2016年03月31日

エエ_ _ _?!? なんかもう・・・・(-_-)(43)

このところ何かと忙しくて、ブログのアップが出来ませんでした。

久しぶりのブログが、なんと、恥ずかしい話。

まあ、読んでやってください。


知人のミサトが、2ヶ月の滞在を終えて、今夜(30日)帰国する。

予定では「日本食・影武者」を最終地点にして、ウブドを離れることになっている。

いつものように、夜9時過ぎに顔を出せば良いだろう。

「影武者」に飾ってもらうつもりで準備したモビールを、ミサトにも見てもらおう。

hobby9.jpg



枕元のスマホが、ピンポンと音を立てた。

フェースブックにミサトのコメントがアップされている。

「がぁん、飛行機の時間が早くなってた。8時半にウブド出発に」

(3月5日に、変更通知は届いていたようだ)

予定は大幅に変更され、影武者には夜8時までしかいないことがわかった。

のんびり構えていた私は、にわかに慌てた。

マンディは、ミサトを送ったあと部屋に戻ることにした。

エコバックに、各種荷物を詰め込み部屋を出る。

今からなら、7時に影武者に着く。

すでに、ミサトは居た。

昨夜の大テーブルは10人も集って賑やかな晩餐になったが、今夜はミサトと私だけ。

いつもまわりに誰かがいて、ゆっくり話す機会がなかったので貴重な時間となった。

8時にミサトを見送ったあと、部屋に戻った。


扉の前に立ち、鍵を出そうとスボンのお尻のポケットから財布を取り出し、指を入れる。

鍵の感触がない。

そんなバカな。

流れるような動作で、いつものように財布に入れたはず。

落とすはずもない。

何度も財布を確認したが、やはり無い。

扉の前、テラス、流木の置かれたテーブルを探したが見つからない。

リュックに引っ掛かっているかもしない、と調べた。

中身を影武者に置いて空になったエコバックは、折り畳んで持ち帰った。

どこにもない。

落としたのか。

それとも、影武者に持って行った荷物の中に紛れ込んだのか。

宿の敷地内の道すがらを、たどってみた。

バイクに乗ってから落としたとは考えられないが、取りあえず走った道順をたどって確認することにした。

影武者の駐車場までバイクを走らせたが、見つからない。

道路で落としたとすれば、見つからないだろう。

さしあたっては、大家さんに合鍵を借りることにしよう。

居候が大家に迷惑をかけるのは心苦しいと遠慮していたが、今は緊急事態。

お願いするしかないだろう。

大家さんは、合鍵を持っていなかった。

今夜見つからなかったら、明日の朝、鍵屋を呼んでくれることになった。

まさかの展開。

明朝まで、部屋に入れない。

テラスの長椅子で寝て、鍵屋が来るのを待つのか。

心細さに、胸がちょっぴりドキドキ。

部屋に入れないので、マンディが出来ない。

影武者に行くことにした。


今夜の大テーブルには、田尾さん、恭子ちゃん、女将の由美さんが居る。

影武者に置いた荷物の中身も調べた。

皆に説明しながら記憶をたどるが、鍵は財布のいつものポケットに入れた、ハズ。

気忙しく部屋を出たので、ファスナーを閉めた記憶が定かでない。

扉前の足拭きマットの上に落ちたのなら、音がしなかったかも。

恭子ちゃんの意見は「鍵は、マットの上を横滑りして、遠くに行ったのではないか」だった。

扉の下から、部屋に入っているかもしれない。

私もそんな気がしてきた。

最後の望みを託して家路につく。

見つからなければ、テラスの長椅子で寝ることになる。

この頃、夜は少し肌寒くなってきている。

千歳空港の苦い経験を思い出す。
※「新千歳空港13時間のトランジット(16)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/431180605.html

長椅子で寝ることになっても、ウブドなら凍え死ぬことはないだろう。

パソコンもスマホも、バッテリーが残り少ない。

いっそのこと、大家さんが起きるまで本を読んでいようか。

ワルンを営んでいる大家さんの朝は早い。


テラスで一夜を明かす覚悟はできた。

ガソリンスタンド内にあるコンビニで、夜食の飲物とお菓子を買った。

釣り銭のコインを仕舞おうと、財布を取り出す。

小銭入れに、懐かしい感触が・・・・あっ。

女将・由美さんに「鍵、あった。財布の中に」のSMSを送る。

返事は「エエ_ _ _?!? なんかもう・・・・(-_-)」だった。

こうして、テラスの長椅子で寝ることもなく、この原稿を書く時間を得ることができた。

ボケ一歩手前の健忘症老人のひと騒動でした。


posted by ito-san at 17:25| 愛知 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

ハヌマン・アート・スペースがなくなった(42)

ウブド大通りとハヌマン通りが交わる、T字路付近の景観がゆっくり変化してきている。

1990年年代初頭のハヌマン通りは、入ってすぐの両側にハーモニカのような間口の狭い長屋店舗が並んでいた。

今は、東側の角に銀行の建物が建ち、両側にはモダンなブッティクが軒を連ねている。

西側に、当時の面影をわずかに残す店舗が2軒ある。

古本屋とギャラリーだ。

Jl.Hanoman1.jpg

Jl.Hanoman3.jpg


現在、古本屋とギャラリー「ハヌマン・アート・スペース」は取り壊され、建築現場になっている。

Jl.Hanoman2.jpg


「ハヌマン・アート・スペース」は、昨年末から私のつたない絵を置かせてもらっていたところ。

ボケ防止も兼ねて、食い扶持を稼ごうとした皮算用が早くも崩れた。

そして、私のデザインした数少ない店舗の一つが、また姿を消した。

残すのは、ゴータマ通りにある、陶器の「SETIA」のみとなった。

こうして、私の足跡も忘れ去られていくのだろう。

Art_Space.jpg

「ハヌマン・アート・スペース」のユニークな外観に、写真を撮っていくツーリストも多かった。

芸術の町にふさわしい個性的な外観の店が、消えるのは悲しい。

入店して、再びニュークな店舗で登場することを願っている。


「ハヌマン・アート・スペース」のルーツは、ブッティク「ブラン・マドゥー」。

ブラン・マドゥー(bulan_madu)とは、蜜月=honey・moonの意味。

いかにも、バリらしいネーミングだった。

モンキーフォレスト通りにあった、絞りの店「ブラン・マドゥー」は、10月上旬に閉店した。

bulan_madu.jpg


1994年4月16日:オープン当時の「ブラン・マドゥー」。

芸術的な透か彫りの扉が写っていないのが残念だ。

看板も什器も私の手作りだった。

歩道のなかった道路も、懐かしい。


「ウブド村徒然記:ハヌマン・アート・スペース(6)」もお読みくださると嬉しいです。

http://itosan-ubud.seesaa.net/article/354911497.html


posted by ito-san at 19:01| 愛知 | Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月22日

ウブドのイラストマップ(41)

私がウブドを訪れた1990年、「地球の歩き方・バリ島編」は、まだ出版されていなかった。

バリ島編が出版されたのは、1995年と記憶する。

それまでは、インドネシア編に、数ページしか掲載されていないウブドを参考にした。

ウブドのコーナーに、手相のように簡単な地図が紹介されていた。

これでは、ツーリストも困る。

もとより、私自身が困っていた。

そんなことから、ウブドのイラストマップを作ることになった。

協力してくれたのは、名古屋の知人でプロのイラストレーターであるいとうちづるさん。

最初のイラストマップは、1992年に彼女が描いてくれた作品だ。

私より早くウブドを訪れていて、私にウブドを推薦してくれた人物である。

ウブド好きの彼女は、快く引き受けてくれた。

数ヶ月ウブドに滞在して、イラストマップを完成してくれた。

名前が私と同じ「いとう」なので「奥さんですか?」と良く聞かれた。

それは、彼女が迷惑と言うもんだ。

そういえば「地球の歩き方・バリ島編」にも「居酒屋・影武者」は、名古屋から移り住んだご夫妻が経営と、紹介されていた時期があった。

これには、パートナーだったY美さんも迷惑していただろうな。

すべて私の不徳のいたすところです。

こうして皆さんに迷惑をかけて生きているのが「伊藤博史」です。

イラストマップは、「居酒屋・影武者」で配布していた。

評判がよく、コピーにして持って来るリピーターもいた。

知人からもらったコピーを参考に、散歩をしているツーリストにも出会った。

illusrated_map1.jpg

拡大して御覧頂けます。



現在は、ガイドブックやフリーペーパーがたくさん出版され、ウブドの地図も充実している。

それらとは違う、地図作りたかった。

Vol 2からは、友人のトラベルライター・TAKAちゃんが描いてくれている。

今回でVol 5になる。

彼女との意見が合意し、これまでのイラストマップよりも地域を拡大した。

中心部は他の地図にお任せして、周辺部を充実させた。

ライスフィールの中の散歩道や町中の路地に足を踏み入れて、ウブドの素顔を触れられるようにしたい。

ローカルなワルン(食堂)や店、ウブドならではの風情を感じられるスポットに焦点を絞った。

空白が多いのは、今後、描き加えるだろう考えてのことだ。

手にしたツーリストが、自分のお気に入りの店を書き込みのにもいいだろう。

illusrated_map2.jpg

拡大して御覧頂けます。



イラストマップは「アパ?情報センター」で無料配布しています。

遠慮なく、ご利用ください。


posted by ito-san at 02:15| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月18日

ナイトマーケット@ギャニアール(40)

夕方から屋台が集合して、庶民たちで賑わうナイト・マーケット(夜市)。

インドネシア語でパサール・マラム、バリでは通称「センゴール=senggol」と呼ばれ、老若男女に親しまれている。

センゴールとは、「すれ違いざまに軽く接触するような状態」のことを言うジャワ語。

彼らは人混みの中で恋人を探す時、この「センゴール」な行動をすると聞く。

肩を軽く触れ「ごめんなさい」と言いながらきっかけをつくるのだ。

こんなことからか知らないが、いつのまにか、パサール・マラムはセンゴールと呼ばれるようになったらしい。

町や少し大きな村にも、必ずある。

ウブドの近くでは、ギャニアールのセンゴールが大きい。

州都デンパサールのクレネンにあるセンゴールはバリ島最大規模で、食べ物屋、雑貨店などが100軒ほどを出店する。

かつて、ウブドにもセンゴールはあった。

そんな話は、 「ウブドのセンゴール」を読んでください。

ウブド沈没・屋台街デビュー》も、面白いよ。


ギャニアール県の県庁所在地ギャニアール市の中心部にあるセンゴール。

ウブドから、バイクで片道30分ほど。

センゴールになる場所は、公設市場の屋外で、深夜2時から野菜・果物市が昼まで開かれる。

野菜・果物市が終わると、屋台街に模様替え。

昼1時から12時までが、センゴールの時間帯。

営業時間は、各店でマチマチのようようだ。

直線で150メートルほどの両側と、一部横に入った場所に屋台が軒を連ねる。

毎夜、地元の家族連れやカップルが訪れる人気の場所。


久しぶり(3月12日)に、ギャニアールのセンゴールに行ってみた。

入口付近には、バリのヒンドゥー教の供物のための花が売られている。

ゲートをくぐると、バビグリン、ナシチャンプール、バッソ、サテ、惣菜、揚げ物、お菓子、かき氷、インドネシアの漢方・ジャムーなどなど様々な屋台が並ぶさまは圧巻。

土曜日ということもあって、賑わっていた。

欧米人の団体が、ガイドに屋台の料理の説明を受けている。

近頃、外国人ツーリストの訪問も多いと聞く。

センゴールの雑然とした風景は、まさに「これぞ東南アジア!」

中央付近にある、イカン・ラウッ・バカール(Ikan Laut Bakar=海魚を唐揚げ)の屋台に入る。

私のお気に入りの店だ。

ウブドに海の魚を料理する店がなかった頃、よく遠征した。

この店の営業時間は、夕方から8時頃までで、都合によりの休みも多い。

この日は、幸運にも開店していた。

Ikan Laut Bakar1.jpg

Ikan Laut Bakar2.jpg
イカン・ラウッ・バカール+冷たいオレンジジュース=Rp40,000-


しばらく歩くと、衣料品店や雑貨の並ぶコーナーとなる。

最後尾にある屋台は「マルタバ(Martabak)屋」だ。

食事のあとのデザートは、いつもマルタバとトゥランブラン(Terang Bulan)と決めている。

土産にして帰ることもある。

マルタバは、インドネシア版のお好み焼き。

トゥランブランは、ホッとケーキのみたいな食べ物。

ウブド近郊では、プリアタン村の沿道に夜な夜な屋台が出る。

マルタバの動画は、一番最後に出てきます。

最後まで、お楽しみください。



《 アパ?情報センター:オリジナル・ツアー
「新企画・ナイト・マーケット de 夕食ツアー」
「なに、食べよう!」「デザートは!」と心が踊ること請け合いです。

■料金:US$25(一名様)遂行人員2名様以上
■時間:出発6.00pm〜(所要時間3時間)
■内容:センゴールに到着したら、まず、ガイドの説明を聞きながらジャランジャラン。バリの食文化などを見聞してください。その後、各自、お気に入りのワルン(食堂)で夕食。料金は各自負担ですよ。


posted by ito-san at 16:31| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

オゴホゴ神輿@パジャハン村(39)

Selamat Hari Raya Nyepi・Tahun Baru Saka 1938・9Maret 2016

今年のニュピ(3月9日)は、タバナン(Tabanan)県の山深い村で過ごすことになった。

「ニュピ」http://informationcenter-apa.com/kb_nyepi.html

ニュピを挟み、2泊3日の未知の旅。

友人のスタッフであるデワ君の実家に世話になる。

出発は、8日。

午前10時を少し過ぎた頃、友人の車が迎えに来てくれた。

ププアン・パジャハン村(Pajahan Pupuan)は、ウブドから車で2時間半ほどの距離。

タバナンの町を抜け、曲がりくねった尾根伝いの道を進む。

熱帯の森を左右に見ながらのドライブは、心地よい。

家々の玄関に、しめ縄に似た飾りが取り付けられている。

Pupuan1.jpg

ニュピのための飾りらしい。

タバナン県特有の風習だろう。


美しい棚田を望みながらコーヒーブレイク。

ウブド近郊では見られない風景だ。

Tabanan.jpg


ププアン町のワルンで、昼食のナシ・チャンプール。

Pupuan2.jpg


パジャハン村に到着したのは、午後2時。

デワ君の持っているコーヒー農園を見学に出掛けるつもりだったが、雲行きが怪しくなったので明日に変更となる。

午後3時頃から、雨が降り出した。

ここは、雨の多い地域らしい。

ニュピ前夜は、オゴホゴ神輿の行列がある。

「オゴホゴ」http://informationcenter-apa.com/kb_ogoh_ogoh.html

オゴホゴ神輿は、ニュピ前夜に行われる悪霊払いの儀礼。

これまで私が見てきたオゴホゴ神輿の行列は、6時頃から始まっていた。

6時には、まだ時間がある。

私は持って来たhang drumを叩くことにした。

バレ・ダジョーのテラスに腰をおろし、雨垂れのすだれを相手に音を出す。

濃密な音が響いた。

山あいの空気のせいか、雨の湿気か、いつもと違う音色になった。

♪・・・・♬

遠くから、バレ・ガンジュールの音が聴こえる。

時間は午後4時。

雨は上がっていた。

オゴホゴ神輿の行列が始まったとも思えないが、音の聴こえる方に行くことにした。

村の中心と思われる三叉路で、オゴホゴ神輿が行進している。

雨の都合で、早くなったのか?

オゴホゴ神輿は、三叉路から三方向の村はずれに行進し清めの儀礼を行う。

ウブドの豪華なオゴホゴとは違い、小さな村の小さなオゴホゴだった。

明るい時間のオゴホゴは、悪霊っぽくない。





日没時間に、ススオナン(バロン&ランダ)が、オゴホゴ神輿同様に村を練り歩く。

三叉路で僧侶の読経が始まった。

ススオナンが村々を清めている間に、村に結界を張る僧侶たち。

私は沿道に腰をおろした。

昼と夜の境目、3人の僧侶のマントラで村の空気が変貌していく。

ススオナンが三叉路に戻ってくる。

先頭集団の数人がトランス状態で踊っている。

これもウブドでは、見られない儀礼だ。

突然、目の前をランダが走り出した。

私の全身から鳥肌が立った。

闇の世界にでも持って行かれそうな感覚に、急いで、その場から立ち上がった。

まわりから嬌声が上がる。

ランダを押さえる者、トランス状態の者。

狭い道に村人が溢れ、騒然となる。

これは、トランス儀礼だ。

私は、この場に居るようで居ない取り残された存在となった。


このあと、再びオゴホゴ神輿の行列が行われた。

パジャハン村では、明るい時間と暗くなってからの2度行われる。

これもこの村特有の風習だろう。

午後9時、すべての儀礼が終了した。

山あいの小さな村で行われた不思議な儀礼でした。

posted by ito-san at 02:47| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

オゴホゴのミニチュア(38)

午後3時、窓越しに見える庭に、強い陽射しが差し込んでいた。

行こうか行くまいか悩んでいた、知人宅。

いっそのこと、プールを使わせていただいて運動不足解消もいいな。

陽射しに誘われて、出不精の重い腰を上げた。


知人宅は、スカワティ村にある。

地図で見ると、サボ海岸の隣りのプルナマ海岸に行く途中の村。

サボ海岸に行くよりも近くだ。

次回は、プルナマ海岸の流木をチェックしてみよう。

私の居候する「ワルン・パ・セダン」からサボ海岸までバイクで30分だから、知人宅までは20分ほどだろう。

知人は渋滞を避ける場合は、大通りを通らないでトゥンクラ村経由のコースを使う。

トゥンクラ村経由のコースを知らない私は、いつものように大通りを通ることにする。

マス大通りを都心・デンパサールに向けて進む。

スカワティ村の中心地を左折する。

入ってすぐ左手の雑貨屋に、 オゴホゴ(Ogoh-Ogoh)のミニチュア が飾られているのが目に付いた。

3月9日は、ニュピ

ニュピは、サコ暦の新年。

オゴホゴ作りは、ニュピの約2〜3週間前から各バンジャールで始まる。

ニュピ前夜に、オゴホゴ神輿が村々を練り歩く。

オゴホゴのミニチュアが雑貨屋の店頭で売られるようになった。いつの頃からだろう。

Ogoh-Ogoh.jpg

5年ほど前からではないかと、曖昧に記憶している。

悪霊・オゴホゴを誰がどんな目的で購入していくのか理解できない。

大人がインテリアとして? 子供の玩具として?。

一体が、小でRp80,000〜大でRp280,000-。

日本円で700円〜2,400円は、バリ人にとって高いのか安いのか。

大の方は、子供オゴホゴ神輿と同じくらいの大きさだ。

もしかすると、大人が既製品のオゴホゴを買って、子供たちのために神輿を作ってやっているのかもしれないな。

素材が合成樹脂のスポンジで出来てるいるのが、気になるところだ。


プールで泳ぎと日光浴。

久しぶり〜!

気持ちいい〜!

masuda_tei.jpg


帰りは、知人がトゥンクラ経由で送ってくれた。

スカワティ村を抜けて、途中から、ピンド村に入った。

この脇道は、流木拾いの時、いつも気になっていた道だ。

これで、道が繋がった。

快適な、ツーリングに気分をよくしている。

トゥンクラ村をバイクで走行中、顔に当たった蜂がヒジの内側に張り付いた。

速やかに飛んで行ってくれればいいのに、なししてる。

痛みが走った。

蜂が刺している。

かなり太い針だ。

突然の出来事で驚いた蜂、まず刺すことと、インプットされているのかな。

蜂に刺されるのは何年ぶりだろう。

何十年ぶりかもしれない、

早く退いてほしいので、指で弾き飛ばした。

針の跡が残っている。

徐々に痛みは増し、腫れも酷くなってきた。

痛いよ!

取りあえず、ミニャッ・ボカシを塗っておいた。


今日は、オゴホゴで始まって蜂で終わった、楽しくて痛い一日(3月4日)でした。


posted by ito-san at 02:05| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

流木拾いにサボ海岸(37)

雨の日が続き、流木拾いに出掛けられない。

使える流木が少なくなり、手持ち無沙汰の日々。

今日も雨模様。

ウブドの南西、サボ海岸方面に晴れ間が見えた。

思い切って行ってみるか。

バイクで30分。

ゴアガジャの手前を、トゥンクラ村に向かって右折する。

トゥンクラ村からクムヌ村を抜ける道は、適度の蛇行と起伏を繰り返す。

18年前にトペン舞踊を奉納した、トゥンクラ村のダラム寺院前を過ぎる。

緑豊富な美しい家並みが、私の心を落ち着けてくれる。

スマラ・ラティの太鼓奏者C君の家の前を通り過ぎると、サボ海岸は近い。

C君の家はピンド村=PIndaにある。

バリ人は後尾につくaは、オと発音しているようだ。

従って、海岸のあるSabaも、サボと呼ぶ。

信号機のあるバイパスを横切り、ホース・ライディングのオフィス前を過ぎれば到着。


前回知り合ったバリ人のおじさんに、声を掛けられる。

おじさんと言っても、私よりは若い。

黒い砂の海岸を歩く。

連日の雨に関わらず流木は少ない。

ビニール袋とペットボトルが目立つ。

15年前は、もっと奇麗だった。

イメージしている流木が見つからない。

小さめのプラスチックを拾って、袋に入れる。

世話になっている海岸を、ちょっと清掃。

流木で動物オブジェを作っている土産業者が現れたのは、10年前。

今でも、下請け業者が流木を集めているらしい。

ミニ椅子の座部分の素材になる板状の流木が見当たらないのは、そんな理由からだろうか。

hobby7.jpg


雨が落ちてきた。

ワンテラン(集会場)に逃げ込む。

露店のおばさんに、バリ・コピ(Rp2,000-)を頼んた。

カキリマ(移動屋台)の具たくさんバッソ(10,000-)も注文した。

バリ・コピとバッソを持って、座り込む。

saba1.jpg


あじわいあるランダ像が、大樹に足下に安置されていた。

saba2.jpg


雨が小降りになった。

今日は、これ以上収穫はないだろう。

帰ろうとする私に、男性が声を掛けてきた。

「川を挟んだ向こう側の海岸に、たくさん落ちているよ」

遠目に見た海岸には、確かに多くの物体が打ち上げられている。

教えられた通りに、行ってみた。

そこは、ペットボトルと日用雑貨のゴミの山だった。

「ゴミのポイ捨てをやめよう」なんて生易しい状況ではない。

バリ島は、行政がゴミ収集を行っていないのではないのか。

集められることのない家庭のゴミは、庭や排水溝に捨てられる。

それが、雨によって川に運ばれる。

自然に戻るゴミの時代は、問題にならなかった。

今、環境に悪い物質のゴミが海に流れ込んでいる。

取り返しがつかないほど、海は汚染されている。

デンパサールの都会や観光地のホテル&レストランのゴミは収集されているようだが、そのゴミ処理場もパンク寸前。

バリのゴミ問題は深刻だ。





posted by ito-san at 03:35| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

珈琲は、ドリップが好き(36)

料理音痴の私は、当然のように味音痴でもある。

コーヒーは好きだが、味の違いはわからない。

だが、味の好みはある。

私は、ハンド・ドリップで淹れたコーヒーが好みだ。

フィルターは、ネル&ペーパーの如何を問わず。

「和るん・あんかさ」が、私好みのブレンド・コーヒーを提供してくれる。


ウブドは今、エスプレッソ・マシンが幅をきかせている。

南米コロンビアのサレントでも、そうだった。

機会メーカーの陰謀ではないかと思うほどの普及率だ。

ドリップ・コーヒーが飲める店を探すのに苦労する。

ちょっと不満だ。

エスプレッソ・マシンは、47年前に使ったことがある。

機械たてのコーヒーメーカーだ。

蒸気で圧力をかけていたと記憶している。

素人でも容易に使いこなせた。

エキスを縛り出したコーヒーは、濃厚で苦い。

私は苦手だった。

カフェ・オレに適したマシンだ。

4杯まで同時に作れ、手間も省けた。

その後、かなり改良されているはずだ。

コーヒーを淹れる職業をバリスタ(伊: barista)と言うらしいが、認定資格を得たコーヒーマイスターの称号にもなっているようだ。

どことなく、マシン・メーカーとの癒着の匂いを感じるのは、感度の悪い私の鼻のせいか。

コーヒーの味は、生豆55%、焙煎25%、抽出20%と言われる。

生豆が良くて、焙煎が適していれば、80%の味が出せるというわけだ。

残りの20%が、抽出方法。

何度も言うが、私はハンド・ドリップで淹れたコーヒーが一好み。


ドリップ・コーヒーが飲めるカフェを発見。

知人のフェースブック紹介されていた「coffee house KAHIYANG」。

カヒャンと読むのかな?

意味は何だろうかな?

ウブド大通りからタマン村のスリウェダリ通りを北上すると、テガランタン村に至る。

テガランタン村に入る手前左手に、ブントゥーユン村に抜ける橋が架かっている。

「coffee house KAHIYANG」は、橋を通り過ぎたすぐ右手にある。

以前、ワルン・サリ・ルジェキのあった2階建て建物だ。

KAHIYANG1.jpg


焙煎機が珈琲専門店ぽい。

インドネシア各地で生産されたコーヒー豆が用意されている。

KAHIYANG2.jpg


もちろん、流行のエスプレッソ・マシンも常備。

KAHIYANG3.jpg


目の前でドリップ・コーヒーを淹れてくれる。

お湯と空気を含んで膨らんでいくコーヒーが、嗜好心をそそる。

KAHIYANG4.jpg






「和るん・あんかさ」以外で、ドリップ・コーヒーが飲めるカフェを探してみた。

「Barong bridge cafe」「Aomari」「Cafe Seniman」があった。

他にも、あると思う。

美味しいドリップ・コーヒーを求めて、彷徨ってみたいと思っている。


posted by ito-san at 02:11| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする