2013年10月23日

おめでとう・ガルンガン祭礼日(60)


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10月23日は、ウク暦最大の祭礼日・ガルンガン

210日が一年のウク暦は、今年2度目のガルンガンを迎える。

バリ人にとっては神々をお迎えする重要な祭礼日。

門前にペンジョールを立て、家寺の飾り付けをすませ、ハレの食事を作る。

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プナンパハン(ガルンガン前日)、ガルンガン(ガルンガン当日)、マニス・ガルンガン(ガルンガン翌日)の3日間は、バリ島だけの祝祭日。

仕事や学校の関係で遠くて暮らしている家族が、家に帰ってくる。

日本のお盆休みに似ている。

私にとっては、忙しいバリ人を横目で見ながら、観光客であることを再認識させられる日々でもある。

バリの正装で彼らの儀礼に参加しても、やはり観光客が真似事をしているに過ぎないと感じる。

当然のことだが、バリ人じゃない私は、自分の寺を持っていない。

以前は、ホームステイ先の家寺でお祈りをし、そのあと、世話になっている知人の家を訪ねて家寺でお参りさせてもらったこともある。

この数年は、ほとんど正装もせず、お祈りもしていない。

現在は、観光客で満足している。

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パチュン君を中心にして家族総動員で作ったハレの食事・ラワールが、私にももてなされる。

昨日まで元気に庭を駆け回っていた鶏の三羽が、姿を消した。

久しぶりにいただくラワールのナシ・チャンプールは、美味しい。

しかし、パチュン家のラワールは、私にはちょっとばかし辛い。

2日間続くと、食傷気味になる。

ウブドは、この3日間、休みになるレストランが多く「ガルンガン食事難民」が出る。

影武者もご多分に漏れず3日間休むため、私も食事難民となって開店しているレストランを探しまわる。

さて、今夜は何を食べよう。

「ナシ・チャンプールは飽きたし」なんて、バリ熱愛症候群の皆様に叱られそうな贅沢発言。

疎外感を感じながらも、こうして、ウブドライフを楽しんでいる私です。

結婚儀礼、火葬儀礼削歯儀礼、家寺祭礼、寺院祭礼などなど、エンドレスで続くバリの儀礼。

それぞれの儀礼に対して、心構えはそれぞれに違うだろう。

それにしても忙しいバリ人。

忙しいのが好きじゃない私は、バリ人になりたいとは思わない。

だから、観察者に徹することにした。

ガルンガン祭礼日を迎えたパチュン家の家族の顔が、この日の天気のように晴れやかだった。
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2013年10月16日

ワヤン・クリシュナ再訪(59)

15日の昼12時を少し過ぎた頃、突然、我が家にバンリのワヤン君が訪ねてきた。

ワヤンは、私の在宅を確認をしたあと、表に出て行った。

次に入って来た時には、手に大きなビニール袋を2つ持ち、奥さんのイブ・アユ・ラクシュミを伴っていた。

ビニール袋は、インスタントのベジタブル・ラーメンが20ヶと食パンが4包み入った、お土産だった。

イブ・アユは、オレンジ色のパンジャビドレスに、第6チャクラの額に赤い塗りものしていた。

彼女の開口一番は、「イトサン、カラダ、ダイジョウブデスカ?」だった。

数日前から私の体調が良くないのをチャッチして、心配してくれていたようだ。


3日前の夜11時、久しぶりにワヤン君から私に届いた携帯電話には「itosan ogennki desuka? odaijini」と書かれてあった。

唐突な内容だ。

一週間ほど腸の調子が悪かった私は、今はもう大丈夫ですと返事をした。

ワヤン君からは「oyasumi」の返事がきた。

この頃のワヤン君は、ジョークを多発しようとしているのがfecebookを見てて感じ取れる。

先日は、自分撮りで上半身裸の写真をアップしていた。

本人は、これもジョークだと言うだろうが、意味がわからない。

私には、笑えない。

笑顔が幸せを呼ぶという考えは理解できるが、彼のジョークは一般受けしない。

唐突なメッセージもワヤン君のジョークの一つかもしれないと、その時は考えていた。


メッセージはイブ・アユからの伝言だったのだ。

「バンリのサイババ崇拝・弐(15)」でも書いたが、イブ・アユはサティア・サイババの弟子で現在バンリ県バンリ市内で “瞑想センター” を主宰している。

サティア・サイババから、伊藤さんを見舞いに行くようにと言われたらしい。

これはイブ・アユのビッグ・ジョークか。

“瞑想センター” には、噂が噂を呼んで毎日のように大勢の聴聞客が訪れる。

なかなか外出できずにいたが、今日は昼から6時までに暇ができたので訪ねて来てくれた。

サティア・サイババからのメッセージに真実味は薄いが、ワヤン君夫妻に心配りされているのは有り難い限りである。

ゴメンゴメン、サティア・サイババのサティアは “真実の” という意味だったね。


私とワヤン君が昔話に盛り上がっている間、イブ・アユはパチュン君の奥さんと話し込んでいる。

こちらは13年ぶりの再会を果たして、涙ぐんでいた。

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イブ・アユは「クニットは、たくさん飲まないように。これを飲むと良いですよ」と言い残してバンリ県新開発ミネラルウォーターを置いて行った。

バンリ県の産業振興会を後援でもしているのかなと疑ったが、そういうわけでもないらしい。

ワヤン君&イブ・アユに感謝。

〜オム・シャーンティ・シャーンティ・シャーンティ・オム〜

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2013年10月14日

ダラム寺院のオダラン(58)

私の滞在しているテガランタン村ダラム寺院のオダラン(寺院祭礼)が、10月8日から始まった。

早いもので、3月12日からウク歴の一年である210日が経ったのだ。

今年、2度目のダラム寺院のオダラン。

テガランタン村住人になって10ヶ月の私にとっても2回目の参拝となる。


3月のオダランは、サコ暦の新年(1935年)・ニュピと重なった。

バリ島内すべての行事が中止されると考えていたニュピだが、オダランはニュピより優先されるようだ。

オダランのための寺院への行き来が特別に許される。

自動車&バイクなど音の出るものは使用禁止。

そう、静寂の日だからね。

徒歩ならOKということだ。

カレンダー上、どの寺院でもいつかはニュピとオダランが重なるだろう。

計算すれば、何年に一度巡ってくるのかわかるはず。

しかし、観光客が遭遇するチャンスは少ない。

現に私は、24年間の滞在で初めての経験だ。

特例として外出を許された村。

全島外出禁止の聖なる日に、おおピッラに道路を歩くことができるのだ。(と言っても、村内だけですが)

私がテガランタン村に滞在している間に、もうチャンスは巡って来ないかもしれない。

午後5時、正装に身を整え、これといって用事はないがダラム寺院の方角に歩いて行く。

テガランタン村の中央を貫く幹線道路を歩く。

一本しかない、まさにメイン道路だ。

普段でも人通りが少ない村、風景はいつもと変わらない。

罪にならない安心感と、ひょっとしていけないことしてるかもという、ちょっとした罪悪感のせめぎ合いが心地良い。

この地域だけに特別に許された、一日だけのVISA。

特権を噛み締めながら、ゆっくり歩く。

貴重な体験をさせていただいた、ニュピと重なったオダランでした。


今回のオダランは11日までの4日間。

3月の時は一日だけ。次回210日後のオダランも一日だそうだ。

8月30日に行われた「合同火葬儀礼」の、嵐のような忙しさが去ったあとのオダランはあっけなかった。

事前の準備も少なかった。

今回、各家からの相互扶助は、椰子の葉を編んだスダレ4枚と竹2本の提出だった。

椰子の葉を編むところを見たかったが、パチュン君はすでに終えていた。

「ラジカセを聴きながら、作っていたよ。気がつかなかった?」と言う。

隣家の若旦那がラジカセを大きく鳴らしてると思い込んで、私が小さく腹を立てていた時だ。

あの時の音源は、パチュン君が犯人だったのか。

なぜかバリ人は、大きな音でラジカセを聴く。

こんなバリ人気質を、私はまだ理解できていない。

まさかあんな大音響で、パチュン君がラジカセを聴くとは思ってもいなかった。

パチュン君は、紛れもないバリ人だ。

あの時、もしかして疑っていれば、椰子の葉を編むところを見られたのだ。

次に編む時は教えてくださいと伝えておいた。

編んだ椰子の葉は、寺院内の境内に作られた日除け屋根に使われていた。

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8日の初日は、トペン&ワヤン・ルマの奉納があった。

ダランの顔に見覚えがある。

カルタが「オカ・カルティニのバグース君だよ」と教えてくれた。

昔々「居酒屋・影武者」に、よく顔を見せていた人物だった。

観客のいない寺院内右門に向かって、神々に奉納する彼の姿が凛々しかった。

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9日10日の2日間は、闘鶏が催された。

ワンティランの中央に土が敷かれ、まわりに観客席がパイプで組み立てられた闘鶏場が完成していた。

観客席はリース会社から借りた物らしい。

「何でも買います・貸します」の全盛期が訪れる予感がする。

他の村からも大勢が闘鶏に遠征して来ていた。

招待状が配られるのそうだ。

バリ人男衆の金銭感覚はどうなっているのだろう。

いくらバンジャールとの付き合いとはいえ、ギャンブルには違いない。

損得勘定は合っているのか?

収支決済は、どうなっているのか?

今日もまた、誰かが涙を流していることだろう。

入場料Rp25,000-の収益と胴元としての収入は、プセ&デサ寺院の改修費となる。

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11日の最終日にはプレンボン劇が上演された。

夜10時に始まり、0時過ぎに終演。

パイプで組み立てられ観客席は、老若男女で満席だった。

お腹に危険物を抱えているような不安のある私は、0時前に帰宅した。

腸の調子が悪いのは、どうやらクニットの飲み過ぎのようです。

今日だけの教訓「なにごともほどほどに」。


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2013年10月05日

クニットはバリの生薬(57)

今日は、ガイドの仕事が休みのようで、パチュン君は家にいる。

雨季に入る前にと屋根瓦を直したり、私のマンディ場のシャワーパイプの水漏れを修理してくれたり、朝から何やかやと忙しそうにしている。

働くことが好きなようだ。

じっとして居られない性分なのかもしれない。

私が部屋から出ると、パチュン君が土壁色した液体の入ったペットボトルを差し出した。

クニット(Kunyit)の根を擂り下ろしてお湯で溶いたものだ。

もしかすると、煮込んで濾過してあるのかもしれない。

今度、訊いてみることにしよう。

「毎日、少しづつ飲むんだよ」と手渡したパチュン君の指は、黄色く染まっていた。

擂り下ろす時に、染まったのだろう。


クニットは日本名でウコン、英名ではターメリク(Turmeric)。

ウコンは、スパイス、着色料、生薬として用いられる。

ヒトの消化系・肝臓の症状改善。利胆(胆汁の分泌を促進)、健胃などの薬効がある。

ウィキペディアなんてのを調べてみました。

バリに古くから伝わる生薬「ボレー(Boreh)」にも処方される。

カレーの黄色はウコンの色だというのも、ウィキペディアで知った。

どんだけ無知なんだitoさんは。

ウコンって、読み間違えると、とんでもないことになりますよね。

間違えるのは、私だけか。

忘れてください、この話。

こんなことばかり言っているので、教養を疑われしまうんだよね。

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クニットは、庭で採れた100パーセント(かな?)のオーガニック。

乾季の今は少ししかないが、雨季になるとたくさん出来るという。

庭で放し飼いの地鶏(アヤム・カンプン)が生んだ卵の黄身だけをコップに沈める。

ペットボトルを軽く振って、分離して沈殿しているクニットを混ぜる。

クニットをコップに注ぐ。

かき回さずに、一気に飲み。

「苦〜い!!」

苦みが咽喉を通った

あとに、黄身をゴックンと飲み干す。

ヌルっと喉元を過ぎる黄身は、気味が悪い。

蜂蜜を入れると、さらに効用が増強できると聞いているが、あいにく持ち合わせていない。

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体調の優れない時には、すかさず用意してくれる。

こんな気遣いをしてくれる、パチュン家のもてなしは嬉しい。

パチュン君ありがとう。

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2013年10月03日

早〜く元気にな〜れ!(56)

お腹がゆるい。

ゲーリークーパーだ。

※Gary Cooperは、アメリカの西部劇俳優(1901年生〜1961年没)。半世紀前のギャグでゴメン。

食あたりとは考えにくいので、精神的なものかな。

「そんなヤワな精神か?」と突っ込みを入れられそうだが、人は見かけによらないものです。


この前までは、アレルギー性だと思われる鼻水で一週間ほど悩まされた。

トイレットペーパーを、一日2ロールを使い果たすほどの鼻水の洪水だった。

おかげで鼻は、真っ赤なトナカイさん。

原因は、部屋のホコリか愛猫チビタの抜け毛か、はたまた花粉か?


それより以前は、パソコンの調子が悪くてヤキモキした。

パソコンが新しくなって「アパ?のホームページ」「ブログ」もスムーズに進むようになった。

下痢症状は、パソコンの心労+鼻水で体力が消耗したからだろうか?


イブが竹竿を使って、庭の椰子の実を落としている。

しばらくして、頭が切り落とされたニュー・ガデン(椰子の実)が運ばれてきた。

ニュー・クニンとも言い、黄色の椰子の意味。

元気のない私の様子を見て、心配してくれたのだろう。

椰子果樹は、栄養剤としての効用があると聞いている。

下痢に効くのかどうかはわからないが、好意は素直に受けるのが私に信条。

人工甘味料入りの飲料水でなく、天然のジュース。

それも、もぎたての椰子の実。

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琺瑯コップに注いで一気飲み。

「美味し〜い! お腹にしみる〜!」

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実を割ってもらい、果肉をスプーンで削ぎ落としながら食べる。

「う〜ん 素朴な味だ!」(孤独のグルメ風)


よ〜く考えると、これって凄いことかもしれない。

これが日常だとは。

こんな贅沢な生活を、私は日々味わっているのです。

パチュン家最高!

バリ島田舎住まい万歳!

「早〜く元気にな〜れ!」

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2013年10月01日

パチュン家に日本からのお客さん(55)

当方の都合で、削除。

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2013年09月19日

不可解な音(54)

テガランタン村の住民・西村夫妻が、14日に日本に一時帰国することになった。

予定は一ヶ月ほど。

一時帰国の理由を知っているが、ここには書かない。


12日夜6時、まみちゃんを伴って西村家を訪問した。

まみちゃんは、小顔でバリ人系美人。

私のガールフレンドではありません。(残念ですが)

まみちゃんとは、昔々、影武者で知り合った。

旦那さんのカメラマン・小原孝博さんとは、1990年のグルン・ルバ寺院オダラン以来の付き合いだ。

小原さんは、写真集「オラン・バリ」(1996年6月27日・初版発行)の著者。

アパ?のホームページ「バリ関係・推薦本」に、バリをこよなく愛した写真家・小原の「つぶやき」が聞こえる一冊。オラン・バリ(バリ人)の内面が、リアルに滲み出ている。

なんてコメントを、私が書いている。

まみちゃんは、タバナン県にある某寺院で奉納芸能する日本のガムラン・グループの一員として、6日に来バリした。

3年ぶりのバリだ。

奉納芸能を見学するつもりでいた私は「寺院は、チャングーとタナ・ロットの間」という、あまりにもアバウトな情報に恐れをなして、行くことを断念した。

今回はガムラン奏者として参加している彼女は、日本では踊り手としても活躍している。

14日、西村夫妻と同じ日に帰国する。

小原夫妻と面識のある西村夫妻のため、私はまみちゃんとの歓談の席をセッティングしたのだ。

ぎりぎりセーフで会うことができた。

実に、10数年ぶりの再会だ。

小原さんは、来月1日、仕事でバリを訪れることになっている。

やはり3年ぶりになる。


「冷蔵庫の中身を片付けたい」と、私にとっては有り難い理由で、西村夫妻は、さまざまな手料理を大テーブルに並べてくれた。

お好み焼きは、旦那の制作。

いつもは、ふんだんに贅沢な料理をご馳走になっていることを、夫妻の名誉のために補足しておく。

もちろん、ワインは旦那の蘊蓄を伴ってサービスされた。

まみちゃんと「美味しい、美味しい」と連発して、ご馳走になる。

途中から、オカちゃんとラティが参加した6人で、昔話に盛り上がった。


「そう言えば」と前置きして、私はちょっと前から部屋で起こっている話を切り出した。

深夜、ベッドで横になっていると、横で寝ている愛猫チビタの身体が跳ね上がった。

同時に、頭上で「ドスン!」と壁が落ちたよう大きな音がした。

天井が抜けてもおかしくないほどの大きな音だ。

この頃、深夜になると私の部屋の屋根裏で不審な音がする。

トッケイが飛び降りた音とも、ネズミが走り廻る音とは明らかに違う。

我が家のトッケイは、身長30センチほどある大物だ。

トッケイとネズミが戦う騒音は、日常茶飯事。

壁の表面が剥離してこぼれ落ちるような「サラサラ」した音もする。

私の話を聞いていたラティが、少し緊張した顔になった。

そして、「それは、土の音だね」と言う。

それを引き継いで、オカちゃんが「あのあたりは40年前、埋葬場だったんだよ」と言う。

再びラティが、少し微笑みながら「土を掘ってる音だね」と念を押した。

遺体を埋めるために穴を掘っているのか、火葬するために遺体を掘り起こしているのか?

私は、聞くことを躊躇した。

思い起こしてみると、音が始まったのは、火葬儀礼の準備が始まった頃のような気がする。

ひょっとすると、この不審な音は火葬儀礼と関係があるのか。

もし不審音が、火葬儀礼の終了と共に、聴こえなくなったとすれば・・・・・。


不思議なことに、14日以降、土がこぼれる音はしなくなった。

しかし、不可解な音は、その後も依然として続いている。


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2013年09月14日

歯を削る儀礼(53)

今日もパソコンの機嫌をとりながら、急いでアップしている。

急いだから巧く行くとは限らないので「送信が終わるまで、優しくしてください!」と神頼み。


9月11日、昼12時に目が覚めた。

今日は「合同削歯儀礼」の日だった。

インドネシア語で削歯儀礼は、ポトン・ギギ(Potong gigi)と言われる。

バリ語ではムサンギ=Masangih(=ムパンダス=Mepandas)。

ムサンギ(=ムパンダス)とは、削歯(サクシ)儀礼のこと。

合同の削歯儀礼だから、ムサンギ・マサルとなる。

合同火葬儀礼に関連して行われる「合同削歯儀礼」は、テガランタン村で始めてのこと。

是非、見ておこうと心つもりしていたが、寝坊するという体たらく。

イブに聞くと「朝から始まっているよ」と返事。

儀礼は、12時をまたいで行わないはずなので、すでに終わっているだろう。

念のため、寺院近くに住むマリちゃんに電話をしてみた。

「読経が聴こえるから、まだやっているんじゃない」の答えに、取りあえず、行ってみることにした。

顔を洗おうと蛇口をひねると、運悪く断水していた。

こんなことのため、2つのバケツに水を溜めている。

これは長年の生活の知恵。

溜水を使って歯を磨く。

正装前のマンディ(水浴び)は省略した。


儀礼用建物に向う。

運良く、削歯儀礼は行われていた。

慌てていたせいか注意力散漫で、運悪く “UNKO” を踏んでしまった。

ウンコ&うんこと書くのはあまりにも下品。といって運子、雲子というのも可愛すぎる。

UN子は、少女A子のようで犯罪の匂いがする。

悩んだ結果、バリで開催される “APEC”に引っ掛けて、英字四文字の “UNKO” にしました。(あまり意味ないけど)

APEC(Asia-Pacific Economic Cooperation Conference=アジア太平洋経済協力会議)は、10月の5日から10日の間に開催されるようだ。

ゴム草履を地面になすりつけるようにして“UNKO”を落とす。

火葬儀礼の遅れで、ムサンギ・マサルは12時過ぎてから始まったようだ。

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ムサンギ・マサルには、33名が参加していた。

参加者は、奇数と決まっている。

神の使いと言われている白いひとこぶ牛がテガララン・タロ村からやって来て、儀礼用建物をまわったそうだ。

これも合同火葬の儀礼のひとつだと言う。

私が踏んづけた “UNKO” は、神の使いの牛の排泄物だった。

どうりで、犬や人間のとは違い、粘り気のないあっさりとした糞だった。

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夕方6時から、奉納舞踊のトペン劇があると言うので、あとでまた来ることにした。

あいにく6時から雨が降る始める。

7時になっても止まないので、鑑賞をあきらめた。

深夜1時に、トペン劇の音声が、スピーカーから聴こえていた。

村人は明朝、ムラスティ儀礼のために海岸に向う。

14日には、ゴア・ラワとブサキ寺院を訪れて「合同火葬儀礼」のすべてが終了するらしい。

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2013年09月13日

庭の木が切り倒された(52)

パソコンが爆発寸前で、思うように使えない。

おまけに、撮ったはずの写真がなぜか消えていた。

そんなこんなで、ブログが書けなくなっている。

一度、消滅してしまった内容を思い出しながら、パソコンの “隙をついて“ 書いたものを、久しぶりにアップします。


8月31日、庭の木が切り倒された。

5月12日のブログで書いた「レンタル・ハウス(27)」が建築されることになったのだ。

バリでは、物事を起こす時、バリの暦に従って行う。

稲を植えたり刈ったり、樹木を植えたり切ったり、家を建てる時、習い事を始める時、牛を買うのに良い日などなど、日常のほとんどだ。

暦の良い日の項目に、31日は載っていなかった。

木を切り倒すに良い日を、パチュン君が選んだかが心配で訊いてみた。

「建材でなく、薪用だから大丈夫です」の答えが返ってきた。

バリ人の彼がそう言うのだから仕方がない、納得することにした。

枝を払い落とし、幹を斧とチェンソーで切り倒していく。

伐採技術を収めた写真が、神隠しにあったように消滅してしまった。悔し〜い!

職人さんが2人、休憩を挟んで2時間ほどで伐採は終了した。手間賃2人で20万ルピア。

切り倒されたのは、大きなニャンブー(Nyambu)が1本とナンカ(Nangka)が3本。

根っこは後日、掘り起こされる。この手間賃は50万ルピア。


ニャンブーは、インドネシア語でJambu、英語でWater Apple。

ピンクの実は、英語名のとおりジューシーでリンゴっぽい甘さだ。

ナンカはインドネシア語でも同じ、英語でジャックフルーツ・Jackfruit。

土壌が悪かったのか、木は大きくならず実が育たなかった。

ナンカの実は、大きくなると50キログラムに達すると言う。

果物でもあるし、野菜として料理にも使われる。

ナンカは霊力の強いと言われる木で、固くて強い黄色い芯の部分がクルクル(Kul-Kul)や家寺の柱に使われる。

私の部屋・バレダジョーの4本の柱も、庭で育ったナンカの木を使用している。

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6月初旬から毎週金曜日の夕方、庭でチャッチボールをしていた。

バリ南部チャングーからバイクで1時間ほどかけて「坂田こうじ君」がやってくる。

彼はサーファーだが、バリ島在住日本人の草野球チームに入っている。

ジンバランにある大学の野球場で、彼らは毎週日曜日試合を楽しんでいる。

私も1年前まで、6年間ほど在籍していた。

2010年度第1クール(11試合)で、4割7分4厘の成績を残してリーディングヒッターに輝いたこともある。

その時の出塁率は、0,667だった。

こんな自慢の栄光も過去のもの。

自慢ついでに、受賞した時の写真を添付しておきました。

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現在は、66歳の老齢ということで、ハードなスポーツは避けようと保身に走っている。

チャッチボールは、坂田君の投手登板を夢見てのピッチング特訓だ。

坂田君とのピッチングで、私の野球したい願望を鎮めている。

庭は、パチュン君がチャッチボールができるように整備してくれた。

庭でチャッチボールが出来てしまう広さの家も凄い。

そして、木を切り倒すほどの庭を持つ家も凄い。

パチュン君の家が特別大きな屋敷だということではない。

押し並べて、バリ人の家は、この程度の土地を持っている。

木材が片付けば、庭が一段と広くなり、チャッチボールに最適の場所となりそうだ。

しかし、それは出来ない相談だ。

近々、建築が始まることになるだろう。

8月末に坂田君は、日本に一時帰国した。

次回、来バリした時に、この練習場はない。


レンタル・ハウスは、パチュン君が建築デザイナーと相談して決めた。

予算もあることだし、任せるしかないだろう。

部屋のレイアウトや使いかって、素材、色など、私のアイデアは伝えてある。

家のまわりには、新たに草木が植えられることだろう。

さて、どんなレンタル・ハウスが完成するか楽しみだ。

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2013年08月31日

合同火葬儀礼(51)

テガランタン村今年最大のイベントは、8月30日に行われた合同火葬儀礼(Ngaben Masal)だろう。

合同火葬儀礼は、ひとつの村で2年〜6年に一度、7月から9月の間に行われる。

テガランタン村は、5年ぶりになる。


村人は、今月(8月)に入ってから相互扶助に駆り出されている。

イブイブ(婦人連)は、毎日、ワンティラン(集会場)で供物作り。

男衆によって、儀礼用建物と簡易小屋が建てられた。

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☆12日から3日間、ワンティラン前で闘鶏が催された。

所場代として徴収された15万円ほどが、儀礼のために使われる。

その金額以上の金額が動き、それなりの金額を負けたテガランタン人がいたということだ。

所場代の入金を増やしたかったのか、単にギャンブルがしたかったのか、3日間の予定は2日延長された。

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☆26日:パチュン君が名簿を片手に、テガランタン村で営業しているホテルや外国人居住者に浄財をお願いして廻っている。

寄付のお返しにポロシャツが配られた。

胸と背中にハーレーのシンボルに似たマークが印刷されている。

私も一枚ゲット。

と言うことは寄付をした証明でもある。

着ずにおいて、帰国した時に友人にプレゼントすることにした。(セコイってか)

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☆27日:遺体のシンボルが儀礼用建物に安置された。シンボルは白檀の木片と聞いている。

埋葬されていた遺体が掘り起こされた。

涙を見せる人がたくさんいた。

知り合いの顔が見える。カルタとアノム夫妻、オカちゃんとラティ夫妻、バンジャール長のセノ、「影武者」のスタッフ達、オカちゃんの弟アノムもいるよ。

「影武者」のスタッフ、グン・バラットが簡易小屋でアノムに介抱されていた。

遺体を掘り起こす作業の途中で倒れたのだ。

神様が降りて来てトランスでもしたのか思っていたが、あとで訊くと、原因は低血圧による貧血だそうだ。

男子専科「ミスター・バリ」のオーナーに、10数年ぶりに再会。

人のことは言えないが、すっかり年老いていた。(写真右)

彼の踊るジョゲッ・ブンブンを見たことがある。しっかり物語になっていたのを思い出す。

ジョゲッ・ブンブンは、女性の踊り娘が観客から相手を誘い出し踊る娯楽舞踊だが、正当で踊れるのはバリ人でも少ない。

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大人の身丈ほどのゴザの包みは、埋められて日が浅い遺体だろう。

長い年月のあいだに土色に変色し湿っている白布に包まれている遺体は、ほとんど骨になっていた。

頭蓋骨が、転がった。

それを見た私の恋人が「キャー!」と叫び、両手で顔を覆った。

もしも、私の好きな人が隣にいたら、きっと、そんなリアクションをしただろうと想像してみた。

恋人欲し〜い!。

遺体は、すぐに火葬された。

合同火葬儀礼当日は、シンボルが燃やされる。

遺灰は、チャンプアンの河原でムラスティ儀礼が行われ流された。

昔は、海まで行くことはまれで、ほとんどがチャンプアンで行われていたそうだ。

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☆28日:ポトン・バビ(豚の屠殺)が行われ、サテが作られた。

食事が、王家、お坊さん、その他、お世話になった方々に配られた。

もちろん、私のところには届かなかった。(残念)

夜、プトゥラガンが簡易小屋に運ばれた。

テガランタン村では、プトゥラガンを作れる人がいないため、アンドン村のプロに外注。

今後、外注することが増えていくことだろう。

獅子=Rp200万、黒い牛=Ro260万、竜=Rp310万。

獅子(シンガ=singa)2体、黒い牛(ルンブ=lembu)3体、竜(ナガ=naga)1体。

遺体は13だが、プトゥラガンは親戚が共有するため6体となった。

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☆29日:ワンティラン前に、男衆がギャンブルに興ずる場がいくつか出来ている。

夜9時、プレンボンが儀礼用建物内で奉納された。

火葬儀礼だということを忘れたかのような笑顔が見える。

途中の雨で、ガムラン隊が屋根のある小屋に移動。

雨が上がり、再演。

ジョゲッ・ブンブンに盛り上がる。

「ミスター・バリ」がいなかったのが残念だ。

深夜12時半には、プダンダを迎えて浄化の儀礼をすると聞いている。

私は明日に備えて、奉納芸能が終わると家路についた。

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30日:合同火葬儀礼・当日。

火葬場は南北に2カ所。称号を持つ階層の家族は北側。

長い長いプロセスがあり、観光客は待ちくたびれて途中で帰ってしまう。

いよいよプトゥラガンに火がつけられる。

その前にまず、記念写真。

なんだか楽しいイベントのようだ。

遺体の入っていないプトゥラガンは、あっけなく燃え落ちた。

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以上は私が見聞した一部、村人は想像できない程の作業をこなしているのだ。

火葬儀礼は、このあともゴア・ラワ寺院、ブサキ寺院、そして家寺の儀礼と続くのであった。

つくづくバリ人は、儀礼に忙しい民族だと実感する。


posted by ito-san at 17:18| Comment(2) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする