2013年07月09日

結婚儀礼(43)

7月8日は「ルアック・ウブド・ヴィラ」と反対側の隣家で、結婚儀礼があった。

私の寝起きする「バレ・ダジョー(=ムテン)」と隣接する家だ。

結婚式の準備は、数日前から始まっている。

5日は、村人がゴトンロヨン(相互扶助)をしていた。

日頃、こういった手伝いに参加していないと、自分の家の儀礼の際に協力が得られないことがある。

特に困るのが、火葬儀礼の時に邪魔されることだ。
男衆と女衆は、別々の場所で作業をする。

寺院のお祈りの時も芸能を鑑賞する際にも、男衆と女衆は分かれて座る。(例外として、恋人同士や仲良し家族がいる)

男衆は、サテの串を作っている。

串の種類は4種類あると聞いたが、詳細を聴くのを忘れたので、次回の課題とする。

男衆の中に、パチュン君、カルちゃん(カルタ)、オカちゃん、「日本料理店・影武者」のスタッフ・デワ君の顔が見える。

女衆は、供物を作り。

女衆の中に、イブ・マデもいる。

イブ・イブ(婦人たち)は、カジャンクリオン(5日)、暗月(7日)と、日々の供物作りにも忙しい。

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7日の深夜(8日の早朝)に、儀礼料理のためのポトン・バビ(豚の屠殺&解体)が行われるとパチュン君から聞いていた。

たいていは深夜3〜4時頃から行われるので、この日は、それまでは起きているつもりだ。

見られるタイミングは滅多にないし、隣家で行われるので、写真を撮っておこうと意気込んでいた。

残念な事に、ポトン・バビは6日の夜10時頃から始まり、すでに終わっていた。

考えてみれば、結婚儀礼当日の早朝にポトン・バビをすることはなかった。

大失敗だ。

6日の夜、隣家から大勢の人の声が聞こえていた。

それにしても、バビの断末魔の悲愴な声が聴こえなかったな〜。

私が聞き逃しただけだろう。

重い空気が私の部屋を包んでいたのは、バビの怨念だったのか。

寝つけなかったのは、そのせいか。

屠殺は終わったが、解体が終わっていないかもしてない。

未練がましく覗いてみたが、バビは、すでに細かい豚肉(ダギン・バビ)になっていた。

ポトン・バビと儀礼料理は、男衆の仕事。

テガランタン村にはワルンの経営者(ベンディ&デワ)や料理人が多くいるので、料理が美味しいと言うことは経験済みで知っている。

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結婚儀礼当日の8日、時間は昼2時。

テガランタン村の美味しい儀礼料理の匂いが、私の部屋まで漂ってくる。

ちょうどよいほどに、私のお腹は空いていた。

ポトン・ギギ( 削歯)儀礼は、午前中に終わっているはずだ。

カメラを片手に家の前まで来た。

挙式をあげるご両人と私は、まったく面識がない。

招待状も届いていない。

誰も声を掛けてくれない。

こっそり紛れ込んで儀礼料理を食べたかったが、それもさもしいことだと遠慮した。

結婚儀礼を見学せずに、屋敷門の飾り付けの写真を撮って、そそくさと退散。

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儀礼がすむと、新郎新婦は新婚旅行に出発する。

行かない行かない、バリ人に新婚旅行の習慣はないのだ。

夕方からは友人たちの訪問を受け、深夜まで親睦を深める。

そして、3日間、家から出ない事が義務づけられている。

最近は、新婚旅行に行くカップルもいるし、翌日から仕事に出るそうだ。

ちなみに、結婚した当月のことをインドネシア語でブランマドゥー(bulan madu)。

英語のハネムーン(honey moon)、日本語の蜜月と同じ語源だった。

バリ語には、ブランマドゥーに相当する言葉はないようです。


『Selamat mununpuh hidup baru=新しい人生に祝福を』


posted by ito-san at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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