日本一時帰国と仕入れと癒しにタイに向かった。
戻って来るのは10月4日。
私がコロンビアを出国するのは9月30日。
今回の旅では、もうコロンビアでは会えない。
別れは、昨夜すませた。
この5ヶ月間、ジュンペイさんのコロンビア滞在18年の知識を存分に利用させていただいた。
幸運な出会いに感謝している。
思い残すことが、2つある。
ひとつは、アヤワスカ(Ayawaska)を体験できなかったこと。
アヤワスカは幻覚作用をもたらす植物で、南米の先住民族がシャーマニズムの儀式や民間療法、宗教儀式などに用いている。
吐き気、下痢をして辛いが、体内の毒素を浄化したあとは、心地よいらしい。
怖いもの知らずで体験したかった。
もうひとつは、紙作りの指導に行けなくなったこと。
ボゴタからバスで5時間ほどジャングルに入った、メタ川沿いの村・カブヤロ(Cabuyaro)からオファーが入っていた。
軍が援助している村で、予算が出て招待される予定だった。
現在は、プラタノ(料理用バナナ)の繊維でバッグ・帽子などを作っている村。
プラタノで村おこしをしている。
日程が合わなくなってしまった。
具体的には、10月になるようだ。
この村に、滞在したかった。
『世界ウルルン滞在記・コロンビア|プラタノの村で伊藤博史が出合った!』
なんてのをしたかった。
ジュンペイさんの部屋を辞して、自分の部屋に戻ると、心に浮遊感がおとずれた。
止まり木が、突然なくなった感じがした。
少し心細くなっている。
こんな不安定感を楽しんでいるところが、私の旅なのかもしれない。
リアルな生活が旅的な生き方の私は、いつもこんな気分で生きている。
これって根無し草ってことだよね。
これまでも毎日会っていたわけではない。
2〜3日会わないことも多かった。
近くにいるという安心感があったのだろう。
ボゴタを観光するために、早めに移動することにした。
サレントを27日の深夜バスで出発する。
28、29日とボゴタに滞在して、30日の飛行機に乗る。
ボゴタの宿をネットで調べてみた。
クレジットカードが必要だ。
カードなしで予約できる宿は、携帯電話の番号が必要だった。
私は銀行カードも携帯電話も持っていない。
当日、直接交渉しかない。
残り3週間は、サレントに日本人は私一人だ。
日本語も話さず、スペイン語もできない暮らし。
5月にもジュンペイさんのペルー仕入れの旅で3週間(5月25日〜6月19日)のオンリーワンの経験はある。
※サレントに残される日本人ひとり(27)
今回は、このまま会えないという、ひと味違う滞在になる。
思考が、少しずつウブド滞在に向かい始めている。
取りあえず、悔いの無い旅で終わるようにしよう。