2015年07月19日

サレント&ウブドの洗濯事情(55)

靴を履けば、靴下が必要となる。

そして、当然、靴下の洗濯をしなくてはならない。

それが面倒だ。

ジュンペイさんは洗濯機を持っていたが、我が家(ピノの家)にはない。

ウブドは、毎日Tシャツを着替えるほど汗ばむ。

3日に1度の割で、小物以外はランドリーサービスに持って行っていた。

靴下をはかなかったので、小物はパンツとハンケチだけ。

2〜3日すれば、アイロンがかかった洗濯物が仕上がる。

サレントはウブドより涼しく、あまり汗をかかない。

Tシャツは3日おきぐらいで着替えればOK。

靴下は、悪臭を放る時点で履き替える。

洗濯は1週間に1度の割合。

日に日に、ズボラになっていく。

こういうのを「男やもめにウジがわく(女やもめに花が咲く)」と言うんだよね。


ピノの家に引っ越してからの生活は、1990年にウブドを訪れた当初と同じことを幾つかしている。

その一つが、バケツでの手洗いだ。

ホーム・ステイを始めた頃、これといってすることのない毎日を送っていた私には、洗濯は楽しみのひとつだった。

電気も満足に普及していなかった時代のこと、ホーム・ステイに洗濯機はない。

たとえあったとしても、頻繁に停電するその頃のウブドでは宝の持ち腐れだったろう。

洗濯物は、毎日、朝一番に洗うことにしていた。

洗濯板がないので手もみ洗いだ。

Tシャツなどは手洗いでよいのだが、ジョーパンはそうもいかない。

厚手の衣服は、バリ式にタイルの床に置いてブラシでゴシゴシとしごく。

衣類が早く傷みそうそうだが、この洗い方の方が楽だ。

こんな生活が、戻ってきた。


サレントの庶民は、洗濯機を持っていない家が多いようだ。

価格が高いのか?

その割には、液晶テレビの普及率は高いように見受けられる。

(その後の調査で、LGの全自動洗濯機10万円ほど、普通は2万円弱。液晶テレビも全自動洗濯機とほぼ同価格でした)

電気料金が高いようには思えない。

置き場所がないのか?

今のところ、理由はわからない。

「洗濯機のレンタル」という珍商売がある。

洗濯機を時間いくらで貸すのだ。

バイクの荷台に洗濯機を積んで、家まで持って来てくれるのだそうだ。

終われば、引き取っていく。

料金が安いようで、ピノさんはこちらを利用している。

ウブド滞在当初考えていた「コイン・ランドリー」が、この地にも当てはまりそうだ。

そんな話、アパ?情報センターのホームページ・極楽通信・UBUD ・27「ウブド洗濯事情」に書いてあります。


サレントにランドリーサービスは、ツーリスト向けに一軒しかない。

laundry.jpg

《 Landry Service(Salento Landry)》
■料金:1キロ4,000-ペソ(約200円)・最小2キロ。
■場所:橋の手前
■住所:Carrera5/Calla7
■営業時間:9.00am〜12.00am/ 2.00pm〜6.00pm
■TEL:314-545-8777

洗濯物が少ないので、私は利用していない。

※2015年05月26日:■サレントに残される日本人ひとり(27)


ウブドも洗濯機を持っている地元民は少ない。

いまだに、川で洗濯をしている人もいるくらいだ。

浄、不浄という考え方があるから、洗濯機で一緒くたに洗うことのできない物があるのかもしれない。

例えば、頭につけるものと下着は一緒にしない、と言うように。

宿泊施設が多いからだろう、小さな村の割にランドリーサービスの数は多い。

私は、他人の物と一緒に洗われるのが嫌じゃないのでランドリーサービスを利用している。

個人で洗濯機を持つ必要がない。

そう言う点で、快適な村だった。

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2015年07月17日

サレント&ウブドの履物事情(54)

3日前から、急に腰が痛くなった。

ジパオ(Yipao)パレードの立ち見で生じた腰痛と同じ症状だ。

ジパオ(Yipao)のパレード・前半(46)

ジパオ(Yipao)のパレード・後半(47)

歩いている時はいいのだが、長時間、椅子に座っていると痛くなってくる。

散歩の途中の楽しみであるコーヒーブレークも辛い。

町を徘徊するのは旅の目的の一つであり、運動不足解消の日課でもある。


午後4時過ぎ。

この頃この時間から町を徘徊する。

散歩に出掛ける時に、気がついた。

私は、靴を履いている。

靴下も。

「それがどうした」と思われたでしょう。

私には足はあるし、身体が不自由なわけでもない。

ウブド滞在25年で、足の指が開くほどサンダル生活が身に付いた。

拘束される靴が嫌いだ。

できれば、素足で過ごしたい。

今更なんですが、靴を履くということは、私にとっては余所行きなんです。

日本では靴を履いていた。

一時帰国も、寒い季節だったということもあって靴の生活だった。

田舎住まいで、気候が暖かければ草履がベストだ。

「私は一年中サンダルです」と言う人も中にはいるでしょう。

他人の眼は気にせずに、自分の好きな履物を履けばいいのは、わかっている。

私は「郷に入っては郷に従え」と言う諺を大事にしている。

サレントは都会ではない。

田舎の観光地だ。

生活に慣れれば、サンダル生活も可能だろうと考えていたが、そうにはならなかった。

サレントの住民は、靴を履く文化なんだろう。

サンダルを扱っている店も少ない。

オシャレなサンダルが欲しい場合は、アルメニアの町まで出掛けているようだ。

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ウブドも田舎にある観光地。

でも、こちらは世界的な観光地。

それなのに、ウブドではいつもゴム草履だった。

ウブドに訪れた1990年、村人は裸足が多かった。

裸足の文化だ。

当時のゴム草履は、スワロー印のビーチサンダルだ。

今では、売っている店を探すのは難しい。

その変り、カラフルで上等なサンダルを扱う専門店が数件オープンしている。

雨が多いということもあるが、地面に直接座る文化でもある。

儀礼でのお祈りでは、サンダルは座布団替わりになる。

ウブドの村人の足下もオシャレになった。

ツーリストがサンダルで、地元の人々が靴を履いている光景を見ることも多い。

私は、村人より質素なスタイルで生活するように心掛けていた。

目立たないように、目立たないように。

これが私の「郷に入っては郷に従え」精神だ。


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2015年07月15日

カフェ&グルメ・ベルナベ(53)

ランプ制作に専念していて、ブログから遠のいてしまった。

コンを詰めて作業をしたので、今日は息抜き。

久しぶりに、食べ慣れた味のスパゲッティでも食べよう。

と言っても、自分でつくるわけではない。

もちろん外食。

これまで「Barroco」でしか食べたことがない。

WiFi ポイント・その弐「Barroco」(43)も読んでね)

たまには、新規開拓をしよう。

さて、どこにしようか?

のんびりできる店がいいな。

ジュンペイさんから「ベルナベ」のスパゲッティが美味しいと聞いている。

行き止まりの道の端にある「カフェ&レストラン・ベルナベ(Cafe & Gourmet Bernabe )」。

以前、ここでのテラス席でのんびりコーヒー・ブレークした。

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コーヒーの煎れ方が各種あり、その日はドリップを頼んだ。

その時、釣り銭がなくてまけてくれた、好感の持てる店だ。

サレントにある店でぼられるということはないが、まけてくれる店は珍しい。

この町は、メイン道路を外れると途端に人通りがなくなる。

10メートルほどの目と鼻の先にあっても、客足は鈍い。

その分、客にとってはゆっくり出来るという利点がある。

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新規開拓ではないが、自分好みのスパゲッティの開拓だ。

陽射しが強いので、テラス席をやめて店内のカウンター横の席に着いた。

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はなから、メニューは読めないと思っている私。

メニューを持って来たウエーターに「パスタ」「スパゲッティ」と告げる。

5種類あるようで、どれにするか聞いてくる。

値段は、いずれも15,000〜16,000ペソ(約800円)。

ポモドーロが目に入ったが、折角だから、初挑戦のメニューしよう。

私は、一番下の横文字を指さした。

Gratinadas、グラタン味のスパゲッティなんだろうな。


しばらくして出て来たのが、こちら。

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う〜ん、芋だった。

オール・ポテト。

思考と喉元の味がスパゲッティになっているのに、何故か芋。

メニューを確認してみると、そこには私の知っている数少ないスペイン語のひとつ「Papas」と書かれていた。

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Papas=芋=ホテト。

その下には、英語で「Baked potatoes」。

そうだった、ツーリストの訪れるレストランでは、スペイン語と英語の二段構えで書かれているのだ。

サラダを頼んでおいて良かった。

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こうして、本日の念願であったスパゲッティ試食の夢は、無惨にも打ち砕かれたのだった。

ポモドーロで、妥協しておけばよかった。

悔やんでも悔やみきれない。

実に、私の人生の縮図を見るようだ。

仕上げは、ドリップコーヒー。

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スパゲッティちゃんには振られたが、ランチタイムとしては至福の時間が過ごせた。

Free WiFIだけど、コーヒー(エスプレッソ)25,00ペソだから、「WiFi ポイント」には入れられない。

次回は、ポモドーロでリベンジだ。


posted by ito-san at 08:32| 愛知 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月12日

お気に入りの看板を集めてみました (52)

サレントの商店の看板は、手作り感満載。

ケバい看板はない。

規制でもあるのか、看板は縦横1メートル以内におさまっている。

全て壁付けで、突き出た看板はない。

主張する看板ではなく、店名がわかればいい程度で控え目だ。

鉄板を切り抜いた看板が目に付く。

これが、今の傾向なのだろうか。

こういう事が気になってしまう「元店舗デザイナー」。


手抜きブログでゴメン。

《 看板写真集 》

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どれもオシャレでしょう。

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お疲れさまでした。


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2015年07月10日

バリから届いたバナナ紙でランプ制作(51)

お願いしていたバナナ紙が、2日前、手元に届いた。

流木を利用したランプ・スタンドが6つほど、紙を張るだけの状態で待機している。

バリ島ウブドにある「和食の影武者」のスタッフ、クトゥット君の制作で、女将の由美さんが郵便局に行ってくれた。

クトゥット君は「ブンブン・カフェ」の時代に、実家の村で友人たちと一緒にバナナ紙作りの下請けしてくれていた。

私が指導したバナナ紙がどんな仕上がりかバナナ紙に興味のある人々に見て欲しかったのと、モンテネグロのリサイクル運動財団「CHICHAN」の人々が忙しく、私が使える紙が廻ってこないために送ってもらうことにした。

実は「CHICHAN」のローランド君が、首都ボゴタで開催されるコロンビアで一番大規模な見本市に出店することになっていて、できればそれにランプを出品したかった。

コロンビア人の反応を見るのは、絶好のチャンスだろう。

もう一週間早く、届いていればそれも可能だった。

注文した時点では、充分に間に合う予定だった。

しかし、トゥット君のお父さんが亡くなられたばかりで、彼は仕事を休むほどの多忙だった。

チャンスは、また巡ってくるだろう。


発送は29日。

ems indonesia を追跡しながら、今か今かと待ちわびたバナナ紙。

手にして、身体が熱くなった。

ミグラシオンでもそうだったが、この頃、不安になると身体が熱くなる傾向がある。

何かの病気かな?

紙が厚い。

近年、クトゥット君はS氏用に厚みのある紙を作ることが多い。

私は、重ね目が目立つし張る時に苦労するので薄い紙を使っている。

透かしてみると、繊維の文様に気配りがない。

私が作っているのはランプだ。

繊維のシルエットは、ランプの命ともいえる。

それが可能な素材が、バナナの幹から作られる紙。

S氏の作品は、クレパスで塗りつぶす技法。

透かしも模様も必要ない。

この場合の命は、繊維の毛羽たち具合だ。

ランプを作るからと伝えておいたが、10年以上も昔のことで、私の要望するディテールを忘れているのだろう。

これしかないのなら、これで頑張るしかない。

気を取り直して、ランプ作りに取りかかった。

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ケーブル・コンセント・ソケット・中間スイッチがサレントで用意できないので、照明が入ったランプの写真は後日アルメニアに買い出しに行ったあとということで。

お楽しみに。

posted by ito-san at 08:37| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月07日

残り90日をどう過ごすか? が課題だ(50)

パスポートが戻ってきた。

スタンプには、出国日が9月28日としっかり書き込まれている。

あとは、隣国エクアドルに出国して2日間ほど過ごし、帰ってくればいい。

エクアドルには、陸路をバスを利用して行く予定だ。

帰路、国境のミグラシオンで出国日を9月30日と変更してもらえるかが問題だが。

まあ、何とかなるだろう。


コロンビア滞在も、残すところ90日となった。

ちょっと暗い話をします。

私の年齢になれば、日本人なら年金生活に入る。

年金暮らしなら、のんびりできるというもんだ。

しかし、私に年金収入はない。

そう、横着して納金していなかったのです。

寂しい話だが、定収入のない私は、このままでは生活保護を受けるしかない。

しかし今のところ、日本に戻る予定は遠のいている。


バリ島生活の25年間は、神々に守られているかのように、なんとかなってきた。

運が良かったとしか思えない。

このまま、神々のご加護とバリ人の暖かい懐のもとで余生を過ごすものだと思っていた。

葬式もウブドで出してもらおうとまで考えていた。

将来のことなど、これっぽちも不安を抱かなかった。

あるきっかけで、将来の不安を感じ、気持ちが押しつぶされそうになった。

それからは、不安との戦い。

それが、今も続いている。

私は田舎のウブドが好きだった。

貧しいながらも、穏やかな村だった。

現在は、急速に都市化して来ている。

思うところがあって、ウブドを離れた。

ウブドが嫌いになったわけではない。

宗教も慣習も芸能もバリ人にも、まだまだ興味はある。

2度と帰らないというわけではない。

※「ウブドに沈没」も読んでね。


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今回の旅は、生活のできる居所探しだ。

オジさんバックパッカーは、端から見ると悲惨に映るかな。

コロンビアは、ウブドのように私を受け入れてくれる可能性はあるだろうか?

サレント以外の土地も当たってみる必要があるか?

もう少し田舎がいいかな、と思い始めている。

かと言って、人里離れた秘境は無理。

根性は、いったって軟弱です。

秘境でもない、都会でもない、中庸。

これって、意外と贅沢な要望をしているのかも。

不安に押しつぶされそうになりながらも、まだ、余裕な発言をしている。

こんなことだから「いつまでも子供みたいだ」と言われるのだ。

コロンビアで、生活の糧を得る方法が見つかるのか?

いくつもの疑問符が、浮かんでくる。

これからの3ヶ月間で、疑問符を見極めなくてはならない。

開店資金も運転資金もない。

コロンビアでビジネスを始める出資の話は、日本出発間際に断ち消えになった。

物作りをすれば、何とか食べていけるかもしれない。

ジュンペイさんのツテを頼って、作品を売ってもらうことも考えられる。

こうやっていつまでも他人を当てにしているところも「子供だ」と言われるゆえんだろう。


コロンビアに、私を守ってくれる神々は存在するか。

やはりウブドが良かったと思うのか。

そして、南インドが気になり始めている。

心は、ロウソクの炎のように揺れている。

今のところは、時に流されていくしかないか。


posted by ito-san at 11:39| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月05日

コロンビア大統領の訪サレント・裏話(49)

7月1日:午後1時

家の前が騒がしい。

立ち話をする人の声が聞こえる。

もしかして・・・・・・ポリスか?

私には、心当たりがあった。

それは昨夜、鳩小屋の下に古くなったハムを捨てたことだ。

鳩か犬が食べてくれればと、軽い気持ちで捨てた。

それが問題になっているのかもしれない。

毎週火曜日と金曜日の午前中にゴミ回収車が廻り、各家の前に出されたゴミ袋をピックアップしていく。

牛、馬、犬のウンコは、匂いが鼻につくほどそこらじゅうに落ちてるが、人が生み出すゴミはない。

外にゴミを捨てるフトドキモノは、この町内にはいないだろう。

潔癖な町民が通報した、と考えられる。


恐る恐るカーテンを引いた。

ガラス窓の向こうにひとりのポリスが立っているのが見えた。

ゴミを捨てた近くだ。

ポリスが私の顔を見届け、近づいて来た。

バイクで巡回している見覚えのあるポリスだった。

まずいことになったゾ。

何か言っている。

私は窓を開けた。

・・・・・沈黙。

しばらくして、ポリスは、手にしていたスマホとアダプターを私に見せた。

私は合点した。

彼は、スマホを充電したいのだ。

私は笑顔を見せて、アダプターをコンセントに差し込んだ。

考えてみれば、私を取り調べるなら、扉を叩くはず。

だったらナゼ。

立ち話するポリスの数が、いつもより多いのも気になる。


外に出ると、見かけない車が沿道に並んでいた。

救急車に、緑の白バイも数台止まっている。

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目の前にあるサッカー場には、銃を持ったポリスが警備体勢で立っている。

これは、ただごとではない。

私は、ジュンペイさんの家に飛び込んで、状況の説明を受けた。

午後1時に、コロンビアの大統領がヘリコプターで訪サレントするのだそうだ。

「ココラ渓谷見学じゃないかな」と言う。

ヘリコプターがサッカー場に降りるということか。

ゲリラが多発する国の大統領だというのに、それにしては警備体制がユルいのじゃないの。

沿道で、歓迎の小旗を振らなくていいのか?

「人気がない大統領だから」とジュンペイさんは言う。

人気がないにしても、大統領がヘリコプターで降り立つというスチュエーションは滅多にあることではない。

それも、我が家の目の前に。

この決定的瞬間を動画で撮ることにした。

大統領にビザ取得を直訴して、恩恵にあずかれないかな、なんてことも考えている。

藁にもすがる思いで、すがってみたら上手くいくかも。

否否、すがっている時に、銃殺されるのが落ちだよね。


1時は、とうに過ぎている。

ヘリコプターの音は聞こえてこない。

2時を過ぎた頃、発煙筒が焚かれた。

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すぐに、ヘリコプターの音が聞こえてきた。

いよいよ大統領の到着だ。

軍用ヘリコプターが、2機降下した。

1機目は、関係者か?

2機目に大統領夫妻が乗っていたようだ。

大統領を乗せた車は、どこか知らない目的地に向かって去っていった。

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1時間ほどで車は戻り、軍用ヘリコプターは飛び立って行った。


翌日、ジュンペイさんが「ご免なさい」と謝ってきた。

どうやら昨日の訪サレントは、大統領じゃなくて副大統領だったようだ。

副大統領も、大統領と同様に人気のない人物なんだね。


時間の余裕がありましたら、動画2本も御覧下さい。







posted by ito-san at 04:51| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月03日

行ってきました「ミグラシオン=MIGRACION」(48)

6月30日(火)

コロンビア滞在が90日目になる。

観光目的の滞在は、90日間まではビザが不要。

1年間で通算180日間は滞在ができる。

国内のミグラシオンで延長が可能だ。

私は、6ヶ月間の滞在予定で帰国の航空券を購入している。

この日、この航空券が問題になる。


滞在延長の許可をもらいに、アルメニアにあるミグラシオン(出入国管理)のオフィスに出向いた。

午前11時、オフィスに到着。

MIGRACION1.jpg

業務時間は、8.00am〜12.00am/昼の休憩を挟んで/2.00pm〜5.00pm。

滞在している外国人が少ないとみえて、ロビーには待ち人無し。

受付ブースは3カ所。

2カ所に女性係官がいて、1カ所は接客中。

空いているブースに、招かれた。

どこの国でも、ミグラシオンは緊張する。

おまけに私は、まったくスペイン語ができないのだ。

ジュンペイさんが付き添ってくれているので、心強い。


延長の手続きは、スムーズにいくはずだった。

ここで問題が発生。

私の持っている航空券は、9月30日の出発になっている。

90日間の延長の最終日は、9月の28日。

2日間のオーバーステイだ。

オーバーステイのチケットを持っている旅行者に、90日間の延長は許可できない、ということだ。

絶望感で心が乱れる。

足下に浮遊感が。

身体がホテッてくる。

確かに、言われてみればその通りだ。

オーバーステイの罰金は、最低で平均賃金の1ヶ月分(約50,000円)、多いと7ヶ月分を払うことになると伝えられた。

貧乏旅行者に、そんな出費は許されない。

私は、2日間エクアドルに旅に出る予定をしていると伝えた。


隣りのブースが空いた。

そこにはジュンペイさんの知合いの係官がいた。

経過を説明する。

取りあえず、受付はしてくれることになった。

これまでの係官が「No」としか答えないのに対して、知合いの係官は善処してくれる。

ベテラン係官のようだ。

「証明写真とパスポート、航空券のコピーを用意してますか?」

こんな初歩的なことも、失念している。

写真とコピーを用意するために、街に出た。

ミグラシオンは、街の中心部・ボリバル広場に歩いて近くのところだった。

写真館(証明写真・5,000ペソ)とフォトコピーサービス(500ペソ)は、すぐに見つかった。


オフィスに戻ると、ジュンペイさんの知合いの係官は、空港のミグラシオンに行って不在だった。

受付カウンターには先客あり。

待ち合い椅子には、2人組の女性が座っている。

受付は、係官ひとりになっていた。

昼休みの時間に、近づいているのが気がかりだった。

ロビーの柱に貼られた禁止ポップを見て、驚き。

拳銃の持ち込み禁止が、お国柄を表しているようで凄い。

MIGRACION2.jpg

私のあとから、4人ほどが入ってきた。

そのほとんどが、接客中の係官に声を掛ける。

先客がいても、係官はやさしく対応する。

しばしば時間を取られる。

係官の指示を仰ぐと、帰っていった。

2人組の女性は、早く終わった。

いよいよ、私の番だ。

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用意したものを差し出した。

係官は、これに記入するようにと申請書にボールペンを添えて、私の前に置いた。

スペイン語で書かれた申請書は、まったく理解できない。

ジュンペイさんが変りに、書き込んでくれた。

申請書には、身体の特徴を書き込む欄がある。

身元確認が必要なことが生じるからだろう。

私は右手上腕部に、バリ島の聖獣・バロンの入れ墨が入っている。

入れ墨のある私は、タトゥーと記入。

死体に右手上腕部が残っていれは、バロンの入れ墨で、私だと確認できるわけだ。

延長許可のスタンプは、ボゴダのイミグレーションからの返事待ちというとことになった。

とにかく、延長申請料金は受け取ってくれた。

後日、連絡をするので、その時に、パスポートを持って出向いてくださいとのことだった。

まったく会話の理解できない私に変って、ジュンペイさんがすべて対応してくれた。

救いの神というのは、こういう時に使う言葉だろうな。

まずは、一安心。

絶望感と安堵が交互に押し寄せてくるミグラシオンでした。


posted by ito-san at 14:03| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月02日

ジパオ(Yipao)のパレード・後半(47)

6月28日(日)

1時30分、ジパオ・パレードが開催される場所に向かう。

沿道は、セルベサ・ポーカー=cerveza POKER(コロンビアのビール会社)のロゴが入った黄色の鉄製フェンスで仕切られている。

人の姿はマバラだ。

テントの中に用意された椅子席には、誰もいない。

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2時に始まる様子はない。

ここで見学しようと決めた位置に近い縁石に腰を下ろした。

この調子では、開始は3時頃になるだろう。

1時間ほど待つと、予想通り、3時にMCの一声。

私は腰を上げ、フェンス前に立った。

開幕したかのようにみえたが、MCのおしゃべり、そしてカラオケが延々と続いた。

結局、パレードは4時からだった。


先導するYipaoに続いて、緑の白バイ、楽団4名の乗ったピックアップがパレード。

そして、お目当ての「フィンカの引っ越し風景のジパオ」が登場。

観衆から声援が上がる。

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野菜、薪、コーヒー豆の入った袋などを満載したジパオ。

Yipao3.jpg

メインイベントは、ジパオのウイリー(Wheelie)だ。

ジープのウィリースのことではなく、ここではウィリースがウイリー走行するのだ。

ウイリーとは、本来、オートバイや自転車などの乗り物で前輪を地面から浮かせた状態で走行する技術。

私も始めて見るジープのウイリーだ。

荷台に積んだ荷物が重くて、前輪が浮いてしまったのだ。

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それをイベントにしてしまったコロンビア人は素晴らしい。

友人が愛知県の小原地域で、年に一度、十数台の軽トラックの荷台に、照明を入れた造形物を積んで村道をパレードしている。

「軽トラあんどん」が、ジパオ・パレードのように、小原地域に綿々と続くイベントになってくれるといいな。

そんなことを思いながら、見学している。

ジパオのウイリーは、道路に白線を2メートル間隔に引き、どれだけ距離を伸ばしたかを競う。

みものは、ウイリーしたまま、ジパオが一輪を中心にしてクルクル廻るところだ。

ドライバーは、運転席から車外に出、フロントバンパーに足を掛け、身を乗り出して曲芸まがいに乗りこなす。

ロディオのように暴れ馬を操る。

観衆の声援に応えて、ウイリーを繰り返す。

このパフォーマンスも競技の採点基準になるのだろう。


腰が痛くなってきた。

時計は5時になっていた。

2時間も立ちっぱなしだ。

70台が出場すると聞いている。

まだ、10台も見てない。

もう限界。

これ以上ガマンできないほど痛くなったので、離脱した。

人垣を離れ、縁石に腰を下ろした。

痛みは、少しおさまった。

前に行くのを止めて、遠くから見ることにした。

まだまだパレードは続きそう。

腰は、まだ痛い。

私は、腰痛が悪化するのを恐れて、帰路に着くことにした。

バス乗り場に戻る道に、ラッキーにも出場したジパオが止まっていたので近くで写真を撮ることができた。


ジパオ・パレードの一部ですが、動画で御覧頂けます。




夜7時、サレント到着。

ローカルバスの一人旅、無事終了しました。


posted by ito-san at 06:28| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

ジパオ(Yipao)のパレード・前半(46)

6月28日(日)

行ってきました、カラルカ(Calarca)の町で行われたジパオのパレード。

年に一度、この時期(6月末)に開催される、コロンビアで人気の祭り。


ジパオは、この地域特有の「ウィリース・ジープ(Willys Jeep)の愛称。

ジープは、第二次世界大戦中の1940年にアメリカ陸軍の要請により開発着手され、翌1941年から実戦投入開始された小型四輪駆動車のこと。

名称の由来は、General Purpose(万能)、もしくはGovernment-use(政府用)のGとホイールベース 80インチの車両を表す識別符号のPからきた符号GPから"ジープ"と命名されたという。

「地雷を踏んでタイヤ4本のうち2本を失った場合でも、スペアタイヤを含めた残り3本で100 km の走行が可能であること」

「車載工具ですべての修理が可能であること」という条件で開発された。

そんなワイルドな成り立ちのあるジープの、初代モデルが「ウィリース」。

※ウィキペディアより抜粋

しかし、コロンビアのウィリースは、戦後、コーヒー産地のキンディオ(Quindio)地域で製造され使用されていたらしい。

険しい地形にある農園から市場までの運搬に適したウィリースは、農民の生活に欠かせないものだったようです。

その生活の歴史を「ジパオのパレード」で残そうというわけだ。


連休で店が忙しいジュンペイさんは参加できなかったが、情報を入手して提供してくれた。

おかげで貴重な「ジパオのパレード」が見学できた。

今回は、はじめてのひとり遠出だった。


朝10時20分に家を出て、サレントのバス乗り場へ。

一夜漬けで覚えた「Un billete de ida a Armenia , por favor(アルメニア行きのチケットを一枚ください)」を使ってみようと、意気込んで係員の前に立ちはだかった。

係員は、私の言葉を聞く前に、一切承知と言わんばかりに、止まっているバスを指さした。

私は、さらに「Un billete(チケット一枚)」と食い下がる。

「チケットはバスの中で買え」と言っているようだ。

こうして、一夜漬けのスペイン語は、無惨にも粉砕。

salento.jpg

サレントからアルメニア(50〜60分・4,000ペソ)。


アルメニアのバスターミナルに到着。

カラルカまで行くには、アルメニアでバスを乗り継がなければいけない。

ツーリスト・インフォーメションの看板があるブース前に、ひとりの青年が立っている。

長文を止めて「カラルカ」と、だけを伝えた。

これも発音が悪かったとみえ、通じない。

あげくに「スペイン語で」と言われてしまった。

前の晩、ジュンペイさんに書いてもらった道順のメモに書かれた「Calarca」を見せて、無事バス停にたどり着く。

armenia.jpg

アルメニアからカラルカ(20〜30分・1,600ペソ)。


カラルカには、昼12時ジャストに着いた。

ジュンペイさん情報では、パレードは2時頃に始まるということだった。

充分に時間がある。

ボリバル広場に足を伸ばし、動画を撮影。

パレードがあるからだろう、凄い人出だ。




開催場所の確認も済んだ。

まずは、コーヒー・ブレーク。

パン屋に入って、コーヒー(500ペソ=約25円)とパン(800ペソ=約40円)を注文。

次は昼食。

コロンビアにもありました「バビグリン(豚の丸焼き)」の専門店。

豚の丸焼き.jpg

豚の丸焼き1.jpg

レバー、表皮、脂身 etc、とふかし芋(5,000ペソ=約250円)。

これを爪楊枝で食する。

野菜がない、ご飯もない。

いくらバビグリン好きでも、これだけでは胃に持たれる。

半分ほど残して退散。

1時30分、パレードの席取りに向かう。


長くなってしまったので「ジパオのパレード」は、次回に繰り越しと言うことでご容赦を。


posted by ito-san at 07:16| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする