2016年04月27日

しあわせって何だっけ(52)

ウブドで暮らし、日々、しあわせを感じている。

「しあわせって何だっけ」明石家さんまが唄ってたな。

ほんと、しあわせって何だろう。

私は、吹き抜ける風を頬に受けるだけで、しあわせだと感じる時がある。

豊富な緑、草花、雨、太陽、月、星などなど、自然の恵にしあわせを感じる。

感動で涙したこともたびたびある。

スマララティのリーダー・アノム氏の踊るバリス・トゥンガル、スアールアグンの奏でるジェゴグ・ムバルン、ペノロカンの外輪山から望むバトゥールの山と湖の風景など。

心を打たれることも、しあわせの一種だろう。


私の「しあわせ」の解釈は、本来の意味とは違うのかもしれない。

地球上の生物は、等しく「しあわせのドーム内」に生きている。

自然の恵の中に生きていることじたいが、しあわせなのだ。

人生は、しあわせに包まれている。

人に赤い血が流れているように、しあわせは人類が持つ平等の資格だ。

しあわせの大きさは計り知れなく、それぞれの心の中に目盛がある。

到達点もない。

どう受け止めるかは、個人の気持ちしだい。

しあわせは、個人個人の心の満足感。

満たされているか、満たされていないか。

しあわせを多く感じる人、しあわせが薄いと感じる人。

感謝する心が、しあわせかもしれない。

しあわせも、むこうからやってくるものではなく、自分から求めて、こちらが感じ取るものだろう。


私は、これまで、不幸だと思ったことがない。

何が不幸なのか、わかってないもかもしれません。

弱虫だから、無意識に眼をそむけているだけかもしれない。

楽しく生きることが、しあわせなんだと信じている。

そんな環境に生まれたことに、感謝している。

私は不幸と言う言葉を使わない。

人から受けた行為に「傷つく」「不快」になったことはあるが、不幸だと思ったことはない。

辛いことも、悲しかったことも、今思えば、楽しい思い出。

振り返れば、しあわせを感じた時期だったということはある。

不幸な人を想像してみた。

しかし、それは当人がどう思っているかを計り知ることはできない。

他人が想像から判断することは、失礼なことだ。

私の知るバリ人の半数以上が、貧乏自慢をする。

だからといって、不幸だとは言わない。

これは信仰心からくる考え方なのだろうか?


「自分のしあわせは他人の不幸の上に成り立っているのでは? お気づきになりませんか?」

以前、ブログに、こんなコメントがあった。

私が書いた「自分のしあわせは、他人にしあわせの上に成り立っているのだ」に対しての反論だった。

気づかなかった。

これは私の不徳の致すところ。

私がしあわせを感じると、誰かを不幸にしているということか?

私が不幸になれば、しあわせを感じる人が増えるのだろうか?

不幸は、しあわせの対義語ではない。

しあわせと不幸が、シーソーになっているとは思えない。

友達に意見を聞いてみたが「自分のしあわせは他人の不幸の上に成り立っているのでは? 」の具体的な回答は得られなかった。

こんな考えの人もいた。

「しあわせしあわせってあまり言わない方が良いよ、もう少し謙虚な気持ちになりなさい!」

しあわせを連発することは、謙虚じゃないのか。

そういう発想自体が、わたしには理解できない。

よくわからないが、人それぞれ考え方があるということですよね。

ある小説に「人間は誰でも自分の知らないところで恨みを買っているものです・・・。」一節があった。

自分では気がつかないところで、他人に不幸を感じさせたり、恨まれたりしているものなのか。

人の気持ちはわからないもの。

肝に銘じます。

幸い、私と同じ思いの人がいたことに救われた。

「クドイ」と叱られそうですが、私は「ウブドに居てしあわせを感じている」と言うことを伝えたかっただけです。

こうやって能天気に生きているのが私です。

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2016年04月24日

サボ海岸から流木が消えた(51)

流木で作ったモビールが、思いのほか売れている。

と言っても、大量生産できるものでもないので微微たる数ですが。

手持ちが少なくなったので、久しぶりに流木拾いに行くことにした。

4月22日・午後3時・快晴。

いつものサバ海岸。

ゴミの小山が、あちこちにできていた。

煙が立ちこめている小山もある。

清掃ボランティアが入ったのか?

ゴミを集めている女性に聞いてみた。

「あのホテルから頼まれてやってるの」

海岸線を少し入った林を指さした。

ホテルから手間賃をもらって、清掃作業をしている。

清掃員は、彼女ひとりのようだ。

宿泊客が、海岸を散歩することを考えての策だろう。

夢のリゾート地で、ゴミの海岸を見せられては興ざめだ。

どちらにしても、海岸からゴミがなくなることはいいことだ。

同時に、私の欲しい流木も姿を消した。

手ぶらで帰るのは初めてだ。

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サボ海岸をあきらめて、隣りのプルナモ(Purnama)海岸に移動した。

満月(プルナモ)という名前の海岸だ。

前に一度、下見をしたことのある海岸。

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プルマモ海岸は護岸工事中

その時は、1キロほどの海辺には、大量のゴミが打ち上げられていた。

今日も、相変わらずのゴミの帯。

喜んでいいのか嘆くべきか、それが問題だ。

ゴミの中には、供物の残骸もある。

バリのほとんどの海岸は、ムラスティと呼ばれるヒンドゥー・バリの浄化儀礼が行われる場所でもある。

海岸には、供物が残される。

自然素材で作られた供物は、自然に戻ると考えられていた。

現在は、プラスチックゴミと一緒に海岸に残っている。

供物は、燃えるゴミ。

分別して、燃える物は燃やし、リサイクルできる物は回収してもらおう。

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バリのゴミ問題は、深刻だ。

特にプラスチックゴミには、危機感を持ったほうがよい。

いたるところで、プラスチックゴミの山を見かける。

スーパー&コンビニなどはプラチック袋を有料化し、エコバックを持つことを推進し始めた。

ゴミを分別して回収する村も増えている。

しかし、島内のゴミ回収車の数は圧倒的に少なく、山間部や僻地には廻ってこない。

どちらにしても、目先のゴミをか片付けたところで、バリのゴミがなくなりわけではない。

ゴミは場所を変えるだけで、一向に減っていない。

根本的解決方は、ゴミを焼却することだ。

バリには焼却炉がないため、ゴミ集積所は限りなくゴミの山を高くしていくだけ。

サヌール方面の海岸とクルンクン県の山奥のゴミ集積所は、パンク寸前だと聞く。

バリ島の経済成長は、今後さらに著しくなっていくだろう。

消費文化が活発となり、廃棄物が増加する。

インフラの充実は必修だが、何よりも先に、焼却炉の建設を急ぐべきだ。


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プルナモ海岸で、流木が確保できた。

今後、ゴミ問題が解決されれば、海岸の流木の姿も消えることになるだろう。

そして、美しい海辺が再現される。

嬉しいような、悲しいような現実が、いつかやってくる。

そうなるまで、流木作品を作り続けよう。


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2016年04月21日

ルンピア売りのオジさん(50)

遠くから聞こえる叫び声。

熱帯雨林で鳴く大きな鳥を想像する。

叫び声が近づいて来る。

頭上にショーケースをのせて何事か叫んでいる。

正体は、物売りのオジさん。

オジさんと言っても私よりも若い、筋肉質の男性。

大声で叫ぶ姿は、突飛だ。

何かに怒っているのだろうか?と思ってしまう。

すれ違い様の大声には、驚かされる。

後ろ姿は、男の口臭、いやいや郷愁が漂っている。


ウブドをジャランジャランしていて、見かける率の高いオジさんです。

すれ違ったことありませんか?

叫び声は「ルンピア〜(lumpia=春巻き)!」。

私は、ルンピア売りのオジさんと呼んでいる。


呼び止めると、強面の顔が穏やかなニコニコ顔に変わる。

注文すると、その場でルンピアをハサミで切ってくれる。

タレをかけて一皿Rp10000-也。

美味しいですよ。

勇気を出して、声を掛けてみてください。

怖がっているのは、私だけか?

lumpia3.jpg


以前、フェイスブックに動画をアップして、コメントをいただいたことがある。

オジさんは、ウブドの有名人だった。

どこから来ているのかが話題になった。

●クデワタンの所位から、デウィシタ通ってスグリワ通って、アンドン辺りまで。

●プンゴセカンにもやってきます。この前、テガラランの手前辺りで見かけた。

●クトゥからゴータマ降りてデウィシタまで。

などの証言がある。

かなり広範囲に足を伸ばしているようだ。

この頃、売り声が、野太い声から高音に変ったと感じるのは、私の気のせいか。

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lumpia2.jpg
「スニマン・カフェ」が作ってくれたTシャツ

オジさんは、どこから来ているか?

独身なのか、結婚しているのか?

妻帯者だとすれば、ルンピアは奥さんが作っているのか?

などなど、なんてことは謎の方が面白い。

正体を明かさない方がミステリアスで楽しい。






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2016年04月19日

なによりの土産は、友人、知人の元気な姿(49)

17日は、坂田さんを迎えに空港に出向いた。

半年ぶりに会う坂田さんは、元気そうだった。

部屋に着くと、さっそく土産を取り出した。

最初に出て来たのが、眼鏡。

手持ちの眼鏡がひとつになり、無くなったり壊れたりしては大変と、心もとなかった。

不便だが、眼鏡をない生活は考えられない。

さすがに気遣いの坂田さん、抜かりがない。

+3.00と+3.50の2つを用意してくれていた。

もちろん遠視。

私の場合は、老眼。

今、私は+3.00を利用している。

これも坂田さんからのいただき物だ。

本を読んだり字を書く時には、+3.00の眼鏡を掛ければ万事OKだ。

この頃、数メートル先の人の顔がボケて見える。

景色も、かすみがち。

白内障かと心配していたが、+3.50を掛けたらしっかり見えた。

度が進んでいたようだ。

このあと、幾つまで度が進んで行くかわからないが、見えにくくなってくるのは間違いないだろう。

いっきに老眼鏡が2つ増え、手持ちは3つになった。

持ち歩き用と家置き用と予備が揃った。

これで、出かけた先で、眼鏡がなくて困ることはないだろう。

土産は、眼鏡の他にも、柿の種を始め、私の大好きに駄菓子がたくさんあった。

坂田さんに感謝。

こういう人々の好意で生きながらえていると、つくづく感じる。


土産について考えてみた。

ウブドに滞在していると、リピーターの方々からの土産が届く。

喜んでもらおうと、考えあぐねた結果の土産だろう。

もらい物は、何をもらっても嬉しい。

私は、どんなものをもらっても喜ぶ質だ。

たとえ自分に必要のないものでも、知人や現地の人々にお裾分けすれば喜ばれる。

1990年代、もっとも喜ばれた土産は、本ではなかっただろうか。

長期滞在者は、活字に飢えていた。

飛行機内にある週刊誌や一日遅れの新聞でもいい。

土産の目録まで丹念に読んだ。

バリ島に、日本の新刊を置いている店はない。

もちろんウブドにもない。

ビザの書き換えでシンガポールに行った時に紀伊国屋書店で買って帰るか、古本屋で満足するしかなった。

本は、古本で充分満足。

旅のお供に持って来て、読み終えた本が届く。

いつも、新刊の単行本を置いていってくれる知人もいる。

この知人のセレクトが、また良い。

バリ島関係の本を持って来てくれる人もいた。

今は「ウブド・本の交換会」が、活字好きを救ってくれている。


本の次に嬉しかったのは、日本の食べ物だろう。

フリカケにインスタントのみそ汁、ラーメン、カレーも助かった。

好物は甘いもの。

名古屋の友人たちは、大須や青柳など地元のういろを持って来てくれる。

重いのに、ご苦労さと頭を下げる。

20年前は、一本丸ごと食べたが、今は少量で満足できるようになった。

大人になったな〜。

駄菓子系も好きだ。

松永のしるこサンドに、感激した。

ウナギや明太子など、日本でも滅多にありつけない好物が土産のこともある。

新巻鮭が届いた時には、驚いた。

たいていに物が揃うようになった今、貰い物にも贅沢を言うようになった。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」

親切を、いつまでも忘れずにいたい(反省)。


映画やテレビ番組のDVDもありがたかった。

会社で配っていた景品を持って来てくれた知人もいた。

これは、みんなに分けて喜ばれた。

日本の商品は現地の人にも人気だ。

土産ではないが、パソコンを貢いでくれている友人には足を向けて寝られない。

お陰で、今の生活ができているとも言える。

こうしてブログも書いていられる。

時には、生活雑貨までいただいて助かった。

私は姉は、中日新聞社が配っているタオルを大量に持って来てくれた。

使わなくなった物でいいのだ。

ようは気持ちだ。

かと言って、土産を催促しているのではありません。

なによりの土産は、友人、知人の元気な姿ですから。


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2016年04月16日

僧侶婦人の火葬儀礼@テガランタン村(48)

6ヶ月間の居候生活を終えて、引っ越した。

坂田さんが、4月17日に帰ってくるので明け渡しだ。

居候先の大家(パ・セダン)は、ワルンを経営をしているので、出かけたくない時の食事はここでした。

ガソリンスタンドもランドリーもコンビニも近くにあって、便利な立地だった。

古巣のテガランタン村に舞い戻ったのは、11日。

以前世話になったパチュン家を通り越して、今回は寺院の北・パチュン地域に厄介になる。

厄介先は、現在、慣習村村長の職につく、セナ(sena)氏宅。

いつ旅立つかわからないので、寝袋生活の予定だ。

望みは、サバイバルな生活。

雨露がしのげれば良いと考えている。

にしては、立派な部屋だが。

家財道具がまったくないが、どうしても必要な物しか揃えないつもりでいる。


4月14日、僧侶(プマンク)婦人の火葬儀礼(Plebon)が、テガランタン村で行われた。

聖職者であるプダンダ(高僧)や僧侶は、埋葬することができず、すぐ火葬される。

そんなことで、村長セナ氏と奥さんは、私の引っ越しに気遣っている暇がないほど忙しいかった。

少々寂しい気もしたが、それはジ〜ッと我慢の子。

火葬儀礼は、午後1時から始まるとセナ氏から聞いている。

バラガンジュールの賑やかな音が、聴こえてきた。

午後12時30分、少し早まったようだ。

急いで正装に着替え、部屋を出る。

バデ、ルンブーの神輿は、もう火葬場に向かっていた。

大勢の村人が、集まっていた。

私は、邪魔にならないように、参列者の後ろに立った。


顔見知りのプマンクが、笑みを浮かべて近づいて来た。

25年ぶりの再会。

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1991年「居酒屋・影武者」の工事を請け負ってくれた大工の棟梁だ。

どちらも、しっかり年齢を重ねた。

そう言えば、大家セナ氏の父親も「影武者」建築に携わってくれた大工のひとりだ。

セナ氏も大工で、世話になっている。

バリ語のできない私に、片言のインドネシア語で話しかけてくる。

インドネシア語もまともに話せない私との会話は、途切れがち。

それでも、意志が通じるかのように、お互いにニコニコ顔。


ルンブーに火が入った。

Plebon_manku.jpg

プマンクが一言、「◎○△□●▲▽◆×?」。

バリ語かインドネシア語か、どちらにしても理解できない言葉だった。

曖昧に相づちをうった。

私の感では、家族の火葬だと伝わる。


焼き場を離れると、カルタの顔が見えた。

カルタが、プマンクの奥さんの葬儀だと教えてくれた。

お悔やみの言葉をかけなくてはいけなかったのだ。

しかし私は、お悔やみの言葉をインドネシア語で伝えられない。

無作法してしまった。

オカちゃん、パチュン、カポ、知合いの顔がたくさん見える。

「また、お世話になります」心でつぶやく。

目礼して、その場をあとにした。


※火葬儀礼@テガランタン村




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2016年04月11日

ココナッツ・オイル作り(47)

この頃、ココナッツ・オイルの人気度が高いと、良く耳にする。

10年ほど前「アパ?情報センター」に、ココナッツ・オイル作りの作業風景を見たいと、ツーリストからの要望があった。

こういった方面にまったく興味がない私は、当時、情報を持っていなかった。

今回は、なんとなく心が動き、知人のグスティ君に「作りたい」と相談した。

「いつも作っているから、いつでもいいよ」との返事だった。

「いつも作っている」初耳の言葉に唖然とした。

3日に1度ほどの割合で、ココナッツ・オイルを作っているという。

各家庭で作られ、日常で使われていると言うのだ。

グスティ家の台所には、自家製のココナッツ・オイルが置かれていた。

市販の食用油を使っていない。

バリ人宅は、自家製率高いようだ。

26年間滞在して、初めて知った。


バリ島に生育する椰子には、様々な種類がある。

砂糖と発酵酒を作る椰子や蒸留酒になる椰子、オイルを採る椰子。

地霊や邪悪の力を祓うための儀礼・ムチャル/チャル=Mecaru/Caruでは、5種類のバリ原生椰子の実を使う。

儀礼に欠かせない椰子の話は、バリらしい。

この話、テガランタン村滞在記「椰子の実の話(29)」にしたためております。

「極楽通信:16 椰子の木はスーパーマン」と合わせてをお読みくださるとありがたいです。


バリ島に古くから伝わるココナッツ・オイル。

インドネシア語で、ミニャッ・クラパ(Minyak Kelapa)と言う。

ココナッツ・オイル作りを2度、グスティ家で体験した。

作り方を順を追って説明しよう。

オイルには、果汁の少なくなった発芽する前の古い椰子の実を使う。

まず、外の厚皮を剥がします。

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厚皮剥がしは、グスティ君の仕事。


ここからは、主婦の仕事。

台所は主婦の城だ。

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厚皮が剥された実の固い殻から、白い部分を剥がす。

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おろし金で細かくする。

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動力もあるでよ〜

細かくなったココナッツに、白湯を入れ揉む。

これを絞った液体が、ココナッツ・ミルクだ。

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ココナッツ・オイルは、ココナッツ・ミルクから油を分離させたもの。

バリの伝統的分離方法は、加熱式だ。

加熱しないで分離するものをヴァージン・ココナッツ・オイルと言うらしいが、加熱しても成分に変りがないようだ。

カマドで薪を使って加熱する。

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しばらくすると、アクのような白い泡が浮いてくる。

白い泡をすくい取ると、粒状のオイルが姿を現す。

これがココナッツ・オイルだ。

奥さんのプスポさんは、日常の仕事をこなしながら次から次へと段取り良くオイルをつくっていく。

白い泡に野菜を和え、バナナの葉に包んで焼いた、ペペスと呼ばれる料理を作ってくれた。

不思議な美味しさ味だった(食レポは出来ません)。

加熱すること30分。

分離して浮いたオイルは透明。

上澄みのオイルをすくい取る。

すくい取ったオイルをもう一度加熱して、水分を飛ばす。

これを冷ませば、ココナッツ・オイルの完成だ。

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友人のミサトさんが、説明をイラストで描いてくれた。わかりやすいよ!

minyakkelapa10.jpg

イラストは、ダブル・クリックすると大きくして見られます。


これまでの説明でわかるように、無精製、無添加。

当然だが、ココナッツはオーガニック。

簡単にできて、効用も多様だ。

効用については、各自で調べてください。


主婦が作っているココナッツ・オイルを売りたい。

フェアトレードの意味を正しく理解していないが、生産者直売にしたい。

こんな考えが浮かんだ。

少しでも彼らの生活の糧になれば、なんて思うのはオゴッタ考えだろうか?

出来ることから始めたいと思っている。



☆☆☆


アパ?では、バリ島のココナッツ・オイルを理解して頂くためにオリジナル・ツアーを企画しました。

その名もズバリ《 ココナッツ・オイル作り 》。

バリの伝統的なココナッツ・オイル作りを体験する。

今回は、贅沢にも「椰子砂糖作り」も加えました。

バリ島民の家々に古くから伝わる「ココナッツ・オイル作り」と「椰子砂糖作り」です。

民家の台所を使用し、オイルと砂糖ができる行程の見学と作業を体験します。

ココナッツの不思議が解明されるかもしれません。

出来上がったココナッツ・オイルと椰子砂糖は、お持ち帰りできます。

■遂行人員:2名様以上〜5名様以内

■価格:20US$(1名様・プロモーション価格)

■遂行時間:3時間(午前・午後の2回を予定)


posted by ito-san at 23:48| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

プリアタンの十字路の様変わり(46)

プリアタンの十字路の様変わりも報告しておこう。

ウブドの変則十字路は、観光地として大きく変貌した。

しかし、プリアタンの十字路は、私が訪れた1990年とあまり変化はない。

芸能の村としての歴史の古いプリアタンだが、ウブドに比べローカル色の強い町で観光地という印象は薄い。

ツーリスト向けのレストランやブティックも、ほとんどない。

下町っぽくて、私は好きだ。

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1973年の十字路付近(facebookより拝借)

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1990年の十字路付近:火葬儀礼風景


ウブドと同様に、プリアタンの十字路にも王宮のある。

王宮の創設は、プリアタンの方が古いと聞いている。

南北に走る大通りに、西行きと東行きの道路が交わる。

ニュピ前夜のオゴホゴ神輿は、この十字路を中心に繰り広げられる。

王宮は、北東角に建つ。

プリアタンのガムラン・グループの定期公演が行われる会場になる。

南東角には、公共施設+ブンギン大樹+市場と並んでいる。

南西角には、体育館。

体育館の道路側は貸店舗になっていて、人気のミー・アヤム・バッソ屋「Pak Kairun」が入店している。

北西角は、広場。

広場には、以前、小学校が建っていた。

奥に、元影武者スタッフ・バンバン君の経営するワルンがある。

ティパットが美味しいと評判の店。


※プリアタンの十字路、動画で御覧下さい(撮影:2016/1/5)。



概略だけの、端折った内容になってしまって、ゴメン。

反省してます。


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2016年04月04日

ウブドの変則十字路の変貌(45)

ウブドを離れて南米コロンビアに旅立ったのは、ちょうど一年前。

移住する覚悟だった。

コロンビアが無理な場合は、ほかの国にも期待をかけていた。

サレントの町は、緑豊富な環境の気候が温暖な地区。

物価も安く、起業の可能性も感じた。

結末は、180日間の滞在で引き上げている。

現在、ウブドに出戻り中。

再び、バリに対する好奇心に火がついた。

私のような旅人には、ウブドが適しているのか。

25年前のウブドを知る者として、今後のウブドを見届けるのも楽しいかもしれない。


ウブドの変則十字路周辺の変貌は、目を見張るものがある。

その変貌ぶりを紹介したい。

1990年5月、ウブドに降り立った時の感想です。

市場の前を通り過ぎると、道の向こうに、ハーモニカの吹き口のような間口の狭い店が連なっていた。

日用雑貨屋と荒物屋が数軒、銀製品を売る店と飲み物を飲ませる店と右端には自転車の修理屋があった。

変則十字路を渡った。

通りの角にある自転車修理屋の前に立つと、正面に赤レンガの高い塀に囲まれた屋敷の門が見えた。

これがウブドの王宮か。

王宮の向かいに、二重屋根(ワンティラン=集会場)の講堂のような大きな建物がある。

裂いた竹で編んだ壁で囲まれ、内部は見られない。

二重屋根の建物の先には、道をおおいかくすほどの豊富な緑をまとった巨樹(ビンギン)が、大きな影を落とし、広い日陰をつくっている。

その先には、ジリジリと照りつける5月の南国の太陽が陽炎をつくっていた。

※「ウブドに沈没・ウブドへの道のり」より。

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1995年の写真です


今も昔も、変則十字路はウブドの中心地。

東西に走るウブド大通りと南に伸びるモンキーフォレスト通りは、観光客で溢れている。

変則十字路の東北角に、ウブドの王宮(プリ・サレン)がある。

バリ島全体から見ると、王宮のある村落は少ない。

王宮は、村落の中央に位置する。

四つ角の一画が王宮で、他の一画には市場が立つ。

他の角は集会場か空き地になっていて祭礼時に活用される。

役場や公共施設が建っていることもある。

ブンギン大樹のある村もある。

プリアタン村の十字路そうだ。

ブンギンは、村落のランドマーク。

大樹に上にはクルクルが設置され、村民の招集時に叩かれる。

バリの王宮は、敵を防ぐための城としての役目を持っていない。

領地争いのあった時代、きっとのんびりした戦いだったのだろう。

大きな戦争もなく、バリは平穏のうちに歴史を重ねている。

十字路は、村の歴史を語る。

今後も、ウブドの変則十字路を見つめ続けていきたい。


ウブドの変則十字路の動画は「2015年11月24日:■ビスマ通りとカティランタン村を結ぶ橋(12)」にもアップしました。

もう一度、ご確認ください。






posted by ito-san at 03:05| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月02日

合鍵、作りました(44)

あのあと(鍵を見失った事件・3月30日)、みんなにいろいろと忠告と意見を頂いた。

落とした時に気づくように、鈴などの音のするものを付けておく。

落とさないために、ほかの鍵と一緒にして持ち歩く。

などなど。

もっとも基本的なことは、合鍵を作っておくことだ。

「玄関周辺に、合鍵を一つ隠して置くのも方法だよ」と教えてくれた知人は、「どこへ置いたか、伊藤さんは忘れてしまうだろうな」と一人納得していた。

事件の詳細は「エエ_ _ _?!? なんかもう・・・・(-_-)(43)」をお読みください。

http://itosan-ubud.seesaa.net/article/435987555.html


さっそく、予備の合鍵(複製)を作ることにした。

鍵屋は、プリアタンの多数あるとの情報。

KUNCI(鍵は、インドネシア語でクンチ)の看板を探そう。

プリアタン南部の集会場横にある店に入った。

合鍵制作、所要時間1分間。

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クンチは、クチン(kucing=猫)は、クンチン(kencing=小便)と似ているので発音に注意しよう。

部屋の鍵は、2つ注文(ひとつRp15,000-)。

ついでに、バイクのスペアーキーも一つ(Rp40,000-)作っておくことにした。

無くした時は、パニックするほど困る。

そんな時、出張してくれる鍵屋を知っているのも心強いだろう。

取材しておきました。

■営業時間:9.00am〜6.00pm(年中無休)

■TEL:0852-1908-1375(RIZAL)


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KUNCI3.jpg


先着の合鍵注文があったので、ワルンで待ち時間をつぶすことにした。

集会場の道向かいにあるワルンに入る。

バッソ専門店と判断して、バッソを注文。

暖かい紅茶とでRp10,000-。

メニューはほかに、ナシゴレン、メーゴレンもあるようだった。

warung.jpg


posted by ito-san at 17:02| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする