2014年11月22日

バリ人男性をちょっと考察・その四(82)

暑〜い!

午前11時、部屋の中で32度。

一雨一雨で、日々涼しくなってはきているが、まだ暑い。

風景の緑が濃くなってきているのが、眼に心地よい。


「バリ人男性をちょっと考察」シリーズ。

いつのまにかシリーズになっている。

その壱で、一夫多妻の精神を受け継いだウブドっ子。

その弐で、自由恋愛気質のウブドっ子。

その参では、目立つことを嫌う、とウブドっ子を断定した。

断定は、私がもっとも嫌う行為です。

今、頭を垂れて反省しています。

その壱とその弐を読んで「ウブドっ子に純粋な恋愛はないのか?」と疑問を持たれた方も多いと思う。

いえいえ、そんなことはありません。

彼らは純粋に恋愛をしていますよ。

バリ人男性に嫁いだ日本人女性に、総スカンを受けそうなので、言い訳をしておきます。

しかしである。

恋愛に対する熱が、私の想像するより低いのではないかと感じているのは確かだ。

ウブドっ子の恋愛が、私の考える恋愛とは少々違うのではということを考察してみました。

と書き出してはみたが、えらいことについて書き始めてしまったと後悔している。

満足な恋愛も経験していない私には、荷が重かった。

ワヤン君の結婚式.jpg

※写真はイメージです。
モデルは、アパ?主幹ワヤン君夫妻の結婚式でのツーショット。


ウブドっ子の恋愛感情は、お互いに恋や愛だけでは成り立たない。

なぜなら、ウブドっ子の結婚は、本人同士の意志以外の要素が多分にあるからだ。

そういった意味では、純愛ではないかもしれない。

彼らは、まずは家族の幸せを考える。

恋を貫くことで家族に不幸を及ぼすことをためらう。

血縁家族を重視する彼らの考えに、打算があることは間違いない。

言い切っていいのか、と天の声。

自信がありませんが、私はそう思っている。

だからと言って、いい加減な恋愛をしているわけではない。

恋人同士は付き合いは始めると、両家を訪ねて両親に紹介する。

両親の承諾を得た、潔白な付き合いである。


ウブドっ子は、無意識のうちに、恋愛の終着駅を結婚と考えているところがある。

よくは知らないが、日本人の多くも結婚を前提にして恋愛をする男女が多いらしい。

ウブドっ子は、結婚を前提にしているのではなく、結果的には結婚するんだと承知している。

“ 授かり婚(おめでた婚)” は、そんな意味から大歓迎なのだ。

女性からすれば、計画的な “ できちゃった婚 ” かもしれないが、男たちはそんな策略には気づかない。

もう少し2人の付き合いを続けたいと思っている男性からすれば、だまし討ちだ。

日本人男性なら経済的な理由から計画出産をするところだが、優しいウブドっ子は彼女たちの策略を無条件で受け入れる。

バリ人の場合、妊娠したあとの結婚というパターンがかなり多いようだ。

これは、バリ人が家系のつながりを重視し、子供(父系社会なので、特に男の子)を持つことを重視することからきている。


全てのバリ人は、どこかのバンジャールに関係している。

バンジャールの一員でない人は、バリ人ではないとも言える。

男性は、結婚するとバンジャールの成員となる。

結婚は、家族・親族が認めると同時に、バンジャールの承認を得る必要がある。

家、そして村との共存が、結婚の目的のひとつ。

他の村人との結婚の場合、これは村同士の結婚とも考える。

それは、彼らの信じる宗教と慣習に関係があるようだ。

それらを無視した生活は、考えられない。

バンジャールの関係を怠ると、バリ人の最も重要と考える通過儀礼のひとつである火葬儀礼が遂行されない。

女性は、結婚すると家族の一員になって、毎日供物作りに励む。

村が違えば、方言もあり儀礼の方法も供物の作り方も違ってくる。

肩身の狭い思いをしたくない女性は、同じ村の男性の家に嫁ぐことを望む。

同じバンジャールの男女の結婚が多いのは、そんな理由からだ。


恋愛は自由だが、いざ結婚となるとカーストが問題になってくる。

バリのカーストは、現在、名称と少しの宗教儀礼に残っている。

90%のスドラ層には、あまり問題はないようだが、10%にあたるトリワンサ層の女性はたいへんだ。

称号を持たないスドラ層の女性が称号のあるトリワンサ層の男性に嫁ぐときは「ジェロ」と呼ばれレベルアップする。

逆に、スドラ層の男性に称号のあるトリワンサ層の女性が嫁ぐときは、レベルダウンのイメージがある。

先祖霊が違うことで、嫁ぎ先の家寺でのお参りができなくて、外から悲しげに眺める女性の姿を見たことがある。

女性の心理はまったくわからないが、慣習とは言え、そうやすやすと納得できることでもないだろう。

カーストの束縛はルーズだが、それでも、できることなら同じカーストの人と結婚したいと望んでいる。

幸福は、制約の中でも見つけられる。

家族や親族が反対しても突っ走る恋愛もある。

そんな時は、最後の手段「駆け落ち婚(略奪婚)」という手がある。

村の若者総出で、駆け落ちの手助けをするのがユニークだ。

慣習に従った “駆け落ち婚” をすれば、カーストも貧富の差も問題なくなる。


こんな背景の中で、純愛を貫き通すのは難しいだろう。

戦前の日本にも、バリに似た歴史はあったと聞いている。

バリ人の結婚観も将来は、変化していくはずだ。

それが、良いのか悪いのか、結論を出すのは難しい。

最後にもう一つ付け加えておきます。

バリ人は、プライドが高い民族ということ。

さらにウブドは、称号を持つ階層・トリワンサが多く住み、プライドが高い村人が多い。


中途半端だが、取りあえず書き留めておくことにした。

読みづらい点は、お許しください。
posted by ito-san at 17:00| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月18日

バリ人男性をちょっと考察・その参(81)

ウブドに25年滞在しているが、未だにバリ人を理解できないでいる。

理解できないのは、当然かもしれない。

これは年数の問題ではないだろう。

自分自身のことすらわかっていないのに、他人のことなどわかるはずがないのだ。

人には、それぞれ性格があり、違って当たり前。

十人十色、百人百色、千人千色、人の数だけあると言ってもよいだろう。

実にバラエティ豊かな人間性がある。

文化や習慣、社会構造が違えば、さまざまな価値観が生まれてくる。

挨拶の仕方、感謝の気持ちの表し方、約束の果たし方、ジョークの使い方、友だちとのつき合い方などなど、あげたらきりがない。

バリ島がオランダに領地された時代に形成された、バリ人の性格もあるかもしれない。

環境要因も加わり、また、年とともに性格は顕在化してくる。

ここで言うバリ人は、男性のことです。

女性に関しては “洋の東西を問わず” 、私には不可解な生き物なので始めから除外しています。

成人した男たちは、集落組織・バンジャールの影響が大きいようだ。

環境によって培われた性格や生まれ持った気質が混ざりあって、今のバリ人を作っている。

育って行く過程で形成される性格・人格と言った方が正しいかも。


バリの民族音楽「ガムラン」に、目立たない精神が集約されている。

「ガムラン」には、決まったリーダーがなく、どのパート楽器も重要で、どの一つが欠けても音楽は奏でられない。

コンダクター(指揮)役としてクンダン(太鼓)やガンサ(鍵盤楽器)があるが、これもソロとして目立つ存在ではない。

どれかが目立ってはいけないのだ。

目立ってソロを奏でる者は嫌われため、テクニックを見せびらかすことはしない。

調和が、素晴らしい音楽を創っていく。

すべてが同じ力で演奏されることによって音が調和する。

これは、人間社会の協調性と同じだ。

舞踊も同じだ。

同じレベルで、踊ることが重要である。

技量の優れた人が、他の踊り手の技量に合わせる。

この協調性が、バリ人の性格を形作っている。


彼らは同じような絵を描いたり、同じような商品を作ったり、同じような商売をする。

これも、同じことをすることで他人より目立たないとする、彼らの気持ちの現れだろう。

同じ村で、同じ商品を創っているのも、バリ人のそんな性格が原因のように思われる。

石彫のバトゥブラン、竹細工の村のボナ、銀製品のチュルク、木彫のマス、ウッド・カービングのテガララン、アタ・バッグのトゥガナンなどがそうだ。

バンジャールの活動も協調性が重視される。

ある日本人が「彼らに、創造性が乏しいからだ」と言った。

確かに、そんな一面もあるので反論はできない。



ひとくくりにするのは強引だと思うし、それをバリ人の性格として押し込めてしまうには無謀だろう。

わかっていますって。

ここでは「私が接したウブドっ子の多くはこんな感じでした」と、一塊にしてみることにした。

ウブドっ子は「他人より目立ちたくない・みんなと同じが良い」という考え方を持っている。

よく言えば〈奥ゆかしい〉、悪く言えば〈日和見主義〉。

他人より目立つことを嫌う。

他人と争わない。

他人より抜きんでることが好きではないようだ。

某レストランで、勤続年数も長く勤務態度も良い統率力のある男性に統括主任を任命しようとした。

しかし、彼は「みんなと同じでいい」と断ってきた。

ウブドでは、よく聞く話だ。

バンバン君.jpg

そんな考えが、チョットくつがえされる事件が起きた。

ふらっと入った、プリアタン村にある知人のワルン。

知人はいなかったが、奥さんが店番をしていた。

コピ・バリを注文して、長椅子に腰をおろした。

背中に視線を感じて振り返ったら、そこには見たことのある顔があった。

壁の大きなポスターに、知人の顔が写っていたのだ。

無いはずの前歯が、写真修正で綺麗に揃っている。

何で、こんなものが壁に飾ってあるんだ!

どういう趣味だ!

思わず叫びそうになった私に、奥さんの笑顔が冷静さを取り戻してくれた。

彼は、どちらかというと個性的過ぎて、見方によっては怖い顔だ。

この写真で、顧客が増えるとは想像できない。

それなのに何故?

マデ・ロイ.jpg

サテ・イカンのワルン《マデ・ロイ》の入り口にも、主人の顔写真POPがある。

自分の写真を伸ばして店に飾る神経が、わからない。

〈他人より目立ちたくない〉と言いながら、この矛盾する行為。

バンバンやマデ・ロイさんが、特別の人ではないと思う。

バリ人って、自己愛が強かったのかな。

一層、バリ人が理解し難くなっていったのである。

posted by ito-san at 17:40| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月13日

バリ人男性をちょっと考察・その弐(80)

三日前(10日)、やっとかめに雨が降った。

(注:ゴメン! やっとかめは名古屋弁で久しぶりのことです)

「影武者」に出掛ける夜9時と帰宅の深夜0時に、ささやかな雨が道路を濡らした。

湿った土ホコリの匂いが、鼻腔を懐かしく刺戟する。

雨音が清々しい。

毎日、小降りの雨がある。

連日の猛暑が、ここに来て少し緩んできた。

梅雨の幕開けも近いようだ。


今回は「日本の常識は世界の非常識」の話ではない。

サブタイトルを「ウブドっ子の恋愛は、ゲーム感覚」としておこう。

(ウブドっ子は、ウブド生まれ、ウブド育ちの男性を指します)

これは聞いた話。

海外からのツーリストが訪れるようになった1970年から1980年初頭にかけてのこと。

ウブドには、外国人女性ツーリスト相手に自由恋愛していたウブドっ子が数人いたと言う。

年に数回訪れるツーリストを相手に、恋愛ゴッコをしていた。

サーファーが訪れるクタ村に、まだジゴロのいなかった時代だ。

空港の出発ロビーのガラス越しで「さようなら、また3ヶ月後に合いましょう」と別れの言葉を送った足で、ジゴロは到着ロビーに出て来る彼女を迎えに行く。

ジゴロとは違って、お金目的ではない100パーセントの戯れの恋だ。

ウブドっ子は、定期的に訪れる彼女たちのローテーションに合わせて情を交わした。

飛行便の少なかった時代のこと、旅客機の到着する曜日は決まっていた。

連絡手段が乏しい時代だったが、訪れる日程はおよそ予想がついた。

恋人がニアミスする場面では、仲間たちがかくまったり細工をする。

ウブドの男たちの不文律のように、見事な結束をみせる。

しばしば問題は起こったが、仲間が旨く立ち回って事なきを得ている。

姫子・イン・バリ」著者:有為エンジェル(昭和62年発行)には、そんな時代が映し出されている、興味深い一冊だ。

karta2.jpg
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ワヤン・カルタ君です
(※写真はイメージです。内容とは関係ありません)


1990年初頭に発売された平島幹・著の「ジャングル・ラブ」「タン・ナピ・ナピ」には、二代目ウブドっ子たちのありそうなエピソードが綴られている。

ウブドっ子は、外国人との恋愛に学歴や家柄などのバックボーンをこだわらない。

結果的には、結婚しないだろうと考えているからだろう。

結婚していようが子供いようが、彼女たちから聞かれない限り自分から打ち明けない。

家族ぐるみで、隠すこともある。

彼女たちは、彼を愛して行くうちに、家庭の事情が聞きにくくなる。

開けてビックリの話も多い。

そして、結婚はちゃっかりバリ人としている。

結婚に繋がるバリ人同士の恋愛なら、カーストに気にかける。

外国人はカースト外。

カースト外だから、結婚も容易だということも言える。

ムムム・・・話が旨く繋がらない。

無視して続けます。

こんな自由恋愛気質が、ウブドっ子に代々受け継がれていると考えられる。

お叱りを受けそうなので、私が関わったウブドっ子というお断りをいれておきます。

kopuling.jpg

A・A・コップリン君
(※写真はイメージです。内容とは関係ありません)


ツーリストがウブドを訪れる理由が、まったくわからなかったウブド人。

英語が話せれば自由恋愛ができた。

それは楽しそうに思えた。

旨くすれば、ガイドの仕事にありつける。

1995年頃から日本人ツーリストが増加し、日本語が重宝するようになった。

語学が身を助ける。

1990年初頭、ウブドの若者のサクセス・ストーリーは、外国航路の旅客船スタッフになることだった。

英会話を習得し、なおかつ貯金ができる。

彼らは、船から降りると起業する。

旅客船に乗るサクセス・ストーリーは、今も続いている。

外国人女性との結婚が、サクセス・ストーリーになった時代もあった。

この出世物語は、ウブドっ子の間では崩壊している。


なんか暴露記事みたいになっちゃったね。

まあ、この際だから書いてしまえ。

この際って、なんの際?

言いたかったことは「ウブドっ子は、恋愛ゴッコがお好き!」ということ。

対面での会話だと旨く説明できるのに、文章にすると旨くできない。

説明が不足で誤解を招く恐れが多分にあるが、未熟者のことお許しください。
posted by ito-san at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

バリ人男性をちょっと考察・その壱(79)

暑い暑〜い!

名古屋のVIPがウブドを訪問する3日(10月23日)前から、私の室内の気温が30度を超すようになった。

それまでの室内最高気温は28度。

昨日までの5日間は、正午に直射日光の下に寒暖計を持っていくと50度を超した。

バリの水瓶が干上がりそうだ。

我が家は配水制限で、午前中は断水。

木々の緑は、ホコリっぽく色彩を無くしている。

ヌガラに行く途中の美しいはずの棚田も枯れ果てて、痛々しかった。

すでにウブド近郊の水稲に被害がでている。

そろそろ雨季に入って欲しいかも。

日本が寒い冬の用意をする頃、バリは暑い雨季に入る。

こういうのを諺で「所変われば品変わる」、とは言わない。

そんなことは、私でも知っている。

暑さのせいで、頭がオカシくなったわけではありません。

temperatur-suhu2.jpg

暑さでトロケそうになった脳味噌で、思いついたこと。

まあ、聞いてください。

「国が変われば常識も変わってしまう」という話です。

この常識が厄介者。

日本では常識でも、バリに来ると違ってしまう常識もある。

日本の常識が、世界に通用すると考えている日本人が多い。

「日本の常識は、世界の非常識」と言われることもある。

ほとんど通じないと思って過言ではないだろう。


ウブドで私が最初に泊まった宿は「ロジャース・ホームステイ」。

「極楽通信UBUD/ウブドに沈没・ロジャース・ホームステイ

宿主ロジャーの祖父には、2人の妻がいた。

バリ人で最初に知り合いになったのは、ワヤン・カルタ。

カルタの奥さんの祖父には3人の女性がいた。

「極楽通信UBUD/ウブドに沈没・ワヤン・カルタとの出会い

ウブドの王家、プリアタンの王家には、多くの奥方がいらっしゃる。

一夫多妻は、ウブドでは常識だった。

これ、日本なら驚きの事実ですよね。

バリ人の男女比は、圧倒的に女性の数が多いようです。

男女比が2対1の西部バリのある農村では、男性は2人以上の女性と結婚しなくてはならない掟があるそうだ。

この話を聞いた時にも、驚きだった。

「その村に移住したい!」と、不心得な発言をした日本人男性がいた。

私には、妻が2人いる生活が想像できない。

日本では、第一婦人以外は、妾とか二号と呼ばれる世間から日陰の身になってしまう。

バリ人は家系のつながりを重視し、一夫多妻は血筋を残すという意味でもあるようだ。

結婚したが子供ができない。

この場合、次の妻をメトルことが許される。

これは、バリが家父系社会で、特に男の子を持つことを重視することからきている。

女性にとっては、悲しい現実。

バリにできちゃった婚が多いのは、これが理由のようです。

「できちゃった結婚」というと否定的なニュアンスがあるが、バリ人の場合は「授かり婚(おめでた婚)」と言った方が正しいかもしれませんね。

日本にも『嫁して三年子なきは去る』と言われた暗黙のしきたりが私が幼少の頃まであった(ようだ)。

これは、日本の厳しい現実。


子供は生まれたが、女の子だった。

女の子しか生まれない妻の場合も、男性は次の妻をメトルことができる。

第一婦人、第二婦人・・・・との間で承諾を得られれば、法律上では可能なのだ。

男子を産んだ妻は、第一婦人に格上げされるという。

ブラックマジックは、こうした妻・女性の間で起こる嫉妬対策だと、私は考える。

前記した宿主ロジャーは、一妻の間で娘3人を授かり、4人目で待望の男子が誕生した。

丸坊主になって、男子誕生を祈願したそうだ。

4人目も女性だったらと思うと「清水の舞台から飛び降りるよう」な心境で決断したのだろう。

アルタティック、ユリアティ、ビダニのバリ舞踊家美人三姉妹のグスティ家も、4人目で長男が生まれている。

そうそう、ロジャー家の三姉妹も美人の踊り手さんだ。

(写真:ブログ・agung rai1)

バリ人男性、特に私と交流があったウブド人の場合。

祖父ちゃん&父ちゃんの代まで、奥さんを何人でも娶ることができた時代を体験してきたウブドっ子。

そんなDNAが染み付いたウブドの男たち。

彼らに、妻は一人じゃないといけないという考え方は薄い。

日本では、一夫一妻が常識。

世界の常識が、一夫一妻とは限らない。

ウブド男性と結婚した日本女性に、たびたび不幸な出来事が起こるのは、こんな考え方の違いから生ずることも多い。

とは、言え時代は変わりつつある。

体外受精の手術を受ける家族もある。

子宝が女の子ばかりの場合、養子縁組をすることもある。

ウブドの若者にも、一夫一妻の考え方が主流になってきた。

一夫多妻でも幸せに暮らしている人もいる。

一夫一妻でも、不幸せなカップルはたくさんいる。

この常識、どちらがよいのかは私には答えられない。

なぜならば、私は今、独身だから。
posted by ito-san at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月06日

名古屋からVIP3名がウブド訪問(78)

11月4日、VIP一行がお帰りになりました。

ビップと聞いてエレキバン(磁石入り絆創膏)を連想する人は、私だけでしょうね。

ここで言うVIPとは、重要人物(very important person)のことです。

もちろんご存知ですよね。

手間を取らせてゴメンんなさい。

10月25日から、私の個人的な名古屋のVIP3名がウブドを訪問していた。

そんなわけでブログがアップできなかった、と言い訳しておこう。

VIP2.jpg

まずは空港に、お出迎え(withS田さん)。

入国を待つ間、ロビー立ち飲みKAFEで軽食。

コーヒー・アメリカーノRp33,000-&サンドイッチRp42,000-

トータルRp75,000- たか!

VIP1.jpg

Mさん&K子さんのご到着。

MさんもK子さんも、30年来のお友達。

今年5月(9日から40日間)の《名古屋一時帰国》の折りには、大変お世話になっている。

誠心誠意、おもてなししなくてはいけない。

Y祐君は28日に到着(withS田さん)。


今回のミッションは、この3人をスアラ・アグンのジェゴグにご案内すること。

10名以上の申込がないとキャンセルになってしまう。

ず〜とキャンセルが続いているので、心配だった。

長期滞在組のM子さん、S田さん、T木さんが参加してくれた。

ほとんど仮名になっていませんが、悪しからず。

ウブドからアパ?のお客様を含めて4名が加わり、かろうじて遂行人数に達した。

自腹を切ってでもVIP3名に鑑賞して欲しかったので、幸運だった。

30日に行きましたよ、3時間かけてヌガラまで。

VIP3.jpg
VIP4.jpg

全員、楽しんでいたきました。

私にとっても10数年ぶりのヌガラでのジェゴグ

25年前を思い起こしながら・・・・。


もうひとつ重要な任務がある。

Mさんを無事に帰国させることだ。

病気がちのMさんは、7年ぶりのウブド訪問。

バリで透析が可能になっての念願の渡バリ。

ウブドを熱愛する気持ちが痛いほどわかるだけに、なんとか実現して欲しかった。

命がけの渡バリも何事もなく過ごすことができて、一安心。

ウブド訪問に、再び拍車がかかることが眼に見えるようだ。


K子さんは、6月に1週間の初ウブド訪問を果たしている。

29日の誕生日には、猿のヌイグルミを着て「日本料理店・影武者」に登場(するつもりだったようだ)。

交わす言葉は少なかったが、私の生き方を理解してくれていると信じている。


Y祐君は、10年ぶりのウブド。

3日間、私の部屋で寝食をともした。

積もる話は、尽きない。

少しずつ、空白の時間が埋まっていくようで嬉しい。

血の繋がっている息子がいることに、少しずつ心の安らぎを感じ始めている。

安心して、コロンビアへ旅立てる気がする。


結果的には、誠心誠意のおもてなしはS田さんを中心に、T木さん、M子さんが進んで引き受けてくれた。

名古屋のVIP3名は三人三様、それぞれの心に秘めるものを持って帰って行ったようだ。

posted by ito-san at 16:56| Comment(3) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月24日

あったらいいな “深夜食堂” @ウブド(77)

「料理が出来るようにならなくっちゃ」

私の戯言を聞いていたウブド・リピーターのAさん。

日本のテレビ番組をUSBから私のパソコンに入れてくれた。


番組名は「深夜食堂」。

夜12時から翌朝7時まで開店している食堂の話。

こちらも「孤独のグルメ」と同様、低予算の番組だ。

「孤独のグルメ」が既存の店を取材するのに対して、「深夜食堂」は架空の店。

スタジオ内のセットで撮影が行われているようだから、「孤独のグルメ」よりはお金がかかっているのかもしれない。

それとも私が知らないだけで、屋外での撮影の方がお金がかかるのかな。

内容は、わかりやすい。

一つの料理にまつわる話に絡めて、繰り広げられる物語。

御涙頂戴。

そして、ハーッピーエンド。

料理を一品覚えられるのが嬉しい。

リピーターのAさんの意図は、ここにある。

視聴率は高いらしい。

ある意味で「お見事な仕事」だとも言える。

やっぱりこれを観て「日本って平和だな」と国民は勘違いさせられるんだよな。


他ごとをしながら観られるのがよい。

第二十話まで観た。

人口数百人の町で、食堂はここしなないのか、と思うほど密度の濃い偶然が重なる。

「ありえな〜い!」と叫びたいほどのありえなさだ。

こんな風に偶然が重なる物語を人前に発表することが許されるなら、脚本家は楽だろうな。

テロップで「この物語はフィクションです」と出るが、あたりまえだろう。

どこにこんな実話があるってんだい。

言葉が、べらんめい調になっちまったよ。

薄っぺらな人間模様も、単細胞の私にはいい。

30分番組で一編の物語を完結するんだから、大雑把にハショルのもしかだがない。

不幸な娘たちは、いずれもモデルか女優さんになれるほどの美人揃いなのも、ありえない。

こんなに美人なら、暗い過去があっても、恋人はすぐに見つかるだろう。

私が立候補したいくらいだ。

テレビの中の話に、真剣に反応する自分が怖い。

今、気がついたが、年を重ねるととものに物事を素直に見られなくなってきた。

偏屈になってきたかもしれない。



私の「孤独のグルメ・ウブド編」です。
ベスト6件の残り3件です。


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《ワルン・ビアビア=Warung Biah-Biah》のナシチャンプール


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《ワルン・ケレウー=Warung Kereuu》のフーヨンハイ


Taman1.jpg
Taman2.jpg

《ワルン・タマン=Warung Taman》のクゥエティオ

私のお気に入りのお店を紹介させて頂きました。

ご利用ください。

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2014年10月22日

孤独のグルメ・ウブド編(76)

ウブド・リピーターのAさんが、日本のテレビ番組をUSBから私のパソコンに入れてくれた。

「主人公が伊藤さんと同じインテリア・デザイナーだったので、興味あるかなと思って」と言いながら。

主人公の井の頭五郎は、インテリア雑貨を扱う貿易商という設定。

私は、元店舗デザイナーです。


「孤独のグルメ」を観て。

第一感想は、こういう物語がテレビドラマになるんだ、だった。

仕事の途中、降り立った町で見つけた食堂に入る。

食べるをテーマに、食堂を紹介する。

この内容で30分番組が仕上がり、視聴率が高いとは驚愕だ。

視聴者は、きっとサラリーマンなんだろうな。

制作費が低予算なのは理解できる。

時代は低予算番組しか作らせてくれない。

安価な制作費を求められる苦肉の策。

それにしては頑張っている仕事だ。


次に感じたことは。

こういうナルイTVを観て「日本って平和だな」と国民は勘違いさせられるんだ、だった。

勘違いの平和ボケしているうちに、日本って国は大変な方向へ傾いていることに気がつかない。

視聴者が頭を使わない番組を流して、ボケ人間にしていく。

この番組から何を吸収すればいいのか。

単に、情報提供の番組なのかな。


そんな所感を持ちながら、シーズン4まで観た。

カリスマ・シェフじゃなくて、普通に美味しい店の紹介というのがよかった。

匂いが伝わらないのが残念だが、食事のシーンは平和でいい。

食べ物を食べてのコメントが少ない。

「美味しい」「旨い」としか言わない。

味について評論をしないのがよろしい。

この番組、セリフが少ないので台本家は苦労するだろうな。

だからしょうもない「おやじギャグ」でお茶を濁す。

私が使えば「おやじギャグ」と一刀両断される駄洒落の連発。

気になったのは、子供には見せられない下品な食べ方だ。

まだ口に食べ物が残っているのに、汁物かお茶で流し込んでしまう。

平皿を手に、箸で送り込む。

忙しい飯場仕事のオヤジじゃないんだから。

「人のふり見て我がふり直せ」と教えられる場面でもある。

難点もあるが、気負わず観られた。

リピーターのAさん、ありがとう。

こうして私の思考回路がボケていくのであった。



私の「孤独のグルメ・ウブド編」です。

ベスト6件を選んでみました。

まずは3件。


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《和るん・あんかさ》のカルボナーラ


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Sari Rasa2.jpg

《ワルン・サリ・ラサ=Warung Sari Rasa》のナシゴレン


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《ワルン・マンガ・マドゥ=Warung Mangga Madu》のカレーアヤム

次回は、残り3軒を紹介します。
ご期待ください。


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2014年10月18日

ルシ・マルカンディア@グヌン・ルバ寺院(75)

10月15日(水)

3日間、連チャンでグヌン・ルバ寺院詣で。

今宵の奉納舞踊は「ルシ・マルカンディア物語」。

ウブドゆかりの歴史上の人物「ルシ・マルカンディア」。

1200年前、この地にルシ・マルカンディアが立ち寄ったと言う事実がある。


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「ルシ・マルカンディア」の彫像は、以前、ジャボ・トゥンガー(中庭)にあったが、新装になってからはジェロアン(奥庭)の祭壇前に安置されている。


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8時開演の予定は、お約束通り10時に始まり。

おかげで、1時間待ちの参拝も余裕で参加できた。

15人ほどの高僧プダンダとその奥方とウブド王族との記念写真に、お祈りの時間が少し取られたことを記しておきます。

怒っているわけではありません。

微笑ましい場面が見学できた。


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奉納舞踊は、バリ語のセリフでさっぱり理解できないが、クデワタン、アユン、パヨガン、チャンプアン、グヌン・ルバなどなど聞き慣れた単語が聞こえてくる。

歴史的なことはわかっているつもりなので粗筋はつかめる。

粗筋については、アパ?のホームページ「高僧ルシ・マルカンディア(Rsi Markandeya)」を御覧下さい。

だから、ここでは説明しない。


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この舞踊は、昨年のアートフェスティバルに発表したものらしい。

昨晩まで、ウブド・サレン王宮で仕上げの練習に励んでいました。


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出演者は50人を越えていただろう。

全員が容姿も踊りも美しい。

踊り子さんの層の厚さに驚きでした。

「ウブドの踊り手の層が厚いのは、定期公演の会場が多いからだ」との説を解いた知人がいた。

出演のチャンスが多いから、彼女たちのレベルがアップするという理由だ。


1時間30分の上演に大満足。
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2014年10月17日

ナンディール@グヌン・ルバ寺院(74)

10月14日(火)

今宵の芸能は「ナンディール=Nandir」。

タロ村のグループが奉納する。


“ナンディール” という踊りは、コリン・マクフィー(1901〜1964)著「A HOUSE IN BALI(1964年出版)」に出て来る。

マクフィーの1931年から1938年までの通算5年間のバリ滞在の話が、彼の敏感な観察力によってまとめられた本だ。
サヤン村出身のサンピ少年の親代わりとなって、プリアタン村の楽団(現グヌン・サリ)の人気踊り手に育て上げる話なども興味深い。

80年も前の話だが、現在のバリにも通じる事柄が多く、バリ好きには必読本ですか。

「A HOUSE IN BALI」は英語版。

私はもちろん、日本語訳・大竹昭子「熱帯の旅人・バリ島音楽紀行(1990年)」で読んでいる。

「アパ?情報センター」ホームページの「バリ関係・推薦本」に紹介されています。

“ナンディール”とは「レゴンと同じ踊りを男の子が踊るものです。今はもう観られませんが、昔はよく、男の子が女の子の踊りを踊ったものなんです」とある。

原文には「It is no longer danced. It was the origin of legong. Boys took the part of girls then more often then now.」と書かれてある。

そして、用語解説には「少年たちが女装して踊る宮廷舞踊で、レゴンの前身。のちにこれが少女によって踊られるようになりレゴンに発展した」と説明されている。

宮廷舞踊はいつの時代からか奉納舞踊となるが、それ以前、寺院内での奉納舞踊の演者はすべて男性だったと聞いている。


“ナンディール” は、グヌン・ルバ寺院から尾根伝いに北上したタロ村に伝承されている。

タロ村は、ルシ・マルカンディアが拓いた歴史は古い村。

1996年に、一度チャーターしたことがある。

Pura Agung Gunung Raungの横にあるワンティランで披露していただいた。

少年によって踊られると信じて疑っていなかったが、現実は厳しく、踊子は少女だった。

衣装から判断するに、男性と女性によるカップル舞踊のようだ。

「男子の踊り手が見つからないのですよ。恥ずかしがっちゃってね」村人が内情を説明してくれた。

本来なら、どちらも男性が演じるということだろうか?

はてはて “ナンディール” は、どんな内容の舞踊なんだろう。

振り付け&衣装は、現在観られる女性舞踊の形態を外していない。

救われたのは、演奏に使われたガムランが、タロ村に500年前から伝わるスマル・プグリンガンだったということ。

スリンを活用した曲調は、山あいの村に響き渡り、それはそれは感動的だった。

数年後、ホテル・イバで行われたイベントで “ナンディール” が公演された。

踊り手はひとり。

お年寄りの男性だった。

しなやかな踊り手は、途中、倒れて担がれていった。

最後の男性踊り手だったそうだ。


さて今宵の “ナンディール” は、いにしえを彷彿(ほうふつ)とさせてくれるだろうか?

7時開演予定の奉納芸能は、いつものように8時を廻って始まった。

会場はジャボ(外庭)だ。

昨夜の人出が嘘のように、参拝者は少なかった。


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準備中の踊子さんたち。


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タロ村で鑑賞した“ナンディール” の踊り手は2人だった。

今宵は、3組の6人。

団体舞踊になったのかな。


Nandir3.jpg

お祈りを終えた村人が退場して来て混雑。

踊りにくそうで可哀想。

さてさて 今宵の “ナンディール” だが 。

団体演技の豪華版だった。

勉強不足で、この舞踊のイメージがつかめない。

もしかすると、物語になっていないのかもしれない。

まあ、それはそれでよしだ。

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2014年10月16日

チャロナラン舞踊劇@グヌン・ルバ寺院(73)

10月13日(月)

グヌン・ルバ(Pura Gunung Lebah)寺院のオダランが続いている。

8世紀に「ルシ・マルカンディア」が建立したと言われるウブド起源の寺院。

拡張・修復工事が長引いて、ウク暦で4年ぶり(西暦で約2年)に行われるオダラン。

通常なら3日から7日間ほどのオダランだが、今回は新装のため9月27日から10月20日までと大規模になっている。

大混雑が予想され、私は未だに寺院には行っていない。

現金な奴で、今宵「チャロナラン舞踊劇」が奉納されると聞いて、いそいそと出かけた。

ご存知の方も多いかと思いますが、私、チャロナラン舞踊劇に眼がないのです。


行列Gunung Lebah1.jpg

夜10時到着。

今日が特別かもしれないが、寺院に渡る橋の手前から参拝の村人で大混雑。

寺院内の映像がスクリーンに映し出されている。


学校Gunung Lebah2.jpg

チャンプアン橋のたもとにある高等学校の校庭は、儀礼場とワルン棟に明け渡し、夜にはギャンブルが開帳される。

オダラン期間中、短縮授業になっているようだ。


落合Gunung Lebah3.jpg

チャンプアンの語源である、川が交わる場所。


豪華Gunung Lebah4.jpg

修復されたグヌン・ルバ寺院は、煌びやかに変身していた。

彫刻類も一段と細密になり、豪華さを増している。

バリの経済成長を窺い知ることができる。

今後、観光地ウブドの目玉としての役割を担うことになりそうだ。


踊子Gunung Lebah5.jpg
バロンGunung Lebah6.jpg

チャロナラン舞踊劇は始まっていた。

会場のジャボ(外庭)には人が溢れ、入場は容易ではない。

ジェロアン(奥庭)は、お祈りの村人でいっぱい。

入場するのはあきらめた。

私はジャボ・トゥンガー(中庭)の隅に腰を下ろして、静観することにした。

0時を廻って、私はジェロアンに入った。

50体ほどのススオナン(バロンランダ)が、ジェロアンを囲うように安置してある。

お祈りを済ませ、寺院をあとにした。

奉納芸能は、翌朝6時まで続いたそうだ。

posted by ito-san at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする