2016年12月03日

奉納舞踊・リベンジである(101)

決めた!

踊ることを決めた。

何日間も悩んだ末の結論だ。

我がセノ家の家寺のオダランが、12月7日にある。

今回は、家寺創設以来の大規模な儀礼を執り行うようだ。

この次は、100年後(バリ歴210日が一年)かも、とセノ氏は言っている。

「奉納舞踊しないのか?」

私が以前、奉納舞踊をしていたことを知っている、まわりの村人が訊いてくる。

住まわせてもらっているのに、村人と同じようにはお手伝いできない。

男性は祭壇作り、女性は供物作りの相互扶助(インドネシア語でゴトンロヨン)をしている。

ゴトンロヨンは、バリの重要な文化だ。

私ができることは、バリ舞踊。

テガランタン村での奉納舞踊は、私の初舞台だった。

初舞台は、最悪の奉納舞踊となった。

その話は「神々に捧げる踊り・第一章 バリ舞踊に挑戦」に書いてあるので読んでください。

20年ぶりのリベンジの意味を含めて承知した。

お面と衣裳の一式は、日本一時帰国(2014年)の折りに日本に持ち帰り、水野さんに預けてある。

もう踊らないと決めたので、水野さんに使ってもらおうと考えていた。

今回、お面を2つ、日本から知人に運んで来てもらった。

踊らないと、固い決意をしたのが16年前。

奉納舞踊は16年ぶりになる。

踊らなくなった理由は、踊れないと感じたからだ。

その時の、気持ちをどこかに書き留めたつもりでいたが、見つからない。

もしかすると思っていただけで、その時の強烈な印象が強く残っていただけなのかもしれない。


Monyer.jpg
写真提供:大原正博(踊り手・itosan)


今、思い出している。

タガスカンギナン村・デサ寺院のオダランが近い。

リノ氏から「トペン、踊らないかと」誘われている。

3度目の奉納舞踊になる予定だ。

オダランの前日、リノ氏の家で下げいことなった。

ガムラン奏者の集まりが悪い。

全員揃わず、クンダン(太鼓)奏者がいなかった。

いよいよ私の音合わせ。

音が掴めず、恐る恐る踊り始める。

リノ氏が横から現れ、「今回は、こんな感じで」と手ほどきをする。

今までにない、振り付けだった。

難しい振り付けだ。

焦った。

私の技量に合わせて教えてよ! と叫びたくなる。

この場でガムランと会わせなければ、本番では立ち往生するだろう。

舞踊が悲惨になることは、目に見えている。

一通りおさらいすると「じゃあ明日」ということになった。

おいお〜い。

バリ人なら、これでOKなんだろうが、私は日本人。

それも、物覚えの悪いオヤジだよ。

「明日は、全員揃うから大丈夫」と言われても。

新しい振り付けを、まったく記憶できないまま、私は帰った。


次の日、私は寺院に行かなかった。

リノ氏の振り付けが覚えられていなければ、今までの踊り方で踊ればいい。

身体が、登校拒否&出社拒否(この表現であってるのかな?)のように動かない。

踊る自信が、まったくなくなっていた。

巧く踊りたいという気持が、ビビらしているのだろうか?

奉納舞踊は、巧く踊る必要はない。

神に捧げる心持ちがあればいいのだ。

そんなことはわかっている。

リノ氏には、あとで「逃げたな!」と言われた。

「風をひいた」と言い訳を伝えたが、逃げたのは確かだった。

これまでは満足に踊れなくても、寺院での舞踊が心地よくてチャレンジを繰り返してきた。

つぎは、もっと心を込めてと思う。

プレッシャーは感じなかった。

今回は、私の奉納舞踊に対する考えが、根底から覆された感がある。

何か得体の知れない物が、私の舞踊に待ったをかけた。

もう一度、バリの文化・宗教・慣習を修得せよ、と言われているようだった。

私は、この日から踊ることを止めた。

その時の気持ちは、今でもうまく説明がつかない。


セナ家のオダランに一役できればと、封印を解いた。

奉納舞踊は、12月7日。

安穏な精神状態で、のぞめたらいいなと思っている。


posted by ito-san at 23:13| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/444572056

この記事へのトラックバック