2014年08月24日

“トウモロコシのかき揚げ” を作ろう!(62)

前回の料理教室では、ほとんど手伝いをしなかった。

(「バリ文化の総仕上げはバリ料理の習得(57)」)

しかし「意外と、料理すること好きかもしれない」という感触はあった。

今回(22日)も、ダプール・バリ(dapur BALI)の料理教室にお世話になりました。


初めての時は、何の話をしているのかチンプンカンプンだったが、今回はスパイスの名前が少し理解できたので驚いている。

何気に覚えているもんだな、と感心する。

私の記憶法は、何度も繰り返すことである。

な〜んちゃって!

名前は、おぼろげに記憶はあるが、作り方はまったく覚えていない。

メニュー.jpg

本日のメニュー、ラインアップ。

●イエロー・ライス=ナシ・クニン(nasi kuning)

●チキンスープ=ソト・アヤム(soto ayam)

●テンペのココナツミルク・カレー=テンペ・カレー(kare tempe)

●伝統的供物料理=ラワール(lawar)

●トウモロコシのかき揚げ=プルクデル・ジャグン(perkedel jagung)

●ココナツのロール・クレープ=ジャジョー・ダダール(jaja dadar)

以上の6種類。

初挑戦の料理ばかりです。

母娘.jpg

参加者は、私より遥かに若〜い、神戸からの母娘さんと大阪からの女性がおひとり。

私よりお年を召した女性がバリ料理を習うことはまれかもしれない。

今回は、そんな布陣。

小学生の娘さんはスマホに夢中。

興味があると、時々、お手伝いします。

女性2人は主婦だということもあるだろうが、料理上手とお見受けした。

由美先生も助けられるほど、段取りが早い。

そんなわけで、私の出る幕は少ない。

物思いにふけっていると。

大阪の女性から「ひろしさんは、これをして」と、お声が掛かる。

スパイスを石臼でつぶす作業の指示を受けるのだ。

大阪の人、実家が名古屋・熱田神宮の近くだということで、由美先生と私に話しかけるときは名古屋弁になる。

神戸の母娘と話す時は大阪弁。

愉快になるほど、実に起用に使い分ける。

今回も、ほとんどお手伝いしなかったが、自分としては少しずつ料理を覚えている気になっている。

テンペをさいの目状に包丁を入れながら、テンペの弾力を知る。

煮込んだ鶏肉をホグしながら、肉の部位の感触の違いを覚える。

それでいいのだ。

今回の料理からは “トウモロコシのかき揚げ” を覚えよう。

密かに心に誓ったのであった。

次回の料理教室が楽しみだ。

dapur-BALI.jpg
本日習得した(?)料理です

旅行中のカメラマン・大木さんが登場した。

大テーブルに、本日の料理が勢揃いしたグッドタイミングだ。

賑やかな食事になった。

話が盛り上がり、本日の料理が一層美味しく感じた。

心残りは、一週間前から風邪を引いていて、皆と一緒にビールが飲めなかったことだ。

posted by ito-san at 20:08| Comment(3) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月16日

ギャラリー・BINTANG CENIK(=Small Star)の 開館(61)

私のウブド滞在25年より長く、ウブドに滞在している人物がいる。

鈴木靖峯さん。

1938年生まれ。

空襲を体験した世代だ。

生まれは東京で、戦時中に群馬に疎開。

群馬から修学旅行で訪れた京都を気に入り、のちに住み着く。

西陣帯のデザインを習得するため、丁稚奉公を5年経験している。

その後、七宝焼に手を染める。

工芸家集団のためのクラフト店「手作り峰」を開店。

多趣味多芸の人である。


1978年に初渡バリ。

1980年よりウブドにて長期滞在にはいる。

鈴木さん42才の時だ。

奇しくも、私が滞在を始めた年齢と同じだった。

滞在も年齢も10年ほど先輩だ。

私と同じナホトカ航路での旅行体験者。

今でも、年に一度は、ひと月ほどアジアの国に出かけるほどの旅好き。

そんな自分を「鈴木(スズキ)じゃなく、出ず気(デズキ)です」と、笑えない冗談を言う。

親父ギャグも私と同じレベル。

共通の話題が多く、気の合う先輩である。

鈴木さん.jpg

鈴木さんがウブドで最初に手がけたのが、ジンバワン通りの「マタハリ・コテージ」。

露天風呂があると評判になった宿。

実際には、あまり使われることはなかったようだ。

1990年には、スゥエタ通りサクティ地域に「カフェ・ビンタン」をオープンした。

窓から望める両手を広げた幅に、美しいライス・フィールドのある贅沢なロケーションで、多くの観光客が訪れていた。

20年間の賃貸契約が切れ、このたびブントゥーユン村に移転した。

住まいもここに構えている。

cafe-bintang1.jpg
cafe-bintang2.jpg
cafe-bintang3.jpg

鈴木さんの業績のひとつに、ウブド近辺の幼稚園児、小学生を対象にした絵画作品公募の主催がある。

日本の小学校との交流絵画展を1980年に行ったのをきっかけに、その後、毎年続いている息の長い行事だ。

初期に公募していた児童が成人し、今では、その子供たちが挑戦している。

毎年独立記念日の17日に、優秀作品をインドネシア独立記念式典で表彰する。

もうひとつは、凧揚げ大会(=子供たちによる凧の制作)のスポンサーだ。

子供たちの制作意欲を育てるひと役をかっていたが、一昨年で終了した。

BINTANG-CENIK1.jpg
BINTANG-CENIK2.jpg

今年の表彰式は、日にちを繰り上げて12日に行われた。

1980年を第1回として、今年の2014年は第25回となる。

順位を決めず、入賞はバグース(Bagus)、入選をバイク(baik)としたのも鈴木さんらしい配慮だ。

子供たちの描いた絵が飾られるギャラリー「BINTANG CENIK=Small Star 」も完成し、お披露目された。

観光地としての背景の中で、子供たちの技法傾向が変わっていくのが興味深い。

回を重ねるごとに、歴史が作られていくのだろう。

いつまでも、続けて欲しい行事である。

posted by ito-san at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月11日

合同火葬儀礼のシーズンって、どういうこと?(60)

毎年バリ島の7〜8月は「合同火葬儀礼(ガベン・マサル/Ngaben Masal)」のシーズンになる。

葬式シーズンとは可笑しな表現だが、事実だから仕方がない。

では、どうしてそんなシーズンが存在するのか?

その原因は、バリ独特の暦にある。

バリでは、西暦以外にウク歴とサコ暦と言われる古くからの暦を使っている。

そううちのひとつサコ暦に、秘密が隠されているのだ。

サコ暦は、太陽と月のサイクルを組み合わせたもので353日、355日あるいは356日の1年で巡ってくる。

西暦と同じで、1年が12のサシー=月(sasih)に分かれている。

(詳しくは、サコ暦を御覧ください)

サシーのひとつで、人間(特に死者)の儀礼にもっとも適しているのが「サシー・カロ(sasih karo=第2月)」。

そのサシー・カロが、毎年7〜8月にあたるというわけです。

理解いただけたでしょうか。

NgabenMasal-Sebali1.jpg
NgabenMasal-Sebali2.jpg
NgabenMasal-Sebali3.jpg

昔から合同葬儀があったわけではない。

インドネシア独立後(1945年)に、行政によって決められた儀礼だろうと思われる。

合同火葬儀礼は、ひとつの村で2年から6年に一度行われる。

昨年の8月30日は、我がテガランタン村の合同葬儀を見学した。

詳しくは「テガランタン村滞在記:合同火葬儀礼(51)」を御覧下さい。

今回は、8月8日にスバリ村合同火葬儀礼を取材した。

スバリ村は、5年前にも取材している

晴、時々小雨。

昨年も小雨だったのを思い出す。

NgabenMasal-Sebali4.jpg
NgabenMasal-Sebali5.jpg
NgabenMasal-Sebali6.jpg

スバリ村は、5年の間に40人の村人が亡くなっていた。

遺体は埋葬されたままで、燃やされるのはシンボルの木片だ。

バリ人の信仰では輪廻転生が信じられていて、涙を見せることが少ないと言われている。

しかし中には、脳裏に浮かぶ思い出には逆らえないのか、悲しげな表情を見せる者もいる。

それぞれの故人に、思い出があり思い入れもある。

輪廻すると頭ではわかっていても、寂しさは拭いきれないものだろう。



スバリ村の火葬儀礼を見学していて、私の心に変化が起こっていた。

今まで観光客の視線でしか見ていなかったが、今回は死者のことを考えている。

中東の悲惨な戦場の映像を見たからだろうか。

非武装市民、子供、年寄り。

つい先ほどまで元気に飛び廻っていた子供が、血まみれになって死んでいた。

なんの罪もないものが、命を奪われる。

いきなり人生に終止符が打たれる。

彼に、彼女に、将来はあったはず。

それを、外圧によって切断されてしまう。

そんなことが許されていいのだろうか。

亡くなった人には、家族がいる。

家族の悲しみは、私の想像を越えているだろう。

死ぬということは、他人からは「いなくなる」ことだが、本人にしてみれば「生きられなくなる」ということだ。
と、重松清「星のかけら」に書かれてあった。

思いもかけなかった言葉に、胸が熱くなった。

今回の日本一時帰国で初孫に会ったことで、私の慈愛心が萌芽したようだ。


脅しには脅し返す!

攻撃には先制攻撃!

先制攻撃には報復!

人間は相変わらず、愚かな戦争を繰り返している。

核が使われれば、人類、そして地球も破滅することは間違いない。

収拾のつかぬ破局につながる一歩を踏み出したら・・・終わりだ。

(多田富雄「寡黙なる巨人」より、言葉をお借りしました)

日本も恐ろしいことになっている。

「戦争反対!」「原発反対!」

わかったようなことを書いてすみません。

心配なんです。

「地球が平和でありますように」

ただ祈るだけしかできない無力な私です。

posted by ito-san at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月06日

ウブドの変則十字路の様変わり(59)

1990年5月7日、ウブド市場の前に、プラマ社のシャトルバスで降り立ったのを思い起こす。

バスの進行方向に歩き始める。

行き先は、カジェン通りの「ロジャーズ・ホームステイ」。

以下は、「極楽通信・UBUD」バリ島滞在記「ウブドに沈没
ウブドへの道のり」からの抜粋。


プラマ社のシャトルバスは、その人混みの中に止まった。

乗客が降ろされた。

クタよりかなり涼しい。

ぞろぞろと降りた乗客たちは、思い思いの宿に向かって歩き出し、散らばっていった。

わたしは、眼前の2階建コンクリート造りの雑居ビル(※旧ウブド市場)を見上げている。

1階には、間口の狭い店がいくつも並び、店先には雑多な商品が山積みになっている。

2階は回廊になっていて、天井から布や衣服がところ狭しと吊ってあるのが見える。

雑踏を避けて道路に出た。

道の向こうに、間口の狭い店がハーモニカの吹き口のように連なってる。

日用雑貨屋と荒物屋が数軒に、銀製品を売る店と飲み物を飲ませる店、右端には自転車の修理屋が並んでいた。

1995-ウブドの十字路.jpg
1995年:モンキーフォレスト通り北口


2012-ウブドの十字路.jpg
店舗棟は壊され、2012年「ウブド村営情報センター(旧ビナ・ウィサタ)」が入居する村役場が完成。




2014年6月8日:モンキーフォレスト通り側にテラスを張り出して増築してカフェ・テラスがオープンした。

kopi-bali-house-express1.jpg
kopi-bali-house-express2.jpg
kopi-bali-house-express3.jpg

モンキーフォレスト通り南端にある「カフェ・バリ・ハウス」の姉妹店で《カフェ・バリ・ハウス・エキスプレス=kopi-bali-house-express》の出店だ。

まさか、エスプレッソを口にしながらインターネットをする自分の姿がここにあるとは想像できなかった。

ウブドの変則十字路を道行く人々の姿も変わった。

マン・ウオッチングが楽しい。

ここで、「ウブッド十字路の番人」(著者:マディ・クルトネゴロ/訳者:竹内邦愛/1997年4月15日・発行)を読んでみたい。

次回は、本を読みながらコーヒーを啜ろう。

kopi-bali-house-express4.jpg
サレン王宮方面を見る


kopi-bali-house-express5.jpg
スゥエタ通り北口を望む


★食事:軽食・サンドイッチ&バーガーRp40,000〜Rp47,000-/
★飲物:コーヒー各種Rp24,000〜Rp46,000-/ジュース各種Rp30,000〜Rp32,000-/アイスクリーム各種Rp30,000〜Rp40,000-/ビンタンビール大Rp35,000-小27,000-/
★営業時間:8.00am〜11.00pm/定休日・儀礼祭礼日
★Web:kopibalihouse.com
★Email:kopibaliubud@gmail.com
posted by ito-san at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月01日

旧・影武者でのマイマイ事件(58)

bnr_yumi.jpg

ブログ「ダプール・バリ 神々の島の台所」の「カクル・2014/07/23」を読んで思い出した。

2008年7月の「旧・影武者」でのことだ。


7月2日のミクシイに、私はこんなことを書いていた。

プンゴセカン村にあった「旧・影武者」は、北側と東側に田んぼが残っていた。

夜になると庭に供えられた供物を求めて「でんでん虫=カタツムリ」がやってくる。

「影武者」に出没するでんでん虫は、マイマイと呼ばれる種族らしい。

学名は「アフリカマイマイ」。

インドネシア語とバリ語では、ブキチョッ(=Bekicot)と呼ぶ。

ひと月ほど前から、「影武者」の庭にエスカルゴに似たマイマイが姿を見せるようになった。

決まって、夜の9時を過ぎた頃。

田んぼから這い出し、門前にある供物に向かう。

2匹いる。

仲の良い夫婦だろうか。

カタツムリは雌雄同体だから、どちらが夫でどちらが妻というわけではない。

供物のバナナを食しているようだ。

輪切りのバナナは、皮を残して奇麗に無くなっている。

影武者のオーダーストップ10時30分になると、マイマイたちも帰路につく。

時間の観念と匂いを嗅ぎ分ける能力を持っているのか。

のんびり歩む姿に頬笑んだ。

Bekicot1.jpg

半月ほど前から、マイマイは3匹に増えた。

子供がついて来たのだろう。

私は、マイマイ・ファミリーと命名した。

いつも同じマイマイが来るのだろうか、と私は疑問を持つようになった。

それを確認するために、殻に印をつけてみようと思う。

印は名前がいいだろう。

世帯主は太郎で妻は花子、長男は一郎だ。

そんなことを考えながら庭を見ると、この日の供物には4匹が集まっていた。
 
これは親子じゃなくて、兄弟なのかもしれないゾ。

兄弟なら、名前はバリ人のようにワヤン、マデ、ニョマン、クトゥトだ。

この名前なら雄雌(男女)に関係がない。

5匹目は、またワヤンにもどるのかな。

とにかく、印をつけることにしよう。


翌日は、命名して印をつけようと、アクリル絵の具と筆を持参して「影武者」にでかけた。

供物に群がるマイマイに驚く。

どんな情報がまわったのか、今夜は7匹と増えていた。

きっと美味しいご飯があるとの噂が広まっているのだろう。

この調子で行くと、庭一面にマイマイが埋め尽くす日も近いかもしれない。

創造するだけでオゾマしい。

実はわたくし、ナメクジ系は大嫌いなのです。

それとこれとは別。

殻に名前を描くことは決めている。

S田さんとY美さんと相談の上、バリ人の名前でなく、友人の名前をつけてしまえということになった。

いざ描く段になって・・・。

アーチストB場ちゃんが現れ「僕も書きたい!」と参加した。

彼の描いた絵はストライプ柄だった。

こうなれば我々もと、当初の計画は頓挫してアートとなった。

ドット柄や顔も描いた。

楽しいお絵描きの時間となった。

7匹のマイマイは喜んでいるのか迷惑しているのか、表情がないのでわからない。

夜10時30分、マイマイは一匹一匹、竹柵をくぐって田んぼに向かって去っていった。

後ろ姿は、嬉しそうでもあり、悲しそうにも見えた。

Bekicot2.jpg

次の日、マイマイの姿は2匹しか見ることができなかった。

派手な柄になって仲間に嫌われたのかな。

その翌日からは、まったく姿を見ることができなくなった。

ひょっとするとマイマイは、殻で呼吸しているのかもしれない。

そうだったら、大変だ。

彼らは皆、死に絶えたのだろうか。

殺生してしまったのか。

これは無抵抗な相手に対しての苛めだったのかもしれない。

無知とはいえ反省しています。

ごめんなさい。

もう二度といたしません。

この話、事件と言うほどのおおげさなことでもないか。
posted by ito-san at 01:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月23日

バリ文化の総仕上げはバリ料理の習得(57)

バリ料理に挑戦。

辛いの苦いのが苦手で、好き嫌いも多い。

おまけに、食べることに興味がない。

「武士は食わねど高楊枝」を信条とする古い人間。

ではなぜバリ料理? と疑問に思う人もいることでしょう。

たいした理由はないのです。

強いて言えば、充分ではないがバリの宗教、慣習も芸能も、取りあえず24年間でひと通り齧った(つもり)。

やり残しは、食文化かと思っただけ。

25年目の節目に、もっとも興味の薄い料理に挑んでみようということです。

ウブド滞在3ヶ月目でバリ&インドネシア料理にメゲた。

1年目で日本料理店を開店したほどバリ&インドネシア料理は苦手だった。

この1年間は、ほとんどナシ・ゴレン(焼き飯)で過ごした。

辛いのとココナツオイルの香りが駄目だった。

今では、それなりに美味しく感じるようになっている。


ということで、ダプール・バリ(dapur BALI)の料理教室に参加することになった。

場所は、2014年5月24日に移転した「和食・影武者」の敷地内にあるスタジオ。

東屋の一棟がスタジオになっている。

大きなテーブルの上に並べられたスパイス&ハーブの種類の多さに、まずはビックリ。

こんなに覚えられない。

早くも後ずさる。

本日は、若手画家の馬場敬一君と圭子さんが一緒に参加している。

レクチャーするのは、在バリ24年の佐藤由美さん。

「影武者」のオーナーでもある。

結婚と同時にインドネシア国籍を取得。

「婚家で毎日、お義母さんたちから学んだバリ料理の奥義(?)を、あますところなく、皆さんに伝授します」とのこと。

当然、日本語が通じます。

バリ初の、日本語のレクチャーによる料理教室です。

保存版レシピも、もちろん日本語で書かれてあります。

質問も日本語でできるというわけです。

これポイントですね。

table.jpg

スパイス&ハーブは、バリ料理を学ぶ上でとても重要なポイントらしい。

手にとって触れてみて、匂いをかいでみる。

ニンニクと赤ワケギ、チョウジはわかる。

ウコン、バンウコン、ショウガは区別がつかない。

見たこともないものや、名前は聞いたことがあるが現物は初めてというものもある。

こんなものもスパイスになるんだというユニークで魅力的な食材たち。

スパイス&ハーブにはそれぞれに素晴らしい薬効があり、料理に使うばかりでなく、肌にぬったり薬がわりにジャムー(バリ漢方)として飲んだりする。


ゆっくりと講義を聞いたあとは、いよいよ料理作りです。

今日作られる料理五品が発表された。

●つくねタイプの串焼き=サテ・リリッ(sate lilit)

●若いバナナとチキンのスープ=グランガッサム(gerangasem)

●チキンのサンバル・トマトあえ=ベー・シアップ・ムシシット(be siap mesisit)

●長インゲンのスパイシー・ココナツソースあえ=ジュクッ・ブアカチャン・ムカラス(jukut buah kacang mekalas)

●レモングラス入りの生サンバル=サンバル・マター・スレー(sambal matah sereh)


「何はなくともバソ・グデ(base gede)」と言われるほど重要な、バリニーズ・スパイス・ペーストを作るところから始まった。

このバソ・グデがバリ料理の基本らしい。

16種類以上のスパイスを石臼で丁寧につぶしていく。

つぶしていく順番は固い種類から。

これも結構テクニックがいる。

力任せにやると、腕が疲れる。

とにかく手間がかかる。

影武者スタッフの協力を得て、ペースト状のバソ・グデが仕上がりました。

この日作られる料理3品に、このバソ・グデが使われる。

urigbase.jpg

ココナツを擂り下ろし、ココナツ果肉のフレークを作る。

ミンチにした豚肉にフレークとバソ・グデを混ぜた具を竹串に巻き付けていく。

リリッは、巻き付けるという意味らしい。

毎日のように食べている料理だが、作るのは初めて。

食べる方はプロ級だが、作るのはド素人。

いかが相成ることでしょうか?(この日本語おかしいかな?)

つくね状にしたサテが焼き上がってきた。

ちょっと大きめのサテは、私がリリッしたもの。

ビールが旨い!

sate-jadi.jpg

Be siap mesisit に使われるサンバル・トマトを作ったり鶏肉を裂いたりしている、のを見ていた。

サンバル・トマトは、トマトとつぶしたスパイスをフライパンでコトコトと炒めて煮つめたものだった。

次から次へと手早く料理が作られていく。

それは由美さん先生が手際よいからであって、われわれ生徒の能力ではない。

料理好きの馬場ちゃんは、手際よく作業をこなしているように見受けられる。

私は一度の体験では身体で覚えられない。

体得するまで、何度も料理教室に通うつもりでいる。

料理が終わると、大テーブルの上が片付けられる。

最後に自分たちの作った料理を試食する。

自分で言うのもなんですが「美味しかった」です。

一仕事終えた開放感に、「お疲れさま」とささやくように風が優しく通り過ぎて行った。


由美さんは、私が真面目に料理に取り組んでいる姿を見て驚いていたが、私だってやるときはやりますよ。

今回は、少々事情があって料理のことを真剣に考えている。

実は、南米にちょっくら行ってみようかな、なんて考えています。

南米もスパイス&ハーブの種類は豊富と聞いている。

海外生活だから、現地の食材で料理する方法を考えておかないとと思っているわけ。

食材は違うが、できれば日本食っぽい味が希望なんです。

今回は、そんことで料理教室に参加しました。

「でもバリ料理じゃないですか?」と?マークのあなたにお答えいたします。

ダプール・バリの料理が日本人向けにアレンジされているわけではありませんが、私のお口に合うのですよ。


※ダプール・バリ(dapur BALI)http://www.dapurbali.com
保存版レシピももちろん日本語。
気軽にバリ料理を体験してみたい方はもちろん、習った料理を日本で役立てたい方にも、充分ご満足していただけるクオリティーとフォローの細かさが自慢です。
風通しの良いスタジオには大きなテーブルと使いやすいキッチンセットが揃い、ゆっくり落ち着いて講義が受けられます。

posted by ito-san at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月21日

ゴン・クビヤール100周年記念ムバルン(56)

行ってきましたよ、北部バリまで。

友人が出演すると聞いているイベントの会場は、遠くブレレン県のサワン郡ジャガラガ村広場。

ゴン・クビヤールが創作されて100年が経ったということで、発祥地・ジャガラガ村で記念イベントが開催される。

ウブドから3時間もかかる場所だ。

自他ともに認めるバリ芸能好きな私のこと、この貴重なイベントを見逃しては名前が廃ると一念発起。

しかも、日本からバリ好きな友人たちが出張って来ている。

これは、応援に行くしかない。

スケジュールは下記の通り。
期間は7月12日(土)〜14日(月)の3日間催された。
○7月12日(土):サンガル・ウィスワ・カルマ(バトゥブラン村)VS 地元ジャガラガ村のグループ
○7月13日(日):トゥラン・ブーラン(日本)VS スダマニ (プンゴセカン村)
○7月14日(月):スカル・ジャヤ(アメリカ)VS ドゥイ・メカール(ブレレン)


3日間も鑑賞できない。

日本のグループは東京からやってくる「トゥラン・ブーラン」。

出演は13日だ。

グループには、私の友人も幾人か入団している。

競演相手は、ウブド近郊のプンゴセカン村の「スダマニ」。

こちらも結成以来仲良くしているグループだ。

1日を選ぶとすれば、この日しかないだろう。


出演者側からの案内状に、公演コンセプトが載っていたので掲載させてもらった。

北部バリで生まれたガムラン楽器編成 ”ゴン・クビヤール(gong kebyar)" は、稲妻のようにきらびやかな音色と奏法に人々が衝撃を受け、バリ島中に広まり一世を風靡し現在に至る。

バリ島北部の古都、シンガラジャより東へ車で10分、ゆるやかな山の中腹にジャガラガという村があります。

1914年、この小さな村の芸術家ワンドレス氏が、ゴン・クビヤールを用い、新しいスタイルの舞踊大曲 “クビャール・レゴン( Kebyar Legong)” を創作。

1915年には、この村でガムランのコンペティションが行なわれ、初めてゴン・クビヤールという楽器編成が公に周知されるものとなったといわれています。

このムバルン(ガムランの競演)を一途な情熱で成り立たせた立役者・ワンドレス氏の孫にあたる芸術家・クランチャ氏の尽力により、100周年の記念行事が実現した。


ガムラン作りの鍛冶屋の村として有名なサワン村を訪れたのは、もう10年以上も前になる。

ジャガラガ村ダレム寺院の割れ門は緻密な彫刻で有名だ。

ジープに乗るオランダ兵、飛行機、釣られた魚などユニークなレリーフがある寺院で、見学に来たことがある。

開演は午後8時。

ウブドは、朝夕冷え込む日が続いている。

数日前、20度を切った日があった。

日本が夏の季節、バリ島は寒い時期になる。

私はジャンパーを羽織ることにした。

一緒に行ってくれる高木さんと圭子さんにも、その旨は伝えてある。

ウブド発午後5時、いよいよバリ北部ブレレン県シンガラジャ市へ向けて出発だ。

実はこの日(13日)、毎週日曜日恒例の草野球に参加するため朝7時起きだった。

ウブド戻りは午後3時。

前日は、私の家族を迎えに空港に行っている。

バリ島全土の停電で空港のコンピューターが可動せず、帰宅が遅くなった。

だから寝不足。

バリ島中央部の山越えの行程は片道3時間。

山越えは、何年ぶりだろう。

途中の峠は、視界50メートルの霧が立ちこめていた。

睡魔に襲われていたのが、この時だ。


会場の広場には、8時ジャストに到着した。

広場は、お祭り風情だ。

テントが張られた客席には、大勢の人が埋めている。

舞台では地元のイブイブ(婦人連)のガムラン演奏が始まっていた。

コチョカン.jpg
100周年会場.jpg

舞台裏に廻った。

ここは、楽屋裏。

草野球仲間の “さとる君” が私を見つけ駆け寄って来た。

久しぶりの再会だ。

彼は、バリ舞踊の踊り手で日本でも活躍している。

今夜は、トペン・トゥアを踊るようだ。

satoru&ito.jpg

「トゥラン・ブーラン」のリーダーの櫻田さん。

ニコヤカ笑顔がいつも可愛い。

motoko&ito.jpg

マミちゃんです。

夫妻とは、古くからの友人。

mami&ito.jpg

「スダマニ」のリーダー、デワ・ブラタ君。

デワ・ブラタ君は以前、スマラ・ラティの主要メンバーだった人。

dewa&ito.jpg

舞台裏で、ひと通り顔見せの挨拶をすませて客席に向かう。

ジュースRp5,000-を買って、パイプ椅子に腰をおろす。

寒いと予想していたが、人々の熱気に包まれて暑いほどだ。

トゥラン・ブランの演奏は、ゴン・クビヤール発祥地の村人の前でも堂々としていた。

そして、地元バリ人も優しく見守り暖かい拍手を惜しみなく送っていた。

眠気はとっくに覚めている。

ステージ.jpg
トゥラン・ブラン.jpg
ゴンクビヤール100周年.jpg
クビャール・レゴン.jpg

途中に休憩という意味で、地元ブレレンのグループによるトペン・ボンドレス(仮面娯楽劇)が上演された。

バリ語のため私には理解できないが、地元民にはバカ受けだ。

娯楽劇.jpg

スダマニの創作ケチャは面白かった。

古いものと新しいものの融合。

バリ芸能の将来が楽しみだ。

スダマニ.jpg

公演は、夜11時近くまで続いた。

舞台の上では「トゥラン・ブラン」のメンバーが記念写真を撮っている。

見上げると、夜空には星が・・・。

深夜の風が、頬を優しく撫でていった。

「いいバリ、見〜つけた!」


posted by ito-san at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月15日

バリ島南部・海岸線の浸食(55)

バリ島東部カランガッサム県のリゾート地「チャンディダサ」海岸の砂浜が無くなったのは、もう10年以上前になるだろうか。

白砂の海岸と沖に見える小島の風光明媚な風景が売りだったチャンディダサは、海岸線の消滅で観光客も途絶えがちだ。

ここ3年ほど前から、ギャニアール県南部の海岸も浸食されてきている。

浸食は地球の温暖化が原因と思われているが、世界中の各地には、逆に陸地(海岸)が増えている地域もある。

地球が変化していることを知らされる。

海岸の浸食は、バイパス工事に大量の砂を使用するため沖合で砂を掘削したからだ、との噂もある。

開発が環境破壊の弊害を起こしているのかもしれない。


久しぶりに「サテ・イカン=魚のつくねの串焼き」を食べに、ギャニアールの海岸サボ(Saba)に出かけた。

サボ海岸に行くにはバイパスを横切る。

行き交う車の少ない交差点に、信号はない。

信号のないバイパスを横切るには勇気がいった。

サボ海岸を起点にして、ルビ(Lubih)海岸を往復する乗馬がある。

私も2度ほど経験している。

数年前からルビ海岸と中間地点の海岸に高い波が押し寄せるようになり、サーフポイントとなった。

チュチュカン村にあるから、ポイント名は「チュチュカン」と呼ばれているようだ。


サボ海岸に、一軒のワルンがある。

《2013年3月19日:流木を拾いに(1)》にも書いた、仲良くなったおばちゃんが娘と切り盛りしている店だ。

10年以上前から、年に一度くらいの割で訪れている。

5年前の大波で店が流され、以前の場所より10メートルほど後退して建て直された。

幅の広かった海岸は浸食され狭くなった。

今回は、パチュン家に滞在始めたヒロさんと連れ立って向かった。

海岸は以前にも増して削られていた。

店は残っていたが、おばちゃんはいなかった。

経営者が変わったのか。

もう、おばちゃんのサテ・イカンを食べられないのだろうか。


どうしても、ヒロさんにサテ・イカンを海辺のワルンで食べさせたい。

足を伸ばして、ルビ海岸に移動することにした。

サボ海岸もルビ海岸も、バリのヒンドゥーの浄化儀礼「ムラスティ」の行われる場所だ。

ウブドの村々も、これらの地で儀礼を行う。

ムラスティの日には、村のススオナン(ご神体)が村人総出で運ばれる。

海辺を埋め尽くし、海に向かってお祈りをする正装のバリ人の姿は厳かだ。

この日は吉日でないのか、見られなかった。

Lubih祭壇.jpg

ルビ海岸も浸食が始まっている。

石造りの頑丈そうな祭壇が設けられていた。

祭壇の左右は堤防になっていて、海側には波を砕く為の大きな石が並べられている。

堤防は歩道になっているが、ほとんど船置き場と化していた。

海岸は狭く、砂浜に腰をおろしてお祈りを捧げることは難しくなった。

Lubih堤防.jpg

この地は2008年に、義兄・久保田博己さんの散骨をした思い出深い場所だ。

我々が腰をおろしてお祈りをした砂浜は消えていた。

強風吹きつける中でお祈りを捧げたのを思い出す。

yoko1.jpg

さて、お腹もすいてきた。

昼食にしよう。

ルビ海岸は、ムラスティ以外にも地元の人が訪れる行楽地のため、毎日ワルンが開いている。

以前は、砂浜に直接建てた安普請の掘建て小屋で、砂の上にゴザを敷いて腰をおろし低いテーブルで食した。

低い目線で水平線を見るのが好きだった。

今は、椅子&テーブルが用意されている。

一番海側に近いワルンに入った。

Lubihワルン.jpg

やはりお決まりのサテ・イカンだろう。

サテと空芯菜の炒め物、そして魚肉団子の入ったスープのセットを注文した。

いずれも辛いのでご注意!

私はスープを飲み干すと、必ずお腹を壊す。

お腹を壊すことはわかっていても、美味しいので飲み干してしまう。

ヒロさんも辛すぎて、残している。

さあ、急いで帰らないと。
posted by ito-san at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月09日

オダランのトランス儀礼!(54)

日本から戻って初めて見学したオダラン(寺院祭礼)がトランス儀礼だった。

相も変わらず、バリは不思議の島だ。

バリでは、トランス状態になることをクラウハン(Kerauhan)と言う。

「神と合体して会話し、自ら神として行動し、無限の享受を味わう、神が憑依した霊的な状態」のことだそうだ。


クルンクン県ゲタカン(Getakan)村のオダランで、チャロナラン舞踊劇が上演されると聞いた。

私は甘い物の次に、チャロナラン舞踊劇に眼がない。

場所は、クルンクン県の山間部。


オダランでのトランス儀礼が多い地域だ。

テヒンガン(TIHINGAN)村のチャロナラン舞踊劇、パクサバリ(PAKSABALI)村の喧嘩神輿は有名だ。

(今年2014年、テヒンガン村は6月12日、パクサバリ村は12月27日にオダラン見学ツアーがアパ?で主催される。オダラン情報を御覧下さい)


「アパ?情報センター」に問い合わせると、オダラン見学ツアーがあると言う。

さっそく、参加を申し出た。

6月26日夜8時30分、アパ?事務所前に集合。

参加者は我々4人と、もう一台に3人のツーリストが乗って出発した。

我々と言うのは、高木さん夫妻とヒロさんと私。

ヒロさんは、私の友人で6月19日からパチュン家に長期滞在することになった男性です。

行き先は、ゲタカン村のダラム寺院。

まったく聞き覚えのない村だ。


ギャニアール県で一番大きいセンゴールの喧噪を左右に見ながら、車は夜道を一路目的地へ。

車はバンリ県を横切り、クルンクン県に入る。

「ニョマン・グナルサ美術館」のあるT字路を、左折した。

道筋の途中にあるテヒンガン村を通り過ぎた。

この村のダラム寺院のオダランでは、ひよこや生卵を食べたり、黄色いココナツを口で裂いて飲み干す、という荒ましいトランスが繰り広げられる。

そんなトランスが、また見られるのかもしれない。

真っ暗な山道を登っていく。

右折左折を何度も繰り返す。

どこにつれていかれるのだろう。

不安はやがて期待となる。

ここはクルンクン県の山の中、これは凄いことになるかもしれない。

山道に人の姿が見られ、往来も激しくなった。

そして、こつ然とハレの舞台が現れた。

到着したのだ。

車で1時間ほどの道のりだった。

Getakan1.jpg
Getakan2.jpg

夜10時、聖獣バロン舞踊で幕が開いた。

Getakan3.jpg
Getakan4.jpg

チャロナランの弟子・シシアンを踊る娘たち。

ピースサインを送るこの娘たちが、このあとトランスするのだ。

Getakan5.jpg

バリ王国時代の物語が続く。

端折ってしまって、ゴメンナサイ。

気になっていた美人に話しかけられ、物語はほとんど見ていません。

彼女は、クロボカンに新しくオープンした、欧米人オーナーのレストランで働いている。

今日は、寺院祭礼のための里帰り。

英語以外に日本語も話せれば、スキルアップできるので日本語を勉強したいと言う。

「あなた教えてくれない」と誘われる。

無理無理、私はインドネシア語もままならない語学苦手な男ですから。

Getakan6.jpg

悪霊ランダが登場すると、観衆の中の村人が奇声をあげてクラウハンした。

「さあ、クライマックスよ!」

美人は立ち上がると、見物人の人垣に紛れ込んでいった。

バロンやランダのように踊る者、不思議な動作を繰り返す者、さまざまな動作のトランスだ。

バンリ地方で見られるトランスと似ている。

残念ですが、観衆が多すぎてトランス風景を写真におさめることができませんでした。

悪霊ランダがお墓に向かって走り出した。

時計の針は、4時30分を指していた。

チャロナラン舞踊劇、全編6時間30分の終了です。

我々一行は、家路を急いだのであります。

posted by ito-san at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

日本料理店・影武者の移転オープン(53)

日本一時帰国から戻った翌日(19日)、さっそく「日本料理店・影武者」に出勤。

ウブドでは日課のように、夜9時過ぎには「影武者」で食事をしていた。

知り合いの長期滞在者やリピーターが訪れるのが、この時間だから。

日本で「何が食べたい?」と聞かれて、すぐに浮かばなかったのは毎晩のように美味しい料理を「影武者」食べていたからかもしれない。

そんなウブドの生活に復帰した。


地価高騰のあおりを受けて、ウブドの老舗日本料理店「影武者」も移転を強いられていた。

旧店舗周辺は建物が密集し、田んぼの景色もなくなった。

移転は、いい機会であったかもしれない。

昨年、移転先はニュークニン村に決まった。

車の騒音を避けるため表通りから少し入った立地は、隠れ家的雰囲気だ。

見つけにくいかもしれないが、探し当ててください。

今年に入って、新店舗の工事が始まっていた。

新規オープンは、私が日本で「伊藤さん帰国歓迎会(9)」を催してもらった日と同じ。

5月24日だった。

新店舗になって初めての出勤だ。


竹を使った建物は開放的で、バリっぽくて心地よい。

kagemusha1.jpg
kagemusha2.jpg
kagemusha3.jpg

旧店舗から運ばれた什器が、リピーターには懐かしい。

kagemusha4.jpg
kagemusha5.jpg

ガゼボもあるよ。

kagemusha6.jpg

メニュー&料金&電話番号(0361-973134)は、変わっていませんでした。


女将・由美さんから「近々、新メニューを追加する予定のようです」と聞いた。

何をやってくれますかね。

それからそれから、もう一つニュースがあります。

女将・由美さんがブログを始めた。


bnr_yumi.jpg


バリ料理教室「ダプール・バリ」を主宰する由美さんのこと、きっとバリの食べ物を中心のブログになることでしょう。

ブログ名「神々の島の台所」は、そんな趣旨を感じ取ることができます。どんなブログになるか楽しみですね。

以下は、由美さんからのご挨拶。

『ブログを始めようとテストページだけを作ってすでに一年が経ってしまいました。

月日が経つのはなんと早いことか・・・。

日々、猛烈な忙しさの中、果たしてどのくらいのペースでアップしていけるのか甚だ疑問ですが、どうか大目に見てやって下さい。』

心機一転、期待できそうですね。

新生「日本料理店・影武者」、今後とも愛顧のほどよろしくお願いします。

posted by ito-san at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村徒然記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする