2014年03月22日

バロンの奉納舞踊を求めて(45)

道路を覆うようにして、両側から大きな樹の枝葉が張り出している。

夜10時の街道は、真っ暗闇だった。

私は今、正装に身を包み、ムングイ村に向けてバイクを走らせている。

緩い勾配を北に向かう道だ。

オダラン(寺院祭礼)の奉納舞踊・チャロナラン舞踊劇を鑑賞に行く途中。

odalan1.jpg

私の趣味は奉納舞踊見学だ。

特にチャロナラン劇が奉納されると聞くと、遠くバリ東部・カランガッサム県まで出掛けていった。

タバナン県ムングイ村の山深い田舎で、チャロナラン劇があるとの情報を得た。

チャロナラン劇は、善と悪の終わりなき戦いを演じる。

この日は、月の出ないティラム(暗月)、おまけに霊力の強いカジャンクリオンの日と条件は揃っている。

恐がりなのに、こういったセッティングを好むのが私の性格だ。

ススオナン(ご神体)である聖獣バロンの踊り手は、若手ナンバーワンのデド君だと聞いた。

スマラ・ラティの定期公演や奉納芸能で、デド君のバロン舞踊は何度も見ている。

まるで生きているように演じられる、デド君のバロン舞踊は、いつ見ても魅入ってしまう。

今夜もデド君の素晴らしいバロンを見たいと、期待で心をときめかせ、ひとりバイクを駆り田舎の道をひた走った。

目的地は、情報では一本道。

道沿いにある寺院だから、すぐわかると教えられた。

odalan2.jpg

途中、幾つもオダランらしい寺院を覗いたが、どれもすでに終わっていた。

かなり遠くへ来たが、まだオダランのある寺院は見えない。

バロンの奉納舞踊は早くて夜8時、チャロナラン劇の開演はたいていが10時前後。

時計は10時をさそうとしている。

すでにバロンの奉納は終わっているかもしれない。

街道の灯りもまばらになり、ワルン(雑貨屋)を見つけるのも難しくなってきた。

不気味に続く暗闇と湿気を含んだ冷気が、身体を覆う。

訊ねるなら、今のうちだ。

とにかく、一度このあたりで訊いておこう。

やっと一軒のワルンを見つけ飛び込んだ。

豆電球が細々と灯されたワルンに老婆が顔が見えて。

「デ・マナ・アダ・オダラン?」

オダランはどこにありますか、と私は老婆に訊いた。

老婆は、この外国人は何を言っているのだろうという顔をしている。

まさか外国人がインドネシア語をしゃべっているとは思っていないのか。

もしかすると、私の未熟なインドネシア語が老婆に通じないかもしれない。

私は「バロン、バロン」と連呼した。

正装している外国人が「バロン」と言っているのだ、バリの芸能・バロンだと察してくれそうなもの。

老婆はいぶかしげ顔で、私の言葉を反復しながら店の奥へ姿を消した。

「おいおい、なんとか言ってよ!」

得体の知れない外国人の行動に、恐れをなして引っ込んでしまったのかな。

ワルンの店先で、寒さで冷えてしまった身体が震えている。


しばらくして、戻って来た老婆の手には電球があった。

老婆は手元の電球を見て「バロン」と言う。

「電球がどうしたの?」

私は、デド君のバロン舞踊が見たいんだ。

開いた掌を耳に当て、バロンの真似をしてみた。

老婆は、だからどうしたという顔をしている。

意志の通じない会話は空しい。

私は、異次元の人と対峙しているのだろうか?

バロンを見ることはあきらめ、電球はいらないからとワルンを出た。

これ以上、先に進む元気はなくなっていた。

私はバイクをUターンさせ、ウブドに戻ることにした。

後日、オダランは、目と鼻の先で行われていたことがわかった。

odalan3.jpg

どうしてバロンが通じなかったのか、考えてみた。

老婆とのやり取りを知人のバリ人にすると「イトサンの発音はbalonで、それなら電球が出てくるでしょう」と言われた。

私は、この時まで、電球のことをバロンと言うのだとは知らなかった。

balonは、風船と言う意味で、電球はバロン・ランプとして使うのが普通のようだ。

辞書には、電球は、見たままにbola(ボール)lampu(ランプ)とも言う。

聖獣バロンはbarong、発音は、[r]が巻き舌で、[ng]は、口を開けて「ン」だ。

電球のバロンはbalonで、発音は、[l]は普通の[ろ]で、[n]は口を少しだけ開け、上あごに舌をつけながら「ン」と発音すると教えられた。

どちらにしても、私の発音が悪かったのが原因で、老婆に通じなかったのだ。

私は、今でもこの発音が出来ていない。

奉納舞踊でのバロンの踊りは、バロン・ダンスとは言わず、バパン(bapang)・バロンと呼ばれているのは知っていた。

しかし、あの時点で私がバパンと言っても、私の発音では通じなかっただろう。

それにしても「デ・マナ・アダ・オダラン?」が理解されなかったのが悔しいほど悲しい。

すっかり自信をなくしたが、だからと言ってインドネシア語を学ぼうとしない。

こんな態度だから、インドネシア語会話能力が小学生以下なのだろう。

ちょっと反省しています。


(2007年05月26日の日記より)

posted by ito-san at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック