2014年05月07日

きっかけは、アパ?情報センター(2)

ウブド生活は快適だ。

何の疑問も持たず、このまま滞在し続けるのだろうと思っていた。

それがまたどうして。

なぜ日本に帰ろうと考えたのか?

それを説明するのは、私の恥ずかしい話を告白しなくてはならない。


それは2年前、2012年7月の末のことだ。

「アパ?情報センター」の契約更新の時期が近づいた。

アパ?は、モンキーフォレスト通りに1995年8月20日開設された、日本人専門の情報センターだ。

プリアタン村ダラム寺院のオダランで、日本語を勉強しているニョマン君と3年続けて会ったことに《縁》を感じて開設した。

資金がないため旅行業の許可を得ず、バリ人名義で営業。

そんなことで、私は裏方だった。

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アパ?の営業も17年が終了し、いよいよ18年目に突入する。

20年間続ける目標で、あと3年は延長しようと考えている。

毎回契約更新は自己資金が不足で、たいてい私が補充している。

今回はまだ、責任者のニョマン君から連絡がない。

連絡のない所をみると、良きに計らっているのだろうと楽観的に考えていた。


ある日「カフェ・アンカサ」を訪ねる途中「アパ?」を覗くと、営業していなかった。

内部は、荒らされたように雑然としている。

これはどうしたことだ。

ニョマン君に連絡を取ると「アパ?情報センター」の閉店を告げられた。

理由は「お客様が少ない」「インターネットで営業できるので、家でやりたい」だった。

突然の展開だ。

「スタッフには。退職金を払いました」

払われたお金は、契約更新のための積み立て金だ。

積み立て金が不足で契約更新がままならないのなら、私に相談があるはず。

しかし、今回は相談がなかった。

会った時には「もう閉めました」だった。

一言、相談して欲しかった。

ニョマン君にはニョマン君の事情があったのだろう。

もっとも信頼していた人物に裏切られた気持ちだ。

周囲のバリ人の好意だけで成り立っている、私のウブド滞在。

できれば、ニョマン君の事情も話して欲しかった。

頼り切っていただけに、ショックは大きい。

その時の私は、きっと呆然としていたことだろう。

APA?2.jpg

私はアパ?からいただける少ないお金で生活している。

これまでなんとかやってきた。

いきなり絶たれては、死活問題だ。

さて、どうしたものだ。

来月から入金はない。

浮き足立ったね。

精神がフラフラしたよ。

ウブド滞在で、精神的にも金銭的にも不安を持ったことがなかった。

この気分、日本にいた時にビジネスの失敗で数回抱いている。

さまざまな考えが渦巻いた。

取りあえず、日本に帰るか。

ウブドに滞在して始めて、日本に帰ることを考えた。

日本での生活を想像してみた。

それはあり得ないか。

ウブドで何とかならないものか?

スタッフのひとりだったワヤン君に相談した。

ワヤン君は、私と一緒に働きたい態度を示してくれた。

「アパ?情報センター」が存続することになり、私のウブド滞在も続けられる可能性が出た。

しかし、私の心中に《帰国》の二文字が刻印のように残されていた。

老後の生活のことも考えて、一度日本に戻ってみようか。

住み心地がよければ、日本に住むのもいいかもしれない。

こうして、ウブド滞在25年の節目として「日本一時帰国」を決行することにした。


日本には、息子夫妻と孫がいる。

離婚した時に「息子さんからお父さんに会いたいと意志を持つまでは会うことはできません」。

これが家裁からの条件だった。

息子とは、15年前にウブドで再会を果たしている。

禁止命令が解かれた今、私は大手を振って会いに行ける。

息子の奥さんと、その子供には初対面だ。

今年小学校に入学した孫は、お爺さんに会ってどんな反応をするだろうか?

多いに楽しみで、ちょっと心配でもある。

posted by ito-san at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 名古屋一時帰国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする