2015年05月30日

リサイクル運動財団「CHICHAN」(30)

4月24日(金曜日)

日にちは、またまた前後します。

写真を見ながら、記憶をたどって書いています。


4月15日からの小旅行で、延期になっていた紙作りプロジェクト。

いよいよ始動。

リサイクル運動財団「CHICHAN」事務所に、ローランド君を訪ねる。

まずは、モンテネグロ市長=ハメス・カニャス・レンドン(James Canas Rendon)氏を表敬訪問。

市役所は、ボリバル広場前にあった。

「CHICHAN」の活動を応援している市長のようです。

アルティサノ(工芸家)として紹介された。

私としては「アーティスタ=Artista」と呼ばれたい。

「身分をわきまえろ!」ってか。

手持ちの創作文字「楽」をプレゼント。

喜んでくれました。

さっそく壁に貼って、記念写真。

James Canas Rendon.jpg


市役所をあとにして、プラタナの幹をもらいにフェルナンドゥさんのフィンカへ。

※フェルナンドゥさんについては「http://itosan-ubud.seesaa.net/article/418764282.htmlフィンカと呼ばれる大農園を訪問(16)」を御覧下さい。

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収穫終わったプラタナの幹(茎)を一刀両断

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使いかっての良い長さ(60センチほど)に輪切り

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表皮の固い部分を取り除く作業をするito-sanです

こうしてプラタナの茎は、バナナ紙のマテリアルとなる。


「CHICHAN」の事務所へ戻る。

この日は、ボランティア・メンバーの大人たちで紙作りの下準備することになった。

前もって言い伝えてあるはずだが、道具(ナイフ、ハサミ)の数が足らない。

剥いだ60センチの長さの茎を、縦3センチほどに切り分ける。

この作業、指導だけのつもりが、私ひとりでやり終えた。

切り分けられた茎の繊維部分を裂く作業は、包丁でOK。

私は、自前のカッターナイフを使うことになる。

カッターナイフは切れ味が良すぎて、裂くつもりが切れてしまう。

それでも、彼らより作業は早い。

そりゃそうか、10年以上の経験者だもの。

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私が切り裂いている間、彼らには、切り裂かれた60センチ×3センチの繊維部分を5センチほどに切り落とす作業をしてもらうことにした。

切る作業はハサミを使う。

子供の工作用のハサミでは能率が悪い。

「能率が悪い」と思うのは、「時は金なり」の精神が未だに残留しているからだ。

ああ、やだやだ。

しかし、大人がする動きではない。

バリでの作業があまりにもスムースだったばっかりに、この光景には少々困惑気味。

紙作り.jpg

ボランティア・メンバーには、アーチストや経営者が多い。

能力ある彼らでも、始めてのことはこんなものだ。

一度行程を熟視すれば、今度は新しいアイデアを出して来るだろう。

ここではここでの最善の方法があるはず。

彼らが、それを見つけてくれると信じている。

それに期待して、私は急がないことを指導方針にした。

紙作りは、明日25日(土曜日)、子供も参加して行うことになった。

〜続く〜


※作り方の詳細は「極楽通信UBUD・27号」に載っています。

表紙のイラストは、名古屋の友人・水野真人さんの作品です。


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2015年05月29日

今夜の夕食は、ピザorハンバーガー?(29)

曇り空が続いている。

この二三日は、雨模様だ。

寒い。

体感温度15度くらいか。

寒くて、一週間ほどシャワーを浴びていない。

水シャワーだと思うだけで、気分が萎縮してしまうのだ。

今日は、鍋でお湯を沸かした。

シャワールームは日陰で、見るからに寒い。

薄日が差し込む裏庭の方が、暖かいだろう。

2つのバケツにお湯をはった。

ヒシャクがないので、適当な大きさのプラスチックを代用。

狭いシャワールームより、開放感があって心地よい。

これからは、この方法を採用しよう。


外に出る気も起こらない。

が、夕食には外出しなければならない。

昨夜は、ルーベン君の家で食事をいただいた。

毎週、月・水に4,000ペソ(約200円)で、夕食を賄ってもらう契約が成立。

今夜はどこにしようかな?

ピザかな、それともハンバーグかな。

時には、こんな物が食べたくなる。

ピザは「SOMEUI PIZZA」。

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トッピングは、メニューの一番上にあるHAWAIANO。

一番安い4,000ペソを指さし注文。

男子店員に「それはこんな大きさですが、いいですか?」と見せられた三角形の紙皿。

ムムム・・・。

ちょっと小さいかな。

8,000ペソのトッピングに、指先を移動する。

パイナップル入りとは知らなかった。

名前がハワイだ、気づくべきだった。

甘くて半分近く残してしまった。

「お持ち帰りしますか?」と問われが、丁重に掌を振ってお断りした。

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リベンジでは、メニュー2番目のトッピングをオーダーした。

大きさは、三角形の紙皿サイズ。

これが、私には味も量も正解だった。

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飲物は、Hit と書かれた瓶詰めジュース(1,300ペソ)。

冷蔵ケースから取り出して栓を開けようとしたら、店員に止められた。

勝手にやってはいけないのだ、と恐縮しながらビンを彼に手渡した。

彼はビンを逆さまにしてビンの尻を、数回叩いてから栓を開けた。

こうして底に沈殿しているジュースを混ぜるのだそうだ。


ハンバーガーなら「LAS PERAS」。

ニジマスがお薦めのようだが、ハンバーガー屋まで来てニジマスはいらない。

肉入りハンバーガー(3,000ペソ)を注文した。

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LAS PERAS2.jpg

LAS PERAS3.jpg

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客席は、店内にハイチェアーが一つ。

表の歩道に、小さなペンチが一つ。

私はハイチェアーに陣取った。

久しぶりに、かぶりつく。

満足・満腹。


さて、今夜はどこにしようかな?


posted by ito-san at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

なんちゃって書道・指導しちゃった(28)

さかのぼって、4月11日の話です。

ジュンペイさんの友人アナ・イザベルさんが、カリグラフィー(書道)をしたいと言っている。

アナさんは、マッサージのセラピスト。

以前、サレントを訪れた日本人女性から手ほどきを受けたことがあるらしい。

習字紙と墨汁を持って、ジュンペイさんの家に来た。

日本人なら誰でも書道ができると思っているのだろうか。

バリにいる時には、日本人なら日本製品を修理できるだろうと、アイロン・ラジカセ・洗濯機・カメラ、時にはバイクなどが持ち込まれた。

配線のプラス、マイナスくらいはわかるが、それ以外はチンプンカンプン。

私は、機械音痴でもある。

書道の心得は、まったくない。

たまたま書くことはあるが、それはほとんど創作文字だ。

筆2本と墨・硯石は、何かに役に立つかもしれないとコロンビアまで持って来ている。

早々にして、出番があるとは思わなかった。


「・・・日本語には、漢字・カタカナ・ひらがな・ローマ字の4種類の文字がある。

漢字は中国から伝わった文字で、現在、中国・韓国・日本で使われている。

日本では、漢字をヒントに、カタカナ・ひらがなが作られた。

ローマ字はアルファベットなので、スペイン語を話すことは出来ないが、一部の発音を除いて読むことはできる。

漢字の書体には、篆書(てんしょ)・隷書(隷書)・楷書(かいしょ)・行書(ぎょうしょ)・草書(そうしょ)がある。

日本では、漢字と仮名の加わった書が造形芸術の技として書道と呼んでいる。

書道には、流儀がある。

手本が書けないので、習字(今は書写と言うらしい)さえ教えることができない。

そこで、今回は自由に書くという、創作書をしたいと思います。

書き方にこだわらず、文字の持つ面白さを表現してくれればいいです・・・」


こんなことを説明しながら、アナさんに自由に書いてもらった。

もともとセンスがあるのだろう、書き順は違うが、文字のバランスが整っている。

出来上がり良ければ、すべて良し。。

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「私の肩に字を書いてください」と頼まれたて、『愛』と書いた。

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空港でもらったANAのボールペンを、アナさんにプレゼントした。

「私の名前だ!」と言って喜んでくれた。

ANAと書かれたボールペンに、彼女は喜んでくれた。

無料の土産でまかなって、ゴメン。


この2日後に、中国人から墨絵と書道を習ったという女性が訪れた。

持って来た習字紙には、中国風の墨絵が描かれていた。

彼女は、私から墨絵を習いたかったようだ。

冗談じゃない、私に墨絵は描けやしない。

サレントは、様々な人々が訪れる土地だとみえる。

中途半端な態度でいると、あとで恥をかきそうなので「できないことは出来ない」と、はっきりと言うように心掛けよう。

4月9日のモンテネグロでフィンカ訪問から、15日の小旅行出発までの間の出来事でした。


posted by ito-san at 04:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

サレントに残される日本人ひとり(27)

定食屋「エル・リンコン・デ・ルーシー」(17)でも書いたが、5月11日に、ジュンペイさんの部屋からピノさんの家に移った。

ピノさんが旅行中の間、私が3ヶ月ほど借りることになった。

一人住まいをしてから、25日間ほどが経っている。

それでは、居候先を一般公開します。

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小窓の開く窓が気に入っている

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引っ越してからの生活は、1990年にウブドを訪れた当初と同じことを幾つかしている。

1)洗濯はバケツで手洗い。

ジーパンは床に広げて、タワシでゴシゴシ。

ウブドより涼しく、あまり汗をかかないので洗濯物は少ない。

サレントには、ツーリスト向けのクリーニング店が一軒あるだけ。

1キロ4,000ペソ(約200円)。

最小2キロとなっていた。

地元民向けには、洗濯機を時間いくらで貸すクリーニング屋がある。

バイクの荷台に洗濯機を積んで、家まで持って来てくれるのだそうだ。

こちらの方が断然安くて、ピノさんはこちらを利用している。

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観光オフィスの隣りにあるクリーニング店

2)シャワーは水。

テガランタン村では、ホットシャワーから格上げしてバスタブの湯に浸かっていた。

お湯に慣れた身体に、水シャワーはキツイ。

ジュンペイさんの部屋は、チョロチョロだが、お湯の出るチンケな湯沸かし器があった。

それでもないよりはましだった。

銭湯の大好きな私の身体は、暑い日でも温水を欲する。

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小さな電気湯沸かし器が、パイプの先についている。

この2つ以外は、停電もないし断水もない、まったくの都会生活。

ピノさん家には、ジュンペイさん家より繋がりの早い光ファイバーのWiFiがついている。


食事は、毎日昼夜とジュンペイさんが用意をしてくれる。

私は、食材費を半分負担して、食器を洗うだけ。

朝は、小松菜、パセリ、コカの葉の粉末、オレンジ、アロエ、マカの粉末、etcの入った健康ジュース。

それに、手作りヨーグルトのフルーツサラダが出る。

ジュンペイさんはベジタリアン。

料理上手なジュンペイさんの食事は、私にも美味しく食べられる。

苦手なマッシュルームがよく調理され、ちょっとツライ面もあるが、据え膳の私に贅沢は言えない。

コロンビア料理に豆料理はつきもの。

豆類が大好物の私には、嬉しいメニューだ。

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昨日(25日)の早朝、ジュンペイさんはペルーに3週間(5月25日〜6月19日)ほどの日程で買い出しに旅に出掛けた。

今、サレントに居る日本人は私ひとりだろう。

電気、水道、ガス、WiFiなどの支払い代行を、ルーベン君に頼んでいってくれた。

少々心細いが、不都合なことは何も起こらないと願っている。

外食生活が始まる。

私はまったく料理ができない。

料理はしないし、冷たい物を飲まないので、ピノ家に冷蔵庫がないことに気がつかなかったほどだ。

ウブド滞在中、私の冷蔵庫は、封を開けたパンや菓子類にアリがたかるのを避けた保管庫だった。

バリ島在住の友人・T氏が料理に挑戦しているのを見て、見習わなければとは思っている。

朝食兼昼食は、コーヒーかハーブティにパンでも齧っていれば、それで充分。

夕食を7時頃にして、サレントのレストランを巡ってみようと思っている。

この機会に、トリップアドバイザーの口コミ投稿用レストランチェックでもしておこうかな。

お値打ちのレストランの多くが、平日定休日になっているのが問題だが。

今、「なに食べたい?」と聞かれたら、バリなら「ナシ・チャンプール」、日本なら「鰻丼」と答えるだろうな。
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2015年05月26日

帰路は、高速バスに揺られて(26)

4月20日

ジュンペイさんに、至急の仕事が舞い込んだ。

メデジンまでは、車で3時間ほど。

あと少しだが、メデジン行きをあきらめてサレントに帰ることになった。

小旅行の終着地点は、ラピンタダと決定。

ピノさんとは、ここでお別れだ。

運転、ありがとうございました。

彼はこれから数ヶ月、行商の旅が続く。

旅の安全を祈願しております。

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スバルもご苦労様でした。

ここまで無事に送ってくれてありがとう。

ピノさんをよろしくお願いします。

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帰路は、高速バスに乗る。

横3列×縦5列=15席プラス運転席の横2席の17人乗り。

料金は覚えていないが、たぶん25,000-ペソ(約1250円)だったと思う。

パンアメリカン・ハイウエイを南下。

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高速バスの心地よい揺れに身体を任せながら、この旅は「何だったのか?」 を考えている。

旅の目的は、それぞれ果たせたのだろうか?

私には、アンデスの峰々にある町々を訪ねた旅となった。

なんの予定もない私に、2人が用意してくれた小旅行。

2人の厚意には、感謝している。

アンデスを訪れているという、小さなワクワク感はあった。

危険を感じるハラハラ感も少しはあった。

しかし、ドキドキ感は薄かった。

ドキドキしないのは、私が観光に来ているわけではないからだろう。

欲している物が違うのだ。


アグアダス=Aguadasの町はずれから見たアンデス山脈の景色。

私のコロンビア滞在は、単なる旅行ではない。

新天地を探す旅だ。

何かをしたいと思っているわけではないが。

そこに古くからあるものを感じ取りたい。

慣れない町で、漠然とした欲する物を探すのは大変だろう。

果たして、探しきれるだろうか。

自分の常識が、他人と異なることがわかり、愕然としたことがある。

同じ日本国民でも常識は千差万別。

それぞれ異なる。

民族が違えば、さらに常識は異なるだろう。

背負う文化によって、風景も色を変える。

そんなカルチャーショックを感受したい。

積極的に吸収するのではなく、土地の匂いが身体に染み付いて行くように、徐々に知恵を得ていきたい。

人それぞれ、考え方が違えば価値観も異なる。

変わらないのは、戦争はしない方がいい。

そして「原発はいらない」こと。

日本に適応できないオヤジの車中でのひとり言です。


チャンスがあれば、また、いつか小旅行ができるかもしれない。

その時には、違った興奮を味わいたい。

途中下車と休憩を一度挟んで、所要時間は3時間30分。

早い早い、あっ! という間にサレントに到着した。

5泊6日の小旅行終了〜です。


posted by ito-san at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月25日

パナマ帽はパナマで作られていなかった(25)

昨日今日(5月23日〜24日)と、都市ガスが止まっているらしい。

サレントのあるキンディオ県だけと聞いている。

プロパンガスと併用しているところもあるらしいが、ほとんどが都市ガス使用だ。

土日にあたるので、飲食業は困っていることだろう。

家庭では、食事をどうしているのだろうか。

気になるところだ。

さて、小旅行の行程も残り少なくなってきた。

皆様には、もうしばらくお付き合い願います。


小旅行の日にちは、4月19日です。
今日の行程
(カッコ内は県名・(C)=Caldas/(A)=Antioguia)
21)パコラ・Pacora(C)
22)アグアダス・Aguadas(C)
23)アルマ・Arma(C)
24)ラピンタダ・La Pintada(A)

まずは、パコラのボリバル広場。




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レトロな乗り合いバスの前で記念写真


アグアダスのボリバル広場。



この町には、パナマ帽(Panama hat)の手工業者がいる。

ジュンペイさんはパナマ帽を日本向けに輸出していて、訪れたかった町である。

作業工程を見学できることになった。

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熱したプレス機で型を作っていた

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実は、パナマ帽(Panama hat)はパナマで作られていない。

よくある話だ。

エクアドルがルーツで、今でもほとんどがエクアドルで作られている。

運河工事で人があふれていたパナマに、エクアドル商人やって来て売ったのが始まり。

いつのまにか、パナマ帽と呼ばれるようになったという。

スペイン語で帽子は、ソンブレロ(sombrero)。

パナマ帽も、一般的にはソンブレロと呼ばれているようだ。


アルマの町はずれ、ラピンタダに向かう途中の峠で見かけた闘鶏。

闘鶏は、スペイン語でペレア・デ・ガジョス(Pelea de gallos)。



どこの国にも、ギャンブル好きはいるものだ。

足首にナイフを取り付けるバリ島の闘鶏と違い、くちばしだけで戦っていた。


宿泊地はラピンタダの町となった。

ホテル.jpg

部屋.jpg

(写真:窓からの景色)

さて、明日はどんな旅になるのかな?

お休みなさい。



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2015年05月24日

標高2,820メートルの地点にある町・Marulanda(24)

4月18日:

昨日のことだ。

サラミナの宿で、明日は本道に戻って先に進むか、それとももっともっと山奥にある「マルランダの町」に行こうかという話になった。

ジュンペイさんの知人の出身地である。

是非、一度見ておきたい。

そして、知人の為に、現在の町の様子を写真におさめたい。

これも、旅の目的の一つだったようだ。

ピノさんは、十数年前に一度訪ねている。

その時は、途中の山中で、ゲリラに遭遇し有り金を奪い盗られた体験をしている。

命まで取られることはないと言う。

2人は迷っていた。

「ゲリラが出るかもしれないが、行ってみようか?」

私に、決定権が委任された。

命を落としてもいい覚悟でいる私に、異存はない。


サラミナから、更に山奥に向かう。

道なりの小さな町に立ち寄った。

19)番目の町、サンフェリクス・San Felix(C)。

ボリバル広場を見渡しても、人の姿は10人と満たない、閑散とした町だった。

洗車をしている地元の男性から、嬉しい情報をもらった。

町の外れから奥地に向かう道を進むと、広大なロウ椰子の森が続いていると言う。

ロウ椰子は、高さ60メートルにもなる、世界一高いと言われる椰子だ。

私は一度、サレントのココラ渓谷で見ているので「もういいよ」と言う気持ちになっている。

前後左右、ロウ椰子の丘が続いていた。

ココラ渓谷で見た景色より、遥かに広大なロウ椰子の森だった。

「ここを観光地にしてあげたい」とピノさんは言う。

果たして、地元の人はそれを望んでいるのだろうか。

私はこの頃、村おこしには、地元に人の「完全一致による合意」を得ることを優先すべきだと考えている。

そこに長期滞在する意志のない “よそ者” に、勝手なことをされては迷惑ではないだろうか。

SanFelix.jpg


本日の目的地、マルランダ・Marulanda(C)に到着。

途中、ゲリラに襲われることもなく、景色を見る余裕さえあるスムースなドライブだった。

標高:2,820メートル

人口:4,129人

平均気温:13度C



小雨の中、ボリバル広場をひとまわり。

郷愁ある老人たちの姿に惹かれた。

しかし、人を撮るのを避けている自分がいた。

恐れをなしているのではない。

「写真を撮ってもいいですか?」のスペイン語、「Puedo tomar una foto?」が出てこないのだ。

メモは、ポケットに入っている。

とっさの時には、間に合わない。

よほど困惑した表情でもしていたのだろうか、ジュンペイさんが助け舟を出してくれた。

「私が、写真を撮りましょうか?」

カメラを渡そうとすると「このまま伊藤さんが撮ったらどうですか?」

心憎い気配りに感謝。

そうして撮ったのがこの写真です。

Marulandaの老人.jpg


サラミナ連泊。

Marulandaホテル.jpg

Marulandaロビー.jpg

Marulanda部屋.jpg

Marulanda景色.jpg
出窓から見えるボリバル広場



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2015年05月23日

中だるみの報告でゴメン(23)

日付は、4月17日に変ります。

今日の行程
(カッコ内は県名・(R)=Risaralda/(C)=Caldas/(A)=Antioguia)
11)グアティカ・Guatica(R)
12)サン クレメンテ・San Clemente(R)
13)キンチア・Quinchia(A)
14)リオ・スシオ・Rio sucio(C)
15)スピア・Supia(C)
16)フェリサ・Felisa(C)
17)ラ メルセ・La Merced(C)
18)サラミナ・Salamina(C)

町には、ポンチョを着た男たちが、歩いている。

畳んだポンチョを肩に掛ける姿。

腰に長刀を下げ、長靴を履いている男たちは、フィンカで働く人たちだ。

民族衣装ではないだろうが、古き大農園時代が忍ばれる。

ソンブレロ(帽子)をかぶった男たちも多い。


グアティカのボルバル広場

今日のコースは、8ヶ所巡り。

キンチアの町は、本道を外れたところにあった。

車窓の景色は、相変わらず牧場とコーヒー農園。

町々も似たり寄ったり。

少々、景色に飽きてきたかも。

動画を見る方も飽きて来ていますよね。

今回は、動画の四連ちゃん。

飛ばしてもらっても構いません。

違いを見つけて、楽しむという方法もあります。


リオ・スシオのボルバル広場は、この街道で一番広かった



スピアのボルバル広場は、緑豊富な公園だ

フェリサを過ぎると、コロンビアで二番目に長いカウカ川(965キロメートル)に出る。

カウカ川に架かる橋を渡る。

北上すれば、コロンビアの首都ボゴダに続く第二の都市・メデジンだ。

我々の車は、しばらく走って右折した。

ラ・メルセの町に到着。


ラ・メルセのボルバル広場

宿泊地には、明るいうちに着いておきたい。

今夜は、サラミナ泊。

中だるみ。

最後まで読んで頂きまして恐縮です。

お疲れさまでした。

次回は、楽しい読み物になるように頑張ります。

では、これにて御免。


posted by ito-san at 02:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月22日

セバスチャンのフィンカに世話になる(22)

4月16日の続き。

オジン3人の珍道中です。

リサラルダの町に入った。

オジン.jpg

この町にも「文化センター」があった。

子供たちが無料でコンピューターが使える場所もある。

子供たち.jpg

ボリバル広場で、町並みと教会、そしてシモン・ボリバル像を撮っています。


教会とボリバル像は、町々でデザインはまちまち。

動画で残せない町は、画像で撮っている。

昼食定食(アルムエルソ=Almuerzo)は、ポジョ(鶏肉)にした。

サレントを離れると、メニューからニジマスが消える。


今日の最終地点・アンセルマの町が尾根に貼り付くようにある。

Ancerma風景.jpg

この町には、ジュンペイさんの古くからの友人が住んでいる。

今回の旅には、彼に会うのも目的に入っているようだ。

カフェで待ち合わせ。

イメージした通りのコロンビア人が現れた。

ちょっと強面の濃いめの顔がいい。

名前は、セバスチャンさん。

ジュンペイさんがスペイン語で、私を紹介すると、

「日本語忘れたので、日本語でたくさん話してください」

優しい口調の日本語が返ってきた。

15年間大阪に住んでいて、奥様は日本人女性だとのこと。

こんな山深い町で、日本に長期滞在していたコロンビア人に会うとは驚きだ。

ビリヤード中の兄さんを呼び出して、私たちを紹介する。

これで、もう私たちはアミーゴだ。

アミーゴ.jpg
写真左手、赤白横縞模様シャツがセバスチャンさん。

ボリバル広場は、工事中のため動画撮影は出来なかった。



セバスチャンさんは、奥さんと子供を大阪に残して、単身でコロンビアに帰って来ているようだ。

近々、日本に戻ると言っていた。

名古屋で会おうなんて、可能性の乏しい約束をしている。

今夜は、彼のフィンカにお世話になる。

バーベキューで歓迎してくれた。

セバスチャンのフィンカ.jpg

セバスチャンの家.jpg

この家の2階に泊まります。

セバスチャン1.jpg

庭には、樹上小屋と水車のある池。

セバスチャン2.jpg

セバスチャン3.jpg

樹上小屋から見たアンセルマの夜景。

夜景.jpg

このあと夜景は霧に包まれ、町の灯りを消滅させていく。

時々、霧の切れ目から灯りが覗く。

町の灯りと霧のコラボレーションは、幻想的だった。


posted by ito-san at 01:25| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

事件は「パレスティーナ」の町角で起きた(21)

4月16日:

「新しいオリバレスのレジデンス」をチェックアウト。

今日も、まずは腹ごしらえから。

朝食です。

朝食は、スペイン語でデサユノ=Desayunosと言う。

ちなみに、昼食はアルムエルソ=Almuerzo。

駐車場に行く途中にあったパン屋兼食堂に入る。

朝食のセットメニューを注文した。

アレパがのった陶器皿が出て来た。

Desayunos1.jpg

アレパをとると、下には、アルミ皿に入った卵料理が。

Desayunos2.jpg

この卵料理、ウエボス・ペリコ=Huevosu Perico(トマトと長ネギが入ったスクランブルエッグ)と言うらしい。

アルミ皿は、一人分ずつ料理をするプライパンでもある。

そして、飲物はココア。

これが朝食セット。

始めて食べた “ウエボス・ペリコ”。

スクランブルエッグだから、味に難はないと言ったところ。


今日の行程
(カッコ内は県名・(C)=Caldas)
7)パレスティーナ・Palestina(C)
8)アラウカ・Arauca(C)
9)リサラルダ・Risaralda(C)
10)アンセルマ・Ancerma(C)

メイン道路(パンアメリカン・ハイウエイ)を逸れて、一般道に入ったようだ。

道は急坂に加えて、つづら折り。

標高1400mから3000m近くまでをアップダウンする。

高山病にならないかと、心配になる。

危険は覚悟しているが、苦しいのは嫌いだ。

景色は、牧場とコーヒー農園が延々と続く。


ココラ渓谷に林立する椰子(14)」でも書いた、コロンビアの世界文化遺産について加筆します。

ユネスコは2011年、コロンビアの主要な生産地を「コロンビア・コーヒーの文化的景観」として世界文化遺産に登録した。

南米大陸北西部に位置するコロンビア。

その国土にはアンデス山脈が南北に走り、水資源豊富な高地が広がる。

コロンビアのコーヒーは、主にこのアンデス山脈周辺で生産されている。

ユネスコが「コロンビア・コーヒーの文化的景観」として世界遺産に指定したのは、なかでもコーヒー三角地帯≠ニ呼ばれるカルダス、リサラルダ、キンディオに、隣接するバジェ・デル・カウカを加えた4県にまたがる約14万1000ヘクタールの生産地域だ。

この地域には約2万4000軒のコーヒー農園があり、その標高の平均は1540m。

コーヒーの栽培には熱帯地域の標高1400mから1800mまでが最適とされるので、気候条件はこの上ない。

しかし、農園の多くは急勾配な山肌にあり、栽培は困難だ。

ユネスコがこの地に認めた文化的景観とは、険しい自然環境を克服し、上質なコーヒー豆を作ってきた幾世代にもわたる生産者たちの営みの風景なのだ。

気候の安定したこの地域ではコーヒーは年中収穫されるが、一番収穫の多い時期は10〜11月期、次いで多いのは4〜6月期である。

急斜面の農地に機械が入る余地はなく、生産者たちは一粒ひと粒手摘みで収穫する。

コロンビアのコーヒー生産者は、多くが3ヘクタール以下の小規模農家で、約56万世帯を数える。

(※全日本コーヒー協会・http://coffee.ajca.or.jp/webmagazine/abroad/colombia73参照)


パレスティーナ=Palestinaの町に入りました。



この時から、訪問した各地のPlaza Bolivar(ボリバル広場)で、教会(Iglesia)を中心に町並みとシモン・ボリバル像を撮り続けることを決めた。


事件は「パレスティーナ」の町角で起きた。

イスラエル聖戦でニュースになっている “パレスチナ” と同じ名前です。

いかにも事件の起こりそうな町名。

この旅で、気になっていることがある。

それは目に入った町名に、イタリア・ポルトガル・アルゼンチン・カリフォルニア・サンフランシスコなどなど、外国の国名や都市名があることだ。

理由はわからないが、検索すると、他国が出て来るのには困っている。

(ボブ・クロスビー・ボブ・チャッツのジャズCD名 “パレスティーナ” かもしれないので念のため)

話をもとに戻そう。

私は、たむろしている若者たちにカメラを向けた。

何かの集会か、青年が6人もいるのは珍しい。

いつものように緊張感をほぐすために、ニコニコと笑顔を作って写真を撮った。

よほど深刻な事情があるのか、青年たちに反応はない。

よ〜く見ると、彼らがいるのは、バイク修理屋の前だった。

バイクの病院だと思えば、彼らの顔がすぐれないのも頷ける。

Palestina1.jpg

撮り終わったあと、ピノさんに注意された。

ジュンペイさんに通訳してもらうと。

「写真を撮る前には必ず、『写真を撮ってもいいですか?』と承諾を得ること」

「そして、写真を撮り終えたあとには、必ず『Gracias!=ありがとう!』と言うように」

写真に撮られるのを嫌がる者もいる。

このあたりまで来ると、麻薬マフィアやゲリラの関係者もいる。

今回は事件にならなかったが、悪くすれば襲われる。

これを聞いて、背筋がゾッとした。

言われてみれば、若者の視線は全員私を避けていた。

このあと「写真を撮ってもいいですか?」のスペイン語「Puedo tomar una foto?」を必死に覚えることになる。



posted by ito-san at 04:57| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする