2014年08月20日

パチュン家のマデ君、クルーズに乗る(85)

8月18日の昼下がり。

「明日、出発します」

テラスからおりる私を見つけて、東屋(バレ・ダギン=儀式の為の建物)からマデ君が声を掛けてきた。

東屋に腰をおろして、数人と雑談していたようだ。

明日の出発を控えて、親戚の人が “別れの挨拶” に訪れているのだろう。

唐突な言葉だが、以前からクルーズに乗ると聞いていたので、そのことだろうと理解した。

「船に乗ることになったの?」

当然の質問を返した。

「明日、早朝にジャカルタへ行きます」

「それはおめでとう」

申し込んでいた乗船が決まったからだろう、マデ君は自信に満ちて一段とたくましく感じた。


マデ君は、グスティ家の長男。

正式名には「イ・グスティ・ヌラー・ヨギスワラ(I Gusti Ngurah Yogiswara)」。

1994年4月4日生まれ。

20才になったばかりだ。

ウブドの高校では、コンピューターを専攻した。

高校卒業後、デンパサールにある観光学校に1年間通う。

すでに将来を決めていたのか、バーテンダーの勉強をしていた。

私なんかは、高校卒で社会人になるのが不安で大学まで卒業させてもらった。

そんな私のワガママが許される家庭環境だったと言うことだ。

大学へ通ったからといって勉強するわけでもなく、ただ遊んでいただけ。

親に申し訳ないと思いながらも、できれば大学も留年しながら8年間通いたかった。

そうです、私は芯からの怠け者なんです。

しっかり者のマデ君は観光学校を卒業すると、ウブドにあるホテルのバーに見習いで入った。

見習い期間中、行く末を考慮中。

いつの頃からか、クルーズに乗ることを決めていた。

クルーズとは豪華客船による周遊観光のことだが、ここウブドでは乗務員として乗船することを現す。

アジア、ヨーロッパ、アメリカと幾種類かの航路があり、旅客船会社も多いと聞く。

クルーズに乗船するには、エージェントに大金を支払わなければならない。

「何でも自分で決める子なんです。家でじっとしていることが嫌いな子で、いつも友人の家に出かけて行く」と母親は言う。

今回もエージェント探しから、申込、面接と済ませていた。

父親パチュン君もおおいに思案したようだが、息子のために一肌脱いだ。

クルーズで仕事をすれば、バーテンダーと英語のスキルがアップすることを保証されたようなものだ。

ほとんどの青年が、3度4度とクルーズで仕事をし大金を掴む。

クルーズを降りてから起業し、成功するウブド人も多い。

25年前から、クルーズ乗船はウブドのサクセス・ストリーでもある。

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私の20才の時の初海外は、旅行だった。

寂しくなればいつでも帰れた。

そんな気楽な旅だった。

マデ君の場合は、仕事だ。

ジャカルタへは、国内線の飛行機に同期2人と同乗する。

初のジャカルタ、初の飛行機搭乗。

仲間の2人も初搭乗だと聞く。

2日間ジャカルタで講習を受けて、翌日は香港へ。

香港から、いよいよクルーズに乗船だ。

10ヶ月の船上での仕事。

就職、クルーズ乗務、海外、すべてが初になる。

初心者は、エージェントから航路を割りふられる。

比較的、ゆるめの航海を選んでくれるようだ。

始めは、カジノのウエーターだと聞いている。

こちらも徐々にレベルアップされるていくのだろう。

マデ君の顔からは、夢の実現に向けて楽しみいっぱいのようだ。

少々の日本円と米ドルを「何かの時に使いなさい」と手渡した。

pacung-family2.jpg

翌朝、マデ君は、晴れ晴れとした顔で出発して行った。

心細いだろうと思うのは、私の思い過ごしだろう。

10ヶ月後、私はパチュン家にいない。

次は、いつ会えるかわからない。

私の方が感傷的になっている。

「元気でな!」
posted by ito-san at 16:56| Comment(2) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする