2014年02月06日

パチュン君の博多滞在記(74)

テガランタン村のパチュン家に引っ越して、早1年が過ぎた。

相変わらず、惰民が惰眠を貪る生活を送り、たわいもないブログを綴っています。

来月(3月)に入れば、ブログも1年続くことになる。

愛読してくれている希少な方がいること信じて、これからも精進したいと思っております。

私のブログ愛読者には、パチュン君のファンも多い。

たびたび文中に登場するパチュン君。

彼が日本に行ったことがあるのを知ったのは、つい先日のこと。

始めて聞いたパチュン君の過去。

彼に思い出話を語ってもらった。


パチュン君のプロフィールだが。

生年月日を訊いてみた。

「1968年12月31日生まれです」との答えが返ってきた。

あまりにも、覚えやすい誕生日ではないか。

「日本だったら、年末の忙しい時の生まれた子だ」と振ってみた。

何か裏があると考えた問いだ。

年号は正しいと思うが、月日は怪しい。

バリ人は、ウク暦に従っているから西暦の誕生日を知らないことが多い。

公の書類が必要になった折り、彼らは適当な月日を記入する。

パチュン君の両親も同様だったのだろう。

彼は、苦笑いしていた。


パチュン君が「ウブド村営観光案内所ビナ・ウィサタ」のオフィスに顔を出して、日本語の勉強につとめていたのが1990年。

私と知り合ったのがこの頃で、22歳だったことになる。

その後、日本語ガイドとしてサヌールにある旅行会社に勤めた。

ガイドの仕事で、たくさんの日本人の知り合いが出来た。

1994年、ひとりの日本人男性が「日本語の勉強になるから」とパチュン君を日本に招待したいと申し出た。

pacung1.jpg

この頃、私のまわりのウブド人に、日本人ツーリストの評判はあまりかんばしいものではなかった。

ウブドを訪れた旅行者が、ウブドを気に入った一時の興奮で「あなたを応援したい」「日本に招待する」「ビジネスを一緒にしよう」「家を建てる」「結婚したい」と口に出すことが多かった。

言われたウブド人も、言われた言葉を信用し、彼・彼女が、再びウブドを訪れるのを待つ。

「日本で仕事をしないか?」ある会社の社長がブディ君に言う。

ブディ君は「チャンプアン・ホテル」の仕事を辞めて、日本人社長の連絡を待った。

3年待ったが音沙汰はない。

サクセス・ストーリーと羨ましがられた話は、月日が経つと騙された馬鹿な奴に変わっていた。

今、ブディ君はチャンプアン・ホテルに復職している。

「必ず、帰って来るから」と言って日本に帰国した彼女は、戻って来なかった。

私の知る限り、ワヤン君は6年は待っていた。

今、ワヤン君はバリ人と結婚して子供も授かっている。

こんな話は、まだまだある。

日本に帰ってしまえば、連絡のしようもない。

何年かするうちに、日本人ツーリストの「口約束は守られないもの」と思われにようになっていた。


こんな噂のある日本人ツーリスト。

パチュン君は人を素直に信用してしまうタイプだが、そんな彼でも簡単には本気にできない背景である。

招待したいと申し出た日本人男性は、博多で建築機械を取り扱っている会社社長。

航空チケット代金を渡して帰国した。

それでも半信半疑。

日本に着いてからのことも心配だ。

観光で行くのだから、働かされることはないだろう。

それだって、着いてしまえば、どうなるかわからない。

不安はつのるが、日本を一目見たい好奇心と日本語を勉強する夢が大きく膨らんでいた。

パチュン君は、日本行きを決意した。

パスポートを自力で取得。

これだけでも、未経験のパチュン君には大変なことだったろうと想像できる。


社長との約束日のチケットは、ガルーダ・エアラインが満席で取れなかった。

電話事情の悪いウブドで、社長との連絡がつかない。

約束日より5日遅い9月末から3週間のチケットを購入して、その旨をファックスで送った。

行き先は、博多。

当時は、博多へはガルーダの直行便が飛んでいた。

新調した靴と、借り物のズボンとスーツケース。

2歳の長女アユと6ヶ月の乳飲み子長男マデを抱かえた奥さんが、空港で見送った。


ファックスが届かなかったのか、空港に社長の姿はない。

放心状態で立ちすくむパチュン君に、優しく声を掛けてくれた日本人青年がいた。

住所はわからない。

電話番号だけが頼り。

親切な青年が電話で連絡をとってくれた。

社長は、5日前から京都に行っていた。

パチュン君と一緒に行く予定だった京都旅行だ。

急いで博多に戻った社長と、やっとのことで再会を果たした。

「親切な日本人がいてよかったです」とパチュン君。

日本語が少しは話せると言っても始めて飛行機に乗って始めての異国。

空港でひとりぼっちは、さぞかし心細かったことだろう。

pacung2.jpg

社長のお宅にお世話になった。

最初のカルチャーショックは、トイレだったそうだ。

あまりにも奇麗なトイレに、緊張して立ち尽くす。

日常、庭で立ち小便していた彼には、便座に小便を命中することができるか不安だったと言う。

大便に関しては「恥ずかしいから書かないで」と本人から哀願されたので没にしました。

興味のある方は、本人に直接聞いてください。

食事は、まったく駄目だったようだ。

社長は、気をきかせて炒飯を頼んでくれたりタイ料理の店に連れていってくれたそうだ。

事務所で働いている人が無駄口をたたかず、ひたすらパソコンに向かっているのが不思議に見えたと言う。

100円硬化を入れてボタンを押すと「ガタン」の音とともに、缶コーヒが落ちて来る自動販売機も初体験。

自動販売機の前で、茫然と立ち尽くすパチュン君の姿が眼に浮かぶ。

「立ち尽くす」ことの多かった旅になったようだ。

ホテルに宿泊したり、鹿児島にある水族館へ行ったりと、旅を楽しんだ。

「日本人の親切には、深く感動した!」と懐かしく語ってくれた。

貴重な経験になった、パチュン君の日本滞在でした。

posted by ito-san at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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