2014年10月03日

靴の修繕屋さん@ウブド(68)

バリには、日本では姿を消してしまった “修繕屋” という職業が、今も残っている。

鍋釜、カサ、靴などの修繕屋が、村々を行商して歩く。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機も、修繕して中古店で売っている。

私が、利用するのは『靴の修繕屋』。

タマン村スリウェダリ通りにある露店です。

沿道に道具を広げて半畳のスペースで、軒下商売。

まさに「商売半畳(繁盛)」。

「SUL SEPATU」と書かれているが、これは店名ではないだろう。

SULの意味はわからないが、SEPATUはインドネシア語で靴のこと。

こういう露店は、店名がないのかもしれない。

達磨大師に似たオジさんが座っている。

雨にも負けず、風にも負けず、にだ。

sepatu1.jpg

先日、野球のスパイク・シューズを直してもらった。

自分で、何度も修理をして使っているスパイク。

草野球で投手をした日、もうこれ以上は接着剤では無理だと言うほど剥がれてしまった。

オヤジさんに見せると、3万ルピア(約300円)で直してくれると言う。

あと3ヶ月ほど使うことが出来ればよい。

翌日、受け取りに立ち寄ると、スパイクは太い糸でしっかりと縫い込まれていた。

sepatu4.jpg

「写真撮ってもいいですか?」

いつも仏頂面で怖いイメージがあるオヤジさんの顔が崩れた。

オジさんは、ジャワ島で最もバリ島に近い町バニュワンギ出身だった。

ウブドに来る前は、ジャワ島の各地で “靴の修繕屋” をしてきた。

1977年から、ウブドのこの場所で商いを続けている、と教えてくれた。

私がウブドに滞在始めた1990年には、すでにあったということだ。

「37年間座り続けて、ダルマになっちゃった!」なんて、言ったか言わなかったか。

オヤジさんは冗談を言わない人のようだ。

sepatu2.jpg
sepatu3.jpg

スリウェダリ通りは土の道だった。

ウブド大通りでさえ、敷石だったと言う。

90年代でさえ、雨が降ると道は川になり、ゴム草履が必需品だった。

路肩は泥が残る掘り割りで、飛び越えるのを失敗するとゴム草履が抜けなくなったものだ。

素足の村人も多かった。

大雨の時は、ゴム草履が流されるので手に持って歩いていた。

当時の村人は、どんな履物をはいていたのだろう。

裸足やゴム草履では、商売にならなかったのではないか。

オジさんには、ウブドの人々の足下を37年間見続けている歴史がある。

私は、そんな話を訊きたかった。

残念なことに、私のインドネシア語能力ではそれもかなわない。

すごすごと帰る私でした。

posted by ito-san at 16:44| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
子供の頃、遠くの海辺地帯からアサリを売りに来るおばさんがいました。使い捨てのカミソリがなかった時代にカミソリ研ぎの人も。夏の夕方わらびもちを売るおじさんも。日本にも小さなのんきな商売で充分食べていけた時代がありました。。それから日本の経済がぐんぐん変わっていきましたね。みんな活き活きと豊かに向かっていましたが、ほのぼのとした別の豊かさは失いました。どこの観光地に行かなくても、ウブドの街を歩いているだけでなにかなつかしい感じがしました。修理屋のおじさん、いつまでもがんばってほしいです。古い話で笑われちゃいますね^^;
Posted by mirumama at 2014年10月06日 20:15
mirumamaさん

カミソリ研ぎなんて商売があったんだ。
「ノコギリの目立ち」「カンナ&ノミの刃研ぎ」など、日本にはプロがいましたが、バリ人は自分でやってしまうほど起用です。
「こうもり傘の張り替え」もう、日本にはないんでしょうね?
Posted by ito-san at 2014年10月07日 12:58
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