2014年03月30日

深夜に「イブ〜!」の声(76)

「イブ〜!」

母親に哀願する、若い女性の声が聴こえた。

心もとない声は一度だけ。

そのあとには、呼吸音が続いている。


昨夜は鼻風邪をこじらせて、いつまでも寝付かれなかった。

いつの間にか、眠りに入っていた。

「イブ〜!」の声で眠りから覚めた。

このまま明朝まで眠りたかった。

そうすれば、鼻風邪も治っていただろうに。


深夜2時過ぎに、誰かが我が家を訪ねてきたとしよう。

「いとうさ〜ん!」と呼びかけられる。

こんな時間に誰だろう、と不審に思う。

そして「いとうさ〜ん!いとうさ〜ん!」と続く。

呼びかけが3度で終わった場合は、これは「ウブド限定・悪霊の誘い」だと思ってください。

返事をしないこと、そして扉を開けないように。


「イブ〜!」の呼びかけは1度だけだった。

私はイブ(母)でも伊武雅人でもないので、呼びかけられる理由はない。

そこにいないイブに向かって、彼女の懺悔のように聞こえた。

息づかいは、枕元の窓の外から聴こえる。窓の外は、パチュン家の家寺になる。

家寺の物置と私の暮らす部屋の間に、雨露をしのげる1メートルほどの空き地がある。

今は亡きキンタマーニ犬のセリ親子が、よくここで寛いでいた。

誰かが、入り込んだのだろうか。

隣家に仮住まいする建築現場の労働者の中に女性もいる。

何かの問題を起こして逃げ込んで来たのかもしれない。

もしかすると、陣痛をこらえる呼吸音か?

ここまでの推測は早かった。

そしてほとんど、そう思い込んでいた。

出産は潮の満ち引きに影響を受けると聞いている。

時間も深夜、そして明日は月の隠れる暗月だ。

病院に連れて行かなくては、と思う。


家寺の中での出産はタブーだ。

そんなことにでもなれば、浄化儀礼をしなくてはいけなくなる。

暗闇の中で思考する。

以前、テガランタン村ダラム寺院の前に、胎盤が置かれた事件があった。

犯人は欧米人ツーリスト。

大きな浄化儀礼になった。

明後日は静寂の日「ニュピ」。

こんなタイミングに不祥事は許されない。

彼女のためにも、一刻も早く連れ出さなくては、と焦る。

しかし、私は窓の下でうずくまる女性を見られない。

私は小心者だ。

窓を開けるのも怖い。

本当に、誰かがいるのだろうか。

何度も聞き耳を立てて、呼吸音を確かめる。

外へ出て、懐中電灯で確認しようか。

早くしないと、手遅れになってしまう。

焦りがつのる。

そうだ、パチュン君を起こそう。

携帯電話を掛ければいいだけだ。

chibita2.jpg

呼吸音が規則正しくなった。

聞き覚えのある音。

愛猫チビタのイビキに似ている。

枕元、足下を手探りで探してみたが、チビタはいない。

パソコン前の椅子で寝ているようだ。

覗き込むと、チビタが顔をあげた。

呼吸音も止まった。

大きなイビキをかくチビタは、寝言もよく言う。

「『イブ〜!』と聴こえる寝言は止めてください」とお願いした。

「パチュン家屋敷内・出産事件」は、思い込みの強い私のひとり相撲だった。

あっ!

「ポトン」

鼻水が!

目覚まし時計は、朝4時を少し過ぎていた。

posted by ito-san at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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