2014年10月24日

あったらいいな “深夜食堂” @ウブド(77)

「料理が出来るようにならなくっちゃ」

私の戯言を聞いていたウブド・リピーターのAさん。

日本のテレビ番組をUSBから私のパソコンに入れてくれた。


番組名は「深夜食堂」。

夜12時から翌朝7時まで開店している食堂の話。

こちらも「孤独のグルメ」と同様、低予算の番組だ。

「孤独のグルメ」が既存の店を取材するのに対して、「深夜食堂」は架空の店。

スタジオ内のセットで撮影が行われているようだから、「孤独のグルメ」よりはお金がかかっているのかもしれない。

それとも私が知らないだけで、屋外での撮影の方がお金がかかるのかな。

内容は、わかりやすい。

一つの料理にまつわる話に絡めて、繰り広げられる物語。

御涙頂戴。

そして、ハーッピーエンド。

料理を一品覚えられるのが嬉しい。

リピーターのAさんの意図は、ここにある。

視聴率は高いらしい。

ある意味で「お見事な仕事」だとも言える。

やっぱりこれを観て「日本って平和だな」と国民は勘違いさせられるんだよな。


他ごとをしながら観られるのがよい。

第二十話まで観た。

人口数百人の町で、食堂はここしなないのか、と思うほど密度の濃い偶然が重なる。

「ありえな〜い!」と叫びたいほどのありえなさだ。

こんな風に偶然が重なる物語を人前に発表することが許されるなら、脚本家は楽だろうな。

テロップで「この物語はフィクションです」と出るが、あたりまえだろう。

どこにこんな実話があるってんだい。

言葉が、べらんめい調になっちまったよ。

薄っぺらな人間模様も、単細胞の私にはいい。

30分番組で一編の物語を完結するんだから、大雑把にハショルのもしかだがない。

不幸な娘たちは、いずれもモデルか女優さんになれるほどの美人揃いなのも、ありえない。

こんなに美人なら、暗い過去があっても、恋人はすぐに見つかるだろう。

私が立候補したいくらいだ。

テレビの中の話に、真剣に反応する自分が怖い。

今、気がついたが、年を重ねるととものに物事を素直に見られなくなってきた。

偏屈になってきたかもしれない。



私の「孤独のグルメ・ウブド編」です。
ベスト6件の残り3件です。


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《ワルン・ビアビア=Warung Biah-Biah》のナシチャンプール


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《ワルン・ケレウー=Warung Kereuu》のフーヨンハイ


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《ワルン・タマン=Warung Taman》のクゥエティオ

私のお気に入りのお店を紹介させて頂きました。

ご利用ください。

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2014年10月22日

孤独のグルメ・ウブド編(76)

ウブド・リピーターのAさんが、日本のテレビ番組をUSBから私のパソコンに入れてくれた。

「主人公が伊藤さんと同じインテリア・デザイナーだったので、興味あるかなと思って」と言いながら。

主人公の井の頭五郎は、インテリア雑貨を扱う貿易商という設定。

私は、元店舗デザイナーです。


「孤独のグルメ」を観て。

第一感想は、こういう物語がテレビドラマになるんだ、だった。

仕事の途中、降り立った町で見つけた食堂に入る。

食べるをテーマに、食堂を紹介する。

この内容で30分番組が仕上がり、視聴率が高いとは驚愕だ。

視聴者は、きっとサラリーマンなんだろうな。

制作費が低予算なのは理解できる。

時代は低予算番組しか作らせてくれない。

安価な制作費を求められる苦肉の策。

それにしては頑張っている仕事だ。


次に感じたことは。

こういうナルイTVを観て「日本って平和だな」と国民は勘違いさせられるんだ、だった。

勘違いの平和ボケしているうちに、日本って国は大変な方向へ傾いていることに気がつかない。

視聴者が頭を使わない番組を流して、ボケ人間にしていく。

この番組から何を吸収すればいいのか。

単に、情報提供の番組なのかな。


そんな所感を持ちながら、シーズン4まで観た。

カリスマ・シェフじゃなくて、普通に美味しい店の紹介というのがよかった。

匂いが伝わらないのが残念だが、食事のシーンは平和でいい。

食べ物を食べてのコメントが少ない。

「美味しい」「旨い」としか言わない。

味について評論をしないのがよろしい。

この番組、セリフが少ないので台本家は苦労するだろうな。

だからしょうもない「おやじギャグ」でお茶を濁す。

私が使えば「おやじギャグ」と一刀両断される駄洒落の連発。

気になったのは、子供には見せられない下品な食べ方だ。

まだ口に食べ物が残っているのに、汁物かお茶で流し込んでしまう。

平皿を手に、箸で送り込む。

忙しい飯場仕事のオヤジじゃないんだから。

「人のふり見て我がふり直せ」と教えられる場面でもある。

難点もあるが、気負わず観られた。

リピーターのAさん、ありがとう。

こうして私の思考回路がボケていくのであった。



私の「孤独のグルメ・ウブド編」です。

ベスト6件を選んでみました。

まずは3件。


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《和るん・あんかさ》のカルボナーラ


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《ワルン・サリ・ラサ=Warung Sari Rasa》のナシゴレン


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《ワルン・マンガ・マドゥ=Warung Mangga Madu》のカレーアヤム

次回は、残り3軒を紹介します。
ご期待ください。


posted by ito-san at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月18日

ルシ・マルカンディア@グヌン・ルバ寺院(75)

10月15日(水)

3日間、連チャンでグヌン・ルバ寺院詣で。

今宵の奉納舞踊は「ルシ・マルカンディア物語」。

ウブドゆかりの歴史上の人物「ルシ・マルカンディア」。

1200年前、この地にルシ・マルカンディアが立ち寄ったと言う事実がある。


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「ルシ・マルカンディア」の彫像は、以前、ジャボ・トゥンガー(中庭)にあったが、新装になってからはジェロアン(奥庭)の祭壇前に安置されている。


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8時開演の予定は、お約束通り10時に始まり。

おかげで、1時間待ちの参拝も余裕で参加できた。

15人ほどの高僧プダンダとその奥方とウブド王族との記念写真に、お祈りの時間が少し取られたことを記しておきます。

怒っているわけではありません。

微笑ましい場面が見学できた。


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奉納舞踊は、バリ語のセリフでさっぱり理解できないが、クデワタン、アユン、パヨガン、チャンプアン、グヌン・ルバなどなど聞き慣れた単語が聞こえてくる。

歴史的なことはわかっているつもりなので粗筋はつかめる。

粗筋については、アパ?のホームページ「高僧ルシ・マルカンディア(Rsi Markandeya)」を御覧下さい。

だから、ここでは説明しない。


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この舞踊は、昨年のアートフェスティバルに発表したものらしい。

昨晩まで、ウブド・サレン王宮で仕上げの練習に励んでいました。


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出演者は50人を越えていただろう。

全員が容姿も踊りも美しい。

踊り子さんの層の厚さに驚きでした。

「ウブドの踊り手の層が厚いのは、定期公演の会場が多いからだ」との説を解いた知人がいた。

出演のチャンスが多いから、彼女たちのレベルがアップするという理由だ。


1時間30分の上演に大満足。
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2014年10月17日

ナンディール@グヌン・ルバ寺院(74)

10月14日(火)

今宵の芸能は「ナンディール=Nandir」。

タロ村のグループが奉納する。


“ナンディール” という踊りは、コリン・マクフィー(1901〜1964)著「A HOUSE IN BALI(1964年出版)」に出て来る。

マクフィーの1931年から1938年までの通算5年間のバリ滞在の話が、彼の敏感な観察力によってまとめられた本だ。
サヤン村出身のサンピ少年の親代わりとなって、プリアタン村の楽団(現グヌン・サリ)の人気踊り手に育て上げる話なども興味深い。

80年も前の話だが、現在のバリにも通じる事柄が多く、バリ好きには必読本ですか。

「A HOUSE IN BALI」は英語版。

私はもちろん、日本語訳・大竹昭子「熱帯の旅人・バリ島音楽紀行(1990年)」で読んでいる。

「アパ?情報センター」ホームページの「バリ関係・推薦本」に紹介されています。

“ナンディール”とは「レゴンと同じ踊りを男の子が踊るものです。今はもう観られませんが、昔はよく、男の子が女の子の踊りを踊ったものなんです」とある。

原文には「It is no longer danced. It was the origin of legong. Boys took the part of girls then more often then now.」と書かれてある。

そして、用語解説には「少年たちが女装して踊る宮廷舞踊で、レゴンの前身。のちにこれが少女によって踊られるようになりレゴンに発展した」と説明されている。

宮廷舞踊はいつの時代からか奉納舞踊となるが、それ以前、寺院内での奉納舞踊の演者はすべて男性だったと聞いている。


“ナンディール” は、グヌン・ルバ寺院から尾根伝いに北上したタロ村に伝承されている。

タロ村は、ルシ・マルカンディアが拓いた歴史は古い村。

1996年に、一度チャーターしたことがある。

Pura Agung Gunung Raungの横にあるワンティランで披露していただいた。

少年によって踊られると信じて疑っていなかったが、現実は厳しく、踊子は少女だった。

衣装から判断するに、男性と女性によるカップル舞踊のようだ。

「男子の踊り手が見つからないのですよ。恥ずかしがっちゃってね」村人が内情を説明してくれた。

本来なら、どちらも男性が演じるということだろうか?

はてはて “ナンディール” は、どんな内容の舞踊なんだろう。

振り付け&衣装は、現在観られる女性舞踊の形態を外していない。

救われたのは、演奏に使われたガムランが、タロ村に500年前から伝わるスマル・プグリンガンだったということ。

スリンを活用した曲調は、山あいの村に響き渡り、それはそれは感動的だった。

数年後、ホテル・イバで行われたイベントで “ナンディール” が公演された。

踊り手はひとり。

お年寄りの男性だった。

しなやかな踊り手は、途中、倒れて担がれていった。

最後の男性踊り手だったそうだ。


さて今宵の “ナンディール” は、いにしえを彷彿(ほうふつ)とさせてくれるだろうか?

7時開演予定の奉納芸能は、いつものように8時を廻って始まった。

会場はジャボ(外庭)だ。

昨夜の人出が嘘のように、参拝者は少なかった。


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準備中の踊子さんたち。


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タロ村で鑑賞した“ナンディール” の踊り手は2人だった。

今宵は、3組の6人。

団体舞踊になったのかな。


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お祈りを終えた村人が退場して来て混雑。

踊りにくそうで可哀想。

さてさて 今宵の “ナンディール” だが 。

団体演技の豪華版だった。

勉強不足で、この舞踊のイメージがつかめない。

もしかすると、物語になっていないのかもしれない。

まあ、それはそれでよしだ。

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2014年10月16日

チャロナラン舞踊劇@グヌン・ルバ寺院(73)

10月13日(月)

グヌン・ルバ(Pura Gunung Lebah)寺院のオダランが続いている。

8世紀に「ルシ・マルカンディア」が建立したと言われるウブド起源の寺院。

拡張・修復工事が長引いて、ウク暦で4年ぶり(西暦で約2年)に行われるオダラン。

通常なら3日から7日間ほどのオダランだが、今回は新装のため9月27日から10月20日までと大規模になっている。

大混雑が予想され、私は未だに寺院には行っていない。

現金な奴で、今宵「チャロナラン舞踊劇」が奉納されると聞いて、いそいそと出かけた。

ご存知の方も多いかと思いますが、私、チャロナラン舞踊劇に眼がないのです。


行列Gunung Lebah1.jpg

夜10時到着。

今日が特別かもしれないが、寺院に渡る橋の手前から参拝の村人で大混雑。

寺院内の映像がスクリーンに映し出されている。


学校Gunung Lebah2.jpg

チャンプアン橋のたもとにある高等学校の校庭は、儀礼場とワルン棟に明け渡し、夜にはギャンブルが開帳される。

オダラン期間中、短縮授業になっているようだ。


落合Gunung Lebah3.jpg

チャンプアンの語源である、川が交わる場所。


豪華Gunung Lebah4.jpg

修復されたグヌン・ルバ寺院は、煌びやかに変身していた。

彫刻類も一段と細密になり、豪華さを増している。

バリの経済成長を窺い知ることができる。

今後、観光地ウブドの目玉としての役割を担うことになりそうだ。


踊子Gunung Lebah5.jpg
バロンGunung Lebah6.jpg

チャロナラン舞踊劇は始まっていた。

会場のジャボ(外庭)には人が溢れ、入場は容易ではない。

ジェロアン(奥庭)は、お祈りの村人でいっぱい。

入場するのはあきらめた。

私はジャボ・トゥンガー(中庭)の隅に腰を下ろして、静観することにした。

0時を廻って、私はジェロアンに入った。

50体ほどのススオナン(バロンランダ)が、ジェロアンを囲うように安置してある。

お祈りを済ませ、寺院をあとにした。

奉納芸能は、翌朝6時まで続いたそうだ。

posted by ito-san at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月15日

サーカスブリッジ@ニュークニン村(72)

サーカスブリッジってご存知ですか?

その昔。

昔と言っても、私が訪れた1990年にはあったという話。

ニュークニン村とシンガクルタ(Singakerta)村を結ぶ橋。

今、当然のように通行している橋は、1997年2月の完成。

バリで始めてのS字型架橋だそうです。

このS字型架橋が完成する前は、渓谷に下りて、岩と岩とを繋いだ竹の橋を渡っていた。

それが「サーカス・ブリッジ」と呼ばれた橋だ。

ツーリストは「bali path finder」を頼りに歩いた。

私は日本語訳小冊子「バリ島・海のない村へ」を役立たせていただいた。

ウブド西チャンプアン橋を越えて、ペネスタナン村からシンガクルタ村へ。

シンガクルタ村から「サーカス・ブリッジ」を渡りニュークニン村へ。

ニュークニン村からモンキーフォレストを抜けてウブドに戻る、3〜4時間の散歩コース。

「サーカス・ブリッジ」は、大人ひとりが通るのにやっとの橋で、自転車は担いで渡る。

橋のたもとは、村人のマンディ場。

巨大な岩の間で小エビを採る子供たちの姿も見られた。

渓谷にホテルがオープンして、マンディする村人が減った。


久しぶりに「サーカス・ブリッジ」のあったあたりを散策してみよう。

まずは、ニュークニン村側から降りてみます。

S字型ブリッジが出来る前は、ニュークニン村南端の雑木林だった。

そこを切り拓いて橋を架けた。

「日本料理店・影武者」からS字ブリッジに向かう。

ホテル「バリ・スピリット」とブリッジの間にある小道を辿っていく。

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ブリッジの下に出る。


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ニュークニン村側からのマンディ場。

写真の中央あたりに「サーカス・ブリッジ」はあったはず。

ちょっと記憶が曖昧。

左上の流木を覚えておいてください。

のちほど、シンガクルタ村側からの写真で、「サーカス・ブリッジ」のあった位置を検証(使い方可笑しいけど許してください)できます。

戻り道、地元のオジイさんと遭遇した。

首にタオルを巻いていたので、マンディに行くのだろう。

「スラマッ・ソレ」挨拶をすると、「どこへ行って来た」と訊かれた。

「竹の橋があったとところを見に」と答えると、「昔はよかったな」とつぶやいて降りていった。

杖を片手にしたオジイさんの脳裏に、今のニュークニン村はどう写っているのだろか。

言葉ができれば、聴きたかった。



シンガクルタ村側からは、村はずれの突き当たりに、渓谷に降りられる小道があった。

今は、ホテル「LABAK RIVER HOTEL」横のコンクリート階段になっている。

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目印は、入口の祠。


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階段は60段ほど。


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マンディ場。

左上の流木が、ニュークニン村側4番目の写真に見られたと同じ流木。


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写真の手前が、竹の橋が架かっていた場所のはず。

こちらの方は、記憶がはっきりしている。

サーカス・ブリッジが、映像となって瞼の裏に浮かんだ。

写真が残っていなくて残念。


あなたも心地よい川風を感じてみませんか?

「日本料理店・影武者」にお寄りの際は、ちょっと足を伸ばしてみるのも良いのでは。

こちらも、昼間に限りますがね。

ベジ寺院ニュークニン村のオダラン(71)と同じ〆でゴメン。


※写真(1995年)が出て来たので掲載します。

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竹の橋が架かっていた場所は、写真手前ではなく、写真中央の一段高くなった岩でした。

水かさが違うのでわかりにくかったようです。


posted by ito-san at 16:25| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月14日

パチュン家昼下がりの一幕(88)

10月10日(金)

久しぶりにパチュン家の出来事です。

雨季が近づいて来たかも、と感じるような爽やかな風がテラスに吹き抜ける昼下がり。

私は、テラスで読書に夢中。


「ウラール(=ular・へび)!」

イブの大きな声が聞こえた。

庭に顔を向けると「イトウ、イトウ!!」と、イブが私を呼んでいる。

私に、へびを追い払ってもらうつもりなのだろう。

慌てぶりをみると、相当デカイへびに違いない。

イブの助けを拒むことはできない。

私がへびを苦手にしていることをイブは知らない。

パチュン家でへびを見るのは、滞在して始めてだ。

カメラを手にして庭におりた。


洗濯干スペースの芝の上を示して「ここに大きなへびがいた」と興奮気味。

今は、姿が見えない。

このくらいの太さだったと、自分の手首を示す。

それなら大蛇ではない。

黒っぽい色だと言うから毒蛇でもないだろう。

渓谷に戻って行ったにしては、姿を消すのが早過ぎる。

まだ、近くにいるはずだ。

次男コマンがこん棒を手に現れた。

自然児コマンがいれば、私の出る幕もないだろう。

しかしその考えは甘かった。

コマンは、小さなへびでも大騒ぎをするほどのへび嫌いだった。

身体をこわばらせて近寄ってもこない。

こん棒は、イブに渡された。

イブと私は、あたりを探し始める。

不吉な予感、もしかしてヒロさんの部屋に入ったのでは。

イブとコマンが部屋に入っていった。

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私は、引けた腰で塀沿いを見て行く。

今日は陽射しが暑い。

涼場を求めて這い出して来たと思われる、へびの行方を考える。

雑然と置かれた材木の間は、どうだろう。

絶好の隠れ場所と思われた。

腰を落として、一番下を覗いた。

薄暗くて、よく見えない。

棒で突ついてみた。

へびの鎌首が持ち上がった。

やはりここにいたのだ。

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へびは写っていません。


「いたいた!」私はイブとコマンに聞こえるように叫んだ。

追い出そうと、棒で激しく突く。

鎌首は、私の反対方向に逃げようとしている。

イブは、こん棒を構えて待ち伏せている。

腰は引けているが、殴り殺す勢いだ。

私は上体を少し隙間に入れ、棒をさらに深く入れようとした。

その時、眼の前で何かが動いた。

板の間でウネルものが・・・・。

思わず後ずさった。

2メートルほど先のへびを追い払っているつもりで、果敢に戦っていた。

まさかこんな近くに。

冷や汗が出た。

2匹いるのでは。

手前のへびは太かったゾ。

私は怖いのを我慢して材木を少しずつずらしていく。

遭遇するのが怖くて、腰が前より引けている。

愛猫チビタが応援に駆けつけて、私の近くを右往左往している。

心強い見方は、いざへびが出て来たらどう対処するのだろう。

見てみたい気もする。


いっこうに、へびの姿は見えない。

すでに、谷底へ姿を消したのかもしれない。

深追いするのはやめよう。

今夜、へび地獄に落ちる夢を見そう。

へび地獄って、幾重にも重なるようにへびがウゴメイている穴なんです。

怖いんですよ。


翌朝起きると、パチュン君が材木を整理していた。

塀の向こうに、黒へびが姿を消すのを私は確認した。

posted by ito-san at 15:38| Comment(2) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月11日

ベジ寺院ニュークニン村のオダラン(71)

「日本料理店・影武者」のブロック塀の向こう側が気になっていた。

豊富な緑で、何があるのか皆目見当がつかない。

覗いても何も見えない。

谷になっているはずだが、“妖気” な気は流れていない。

どちらかと言えば、“陽気” で清々しい空気が漂っているように感じる。

気がかり解消に、探索に出かけることにした。


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「影武者」のある通りに、バンジャール寺院と並んでLPD(村銀行)の建物がある。

もう皆さんは「影武者」の位置をご存知だと思いますので、道順の詳細は省かさせていただきます。

LPDの横にある幅1メートル弱の道を入って行けば「影武者」の裏に続くだろう。

ほかに道はない。

道には「ガング・ニュー・ペレット=Gg NYUH PELET」という名前がついていた。

ガング(Gang)は、小道の意味。


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LPDの裏には、一本の木にクルクルが吊られていた。

その向こうに、寺院が見える。

寺院に沿って右手におりて行く。

正装の男衆が数人、階段に腰を下ろして雑談している姿が見える。

前を通り過ぎようとすると「どこに住んでる?」といきなりの質問。

私を見知っている男性がいたようだ。

「テガランタン村です」と答えてから、この寺院の名前を訊ねた。

ニュークニン村のベジ寺院(Pura Beji)。

湧き水のある寺院だった。

寺院で使われる聖水は、ここから運ばれる。

ススオナン(ご神体)を清める寺院でもある。

たいていの村にベジ寺院はあるが、ニュークニン村のベジ寺院は広くて立派だ。


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オダラン(寺院祭礼)の飾り付けが施されていた。

中を覗くと、プマンク(僧侶)と正装の婦人たちの姿が見える。

寺院内は、村人のいちずな信仰心を受け入れるためのクリアーな空間だ。

「影武者」から感じた清々しさは、これかもしれない。


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階段をさらに奥へ進んで行く。

ここにも、お祈りしている一団がいた。

老樹の前に供物が捧げられている。

ちょうどこのあたりが「影武者」のブロック塀の向こう側になるはずだ。

ひと月ほど前になるが・・・・

深夜「日本料理店・影武者」にいる時、大樹の裂ける音に続いて屋根瓦の割れる音が聞こえたことがあった。

その音の正体は、これだったのだ。

今日は、そのムチャル(悪霊除けの儀礼)をしているのかもしれない。

婦人に尋ねると、やはりムチャルだった。

明日8日に始まるオダラン前にすませるのだ。

ベジ寺院ニュークニンのオダランは、ウク歴の1番目の週・Sinta-Rabu(水)-Kliwonの日に行われる。

この日は、パガルウェシ(Hari Pagerwesi)の祭礼日でもある。

おまけに、満月と重なった。

「影武者」が移転して始めてのベジ寺院ニュークニンのオダラン。

オダランは2日間続き、夜な夜なガムランの響きを「影武者」で聴く事が出来た。


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湧き水は、奥の一番低いところにあった。


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寺院台所の横に、土道があるので登ってみた。

すぐに、民家の庭に入ってしまう。

民家を避けて左折すると、住宅がガングでツナガレていた。


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ガングを抜けると、寺院の裏手に出た。

こちらから廻るコースでもよいわけだ。

今、廻ったエリアが「影武者」の裏の景色になるのだろう。

爽やかな風が、心地よく流れている場所だった。

15分ほどの、小さな探検。

心地よい風を感じてみませんか?

「日本料理店・影武者」にお寄りの際は、ちょっと足を伸ばしてみるのも良いのでは。

昼間に限りますがね。


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2014年10月09日

スバトゥ村のムルカット(70)

ウク歴の30番目の週・Watugunung-saniscara(土)-umanisは、学問、芸能を司るデウィ・サラスワティ(Hari Suci Saraswati)を祈る日。

今年は、3月8日と10月4日にあたった。

翌日は、バニュ・ピナロ(Hari Banyu Pinaruh)の祭礼日。

この日は、前日のデウィ・サラスワティの恩恵を受けるため、沐浴をして身体を浄める日。

海、川、滝、湧き水、どこの沐浴場もバリ人で混雑する。

私はヒンドゥー教徒じゃないので、沐浴をするなら混雑を避けたいと思っている。


ウブド近郊には、タンパクシリン村ティルタ・ウンプル寺院の沐浴場が有名だ。

バニュ・ピナロ祭礼日以外にも、満月、暗月には多くの人が訪れる。

スバトゥ(Sebatu)村には、タンパクシリン村にある遺跡グヌン・カウィと同じ名前のついた寺院に沐浴場がある。

どうして同じ名前なのかは、わかっていない。

不思議なのは、グヌン・カウィ寺院がティルタ・ウンプル寺院とよく似た形態の聖なる沐浴場を持っていることだ。

そして、どちらも聖なる沐浴場を持っている。

やはり、なにか関係があるのだろうか?

グヌン・カウィ寺院の沐浴場は、バリ人に密かに人気で一度訪れてみたいと思っていた。

近々、そこでムルカット(melukat)をしようと目論んでいる。

実はわたくし、沐浴はあちらこちらでしているのですが、ムルカットは未経験なんですよ。

ムルカットとは、お祈り前の清めのマンディ=Mandi(水浴び)より、ひとランク、アップした儀礼性の強いバリ人には欠かせない心身浄化の沐浴のこと。

スバトゥ村は、テガララン村の観光スポットであるライステラスを右手にして北上を続け、しばらくして幹線道路を右手に避けた道沿いにある村。

道路が渋滞していなければ、車で30分以内で到着できる距離だ。

この村からタンパクシリン村に通じる山深い道は、ドライブに適した美しい景色が続く。


3日の夜、「アパ?情報センター」のワヤン君から連絡が入った。

「明日4日、スバトゥ村へ “ムルカット” に行きます。一緒に行きますか?」と誘いの電話だった。

グヌン・カウィ寺院ではなく、2007年からムルカットできるようになった人気上昇中の沐浴場だそうだ。

私は、アパ?のムルカット・ツアーに参加させてもらうことにした。

人気の沐浴場は、グヌン・カウイ寺院から5キロほど離れたスバトゥ村の外れにある。

バリの正装で訪れます。

履物は濡れてもよい物、私はラバーサンダル(ゴム草履)で。

正装のまま沐浴するので、タオルと着替えが必要です。

カメラも持って行きましょう。


では、順を追って写真で説明して行きます。


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入口にある看板。駐車場有りです。


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この狭い道を入ります。


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入るとすぐに、急な階段が足下に見える。
その向こうは、鬱蒼とした森が広がる。


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標高差が約100メートル。
一段が25センチとすると階段の数は250段か。
下りはヨイヨイ、きっと上りはキツイよ。
ビューティフルな風景を眺める余裕もなくなる。


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途中にある泉。


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「LEBIH INDAH TANPA PLASTIK=プラスチックが無い方が美しい」の看板が嬉しい。


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沐浴する前にお祈りする祠。
ケペン(中国古銭)の入ったクワンゲン(Kewangen)が必要。
クワンゲンは、オンカラ(ongkara)の形をした供花。
オンカラは、三大神(トリムルティ=Trimurti)であるシワ神・ウィスヌ神・ブラフマ神を図像化したものらしい。
注意:クワンゲンは、沐浴時に必要なので置いてこないこと。


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沐浴場への入り口。
他の人が履物を脱いでいるので、それにならって素足になる。
水底の砂利で足裏が痛くなる。


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いよいよ沐浴場。クワンゲンを手に右から順に3カ所で沐浴。
岩にもたれて滝に打たれる。この時、クワンゲンは手を離れてしまう。
無心になるまで水に打たれましょう。水は意外と暖かかった。


Sebatu9.jpg

沐浴あとのお祈り。
今日のお祈りも、私は「宇宙・地球・生きとし生ける物の平穏」だ。


Sebatu10.jpg

受付場:中国古銭をここで購入して、ドネーションを納める。
貴重品を預かってくれます
男女混合着替所:肩までの壁があるだけの着替所です。容易に着替えられる工夫をしてきた方がよろしいようで。
奥にトイレ:混雑する時はトイレ奥の道が戻り道となる。


感想はあえて書かないでおきました。

未熟な表現で、折角のムルカットの良さが伝わらないのが怖いから。

自分自身で体験してみてください。

それが一番です。

沐浴には諸々の決まりがあるので、当地に詳しいガイドを伴ったほうがよいでしょう。

例えば「アパ?情報センター」のような。


※極楽通信:56「厄年とムルカット」筆者・田口光、も面白いので一読ください。
posted by ito-san at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月06日

ウブドの飲食店について考える(69)

やあ〜、大袈裟なタイトルを付けてしまいました。

気になっていたのでテーマにしてみましたが、私には荷が重すぎたようです。

従って、内容はたいしたことありません。

料理について&接客については門外漢なので、専門分野である店舗デザインに絞って考えてみました。

まったくまとまりがない文章になってしまいましたが、私が何を言いたいかをお汲み取りください。

なんて、言い訳しながら書いています。


近頃、ウブドの土地柄を無視した飲食店を見かけることが多くなった気がしている。

ウブドは飲食店が苦戦をする土地のようです。

「マクドナルド」がマーケティングをして出店を見送った場所。

ダンキンドーナッツは、一年ももたず撤退した。

「ケンタッキー・フライドチキン」も「ピザ・ハット」も出店してない。

「スターバックス」でさえ、苦戦しているようだ。

バリ南部から有名店の進出も、順調ではない。

州都デンパサールには、ジャカルタ資本のファミリー・レストラン・チェーンが進出し繁盛しているらしいが、ウブドには1店舗もない。

デンパサールは地元の人が顧客になるが、ウブドではツーリストをターゲットにする必要がある。

ツーリストが見向きもしない店はつぶれるのだ。


モンキーフォレスト通りにある「レストラン・グリーン・ハウス」は、好立地に関わらず客足が悪い。

病院&結婚式場と見間違えそうなほど、寒々とした白壁の建物が理由だろうか?

大きな原因はガラス張りにあると、私は考える。

ピクチャーウインドーは、モダンな雰囲気を醸し出すかもしれなが閉塞感がある。

ウブドにお越しのお客様は、それをお望みでないのだ。

開放的な雰囲気の村に、なぜ、ガラスで囲って閉鎖的にしてしまうのか?

ウブドの魅力は、ヒューマンウオッチング。

道行く人が手の届く範囲にいること。

この一体感が嬉しいのだ。

オープンして数ヶ月後、ガラスを外し、茶色を基調とした外観にリニューアルした。

リニューアル後、集客は良い方向に向かった。

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ウブドの老舗レストラン「アリーズ・ワルン」が、この頃、閉まっているのが気になっている。

旧店舗の時代は、人気レストランだった。

グレイカラーを基調に、無機質なデザインの新店舗に移ってから業績が上がらなかったようだ。

“さては閉店か?”

姉妹店「ビーテル・ナッツ」も閉店している。

アリーズの失敗は、何か?

「アリーズ・ワルン」も「ビーテル・ナッツ」も、都会人には珍しくないデザインだった。

都会的ノウハウは、ウブドには役に立たないとうことなんです。

ウブドは、一癖ある特殊な商圏かもしれない。

ウブドにはウブドの商売のやり方があるようだ。

料理の味が不味くないことは最低条件で、美味しいのは必須条件。

必要条件は、ウブドの土地柄を加味すること。


いったい土地柄とは何か?

それがウブドの人気の秘密でもある。

それでは、人気の秘密とは?

私が思うには、文化に溢れた田舎だということ。

そして、都会人が求める田舎。

ウブドを訪れるツーリストが求めているものは、地・水・火・風・空気の五大要素が感じられるところだ。

クーラーはつけない方がいいに決まっている。

自然が豊富に残っていれば、暑さは避けられる。

そのために、天井を高くしている。

そして、オープンにしている。

開放的なのは、この街が安全なことを物語っている。

私の見解では、ウブドに滞在する外国人は都会を熟知している人だということ。

退廃的な歓楽街は好きではない。

欲望の文化を被せた流行のデザインも嫌いだ。

内容の伴わない上辺だけの虚飾・みえの文化はすでに飽きている。

ウブドに都会的モダンを持ち込んでも見向きもされないのは、こういうことだ。

独創性はいらない、普通がいい。

憩いの場、安らぎが欲しいだけ。

“原点への回帰” がウブドを訪れるツーリストのニーズだろう。

これは私の願望であって、妄想かもしれない。

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写真:上から「Pundi-pundi」「The Pond」「Kagemusha」

ウブドは今、大きな問題を抱えている。

それは、町の発展に伴って波及する騒音と排ガスの問題だ。

この問題に対処するため、エアコン設備の整ったガラス張りの店が増えるだろう。

そうなればウブドは、人気の秘密とかけ離れた発展をしていくことになる。

オシャレな町にはなるだろうが、それはどこにでもある平凡な町になってしまう。

ツーリストが求める町が、姿を消してしまうのが心配だ。

手遅れになる前に、手段をこうじて欲しい。

出来ないとは思わない。

言いたいことが旨く文章にならないのに、かってなことを綴ってしまってゴメンなさい。(反省)

posted by ito-san at 17:45| Comment(4) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする