2015年12月31日

2015年の大晦日(19)

2015年も、いよいよ大晦日。

振り返れば、今年は「コロンビアの旅」の一大イベントがあった。

旅の前後には、日本にも滞在した。

思い出の多い年になった。


バリ島ウブドに戻って2ヶ月になる。

2016年で、ウブドで26回目の新年を迎える。

新年と言っても、バリでは、日本に居た時のように新たな気持ちにはなれない。

年末になると必ず出没する、バリの風物詩がある。

ドゥダルーと自転車の荷台に円錐形の派手な商品を積んで売り歩く行商だ。

派手な商品は紙製のラッパで、こちらではトゥラムペ(terampet)と呼ぶ。

トランペットと言う意味だろうが、ピーピーとうるさい笛だ。

今夜は、このトゥラムペとの音がウブド中に響くことだろう。

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来年のカレンダーを見ていて、第11番目の月=Sasih Jiyestha(雨季の終わり)と第12番目の月=Sasih Sadha(乾季の始まり)の間の5月に「Sasih Mala Jiyesta」という、今まで見たことのないSasih(月)が新たに加わっているのに気づいた。

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バイク事故で療養していた「影武者」の辞書・ダユーが復帰したので、さっそく疑問をぶつけてみた。

年々、バリの雨季の到来が遅くなっているが、これはバリの暦的には、天変地異が原因ではないようだ。

ここで言う暦とはサコ暦(Saka)のことで、太陽と月のサイクルを組み合わせたもので353日、355日あるいは356日の1年で巡ってくる。

「このSasihは、12年に1度巡ってくる “ うるう月 ” だ」とダユーは言う。

サコ暦では、月の隠れる暗月(ティラム・bulan tilem)の翌日から、次の暗月までをひと月とする。

このひと月が、お月様の都合で30日とは限らない。

12年の間にずれ込んだ暦の日数を「Sasih Mala Jiyesta」で調節するわけだ。

来年の乾季入りは雨季の到来が遅くなったと同様に6月頃に遅れ、再来年にはサコ暦どおり、11月には雨が降り始め12月には雨期に入るはずだ。

「でも、11月に雨が降らず12月後半になってやっと雨季入りした現実は、Sasihをずらしても変らないでしょう?」という疑問は、バリ人には通じません。

彼らはバリの暦をひたすら信じているようですから。

「えっ、来年は13月あるの?」と言う疑問も受け付けません。

彼らは調節月が加わっただけで、あくまでも「12ヶ月です」と言い張ると思います。

これは、ダユーと話していて感じだことです。


今回のブログは、「アパ?情報センター」の《ウブドnoニュース》をまるまる利用しました。

マラス=(Pe)malas=怠け(者)で、ご免なさい。

それでは、良いお年を・・・・・。


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2015年12月29日

引きこもりの日々(18)

シンガポールから戻って、早11日を過ぎた。

一仕事終えたと言う安心感からか、気の抜けたように日々を送っている。

ブログは滞り、アパ?のホームページも更新が遅れ気味だ。

リタイヤメントのビザが取得でき、パスポートが手元に戻って来るまでは、心が休まらない。

まことに申し訳ないが、それまでは、原稿にも身が入らないだろう。

気が小さいことがバレてしまったか。


今年も残すところ、3日となった。

バリ人は忘年会をしないし、クリスマスを祝うわけでもなく。

ウブドの年末は日本のような気忙しさもなく、いつもの通りの日常だ。

雨季が例年より到来が遅く、風物詩ドゥダル(Dedalu)の発生が遅かったのが、巷の話の種だった。

インドネシア国民は、連休に入ったようでウブドに他島から多くの観光客が訪れて賑わっている。

モンキーフォレスト東通りの大駐車場もオープンしたが、今日は効果が薄かった。

人が知るところになれば、渋滞も緩和されることだろう。

未確認だが、モンキーフォレスト入場者の専用駐車場ということはないと思う。

雨模様と車の渋滞で、外出を控えている。

ますます、引きこもり人になっていく。

夜は9時過ぎに「影武者」へ顔を出すようにしているが、一昨日は満席で私の座る席がなく、パダン料理屋で食事をすました。

往年のように、年末にウブド帰りするピーターが来店することも激減し、私の仕事もなくなった。

これも時代に移り変わりだろう。


ボケ防止も兼ねて、こんなの描いて食い扶持を稼ごうと皮算用している。

20センチほどの小さなキャンバス。

ハヌマン通りの「アート・スペース」に、置かせていただいています。

一度、おみ足をお運びくださいませ。

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posted by ito-san at 15:09| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

ビザ更新でシンガポールに(17)

今回は、事前に知人から情報を集め、抜かり無く万全の準備をした。

エアーアジアの航空券はネットで予約し、コンビニ「インド・マレット」で支払うと言う離れ業で購入。

WEBチェックインは、10日前にすませた。

宿は、Booking.comでリトルインディア地区の「チェッカーズ・バックパッカーズ」を予約。

この宿には、3年前に泊まったことがあるので安心だ。

航空券と宿予約のプリントアウトは、影武者・由美さんに頼んだ。

ビザ代行業者の連絡先と宿の地図はメモして、プリントアウトした用紙と一緒にウエストバッグにしまった。


日常に使っているリュックという軽装で、出発。

預け荷物はない。

知人はビザ取得を、こんな軽装で日帰りで行っている。

シンガポールのビザ代行業者に頼めば、日帰りも可能だ。

私はタイトな時間をドキドキして待つのが嫌で、泊まることにしている。

折角だから、シンガポールも満喫したいし。


シンガポール・チャンギ空港で、350万ルピアを両替。

両替レートは、空港が良いとの情報。

343シンガポールドルを手にする。

50S$は宿代、170S$はビザ代で消える。

残りは、食事と買い物代だ。

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「チェッカーズ・バックパッカーズ」へは、MRT(地下鉄)を乗り換えて行く。

3年の間にMRTの路線も増え、チケットケット購入方法が違っていた。

道順は、ウル覚えで少し迷った。

チェックインをすませば、まずは、ビザ代行業者のMr.イスマイルに電話だ。

バリからMr.イスマイルの事務所に連絡を入れた時、「ホテルに着いたら、すぐに連絡が欲しい」と言われている。

私のスマホは使えるのか? 使えたとして通話料は足るのか?

心配ことは、一言で解決した。

「ここに電話してもらえませんか?」

受付の女性に、お願いした。

女性は、快く、電話を掛けてくれた。

電話口にMr.イスマイルが出たので、私に変った。

「バイク便のスタッフをホテルまで行かせるので、パスポート、書類、代行料金をフロントに預けてくれ」と言う。

Mr.イスマイルと待ち合わせるのだと思っていたので、面食らったが、取りあえずOKした。

電話を切ってから、大事な物をフロントに預けるのが不安になった。

今回のシンガポールは、リタイヤメント・ビザの取得がメインだ。

メインの用件を他人に依存してはいけない。

代行料金が270S$になっていたので、両替をする必要もある。

もう一度、受付の女性にMr.イスマイルの事務所に電話を繋いでもらった。

私は「今から、直接事務所に行く」と伝えた。

MRTのDHOBY GHAUTで降りて、Singapare Shopping Centreの事務所に向かう。

事務所では、Mr.イスマイルが迎えてくれた。

「まだ、両替していないので、このビルにある両替所を教えてください」と聞く。

「両替はUS$ですか? それなら両替する必要はありません。支払いは200US$です」と提案してきた。

私は200US$を支払い、リタイヤメント・ビザの申請をすませた。

明日の午後4時過ぎに、パスポートを受け取りに来る約束をして事務所をあとにした。

手元には、300S$が残った。

買い物リストを確認する。

オーチャード通りのショップを何軒か覗き、下着のパンツ&水着のパンツ&コットンパンツを買い、リトルインディア地区のムスタファ・センターで電動ひげ剃り機を購入した。

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クリスマス・デコレーション@オーチャード通り


「チェッカーズ・バックパッカーズ」は、10人部屋のドミトリーを予約したが、6人部屋に入れられた。

インド人男性ばかりの部屋だった。

おかげで、日本在住30年のビジネスマン・Nazarさんと知り合うことができた。

タイ・チェンマイの次に訪れようと計画していたインド南部ケララ州の出身で、私の夢が現実感を帯びてきた。


バリに戻る17日に「スターウォーズ」が封切りされる。

シンガポールに来た時には、映画を見ることにしている。

封切りのラッキーを喜んだが、今の私には感動を呼び起こさなかった。

一作目の強烈な印象からはほど遠い、眠くなる映画だ。

「スターウォーズ」は、戦争映画だったと再確認。

未来永劫に戦争が続いていると考えると悲しくなる。

殺戮や戦争アクションの映画は好きではない。

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今回の旅で感動したのは、到着時と出発時に2度見した動くオブジェだ。

時間を忘れて魅入ってしまった。

動作が無限に考えられるオブジェ、あとでも見られるように動画に撮ってきた。




「チェッカーズ・バックパッカーズ」の受付の女性は「Indahさん」。

親切な人でした。

バリに来ると言うので、電話番号を教えておいた。

インド人のNazarさんとも、ウブドでの再会を約束して別れた。

こうして、シンガポールの旅は、無事終了した。


posted by ito-san at 23:36| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月14日

新千歳空港13時間のトランジット(16)

ビザの書き換えで、明日(15日)の早朝にシンガポールに向かいます。

あまり飛行機に乗りたくないのだが、これだけは逃れられない。

実は、コロンビア出国時のオーバーステイ事件に続いて、バリの戻る際にも空港で苦い経験をしている。

その話をしよう。


安チケットを購入したら、名古屋出発で、北海道の新千歳空港経由になった。

知人には大阪・関空からの出発を進められたが、電車の乗り継ぎが面倒だと考え、こんな変則ルートをとった。

トランジットは、13時間。

新千歳空港で、夜を過ごすことになる。

シンガポールやマレーシアのトランジットのように、空港内のベンチで寝ることになるかなと覚悟した。

夜8時20分、千歳空港に到着。

さっそく、インターネットを繋ぐ。

知人から、空港内に銭湯があるとの情報がフェッスブックに入っていた。

『料金は1,500円ですが、深夜1時以降は1,500円追加になると思います。そのかわり、朝8時までゆっくり出来、朝食も付きます』

3,000円で、空港内にある銭湯に入れる。

これは嬉しい情報だ。

そのあと、他の知人から『深夜1時から朝までは1,500円(深夜1時前に入ると通常料金1,500円+1,500円)深夜の利用のみの方が良いかも』の情報。

ここで大きな勘違いをする。

深夜1時過ぎれば、1,500円でOKだと思い込む。

ならば、それまでの時間を空港内で費やすことにしよう。

日本円が小銭で1,100円しか残っていないので、ドルを両替することにした。

探し当てた両替所は、閉まっていた。

掲示板には、夜9時から1時間ほど営業するとある。

しばらく待ったが、シャッターは開かない。

通りかかったガードマンに聞くと、今日は営業しないと言われた。

深夜1時まで待たずに、銭湯をUSドルで払って泊まることにした。

新千歳空港温泉は、ドルは受け取れないと言う。

クレジットカードは有効だが、何度も恥をさらすが、私はクレジットカードを持っていない。

札幌まで行ってネットカフェで時間をつぶそうとも考えたが、日本円がなければそれも叶わない。

おばかさんだよね。

空港内のベンチで寝るしかないか。

ローソンで弁当500円を買って、近くのベンチで食べる。

ガードマンが「ここは、11時に閉まりますよ」と声を掛けて通り過ぎていった。

時計は、10時を廻っていた。

弁当を食べ終え、新千歳空港温泉の前に移動。

ここでもガードマンが登場。

「夜11時になると、ターミナルビル全館が閉鎖されます」

国際空港なのに、閉館ですか?

新千歳空港温泉で、ドルが使えなかったことを説明する。

「ターミナル・ホテルなら、ドルが使えると思います」

とにかくホテルに行ってみることにした。

ターミナル・ホテルも、円とクレジットカードしか使用できない。

世界中がカード優先だ。

時間は、11時5分前。

慌てて、カートを押して外に出る。

こうなれば、駐車場で寝るか朝まで歩き回るしかない。

しかし、10月20日の千歳は寒かった。

なぜ、こんなひもじい思いをしなきゃいけないのだ、とひとり言。

目の前に派出所があった。

どこか安い宿を紹介してもらおうと、入った。

最悪、留置場でもいい。

男子警官は「今の北海道、外で寝ると死にますよ」と言いながら宿泊施設に電話してくれた。

努力の甲斐もなく、すべてのホテルが円かクレジットカードしか使えない。

所長のような警官に「旅行慣れていないんだね。あなた、初めての旅ですか?」

「先月、コロンビアから帰って来たばかりです」の言葉を飲み込んで、うつむきながら苦笑い。

これまで50ヶ国以上旅して来たが「私は、要領が悪いのだ」と痛感させられた。

「この時間なら新千歳空港温泉の前に戻っても、見つからないだろう」とアドバイスをもらって空港内に潜入。

潜入したのはいいが、先ほどのガードマンが再登場。

「ここ、防犯カメラで見えるんですよ。ターミナル・ホテルはダメでしたか?」

人の良さそうな彼は、見るに見かねたというように「私が両替しても良いのですが」と言ってくれた。

ガードマン詰め所で所長と密談の結果、彼の個人プレーで両替をしてくれることになった。

3,000円手にして、新千歳空港温泉に向かう。

6時間歩き続けることもなく、三途の川から生還した気分。

温泉、U〜ん、天国じゃ。

もっと早くこの方法を使えばよかった。

このあと、クアラルンプールの空港で、荷物の追加料金を取られることになろうとは想像もしていない。


それでは、何事もないことを願って、シンガポール2泊3日の旅に行って来ます。


posted by ito-san at 23:50| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

グヌン・ルバ寺院のオダラン(15)

ウブド発祥の寺院グヌン・ルバのオダランが、12月2日に始まった。

今回は、5日までの4日間の寺院祭礼だ。

「ウブドに戻ってまいりました」の報告と「これからもよろしく」のお願いをしに、グヌン・ルバ寺院に行きたい。

寺院には、バリの正装をしなくては入れない。

コロンビア行きの前に、全部処分してしまったので新しく揃えることになった。

カマン(腰布)は市場で、ロジャーの妹ニョマンの店で買った。

スレンダンをおまけにつけてくれてRp40,000-。

ウダン(鉢巻き)は、プンゴセカンのガソリンスタンド近くで、Rp35,000-。

翌日、白いシャツとサプット(カマンの上に巻く)は、プリアタンで購入した。

白いシャツRp180,000-、サプットRp90,000-。

割引セール全商品10パーセントの値引きで納得。

正装一式Rp315,000-は、日本円にして2800円ほど。

男性の正装は女性のように流行がないので、数年前から持っている数本のウダンと数枚のカマンを使い回せば足りていた。

数年ぶりの買い物で、正装一式が値上がりしていたのに驚いた。

「和食・影武者」の由美さんに「ボラレタかな」と話したら、「今は、そんなもんだよ」と答えが返ってきた。


グヌン・ルバ寺院のオダランは、ウク暦の第一週(SINTA)の水曜日(RABU=BUDA) KLIWONに始まる。

この日(2日)は、パガルウェシ(Hari Pagerwesi)の吉日と重なる。

私は4日の夜に、参拝させていただいた。

煌びやかに模様替えをすませた寺院は、豪華絢爛だ。

外の境内から内の境内に入る。

内の境内には、お祈りに村人が待機していた。

お祈り(ムスポ・バクティ)は、奥の境内で行われる。

村人の後ろについて、奥の境内に中に入る。

入口で、止められている欧米人ツーリストがいた。

村人のお祈りがすむまで、入れないようだ。

ウブドの寺院では、正装していてもツーリストの入場が年々厳しくなってきている。

特に、村人がお祈り中の奥の境内には入れない。

私は、警備の村人の後ろを廻って入ったので止められなかった。

グヌン・ルバ寺院のオダラン


久しぶりのムスポは、心身が浄化され、再びウブドの住人に迎えられた心地がした。

外の境内では、奉納芸能のアルジョ舞踊劇が始まっていた。


私が訪れた90年代もそうだったが、バリ人は宗教儀礼を観光にしないという考えがある。

「儀礼をお金で売ってはならない」と考えの現れだろう。

以前、バンリの山奥の村に伝わるトランス儀礼の見学ツアーをアパ?情報センターで企画したことがある。

当日、村に死者が出たとのことで、現地到着後でキャンセルの通達が届いた。

数日後、バリの新聞に「宗教儀礼の観光ツアーを許さない」の記事が出ていた。

キャンセルの理由は、村人の反対があったのだろうと思われる。

宗教儀礼に興味あるツーリストには、正装の着用をお願いして許可した。

ツーリストの少なかった時代は、それで問題も少なかった。

世界的観光地となり、ウブドのツーリストも増加している。

宗教儀礼を滞りなく完了させるには、ツーリストの参加は避けたいと思いも理解できる。

厳粛な宗教儀礼に、他の宗教徒が入ることに快く思わないバリ人も多い。

日本人は、バリのヒンドゥー教に通じる仏教徒、神道徒だと考えられているので、ウエルカムの部分もある。

ウブド以外の寺院ならまだ参拝できると思うが、今後どうなるかわからないので、今のうちに、お祈りの儀礼に参加しておくことをおすすめする。


グヌン・ルバ寺院周辺



※バリ用語の検索
寺院:http://informationcenter-apa.com/kb_pura.html
オダラン:http://informationcenter-apa.com/kb_odalan.html
ウク暦:http://informationcenter-apa.com/kb_wuku.html
パガルウェシ:http://informationcenter-apa.com/kb_wuku.html#"Pagerwesi"


posted by ito-san at 16:30| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

「ホテル・クブク」のある風景(14)

古い写真が、私のファイルに入っていた。

知人からいただいたのか、私がどこかから無断拝借したのか、覚えていない。

持ち主が、わからない。

貴重な写真を紹介したくて、フェッスブックに無断掲載した。

お許しを乞うため、撮影者を探したら名乗り出てくれた。

知人の片岡 芳子さんが、以前、フェッスブックにアップした写真だった。


写真は、プンゴセカン通りから見た、今は懐かしい「ホテル・クブク」です。

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(撮影:1994年 by片岡 芳子)


この写真を見て、懐かしいと思った人も多いと思う。

ハヌマン通りの南にあるY字路は、ウブドの南の端。

右に行くとモンキーフォレスト。

左に進めば、プンゴセカン村に続く。

私が滞在始めた90年初頭、Y字路からモンキーフォレストまでの間には「クブク」しかなかった。


道を隔てた「デウィ・スリ・バンガロー」からも、田んぼの景色が見られた。

当時の「クブク」は、小さなギャラリーと田んぼが見渡せるように造られた、オープンカフェ。

ここで、癒されたツーリストも多い。

私もその一人だ。


その後、プンゴセカン通りからの景色はレストランに遮られていく。

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現在は「テガル・サリ」が「クブク」を買収してホテルを増殖。

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今年になって、レストランと「テガル・サリ」に間に、こんな無粋なホテルが建った。

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夜、サインボードは紫色に光源を発する。


この光景を発展と言ってよいのかわからない。

発展すること、便利になることが、悪いことだとは思わない。

しかし、それが良いとも思えない。

ウブドらしい発展とは?

私的には、必要最小限の便利さと、文化を残した発展を望んでいる。

その選択は、バリ人に任せるしかないのですがね。



posted by ito-san at 17:44| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

テ・ボトル・ソスロの新製品(13)

昨日、私の地域でお湿り程度の雨が落ちたが、相変わら寝苦しい夜の毎日。

井戸が枯れて、もらい水をしている知人もいる。

「雨季よ早く来い」


私の外食は、もっぱらナシ・チャンプール。

ナシ・チャンプールのお供は、甘い紅茶と決めている。

辛いバリ料理に甘い紅茶は、不思議と相性がいい。

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写真は、マデ・ロイのサテ・イカン



先日、ビスマ通りの散歩の途中で、1年ぶりに「ワルン・セケシ」に入った。

「ワルン・セケシ」のナシ・チャンプールは、具の種類が多くて、味も私好み。

いつものように「ナシ・チャンプールとテ・ボトル」を注文した。

出て来たボトルは、テ・ボトル・ソスロの新製品。

ボトルが、ビンからプラスチックに変っていた。

容量が、220mlから450mlと増量(350mlも存在している)。

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メニューを見ると、ナシ・チャンプールは、Rp30,000-に値上がりしていた。

ドリンクメニューがないので、テ・ボトルの値段を聞いた。

「Rp10,000-」と返ってきた。

ビンの時は、Rp3,000-だった。

容量が倍になったが、価格は倍以上。

これは、大幅な値上がりだ。

新製品のテ・ボトル・ソスロは、量が多かった。

220mlが、私には丁度良い。

次回からは、450mlは注文できない。

冷蔵庫の在庫を覗いて、確認しよう。

会計時に、Rp50,000-を渡すと、Rp20,000-が返ってきた。

メニューは、ツーリスト価格だった。

それにしても、ワルンでRp30,000-の支出は、節約旅行者には痛い価格だ。

ウブドの物価高には、驚かされる。


お腹も落ち着いたので、もう少し散歩を続けて、グルン・ルバー寺院の動画でも撮りに行こう。

グルン・ルバー寺院は、12月2日からオダランが始まる。

割れ門のペンジュールの飾り付けをしている若者たちの姿があった。

「暑いところ、ご苦労さんです」

posted by ito-san at 16:26| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする