2014年10月15日

サーカスブリッジ@ニュークニン村(72)

サーカスブリッジってご存知ですか?

その昔。

昔と言っても、私が訪れた1990年にはあったという話。

ニュークニン村とシンガクルタ(Singakerta)村を結ぶ橋。

今、当然のように通行している橋は、1997年2月の完成。

バリで始めてのS字型架橋だそうです。

このS字型架橋が完成する前は、渓谷に下りて、岩と岩とを繋いだ竹の橋を渡っていた。

それが「サーカス・ブリッジ」と呼ばれた橋だ。

ツーリストは「bali path finder」を頼りに歩いた。

私は日本語訳小冊子「バリ島・海のない村へ」を役立たせていただいた。

ウブド西チャンプアン橋を越えて、ペネスタナン村からシンガクルタ村へ。

シンガクルタ村から「サーカス・ブリッジ」を渡りニュークニン村へ。

ニュークニン村からモンキーフォレストを抜けてウブドに戻る、およそ2時間30分の散策コース。

「サーカス・ブリッジ」は、大人ひとりが通るのにやっとの橋で、自転車は担いで渡る。

橋のたもとは、村人のマンディ場。

巨大な岩の間で小エビを採る子供たちの姿も見られた。

渓谷にホテルがオープンして、マンディする村人が減った。


久しぶりに「サーカス・ブリッジ」のあったあたりを散策してみよう。

まずは、ニュークニン村側から降りてみます。

S字型ブリッジが出来る前は、ニュークニン村南端の雑木林だった。

そこを切り拓いて橋を架けた。

「日本料理店・影武者」からS字ブリッジに向かう。

ホテル「バリ・スピリット」とブリッジの間にある小道を辿っていく。

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ブリッジの下に出る。


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ニュークニン村側からのマンディ場。

写真の中央あたりに「サーカス・ブリッジ」はあったはず。

ちょっと記憶が曖昧。

左上の流木を覚えておいてください。

のちほど、シンガクルタ村側からの写真で、「サーカス・ブリッジ」のあった位置を検証(使い方可笑しいけど許してください)できます。

戻り道、地元のオジイさんと遭遇した。

首にタオルを巻いていたので、マンディに行くのだろう。

「スラマッ・ソレ」挨拶をすると、「どこへ行って来た」と訊かれた。

「竹の橋があったとところを見に」と答えると、「昔はよかったな」とつぶやいて降りていった。

杖を片手にしたオジイさんの脳裏に、今のニュークニン村はどう写っているのだろか。

言葉ができれば、聴きたかった。



シンガクルタ村側からは、村はずれの突き当たりに、渓谷に降りられる小道があった。

今は、ホテル「LABAK RIVER HOTEL」横のコンクリート階段になっている。

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目印は、入口の祠。


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階段は60段ほど。


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マンディ場。

左上の流木が、ニュークニン村側4番目の写真に見られたと同じ流木。


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写真の手前が、竹の橋が架かっていた場所のはず。

こちらの方は、記憶がはっきりしている。

サーカス・ブリッジが、映像となって瞼の裏に浮かんだ。

写真が残っていなくて残念。


あなたも心地よい川風を感じてみませんか?

「日本料理店・影武者」にお寄りの際は、ちょっと足を伸ばしてみるのも良いのでは。

こちらも、昼間に限りますがね。

ベジ寺院ニュークニン村のオダラン(71)と同じ〆でゴメン。

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2014年10月11日

ベジ寺院ニュークニン村のオダラン(71)

「日本料理店・影武者」のブロック塀の向こう側が気になっていた。

豊富な緑で、何があるのか皆目見当がつかない。

覗いても何も見えない。

谷になっているはずだが、“妖気” な気は流れていない。

どちらかと言えば、“陽気” で清々しい空気が漂っているように感じる。

気がかり解消に、探索に出かけることにした。


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「影武者」のある通りに、バンジャール寺院と並んでLPD(村銀行)の建物がある。

もう皆さんは「影武者」の位置をご存知だと思いますので、道順の詳細は省かさせていただきます。

LPDの横にある幅1メートル弱の道を入って行けば「影武者」の裏に続くだろう。

ほかに道はない。

道には「ガング・ニュー・ペレット=Gg NYUH PELET」という名前がついていた。

ガング(Gang)は、小道の意味。


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LPDの裏には、一本の木にクルクルが吊られていた。

その向こうに、寺院が見える。

寺院に沿って右手におりて行く。

正装の男衆が数人、階段に腰を下ろして雑談している姿が見える。

前を通り過ぎようとすると「どこに住んでる?」といきなりの質問。

私を見知っている男性がいたようだ。

「テガランタン村です」と答えてから、この寺院の名前を訊ねた。

ニュークニン村のベジ寺院(Pura Beji)。

湧き水のある寺院だった。

寺院で使われる聖水は、ここから運ばれる。

ススオナン(ご神体)を清める寺院でもある。

たいていの村にベジ寺院はあるが、ニュークニン村のベジ寺院は広くて立派だ。


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オダラン(寺院祭礼)の飾り付けが施されていた。

中を覗くと、プマンク(僧侶)と正装の婦人たちの姿が見える。

寺院内は、村人のいちずな信仰心を受け入れるためのクリアーな空間だ。

「影武者」から感じた清々しさは、これかもしれない。


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階段をさらに奥へ進んで行く。

ここにも、お祈りしている一団がいた。

老樹の前に供物が捧げられている。

ちょうどこのあたりが「影武者」のブロック塀の向こう側になるはずだ。

ひと月ほど前になるが・・・・

深夜「日本料理店・影武者」にいる時、大樹の裂ける音に続いて屋根瓦の割れる音が聞こえたことがあった。

その音の正体は、これだったのだ。

今日は、そのムチャル(悪霊除けの儀礼)をしているのかもしれない。

婦人に尋ねると、やはりムチャルだった。

明日8日に始まるオダラン前にすませるのだ。

ベジ寺院ニュークニンのオダランは、ウク歴の1番目の週・Sinta-Rabu(水)-Kliwonの日に行われる。

この日は、パガルウェシ(Hari Pagerwesi)の祭礼日でもある。

おまけに、満月と重なった。

「影武者」が移転して始めてのベジ寺院ニュークニンのオダラン。

オダランは2日間続き、夜な夜なガムランの響きを「影武者」で聴く事が出来た。


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湧き水は、奥の一番低いところにあった。


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寺院台所の横に、土道があるので登ってみた。

すぐに、民家の庭に入ってしまう。

民家を避けて左折すると、住宅がガングでツナガレていた。


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ガングを抜けると、寺院の裏手に出た。

こちらから廻るコースでもよいわけだ。

今、廻ったエリアが「影武者」の裏の景色になるのだろう。

爽やかな風が、心地よく流れている場所だった。

15分ほどの、小さな探検。

心地よい風を感じてみませんか?

「日本料理店・影武者」にお寄りの際は、ちょっと足を伸ばしてみるのも良いのでは。

昼間に限りますがね。


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2014年10月09日

スバトゥ村のムルカット(70)

ウク歴の30番目の週・Watugunung-saniscara(土)-umanisは、学問、芸能を司るデウィ・サラスワティ(Hari Suci Saraswati)を祈る日。

今年は、3月8日と10月4日にあたった。

翌日は、バニュ・ピナロ(Hari Banyu Pinaruh)の祭礼日。

この日は、前日のデウィ・サラスワティの恩恵を受けるため、沐浴をして身体を浄める日。

海、川、滝、湧き水、どこの沐浴場もバリ人で混雑する。

私はヒンドゥー教徒じゃないので、沐浴をするなら混雑を避けたいと思っている。


ウブド近郊には、タンパクシリン村ティルタ・ウンプル寺院の沐浴場が有名だ。

バニュ・ピナロ祭礼日以外にも、満月、暗月には多くの人が訪れる。

スバトゥ(Sebatu)村には、タンパクシリン村にある遺跡グヌン・カウィと同じ名前のついた寺院に沐浴場がある。

どうして同じ名前なのかは、わかっていない。

不思議なのは、グヌン・カウィ寺院がティルタ・ウンプル寺院とよく似た形態の聖なる沐浴場を持っていることだ。

そして、どちらも聖なる沐浴場を持っている。

やはり、なにか関係があるのだろうか?

グヌン・カウィ寺院の沐浴場は、バリ人に密かに人気で一度訪れてみたいと思っていた。

近々、そこでムルカット(melukat)をしようと目論んでいる。

実はわたくし、沐浴はあちらこちらでしているのですが、ムルカットは未経験なんですよ。

ムルカットとは、お祈り前の清めのマンディ=Mandi(水浴び)より、ひとランク、アップした儀礼性の強いバリ人には欠かせない心身浄化の沐浴のこと。

スバトゥ村は、テガララン村の観光スポットであるライステラスを右手にして北上を続け、しばらくして幹線道路を右手に避けた道沿いにある村。

道路が渋滞していなければ、車で30分以内で到着できる距離だ。

この村からタンパクシリン村に通じる山深い道は、ドライブに適した美しい景色が続く。


3日の夜、「アパ?情報センター」のワヤン君から連絡が入った。

「明日4日、スバトゥ村へ “ムルカット” に行きます。一緒に行きますか?」と誘いの電話だった。

グヌン・カウィ寺院ではなく、2007年からムルカットできるようになった人気上昇中の沐浴場だそうだ。

私は、アパ?のムルカット・ツアーに参加させてもらうことにした。

人気の沐浴場は、グヌン・カウイ寺院から5キロほど離れたスバトゥ村の外れにある。

バリの正装で訪れます。

履物は濡れてもよい物、私はラバーサンダル(ゴム草履)で。

正装のまま沐浴するので、タオルと着替えが必要です。

カメラも持って行きましょう。


では、順を追って写真で説明して行きます。


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入口にある看板。駐車場有りです。


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この狭い道を入ります。


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入るとすぐに、急な階段が足下に見える。
その向こうは、鬱蒼とした森が広がる。


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標高差が約100メートル。
一段が25センチとすると階段の数は250段か。
下りはヨイヨイ、きっと上りはキツイよ。
ビューティフルな風景を眺める余裕もなくなる。


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途中にある泉。


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「LEBIH INDAH TANPA PLASTIK=プラスチックが無い方が美しい」の看板が嬉しい。


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沐浴する前にお祈りする祠。
ケペン(中国古銭)の入ったクワンゲン(Kewangen)が必要。
クワンゲンは、オンカラ(ongkara)の形をした供花。
オンカラは、三大神(トリムルティ=Trimurti)であるシワ神・ウィスヌ神・ブラフマ神を図像化したものらしい。
注意:クワンゲンは、沐浴時に必要なので置いてこないこと。


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沐浴場への入り口。
他の人が履物を脱いでいるので、それにならって素足になる。
水底の砂利で足裏が痛くなる。


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いよいよ沐浴場。クワンゲンを手に右から順に3カ所で沐浴。
岩にもたれて滝に打たれる。この時、クワンゲンは手を離れてしまう。
無心になるまで水に打たれましょう。水は意外と暖かかった。


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沐浴あとのお祈り。
今日のお祈りも、私は「宇宙・地球・生きとし生ける物の平穏」だ。


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受付場:中国古銭をここで購入して、ドネーションを納める。
貴重品を預かってくれます
男女混合着替所:肩までの壁があるだけの着替所です。容易に着替えられる工夫をしてきた方がよろしいようで。
奥にトイレ:混雑する時はトイレ奥の道が戻り道となる。


感想はあえて書かないでおきました。

未熟な表現で、折角のムルカットの良さが伝わらないのが怖いから。

自分自身で体験してみてください。

それが一番です。

沐浴には諸々の決まりがあるので、当地に詳しいガイドを伴ったほうがよいでしょう。

例えば「アパ?情報センター」のような。


※極楽通信:56「厄年とムルカット」筆者・田口光、も面白いので一読ください。
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2014年10月06日

ウブドの飲食店について考える(69)

やあ〜、大袈裟なタイトルを付けてしまいました。

気になっていたのでテーマにしてみましたが、私には荷が重すぎたようです。

従って、内容はたいしたことありません。

料理について&接客については門外漢なので、専門分野である店舗デザインに絞って考えてみました。

まったくまとまりがない文章になってしまいましたが、私が何を言いたいかをお汲み取りください。

なんて、言い訳しながら書いています。


近頃、ウブドの土地柄を無視した飲食店を見かけることが多くなった気がしている。

ウブドは飲食店が苦戦をする土地のようです。

「マクドナルド」がマーケティングをして出店を見送った場所。

ダンキンドーナッツは、一年ももたず撤退した。

「ケンタッキー・フライドチキン」も「ピザ・ハット」も出店してない。

「スターバックス」でさえ、苦戦しているようだ。

バリ南部から有名店の進出も、順調ではない。

州都デンパサールには、ジャカルタ資本のファミリー・レストラン・チェーンが進出し繁盛しているらしいが、ウブドには1店舗もない。

デンパサールは地元の人が顧客になるが、ウブドではツーリストをターゲットにする必要がある。

ツーリストが見向きもしない店はつぶれるのだ。


モンキーフォレスト通りにある「レストラン・グリーン・ハウス」は、好立地に関わらず客足が悪い。

病院&結婚式場と見間違えそうなほど、寒々とした白壁の建物が理由だろうか?

大きな原因はガラス張りにあると、私は考える。

ピクチャーウインドーは、モダンな雰囲気を醸し出すかもしれなが閉塞感がある。

ウブドにお越しのお客様は、それをお望みでないのだ。

開放的な雰囲気の村に、なぜ、ガラスで囲って閉鎖的にしてしまうのか?

ウブドの魅力は、ヒューマンウオッチング。

道行く人が手の届く範囲にいること。

この一体感が嬉しいのだ。

オープンして数ヶ月後、ガラスを外し、茶色を基調とした外観にリニューアルした。

リニューアル後、集客は良い方向に向かった。

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ウブドの老舗レストラン「アリーズ・ワルン」が、この頃、閉まっているのが気になっている。

旧店舗の時代は、人気レストランだった。

グレイカラーを基調に、無機質なデザインの新店舗に移ってから業績が上がらなかったようだ。

“さては閉店か?”

姉妹店「ビーテル・ナッツ」も閉店している。

アリーズの失敗は、何か?

「アリーズ・ワルン」も「ビーテル・ナッツ」も、都会人には珍しくないデザインだった。

都会的ノウハウは、ウブドには役に立たないとうことなんです。

ウブドは、一癖ある特殊な商圏かもしれない。

ウブドにはウブドの商売のやり方があるようだ。

料理の味が不味くないことは最低条件で、美味しいのは必須条件。

必要条件は、ウブドの土地柄を加味すること。


いったい土地柄とは何か?

それがウブドの人気の秘密でもある。

それでは、人気の秘密とは?

私が思うには、文化に溢れた田舎だということ。

そして、都会人が求める田舎。

ウブドを訪れるツーリストが求めているものは、地・水・火・風・空気の五大要素が感じられるところだ。

クーラーはつけない方がいいに決まっている。

自然が豊富に残っていれば、暑さは避けられる。

そのために、天井を高くしている。

そして、オープンにしている。

開放的なのは、この街が安全なことを物語っている。

私の見解では、ウブドに滞在する外国人は都会を熟知している人だということ。

退廃的な歓楽街は好きではない。

欲望の文化を被せた流行のデザインも嫌いだ。

内容の伴わない上辺だけの虚飾・みえの文化はすでに飽きている。

ウブドに都会的モダンを持ち込んでも見向きもされないのは、こういうことだ。

独創性はいらない、普通がいい。

憩いの場、安らぎが欲しいだけ。

“原点への回帰” がウブドを訪れるツーリストのニーズだろう。

これは私の願望であって、妄想かもしれない。

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写真:上から「Pundi-pundi」「The Pond」「Kagemusha」

ウブドは今、大きな問題を抱えている。

それは、町の発展に伴って波及する騒音と排ガスの問題だ。

この問題に対処するため、エアコン設備の整ったガラス張りの店が増えるだろう。

そうなればウブドは、人気の秘密とかけ離れた発展をしていくことになる。

オシャレな町にはなるだろうが、それはどこにでもある平凡な町になってしまう。

ツーリストが求める町が、姿を消してしまうのが心配だ。

手遅れになる前に、手段をこうじて欲しい。

出来ないとは思わない。

言いたいことが旨く文章にならないのに、かってなことを綴ってしまってゴメンなさい。(反省)

posted by ito-san at 17:45| Comment(4) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月03日

靴の修繕屋さん@ウブド(68)

バリには、日本では姿を消してしまった “修繕屋” という職業が、今も残っている。

鍋釜、カサ、靴などの修繕屋が、村々を行商して歩く。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機も、修繕して中古店で売っている。

私が、利用するのは『靴の修繕屋』。

タマン村スリウェダリ通りにある露店です。

沿道に道具を広げて半畳のスペースで、軒下商売。

まさに「商売半畳(繁盛)」。

「SUL SEPATU」と書かれているが、これは店名ではないだろう。

SULの意味はわからないが、SEPATUはインドネシア語で靴のこと。

こういう露店は、店名がないのかもしれない。

達磨大師に似たオジさんが座っている。

雨にも負けず、風にも負けず、にだ。

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先日、野球のスパイク・シューズを直してもらった。

自分で、何度も修理をして使っているスパイク。

草野球で投手をした日、もうこれ以上は接着剤では無理だと言うほど剥がれてしまった。

オヤジさんに見せると、3万ルピア(約300円)で直してくれると言う。

あと3ヶ月ほど使うことが出来ればよい。

翌日、受け取りに立ち寄ると、スパイクは太い糸でしっかりと縫い込まれていた。

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「写真撮ってもいいですか?」

いつも仏頂面で怖いイメージがあるオヤジさんの顔が崩れた。

オジさんは、ジャワ島で最もバリ島に近い町バニュワンギ出身だった。

ウブドに来る前は、ジャワ島の各地で “靴の修繕屋” をしてきた。

1977年から、ウブドのこの場所で商いを続けている、と教えてくれた。

私がウブドに滞在始めた1990年には、すでにあったということだ。

「37年間座り続けて、ダルマになっちゃった!」なんて、言ったか言わなかったか。

オヤジさんは冗談を言わない人のようだ。

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スリウェダリ通りは土の道だった。

ウブド大通りでさえ、敷石だったと言う。

90年代でさえ、雨が降ると道は川になり、ゴム草履が必需品だった。

路肩は泥が残る掘り割りで、飛び越えるのを失敗するとゴム草履が抜けなくなったものだ。

素足の村人も多かった。

大雨の時は、ゴム草履が流されるので手に持って歩いていた。

当時の村人は、どんな履物をはいていたのだろう。

裸足やゴム草履では、商売にならなかったのではないか。

オジさんには、ウブドの人々の足下を37年間見続けている歴史がある。

私は、そんな話を訊きたかった。

残念なことに、私のインドネシア語能力ではそれもかなわない。

すごすごと帰る私でした。

posted by ito-san at 16:44| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月30日

2014年09月30日:スクーピーの洗車は、お任せ(67)

そろそろ、愛しのスクーピーを洗車しなくては。

私が贔屓(ひいき)にしている洗車屋は、タマン村スリウェダリ通りにあるバイク修理屋だ。

パンク修理やバッテリー交換に、この店を利用することも多い。

洗車しなくてはと思っているのだが、条件が揃っていない。

条件と言うのは。

洗車をしてもらっている間に、時間をつぶす場所のことだ。

洗車は、30分ほど待てば終わる。

一台の洗車タイムが約30分。

先客が一台いると、合計1時間の待ち時間というわけだ。

その間私は、斜め前にあるワルンでコピバリを啜りながら待つ。

仲良くしているイブが切盛りしている、地元民専用のワルンだ。

時には、ティパットを注文する。

近年、ツーリスト向けレストランが増えて、スリウェダリ通りは賑やかになった。

ワルンには、近所のレストランで働くスタッフも顔を出す。

私は、ワルンに集う村人を観察したり、スリウェダリ通りを行き交うツーリストをウオッチングする。

こうして見ていると、ウブドが地元民とツーリストの二重構造の町だということがよ〜くわかる。

地元民に埋没する時間が好きで、月に一度は洗車に来る。

洗い終わると、ワルンまで届けてくれるのも嬉しい。

洗車をしなくてはと思いついてから、かれこれ3ヶ月ほどワルンは休業中だ。

イブの具合でも悪いのだろうかと、心配になる。

早急に復活することを期待する。


もうこれ以上待てない。

スクーピーは汚れて、いかにもみすぼらしい。

埋没できるワルンは休業中だが、コーヒーの美味しい「セニマン・カフェ」が目と鼻の先にある。

今日は「セニマン・カフェ」で、ネットをしながら待つことにしよう。

バイク修理屋に立ち寄った。

忙しそうに働いている若ボスに「洗車、おねがいします」と声を掛けた。

返事は、すぐには返ってこなかった。

若ボスは、申し訳なさそうな顔で「ゴメン、洗車やってないんだ」とつぶやいた。

あれ、若ボスは洗車してくれないのかな?

そんな私の心の言葉が通じたのか「スタッフが止めてしまって洗車できないんだ」と、社内事情を説明する。

そう若ボスは、メカニック専門で洗車はしないのだ。

きっと修理に忙しくて、洗車に専念できないのだろう。

出来れば、洗車スタッフ雇ってよね。

じゃないと、イブのワルンに埋没できないから。


しょうがない、ほかを探そう。

洗車屋の数は意外と少ない。

一般市民は、自分で洗うのが普通だろう。

今、誰か「お前も、自分で洗ったらどうだ」と言わなかった?

私もそう思うのですが、居候の身で水道の水を使わせてもらうことに気が引けるのですよ。

と言って、砂が混じった川水で洗う勇気もない。

パチュン家の息子・コマン君にアルバイトで洗車を頼もうかとも思ったが、それもお節介かなと止めた。

洗車とワックスで、15,000ルピア(150円しない)。

月一度なら、私の懐も痛まない。


以前利用したことのある、トゥブサヨ村の洗車屋に行くことにした。

ここはパンク修理の店。

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先客が2台あった。

オヤジさんが、1時間半後に来てくれという。

この洗車屋の目の前には、サテ・イカンの「マデ・ロイ」がある。

今日は、サテ・イカンの雰囲気じゃない。

このあたりもしばらく歩いていない。

久しぶりに、ジャランジャランしてみようか。

プリアタン村方面に向かって歩き「マデ・ワルン」に立ち寄った。

ナシチャンプールとテボトルでRp20,000-と、価格が少し上がっていた。

きっちり1時間半後に戻ってくると、スクーピーは別人のように光っていた。

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2014年09月11日

バリ人女性の長い黒髪は魅惑的(66)

ウブド人の習慣が少し違ってきたと感じる、今日この頃。

そりゃ〜ウブド滞在が四分の一世紀にもなれば、変わるのも必然かもしれないね。

この頃のバリ人、ヘルメットの扱い方が雑になったように思われる。

「神聖な部分である頭にかぶるヘルメットは、直接、床に置いたりしないように」と、私は教えられた。

正装時のウダン(鉢巻き)と同じ扱いである。

滞在始めてすぐに知り合ったワヤン・カルタ君が、宗教心の篤いバリ人だった。

今でも、テーブルなどの上に置くように心掛けている。

バリ人の日常の仕草が変わりつつある。

上半身裸が普通であった時代を経て、ある時期から外出時に肌を露出する衣類はタブーとされたバリ。

太ももを見せるなんて、もってのほかだ。

それが今では、町中でバリ娘がショートパンツはいて闊歩する姿を見かけるようになった。

褐色の美脚は健康的でよろしいのですが、私的には日本人女性の白いおみ足がお好みですのでゴメンなさい。

男性の短パンもあたりまえ。

私はカルタの言いつけを守って、今でも短パンでの外出はしない。

文化が少しずつ変化している。


バリ人女性の魅力の一つである長い黒髪にも変化が起きている。

変遷を調べてみよう。

と言っても美容については、まったく疎い私のことなので充分な考察はできません。

もっとも不得意の分野だが、気になっている案件なので頑張ってみました。

1990年までウブドに美容院は、モンキーフォレスト通りにある「マリヤ・ビューティ」の一軒だったと記憶している。

当時は、利用する人も少なかったのだろう。

長期滞在の日本人女性の多くは、ビザの書き換えでシンガポールに渡った折りに、美容院に立ち寄っている。

バリ人女性は、長い髪を必ず後ろでまとめる。

まとめていない髪に、悪霊が入り込むと考えられていた。

ボサボサとした長髪を見ると「魔女ランダ」のようだと恐れられたものだ。

婦人たちは、“美源” の白髪染めを使って真っ黒にしていた。

ココナツオイルをたっぷり塗ってツヤツヤだった。

オダランには、既婚の婦人はサングルと呼ばれる付け毛で、未婚の女性はアップにして参拝する。

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現在でも、小、中、高の女学生は、お下げ髪が校則だ。

お下げ髪を三つ編みにした娘をよく見かける。

いつかは、校則から三つ編が開放される時代が訪れるのでしょう。

オダランは、彼女たちのハレの舞台。

アップにして、気合いを入れてオシャレをする。

学校を離れたら、押しつけ校則から抜け出したい。

お気に入りの彼の前を、気を引こうと行ったり来たり。

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ショートヘアーの娘が増え始めた時期があった。

事務系の仕事に就くようになったからだろうか。

公務員や銀行員などに、ショートヘアーの女性が多く見られた。

私が芸能を見はじめた頃は長い髪が普通だったが、事務員と二足のわらじをはく踊り娘も現れた。

ショートヘアーは、付け毛でごまかせる。

しかし、どうしても自前の髪で踊らなければならない舞踊がある。

それはチャロナラン舞踊劇のシシアンだ。

シシアンは魔女ランダの弟子という役どころ。

ある日のオダランで、チャロナラン舞踊劇の奉納があった。

髪を乱して、おどろおどろしく舞う部分でのショートヘアーは不釣り合いだった。

チャロナラン舞踊劇で演じられる時代は古い。

その時代にショートヘアーはなかっただろうし、魔女の弟子がショートヘアーというのは凄みがない。

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定期公演:金曜日・サダブダヤより

これまで長い黒髪を後ろで束ねるだけだったバリ娘が、オシャレになった。

テレビの普及、ファッション雑誌などの情報から、流行に敏感になったのだろう。

世界中のどこの国の女性も、オシャレに興味がある。

スーパーやコンビニの開店でシャンプー&リンス&毛染めが手軽に入手できる。

品揃いも豊富になった。

現在ウブドに美容院は、10店舗以上はあるだろう。

20〜30万ルピアもするストレートパーマが流行っている。

この金額は、県が決めた初任給100万ルピアの5分の1に近い。

大金を払ってオシャレをする。

その魅力には勝てないようだ。

女性の心理をまったく理解できない私に、その心理を説明することはできないが。

ストレートパーマのシシアンと美しくウエーブのかかった長髪のシシアンは、いただけない。

観客のバリ娘は、栗毛色メッシュの入った長髪がクバヤの肩を覆っていた。

文化が変化していく。


「すみません、写真を撮らせてください」

こんなテレビコマーシャルがあったような気がする。

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プリアタン村にあるコンビニ「アルファ・マート」のレジで働く女性


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ウブド大通りにある「ブレッド・ライフ」の前にいた女性

後ろ姿ばかりの写真でゴメン。


※注意書き
誰も知りたくはないと思うが、私の好みは長い黒髪です。
豪華版はアップした髪。
アップにした時の襟足に、むしょうに色香を感じちゃうんですyone。
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2014年09月04日

これって聞き上手の秘訣かも(65)

いつもの時間の「日本料理店・影武者」の大テーブル。

いつものように、常連客が集まっている。

「影武者」が、プンゴセカン村からニュークニン村に移転して4ヶ月目になる。

常連客が集まる大テーブルは、新店舗でも健在で活躍している。

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旧・影武者」の大テーブルでの思い出を一つ。

この日も常連客とたわいもない会話で盛り上がっていた。

そこで “はた” と気づいたことがある。

それは、相手の話に相づちを打っているようでいて、実は、自分の話したいことを話していることが多いのだ。

女性グループの場合は、特に顕著だった。

彼女たちは会話のキャッチボールをしているのではなく、聞き流しておいて自分の話にもっていく。

止めどもなく会話は続いているが、会話が繋がっているようにはみえない。

私が持ち合わせていない話法だ。

これはこれで会話が成り立っているので、ティダアパアパ(問題はない)。

そして「楽しかった!」と言って帰っていく。

男性でも内容がずれることがあるが、女性ほどではない。

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さて新店舗に移ってからのこと。

2〜3日、ウブドは小雨の降る日が続いている。

「明日、晴れるかな」

友人H氏がつぶやいた。

たいして意味のない質問だろう。

そして、まわりから様々な答えが返ってくる。

「気象庁じゃなんだから、わからないよ」とA氏。

気象庁に問い合わせるほど重要議題じゃないし、この答えはつれないね。

「明日になればわかるから」とB氏。

それはそうだけど、それを言っちゃ会話にならない。

「雨が続いているから、明日もこの時間は降るんじゃないの」

データから判断するタイプのC氏。

これがもっともらしい答えですね。

インドネシア語で「知らない」は「ティダ・タウ」。

私が初期に接したバリ人は、この「ティダ・タウ」をよく使った。

「わかんな〜い、じゃないだろう」

「もう少し考えてから返事せよ!」大声をあげそうになったことが、たびたびあった。

考えようとせず、無関係だと言いたいのだ。

被害を被りそうな時の「ティダ・タウ」は、即答だ。

こんな風に、どう答えるかは、その人の人間性が出る。

ここで考えてみよう。

なぜ友人は「明日、晴れるかな」と聞いたのか?

晴れて欲しいからなのか?

雨になって欲しいからなのか?

会話というのは、相手の意志を汲んで答えるものだと思う。

話の流れで、晴れて欲しいとわかっていれば「晴れると良いね」と答えるのがいいだろう。

相手がどんな答えを望んでいるかがわかるときには、その正解を伝えたい。

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この機会を借りて一言。

相手の言葉に対して否定する言葉を、私は好きではない。

否定された人が、何らかの痛手を受けるような気がするからだ。

「違う」は相手を傷つける言葉だと思う。

プライドを傷つける、とまでは言わないが、優しさに欠ける言葉だ。

できれば、否定する言葉は使わないほうが良いのでは。

せっかくの楽しい会話を続ける上で必要なことではないだろうか。

他人の発言が、もし自分の考えや知っていることと違っていたとしても、即「違う」と否定しない。

情報も様々、考え方も十人十色。

正解は、一つではないはず。

まず、どうしてその発言をしたのかを考えてみよう。

説明不足かもしれないし、これから、その説明をしようとしているのかもしれない。

言葉の裏側を読み取ることを、心掛けよう。

「違う」と言い切らないで、まずワンクッションをおく。

「なるほど」と肯定してから、それから意見を言うのはどうだろう。

「そうだったかな」「そういう考え方もあるか」のほうが柔らかい。

これって聞き上手の秘訣かも。

楽しくスムーズに進む会話がしたいものです。



今回は、ito-sanらしくない、ちょっと固めの内容でしたね。

たまには、こんなネタもありんすよ。

そうだ、あなたも一度「影武者」の大テーブルに、ご着席ください。

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※写真:「新・影武者」の大テーブルのある棟
posted by ito-san at 16:04| Comment(5) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月01日

「Sekar Bumi」へ、バイク・ツーリング!(64)

知人から招待状を手渡された。

第一回・国際ヘリコニア会議(IHC=International Heliconia Congress)が、8月28日開催されるという。

会場は、パヤンガン・ブフ村にある「Sekar Bumi」の農菜園。

「Sekar Bumi」は、広大な農地にヘリコニアを中心に南国の花と野菜を栽培している。

サンギンガン通りに、ヘリコニア専門の小さな花屋を出店している。

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TEL:0361-8848464/

「Sekar Bumi」の農菜園は、ウブドよりさらに山間部に入ったキンタマーニ高原の裾野にある。

バリ南部は排気ガスが凄くて行きたくはないが、山間部に向けての遠出なら苦ではない。

10日間ほど体調悪くしている。

鼻水、咳、下痢のローテーションだ。

この日は朝から快晴だった。

私は、気分転換に「Sekar Bumi」に行くことにした。

スクーピー(本田のオートマチック・バイク)でツーリング気分だ!


午前中だったのでウブドの渋滞も避けられた。

クデワタン村のT字路を北上するのも久しぶりだ。

こんなところで、予期せぬ渋滞。

いったい何が?

中華系に観光客が歩道をはみだして歩いている。

日本語も聞こえた。

目の前に迎えの観光バスが止まっている。

渋滞の根源はこれか?

左手を見ると、ラフティングの終点地になっていた。

渋滞に巻き込まれながら「この辺りを右折すると、史朗さんが住んでいた場所だな」と、突然に思い出した。

大石史朗さんは、2011年3月20日に69歳で亡くなっている。

ウブド滞在中は、仲良くさせてもらった。

「いとうさん!」

史朗さんの声が背後から聴こえたのは、思い出したのと同時だった。

これは空耳だろう。

そうじゃなかったら、怖い。

いくらなんでも、こんな渋滞中のロケーションで。

史朗さんの声が、再び聴こえた気がする。

背後右肩上方からだった。

私は顔を右にゆっくり回し、振り向いた。

ジャジャ〜ン・・・・・・・・?

渋滞の車の中から、「和るん・あんかさ」のコテツちゃんが半身を乗り出して微笑んでいた。

コテツちゃんが、私を呼んでいたのだ。

それにしても、声が似ていた。

今の私の心理状況も知らず、コテツちゃんは「車に乗っていかない?」と誘ってくれる。

行き先は同じだ。

私はドライブを楽しむつもりで、丁重に断った。


パヤンガン村を過ぎ、さらに北を目指す。

ココから先は、10年ぶりかもしれない。

緑が多く、風が心地よい。

登り坂だ。かなり走ってきた。

風が、一層冷たくなった。

この肌寒さは、キンタマーニ高原を思い出す。

突然、左手の眺望が開けた。

キンタマーニ高原から見える景色と同じだ。

右手に「IHC」の看板を発見。

立哨の警察官の指示に従い右折する。

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ところどころに「Sekar Bumi」への矢印看板が立っている。

矢印、南下している。

眼下に美しい眺望が広がった。

寄り添うようにトタン屋根が連なる小さな村が見える。

道路のアスファルトが新しくなった。

緩やかなカーブを左に右にと続けるうちに到着した。

時計は12時10分前。約一時間のドライブでした。

すでにオープニングの行事が始まっている。

先着したコテツちゃんを見つけて、史朗さんに声を掛けられた話をすると「私は、一度しか声を掛けていないですよ」と言う。

「なかなか振り返らなかったし、振り返った時の顔は緊張していたようでした」と、ともさんは言う。

よくある話だ、スルーすることにしよう。

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農菜園は、一般客も気軽に見学ができるようになっている。

私の目的は「アパ?情報センター」のオリジナル・コースに「農菜園見学」が取り入れられるどうかの下見だ。

レセプション・エリアを避けて、他の建物に向かう。

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オープニングの飾り付けのため、本来の姿が見えない。

飾り付けが取り払われた時期に、もう一度訪れてみることにしよう。

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茎林から、熱帯の大胆な色彩の大きな花がのぞいている。

オウムのくちばしの形をしている花が、ヘリコニアの特徴らしい。

農菜園には20種類以上のヘリコニアが栽培されていると聞いている。

南国の花が咲き乱れる農菜園のハイキングも楽しいかもしれない。

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帰路は、スバリ村に立ち寄るためタロ村経由とした。

史朗さんの声を聴く空耳ハプニングがあったが、本日のバイク・ツーリングは痛快だった。

体調が少し良くなった気もする。


《 Sekar Bumi 》
■TEL:081-2466-9933/
■Mail:sales@sekarbumifarm.com / sekarbumifarm@yahoo.com/
■Web:www.sekarbumifarm.com.
posted by ito-san at 16:53| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月26日

ウブドの散策@モンキーフォレスト編(63)

ウブドの数少ない観光地に「猿の森」がある。

「猿の森」は、ウブド南部のニュークニン村との間に残る原生林だ。

サレン王宮のある変則十字路から南下して「猿の森」入口までの道をモンキーフォレスト通りという。

旅行者の主流がバックパカーだった時代に使われた「モンキーフォレスト通り」が、いつの間にか定着したようだ。

街路樹に隠れて表示板が見えないが、正式名は「JL: HUTAN KERA」。

HUTANは森、 KERAは猿のインドネシア語。

モンキーフォレストの入場のおりに手渡されるパンフレットには「Wenara Wana」と書かれてある。

バリ語では、猿はWenara 、森はWana。

パダンテガル村が所有していて森の中には、ダラム寺院がある。

仮埋葬場があり、そこでは火葬儀礼が行われる。

かつては、夜になると前を通り過ぎるのも恐ろしいほどの暗闇になり、物の怪が徘徊する気配を感じたものだ。

今は街路灯が設置され、夜道も明るい通りになっている。



8月20日:真上にあった太陽が少し西に傾いた時間。

猿の森に入るのは、久しぶりだ。

入口はモンキーフォレスト通り側に2カ所、ニュークニン村側に1カ所ある。

この日は、モンキーフォレスト通り南端にある入口から入場。

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遊歩道が整備されて少し地形が変わったように感じる。

以前より観光客で賑わっている。

猿の数も増えているようだ。

毛繕いする猿たち。

日向ぼっこの猿たち。

追っかけっこをする猿たち。

動物好きにはたまらない光景が、いたるところで見られる。

特に、子猿は可愛い。

見ていて、心が癒される。

しかし、猿が苦手な私は不注意に歩くわけにはいかない。

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巨樹が見える。

樹齢500年と言われている猿の森の巨樹だ。

いつまでたっても500年だが。

バリ語でビンギン、インドネシア語ではブリンギンと呼ばれる。

ガジュマルの一種でヒンドゥー教の聖木だ。

横に伸びた枝から、気根が幾筋も地面を目指して垂れ下がる。

巨樹の向こうは小さな渓谷になっていて、gt_mandi沐浴場があることを私は知っている。

私は、巨樹の向こうへと進んでいく。

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Bingin2.jpg

気根でできた隙間だらけの吊り橋は、今、龍の掘られた石造りになっている。

橋を渡ると、左手に苔むしたコモドドラゴンの石彫がある。

恐竜が出て来そうな原生林に紛れ込んだようだ。

右手には、泉とその向こうに祠がある。

祠の右手は川。

祠と川の間には、奥に進む細い土道があった。

今は、川に張り出すように板張りのデッキができていた。

観光客が手すりにもたれて、対岸で戯れる猿たちを見ている。

デッキはやがて絶え、コンクリートの階段になる。

階段の向こうに浸食された岩場が見える。

このあたりが、村人の沐浴場だ。

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私はこの沐浴場で、よく身を浄めた。

その話は「極楽通信・UBUD/神々に捧げる踊り■第二章・奉納舞踊の一年・その一:プナタラン・クロンチョン寺院」に書いた。

濃い緑の木々に覆い隠された自然に抱かれて、久しぶりに大きな深呼吸をした。

胸いっぱいに自然の空気を吸い込んだ。

沐浴場近くまで、観光客は足を伸ばしてくる。

これでは、オチオチ真っ裸で沐浴できないな。


いたるところに芋が豊富に入った檻がある。

猿たちは、日々の餌に苦労することはないだろう。

もう野生の猿ではない。

ここは放し飼いの猿園だ。

猿たちにとって、それが幸せかどうか?

それは、わからない。

常に満腹のため、観光客にいたずらをする猿はいるだろうが、襲うことはないかもしれない。

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ダラム寺院に向かう。

寺院祭礼の際は、正装していれば入場できる。

猿の森も、寺院祭礼の参拝なら入場無料となる。

普段は、閉まっていて入場できない。

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ニュークニン側に、散策コースが完成していたので歩いてみることにした。

階段状の屋外ステージがある。

ここは以前、儀礼時の闘鶏場だったところだ。

きっと今でも、闘鶏場として使われていることだろう。。

腰をおろしている観光客に、猿がまとわりついている。

観光客からバナナをねだっている。

芋だけでは飽きるのかな。

弁当持参で散歩もいいなと思ったが、これでは落ち着いて弁当も食べられないだろう。

若い欧米人女性が、ミネラルウォーターのペットボトルを猿に奪われたのを目撃した。

女性は、黄色い声を上げて笑っている。

ヒッタクリ猿は、フタを開けようとして噛みついている。

私は、フタが開くのを確認せずに前を通り過ぎた。

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鹿が飼われている柵を抜けると、起伏のある林に遊歩道が造られていた。

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「ホテル・アラム・インダー」の屋根が見える。

対岸のジャングルの緑が濃い。

のんびり回遊できる。

入場してきた入口に、ゆっくり戻って約2時間。

うっすら汗をかいた散歩コースでした。


■営業時間:8.30am〜6.00pm(年中無休)
■料金:大人Rp30,000-/子供20,000-(3〜12才)
posted by ito-san at 16:54| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする