2016年04月16日

僧侶婦人の火葬儀礼@テガランタン村(48)

6ヶ月間の居候生活を終えて、引っ越した。

坂田さんが、4月17日に帰ってくるので明け渡しだ。

居候先の大家(パ・セダン)は、ワルンを経営をしているので、出かけたくない時の食事はここでした。

ガソリンスタンドもランドリーもコンビニも近くにあって、便利な立地だった。

古巣のテガランタン村に舞い戻ったのは、11日。

以前世話になったパチュン家を通り越して、今回は寺院の北・パチュン地域に厄介になる。

厄介先は、現在、慣習村村長の職につく、セナ(sena)氏宅。

いつ旅立つかわからないので、寝袋生活の予定だ。

望みは、サバイバルな生活。

雨露がしのげれば良いと考えている。

にしては、立派な部屋だが。

家財道具がまったくないが、どうしても必要な物しか揃えないつもりでいる。


4月14日、僧侶(プマンク)婦人の火葬儀礼(Plebon)が、テガランタン村で行われた。

聖職者であるプダンダ(高僧)や僧侶は、埋葬することができず、すぐ火葬される。

そんなことで、村長セナ氏と奥さんは、私の引っ越しに気遣っている暇がないほど忙しいかった。

少々寂しい気もしたが、それはジ〜ッと我慢の子。

火葬儀礼は、午後1時から始まるとセナ氏から聞いている。

バラガンジュールの賑やかな音が、聴こえてきた。

午後12時30分、少し早まったようだ。

急いで正装に着替え、部屋を出る。

バデ、ルンブーの神輿は、もう火葬場に向かっていた。

大勢の村人が、集まっていた。

私は、邪魔にならないように、参列者の後ろに立った。


顔見知りのプマンクが、笑みを浮かべて近づいて来た。

25年ぶりの再会。

pemanku.jpg

1991年「居酒屋・影武者」の工事を請け負ってくれた大工の棟梁だ。

どちらも、しっかり年齢を重ねた。

そう言えば、大家セナ氏の父親も「影武者」建築に携わってくれた大工のひとりだ。

セナ氏も大工で、世話になっている。

バリ語のできない私に、片言のインドネシア語で話しかけてくる。

インドネシア語もまともに話せない私との会話は、途切れがち。

それでも、意志が通じるかのように、お互いにニコニコ顔。


ルンブーに火が入った。

Plebon_manku.jpg

プマンクが一言、「◎○△□●▲▽◆×?」。

バリ語かインドネシア語か、どちらにしても理解できない言葉だった。

曖昧に相づちをうった。

私の感では、家族の火葬だと伝わる。


焼き場を離れると、カルタの顔が見えた。

カルタが、プマンクの奥さんの葬儀だと教えてくれた。

お悔やみの言葉をかけなくてはいけなかったのだ。

しかし私は、お悔やみの言葉をインドネシア語で伝えられない。

無作法してしまった。

オカちゃん、パチュン、カポ、知合いの顔がたくさん見える。

「また、お世話になります」心でつぶやく。

目礼して、その場をあとにした。


※火葬儀礼@テガランタン村




posted by ito-san at 17:44| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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