2014年01月09日

僧侶の火葬儀礼(70)

3日間、晴れ間が続いている。

今朝のイブと私の会話です。

「パナス(暑いね)!」とイブ。

「パナス!」おうむ返しの私。

「雨が降り続くと、晴れて欲しいと思い。暑い日が続くと、雨が欲しい願う」とイブ。

「本当だね!」と私。

人間がいかにワガママかと言うことを如実に語っている、2人の会話でした。

な〜んちゃって。

ちょっと大げさな表現をしてみました。


テガランタン村は本日、僧侶(プマンク)の火葬儀礼(プレボン=plebon)が執り行われた。

僧侶は、埋葬せずに速やかに火葬の儀礼に入ることになっている。

女性の僧侶は昨年末亡くなったのだが、プサ寺院ウブドのオダラン50年祭と重なり延期となった。

テガランタン村のご神体がプサ寺院ウブドに奉納されているためだ。

ホルマリン注射をほどこして、年を越した。

儀礼は、昼12時を過ぎてから始まった。

酷暑の中、村人総出で儀礼に取り組む。

僧侶の遺体を乗せて運ぶ「ワダ(wadah)&パドマ(padma)」と呼ばれる神輿には、屋根がない。

神と同じ扱いを受ける僧侶は、天界と直結しているため、と言うことだそうだ。

プトゥラガン(patulangan)と呼ばれる火葬時に使われる棺は、白い牛(ルンブー=lembu)と決まっている。

詳しくは、極楽通信:火葬儀礼にあります。

読んで頂けると嬉しいです。

2014-plebon1.jpg
2014-plebon2.jpg

人出を当て込んで、数々の行商が店を出している。

サロンを売る人・飲み物&駄菓子の露天・バッソ屋・焼きトウモロコシ屋・フライ屋・ナイフ屋(男衆の必需品)・ティパット屋・など。

いずれも、売れているようには見えなかった。

dagang_berjaja2.jpg
dagang_berjaja3.jpg
dagang_berjaja4.jpg
dagang_berjaja5.jpg
dagang_berjaja6.jpg

ワヤン・カルタに呼び止められた。

集会場の近くまで歩き「ここのサテ・バビ、美味しいから」と言う。

昨年10月のダラム寺院祭礼の時、売り切れで食べられなかった「サテ・バビ屋」だ。

カルタの言うとおり美味しい。

サテ・バビは、カルタのおごり。

食べ終えて、本日の火葬儀礼見学を終了とする。

sate-babi.jpg

明日10日「ウブド・ラジオ http://ubudradio.com」に出演予定。

松原亜希子(シドゥメン村)と一緒です。

http://songket.exblog.jp/
https://www.facebook.com/akikomatsubara.songketbali

どんな展開になるか楽しみだ。

『聴いてチョ! 見てチョ!』

posted by ito-san at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

年頭に四計を考える(69)

年が明けて、元日。

天気は雨。気温25度。

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

1月1日は、暗月(ティラム)とカジャン・クリオン、そして、雨季前のムチャル儀礼(67)の最終日と重なった。

パチュン家のイブは、年末から供物作りに忙しい。

もっとも、テガランタン村のイブイブ(主婦連)は全員が忙しかっただろうが。

テガランタン村は、9日にマンク(僧侶)の火葬儀礼が予定されているので、忙しさは続いている。


「一年の計は元旦にあり」

一年の計画は元日の朝に立てるべきだ、と言われても・・・ね。

この年齢(66歳)になると「今年も元気で暮らせますように」くらいしか思い浮かばない。

それに、これは願望であって計画ではないし。

itosan-2014.jpg

「一日の計」は立てるが、いつのまにか消極的になっていた。

いくつかの予定は達成されず、一日に一件の用事が済めばOKという感じになっている。

今日できないことは、明日に延ばしてもいいのじゃないか。

明日できないことは、できる日まで待とう。

バリ人と生活していると、往々にしてそんな性格に改造されてしまう。

そして、それが私の性格に合っていた。

仕事をしているわけじゃないので、私の滞在は長期休暇のようなもの。

たいして重要な用件もないと言うことかもしれない。

一日の計画もままならないのに、一年の計画たてても無理と言うもんだ。


さて、今年は何をしよう。

ウブド滞在24年、私の好奇心も底をついたようだ。

フットワークが重くなってきている。

ここらで少し心を入れ替えてみてもいいかもしれない。

取りあえず、25年ぶりに日本に戻ってみようと思っている。

これは昨年から考えていたので、年頭にあたってではない。

5月9日にバリを発って、翌10日に名古屋に着くチケットを購入した。

日本を離れたのは1990年5月7日。

小牧市にあった名古屋国際空港から、ガルーダ直行便でバリ島のデンパサール空港に降り立った。

25年ぶりの帰国は、エア・アジアでセントリア空港に到着する予定。

ちょっと不安、そして、多いに楽しみ。

田舎住まいに私は、衣服も靴(いつもゴム草履)もウブド仕様。

日本から持って来た物はすでに使い捨て、今はすべてがウブド滞在中で手に入れた物ばかり。

名古屋周辺で、白髪を後ろで縛った、どことなくみすぼらしい男を見つけたら私です。


「一生の計」は、ことごとく覆された。

しかし、これも人生。

振り返ってみれば、楽しいことばかりだった。

結果オーライといきたい。

希望「No! Nukes」は、ずっと持ち続けている。

それに対しての計画が、具体的な形で浮上していない。

日本一時帰国で、新たな行動の動機が見つかるかもしれない。

今後のことは、その時に考えることにしよう。

「一日の計」「一年の計」「一生の計」「一家の計」を四計と言うらしい。

「一家の計」は、まっとうできそうもない。

ゴメンナサイ。(平身低頭)

三が日をグダグダと寝正月で過ごしたオヤジの独り言でした。

posted by ito-san at 17:23| Comment(1) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月31日

ウブドの年末(68)

年末を感じなくなったのは、ウブドに滞在始めて何年目からだろう。

日本に居る時には、12月に入れば、何となく忙しない気持ちになった。

一年をひと区切りとする気持ちは大きく、年頭には「一年の計」を立てる。

年内に、仕事を一段落しておきたいと考え、実際に慌ただしい。

クリスマスのセレモニーは、大晦日までの日にちが、残り少ないことを気づかせる。

日本には、忘年会なんて慣習もある。

年賀状という習慣もある。

そして大掃除。

「NHK紅白歌合戦」に年末を感じる人もいるだろう。

最後に除夜の鐘。

煩悩のおおい私は、この鐘に癒されたものだ。

calendar2014-12.jpg

我々が利用する西暦のカレンダーは、バリ人にとっては単に日にちが明記されているだけのもの。

曜日にも意味がない。

彼らは、バリ独特のカレンダー、ウク暦サコ歴に従って生活を営んでいる。(※写真は、バリの暦と西暦を組み合わせたバンバンさん考案のカレンダー)

クリスマスもない、仕事納めもない。

普段と同じひと月だ。

バリ人に忘年という概念もない。

年度の変りにも全く興味がないようだ。

(※官庁関係には御用納めと年始休暇があるようだ。)

年末にメリハリがないと考えるのは、我々がツーリストだからだ。

アッ!という間に時が経つのも、日本の四季のようなメリハリがないからだろう。

私のウブド滞在24年間もアッ!という間だった。

バリ人は、ガルンガンニュピオダランで、日常に変化ををつけている。

バリ島は、インドネシア有数の観光地。

中でもウブドは、バリ島屈指の観光地。

年末年始には世界中から観光客が訪れ、中心地は竹下通り状態(この表現って古いですか?)。

町中に観光客が溢れるが、バリ人にはいつもより観光客が増えただけのこと。

彼らの日常は変わらない。

私が年末を感じなくなったのは、周囲のバリ人が新年を迎えて改まろうという雰囲気がないからだろう。


パチュン家の大晦日も、通常の一日のようだ。

日本人専門ガイドのパチュン君は、12月25日から書き入れ時で連日帰宅が遅い。

大晦日の帰宅も年越しになってしまうだろう。

留守番は、イブと末っ子のコマン君。

「2人で寂しいから、イトウさんも早く帰って来てくれ」とイブに言われている。

ノタリス(司法書士)事務所に勤める長女のアユが、仕事納めで昼過ぎに帰宅した。

「今日はスンバヤンをすませて半ドンでした。1日と2日が休暇です」と教えてくれた。

ホテル勤めの長男は、帰りが遅くなるだろう。


夜8時過ぎに「食事です」イブの声がした。

テラスに出ると、大きなテーブルの上に食事の用意がしてあった。

イブとアユとコマンと一緒に夕食。

「良いお年を」ということで卓を囲んでくれたようだ。

「皆が集まると楽しいのにね」イブはどことなく寂しそうに言った。

昨年は、家族全員でテラスのタイルの上に座り込み食事をしたようだ。

アユから「この家を、そして家族を気に入って、いつまでも住んでください」と嬉しいコメントがあった。

コマンは食後がすむと、そそくさと友人が集う村のワンティランに出掛けていった。

カウントダウンの予定があるようだ。


今年の私は、パチュン家で新年を迎える。

昨年は、トゥブサヨ村だった。

トゥブサヨ村の借家から「年越し仮装PARTY in UBUD」に出掛けていった。

昨年まで4年間続いた「年越し仮装PARTY in UBUD」が、今年は中止となった。

今年は、いつもの時間に、いつものように「影武者」に顔を出して、いつものように食事をして帰るだろう。

リピータの日本人客がいれば、バリの話で盛り上がりたい。

もしかすると、年越しそばが食べられるかもしれない。

(ウブドの変則十字路にあるワンティランでカウントダウンのバザーがあったが、いつのまにか中止してた。花火の打ち上げも昨年より縮小されていた。)


※写真のカレンダーは、来年2014年の12月のもの。

制作者・バンバンさんの写真が老けている。

本人は、他界していると聞いている。
posted by ito-san at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月03日

雨季前のムチャル儀礼(67)

昨夜のことだ。

「今夜、バロンのジャランジャランがあるよ」と、プチュン君が教えてくれた。

ひと月前(11月2日)に、クニンガンが終わった。

ガルンガン&クニンガン関連のバロンのジャランジャランではないようだ。

私のカレンダーに、心当たりのウパチャラ(儀礼)はない。

「何のウパチャラがあるのかな?」と、訊くと。

「毎年、サシ・カリモの最終日のティラム(Tilem=暗月)に行われるムチャル(悪霊払い儀礼)ですよ」

バリの慣習を伝えられることが嬉しいのか、誇りを持った顔でパチュン君は答えてくれた。

ムチャル(Mecaru)は、地下界に棲む悪霊ブタ・カロに対する浄化儀礼のこと。

サシ・カリモは、サコ暦の第5番目の月(西暦の10月〜11月頃)のことで、翌月はサシ・ カナム (第6番目の月)で雨が降り始め、暑くなってくる。

雨季の到来である。

疫病が流行った時代の名残からか、バリ島では、雨季の前にすべての村でムチャルが行われている。

ムチャルは、地域によって名称が異なることもある。

テガランタン村ではムチャルでいい。

mecaru2013.jpg

今夜は、霊力が強いと言われるカジャン・クリオンの日が重なった。

夜7時、バレガンジュールの音が我が家に近づいてきた。

バリの正装に着替え、カメラを片手にテラスに出た。

いつもならこの時間、ドゥダルが異常発生するのだが、今夜は不思議に出ていない。

もし、ドゥダルが飛び交っていたらどうするのだろう?

彼らのことだから、慌てることもなく「あら、あら!」という感じで、やり過ごすのだろうな。

道路に出ると、そこには、白い正装に身を包んだ若者たちが腰をおろしていた。

若者たちは、バレガンジュールの演奏隊だ。

その中に、コマン君(パチュン家の次男)の姿も見える。


右手・南を見ると「ルアック・ウブド・ヴィラ」前の道路に、ススオナン(寺院のご神体)であるバロンとランダがこちら・北を向いて並んでいた。

安置されている寺院の祠から持ち出されたススオナンは、ムチャル儀礼で祀られる。

村人は、ススオナン前の路上に腰をおろして、お祈りの最中だ。

こういう風景、バリらしくていいね。

私は最後列にしゃがんだ。

昼間の太陽の余熱が、お尻に伝わってくる。


すでに、村の北入口のムチャル儀礼は終えている。

このあと、村の中央にあるダラム寺院に戻り、お祈りをする。

今、テガランタン村の各家は、人っ子一人もいない状態だ。

遠くからバレガンジュールの音が聴こえる。

寺院から戻ると、私の右手首にも、魔除けの紐をつけてくれた。

私も、バリ島の悪霊からプロテクトされたのだ。

ニュピ前夜の締め括りムチャルとは違った緊張感のムチャルだった。


15日後の満月にも、ムチャルは行われる予定になっている。

17日の火曜日だ。

コンディションが良ければ、参加しようと考えている。

posted by ito-san at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月27日

建築ラッシュ@ウブド(66)

パチュン家の貸家の工事が始まった。

初期のプランより、住居が広くなったようだ。

私のアイデアとは異なる。

パチュン君なりに計画があるのだろう。

この設計だと、当初予定していた家賃(月150万ルピア)より高額になるかもしれない。

rumah-pacung1.jpg
rumah-pacung2.jpg

ウブドを中心とした建築ラッシュは、テガランタン村にも波及している。

タマン村の外れの田んぼで工事が始まった。「ウェスティン・ホテル」が進出するという噂だ。

「ルアック・ウブド・ヴィラ」前の空き地も、ヴィラ建築が開始された。

カポとマンコの兄弟がそれぞれ20年契約でリースした土地は、現在ヴィラが建築中。

マンコは手にしたお金で、実家の裏に高級ヴィラを建てている。

西村さん家のまわりにも、数件のヴィラが建ち始めたと聞いた。


ホテルが建つことの是非を、我々ツーリストが口を挟むことではない。

「昔は良かった」と言うのは、ツーリストの郷愁だろう。

村人も、できることなら昔のままがいいと思っている。

しかし、そうも言っておられない経済的事情もある。

ホテル側は従業員の何割かを地元から雇用するよう義務つけられている。

働き口ができることは、地元の人々にとっては喜ばしいことだ。

税金の収益が見込め、村も潤う。


プンゴセカン村にオープンしたホテルを見学に行った。

エントランスから奥にある宿泊施設まではかなり歩く。

緩いカーブの道は、バリアフリーに設計されている。

嬉しい心遣いだ。

これからの時代は、こういう気遣いがなくっちゃ!

4階建ての宿泊施設の外観は、これと言って意匠を施しているようには見えない。

どちらかと言えば、オフィスのような設計だ。

右手にガラス張りの壁が見えた。

温室か? と目を見張った。

よく見ると、エレベーターを収納する壁だ。

都会の便利さを求める観光客が増えているのだ。

いよいよ、ウブドもこんな時代に突入したのかと、私はガックリと肩を落とした。

裏から見ると、5階建てになっていた。

plataran1.jpg

日本人もバリ人も、自然との調和を大切にする民族だ。

ウブドは今まで、渓谷や田んぼを巧く利用したホテルやレストランが多くあった。

専門家でもないのに、と彼らのセンスに感心したものだ。

近年、海外やジャカルタからの投資が続いている。

営利本位で自己主張の強いビジネスや建築物が目立つようになったのは、そのせいか?

この傾向は、今後、さらに拍車がかかることだろう。

問題はホテルの乱立でなない。

どんな意匠で建てられるか? 自然環境は考慮されているか? だ。

できればウブドの環境に合った、ウブドらしい発展を望みたい。

ウブドの将来のため、何らかの条例を作った方がよいのではないかと考えてしまうのは、お節介な私だけだろうか?

私はサバイバル信奉なので、できれば「バック・トゥ・ザ・アートネイチャー」でいきたいのだけど。

あっ! 何か間違えた?

posted by ito-san at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月25日

バリ島の風物詩・ドゥダル(65)

バリ島の雨季の始まりを告げる風物詩は、夜7時頃になると現れる羽アリだ。

体長2センチ弱、こげ茶色の羽アリ。

バリ語でドゥダル(Dedalu)、インドネシア語ではラルン。

今年、テガランタン村では11月21日から出没した。

ドゥダルは、明かりという明かりに群がり、飛び交う。

「数匹のアゲハチョウが、ブーゲンビリアのまわりをノンビリと飛び交っている〜」なんて生易しいものではないゾ!

街灯の明かりが暗くなるほどの大量発生だ。

初めて目撃した人は、異常事態だと思うだろう。

私もカルチャーショックを受けたひとりだ。

レストランの中にも侵入して来る。

ロウソクの炎に飛び込む、自殺行為のドゥダルもいる。

ドゥダルは、1時間もすると床に着地し這いずる。

しばらくすると、羽が抜け始める。

羽が取れたドゥダルは今、巨大アリの姿だ。

正体は、シロアリらしい。

シロアリが、何らかの変異で羽をつけて飛び出して来るのだ。

巨大アリはツガイになって、いっせいに交尾を始める。

1〜2時間のうちに羽だけ残して、きれいにいなくなってしまう。

短時間で姿を消すと言っても、虫の苦手な人には、迷惑な風物詩かもしれない。

羽の掃除も大変だ。


ウブドの町中は、アスファルトと敷石で近代化が進みドゥダルの発生量が少なくなった。

ホテルでは、殺虫剤を散布して退治しているらしい。

あいにく私の滞在していいるテガランタン村は田舎だから、今でも大量に飛来する。

昨夜もドゥダル大隊の急襲にあった。

私は明かりに群がるドゥダル大隊の写真を撮ろうとテラスに出た。

飛び交うドゥダルに身体が包まれる。

カメラを向けたが、大隊はカゲロウのようにボケて実体をともなわない。

写真はボツだ!

庭では、ドンカン=dongkang(バリ語でカエル)が好物のドゥダルを待ち受けている。

マイ・マンディ場の壁には、数匹のチチャッと大きなトッケイが好物のドゥダルにありつこうと待ち構えていた。


以前、プンゴセカン村にカフェと名のついた雑貨屋「ブンブン・カフェ」があった。

なんと経営者は私。だからツブレタ。

夜な夜な、店の裏の作業場でバナナの幹から作った紙で、ランプシェードを作っていた。

この頃は、8時になるとドゥダルが登場した。

コンクリート床の割れ目に、小さく土の盛り上がりができた。

なんだろうと、近づくと一匹のドゥダルが飛び立つところだった。

ところが一匹ではなかった。

次から次へドゥダルは飛び出して来る。

数カ所から吹き出るように沸き上り、明かりを目指した。

作業場の電灯のまわりを、狂ったように飛び廻る。

私は、爬虫類は苦手だがドゥダルはヘッチャラ。

上半身裸のまま、ドゥダルに身を任せて作業に専念する。

痒くなるアレルギーのバリ人もいると聞いている。

オカちゃんが、バケツに水を張って電灯の下に置いた。

ドゥダルが、ポトポトと落ちて来る。

昔は、羽の取れたドゥダルを集めてナベでから煎りしたり、小麦粉と卵で作るクルプック煎餅に混ぜたりしたそうだ。

そんな話をしながらオカちゃんは、テーブルの上を動き回っているドゥダルを一匹つかむと、つまようじに突き刺し、ライターの火でジュッと炙った。

そして「ほらね」と、口の中に放り込んだ。

味はないと言う。

数日後、ドゥダルが飛び出したあとの土からキノコが生える。

このキノコは美味しいらしい。


空港で新婚さんを迎えて、ウブドへの戻り。

バイパスの街灯に大量発生したドゥダルの群れが、道路一面に広がっていた。

まるで、粉雪が乱舞しているかのように幻想的だった、ことを思い出した。

こんな光景を見せてくれるドゥダルも、虫の苦手な女の子には大問題だろう。

ホテルにチェックインした新婚さんが案内された部屋には、まだ、ドゥダルが飛んでいた。

あと数分で姿を隠し、その後、羽の掃除をしてしまえば、お客様が気がつくことはなかった。

それを見てしまった奥さんはショックを受け、そのホテルをキャンセルして「アマンダリ」に移って行った。

空調設備の整った高級ホテルでは、密封度が高いためドゥダルの侵入はないそうだ。

願わくば、虫の苦手な人も少しづつ慣れてくれればいいなと思う。

美しい自然があって、たくましい生き物たちがいる。

これもバリ島の魅力のひとつとも言える。


そうは言っても、誰にでも天敵はいるものだ。

私は “爬虫類一般”、影武者の女将は “ゴキブリ系”、友人のT子さんは蛾は対丈夫なのに “蝶” が天敵。

トッケー大好き、ドゥダルも大丈夫のMさんの天敵は “クモ” だそうだ。

あなたにとって、バリに棲む天敵は何ですか?

「ito-san」というのは却下ですよ。

ドゥダルの乱舞は10日から2週間ほどの間に幾日か発生し、いつの間にか終結している。

発生と終結の時期は、地域によって異なるようです。

どんなタイミングで発生するかの、疑問が残った。

posted by ito-san at 23:09| Comment(2) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月12日

サクティ橋(仮称)の開通(64)

ウブド村のあるバリ島中央部は、バトゥール湖を水源とする川が幾筋も流れている。

川の流れは、深く刻んだ渓谷のヒダを作る。

村々は渓谷の尾根伝いに形成され、すべての道がバトゥール山を目指している。

対岸の村との交流は薄かった。

深い渓谷のため、往来できる道が険しかったからだ。

近年、渓谷にあみだくじの横線のように橋が架かり、交通の便はよくなってきている。

ウブドも渓谷の尾根伝いにある山あいの村だった。

東のプリアタン大通りから西のチャンプアン橋まで、数本の川の上に架けた橋が道路と繋がりウブド大通りが出来ている。

少し注意を向ければ気がつくと思う。


ウブドの北部、サンバハン村スウェタ通り(ウブド第一高等学校から100メートルほど北上)とタマン村スリウエダリ通り(テガランタン村手前)の間にある渓谷に、2つの通りを結ぶ架橋工事が着工されたのは2012年4月のこと。

サクティ(Sakti)村に位置するゆえ、この橋を便宜上「ジュンバタン・サクティ=サクティ橋」と命名しておく。

インドではシャクティと発音し、意味は同じで「超自然的霊力・宇宙的根源力」のこと。

素晴らしい名前でしょう?

サクティ橋を7回往復するとパワーが授かるなんて、迷信ができそうだね。

なぜ7回だって、私が好きな数字だからでしょうが。

サクティ橋の工期は8ヶ月、完成予定は2012年12月だった。

2012年9月19日、乾季の真っ盛りに事件が起きた。

乾燥する日々が続き崖の土が砂状になり、道路のアスファルトいっぱいまで路肩が滑り落ちたのだ。

工期は遅れ、完成は翌2013年の3月に延期された。

さらに、工期は6月に延期された。

5月に入り工事がストップ。

川幅の測量ミスで橋が短く予算オーバー&工事資金を誰かが横領した、などの噂がたっている。

8月になって工事再開。

テガランタン村側は道路面と橋が同じ高さで問題はないが、サンバハン村側は道路面が橋より3メートルほど低い。

車をスムーズに誘導するには、かなりスロープのある道路が必要だ。

そうなると、道向こうの畑をロータリーにするしかないだろう。

果たして、畑は借りられるのか?

様々な話が飛び交ったが、工事は道路をかさ上げすることになった。

上り坂の頂上で、直角に右左折する道路は危険だろう、と心配する声があがる。

11月に入って開通。

jembatan7.jpg
jembatan8.jpg

利用する車は、少ない。

どうなることやらと心配したサンバハン村側の道は、なだらかな坂に仕上がり、今のところ車はスムーズに流れている。

10月の工事中にも関わらず、気の早いバリ人はバイクで渡っていた。

進入禁止の看板やゲートもなく、現場の職人は誰も注意をしない。

事故が起これば本人の責任だと、考えているのだろう。

日本なら、工事関係者の責任が問われるところだ。


盛大な開通式が行われるだろうと期待したが、今のところ、行われれる様子はない。

資金不足で工事が遅れた橋のことだ、開通式はしないのだろうな。

サンバハン村側では、地霊のお祓い儀礼が橋上で行われた。

テガランタン村側では、今月の末に儀礼を行うと聞いている。

欄干にはバリの神様の石彫が設置され、すでに多くの供物が供えられている。

jembatan9.jpg
posted by ito-san at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月05日

トッケイの鳴き声(63)

私は蛇を筆頭にして、爬虫類が大の苦手だ。

怖いと思うほどに嫌いだ。

蛇が恐いと感じるようになったのは、小学校の低学年の時だ。

その頃は、名古屋の南区というところに住んでいた。

近くの小川で泳いでいる時のこと。

対岸から、水面を流れるようにしてスルスルと進んで来る、灰色の蛇が見えた。

水面から顔を出している私に向かって来る。

泳ぎのうまくなかった私は、蛇より早く泳げる自信がない。

蛇と目が合った。

目の前で見る蛇は大きく見える。

心臓が止まりそうになった。

私は、逃げることもできず固まってしまった。

蛇は悠々と、私の目と鼻の先を横切っていった。

これ以来、私の蛇嫌いが始まったと思われる。


カルタの実家で大きな蛇を捕まえたと、弟のカポから聞いた。

深夜、鶏の不審な鳴き声と羽ばたきに気がついた。

犬の吠える声が聞こえる。

バリの犬は、こういう時のために飼っているとも言える。

家族が駆けつけると、大きな蛇が、鶏小屋に入ろうとするところだった。

裏の小川からやってきたのだろう。

家族が捕まえると4メートルもある大蛇だった。

小川沿いの竹林を散策したことがあるが、あの場所に大蛇がいたかと思うと、今更ながら寒気がする。

大蛇と言えば、タマン村との村境にある祠近くの村道(道幅6メートル)を横切った蛇は、頭も尻尾も見えないほど道路いっぱいの長さだったと言う。

神様だから、見つけたら通り過ぎるまで待つようにと村人に教えられた。

この話は、陸橋の工事が始まってしばらくしてからだったと思う。

なんの因果か、苦手な蛇にはよく遭遇するので気をつけるようにしている。

hebi.jpg

爬虫類と言っても、チチャッ(cicak=cecak)は10センチほどの小ヤモリだからまだよい。

しかし、トッケイ(tokek)となると、私はビビる。

ゲッコー(gekko=gecko)と呼ぶ地域もある。

ゲゲゲゲで始まり「ゲッコー・ゲッコー」と鳴くからだろう。

ググってみると、爬虫綱有鱗目ヤモリ科ヤモリ属に分類されるとあった。

ついでに写真を一枚拝借した。

トッケイは、身の丈30センチ近くになる、吸盤を持った大ヤモリ。

身体には小さな赤い斑点がある。

小太りでドット柄のトッケイは、遠目には可愛いい。

壁や天井をノシノシと歩き、餌を捕獲する時は敏捷に動く。

吸盤にホコリでもついたのか、たまに落ちてくることがある。

手元に落下してきた時には、さすがにビックリする。

「日本料理店・影武者」に棲息するトッケイは、夜9時を過ぎると天井に近い壁の角に登場する。

2〜3匹は棲息している。

時には、ランプの中に入って小虫を捕食する。

チチャッも壁に待機していて、蚊を捕食する益虫である。

tokek.jpg

一週間ほど前から、夜中になると、私の部屋の天井裏でトッケイが鳴くようになった。

屋外の庇下で鳴いていたトッケイが移動してきたのかな。

それにしては、鳴き声が違うように思う。

トッケイが、姿を見せて鳴くところを見たことはない。

我が天井裏のトッケイは、アヒルのようにグァグァグァと始まり「グァゴー・グァゴー」と鳴き、グググと終わる。

トッケイの鳴き声にも、それぞれが微妙に違う個人差(個トッケイ差)があることに気がついた。

天井全体が反響効果になっていて、号砲のように大きな鳴き声が響く。

驚いて飛び起きてしまう。

愛猫チビタは、鳴き声の数だけ、身体を震えさす。

幸い3〜4回で鳴く止むので我慢もできるが、これが幸運を呼ぶと言われている7回も鳴かれたらたまったもんじゃない。

「もうケッコー!」と言いたくなる。

聞き手によっても個人差&国民差があるようで、欧米人には「ファックユー・ファックユー」と聞こえる人もいるらしい。

竹筒の中で鳴くトッケイは。ポッポッポと始まり「ポッポー・ポッポー」と鳴き、ポロポロで終わる。

竹筒の反響がよろしいようで、ソフトな声だ。

遠くから聴こえてくるトッケイの間延びした鳴き声は、バリの風物詩とも言える。

あなたには、どんな風に聴こえていますか?
posted by ito-san at 17:25| Comment(4) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月02日

生き物たちとの共存(62)

今日はクニンガン祭礼日。

私がよそ者だと感じる日。

休業のレストランが多い。

何もすることがない一日。

ボーッとした頭で思った。


そう言えば、この頃、セリ(Seli)の姿を見ていない。

セリは、パチュン家で飼っている二匹の犬のうちの一頭。

雌のキンタマーニ犬だ。

犬の15歳は高齢なのか、セリの動きは鈍い。

道路をブラブラと徘徊している姿は、痴ほう老人のようだ。

そのうち、私もセリのようになるのかな〜?

いくらか不安な私の将来を想像する。

いつも道ばたに横になっているセリの姿は、死んでいるように見える。

イブは、道ばたで寝転んでいるセリを見つけると、抱かえて連れ戻る。

何度が、イブが連れ帰っているうち、セリの姿が見えなくなった。

もう一ヶ月も経っている。

ボケてしまい、家を忘れてしまったのか。

それとも猫のように、人に見られぬ死に場所を探したのか。

セリは、5月の中旬に出産したが、その仔もいつの間にかいなくなっていた。

その原因も不明だ。

犬好きの日本人なら、必死に探すだろうし、涙を見せる人も多いと思う。

パチュン家だけでなくバリ人は、動物の死を運命を受け入れるように、大げさに悲しむことはしないようだ。

Seli&Braky1.jpg
写真:左がセリ


ガルンガン祭礼日以前、パチュン家の庭を5羽の鶏が駆けずり回っていた。

そのうちの3羽が、祭礼日前日にご馳走に姿を変えた。

騒がしかった鳴き声が、今では懐かしい。

儀礼用建物で暑さを避けて横になっている黒犬ブラッキーと、庭で餌をついばむ2羽の鶏が見える。

レーシーと愛猫チビタは健在だ。

愛猫チビタは、ベッドから私の行動を観察している。

レーシーは、家寺の祠にもぐった。

降り注ぐ太陽の日差しが眩しい。

外出するには暑そうだ。

家人の姿も見えない。

私も午睡をすることにしよう。


posted by ito-san at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月26日

豪華になるペンジョール=Penjor(61)

ペンジョールは、ガルンガンの前日に家々の門口に立てられる。

ガルンガンから15日後(土曜日)のクニンガンを過ぎ、さらにガルンガンからの35日(ウク暦の1ヶ月)後の水曜日(Buda Keliwon Pahang)までの一連の行事が終わると、ペンジョールはお役御免となり外される。

今回は、11月27日がその日だ。

詳しくは、「極楽通信・ウブド|バリ島見聞録・ペンジョール」を読んで頂くとして。


ペンジョールは、日本的には何の役目と似ているだろうと考えてみた。

ウク歴の新年がガルンガンとすれば、正月に飾るという意味で日本の門松に似ているか。

竹を使うところは、七夕飾りのようでもある。

しかし、どちらもシックリとは当てはまらない。

ペンジョールはペンジョールであって、バリ特有の風物詩ということだろう。

Penjor1.jpg


昨今のウブドのペンジョールの豪華さには、驚かされる。

ウブドが特別なのかもしれないが、年々豪華になっていくようだ。

イルミネーションが点滅するペンジョールもある。

観光客としては鑑賞して楽しいので、文句を言う筋合いはないのだが。

それにしても、お金の掛け過ぎではないだろうかと思うところがある。

隣近所のできばえが気になって、今年は我が家も奮発しようと、お父ちゃんが男気を出すのだろうか。

単に、ウブド人が見栄っぱりなだけか。

いったいどういう心境でこんなにお金を掛けてしまうのか。

いらぬお世話だが、家計としては無駄な出費ではないかと心配になる。

地域によっては、質素なペンジョールも目にする。

テガランタン村も豪華になってきている。


以前は、飾りパーツも自前だったが、この頃はバリ人も忙しくて出来合いのパーツを購入して飾り付けるようになった。

既製品のパーツは、日持ちするロンタル椰子の葉でできている物が多い。

そのうち、丸ごと既製品のペンジョールも売り出されるだろう。

すでに販売されているかもしれないな。

我が家では、パチュン君が購入した飾りパーツを取り付けていた。

金額を訊くと、パーツ代の合計は、Rp350,000-(3,000円)ほどだった。

結婚式があった家では、ペンジョールを2本立てることになっている。

ゴータマ通りで1本Rp2,000,000-(17,500円)のペンジョールが2本立っている家があると聞いた。

これが35日間で使い捨てられるのだ。

Penjor2.jpg


竹は、また使えるのではと思ってみたり。

飾りパーツの一部だけでも使い回しできれば、なんて考えてしまうのは、もったいないと思ってしまう世代なのだろうか。

それとも、そう思うのは貧乏性の私だけなのだろうか。

将来は、コンパクトに収納するクリスマスツリーのようになって、毎年使うことができるプラスチック製になるのかもしれない。

それも風情がないな。

さて、来年はどうなっているだろう。

posted by ito-san at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする