]を参照ください。

★営業時間:12.00am〜21.00pm/定休日・月曜日&儀礼祭礼日。

★TEL:0822-3682-8306/

★Email:kare_ya@angkasa-bali.com/



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最後に「日本料理店・影武者」。

「影武者」は、日本の家庭料理でもてなすレストラン。

だからカレーライスもメニューにある。

写真はポーク・カツ・カレーRp50,000-(野菜カレーRp43,000-もあるよ)。

★場所:5月中旬に、現在のプンゴセカン通りからニュークニン村に移転予定。

★営業時間:11.00am〜11.00pm(オーダーストップ10.30pm)/定休日・儀礼祭礼日。

★TEL:0361-973134/


3店3様。

どの店も美味しそうでしょう。

それぞれに店の特徴を出し、顧客に満足してもらうための努力をしている。

さあ今夜は、どの店のカレーライスを食べようか。

posted by ito-san at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

ウブド・ラジオ2周年おめでとう!(48)

今年に入ってから、月始めに一度ゲスト出演している「ウブド・ラジオ」。

「私ごときがゲストでも、誰も聴いてくれないでしょう」と、ズ〜っと出演を辞退していたが、熱心にお願いされて断るのも傲慢だし、請われるうちが華だと思えるようになって承諾した。

日本一時帰国までの期間限定条件だが。

いつものようにいつもの時間に、ウブド・ラジオのスタジオに到着した。

スタジオと言っても「カフェ・アンカサ」の客席ですが。

いつもより雰囲気が豪華に感じるのは、盛り花が飾られているせいか?

盛り花は、リスナーからのプレゼント。

今夜4月4日は、なんと「ウブド・ラジオ」2周年記念日だそうだ。

そんな記念すべき日のゲストとなった。

「ウブド・ラジオ2周年おめでとう!」

ちょっと得した気分でウキウキ。


「ウブド・ラジオhttp://ubudradio.com」をご存知じゃない方がいるかな?

そんな方のために、少々説明させて頂きます。

ウブド・ラジオは、バリ島ウブドからインターネットで映像と共にUstream発信しているトークショーです。

トシ君&コテツちゃんの絶妙なコンビが、毎週金曜日:日本時間22.00〜23.00「カフェ・アンカサ」からお送りしている番組です。

毎週放送していて、2周年って凄くない!

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長期滞在の2人の話題は、宗教、文化、芸能、習慣、ウブドのニュースと豊富です。

バリ島の、特にウブドを中心とした話題なので、ウブド好きにはたまらない番組でしょう。

放送時間1時間となっていますが、未だかって時間内で終わったことはないようです。

映像は、数日後にYouTubeにアップされます。

時々、ウブド訪問中の旅行者や長期滞在者をゲストに招いています。

多彩なゲストが出演して、おもしろいですよ。

これまでの出演者の映像がYouTubeに残っています。

是非、御覧ください。


運営者トシ君から一言です。

ウブドラジオ2周年!

誰かに頼まれたわけでも、仕事になってるわけでもなく、それでも2年が経ちました!ほんと不思議。

わずかでも見てくれる人がいることと、出演したり協力したりしてくれる方がいること。

ありがとうございます!

それだけですね〜続いてる理由は。

あと始める時に言った「なにかが生まれる場にしたい!」って思いは、ちらほら、ですが実現してこれた気がします。

ちらほら、ですが確実に少しづつ。

それがまた嬉しくて。

3年目も緩く頑張ります!

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5月2日が私のゲスト出演最後となります。

最後だよ、最後。

これまで見逃した方は、最後のチャンスです。

生の私を見てくだい。

イヤイヤ私じゃなくて、ウブドを盛り上げようと一生懸命のトシ君&コテツちゃんを見てやってください。

ウブドの日本人社会のまとめ役になりつつある2人に、エールを送ろう。

「ウブド・ラジオ2周年おめでとう!」

末永く「ウブド・ラジオ」が続くことを、切に願っているito-sanです。


posted by ito-san at 16:52| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

これは “妖怪神隠し” の仕業か?(78)

パチュン家ファンの皆様に報告です。

ニュピが明けた日、パチュン家では一大事件が起きた。

あの鬱蒼とした林が一瞬にして消えてしまったのです。

神隠しに遭った気分ですよ。

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な〜んて書いたら、みんな、驚くだろうな。

でも、実際に木はなくなっている。

写真に細工のあとが見えない。

私に、そんな技術もないし。

では、いったいどうなったのか?

ジャジャ〜ん!

種明かしをしましょう。

渓谷沿いの木々が倒されたのです。

「それはわかるけど、いつのまにか、勝手に切られたの?」

疑問を抱くのは、もちろんです。


パチュン家の渓谷沿いの土地は、プリアタンの王族が所有している。

猫の額よりも狭い土地です。

わかりにくい説明でゴメンナサイ。

何はともあれ、この土地を「ルアック・ウブド・ヴィラ=Luwak Ubud Villas」が購入していた。

1年ほど前から、パチュン家の裏・猫の額を利用した、スパ建設計画があるのは聞いていた。

「ルアック・ヴィラ」の渓谷沿いの土地は猫の額よりもさらに狭く、資材の搬入をスムーズにできない。

そんなことから、パチュン家が工事現場への通路として利用される。

2階建てのスパを建設し、エントランスはヴィラに通じるように作るらしい。

崖にそって12メートル、川に向かって6メートル張り出す建物が建つ。

現場が始まれば、数ヶ月、作業員が屋敷内を横切ることになる。


いよいよ、実行されたのだ。

バリ歴の吉日にのっとり、木を切ってよい日が選ばれたのだろう。

作業は2日の朝9時、チェンソー職人が供物が捧げたあと始まった。

木々は一瞬に消えたわけではなく、午後4時までかかって切り倒された。

空き地は、まさに猫の額。

対岸の景色が開けた。

このあたりの渓谷では、精霊の話をよく聞く。

ムチャル(お祓い儀礼)は、7日と決まった。

しっかり、お祓いをしてもらわなくては。

お祓いをしなかったばかりに起こった事件が「極楽通信・ウブド奇聞・
妖怪ガマンは赤たまねぎが苦手」に載っています。

興味ある話です、読んでみてください。

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向かう側(サクティ村)に、ヴィラの建築現場が見える。

その北隣は「ヴィラ・ビンタン」。

今月の「第61回ウブド・本の交換会」の会場は、「ヴィラ・ビンタン」の喫茶室「ビンタン・ダイニング」で開催される。

日程は、4月27日の日曜日です。

時間は、昼間の12時から15時まで。

皆さん、参加してください。

本の交換会のエピソードを「ウブド日記:ウブド・本の交換会(43)」に書きました。

ご理解の上、ご協力くださるとありがたいです。

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話が横道にそれましたが、それにしても、夕焼けが奇麗。

以上、報告終わります。

posted by ito-san at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

オゴホゴ鑑賞はテガランタン村で(77)

ニュピ前夜のオゴホゴ(ogoh_ogoh)行列は、宗教色は薄く、村人の娯楽イベントと考えてよいだろう。

年を追うごとに大掛かりになり、カーニバル化してきている。

観光イベントにしている、村もある。

村の活性化には、最適な素材だ。

イベント屋の過去を持つ私は、カーニバル化には大賛成だ。

躍動的に成長する過程を見たい。

今年の私は、カーニバル化したウブド、パダンテガル、プリアタンを袖にして、地元テガランタン村の小規模なオゴホゴ行列を見学することにした。

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ダラム寺院とデサ&プセ寺院の間の広場に、オゴホゴが陳列されている。

例年より多い、8体のオゴホゴが集合した。

テガランタン村も年々、気合いが入ってきている。

発泡スチロールとウレタン・スポンジで作られるのは気に入らないが、村人が満足しているのなら今日のところは目をつぶろう。

機会を見つけて、竹などの自然素材を使って作る方法を推薦しておこう。


オゴホゴ行列のスタートは、夜6時30分と聞いている。

行列は村の北端に行ったあと、南端であるサクティ橋まで練り歩く。

サクティ橋の詳細は:2013年11月12日:■サクティ橋(仮称)の開通(64)をお読みください。

私はサクティ橋に近いパチュン家の前で待つことにした。

バレガンジュールの激しい音が聴こえた。

これは、川を隔てた東にあるクトゥ村の方角だ。

西にある渓谷の向こう、ブントゥユン村からも聴こえてくる。

オゴホゴ行列は、ウブド周辺の村々でも行われるようになった。

バレガンジュールの音が一段と大きく響いてきた。

我が村テガランタンのオゴホゴ行列が近づいてきたようだ。

私は、カメラを手にして部屋から出た。

パチュン君、奥さん、長女アユが門前に腰をおろしていた。

長男マデはニュピの出勤で、今夜はホテル泊になるらしい。

次男コマンは、バレガンジュール隊に参加している。

道は、街路灯が消され真っ暗だ。

見上げれば、満天の星。

北から、たいまつの灯りが降りて来る。

たいまつを持つ役は、幼い娘たちだった。

オゴホゴ神輿が続いている。

神輿の担ぎ手は、高校生以下の子供たち。

元気な掛け声が繰り返される。

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ウブド・グリーン・ホテルの前でデモンストレーション。

ホテル前で西洋人ツーリストが見学していた。

静寂の日ニュピは、ホテルで迎えるんですね。

「良いニュピをお過ごしください」

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サクティ橋の上で、たいまつ隊がオゴホゴ神輿を迎える。

たいまつのまわりを飛びかう蛍の光が、いくつか見えた。

橋のたもとで、オゴホゴ神輿が次々にデモンストレーション。

神輿を激しく揺すりながら、グルグルと廻る。

元気な声が響き渡る。

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テガランタン村でオゴホゴが作られるようになったのは最近のこと。

それまでは、ウブドやプリアタンに見学に行っていた。

おらが村でも独自のオゴホゴ神輿を担ぎたいと思っていただろう。

そんな夢が実現したかのように、行列に参加している村人の顔は誇らしげだ。

沿道の村人も楽しそう。

担ぎ手、行列に参加する者、見学者のすべてが村人。

村人による村人のためのオゴホゴ行列。

後ろをついて歩いて、これが村の絆を強くする一体感なんだろうな、と思った。

彼らの眼には、私とホテル前の西洋人ツーリストの姿は映っていない。

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役目を果たしたオゴホゴは、火葬儀礼場で燃やされた。
posted by ito-san at 15:29| Comment(4) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする