2015年10月31日

和食・影武者 @ ニュークニン村(4)

ニュークニン村の外れに、2014年5月24日移転オープンした「和食・影武者」。

日本の家庭料理の店として24年間続く「影武者」は、ウブドの老舗的存在だ。

女将は、佐藤由美さん。

創業は1991年7月10日で、場所はプンゴセカン村にあった。

創業者は、なんと私・伊藤博史だったんですよ。

建物は、古民家風の店舗と蔵作りの厨房。

当初は、「居酒屋・影武者」でした。

私が25年ぶりに日本一時帰国(5月10日から6月18日までの40日間)した間の移転オープン。

ニュークニン村は、プンゴセカン村よりアクセスの悪い場所。

さらに、車の騒音を避けるため表通りから少し入った立地に建つ。

移転前は、立地が悪いのではないかと心配した。

オープンに立ち会えなかったのは残念だったが、ウブドに戻ってみると「和食・影武者」は盛況だったので安心した。

隠れ家的雰囲気になったのが良かったのか、以外と好立地だったのか、これまでの日本人客に加えて欧米人の客が目立って増えていた。

竹を使った建物は開放的で、バリっぽくて心地よい。

旧店舗から運ばれた什器が、リピーターには懐かしい。

ガゼボもあるよ。

見つけにくいかもしれませんが、探し当ててください。

■営業時間:11.00am〜11.00pm(オーダーストップ10.30pm)/定休日:ニュピ・ガルンガン・クニンガン/
■TEL:361-973134/
■Web:kagemusha-bali.jimdo.com/





「極楽通信・UBUD」極楽通信・17「お疲れさまでした、居酒屋・影武者」も、お読みいただけると嬉しいです。
http://informationcenter-apa.com/gt_kagemusha.html


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2015年10月29日

モンキーフォレスト東通りの大駐車場(3)

ウブドの暮らしを捨ててまで、なぜコロンビアだったのか。

私は、ウブドの急激な変化について行けなかった。

建物の密集、道路まで飛び出したアンドン看板が気に入らない。

「ウブドらしいウブド」

漠然とだが、私なりに理想とする村の発展がある。

年々、理想からかけ離れていった。

しかし今は、この現実を受け入れなくてはならないだろうと、思うようになっている。


パダンテガルのY字路をモンキーフォレスト方面に右折し、しばらく行くと左手の高台にレストラン「トロピカル・ビュー・カフェ」が見える。

「トロピカル・ビュー・カフェ」からはライスフィールドが見渡せ、景観が美しいと評判のレストランだ。

2015年6月29日・ウブドnoニュース《モンキーフォレスト東通りの大駐車場》で報告した。

パダンテガル村の経営で、101アールの大駐車場。

「猿の森」と「トロピカル・ビュー」の間に、駐車場の入口が作られた。

視察に行ってまいりました。

「トロピカル・ビュー・カフェ」の田んぼビューは、猫の額ほどになっていた。

駐車場は、奥行き300メートルほどあり「グリーンフィルド」の南端まで占めている。

「テガルサリ」&「グリーンフィルド」の売り物だった田んぼビューは100メートルほど先で寸断され、小規模になった。

駐車場建設は、慢性的渋滞からの脱却策としては仕方ないことだろう。

観光地としての役目である快適な環境作り、アメニティを重要視する必要はある。

ライスフィールドは途切れるが、駐車場の歩道には樹木が植えられ、ニュークニン村の椰子並木が背景に見え、ホテルからの目線は今のところ問題はなさそうだ。

車が止まってみないと何とも言えないが。

駐車場は4階建で、1階が駐車ベースで、2階以上はクリニックセンターやスポーツセンターなどができる計画だと聞いている。

そんな巨大なビルが建てば、景観が変ることは間違いないだろう。

今後、この景色がどう変貌していくか、楽しみのような気もしてきている。




動画は「トロピカル・ビュー」と駐車場の入口。

そして「テガルサリ」&「グリーンフィルド」を撮っています。

とんがり屋根は「グリーンフィルド」のオフィス付近。

オフィスから右手(南)に「グリーンフィルド」棟が続き(画像無し)、左(北)方向に「テガルサリ」棟が続く。

黒い屋根までと、その後ろのビルととんがり屋根が「テガルサリ」だと思う。

とんがり屋根の右手(動画でアップ)に見える病院のような白い建物は、建築中のシティホテル。


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2015年10月26日

リセットのし直し(2)

ウブドでの好奇心は、際限なく続いた。

どんどん深みにハマっていく。

ハマっては、もがく。

深みを抜けて浮上しようと思った。

25年間で、先が見えなくなった。

そんなウブドに疲れて、南米コロンビアに行ってみた。

コロンビアの小さな観光地・サレントに、6ヶ月間滞在した。

永住覚悟で来てみた。

生活ができる見通しは、ついた。

しかし、何か物足りない。

ウブドを訪れた時に感じた、サムシングが受け止められなかった。

住む土地に、私は何を期待しているのだろう。

のんびりしたいと言いながら、刺激を求めている。

学ぶという刺激を。

生涯学習という言葉を聞いたことがある。

死ぬまで勉強だ! と解釈した。

知らないことを吸収したいという、好奇心。

それは、歴史であったり文化であったりする。

好奇心は、活力の原動力。

ウブドに戻ってきた。

これからは深みを探さず、傍聴席から観賞するつもりでいる。


10月25日は、モンキーフォレスト通りを歩いてみた。

歩道は歩き難いし、車道には車とバイクが溢れている。

ホコリと排気ガスで息が詰まる。

両側の店舗は、8ヶ月という短期の間にも変貌していた。

これからどう発展して行くのだろう。

サッカー場の横、ウブド・クロッド集会場前にあった、絞りの店「ブラン・マドゥー」が閉店して、猫雑貨「茶々」に変っていた。

「和るん・アンカサ」前の茶々は、7月にコントラが切れて閉店する予定だそうだ。

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これからは、こんな感じの短い構成でブログを進めたいと思っております。

以後よろしく、お見知り置きを。


posted by ito-san at 22:57| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月24日

ウブド村徒然記・出戻り編(1)

10月25日、無事、名古屋に到着。

コロンビアでのオーバーステイ・ショックが後遺症として残ったようで、ブログに手がつかない状態が続きました。

ブログが更新されず、心配してくださった方も多いかと思います。

元気で居ることを、報告させていただきます。


21日に、ウブドに戻ってまいりました。

18日間を豊田市在住の息子家族と暮らし楽しい時間を過ごすことができ、コロンビアでの旅の疲れも癒されたようです。

ちなみに息子は「コメダ珈琲」豊田挙母店で働いています。

一度、お出掛けください。

今は、8ヶ月ぶりのウブドの変貌を観察しています。

しばらくは、ウブドに留まるつもりです。

改めてウブドの良さを認識したい。

ニュートラルな心身になり、リセットし直し。

初心に戻ってウブドを体感してみようと思っています。

ブログはウブド村徒然記・出戻り編「ウブド村帰郷記」としました。

どんな滞在記になるかわかりませんが、ウブドが大好き方に向けて最新の情報を発信するつもりです。

お楽しみに。

まずは、帰郷の連絡でした。


動画は、豊田市の挙母(ころも)祭り風景です。







posted by ito-san at 23:52| 愛知 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

最後の最後に大波乱(96)

9月30日:

いよいよ帰国の日が来た。

息子の嫁に、土産を買っていないことに気づく。

ボテロ美術館の開館と同時に、ボテロショップに駆け込んだ。

おむつを持って運ぶに便利な、大きめのバックに目星をつけていた。

肥満のモナリザが描かれたバッグが欲しかったが売り切れだった。

母子の絵のバッグを購入。

ホテルで予約したタクシーに乗って空港まで(料金:28,000ペソ)。

飛行機はエアーフランス、午後5時40分発。


チェックインをすませた。

順調に進んでいる。

関門は、出国カウンターだ。

このままスムーズに行ってくれ。

拝むような気持ちで、前に立つ。

「終わりよければ、すべて良し」

しか〜し、無惨にも最後の最後に大波乱。

五分五分の確率だと思っていたが、しっかりオーバーステイとなってしまった。

まずは、出国カウンターで足止め。

じっくり見てくれれば、エクアドルでの出入国スタンプを見つけて、通してくれるだろうと安心していた。

係官は、いたずらを見つけた悪ガキのような顔でパスポートを持った掌を左右に振っている。

私の顔を凝視しない。

オーバーステイの説明もしない。

管轄官と思われる上司のブースに連れていかれた。

身に覚えのある私は、素直に従った。

上司は、私はおろかパスポートも見ずに、係官に指示をする。

別室に行きだ。

覚悟はしていたので、最悪でも罰金ですむだろうと楽観している。

別室のガラス越しに、女性の係官からオーバーステイの宣告を受ける。

私は、エクアドルに2日間出国したことを説明する。

まだ、逆転のチャンスがあると信じている。

逆転のチャンスがあると信じている。

言葉が通じないということもあるが、係官はまったく聞く耳持たず。

「書類を作るのに一時間以上の時間がかかります。あなたの飛行機の出発には間に合わないでしょう」

それは困る。

罰金がいくらかかってもいいと覚悟をした。

とにかく、予定の飛行機に乗りたい。

「お金は払いますから出国させてください」と頭を下げる。

「すぐに航空会社に行ってチケットの変更をお願いしてください」航空券がガラス越しに押し出された。

お前は、地獄の閻魔かと罵りたくなる。

まだ、あきらめてはダメだ。

航空券を受け取っては、地獄に堕ちたも同然だ。

パソコンの画面に、日本語で「落ち着いてください」と表示されていた。

彼女は、努力をしてくれている。

私は、落ち着いた仕草をした。

「あなたは、オーバーステイしたことを理解しましたね」

念を押され、私が承認すると「それでは書類を作ります」となった。

もしかすると搭乗に間に合うかも。

一縷の望みができた。

彼女が、救世主か天使のように思えた。

オーバーステイは一日だった。

エクアドルで、もう一泊滞在を延ばす必要があったかもしれない。

罰金は、354.392ペソ(約16,000円)。

ミグラシオンでは、現金を受け取らない。

カードしか使えない。

私はカードを持っていない。

日本からの振込もダメ。

振込は、コロンビア国内から。

そこで、係官から提案があった。

「コロンビアにいる知人に立て替えてもらいなさい」

これはジュンペイさんを指している。

世話になっていた人の住所を書く欄があり、そこに彼の名前を書いてしまっていた。

「出国から10 日以内(書類には10月14日)にミグラシオンに支払ってください、と知人に頼むように」

「支払いがない場合、コロンビアの再入国はできませんので注意してください」

ここで逆らっては駄目だ。

帰国したいため、迷惑がかかることを承知で承諾した。

地獄の閻魔大王と天国の天使の二役をこなす、ミグラシオンの女性の係官。

本当の姿はどっちなんだ。

単なるイジメだったのかもしれない、と勘繰ってしまう。

出発まで、残り10分。

ボディチェックゲートの向こうに、エアーフランスのスタッフが困り顔で私を見ていた。

搭乗ゲートは、一番端。

走る走る・・・

飛行機には、滑り込みセーフだった。

なにはともあれ、機上の人となった。

顔が自然にほころんでいる。



南米コロンビアの旅・完

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2015年10月18日

スイス・ホステルに3泊(95)

20日の飛行機で名古屋を発ち、バリ島に向かいます。

北海道千歳でトランジットという変則の航空券。

21日には、第二の故郷ウブドに到着。

初心に返って、ウブドを体験したいと思っております。


一夜明けて、9月28日のボゴタ。

ボゴタの旧市街は、カンデラリア(Candelaria)と呼ばれるコロンビアで有数の観光地。

私が泊まった「Swiss Hostal Martinik」は、旧市街にある黄色い壁の聖母教会の横道を入る。

Arquitec91-1.jpg

ボリバル広場には、歩いて10分で行ける。

ボテロ美術館(Museo Botero)までは2分、聖母教会の角を右折したらすぐ。

距離にすると100メートル足らず。

Museo(美術館)のプレートを掲げた建物の多い地域だ。

南東側には大学があり、活気ある街並みが見られる。

食堂も多く、立地は最高。

ホテルは清潔で、スタッフも好印象だった。

お湯が出れば、私だって毎日、入浴をする。

10ベッドのドミトリーは、道路に面していて車の騒音がある部屋だったが、私には気にならなかった。

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宿代の支払いを済ませたい。

手持ちのコロンビア・ペソでは足らないので、両替をする必要がある。

日本円は、両替できない。

フロントの男性に、宿代をUSドルで支払いしたいとお願いした。

男性は、掲示板の数字を示した。

掲示板のレートは、1ドルが2,200ペソ。

エクアドルに行った時のレートは3,000ペソだったので、レートは悪い。

レートは悪いが、交換場所を知らない私は、ここで両替するしかないだろう。

スタッフは「チェックアウトの時で、いいです」と申し訳なさそうに言う。

そのあと街を歩いていて、偶然、ダイヤモンド専門街の中で両替商を見つけた。

手持ちのペソがほとんどなくなりかけていたので、さっそく両替。

レートは、2,740ペソだった。

フロントの男性は、これを予測してお金を受け取らなかったのかもしれない。

いい人だ。



※ボゴタの街を一望にできるモンゼラーテ山に上った。

頂上は、市内との標高差500メートルの3,160メートルの地点にある。

急坂を、ケーブルカーで往復する(17,000ペソ)。

険しい岩山の頂きには、白亜の教会があった。




※ボテロ美術館。

メデジンのボテロ公園で彼の独特なマルマルの彫刻群を見て興味が沸き、彫刻以外の作品も見たくなって来てみた。

ボテロのデッサンの巧みさと、観察力の鋭さに感動した。

絵画のコレクションも素晴らしく、これで入場料無料とは驚きだった。

「貨幣博物館(Casa de Maneda)」と「Museo de Arte del Banco de la Republica」が連結していて同時に見られる。


続いて、9月29日。

※近くに3つの大学があるからか、大勢の若者が闊歩している。

広場にはたむろする若者の姿が見られ、ギターの弾き語りを囲んで盛り上がっている。

芸術性の高いウオールペイントがいたるところにあり、目を楽しませてくれる。

食堂、小洒落た喫茶店が多い。

安宿も点在している。

活気ある界隈だ。




※ボゴタの旧市街の街並みが気に入っている。

きっと、赤煉瓦、出窓、バルコニーが私の好きなアイテムなのかもしれない。




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2015年10月16日

やっとこさボゴタに到着(94)

深谷陽さんの漫画「踊る島の昼と夜」が、連載の後半と単行本と未収録分をまとめて完全版として「Kindle」から発売された。

電子書籍のようです。

ブログ右のリンク「バリ関係・推薦本」で購入できます。

「日本料理店・KAMAKURA」のオーナー・ヨリトモ(通称)のモデルは、もしかすると伊藤博史かもしれない。

是非、お読みください。


さて、ボゴタの続きです。

「南バスターミナルで降りるのか? 北バスターミナルで降りるのか?」

荷物を預けた時、運転手に聞かれた。

ガイドブックには、載っていなかった。

ボゴタは大都会、バスターミナルが2つあってもおかしくはない。

南か北かわからないが、正解は終点のはず。

終点がどちらかわからないが、私はバスに早く乗り込みたくて「北!」と、いい加減に返事をした。

車窓の人となり気持ちが落ち着くと、果たして北バスターミナルでよかったのか心配になってきた。

南が終点だったらどうしよう。

ツーリストのグループと一緒に降りればいいような気がするが、彼らの目的地が私と一緒とは限らない。

終点で降りたいと、前もっ運転手に伝えておいた方がよいだろう。

先ほどのトイレ休憩で声を掛ければよかった。

次のトイレ休憩で、お願いしよう。

いろいろと考えているうちに、日付は27日に変った。

バスが止まるたびに目を開けて、バスターミナルを確認する。

何とかなるさと思いながらも、心細さを隠せない小心者だよね。

これでは、眠られない。

ボゴタに入って、最初に止まったのは南バスターミナルだった。

大きなバスターミナルだ。

予定時間より1時間も早いので、ここではないことはわかる。

ここは乗り過ごしてもよいだろう。

次に止まったバスターミナルが終着駅だった。

時間は、朝4時30分。

乗客のすべてが降りた。

このターミナルで間違いないだろう。

ついにボゴタ(Bogota)到着だ。

ターミナル内で朝食。

Arroz con Pollo (焼き飯)15,000ペソ。

2時間ほど時間をつぶしたが、もう限界。

ターミナル内では、横になれない。

以前、メデジンのバスターミナルで、横になってガードマンに注意されたことがある。

コロンビアでは防犯上、禁止されているようだ。

取りあえず、宿まで行こう。

追加料金を払ってベッドで仮眠をするか、荷物を預かってもらいチェックインまで街を観光するか。

とにかく、バスターミナルを離れたい。

タクシーを乗るには、カウンターでチケットを手に入れる必要がある。

ガラス越しに行き先を告げる。

私は、宿の住所(カルデラ地区・旧市街)を控えたメモを見せた。

タクシーは、6時35分に出発した。

運転手は、番地を見ながら探す。

「Swiss Hostal Martinik」の小さな看板が見えた。

7時に、宿の前に着いた。

料金は、15,000ペソ。

運転手が呼び鈴を押してくれた。

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宿には、予約を入れてある。

チェックインは、午後2時。

「追加料金を払うからベッドを借りられないか」と聞いたがダメ。

「荷物を預けて街に出たいのだが」と言っても、ここに居てくれと言う返事。

律儀と言うか、融通がきかない。

「チェックインの時間まで、待機していてください」

宿内を案内され、最後にはここに居てくださいと談話室に通された。

2時のチェックインまで、長椅子で仮眠する。

Martinik4.jpg
奥のクッションを伸ばして仮眠


午前11時、ベッドメーキングのスタッフがベッドの用意ができたことを告げに来た。

融通がきかなかったのは、スタッフのシフトの都合だった。

チェックインを済ませ、宿を出る。

陽射しが暑い。

ボゴタは標高約2640メートルの高地にある街。

富士山の五合目より高い。

一日の平均気温が14度前後という、春のような陽気だ。

ボテロ美術館の前を通り過ぎたが、ここはゆっくり観賞したいので、明日にすることにした。

ボリバル広場に向かう。

首都ボゴタのボリバル広場は、国会議事堂、裁判所、市庁舎、教会に囲まれた壮大なところだった。

動画に納めたので御覧下さい。




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2015年10月14日

ボゴタに移動する前に(93)

早いもので、日本に戻ってから12日間が経ってしまった。

21日には、バリに向かう。

日本に居る間に「南米コロンビアの旅」を完(おわり)にしなくては、とチョッピリ焦り気味。

メモを見ながら、まとめている。



9月26日

サレントからアルメニアへの最終バスは、夜9時に出る。

深夜バスに乗るには、この時間帯がベストだ。

事務所前で8時30分から待つことにして、ピノさんに別れを告げて家を出た。

ピノさんは、昨日サレントに戻って来た。

歩道には、すでに乗客の列が出来ていた。

バス会社の係員に誘導されて、最後部に並んだ。

8時30分に、バスは出発した。

アルメニアのバスターミナルにもう少しで到着というころで、バスのシャフトが外れるアクシデントに見舞われた。

幸先の悪い、嫌な予感。

臨席の家族が「ここでバスを降りて、歩くことになるようだ」と教えてくれた。

現在地点がわからない私には、ここが歩くには遠いのか近いのかもわからない。

歩くのは辛いが、時間には余裕がある。

チケットを渡してバスを降りた。

歩道に降りると、後続のバスが目の前に止まった。

われわれは、このバスに乗ることになった。

歩くとばかり思っていたので、チケットを助手席に座っていたおばさんに渡してしまった。

「チケットはいるよ」臨席だった家族が教えてくれた。

慌てて、先ほど渡したチケットを取りにバスに戻った。

当然のように受け取ったおばさんは何者。


夜9時30分。

アクシデントはあったが、バスは通常通りの1時間でアルメニアに到着した。

ボゴタ行きは、9時30分と11時がある。

時間は、9時30分を少し過ぎた。

ボゴタまでは7時間。

宿のチェックインは、昼2時。

11時発なら、翌朝6時着だ。

チェックインには時間があるが、初めて訪れる土地だから早めに着くのが得策だろう。

ありあまる時間の使い方は、到着してから考えよう。

チケット50,000ペソ(約2,500円)を購入した。


乗り場をチックすると、手にしているチケットのバス会社のボゴタ行きが止まっていた。

9時30分発のバスが遅れているのだろう。

私が乗るバスが出るのは、まだ1時間ほどある。

コーヒーを飲んで時間をつぶすことにした。

待合室のベンチに腰をおろした。

サレントのバス乗り場で見かけたツーリストのグループが入って来た。

9時の最終バスに乗って来たのだろう。

彼らは、止まっているバスに乗り込んでいった。

私より後に着いて、このバスに乗るのかと、疑問に思う。

ほかにも、私の後に来てバスに乗る人がいた。

ヒョットすると、もしかすると、私もこのバスに乗る必要があるのかもしれない。

バスの前に立つスタッフ風の男性に、チケットを見せてジェスチャーで聞いてみた。

要領の得ない、答えが返ってきた。

乗客の荷物を預かる制服の男性は、運転手だろう。

チケットを見せると「このバスに乗れ」と、私のスーツケースを荷物室に入れた。

バスは、すでに満席。

ツーリストのグループの姿も見える。

私の席には、男性の先客がいた。

親切な乗客が先客の男性に正してくれたが、ダブルブッキングではないようだ。

運転手が間違えているかもしれない。

ウロウロしている私を見つけて、バス会社のスタッフが近づいてきた。

そして、今回の旅で上位にくい込むショックな言葉をはいた。

「お前の乗る11時発のバスは、今日は出ない」

そんなことがあるのか。

コロンビアではあるんだろう。

あるとすれば、事前に連絡して欲しい。

9時30分発のバスに客が集まらなくて、合同になったのだろうと推測する。

推測はできても、解決策にはならない。

今夜はバスターミナルで夜明かしになるのか。

ターミナル内での仮眠は、許されないだろう。

バス会社が、宿の世話をしてくれるとは思えない。

予約したボゴタのホテルには連絡がとれないから、明日の昼にはどうしてもチェックインしたい。

この場面で、素直に「はい、そうですか」と言うわけにはいかない。

荷物をバスに乗せたままゴネようかと考えたが、私を置いたままバスが出てしまっても困るので、取りあえず荷物をおろしてもらい、チケット売り場に走った。

「私の席がない」と伝えると、窓口の女性は慌てることもなくチケットの席番を25から35に書き換えた。

いかにも、通常の業務のような行動だった。

これで席は確保できた。

再び、荷物を運転手に預けバスに乗り込む。

乗客の視線が私に集まる。

心配してくれているのがわかる。

ホッとしたのも束の間、最後部の35番には女性が座っていた。

私は力が抜けたように、トイレの前に腰を下ろした。

もう、居座るしかない。

7時間、この場所で頑張ろうと決めた。

係員が乗り込んで来て、私を誘導した。

どうしよう。

降ろされてしまうのだろうか?

不安はマックス。

・・・・・・・

係員の指が17番の席を示した。

空席があった。

やっと席を確保。

バスは、私が腰を下ろすと同時に出発した。

時計は、夜10時10分。

こうして、車窓の人となり、ボゴタに向かうことになった。

11時発に合わせて行動していたら、どうなっていただろう、と考えると寒気がした。

嫌な予感は、これだったのか。


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2015年10月01日

封印した過去(92)

ボゴタ滞在も終わる。

いよいよ、コロンビアを離れる日が来た。

今回は、さまざまなことを考える旅となった。

ウブドに戻る前に、日本に立ち寄る。

滞在は短期間の予定。

孫と遊べたらいいなと思っている。

キャッチホールでもしようかな。

息子の洋祐に、グローブを用意しておくように連絡しよう。


洋祐とキャッチホールをした、遠い昔の日々が思い出される。

彼が8歳になるまで、一緒に遊んだ。

小さな公園巡り、長島スパーランド、ディズニーランド、銭湯、海に、山に、キャンプ、スキーetc。
上海&北京の旅もした。

ほんとうによく遊んだ。

9歳までの子育ては、親子で遊ぶことと決めていた。

子育てがメインで、仕事は二の次だった。


1990年からの25年間、彼の成長を見ることができなかった。

悔いが残る。

私の人生は、あと何年だろう。

共有できなかった25年間と同じ年月を所有しようとするならば、17年が必要だ。

85歳まで生き延びる自信はない。

たとえ生きられたとしても、切断された時間は埋めることはできない。

私の心にポッカリ空いているのは、あるはずの彼との生活だった。

25年の間、この子はどんな生活を送っていたのだろう。

オヤジがいないからといって、辛い思いをすることはなかったと思うが、気になる。

反抗期、思春期に立ち会えなかった。

体力的にオヤジを越した自分を体験させてやりたかった。

彼の喜怒哀楽を、ひとつひとつ感じたかった。

オヤジの能力全開で、子供と向き合う時間。

そばに居て、受け止めてやりたかった。


私が家を出た日、彼は私の車のあとを追ったそうだ。

まったく気づかず、私はひたすら前を向いて車を走らせた。

振り返る余裕もななった。

・・・・・・・・・

涙を流していたから。

彼のそんな姿を見てしまったら、脳裏に焼き付いて離れなかっただろう。

それでは、私の日々が更に辛くなっていただろう。

その後何日も道端に立ち尽くす姿を見たと、母親は言っていた。

家庭裁判所からの判決は、洋祐がお父さんに会いたいと思うまでは、会ってはならないことなっている。

それは何年先なんだ!

私は、彼との過去を封印した。

過去を振り返らない人生を送るようになっていた。


何も覚えていない

何もかも忘れた

過去を振り返らなくなった

思い出すのが怖くて封印した過去

寂しくないかいって

いやいや、思い出すのが辛いから封印したんだ


いつ断ち切られてもいい生き方をしてきた。

先のことを考えることもなかった。

遣り甲斐、生き甲斐がなくなった、68歳。

このままだと“ひきこもり老人”になってしまうかも。

残り少ない生涯、どうやって生きようか考えている。

まずは、洋祐と話をする時間を作りたい。

封印した過去を取り戻す為の時間。

そして、孫が2人になった洋祐一家のお爺ちゃんとして認めてもらおう。


※ボゴタは、興味が芽生える場所だった。

まとまり次第、ブログにアップします。

しばらくお待ちください。


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