2019年02月24日

SKTT、四苦八苦の結果入手!(296)

私は今、5年間有効のリタイヤメント・ビザでバリ島ウブドに滞在している。

55歳上に適用されるビザで、就業しないことが条件。

取得には、かなり厳しい諸条件が提示されている。

それについては、ネットで容易に調べることができるので、ここでは割愛する。

ちなみに私は、この厳しい条件をまったくクリアーできないが、ビザ代行業社の助力で事なきを得ている。

リタイヤメント・ビザは、通称KITAS(Kartu Izin Tinggal Sementara=キタス)と呼ばれるものの一種。

キタスは、制限付き滞在許可書のことで、他に、就労ビザ、婚姻ビザが含まれる。

2年ほど前から、インドネシア人がKTP(Kartu Tanda Penduduk=住民登録証)を持つように、我々リタイヤメント・ビザ所持者にも、それに準じたSKTT(Persyaratan Surat Keterangan tenpat Tinggal=居住地証明証)を取得する必要が生じた。

このSKTT、リタイヤメント・ビザの申請の時に提出するだけで、それ以外に使い道はないようだ。

これまでは、ビザ代行業社がウヤムヤに済ませていたたが、今回から厳しくなったようだ。


このSKTTを入手する手続きが面倒。

今回は、その苦労の一部始終を報告したいと思います。

要領よく動けば、数日で終わる(はず)。

それには、まず、用意する書類の目録と各種書類を手に入れること。

各県の市民登録局(Dinas Kependudukan dan Pencatatan Sipil)に、出向く。

書類の提出も「市民登録局」なので、場所を覚えておく必要がある。

私は、ギャニヤール県在住なので県都ギャニヤールの市民登録局に行くことになる。

ウブドからだとバイクで30分ほどの距離。

pencatatan_sipil1.jpg

私は昨年、友人に伴って訪れた際に、書類の一式をもらってきているのでそれに書き込めばOK(のはず)。

ビザ代行業社から、キタスの書類がメールで届くのを待ってから、行動を開始した。

目録を参考に、一つ一つ書類を作成していく。

パスポートとキタスのコピー、私の顔写真、大家さんのKTPのコピー。

ここまでは、簡単だ。

まずは、ドミシリーと呼ばれる書類。

この書類に、居住地のバンジャールの村長とウブドの役所で所長のサインをもらう。

ドミシリー作成に金銭を請求したり、作ってくれないバンジャールの村長もいると聞く。

ビザ代行業社のお金を支払って作ってもらっている人もいる。

書類を提出せずに、市民登録局で取得するのと同じSKTTを手にしていた。

ウブドの村長は不在のことが多いので、書類の入手に数日かかることがある。

運良く、1日待って入手できた。

付き合いの古いバンジャールの住人である私は、ドミシリー作成に問題なかった。

そして、警察でSTM(Surat tanda melapor)をもらう。

これは、5分ほどで終わった。

申請経費Rp30,000-。

pencatatan_sipil2.jpg

目録には何項目もあったが、インドネシア語が理解できない私は、これだけを揃えて市民登録局を訪問した。

悪いことをしているわけじゃないが、役所というところは緊張する。

事務所前でたむろする一団の中に、スマラ・ラティ歌舞団のアノムさんの息子グンゲ君の顔が見えた。

グンゲ君は、赤ん坊の頃から知っている。

昨年から、ここで働くようになったと聞いている。

困ったことがあれば、頼りになりそうだ。

スタッフの遅い昼の休憩を待って、カウンター前の椅子に座る。

提出した書類をチェックした局員は、書類が2つ足らないと目録に丸印が書いた。

「Foto copy kartu keluarga(KK)penanggung jawab」と「Surat pernyataan dari capil」だ。

グングデ君が助け舟を出してくれたが、書類が足らないのでは助けようがないようだ。

出直しだ。

KKはコピーを取りに行けばOKだが、「Surat pernyataan dari capil」については、ドミシリーと同様にバンジャールの村長とウブドの役所の所長のサインが必要だ。

所長のサインをもらうには、3日かかった。

やっと書類がそろった。

今回は、SKTTを入手できるだろうと勇んで出向いた。

書類は受け取ってくれたが、金曜日に所長に電話をしてから来るようにと言われる。

えっ! すぐにできないの?

これも、小さな嫌がらせか?

煩わしい手続きを省くため、正式のルートではないが、ビザ代行業社にRp50万を支払って取得する方法もあるかなと思ってしまう。

電話をするように言われたが、インドネシア語でどう説明すればいいのかわからず不安でいっぱいだ。

当日、電話をしたが生憎というか、よかったというか、通じなかったので市民登録局に直接出向くことにした。

カウンターでグンゲ君を見つけ、助太刀をお願いした。

頼もしい育った、グンゲ君の姿に感動する。

しばらく待たされて、めでたくSKTTを入手。

SKTTは、銀行のキャッシュカードより少し大きめの紙製だった。

これにプラスチックのカバーをして持ち歩くのだ。

pencatatan_sipil3.jpg


◎知人のコメントを、承諾の上、掲載させていただきました。

ギャニャールの役所は、わいろに関してとても厳しい対応をしています。
わいろは一切受け付けない。
わいろの温床になるエージェントは関与させない。
そのため、SKTT取得は代理人の関与を認めません。
また、取得に当たっては所長の前で担当者が
・申請者自ら手続きを取ったこと
・わいろなど一切のお金の支払いはしなかったこと
・エージェントは使っていないこと
を、宣言して、申請者が承認します。
そのため、所長不在の時はSKTTの発行はしてもらえません。

✴︎詳細は「バリ島移住物語」(https://www.umaumabali.com
「SKTTの取得について」https://www.umaumabali.com/entry/20110404/1301873086



posted by ito-san at 17:45| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

ケヘン寺院のビンギン樹に会いに(295)

バリ島には、8つの県がある。

北の「ブレレン」、左周りに「ジュンブラナ」、「タバナン」、南に「バドゥン」、東隣に「ギャニヤール」、その東隣に「クルンクン」、クルンクンの北部に「バンリ」、東端が「カランアサム」。

この中で、海に接していない県がひとつある。

バンリ(Bangli)県だ。

私の滞在するギャニヤールの東隣に位置している縦長の県。

北部に、風光明媚なバトゥール山とバトゥール湖を有する。

珍しい儀礼の多い地域で、私は何度も訪れている。

奉納舞踊で幾度か参加させてもらった地域でもある。

県庁所在地は、バンリ市。

バンリ市には、バンリ王朝時代の国寺であったクヘン寺院(Pura Kehen)がある。

11世紀頃、スリ・ブラフマ・クムティ・クトゥ(Sri Brahma Kemuti Ketu)によって建立された。

市北部の小高い丘に、町を見下ろすように建っている。

境内のビンギン大樹は、樹齢600年。

大樹の胴回りは、私の目算でおよそ30メートル。

樹元に耳を当てると、水が吸い上げられる音が聴こえるようだった。

余談だが、アパ?情報センターのスタッフだったワヤン君をスカウトしたのは、クヘン寺院近くのダラム寺院の祭礼日だった。

通称ワヤン・バンリと呼んでいた。

ワヤン・バンリ君は今、インドのサイババから支持を得て、バンリ市にアシュラムを開いた奥さんのアシスタントをしている。


2月4日:久しぶりに朝から晴れ間が見えた。

このチャンスを見逃す手はない。

思い切って、ケヘン寺院のビンギン大樹に会いに行こう。

いざバンリへ・・・・・。

ウブドからバイクで40分ほどで着く。

祭礼のない平日、参拝客は私ひとり。

ビンギン大樹目指して、階段を上っていく。

闖入者に驚いた犬が、吠える。

大樹は今も、かつての姿を残し佇んでいた。

見上げる大きさと、気根の造形に圧倒される。

現在、壁に拒まれて一周することはできない。

以前訪れた時には、大樹の周りを一周できた。

その時に、話し掛けてきた老人の名前は「グデ・ライさん」。

幾人かの日本人に、ワヤンクリッを教えたと言っていた。

ウブドに戻りカセットショップを覗くと、グデ・ライさんのカセットが販売されていた。

ダラン(ワヤンクリッ=影絵芝居の演者)で有名な人とは知らず、バリ芸能について語り合った。

寺守りの村人にグデ・ライさんの消息を聞くと、「亡くなった」と悲しい情報が返ってきた。



線香と花を寺守りの村人に用意してもらい、奥の境内に腰を下ろす。

静寂の中でのお祈り。

合わせた両手の指先に花を挟み、眉間の前にもっていく。

神聖で厳かな涼風が頬を撫でていった。



ケヘン寺院は、アパ?情報センター:「古都バンリを巡る旅!」などのツアーで参加できます。

見どころは、ワヤンの登場神の石彫、樹齢600年を超える巨大バンヤン樹、壁に埋め込まれた中国陶器など。

何と言っても、心地よい風が心身を癒してくれる。

是非、ご利用ください。


posted by ito-san at 16:29| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月08日

LOLOH BALI(バリの伝統療法)294

ウブドには、ホームステイを営む家が多い。

屋敷内にはバリの伝統に従って造られた幾つかの棟があり、その一部をツーリストに貸している。

宿泊すれば、ヒンドゥー・ダルモを信仰するバリ人の日常を垣間見ることができる。

彼ら信仰や慣習は、たいへん興味深いものがある。

そんな中の一つに、彼らの伝統療法がある。

私もホームステイしていた時に、しばしばお世話になった。

熱がある時に、大きな葉っぱをお腹に貼ってくれてことがあった。

お腹の調子が悪い時には、生薬を処方してくれた。

バリ人の屋敷は、どこも緑が庭に溢れている。

なにげなく植えられた草花には生薬も含まれていて、ちょっとした薬草園だ。

村人の多くが漢方医のようなもの。

もっとも薬草にたけているのが、バリヤンと呼ばれる人々。

葉っぱや根っこや実を潰したり絞って、飲み薬や塗り薬にする。

中でも、葉っぱから作られる生薬のことをバリ語でロロ(Loloh)と呼ぶ。

処方は、採りたてを絞ってジュースにして服用することが多い。

ジャムーと同じルーツだろうが、バリ特有の生薬に興味が惹かれる。

バリ独特のものとして商品化できないものだろうか、と考えた。


ご存知の人も多いと思うが、インドネシアには伝統療法の「ジャムー=JAMU」がある。

日本では、インドネシアの漢方のようなものと説明している。

古くから伝わるハーブ薬のことで、インドネシアに自生している植物の実や皮、葉、根、木の皮などを原料としている。

インドからヒンドゥー教が伝えられた時、インド古代医学のアーユルヴェーダもインドネシアに入ってきた。

アーユルヴェーダをヒントに、改良を重ねられて行き出来上がったものがジャムーだと言われている。

ルーツがアールヴェーダであることは、中部ジャワのボロブドゥール遺跡にも描かれているらしい。

これらの知識は、ネットで調べた。

インド(印度)からのルーツだとすれば、漢方と言わずに ”印方” が正しいのじゃないかと、へそ曲がりの私なんかは考えてしまう。

印方では、聞き間違いが起こる可能性があるか。

私のジャムー初体験は、ペットボトルを何本も背負って売り歩いているおばさんだった。

ペットボトルの中身は、乳白色に濁った液体ジャムー。

ジャムーが、不味いという情報は知っている。

『良薬口に苦し』だ。

体の調子はすこぶる良いが、好奇心がジャムーを求めた。

勇気を出して、私は、おばさんを呼び止めた。

おばさんは、道端の縁石に荷物を降ろして店開きを初めた。

ペットボトルから、ジャムーをコップに移し替え、私に手渡す。

「む〜ん、苦い!」

不調だったら、これもまずく感じないのかな?

とりあえず、バリ島入門の通過儀礼のひとつが終了した。

ボトルごと買うこともできる。

こういった行商以外に、店を構えているジャムー屋もある。

ジャムー屋には、工業生産で作られた商品を売っている。

生が一番だろうが、我々旅行者は、そうもいかない。

そこで、持って帰ることができる、乾燥ハーブとなった。

粉末やカプセルもあるが、個人的には、煎じて薬湯として啜ることをお勧めする。

ウブドの3つのスーパー(デルタ、ビンタン、ココ)に、ジャムー・コーナーがあるのに驚いた。

かなり以前から「Utama Spice」「Nadis Herbal」「Angelo Store」「Cantika Spa Zest」などのコスメ専門店でも販売しているらしい。

観光客が買っていくということだろう。

私が知らなかっただけだ。

loloh2.jpg

ロロを商品化するなら、ジャムーを知る必要があるだろう。

スーパーで売られているジャムーの全種類を買い込んだ。

ロゼラ、レモングラス、明日葉、シルサック、バタフライピーなどの葉、そしてマンゴスチンの皮などなど。

ハーブ茶と粉末の2種類が売られている。

売られているジャムーの中に、ロロの種類は少なかった。

loloh1.jpg

ハーブ茶は、煎じて飲んだ。

カビ臭い匂いと味がした。

粉末も、煎じて飲んでみた。

口内に粉末が残り不快だったので、濾過して試した。

お湯で溶くだけと聞いたので、そうしてみた。

ハーブ茶も粉末も、どちらも苦くてまずい。

私は、蜂蜜を入れて飲んでみた。

苦味は薄まるが、まずいのは変わら無い。

ジャムー屋では、ウズラのタマゴや蜂蜜などを混ぜて、症状に合わせて処方する。

全種類を飲み終えるには、何日も掛かった。

効能は、飲み続けないとはわからないだろう。

一発で効果が出たのは『Daun Jati Cina』。

「ダイエット、コレステロール値を下げる、便秘解消、体内脂肪を便として出す」と効能に書かれていた。

分量が多すぎたのだろう、一週間も続く下痢になった。

メタボの友人に『Daun Jati Cina』を、お土産に渡した。


ロロの生産は、栽培するところから始めなくてはならない。

それをハーブに、そして粉末にする。

ハーブ茶にしたり粉末にしては、効果は半減するだろう。

こんなに苦くてまずくては売れるとは思えない。

バリ人宅で、その場で薬草を処方してもらったほうが効果は期待できる。

そうだ、そうした方が良い。

そこで一考。

バリ人の信仰や慣習を体験する「アパ?情報センター」のプログラムに加えられないだろうか?

「バリ人宅を訪問してロロを飲む」

こんなツアーを企画しては、どうかと思うようになった。

こうして昨年からの懸案であった「ロロの商品化」は、努力の甲斐もなく挫折したのでありました。


◼︎補足:LOLOHの種類、私が聞いた限りでは以下でした。

『Daun Sirsak』 Sursak

『Daun Sambiloto』

『Daun Dapap』

『Daun Sembung』

『Daun Kayumanis』

『Daun Bluntas』

『Daun Dapap』

『Daun kelor』モリンガ

これ以上に、あると思います。



posted by ito-san at 15:41| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

トゥガナン村の奉納舞踊ルジャン(293)

バリには、ジャワ島から「カースト」を持ったヒンドゥー教徒が移り住む以前から、バリ島民がいた。

ジャワ文化に影響を受けず、古来からの慣習を守り続けている集落がある。

その村のことを「バリ・アガ」と呼ぶ。

「バリ・アガ」で有名なのが、カランアッサム県トゥガナン村。

グリンシン(縦横絣)を織る村として名が知られている。

村では年に一度、ウサバ・サンバ(Usaba Sambah)の祭礼が催される。

中央の長い建物には、グリンシンをまとった独身女性たちの美しい姿。

その前では、上半身裸の男性たちが棘のある葉を持って戦い合うムカレ・カレ(Mekare Kare)の奇祭が繰り広げられる。

この地域のバリ・アガ独特の木製巨大ブランコも見応えがある。

祭りの間、村に残る独特の響きを持つ鉄製ガムラン、ゴン・スロンディン(Gong Selonding)が村内で奏でられる。


知人から、トゥガナン村の祭礼が1月18日から22日まで5日間催されると情報が入った。

都合で、21日しか行くことができない。

スケジュールは、まったくわからない。

ムカレ・カレが見られたらいいなと、小さな期待を持って出かけた。

正午に下宿を出発した。

到着したのは、1時40分(所要時間:バイクで1時間40分)。

小さな展示館が完成し、入村するエントランスが観光地らしく整っていた。

入村料はドネーション。

ドネーション帳の記載には、Rp20,000-が多かったので、私もそれに倣った。

村内は静かで、祭礼が行われる雰囲気がまったくない。

家々に、ガルンガン祭礼日ペンジョールが飾られていない。

バリ・アガだからだろうか?

屋台でアクアを買い、コピバリを注文した。

縁石に腰を下ろし、コピバリを啜る。

スロンディンの調べは、聴こえてこない。

祭礼の開催は5時からだ、と村人が教えてくれた。

3時間は待てない。

村の最奥に、お気に入りのビンギン大樹がある。

気根がトンネル状になっているビンギンだ。

今日は、それを見て帰ろう。



ビンギン大樹を見たあと、写真を撮りながら村内を散策。

時間は4時になっていた。

あと一時間も待てば、祭礼が見られる。

雨が落ちてきた。

この間に、昼食を済ませてしまおうと考えた。

トゥガナン村近辺にワルンがないようなので、チャンディダサまで足を伸ばした。

雨脚が激しくなってきた。

この状態で、祭礼は行われるだろうか?

とりあえず、雨の中をトゥガナン村に戻った。

中央の長い建物に、正装の女性たちの姿が見える。

なんらかの祭礼が行われそうだ。

私は持つことにした。

いくつかの屋敷門から、着飾った若い娘たちが出てきた。

娘たちは一応に化粧が上手く、ツケマツゲが施されている。

足元には、カカトの高いサンダル。

時代の様変わりを感じる。

トゥガナン村独特の気怠いルジャン(Rejang)の奉納が始まった。




今回の祭礼が、どうも腑に落ちない。

帰宅してから、「地球に歩き方・バリ島」を開いてみた。

トゥガナン村のページのコラムに「ウサバ・サンバ」が載っている。

そこには、ウサバ・サンバは例年6月か7月に3日間行われるとある。

お祭りの期間はムカレ・カレやトランスダンスのほかにも、二日目の深夜にドラマゴン、三日目の夜にジョケッ・ブンブンで、おおいに盛り上がると記載されていた。

祭りの一週間くらい前から、村には露店が出て、とても賑やかになる。

闘鶏なども見ることができる。

もしかすると今回の祭礼は、それと異なるのではないだろうか。

「アパ?情報センター」のワヤン君に、次回の「ウサバ・サンバ」の情報を調べてくれるようにお願いした。

posted by ito-san at 16:20| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする