2014年06月20日

行ってきました西大須へ(13)

6月12日(木)

友人との待ち合わせには、もうしばらく時間がある。

私は地下鉄を途中下車して、懐かしい土地に向かった。

名古屋市中区西大須だ。

西大須には、名古屋で有名な大須観音がある。

「大須ういろ」「寿がきや」の発祥地でもある。

大須観音.jpg

私は、ここで20代の後半を過ごした。

思い出深い街だ。

きっかけは、ちょっとしたことだった。

「西大須商店街」のイベントが、大学教授を中心にして催されようとしていた。

衰退気味の商店街を活性化しようという企画のようだ。

私は冷やかし半分で、数人の仲間を連れてイベント事務所を覗いた。

企画はズサンなものだった。

意見を述べているうちに、いつの間にか主催者側の人間となって動いていた。

ライブコンサート、フリーマーケット、大須大道芸人祭りetc。

「大須大道芸人祭り」は、今も続いているようだ。

西大須ビルの持ち主で、ロウソクの芯を作っている会社の社長が「イベント成功の功労に地階を自由に使ってくれ」と提案してきた。

この頃、私の周りには時間を持て余した若者がたくさんいた。

私は喜んで使わせてもらうことにした。

西大須ビルは、昭和初期のアンティックな建物。

地階は、戦後40年以上も使われていない廃墟だった。

30センチも積もった残骸と泥を搔き出していくと、小口タイルの腰壁と床が姿を現してきた。

戦前は、カフェとして営業していたのだろう。

さっそく、仲間たちとで手作り。

タイムスリップしたような穴蔵の店は「コマンド」と名付けられた。

当初は、クリエイティブな連中を集めたバーだった。

ある時、ロック・グループの出演するハウスが欲しいと言う要望が聴こえた。

どうせ好意で借りている小屋のこと、有効利用したほうがいいだろうと、まったく経験のないライブ・ハウスを営業することになった。

こうして「ライブハウス・コマンド」が誕生した。

音楽以外には、前衛舞踏グループの公演もあった。


「西大須商店街」のイベントでは、鐘楼の上でMCをした。

準備に追われたまま、ビリビリに破れたジーパンで立った。

なぜか「山本寛斎さんが来ておられます」と紹介させられたな。

鐘撞き堂.jpg

大須観音の前に立つと、マンションの壁面に描かれた大きなイラストが目に入った。

大須仁王門通り壁画.jpg

矢印の先には、大須仁王門通りのアーケードが。

大須仁王門通り.jpg

仁王門通りアーケード入口にある派出所には、ライブの住民苦情に温情を加えてもらうために、よく鶏の唐揚げを差し入れした。

ヤクザの組事務所が数件ある地域でもあるので、付け届けしていたのだと思う。

コマンドの並びにも侠客の事務所があった。

大親分だということで、この並びは安全だったと言える。

時々、ヤクザっぽい兄さんが階段を下りて来るが、雰囲気が違うと察すると帰っていく。

そんな作りの店だった。

大須・派出所.jpg

「七ツ寺共同スタジオ」が無くなると聞いた。

この小屋で、劇作家・北村想も活躍していた。

七ツ寺共同スタジオ.jpg

「ライブハウス・コマンド」閉店のあとは、友人の茂ちゃんが跡を継ぎ「E.L.L」を開店した。

「E.L.L」も、今は移転している。

西大須ビルは、アンティックな造形を残して、オシャレにリニューアルされていた。

西大須ビル1jpg.jpg


西大須ビル2.jpg


posted by ito-san at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 名古屋一時帰国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする