2017年07月31日

古希記念・アグン山登頂(144)

アグン山登山のテンションがおさまり、疲れもやっと癒された。

心穏やかになるのに、一週間もかかった。

登頂の模様を、冷静に振り返る余裕がよみがえってきた。

そろそろブログを仕上げるとしようか。


7月25日は、私の70歳の誕生日。

それがどうした、というわけでもないが。

70歳は、古希と言うらしい。

こんな言葉があるくらいだから、ちょと貴重な誕生日じゃないかい。

そんなことで、記念行事的なことをしようという気になった。

60歳の時は「アグン山還暦祝い登山」を遂行した。

同行させられた友人たちは、迷惑したんだろうな。

今回も人の迷惑を顧みず、アグン山山頂で古希を祝おう「サンライズ・トレッキング・ツアー」を企画。

『itosanを知ってる人も知らない人も、老若男女、みんな集合!

パサール・アグン寺院からの4時間30分岩場コース。

みんなで登れば怖くない。』

そんなキャッチフレーズで、脳天気な募集内容を書いている。

還暦登山に同行したコテツちゃんとトシ君からは「えっ! また登るの?」と疑問符の返答。

辛かった登山をすっかり忘れている、こりない男がtosanです。


集合場所は、ニュークニン村にある「バロン・ブリッジ・カフェ」。

集合時間は、午後10時。

一番のりは、大原さんと私。

参加者は他に「バロン・ブリッジ・カフェ」のトシ君、そして「和るん・あんかさ」のコテツちゃん。

旅人のミチヨさんとあっ君の総員6名。

まずは結団式(寄せ書き)。

寄せ書き4.jpg

午後11時、14人乗りの小型バスに乗り込む。

見送りの知人たちに励まされ、バロン・ブリッジ・カフェを出発。

アパ?情報センターのワヤン君は、登山不参加で助手席を暖める。

ワヤン君から「HARI SUCI HINDU=ヒンドゥーの聖なる日」には、パサール・アグン寺院からの登山はできないという話があった。

神様が休みの日だからだ、そうだ。

これまでの登頂で、一度も ”聖なる日” に当たらなかったのは必然か。

運転手は、知人のロロス君だった。

ミチヨさんから「到着まで、車中でゆっくりお休みください」と襟巻き枕の誕生日プレゼントがあった。

優しい心遣いが嬉しい。


0時10分、パサール・アグン寺院に到着。

観光客の訪れることの少ない寺院は、漆黒の闇に包まれていた。

深夜走行は渋滞がないからか、1時間10分という早さで着いている。

日付は変わったが、誕生日の祝いは頂上でということなのだろう、誰からも声はかからなかった。

駐車場の一画にあるワルンの電灯がともっている。

先回の下見で、ガイドのコマンさんに会ったのがここだ。

コピ・バリで暖をとりながら、ガイドのコマンさんを待つ。

コマンさんが、Tシャツ姿で現れたのには驚いた。

もうひとり、地元ガイドのワヤン君が同行する。

入山の記帳をすませ、いよいよ、登山の決行だ。

数台の車が駐車場に入って来た。

車から欧米人が降り立つ。

彼らも、サンライズ・トレッキングのグループだ。

登山道は、パサール・アグン寺院の横手にある。

午後1時、駐車場から見上げる長い階段を上って寺院に入る。

10年前は、この階段で音を上げていた。

今回は、心配したほど疲れていない。

私の体力は、進化しているかもしれない。

登山の安全を願って、全員でお祈り。

深夜のお祈りは、昼間の比べ静寂が深い。

円陣を組んで「ファイト〜!」の声で気勢を盛り上げた。

円陣1.jpg

静寂の寺院に、奇声が響き渡る。

少しは、テンションが上がったろう。


午前1時15分、登山開始。

10年前は、2時スタートで6時半前に頂上を征服して、サンライズを拝んだ。

(パサール・アグン寺院から登る頂上とブサキ寺院から登る頂上は、異なる)

あの時より、45分早い。

深淵の闇に向かって、一列縦隊で進む。

湿り気が満ちる林道。

額に付けたヘッドライトが、足下を照らす。

ライトが、朝もやをまるく浮き上げる。

林を照らす。

木々を飛び移るリスの姿が見えた。

左右は渓谷。

峰伝いに登っているよのがわかる。

かなり狭い峰を歩いている。

快適な滑り出しだ。

これなら行けるかも、と手応えを感じる。


勾配がキツくなって来た。

生易しい角度ではない。

目の前を、立ちはだかるように切立っている。

これは登山で、トレッキングなんて生易しい言葉を使ってはいけない。

林道を抜ける前に、大原さんがリタイアした。

中間地点にも到達していない。

大原さんに合わせていたスピードが、私のスピードに変った。

立ち木が、だんだんと少なくなってきた。

足下は、岩が砕け、さらに小さくなった石の道。

歩き辛い。

ガイドに「あと何時間」と問うと「3時間」と答える。

このペースでは、サンライズには間に合わない。

10年前と同じリズムで前進しているつもりだが、距離が縮まらない。

休憩の数も少ないし、休む時間も短いのに。

後続の登山者に追い越されていく。

雲間から時折見える、満天の星空に癒される。

岩場ルートになった。

ここからは、さらにキツイコースになる。

私も大原さんと一緒に残ったほうがよかったかも、後悔する。

薄明かりの中で、雲海が見渡せた。

下界では見られない雄大な風景に、精神力を鼓舞する。

私のペースに合わせていては、サンライズは拝めないのは確実だ。

仲間にサンライズを見てもらいたい。

こんな気持ちで、大原さんもリタイア宣言したんだろうな。

私の足が、限界に達したかのように動かない。

ここであきらめよう。

「ここの窪地で休憩するから、先に行って」

休憩をリタイアと言い変えてもよかった。

登頂を続ける友人たちの姿が、岩場に見え隠れする。

私の心は、少しでも頂上に近づきたいと願っている。

友人たちが下山してきたとすれば、その地点から私も下山すればいい。

そんな思いから、歩み出した。

後ろには、コテツちゃんが控えてくれている。

重い足を引きずるように、ひたすら頂上に向かって進む。

倒れ込むようにして登る。

何度も何度も「ギブアップ」の誘惑と闘う。

寄せ書きの旗を頂上に掲げたい。

7時30分、そんな思いが頂上まで導いてくれた。

頂上6.jpg

先駆けの仲間たちの暖かい声援を受けて、登頂を果たした。

1時間の遅れだったと、あとから聞いた。

みんなよく待っていてくれた。

感謝!感謝!

朝陽は拝めなかったが、山頂で誕生日を迎えることができただけで満足している。

まずは、お祈り。

無事に登頂できたことに感謝。

身体の芯が、アグン山にコネクトした。

あとは空となり、バリの神々に委ねるだけ。

お祈りのあと、トシ君からいただいたイチゴ・タルトをほうばりながら、コテツちゃんがドリップしてくれたアンカサ・コーヒー飲む。

至福のひととき。

「和食・影武者」からの差し入れ ”おにぎり” に空腹を満たしながら、アグン山の頂きを満喫する。

頂上でのフィナーレは、あっ君から書き下ろしパフォーマンスのサプライズ・プレゼンだった。

今回の登山で、ミチヨさんとあっ君という掛け替えのない友人を得た。

天候にも恵まれ、思い出深い「古希記念アグン山登頂」でした。

みんなありがとう、そして、お疲れさま。

下山8.jpg



1997年の「アグン山登頂」は・極楽通信vol.22「●The Twilight Rider アグン山登頂!」P12に記録されています。


posted by ito-san at 19:49| Comment(5) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

小手調べのバトゥール山登山(143)

「古希記念アグン山登山」本番まで、あと5日と迫った20日。

小手調べでバトゥール山に挑戦した。

小手調べだから、サンライズもサンセットもお呼びじゃない。

体力チェックの登山だから、昼間に登る。

20日は、晴れるだろうと予測を立て、運を天に任せて決行する。

ガイド君とは、バトゥール湖畔の村トヤ・ブンカにある温泉ホテル「Toya Devasya」の駐車場で午後1時の待ち合わせ。

所要時間を2時間と見立て、ウブドを午前11時に出発。

同行者大原さんの宿「アルチャ・イン」から、一路バトゥール山へ向けてレッツらゴー。

もちろんバイクです。

2人会わせて141歳の老人コンビ。

外輪山にあるペネロカン村の火口湖への降り口まで、なんと1時間で到着してしまった。

待ち合わせ時間まで、1時間残っている。

下降口を左手にとって、バトゥール山の裾野を右回りに走ろうと即決。

幾つかの懐かしい場所に立ち寄りながら「Toya Devasya」に。

ジャスト1時到着。

ガイド君に電話。

さっそく駆けつけてくれた。

駐車場で「イトさん!」と声を掛けられる。

ウブドの友人・ランドゥン君だった。

ガイド君の家に、案内される。

お願いしたガイド君はこの日、他の仕事があるため、姉上ワヤン嬢を紹介してくれた。

見た目もアスリートな女性で、心強い見方を得た気分。

家族と雑談しながら、コーヒーをご馳走になる。

スタート地点まで、バイクで移動。


午後2時、歩き始める。

20数年ぶりのバトゥール山。

記憶では、楽勝の散歩コースだった。

50歳のアグン山登頂を目指してトレーニングした。

当時、40代後半だが、まだ若かった。

久々のバトゥール山の登山道は、険しくなっていた。

林道を抜けると、急斜面の岩場が続く。

これは、ブサキ寺院から登るアグン山の登山道と同じレベルだ。

体力が落ちているのは、承知している。

batur1.jpg

batur2.jpg

大原さんに、悪いことをした。

出発前に「楽勝だよ!」と励ましていた。

記憶が、ねつ造されていたのかもしれない。

大原さんもアグン山登山に参加する。

バトゥール山で、自信をつけてもらいたかった。

小休止のたびに「ダマされた〜!」と連呼する。

午後4時15分。

頂上に、倒れ込むようにたどり着いた。

「楽勝だよ!」の言葉を信じれば、確かにダマされた感はある。

大原さんの頑張りを実況中継していれば、見ている人はきっと感動することだろう。

姉上ワヤン嬢の誘導も、巧みだった。

2時間15分、頑張りました。

このままのテンションで行けば、アグン山登頂も大丈夫だ。

batur.jpg

頂上には、われわれ3人だけ。

サンライズ・トレッキングなら、数百人が頂上に鈴なりになる。

登山道にも、長蛇の列。

1,000人を記録したこともあると聞く。

残念だが、ワルンも閉店している。

姉上ワヤン嬢が、湯気の吹き上がる岩場に卵を置いた。

待つこと10分、ゆで卵が出来上がる。

美味しく食す。

湯気を網に集めて貯めた水を発見。

ごりやくがありそうな水だったので、ペットボトルにいただいた。

batur_airjpg.jpg

下山は、1時間30分。

私は、小手調べに満足を得ることができた。

心地よい疲れを全身に感じ、バイクを駆る。

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2017年07月19日

「CAFE POMEGRANATE」新装オープン(142)

ウブドが観光地として発展していくうち、行き先を通りの名称で言うようになった。

日本は何丁目何番地だが、通りの名前を住所としている国も多い。

インドネシアも、通りの名前を住所にしている国の一つ。

私が逗留していた「ロジャーズ・ホームステイ」の住所は、カジェン通り=Jl.Kajeng No1。

Jlは、Jalan(通り)の短縮形ですよね。

以前と言っても、私が知っているのは1990年のことですが。

ウブドから遠出する時は、ハヌマン通りに行くと言わずに「パダンテガルに行く」。

スリ・ウェダリ通りに行くと言わず「タマンに行く」と大雑把だった。

今、ツーリスとで賑わっている「ゴータマ通り」は、名無し。

名前はあったのだろうが、使う人はいなかった。

デヴィ・シータ通りを知らないウブド人も多かった。

カルナ通りは、パサール(市場)の裏の道と言っていた。

通りの名前より、エリアを重要視していた頃の話です。


余談ですが、「ウタン・ケラ通り=Jl.Hutan Kera」って、どこだかわかりますか?

モンキーフォレスト通りの正式名ですよ。

インドネシア語で、猿はケラ、森はウタン。

英語のモンキーフォレストが、いつのまにか通りの名前として定着してしまった。

新しい通りも増えている。

畦道が広くなって「ビスマ通り=Jl.Bisma」に。

村と村が繋がった「ジャタユ通り=Jl.Jayayu」など。

(※1994年現在の通りの名称が「極楽通信UBUD・Vol.2・P18「UBUDよろず百科・JALAN」に掲載されています)


「Jl.Subak Sok wayah」は、畦道です。

行ったことはあるが、名前は知らないという人も多いと思う。

Subakは水利組合、Sokは供物の皿、wayahは古いと言う意味らしい。

広めの農道に付いた名称だ。

かつては、牛車が通っていたのだろう。

ウブドで人気の散歩道。

カジェン通り散歩道の復路だと言われれば、理解できる人もいるだろう。

ウブドの西北部、渓谷と田んぼヴューが楽しめる散歩コース。

ここを「サリ・オーガニック散歩コース」と命名しておこう。

畦道には、オーガニック・カフェが建ち並ぶ。


それでは、本題に入ります。

そんな一画に、パオに似たテント屋根のレストランがオープンした。

老舗「ボッタ・マリア」の南に位置する。

ユニークなテントが、アイキャッチャーになっている。

「サリ・オーガニック散歩コース」の中で、もっとも人気の高いカフェ。

それが「CAFE POMEGRANATE」。

読み方は難しく、私は取りあえず「ポメグラネテ」と呼ぶことにした。

ザクロのことらしい。

「何でザクロなの?」と聞いてみたいところだが、「私の勝手でしょう」と言われそうなので止めている。

強風に2度も飛ばされたテント屋根は現在、新素材によって改装された。

内装に重厚感が増して、2017年7月始めに新装オープンした。

POMEGRANATE1.jpg

POMEGRANATE3.jpg



田んぼヴュー、サンセット・ヴュー、蛍ウオッチングで、早朝9時から閉店の夜9時まで、散歩客で賑わっている。

私は時々「サンセット・ヴュー+蛍ウオッチング」を楽しみに訪れる。

■メニュー:hummus, salads and soups
■営業時間:9.00am〜9.00pm
■TEL:0878 6080 3632 / Free WiFi
■E.mail:cafepome.ubud@gmail.com
■Web:www.cafepomegrante.org

「サリ・オーガニック散歩コース」



《 復刊!極楽通信UBUD 》
懐かしの「極楽通信UBUD」がPDFとして復刻した。
1994年から1999年にかけてバリ島UBUDから発信されていた幻のミニコミ誌。
当時はバリで取材した原稿を日本に郵送し、それを元にPageMakerによってDTP作業後LaserWriterでプリントアウトした版下原稿をバリに送付し、UBUDでコピー印刷されて製本され、日本の読者に郵送されていたという、アナログ60%+デジタル40%というシロモノでした。
今回は保存されていたPageMakerファイルを、InDesignによって復活整理させた結果、すべてがクリアなデジタルデータとして甦った。
しかも、バリでの印刷時に版下に手書きで追加されていた現地ニュースなどもそのまま貼り込まれている。
Club Bali・極楽通信UBUD」からダウンロードできます。


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2017年07月14日

ブロッコリーの葉っぱ@家庭菜園(141)

古希記念アグン山登山まで、残すところ10 日と迫った。

体力作りには、3ヶ月前から始めればいいだろう考えていたが、結果的には何も努力していない。

今の体力で大丈夫だろうか、ちょっと心配になっている。

まあ、体力不足は根性でカバーできるだろう。

これが私の性格。

家庭菜園も、そんな考え方で進んでいる。


昨年の5月から始まった、私の家庭菜園。

その時の話は、こちらに「家庭菜園を始めた(58)」で。

その後は、「家庭菜園に奮闘中(92)」で。

アヒルに、若芽を食べられたこと。

鶏の被害にもあった。

ここ掘れワンワンにも、荒らされた。

大雨で盛り土は、流され。

大家さんの「これは雑草です」の一言で、無慈悲に抜かれた。

こんな哀しい話を、綴っています。

1年経っても、まったく成果はあがっていない。

最大の原因は、陽当たりが悪いことだ思われる。


私の畑は、セナ家の敷地内をテンテンとしている。

たらい回しにされているわけではない。

ベストの場所を探して、移動している。

ジプシー農業だ。

現在は、私の部屋の横。

窓越しに見える。

セノ家の長男ワヤン君が、タイヤを並べてくれた畑(?)。

タイヤ畑.jpg

そして、軒下に、花壇のような小さな畑。

花壇畑.jpg

こんな猫の額ほどの空地に、畑を作っている。

ここも、陽当たりがいいわけではない。

射していた光が、太陽の傾きでいつの間にか日陰になっていた。


この1年で完成した野菜は、わずかだ。

キュウリ2ヶ。

オクラ2ヶ。

散々な結果で終わっている。

しかし、私は負けない。

現在は、ブロッコリーが生育している。

葉っぱは、ドンドン伸びているが、ブロッコリーの芽が出てこない。

あまりの繁茂に、心配になった。

知人に、葉っぱは、間引きしないといけないと教えられた。

時遅し、その日の夜の大雨で倒れてしまった。

頭でっかちで、雨水に絶えられなかったのだ。

竹で補強して、立て直した。

早速、間引きした。

切り取り過ぎたかな。

葉っぱは食べられると教えられたが、我が家に台所はない。

あったとしても、料理はしないだろう。

恥ずかしい話だが、まったくできない。

男子が女性にもてる条件として「料理ができる」が加わったと聞いている。

私の青春時代は、料理はできなくてもよかった。

彼女の手作りの料理を「美味しい!」と言って食べるのが、男の条件だった。

ブロッコリーの葉っぱは「和食・影武者」に持って行って、料理してもらうことにした。

broccoli1.jpg

broccoli2.jpg

ニンニクと一緒に、炒めてくれた。

茎が固いので、大きめの茎は落としてあった。

美味しかった。


端正込めて育てようという心がない私のを見抜いた、リピーターのオジさんに、「農業をバカにしちゃいけないよ」と言われた。

種をまいて放っておいて、いつのまにかできているといいなとは思っているが、バカにしているつもりはない。

これ「ナマケもの農法」。

どんな芽が出て来るか知らない。

知ろうと努力もしない。

雑草と野菜の若芽を見分けられない。

だから、成長するまで待つ。

見覚えのある野菜を見つければ、それを収穫する。

生野菜を食べるのが、私の究極の目的。

いつになったら、新鮮な野菜サラダが食べられるかな。

手をこまねいて待つのみがテクニックの「ナマケもの農法」実戦中です。


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2017年07月10日

飛ぶ鳥、跡を濁さないで!(140)

ある夜の「和食・影武者」の大テーブル。

常連に名古屋からの友人Mが加わって、いつもより賑やかな晩餐。

その席で、友人から寝耳に水の一言が発せられた。

「Aさんが、バリ南部に引っ越したようだよ」

部屋をAさんに紹介したのは私。

私がコロンビアの旅に出る前に、同じ条件で貸してもらえるように頼んだ経緯がある。

家賃が80万ルピアから100ルピアと値上げになったが、それでも充分に安い。

私に、断りも入れずに出て行くわけがない。

「Aさん、大家さん家族と、うまくいってなかったのかな?」

「そんなこと、知らないわ」

私に発言に、K子さんから冷たい言葉が返ってきた。

Aさんが引っ越した理由を知っていそうな口ぶりだ。

「どうして引っ越したのかな?」と聞く私に、友人Mは、

「話し合った方が良いよ」と言う。

いかにも、私に落ち度があるような言い方だ。

身の覚えのないことで、何を話し合えというのだ。

友人MとK子さんは、Aさんから私が悪者になっている話を聞いているのかもしれない。

古くからの友人に、信頼されていないと感じたのがショックだった。


次の日私は、Aさんが本当に引っ越したかを確認するために、P家を訪ねた。

部屋は、もぬけの殻。

掃除は、されていなかった。

「Aさんは、どうしてここを出ていったの?」

「急に、出ると言って、慌ただしく引っ越して行っちゃった」

「理由はわからないの?」

「儀式があるのでテーブルを一つ、一日だけ貸して欲しいと頼んだら、怖い顔をして睨まれた。

それしか考えられないんだよ。

家賃値上げの件は、itosanから頼まれたので保留にしたし。

何が原因で出て行ったのかまったくかわからないので、気になってしかたがないんですよ。

家族みんなで気を使ったつもりだったが、残念です(少々涙目)。

そうそう、itosanのオーブントースターの件で、一度、揉めたことがあったな。

でも、それが原因とは考えられない」

「なぜ私に、一言の連絡もせずに出て行ったんだろう?」

「冷蔵庫、持っていったよ。itosanと話はついていると言っていた。そう言われると、それ以上言えなくて」

「プリンターと変圧器もないね?」

壊れたので処分したのなら説明があるはずだ。

そのうち何か言ってくるだろう。

夜逃げのように引っ越していった、原因はわからなかった。

まさか、冷蔵庫を無断で持って行ったことが、原因とは思いたくない。

こちらが善かれと思ってしたことで、相手が傷つくこともある。

知らないうちに、傷つけたことがあったのだろうか。

それなら、誤解を解いた方がいい。

私は大家さんをなだめて、その場をあとにした。


3日後。

もしかしたら、Aさんが委託で商品を置いている店の人なら情報があるかもしれないと、訪ねた。

委託のコーナーは、カラッポだった。

「委託の期間が終わり、今後は場所代を払ってもらう契約になっていたのですが、

商品を撤収したまま、顔を見せないんですよ。

この通り、釘のあとを残したままにして。

itosanの話を聞いて、Aさんはそういう人なんだな、と納得しましたよ。

今後は、関わりを持たないようにします」

Sさんは、不浄な物でも捨てるように話を終えた。

私は「飛ぶ鳥跡を濁さず」を心がけている。

世話になった人に、後ろ足で砂をかける行為が、もっとも嫌いだ。


数日して、Aさんが影武者に現れた。

私の顔を見ないようにして、帰って行った。

え〜! どうしちゃったの?

私、悪者! 犯罪者!

身に覚えがない!

濡れ衣だ!

「和るん・あんかさ」でも「ティー・ルーム」でも、無視された。

無視されるって不愉快ですね。

何度も無視されると、こちらも顔を合わせてはいけない気持ちになってくる。

自己嫌悪になる。

Aさんは私に、まったく関係のないヒトに戻れとアピールしているのだろう。

知人は、何か誤解しているのだろうと言う。

誤解を説くためには、私から話しかけるべきなのか。

無視する知人に、なぜ、話しかける必要があるのか。

理由もわからないのに、和解を求めることはできない。

「去る者追わず、来るもの拒まず」が、私の流儀だ。

私もSさん同様に、今後は関わりを持たないようにしようと決めた。

ちなみに、大切な人なら、無視されても修復をはかる努力をしますよ。

結論は、大切な人じゃなかったということか。

ゴメン。

いや〜人間関係って難し〜い!

(※この逸話は、実体験にもとづいたフィクションです)

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2017年07月08日

ピンジャカンの長閑な響き(139)

バリ島の風物詩「ピンジャカン=pinjakan」。

えっ、そんなの聞いたことがない!

と言う、人もいるでしょう。

ピンジャカンは地方によって、ピンジャガン(pjnjagan)、ピンダカン(pindakan)などと呼び名が異なる。

呼び方が様々だって、知らないものを知らないですよね。

見かけたこと、ないですか?

「どこで?」

「田んぼで。それともお店で売っているのを」

無風だと、ダメですが。

微風だと、カタカタ。

強風だと、ウルサイほど、バタバタと鳴る。

田んぼに稲穂が実り出すと、鳥が集まって来る。

ピンジャガンは、そんな鳥を追う道具の一つです。


先日、ニュークニン村の寺院横を抜けて、裏手に廻った。

予想した通り、田園が広がっていた。

あいにく、稲刈りが終わったばかりの風景だった。

バリ島と言えば、田園風景の美しい観光地のイメージがある。

沿道が、ほとんど店舗や住宅で埋め尽くされたウブドで、田んぼの風景を見つけることが難しくなった。

しかし、一歩裏に廻れば、まだまだ田んぼは残っている。

カタカタと鳴り響く音に誘われて、畦道を進んだ。

ピンジャガンが、姿の見えない鳥を追い立てていた。

二枚羽のかざくるまが風を受け、心棒の鎚が、取り付けられた空き缶を叩いて音を出している。



私は空き缶のピンジャガンじゃなくて、竹筒を叩くピンジャガンの方が、音色に風情があって好きだ。

農家の人にとっては、風情を楽しむより鳥追いが使命だろうが。


2週間ほど前に、動画をフェースブックにアップした。

その時、たくさんのコメントが寄せられた。

◎私も竹筒が良いです。

部屋の隣の田んぼに4本、これがあって、風が吹いたら夜中に鳴るんですよ。

かなり寝れなですよ。

(でもね、アルミ素材の部分が徐々に飛ばされていったんです。今は、竹組だけ残ってて竹のカラカラって音しかしないんです。だから爆睡)

◎昔々、知人が日本に持ち帰ってマンションのテラスに付けたら凄い音がして、近隣からクレームがきたそうです。

農夫が牛を追っている、小さなピンジャカンだったのに。

◎これで鳥寄ってこないんすか?笑

◎映画のワンシーンを見てるような映像で、見入ってしまった。

そして、素朴だけど空き缶なのに、印象に残る自然のリズム。

日本で見てると空き缶ですら乾いた感じの風情ある音に聞こえますね〜♡

◎私もこれを買ってベランダにつけました。

が、風が強い日は…ここだけ異国かと思う様な不思議な音に聞こえました。

母親にうるさい〜って言われました(^^ゞ

さわさわ風が吹いてる時は良いのですが・・・私は好きですけどね!

旅行者の時に買って持ち帰り、その後も壊れてはまた探して買い、そしてまた、、と在住するようになった今も、壊れると買ってきてね、と実家から要望があります。


コメントにあるように、皆が見知っているのは、竹筒を叩くピンジャガン。

さっそく、そのピンジャガンの写真を撮ってきました。

@スバリ村

pinjagan@Sebali1.jpg

2本の竹筒を叩くピンジャガン。

ククル(=クルクル)と呼ぶ場合もあるようだ。

pinjagan@Sebali2.jpg


皆様ご存知の、土産物のもなっているピンジャガン。

牛と農夫の動きがユーモラスです。


空き缶&竹筒のピンジャカン。

これ、バリ島の風物詩

どちらの音が風情があるか、聞き比べてみてください。




posted by ito-san at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする