2014年08月16日

ギャラリー・BINTANG CENIK(=Small Star)の 開館(61)

私のウブド滞在25年より長く、ウブドに滞在している人物がいる。

鈴木靖峯さん。

1938年生まれ。

空襲を体験した世代だ。

生まれは東京で、戦時中に群馬に疎開。

群馬から修学旅行で訪れた京都を気に入り、のちに住み着く。

西陣帯のデザインを習得するため、丁稚奉公を5年経験している。

その後、七宝焼に手を染める。

工芸家集団のためのクラフト店「手作り峰」を開店。

多趣味多芸の人である。


1978年に初渡バリ。

1980年よりウブドにて長期滞在にはいる。

鈴木さん42才の時だ。

奇しくも、私が滞在を始めた年齢と同じだった。

滞在も年齢も10年ほど先輩だ。

私と同じナホトカ航路での旅行体験者。

今でも、年に一度は、ひと月ほどアジアの国に出かけるほどの旅好き。

そんな自分を「鈴木(スズキ)じゃなく、出ず気(デズキ)です」と、笑えない冗談を言う。

親父ギャグも私と同じレベル。

共通の話題が多く、気の合う先輩である。

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鈴木さんがウブドで最初に手がけたのが、ジンバワン通りの「マタハリ・コテージ」。

露天風呂があると評判になった宿。

実際には、あまり使われることはなかったようだ。

1990年には、スゥエタ通りサクティ地域に「カフェ・ビンタン」をオープンした。

窓から望める両手を広げた幅に、美しいライス・フィールドのある贅沢なロケーションで、多くの観光客が訪れていた。

20年間の賃貸契約が切れ、このたびブントゥーユン村に移転した。

住まいもここに構えている。

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鈴木さんの業績のひとつに、ウブド近辺の幼稚園児、小学生を対象にした絵画作品公募の主催がある。

日本の小学校との交流絵画展を1980年に行ったのをきっかけに、その後、毎年続いている息の長い行事だ。

初期に公募していた児童が成人し、今では、その子供たちが挑戦している。

毎年独立記念日の17日に、優秀作品をインドネシア独立記念式典で表彰する。

もうひとつは、凧揚げ大会(=子供たちによる凧の制作)のスポンサーだ。

子供たちの制作意欲を育てるひと役をかっていたが、一昨年で終了した。

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今年の表彰式は、日にちを繰り上げて12日に行われた。

1980年を第1回として、今年の2014年は第25回となる。

順位を決めず、入賞はバグース(Bagus)、入選をバイク(baik)としたのも鈴木さんらしい配慮だ。

子供たちの描いた絵が飾られるギャラリー「BINTANG CENIK=Small Star 」も完成し、お披露目された。

観光地としての背景の中で、子供たちの技法傾向が変わっていくのが興味深い。

回を重ねるごとに、歴史が作られていくのだろう。

いつまでも、続けて欲しい行事である。

posted by ito-san at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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