2017年01月16日

人生の節目は7年、それとも10年?(111)

私がウブドに長期滞在を始めた1990年5月に、見つけたコンクリート製の像。

インドネシアの独立後に、国策のスローガンを具象化したのだろう。

今も立っている、二つの像。


Cukup2.jpg


独立後、人口増加の著しいインドネシアは「子供は二人で充分=Cukup dengan dua orang」の政策を掲げている。

子供は、一女一男が理想的な家族だと、奨励しているようだ。

男の子の掲げる右手の掌は、Vサインではなく二人を現しているのだろう。



merdeka2.jpg


悲願の独立を成し遂げた新興国インドネシアは、国家統一にムルディカ(merdeka=独立)精神をアイデンティティとした。

戦士の像を見ることは多いが、農民の像というのは珍しくないかい。

農民が鍬を持って闘ったのか、それとも、バリの産業を農業と目標としたのか?


時代小説「でれすけ忍者」の冒頭に、こんな文章があった。

『およそ、習い事は7歳をもって始めるのが良いとされている。

人の歳は7の倍で区切る。

14で元服して大人になり、42の厄年で老境に向かう。

7歳は最初の節目、幼児から子供となる年齢だ。』


今年10回目の7の倍で、70歳を迎える。

私は、10歳単位で区切りを考えていたので、ちょっと気になった。

1回目の7の倍から思い起こしてみた。

『温故知新=おんこちしん』

「古きをたずねて新しきを知る」

1959年の伊勢湾台風で流される前まで、我が家の鴨居にかかっていた額に書かれてあった文字。

下町にあった長屋の鴨居にしては、立派な書だった。

何故か、思い出している。


1947年7月25日、6人兄弟の末っ子として名古屋市で生まれる。

1★1954年(7歳)

習い事を始めるのに良い年齢だとされているが、私は幼少の頃より習い事をした経験がない。

2★1961年(14歳)

昔は、この歳で元服して大人の仲間入りをする。

私の時代は中学生の1〜2年で、まだ子供だ。

3★1968年(21歳)

20歳から21歳にかけて、ヨーロッパ&中近東を漫遊。

これは10年の区切りのつもりだったが、7の区切りでもあったのだ。

4★1975年(28歳)&5★1982年(35歳)

25歳から35歳までは、激動の青春だった。

就職・「リサイクルと手作りの店・人畜無害」開店・退社・独立「店舗設計のドゥーイング・スタジオ」

・結婚・「ライブハウス・コマンド」オープン・離婚・「イング・プロダクション」設立

・再婚・養子と、区切りになるイベントは多々あった。

つまらないプライベートを暴露してるが、何年の出来事がまったく覚えていない。

情けない。

これが「ウブドの無責任男」の下地となった前兆だろう。

6★1989年(42歳)

42歳の1990年から、バリ・ウブドで長期滞在に入る。

離婚&厄年もなんのその。

大きな決断をした年だった。

7★1996年(49歳)

「アパ?情報センター」の設立は1995年8月20日。

1997年は、インドネシア通貨危機。

1998年に、スハルト政権32年間の長期独裁に終止符が打たれた。

「ブンブン・カフェ」は、1998年から2006年までの8年間。

微妙にズレてるね。

8★2003年(56歳)&9★2010年(63歳)

クタでの爆弾テロは、2002年。

このあたりの年にも、記憶が無ない。

誰か教えて〜!

10★2017年(70歳)

各節目、何をしていたかまったく思い起こせないが、きっと重要な節目だったような気がする。

どちらにしても、あまり気にしていないということですね。

一年一年を、精一杯生きてるからね。

50歳&60歳と10年の区切りで、アグン山を登った。

今年は取りあえず、70歳のアグン山登頂を目指すことにした。

さて、これからどう生きようかが問題です。

77歳の喜寿には、何をしているかな。

どんな区切りが待っているか。

今から、楽しみだ。


posted by ito-san at 16:24| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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