2014年05月26日

25年ぶりの日本・名古屋(5)

25年ぶりの名古屋一時帰国を決めると、私の帰国を歓迎するかのようにグッドタイミングな事実がいくつか起こった。

ひとつは、格安航空券のエア・アジアが今年3月から名古屋便を就航させたこと。

クアラルンプール経由だが、名古屋方面の利用者には便利となる。

もうひとつは、クアラルンプールの空港が5月10日に新空港になったこと。

新空港になって具体的に何が良くなったのか理解できていないが、乗客にとってはスムーズに乗降ができればそれでいい。

しかし、出発当日になってトラブっている。

「2度ある事は3度ある」一部の地域で言われている諺だ。

3度目は名古屋滞在中か、と不安が募る。

飛行機が飛び立って、しばらくすると、右端の席にいた女性が窓際にいる彼女の友人の席の横に移動して行った。

運が向いてきたか、椅子3つを独り占め。

バリの神は私を見放していなかったのだ。

他のお客様には申し訳ないが、幸運を享受させていただき、横になって眠らせてもらいことにした。


朝10時32分。

飛行機は、名古屋国際空港セントリアに2時間遅れで着陸した。

空港内に大浴場(銭湯)があるから、セントリアと命名したという噂はない。

セントリアは、常滑沖の埋立地にある。

ここはかつて私がウインドサーフィンをしていた海岸だ。

埋立にあたって、海苔養殖業者との話し合いが長く続いていたのを思い出した。

あいにく窓際の席でなかったため、上空からの景色を見ることはできなかった。

私が日本を発ったのは、1990年5月7日。

今から24年前のことだ。

小牧市にあった名古屋空港だった。

当時はガルーダの直行便が就航していて、バリ島のヌグラ・ライ空港に降り立った。

余談だが、ヌグラ・ライは、タバナン地方の王家の末裔でインドネシア独立戦争の英雄の名前。

空港の正式名称は「イ・グスティ・ヌグラ・ライ空港」だが、実際にはバリ州の州都名デンパサール(DPS)を冠して「デンパサール空港」と呼ばれている。

セントリア空港に降り立った。

バリに長期滞在を始めてから始めての帰国。

「伊藤博史、25年ぶりに戻ってまいりました」

思わず、敬礼しそうになる。

今回は、楽しみ満載の旅になりそうな予感。

イミグレーションの荷物検査カウンターを抜けると、あっけなく表に出てしまった。

歓迎の出口は、感動の対面ができる設計にはなっていない。

それはそうだ、皆がみんな嬉しい対面とは限らない。

それぞれの思いを込めて、出口に向かう。

私の心境は、というと・・・。

誰が迎えに来てくれているかわからない。

それに、2時間遅れの到着だ。

デンパサールの空港からインターネットで、S氏に託したコメントが届いていないかもしれない。

誰も迎えに来ていないことも、考えられる。

2014-ichijikikokujpg

目の前に、知った顔が。

元妻だ。

息子は仕事で迎えに来られないらしい。

そして、初めて会う家族。

息子の嫁と孫だ。

嬉し恥ずかしで、不自然に顔が頬笑んでいる。

話したいこと、聞きたいことは山ほどある。

25年ぶりに対面する元妻には、何から話そうかと考えているうちに「久しぶり! よくわかったね?」が第一声だった。

初めて会う息子の嫁と孫にも「こんにちわ」で終わってしまった。

感動のご対面風景にはならなかったが、私としては感動を押さえての「こんにちわ」だ。

孫の接し方を知らない私は、動揺している。

これから徐々に、理解を深めていこう。

私と同様に、元妻も息子の嫁も、どう挨拶をしようかとすごく緊張していたと、あとから聞いた。


水野さんと多田さんの顔が見えた。

彼らとも久しぶりの再会だ。

「忙しいから迎えはいいよ」言っておいたのに、律儀にも来てくれていた。

今回の一時帰国では、この2人に世話になることが多いだろう。

このあと、水野さん達とは空港で分かれ、家族は長姉との再会を果たすために名古屋市内に向かった。
posted by ito-san at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 名古屋一時帰国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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