2016年07月10日

パチュン家の長女アユの結婚(71)

7月6日、パチュン家長女・アユの婚姻儀礼が執り行われた。

おめでとうございます。


嫁ぎ先は、デンパサール市内。

儀礼は午前中に、新郎の実家で行われた。

私は、午後からのパチュン家での儀礼に参加させていただいた。

婚姻儀礼には何度も参列しているが、お嫁さんの実家から嫁を送り出す儀礼は初めてのことだ。

パチュン家には、テガランタン村から大勢の村人が参列していた。

陽射しが暑いので、皆、日陰を探して腰をおろしている。

デンパサールで婚姻儀礼を終えた新郎新婦、そして家族・親類縁者、村人が出向いて来た。

これは嫁をもらいにきた儀礼か?

新郎の情報は、まったく知らない。

本人が愛し、両親が認めている結婚相手の身上調査を私がすることもない。


パチュン家は、2013年3月10日から2015年2月1日にかけて、お世話になった。

家族にも、優しくしてもらった。

(詳しくは「テガランタン村滞在記」をお読みください)

コロンビアの旅行中、アユには「私が帰るまで結婚式はしないください」とフェースブックでコメントした。

が、まさかその通りになるとは。

バリに戻ってから何度もパチュン君に「アユの結婚式はいつになるの」と問いても「わからない」との返事が返ってくるだけ。

バリでは、本人同士の意志が固まるまで、結婚することを両親にも伝えないようだ。

途中で、破談になることを嫌うのか。

だから、急に結婚の日取りが決まる。

授かり婚が多いのも、子供が出来てしまえば別れないだろうという気持ちからだ。

授かり婚とは、俗にいう「できちゃった婚」のこと。

10年ほど前からパチュン家と縁のあるF氏ご夫妻が、日本からアユの結婚式のために飛んで来ていた。

彼らも「結婚式には、是非、呼んでください」と伝えてあったようだ。

F氏ご夫妻は、午前中の婚姻儀礼にも参列している。

怠け者の私とは、入れ込み方が違う。

私は、送り出す婚姻儀礼に参加できたことで良しとした。


私が暮らしていた懐かしい部屋の前で、村の世話役による儀礼が行われた。

本人同士、両家の両親、そして両家の村の合意を得る。

結束の強い村組織のバリでは、婚姻は村の結縁でもある。

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寛ぐ新郎新婦

この部屋は今、友人のB君が住んでいる。

B君は、このめでたき日に、運転手&カメラマンとしてお手伝いしていた。

私が住んでいれば、私の仕事だったところだ。

B君、ありがとう。

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アユは、グスティのカーストから称号のない階層に嫁ぐので、家寺でのお祈りはこれが最後になるのかもしれない。

バリのカーストは称号だけが残っているのだが、慣習にも少し影響をおよぼしているところがある。


長男マデ君がクルーズの仕事で参列できなかったが、その分次男コマン君が張り切っていた。

パチュン君も奥さんも、緊張しているようだった。

胸に熱いものが込み上げてくる。

他人の幸せそうな姿に、私の心も満ち足りてくる。

末永く、お幸せに。

お父さん、お母さん、お疲れさまでした。






※ 婚姻儀礼:http://informationcenter-apa.com/kb_pernikahan.html

※「伊藤博史のブログ|生涯旅人・ウブド村徒然記 / バリ人男性をちょっと考察・婚姻儀礼(83)


posted by ito-san at 17:06| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする