2014年04月17日

パパイアのバリ語名はグュダン(80)

昨年の9月に西村家でご馳走になったパパイアの果実は、ほんとうに美味しかった。

その美味しかったパパイアの苗木をいただいだ。

テガランタン村滞在記に再々登場する西村家については「西村邸を訪問(40)」を御覧下さい。

パパイアは、バナナと同じように大きな茎の植物だ。

だから苗と呼ぶ方が正しいのだろうが、大きさは苗木なみだ。

パパイアはパワーが強い木だということで、バリでは何故か屋敷の裏に植えられるのが通常。

果実の生らない雄のパパイアは特にパワーが強く、チャロナラン劇の舞台に使われる。

西村家からいただいたパパイアは、パチュン家の裏に植えられた。

半年で果実がなると言われているから、今年の3月を楽しみにしていた。

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根付いたパパイヤ(2013年12月2日)

「Fruits of Bali」で、パパイアを調べてみた。

Papayaは、ラテン語&インドネシア語だった。

バリ語ではグュダン(gedang)だって、知ってた?

私は、今の今まで知らなかった。

知ろうとしなかった。

知ったとしてもグュダンは使わずパパイアと言ってただろうな。

その理由は、次の通り。

「影武者」のウィキペディアことダユーに、パパイアのバリ語名を訊いてみた。

バリ文化についてわからない時は、いつもダユー質問する。

ダユーはいつも的確な答えをくれる。

「パパイアこと、バリ語でガダンって呼ぶんだよね?」

さっそく、私は昨夜知ったばかりの知識をひけらかす。

ダユーは笑顔で「ガダン(gadang)は、バリ語で緑色です。パパイアのことはグュダンと呼びます」といなす。

そうだった「椰子の実の話(29)」で教えてもらっていた。

ニュー・ガダンは緑色の椰子で、黄色い椰子はニュー・ガデン(gading)と呼ぶと教えられた。

私は「Fruits of Bali」で調べて、控えた時にガダンと書いてしまったようだ。

「グュダン? グュダンって倉庫のことでしょう?」

納得できない私。

「それはグダン(gudang)。インドネシア語で倉庫のことでしょ」とダユー。

また、私の耳に同じ発音に聴こえる単語が登場した。

何度もグュダンとグダンを繰り返して発音してみたが、ダユーとは同じにならなかった。

gedang、gadang、gudang、おまけにgadingが乱入して、私の脳味噌がパニックしている。

クウチン=kucing(猫)、クンチ=kunci(鍵)、クンチン=kencing(小便)の三つ巴以上の四つ巴地獄だ。


果実が生るはずの2014年3月が過ぎ、4月に入った。

花は咲いたが、未だ果実はならず。

土が合わないのかもしれない。

もう1〜2ヶ月すれば果実がなり、食べられるようになるだろう。

美味しかったパパイアの食感がよみがえる。

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パパイヤの花(2014年4月1日)

そして悲しい現実が待ち構えていた。

「ルアック・ヴィラ・スパ」工事の境界線に、パパイヤが掛かってしまったのだ。

このままだと、撤去される。

ここまで大きくなると移植は無理だとのこと。

子供の頃よく遊んだ砂取りのように、パパイヤを残してまわりが削られていく。

なんとかならないのか。

岸壁に立つ灯台のようにひっそりと立つ姿を、せめて写真だけでも残しておこう。

明日、ギリギリに残ったところを撮影しよう。

その考えがアダとなった。

13日の朝、写真を撮ろうと早起きして現場を覗くと、もうそこにパパイヤの姿はなかった。

枝や土砂と同じように、谷間に投げ捨てられたのだろうな。

職人は、最後まで残してくれていたと思うが、残念である。


そして翌日。

パチュン君に「パパイヤが渓谷に飛び込んでしまったね」と言うと、思わぬ答えが返ってきた。

「植え直しました。その裏に」

パパイヤの実る夢が復活した瞬間です。

さすがパチュン君だ。

育つかどうかわからないが、悲しみは延期され、小さな楽しみが残った。

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移し替えられたパパイア(2014年4月14日)

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2014年04月13日

もしかして、何かの祟り、それとも因縁?(79)

11日、名古屋のヒロさんから電気ひげ剃り機が、新品になって戻ってきた。

運び屋は、名古屋の高木さん。

これで煩わしいT型カミソリでのひげ剃り作業から開放される。

冒頭をお借りして、ご両人にお礼を述べさせていただきます。



雨季の終わりがけは、マンギス(manggis)の季節のようだ。

シーズンによってフルーツが違うのは季節感があっていい。

この時期、パチュン家のマンギスの木は果実をたくさんつける。

私のテラスにある大テーブル上のガラス器に、毎日のようにマンギスが盛られる。

果実を採るために、木に登るのがこの頃の日課になっているパチュン君。

「渓谷沿いの木々が切られ見通しがよくなったので、怖くて天辺まで登れなくなった」とぼやいている。

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約束通り7日に、ルアック・ヴィラ・スパの現場で「ウパチャラ・ムチャル(お祓いの儀礼)」が行われた。

オーナーはジャカルタに住む中華系インドネシア人で、職人はジャワ人だが、ここはバリ。

バリのヒンドゥー教に従って、儀礼は遂行される。

たくさんの供物が用意された。

プマンク(僧侶)は、初代・影武者を建てた大工の棟梁だった。

渓谷に向かって、工事の無事を願い祝詞をあげた。

これで、安心だ。

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翌朝、パチュン君の目の前で、ムチャルに使われた「トゥトゥアン=Tutuan」と呼ばれる祠が渓谷に飛び込むように落ちていった。

写真の右隅に写っている、白い布が巻かれた竹製の祠です。

大人の背丈ほどあるトゥトゥアンが、頭から渓谷に向かって落ちて行く姿を想像した。

これは笑い事ではない。

私の背中に悪寒が走った。

もちろん、早々にトゥトゥアンは作り直された。


同じ日の夕方、不思議な事件が起きた。

テガランタン村のイダ・バグース氏がハンドルを握る車がサクティ橋の南を通りかかった時、不穏の音を伴って車体が落ちた。

車は止まったが、タイヤが一つ渓谷に向かって転がっていった。

タイヤは飛び込むようにして、渓谷に落ちていったそうだ。

パチュン君は見て来たように説明してくれた。

渓谷は、パチュン家の裏と同じ渓谷だ。

ブラフマ(高僧)階層のイダ・バグース家は、供物作りのプロだ。

現場の供物は、イダ・バグース家から仕入れたものだった。

この2つの事件に、繋がりを感じる。

ここは、神々の棲むバリ。

精霊からのメッセージか?

超怖い!

これって妄想。

メッセージの内容は?

取り敢えず、供物を欠かさないように心掛けようということになった。

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職人が入ったのは、3日後の昼近く。

5人の職人が、猫の額で掘削工事を開始した。

猫の額については「これは “妖怪神隠し” の仕業か?(78)」を読んでください。

サクティ橋は、架橋工事の途中、一度崖崩れを起こしている。

そんなことで私は、今回の工事現場の崖崩れが心配で、毎日覗くことに決めた。

私が覗いたからと言って、事故がなくなるわけではないのだが。

なんとなく気になるので。

サクティ橋工事で、作業中何人かのケガ人が出、亡くなった人もいると聴いている。

架橋現場だから、往々にして事故はある。

現場からケガ人がでないことを願っている。

ルアック側からバリ人スタッフが毎日、トゥトゥアン祭壇に神々のための供物を、そして、地霊の供物を地面に捧げている。


4日後に、パチュン君からこんな話を聴いた。

話していいものか躊躇しながらも語ってくれた。

35年ほど前、イダ・バグース家の家長が乗る車が渓谷に落ちた。

運転していたジャワ人は助かったが、父親は亡くなった。

場所は、現在のサクティ橋あたり。

これも、なにか因縁ぽい。

こうやって、バリの不思議を信じようとする私がいる。


posted by ito-san at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

これは “妖怪神隠し” の仕業か?(78)

パチュン家ファンの皆様に報告です。

ニュピが明けた日、パチュン家では一大事件が起きた。

あの鬱蒼とした林が一瞬にして消えてしまったのです。

神隠しに遭った気分ですよ。

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な〜んて書いたら、みんな、驚くだろうな。

でも、実際に木はなくなっている。

写真に細工のあとが見えない。

私に、そんな技術もないし。

では、いったいどうなったのか?

ジャジャ〜ん!

種明かしをしましょう。

渓谷沿いの木々が倒されたのです。

「それはわかるけど、いつのまにか、勝手に切られたの?」

疑問を抱くのは、もちろんです。


パチュン家の渓谷沿いの土地は、プリアタンの王族が所有している。

猫の額よりも狭い土地です。

わかりにくい説明でゴメンナサイ。

何はともあれ、この土地を「ルアック・ウブド・ヴィラ=Luwak Ubud Villas」が購入していた。

1年ほど前から、パチュン家の裏・猫の額を利用した、スパ建設計画があるのは聞いていた。

「ルアック・ヴィラ」の渓谷沿いの土地は猫の額よりもさらに狭く、資材の搬入をスムーズにできない。

そんなことから、パチュン家が工事現場への通路として利用される。

2階建てのスパを建設し、エントランスはヴィラに通じるように作るらしい。

崖にそって12メートル、川に向かって6メートル張り出す建物が建つ。

現場が始まれば、数ヶ月、作業員が屋敷内を横切ることになる。


いよいよ、実行されたのだ。

バリ歴の吉日にのっとり、木を切ってよい日が選ばれたのだろう。

作業は2日の朝9時、チェンソー職人が供物が捧げたあと始まった。

木々は一瞬に消えたわけではなく、午後4時までかかって切り倒された。

空き地は、まさに猫の額。

対岸の景色が開けた。

このあたりの渓谷では、精霊の話をよく聞く。

ムチャル(お祓い儀礼)は、7日と決まった。

しっかり、お祓いをしてもらわなくては。

お祓いをしなかったばかりに起こった事件が「極楽通信・ウブド奇聞・
妖怪ガマンは赤たまねぎが苦手」に載っています。

興味ある話です、読んでみてください。

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向かう側(サクティ村)に、ヴィラの建築現場が見える。

その北隣は「ヴィラ・ビンタン」。

今月の「第61回ウブド・本の交換会」の会場は、「ヴィラ・ビンタン」の喫茶室「ビンタン・ダイニング」で開催される。

日程は、4月27日の日曜日です。

時間は、昼間の12時から15時まで。

皆さん、参加してください。

本の交換会のエピソードを「ウブド日記:ウブド・本の交換会(43)」に書きました。

ご理解の上、ご協力くださるとありがたいです。

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話が横道にそれましたが、それにしても、夕焼けが奇麗。

以上、報告終わります。

posted by ito-san at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

オゴホゴ鑑賞はテガランタン村で(77)

ニュピ前夜のオゴホゴ(ogoh_ogoh)行列は、宗教色は薄く、村人の娯楽イベントと考えてよいだろう。

年を追うごとに大掛かりになり、カーニバル化してきている。

観光イベントにしている、村もある。

村の活性化には、最適な素材だ。

イベント屋の過去を持つ私は、カーニバル化には大賛成だ。

躍動的に成長する過程を見たい。

今年の私は、カーニバル化したウブド、パダンテガル、プリアタンを袖にして、地元テガランタン村の小規模なオゴホゴ行列を見学することにした。

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ダラム寺院とデサ&プセ寺院の間の広場に、オゴホゴが陳列されている。

例年より多い、8体のオゴホゴが集合した。

テガランタン村も年々、気合いが入ってきている。

発泡スチロールとウレタン・スポンジで作られるのは気に入らないが、村人が満足しているのなら今日のところは目をつぶろう。

機会を見つけて、竹などの自然素材を使って作る方法を推薦しておこう。


オゴホゴ行列のスタートは、夜6時30分と聞いている。

行列は村の北端に行ったあと、南端であるサクティ橋まで練り歩く。

サクティ橋の詳細は:2013年11月12日:■サクティ橋(仮称)の開通(64)をお読みください。

私はサクティ橋に近いパチュン家の前で待つことにした。

バレガンジュールの激しい音が聴こえた。

これは、川を隔てた東にあるクトゥ村の方角だ。

西にある渓谷の向こう、ブントゥユン村からも聴こえてくる。

オゴホゴ行列は、ウブド周辺の村々でも行われるようになった。

バレガンジュールの音が一段と大きく響いてきた。

我が村テガランタンのオゴホゴ行列が近づいてきたようだ。

私は、カメラを手にして部屋から出た。

パチュン君、奥さん、長女アユが門前に腰をおろしていた。

長男マデはニュピの出勤で、今夜はホテル泊になるらしい。

次男コマンは、バレガンジュール隊に参加している。

道は、街路灯が消され真っ暗だ。

見上げれば、満天の星。

北から、たいまつの灯りが降りて来る。

たいまつを持つ役は、幼い娘たちだった。

オゴホゴ神輿が続いている。

神輿の担ぎ手は、高校生以下の子供たち。

元気な掛け声が繰り返される。

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ウブド・グリーン・ホテルの前でデモンストレーション。

ホテル前で西洋人ツーリストが見学していた。

静寂の日ニュピは、ホテルで迎えるんですね。

「良いニュピをお過ごしください」

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サクティ橋の上で、たいまつ隊がオゴホゴ神輿を迎える。

たいまつのまわりを飛びかう蛍の光が、いくつか見えた。

橋のたもとで、オゴホゴ神輿が次々にデモンストレーション。

神輿を激しく揺すりながら、グルグルと廻る。

元気な声が響き渡る。

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テガランタン村でオゴホゴが作られるようになったのは最近のこと。

それまでは、ウブドやプリアタンに見学に行っていた。

おらが村でも独自のオゴホゴ神輿を担ぎたいと思っていただろう。

そんな夢が実現したかのように、行列に参加している村人の顔は誇らしげだ。

沿道の村人も楽しそう。

担ぎ手、行列に参加する者、見学者のすべてが村人。

村人による村人のためのオゴホゴ行列。

後ろをついて歩いて、これが村の絆を強くする一体感なんだろうな、と思った。

彼らの眼には、私とホテル前の西洋人ツーリストの姿は映っていない。

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役目を果たしたオゴホゴは、火葬儀礼場で燃やされた。
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2014年03月30日

深夜に「イブ〜!」の声(76)

「イブ〜!」

母親に哀願する、若い女性の声が聴こえた。

心もとない声は一度だけ。

そのあとには、呼吸音が続いている。


昨夜は鼻風邪をこじらせて、いつまでも寝付かれなかった。

いつの間にか、眠りに入っていた。

「イブ〜!」の声で眠りから覚めた。

このまま明朝まで眠りたかった。

そうすれば、鼻風邪も治っていただろうに。


深夜2時過ぎに、誰かが我が家を訪ねてきたとしよう。

「いとうさ〜ん!」と呼びかけられる。

こんな時間に誰だろう、と不審に思う。

そして「いとうさ〜ん!いとうさ〜ん!」と続く。

呼びかけが3度で終わった場合は、これは「ウブド限定・悪霊の誘い」だと思ってください。

返事をしないこと、そして扉を開けないように。


「イブ〜!」の呼びかけは1度だけだった。

私はイブ(母)でも伊武雅人でもないので、呼びかけられる理由はない。

そこにいないイブに向かって、彼女の懺悔のように聞こえた。

息づかいは、枕元の窓の外から聴こえる。窓の外は、パチュン家の家寺になる。

家寺の物置と私の暮らす部屋の間に、雨露をしのげる1メートルほどの空き地がある。

今は亡きキンタマーニ犬のセリ親子が、よくここで寛いでいた。

誰かが、入り込んだのだろうか。

隣家に仮住まいする建築現場の労働者の中に女性もいる。

何かの問題を起こして逃げ込んで来たのかもしれない。

もしかすると、陣痛をこらえる呼吸音か?

ここまでの推測は早かった。

そしてほとんど、そう思い込んでいた。

出産は潮の満ち引きに影響を受けると聞いている。

時間も深夜、そして明日は月の隠れる暗月だ。

病院に連れて行かなくては、と思う。


家寺の中での出産はタブーだ。

そんなことにでもなれば、浄化儀礼をしなくてはいけなくなる。

暗闇の中で思考する。

以前、テガランタン村ダラム寺院の前に、胎盤が置かれた事件があった。

犯人は欧米人ツーリスト。

大きな浄化儀礼になった。

明後日は静寂の日「ニュピ」。

こんなタイミングに不祥事は許されない。

彼女のためにも、一刻も早く連れ出さなくては、と焦る。

しかし、私は窓の下でうずくまる女性を見られない。

私は小心者だ。

窓を開けるのも怖い。

本当に、誰かがいるのだろうか。

何度も聞き耳を立てて、呼吸音を確かめる。

外へ出て、懐中電灯で確認しようか。

早くしないと、手遅れになってしまう。

焦りがつのる。

そうだ、パチュン君を起こそう。

携帯電話を掛ければいいだけだ。

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呼吸音が規則正しくなった。

聞き覚えのある音。

愛猫チビタのイビキに似ている。

枕元、足下を手探りで探してみたが、チビタはいない。

パソコン前の椅子で寝ているようだ。

覗き込むと、チビタが顔をあげた。

呼吸音も止まった。

大きなイビキをかくチビタは、寝言もよく言う。

「『イブ〜!』と聴こえる寝言は止めてください」とお願いした。

「パチュン家屋敷内・出産事件」は、思い込みの強い私のひとり相撲だった。

あっ!

「ポトン」

鼻水が!

目覚まし時計は、朝4時を少し過ぎていた。

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2014年02月14日

一泊2万円のヴィラ@テガランタン村(75)

テガランタン村の知人が賃貸ヴィラを建てた。

知人の名前はヤンデェ(Yande)君。

ヤンデェは、ワヤン・グデ(Wayan Gude)短縮系です。

ウブドのセンゴールにあったアグン・ライのワルンにたむろしていた仲間のひとり。

山田詠美の「熱帯安楽椅子」に、“ウブドには孕ませる空気がある” と書いてあったと記憶するが、当時のセンゴールにはそんな濃密な空気が流れていた。

テーブル越しに送るヤンデェ君の色っぽい視線に、何人の日本人ツーリスト女性が恋に落ちたことか。

ヤンデェ君の女性陥落の早業には、先輩カルタ君も感心していた。

日本人ツーリスト女性と浮き名を流した過去のある男だ。

今の容姿からは想像できないが、当時は華奢なジャニーズ系(死語かな?)の甘いマスクの青年だった。

軽ワゴン車・スバルサンバーを持っていたヤンデェ君は、長期滞在日本人のお抱えドライバーだった。

そんなことで、私との付き合いも古い。

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写真は1990年、サッカー場横にあった「CAFE BALI」の前で、日本人女性とヤンデェ君のツーショット。

女性は「日本料理店・影武者」の女将を訪ねて日本から来ていた友人。

写真でわかるように、ヤンデェ君は小柄な男性。

彼女は恋に落ちていません。

彼女の名誉のために付け加えておきます。



ヤンデェ君の古い噂は、闘鶏に狂って土地売り飛ばしてしまった駄目な奴だった。

今は、「KOPERSAI」と呼ばれる私設銀行を自宅で営業して成功している。

パチュン家の目の前の家だ。

金融業だが、日本で言うヤクザな商売ではないようだ。

ヤンデェ君のお母さんの長兄が、カルタ君やカポ君やマンコ君のお父さん。

お父さんは養子に入り、他家から嫁をもらっている。

嫁さんが、元気印のカルタ君たちのお母さん。

カルタ君の家が親戚なら、私にとっても親戚のようなもの。(と勝手に思っている)

緊急時には、借金を申し込もう。

担保の無い私に、貸してくれるかどうかは疑問だが。

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昨年末、ヤンデェ君がパダンテガル村の友人と不動産業務をはじめた。

ジャカルタの友人が経営参加しているらしい。

そんなヤンデェ君から、自分が建てたヴィラの宣伝をして欲しいと頼まれた。

不本意ながら協力することにした。

不本意の理由は、こんな立派なヴィラに泊まらなくてもいいのにと、私が思っているからだ。

テガランタン村は、表通りからは見えないが裏に入ると賃貸ヴィラが数件建っている。

ヤンデェ君のヴィラも母屋の裏手にあり、横に専用の道路がある。

2寝室・リビング・台所・エアコン・TV・WiFi完備。

ハイシーズン一泊2万円(オフシーズン一泊1万5千円)。

この価格が高いのか安いのか、私には判断ができません。

長期滞在もOK。

値段交渉に応じますとのことです。

不動産部門のホームページ「www.citrustreevillas.com」

お勧めしていないのに、応援するのも変ですが、これも浮き世のしがらみというやつですか。

日本語の問合せは、取りあえず、日本語の通じる「アパ?」へどうぞ。


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2014年02月06日

パチュン君の博多滞在記(74)

テガランタン村のパチュン家に引っ越して、早1年が過ぎた。

相変わらず、惰民が惰眠を貪る生活を送り、たわいもないブログを綴っています。

来月(3月)に入れば、ブログも1年続くことになる。

愛読してくれている希少な方がいること信じて、これからも精進したいと思っております。

私のブログ愛読者には、パチュン君のファンも多い。

たびたび文中に登場するパチュン君。

彼が日本に行ったことがあるのを知ったのは、つい先日のこと。

始めて聞いたパチュン君の過去。

彼に思い出話を語ってもらった。


パチュン君のプロフィールだが。

生年月日を訊いてみた。

「1968年12月31日生まれです」との答えが返ってきた。

あまりにも、覚えやすい誕生日ではないか。

「日本だったら、年末の忙しい時の生まれた子だ」と振ってみた。

何か裏があると考えた問いだ。

年号は正しいと思うが、月日は怪しい。

バリ人は、ウク暦に従っているから西暦の誕生日を知らないことが多い。

公の書類が必要になった折り、彼らは適当な月日を記入する。

パチュン君の両親も同様だったのだろう。

彼は、苦笑いしていた。


パチュン君が「ウブド村営観光案内所ビナ・ウィサタ」のオフィスに顔を出して、日本語の勉強につとめていたのが1990年。

私と知り合ったのがこの頃で、22歳だったことになる。

その後、日本語ガイドとしてサヌールにある旅行会社に勤めた。

ガイドの仕事で、たくさんの日本人の知り合いが出来た。

1994年、ひとりの日本人男性が「日本語の勉強になるから」とパチュン君を日本に招待したいと申し出た。

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この頃、私のまわりのウブド人に、日本人ツーリストの評判はあまりかんばしいものではなかった。

ウブドを訪れた旅行者が、ウブドを気に入った一時の興奮で「あなたを応援したい」「日本に招待する」「ビジネスを一緒にしよう」「家を建てる」「結婚したい」と口に出すことが多かった。

言われたウブド人も、言われた言葉を信用し、彼・彼女が、再びウブドを訪れるのを待つ。

「日本で仕事をしないか?」ある会社の社長がブディ君に言う。

ブディ君は「チャンプアン・ホテル」の仕事を辞めて、日本人社長の連絡を待った。

3年待ったが音沙汰はない。

サクセス・ストーリーと羨ましがられた話は、月日が経つと騙された馬鹿な奴に変わっていた。

今、ブディ君はチャンプアン・ホテルに復職している。

「必ず、帰って来るから」と言って日本に帰国した彼女は、戻って来なかった。

私の知る限り、ワヤン君は6年は待っていた。

今、ワヤン君はバリ人と結婚して子供も授かっている。

こんな話は、まだまだある。

日本に帰ってしまえば、連絡のしようもない。

何年かするうちに、日本人ツーリストの「口約束は守られないもの」と思われにようになっていた。


こんな噂のある日本人ツーリスト。

パチュン君は人を素直に信用してしまうタイプだが、そんな彼でも簡単には本気にできない背景である。

招待したいと申し出た日本人男性は、博多で建築機械を取り扱っている会社社長。

航空チケット代金を渡して帰国した。

それでも半信半疑。

日本に着いてからのことも心配だ。

観光で行くのだから、働かされることはないだろう。

それだって、着いてしまえば、どうなるかわからない。

不安はつのるが、日本を一目見たい好奇心と日本語を勉強する夢が大きく膨らんでいた。

パチュン君は、日本行きを決意した。

パスポートを自力で取得。

これだけでも、未経験のパチュン君には大変なことだったろうと想像できる。


社長との約束日のチケットは、ガルーダ・エアラインが満席で取れなかった。

電話事情の悪いウブドで、社長との連絡がつかない。

約束日より5日遅い9月末から3週間のチケットを購入して、その旨をファックスで送った。

行き先は、博多。

当時は、博多へはガルーダの直行便が飛んでいた。

新調した靴と、借り物のズボンとスーツケース。

2歳の長女アユと6ヶ月の乳飲み子長男マデを抱かえた奥さんが、空港で見送った。


ファックスが届かなかったのか、空港に社長の姿はない。

放心状態で立ちすくむパチュン君に、優しく声を掛けてくれた日本人青年がいた。

住所はわからない。

電話番号だけが頼り。

親切な青年が電話で連絡をとってくれた。

社長は、5日前から京都に行っていた。

パチュン君と一緒に行く予定だった京都旅行だ。

急いで博多に戻った社長と、やっとのことで再会を果たした。

「親切な日本人がいてよかったです」とパチュン君。

日本語が少しは話せると言っても始めて飛行機に乗って始めての異国。

空港でひとりぼっちは、さぞかし心細かったことだろう。

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社長のお宅にお世話になった。

最初のカルチャーショックは、トイレだったそうだ。

あまりにも奇麗なトイレに、緊張して立ち尽くす。

日常、庭で立ち小便していた彼には、便座に小便を命中することができるか不安だったと言う。

大便に関しては「恥ずかしいから書かないで」と本人から哀願されたので没にしました。

興味のある方は、本人に直接聞いてください。

食事は、まったく駄目だったようだ。

社長は、気をきかせて炒飯を頼んでくれたりタイ料理の店に連れていってくれたそうだ。

事務所で働いている人が無駄口をたたかず、ひたすらパソコンに向かっているのが不思議に見えたと言う。

100円硬化を入れてボタンを押すと「ガタン」の音とともに、缶コーヒが落ちて来る自動販売機も初体験。

自動販売機の前で、茫然と立ち尽くすパチュン君の姿が眼に浮かぶ。

「立ち尽くす」ことの多かった旅になったようだ。

ホテルに宿泊したり、鹿児島にある水族館へ行ったりと、旅を楽しんだ。

「日本人の親切には、深く感動した!」と懐かしく語ってくれた。

貴重な経験になった、パチュン君の日本滞在でした。

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2014年01月24日

トカゲが飛んだ〜♪(73)

バレ・ダンギン(Bale Dangin・屋敷中央にあるあずまや)の足もとに、トカゲの姿が見えた。

尻尾が長いところをみると、グリーンイグアナの子供かもしれない。

それにしては、色が違う。

愛猫チビタが目ざとく見つけ、近寄って行く。

トカゲは素早く走り逃げようするが、チビタの手に掛かってしまう。

チビタの前でトカゲは動かなくなった。

動かない獲物に、チビタは興味がない。

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私は、近寄って見ることした。

部屋に戻りカメラを手にして庭に降りる。

全長10センチほどのトカゲだった。

見ていると、トカゲは口を大きく開け私を威嚇した。

ノドに、黄色のエラがある。

エラは、袋のようになっていて威嚇するたびに震える。

突然、胴体から扇形の羽根が出た。

なんじゃ、これは?

始めて見る爬虫類だ。

何度も言うが、爬虫類は苦手だ。

手に取って見聞したいが、小さくても爬虫類。

顔に向かって飛びついてくるかもしれない。

鼻を噛まれたたらどうしよう。

スッポンのように、噛み付いたら離さない奴かもしれない。

眼の玉に飛び込んでくることも考えられる。

想像をしただけで怖くなる。

カメラを望遠にして写真を撮るのが精一杯だった。

cecak-terbang2.jpg

パチュン君に、カメラに写ったトカゲを見せて名前を訊ねた。

「これは、バリ語でダンガップ・ダンガップ=DANGAP-DANGAPだ」と教えてくれた。

インドネシア語は知らないそうだ。

横からイブ「飛ぶんだよ」と言う。


私はインドネシア語の名前が知りたくて「日本料理店・影武者」のスタッフ、博学ダユーに訊ねた。

「ダンガップ・ダンガップは、インドネシア語でなんと言うの?」

ダユーは、困った顔で「イグアナに似た奴」と答えた。

う〜ん、それでは私の期待する答えになっていない。

他のスタッフにも訊いてもらったが、みんな知らなかった。

女将の由美さんがインターネットで調べてくれた。

インドネシア語では「チチャッ・トゥルバン=Cecak terbang」とか「チキバール=Cekibar」と判明した。

インドネシア全土に分布するトカゲだった。

瞬時に答えが得られる、インターネットって凄い。

今更ながら感心している。

トゥルバンは飛ぶという意味。

やっぱり飛ぶんだ。

飛ぶと言っても高い所からの滑空だろうが、掴まなくてよかったと胸を撫で下ろす私でした。

green-iguana.jpg

※参考資料:グリーンイグアナ@旧影武者

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2014年01月22日

隣家からクラウハンの叫び(72)

土曜日は早く寝床につく。

毎週日曜日には朝8時にウブドを出発して、バリ南部のジンバランまで野球をしに出掛けていくからだ。

そうです、バリにある草野球チームに参加しているのです。

2年間ほど休部していたが、昨年10月から復帰している。


土曜日と日曜日の狭間、深夜2時。

それまで静かだった隣の家から、男性の叫び声が聞こえた。

数人の男性の声が混じって騒がしくなった。

声の感じから喧嘩ではない。

私は、浅い眠りの中でクラウハン(神が降りて来る状態)した声だと冷静に判断している。

隣家の庭には、テガランタン村で新しく始まったヴィラ建築に携わる職人たちの飯場が建っている。

簡素なテント作りの小屋は、ちょうど私の部屋の裏で普段でも話し声が聞こえる。

バリ東部カランアサム地方から出稼ぎに来ている10数人の職人さんが寝起きしているようだ。

クラウハンしたのは、そのひとりだろう。

我が家の鉄扉の揺れる音が聞こえた。

パチュン君が隣の家に行ったのか?

隣家から「アダ・アパ?=なにがあった?」と緊張した声がする。

心配でパチュン君が駆け込んだに違いない。

話し声はしばらく続いたが、やがて静かになった。

バリでは、クラウハンに遭遇する機会はしばしばある。

今夜もそんな夜だろう。

私は、眠りについた。

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翌日、野球から戻り午睡のあと、パチュン君に昨夜の話をした。

「そう、その頃、私は息子のコマンとテレビを見ていた。大きな声を聞いて、喧嘩だと思い、玄関の鉄扉を閉めに行った」

えっ、閉めにいったんだ。心配で見に行ったんじゃないんだ。

私は心でつぶやく。

「鉄扉が強く揺すられたので、喧嘩の流れが駆け込んで来たのかと、クリス(剣)を手に鉄扉に近づくと、揺すっているのは隣家から逃げて来た犬たちだった」

竹槍を構えた仕草で説明するパチュン君は、苦笑いしている。

正義感が強い割に、こういう時には慎重に行動する。

「コマンは後ろで、いつでも警察に電話ができるように携帯電話を手にしていた」

親子の連携プレイを解説した。

鉄扉の音とパチュン君の行動を知って、私も苦笑い。


バレ・ダンギン(Bale Dangin・屋敷中央にあるあずまや)に腰掛けていたヤンディ君が、昨夜のあらましを教えてくれた。

ヤンディ君は元村長。

事件が起これば出張らなければならない立場に居るが、昨夜の騒動はヤンデェ君の家までは聞こえなかったようだ。

隣家の主人がヤンディ君の家に出向いて、事件の説明した。

「主人の説明では、クラウハンした男性は黒い2人の大男を見たのだそうだ」

黒い大男は悪霊だろう、と私はさとった。

バリは悪霊も神々のひとつだ。

ツーリストがクラウハンをすることは少ないが、バリ人なら往々にしてありうることだ。

幸い私にも、こういった経験はない。

「彼らは儀礼や供物に、心配りが足らなかったのではないのか」とヤンディ君は言う。

さらにニコニコ顔で「テガランタン村には、よそ者を受け付けない精霊が居るからね」と付け加えた。

ビジネスも含めて、よそ者が立ち入るのを嫌うテガランタン村の村人の気持ちを表した言葉に聞こえる。

トイレ、台所など不浄な場所の儀礼を執り行い、供物を捧げることを忘れないように注意を促し、一件落着した。

日曜日の夜から、隣家は静寂を保っている。
posted by ito-san at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月20日

アンギン(アグン・ライ)の帰郷(71)

「イト〜サン!」

庭からイブの声が聞こえる。

私はテラスに出た。

コザッパリした若い男性が、イブのそばに立っていた。

男は、私に小さく微笑んだ。

私の見知らぬ男だった。

誰かから使いの者だろうか?

戸惑う私にむかって「アグン・ライだよ」とイブが紹介した。

どこのアグン・ライだ?

私には、まだ誰だか理解できなかった。

知り合いのアグン・ライの顔をいくつか思い浮かべたが、繋がらない。

記憶がよみがえる予感がした。

あぶりだしのように、目の前の男性の面影が鮮明になってきた。

それは一瞬だった。

繋がった。

「おぅ! アグン・ライか!」

私は大きな声を出していた。

アグン・ライは、私の記憶よりひとまわりふくよかになっていた。

荒波が寄せるように記憶は激しくよみがえり、私は興奮が押さえきれなくなっていた。

私はアグン・ライをテラスに迎え入れ、ハグをした。

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23年ぶりに再会だ。

アグン・ライはオカちゃんのすぐ下の弟。

私は、オカちゃんに世話になる以前にアグン・ライと知り合っていた。

アグン・ライは、ウブドのセンゴールでワルンを経営していた。

「デワ・ワルン」の前身だ。

当時、鶏ガラのように痩せていたアグン・ライは、しばしばフラフラと姿を消すところからアンギン(風)と呼ばれていた。

1年ほどの付き合いしかなかったが、私の「ウブド沈没」に一役買っていたのは間違いない。

ウブド滞在が始まったばかりで不安がいっぱいの時期に、数少ない友人のひとりとしてアグン・ライの存在は大きかった。

英語は得意だが、日本語のまったく話せないアグン・ライだが、それでも密度のある人間関係だった。

1991年に、日本人女性と結婚して日本に渡った。

養鶏場で働いているとオカちゃんから聞いて、闘鶏の好きだったアグン・ライらしいと思ったものだ。

その後、テガランタン村に3回ほど帰郷しているが、私は会えずじまいだった。


日本語の話せるアグン・ライとの会話はスムーズに進んだ。

愛媛訛りも耳に心地よい。

結婚当初の日本生活は、苦労しただろうと想像できる。

今になれば、それも良い思い出だろう。

理解のある両親でよかった。

そして、勤め先の先輩・同僚にも恵まれ、仕事に打ち込めたのもよかった。

もちろん奥さんの理解も大きかったはず。

1女、2男を授かっている。

日本での生活を嬉々として語る。

「一生懸命働きましたよ」アグン・ライは力強く言う。

バリ生活を「若気の至り」と悔いているようだが、若干19歳の若者なら普通のことだ。

「伊藤さんがウブドに来た時に、私がもっと協力できればよかったのに。何もできなくてゴメンナサイ」。

23年間、心に仕舞っていた言葉だろう。

こんな気を使ってくれるバリ人の友人が居ることが嬉しかった。

たぶん私は、知り合うバリ人の本質を見抜いて、付き合っているのだろう。

長い間のブランクがあるとは思えないほど、意志が通じ合えるのには驚いた。

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ヤンデェの使いがアグン・ライを呼びに来た。

これからどこかへ出掛けるようだ。

久しぶりに会う友人たちが、アグン・ライを離さない。

1時間ほど、昔話に花を咲かせてアグン・ライは風のように消えていった。

生家テガランタン村の生活19年より、日本滞在のほうがが長くなっている。

靴を履き付けているのだろう、足の指はくっついていた。

逆に私は、サンダル生活で足の指は離れている。

アグン・ライは、思考も嗜好も日本人になっていた。

1週間ほどの滞在で日本に帰って行く。

日本に永住することになるだろう。

幸せな家庭生活を築いて欲しい。


私は今、家族の居る日本でなく、心優しい友人の居るウブドでもない、行ったことのない異国に心を動かされている。

アグン・ライの後ろ姿を見て、私の心に動揺が起きた。

自分にとってウブド滞在が、もっとも安穏な生活を送れる空間であることは認めている。

しかし、今の私は安穏を求めていない。

5月9日の日本一時帰国で、私の気持ちにどう変化が起こるか楽しみでもある。
posted by ito-san at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする