2014年03月18日

ウブドの電話事情(44)

時代は急速に変化している。

地球の存続も危ぶまれている。

否。私が言っているのは、そんな大袈裟なことではない。

私のまわりの急変は、バリ人がスマートフォンを持ったことです。

もちろんウブド人も。

世界は同時発生的に進化しているようだ。


電話の話だが。

私が生まれて始めて手にした電話機は、ダイヤル式だった。

電話をかける仕草は、グーにした左手を耳に近づけ、右手の人差し指でダイヤルをジーコジーコと回す。

受信音は「リーン リーン リーン」と鳴った。

重厚だが無骨な黒色電話は、しばらくして、番号を押す明色のプッシュホン式に変わった。

ダイヤルは回すのではなく、人差し指でピッポパと軽快に叩く。

人によっては小指でピッポパかもしれない。

ポレットベルと呼ばれる、所在探知機のような機械を携帯するようになったのもこの頃だ。

監視されているようで、私は持たなかった。

続いて、携帯電話が普及を始める。

日本の初期の携帯電話はショルダーフォンと呼ばれ、写真のようになんと3キロという大きな代物だった。

NTT.jpg

私が携帯電話を持つようになったのは、ウブド滞在を始めてからだ。

「アパ?情報センター」を始めて数年してからだと記憶している。

不測の事態が起こった時に連絡が取れるようにと、アパ?スタッフの名前が最初に出るように設定してくれた携帯だった。


ウブドの電話所有第一号はウブド王宮だと言われている。

車、テレビ、ほとんどの第一号は、ウブド王宮だ。

私が訪れた1990年頃のウブドは、ホームステイやレストランでは電話を所有していたが、一般家庭の電話普及率は少なく利用者もごくわずかだった。

公衆電話も少なく、あったとしてもことごとく壊れていて使えなかった。

記憶も記録もないので曖昧だが、フード付きの公衆電話はRp100コインで利用できたと思う。

public-telephone1.jpg

商店や一般家庭で、気安く電話を借りられない。

電話機には、鍵の付く透明プラスチック製のカバーが付いていた。

長距離電話に使われて、膨大な使用料を請求されるのが心配なのだ。

私がウブドで最初に見た電話機は宿泊先の「ロジャーズ・ホームステイ」で、やはりプラスチックのカバーが付いたプッシュボタン式だった。

ツーリストが国際電話を必要とする時は、アンドン地域警察署前(現在のスーパーマーケット・デルタデワタ西横)にあった公共の電話局か、ウブド大通りにある「レストラン・ノマド」が経営する料金の高い私設電話サービスに出掛けなくてはならない。

私設電話サービスは「レストラン・ノマド」の東隣にある2階建て貸し店舗(現在「ブレッドライフ」のある建物)の2階にある。

公共電話局の局員の態度は、仕事をする気がなく怠惰で横柄だった。

猜疑心の強い私は、ひょっとすると公衆電話が壊れているのは「ノマド」のしわざで、電話局員が怠慢なのは「ノマド」から小遣いをもらっているせいではないかと疑っていた。

選択肢は、嫌々「ノマド」の電話サービスを利用するしかなかった。

BreadLife.jpg

1994年、テレフォンカードが使える電話ブースがウブド市場前に設置された。

こちらも頻繁に故障するため利用者は少なかったように、記憶している。

相前後して、「ワルテル=WARTEL(Warung Telephone )」と呼ばれる私設電話サービスが多数開店する。
1996年、電話局がアンドン交差点のウブド大通り沿いに移転した。

public-telephone2.jpg

固定電話機の普及は遅々として進まない。

レストラン、ホテル、などのツーリスト向けのビジネスが増加したからだろう。

私の滞在するギャニアール県では、ある年から電話回線が満タンで増設が出来なくなっていた。

電話機の設置をお願いしても、近くに鉄柱がないと、数件まとまるまで待つか、自己負担で立てなくてはならない。

30メートル置きに立てる鉄柱が一本につき100万ルピアかかる。

賄賂を払って、難しくなった。

いつまで待たされるかわからない電話機の設置。

こんなタイミングに携帯電話が発売された。

特権階級の贅沢品だと思われていたのが、年々価格が下がり、たちまちのうちにバリ人へ浸透していった。

親子電話、コードレス電話でさえ便利だと思っていた私には、個人個人が電話を持ち歩く時代が来るとは考えもしなかった。

電話の普及していなかったウブドでは、大雨が降ると連絡ができなかったとの理由で遅刻、欠席は当然のように認められた。

携帯を持つようになって無断の欠席、遅刻はできなくなった。

これと言って急ぎの用事のない私にとっては、不便な機器である。


1997年、携帯電話の普及と並行して、インターネットの布設が始まる。

まだ、パソコン持参のツーリストは少なかった。

携帯電話とシムカード販売の専門店が雨後のタケノコのように開店した。

ネット・カフェのインドネシア版である「ワルネット=WARNET(Warung Internet )」が開店して、E-mailサービスが受けられるようになった。

free Wifiのホテル、レストランが増えると、ワルネットは衰退し子供のゲームコーナーに転向した。

ネット回線状況は年々、よくなっているようだ。

近年に、光ファイバー通信になるらしい。

村人は、携帯電話から一足飛びに、スマートフォンを持つようになった。

あくまでも私のまわりのウブド人の話ですので、念のため。

今では、デジタル文字を触れるだけのスマートフォンだ。

カメラ内蔵で写真の保存・送信もでき、音楽を聴けて、ゲームなどもできるさまざまな機能がついている。

Skype、Twitter、Lineの横文字は、さっぱりわかりまへん。

わからないことは、説明も難しい。

良い(E)メイルはあれば悪いメールもあるのでは、と信じていた私のこと。

ファイヤー・ワイヤーは、火縄のことかな、ひょっとすると「てんや・わんや」かなと思ったし。

ショートカットは髪を短くすることだった。

USBはアメリカのバスケットチームの名前かな、なんてこじつけたり。

ネット系はインターネットのネットだとばかり思っていたら、寝癖を防ぐために頭に被るネットをする人のことだと知ってボーゼンとした。

パソコン関係の言語は、まったく理解不能だ。

文明の発展に、身も心もついていけないだらしない自分がいる。

こんな状態では、私がスマートフォンを持つことはないだろう。

posted by ito-san at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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