2019年01月24日

エアメールでお礼の言葉を(292)

エアメール(AIR MAIL)って、懐かしい言葉ですよね。

私の子供の時代は、家族に、もちろん私にも、海外に知り合いがいないので、航空郵便にはまったく縁がなかった。

いつの頃からか、E-mal(Electronic mail)に取って変わられ、久しく使わなくなった言葉。

E-malが普及したおかげで、不揃いの字を書く私は、恥をかかなくてすんでいる。

「ウブド・本の交換会」に、本を送っていただいたリピーターの方にお礼の手紙を出さなくては。

と思って、連絡先を調べてみると・・・・・。

E-malもフェイスブックにも繋がっていなかった。

そんなわけで、お礼のエアメールを出すことになった。

バリから絵葉書で手紙を出したことはあるが、封書での手紙は何年ぶりだろう。

思い出せないほどの昔だ。

20歳のころの節約旅行では、最初の3ヶ月は世界の各地から日本の両親にエアメールを送った。

そのあとの一年間は、便りをしなかった。

親からすれば「なしのつぶて」「音信不通」状態。

きっとあの時以来、手紙を書いていないかもしれない。

AIR MAIL.jpg

封筒も便箋も持っていない。

どこで売っているかも、わからない。

ウブド郵便局に併設していたコンビニで売っていたような記憶があるが、現在、改装中で店がない。

便箋は、手持ちのコピー用紙でいいだろう。

よく行く文房具店に、エアメールの封筒は置いていなかった。

コンビニを数件廻ったが、こちらにもなかった。

普通の封筒に、エアメールと赤文字で記せばいいのは知っている。

しかしそれでは、お礼の手紙としてははやるせない。

縁に赤・青の縞模様が入り、PAR AVION・AIR MAIL・CORREO AEREOと書かれた封筒がベストだ。

スーパーマーケットのデルタ・デワタで売っていた。

一枚しか使わないのに、ひと束買うのももったいないが、やむを得ない。

ワンセット10枚をRp10,000-で購入。

「郵便局でひとつでもわけてくれるよ」と、教えてくれた知人がいたがすでに遅かった。

知人は、いつも持ち歩いているらしい。

「うちのスタッフは無くしてしまうので、給料袋は目立つエアメールで渡している」と言う。

E-malが普及していない頃、郵便局止めの届く手紙を受け取りに行くのを楽しみにしていた友人がいた。

郵便物は、3ヶ月ほど局に保存されたあと処分される。

このシステムは、現在どうなっているのだろう。


手紙の最後に「乱筆乱文にて失礼いたします」と謙遜の意味で書く言葉がある。

私の文集は、支離滅裂で理解に苦しむだろうな。

文字は、読みに難い、ただの下手くそ。

さぞかし、解読不能な手紙だったと思う。

なのに、手紙の最後に「乱筆乱文にて失礼いたします」と記していた。

恥ずかしい話、謙遜して使う言葉を堂々と書いていたのだ。

それに気がついてからは、その言葉を使っていない。

人前で話をするより、手紙の方が苦手だ。

手紙は、残ってしまうのも嫌だ。

今では、シャベリも動画で撮ると録音されてしまう。

赤面ものだ。


お礼の手紙は、前略も時候の挨拶もなしに、いきなり本題に入る。

本題だけだと、要件は三行で終わってしまう。

ナニヤカンヤを継ぎ足して、やっと5行の手紙が完成した。

どんなけ苦手なんだ、と思うでしょう?

だからブログは、凄く努力しているんですよ。

「それでも、この程度かい!」そんな声が聞こえてた気がするのは空耳か。

重要なのは、気持ちですよね。

書き終えたエアメールは、郵便局のカウンターに持って行った。

これで一件落着。


posted by ito-san at 17:13| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月19日

「ダイソー」@レノンに立ち寄った(291)

1月15日(火):デンパサール・レノン地域にあるイミグレーション事務所に出頭。

私のビザ(入国査証)は、昨年の12月半ばで切れている。

本来なら今、私はオーバーステイ。

罰金は1日、30ドルと聞いている。

ひと月近くのオーバーステイ。

相当の罰金になるだろう。

遅延の責任はビザ代行業者にあるとは思うのだが、罰金の幾らかを私が負担しなくてはいけない事態になるかもしれない。

金欠状態の私は、昨年末からドキドキものだった。

「来週、イミグレーション事務所で会いましょう」ビザ代行業者のAlexさんから連絡が入った。

月曜日の朝8時、イミグレーションで待ち合わせ。

約束の時間に、30分も早く到着した。

この機を逃しては、と待つのを覚悟で家を早く出た。

Alexさんは、いつもと変わらない態度で現れた。

オーバーステイの話もしない。

その話には触れないのが賢明だろうと、私も口をつぐんだ。

待合室のベンチに、二人並んで腰を下ろした。

たわいもない世間話で待ち時間を消費し、いつものように写真と指紋をとられて無事終了。

追徴金は、なかった。

パスポートは、このあと3日間ほどで手元に戻ってくる。

延長の日付はいつのなるのだろう?

手元に返って来ればわかることがだ、ちょっと気になる。

イミグレーションの駐車場で、Alexさんとわかれた。

「テレマカシ=ありがとう」

感謝の気持ちが、いつもより大きい。


時間は、朝9時を少し回ったところ。

まっすぐ帰れば、10時頃には帰宅できる。

天気は快晴。

どこか寄り道をして帰ろうか?

流木拾いは、昨日行った。

今は、コーヒーが飲みたい気分だ。

帰路の途中にある「プラザ・レノン(Plaza Renon)」に行ってみよう。

最近ここに、日本の百円ショップ「ダイソー( DAISO JAPAN)」が出店した。

ウブドでは手に入らない物が、売っているかもしれない。

他に、日本人長期滞在者がよく利用するパン屋やレストランやカフェが入っている。

3階建てで、地下一階は駐車。

屋外の駐車場にバイクを止め、そこにいた青年に開店時間を聞くと「10時だ」と教えてくれた。

時計はまだ、9時30分。

店頭にある「スターバックス」で時間を潰そうと思ったが、ここも10時開店。

オープンエアーの客席を拝借し、読書をして開店を待った。

10時になった。

ショッピングモールに入るのは、シンガポール以来だからもう3年も前だ。

ウブドのカントリーボーイには、不似合いな場所だ。

「ダイソー」は、ちょっと大きめコンビニといったところ。

日本のダイソーを知らないので、比較することはできない。

目の前に包丁が・・・・。

店長と思われる男性に「これはいくらですか?」と指さすと、「すべての商品がRp28,000-です」という答えが返ってきた。

これは、今のレート(Rp10,000=130円)だと、日本円で220円ほど。

百円ショップではありませんね。

よ〜く見ると、ギザギザのあるパン用のナイフだったのでキャンセル。

開店早々ということもあってか、通路には商品が散乱している。

いやいや、これは開店前に済ませる業務だろう。

足元の商品を避けながら、一列一列丁寧に見て歩く。

見つけたいのは、日本製のサランラップ。

これでいいのかわからないが、耐熱ラップというのを買った。

料理用温度計があった。

これも探していた一品だ。

お買い上げは、この他に、お米の軽量カップとコンパクト軽量スプーンと巻きす。

五品のトータル、Rp14万。

この買い物リストで、料理ができない私がどうして、と不可解に思ったでしょう。

次回ジョクジャカルタ・マゲランに行った時、世話になるバダさんたちに巻き寿司を作ってご馳走したいと考えているんですよ。

だから、このところ自主練中。

「スターバックス」でコーヒーでもと思ったが、時間は11時。

チュルク村で見つけた「ワルン・トーキョー」で昼食にしようと「プラザ・レノン」を出た。

あっ! 写真を撮るのを忘れてる。

再訪はないとは思うが、あまいいか。

駐車料金1時間20分で、Rp4,000。

車(時間)Rp3,000-/バイク(時間)Rp2,000-とあった。

追加料金については見てこなかった。

コーヒーを飲んでいたら、もっと金額は大きくなっていたな。

館内に映画館があったけど、映画を見てショッピング&食事をしていたら駐車場料金はRp10,000-は超えるだろう。

130円(Rp10,000-)で、ビビっている私だった。


posted by ito-san at 15:50| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月10日

ムコテカンと呼ばれる珍しい儀礼見学(290)

2019年1月5日:クニンガン祭礼日

この日、タナロット寺院の近くのムングー村で、珍しい儀礼が行われる。

儀礼の名前は、ムコテカン(Mekotekan)。

地図で確認すると、ウブドからバイクで飛ばせば40分ほどの距離。

迷路のような村道が続いて、いつまでたっても目的地が見えない。

目的地の近くにいたのに、迷いに迷って2時間以上もかかって到着。

屋根に立てかけた長い数本の細木の近くに、若者たちがいる。

そんな光景が、沿道のあちらこちらに見える。

Mekotekan1.jpg

バイクを裏道に止めて、メイン道路に出る。

街の中心と思われるデサ寺院前で待機していると、午後2時にあと10分という時間にバレガンジュールの音が聴こえてきた。

手に手に細木を持った若者たち数百人の行列が、ブリンギン大樹のある南方に向かって歩き始めた。

ムングー村の12の集落から集まった若者たちだ。

長さ2〜3メートルの表皮を剥いだ白い細木は、一見長槍のように見える。

Mekotekan5.jpg

ブリンギン大樹の前で婦人たちのお祈りが始まると、威勢の良い若者たちの掛け声と共に細木が重ねられた。

円錐形の山が、細木で形作られていく。

この時の音が、ガムラン演奏のコテカン(裏打ち)に似ていた。

そんな理由から、ムコテカンという名前が付けられたのかな〜、と想像する。

細木の山に、勇敢にも飛び乗る男がいる。

男は、鼓舞するように見栄を張る。

しばらくして、山は崩れる。

再び、山は作られる。

細木の山がふたつ作られ、ぶつかり合う。

こんな儀礼を見るのは、初めてだ。

1946年に始まった、ムングー村の伝統儀礼だという。



このあと行列は、村を巡る。

これは、ご神体・聖獣バロンと同じ厄払いの意味があるのだろう。

儀礼の内容については、ただいま調査中。

行列は、1時間後、村の北端に到着するという情報をキャッチした。

私は、先回りして待つことにした。

バンジャールに帰って行った隊列もある。

残った細木隊は、それでもかなりの人数がいた。

小休止したあと、掛け声とともに細木の山が作られた。



儀礼は、無事に終えられたようです。

雨季の真っ只中だったが、好天気に恵まれたクニンガン祭礼日でした。

儀礼に参加している村人、特に若者たちは、暑かったことでしょう。

お疲れ様でした。

見学させていただいて、ありがとうございました。

次のクニンガン(2019年8月3日)には、「アパ?情報センター」がツアーを組む予定をしています。

皆様、是非見学してください。


ムコテカン儀礼の伝説は、2つのバージョンがある。

ルスラン君が主宰する「ubud community」に、英語の解説が載っていた。

私は訳せないので、ここに原文を掲載します(誰か訳して)。

There are two version about the history of Mekotekan.
According to Ida Pedanda Gede Sidemen Pemaron, Mekotekan ritual related to Raja (king) IV Cokorda Nyoman Munggu from Puri Agung (palace of) Munggu who govern Mengwiraja territory. One day in the past, Yeh Penet river was flooding and floot off a shrine which then be stuck fast at the root of Jepun Sudamala tree. The king heard about this and order his men to retrieve it.
At the same time, one of the villagers was in trance and declared himself as a represent of Ida Betari (goddess of) Ulun Danu Beratan and told people to build a temple dedicated to Ida Betara (god) Luhur Sapu Jagat, guardian god of Mengwiraja. He also told that they will find chunks of iron to make kingdom’s weapons and holy stones which should be keep in the temple.
All words from the man comes true when the ground had dug.They found tamiang (guard) shape stone and iron weapons. The king ordered his blacksmith to make keris and spear.Three months later after all weapons had been blessed, on Kuningan holy day, all men from Munggu village had performed a battle scene and since then thisMekotekan have been performing on Kuningan day and became tradition in Munggu village.
Other version as told by Ketut Kormi−custom leader of Munggu village, is Mekotekan which have been performing by community in Munggu village from generation to generation, is related with the expansion trip of the King of Munggu to Blambangan. On the way back to the village, the kingdom troops had merrily celebrate victory from the battle field by lifting the spear upwards.As they were too excited, some of their body got pierced by the spears and get injured.
In his meditation, the king got instructions to perform Mekotekan ritual in order he can heal his troops wounds quickly and also to chase away the plague which may come in Munggu village.


posted by ito-san at 17:02| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月07日

謹賀新年・2019年(289)

あけまして、おめでとうございます。

『一年の計は元旦にあり』と言われていますが、私はいつも通りこれといった計画は立てていません。

今年も、健康で楽しい一年が送られたらいいなと、願うばかりです。

そして、読者の皆様に幸せが訪れることを祈う私です。

(実は内密ですが、年内か遅くとも再来年の初頭には、仏教遺跡ボロブドゥールのある村に本拠地を移そうと考えています)


私の過ごした元旦の1日を、ザ〜と紹介します。

いつもより早めに下宿を出て、バイクにまたがりプンゴセカン村にある「カフェ・トピ」に向かう。

本日「カフェ・トピ」で、恒例の「餅つき」がある。

笑い声が聞こえる。

在住者の方々の歓談の輪が、あちらこちらに見られる。

「笑う門には福来る」

こいつは元旦から縁起が良いわい。

私はマイ箸を持参しての初参加。

つきたての餅で作られた「おはぎ、きな粉、のり巻き」をほうばる。

雑煮も振る舞われた。

美味しかった!

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このあと「カフェ・トピ」隣接の「ソパ・ガーデン」でネット。

夕方6時の待ち合わせには、まだ時間があったので、一度を下宿に戻ることにした。

待ち合わせ時間より、ちょっと早めに着いた「和るん・あんかさ」で、知人母子と歓談。

楽しいひと時を共有できた。

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久しぶりの「スマラ・ラティ」を、知人母子と鑑賞。

運良く、今夜の演目は特別公演だった。

応援を続けて、30年になる。

リーダーのアノム夫妻の子供たち4人が、大きく育ち、グループに加わってい姿に感無量。

30年を経ても色褪せない、素晴らしい舞踊と演奏の「スマラ・ラティ」だ。

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〆は、「和食・影武者」で、夕食。

今夜は、心尽くしのおせちと雑煮でした。

赤味噌の雑煮に、感動。

大晦日は、年越し蕎麦をご馳走になった。

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「和食・影武者」が、〆のはずだった。

が、帰宅途中、モンキーフォレスト通りにある「和るん・あんかさ」の電気が、おいでおいでをするように輝いていた。

深夜12時、もう帰り仕度をしているだろう。

迷惑も顧みず、吸い寄せられるように店内に入っていった。

2階の大テーブルに、いるいる知人たちが。

昼、母子と歓談した大テーブルだ。

愉快な仲間たちと酒を酌み交わす。

集合記念写真は、ありません。

以上、私の元旦のでした。

今年もよろしくお願いします。



posted by ito-san at 15:25| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月01日

続き最終回:バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(288)

《 ジョグジャカルタの旅のメモ 》

年内には最終回を書き終えるつもりだったのに・・・。

ウダウダしてる間に、年が明けてしまっていた。

『あけましておめでとう、ございます』


もうひとつ、案内しておきたい場所があります。

ボロブドゥール近郊に仏教徒の村がある。

キリスト教徒の村もあった。

村の名前は、教えてもらったはずだが、覚えていない。

足を伸ばして、キリスト教徒の村に出掛けた。

車は、ボロブドゥールから1時間ほど南に走り、幹線道路を右折した。

いくつかの村を過ぎて、田んぼの風景がある道を進んだ。

「このあたりからキリスト教徒の村になります」バダさんが教えてくれた。

十字架のある建物がなければ、普通の田舎の村だ。

「あの看板が、犬のサテを売っている店の印です」

キリスト教徒の村で、犬のサテが食べれるワルンがあるのは、教えられていた。

そうか、今日は、そこを案内していくれているのだ。

「私は食べないけど、ワルンでコーヒーは飲むことはできるよ」とバダさんは言う。

興味はあるが、食べたいとは思わない。

ワルンの椅子に腰掛けて、興味本位に店内を物色するのは気がひける。

看板の犬の写真を見て、嫌悪感は倍増している。

B1は犬を意味し、 B2は豚を意味するらしい。

イスラム教徒の多いこの島では、表示することが義務ずけられているのだろう。

できれば早く通り過ぎて欲しい。

我々の他にも、看板を一瞥して素通りする車があった。

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最後に、バダさんから聞いた面白い実話。

バダさんの友人が、ジャカルタでの任期を終えて日本に帰国することになった。

帰国する前に、御別れ会をしたいと考えたバダさんは、電話を入れた。

「Tolong beritahu(トロン・ブリタウ)・・・・」

このあと”日本に帰る前に”と続く。

「日本に帰る前に、教えてね」と伝えたのだった。

数日後、友人は、豆腐を持ってバダさんのマンションを訪ねて来た。

「えっ! 何で豆腐?」とバダさん。

「だって、トロン・ブリ・タウと言われたでしょ」と友人。

ここでバダさんは、大きな勘違いを発見した。

友人は、ブリタウをbeli tahu(豆腐を買う)という意味に受け取っていた。

以前に、豆腐を買って来てと頼まれたことがあったのかもしれない。

豆腐はインドネシア語では、タウと発音する。

どちらも同じタウ。

買うのブリ(beli)と、教えてのberitahuのブリ(beri)。

エル(l)とアール(r)の違いを、聞き取らなければならない。

発音のできない私には、現地の人の微妙な違いを、今でも聞き分けられないでいる。

私よりインドネシア語が堪能な友人でも、聞き間違えることがある。

インドネシア語にも、発音が似ていたる言葉があるという話でした。

余談だが、バリ語でお兄さんのことはブリで、 オカ兄さんはブリオカと呼ぶ。

魚のブリを買ってきては、ブリブリかな。

くだらない冗談は、このくらいにして。

最後までおつき合い、ありがとうございました。

今年を、よろしくお願いしまう。


posted by ito-san at 15:15| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする