2013年08月28日

ワルン・チンタ=Warung Cinta(50)

田んぼの中にある、ローカル・ワルン発見。

テガランタン村を抜けてジュンジュンガン村に入ると、ちまたに評判になっている「NOT FOR SALE」の野立て看板が見える。

ひと月前の7月26日に、看板の前で「Bali Not For Sale」のライブ・イベントが催された。

バリ島出身のインドネシアで人気のロックバンド「S.I.D=Superman Is Dead」も出演した。
詳しくは、「Bali Not For Sale(46)」をお読み頂けると嬉しいです。

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「NOT FOR SALE」を右手に見て、しばらく行くと左手にポツンと質素に建つワルンがある。

店名は「チンタ=CINTA」。

「チンタ」は、インドネシア語で愛情の意味。

ちなみにバリ語では「トルスノ=tresna」と言う。

ついでに「I love You」は、インドネシア語で「Aku cinta Kamu」。

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営業時間は、朝11時から夜9時まで。

私が入店した4時には、スタップが長椅子で横になっていた。

ちょっと太めのお嬢さんが、身体を起こした。

「起こしてゴメンナサイ」

インスタントのミルクコーヒーとガドガドを注文して、写真を撮らせてもらう許可を得る。

しばらくして、欧米人のカップルが入店してパパイヤ・ジュースをオーダーした。

メニューに、ジュースはパパイヤしかなかった。

ディナーの予約をしたところをみると、近くに宿泊しているのだろう。

時間を持て余した風の若者が2人入店してガドガドを注文。

農作業を終えたと思われる老人が、エス・ジュルッ(オレンジ・ジュース)を注文した。

エス・ジュルッは、メニューにのっていない。

お母さんが供物を持って現れ、お祈りをした。

昼下がりのワルンに、田舎の緩慢な時間が流れる。


このあたりは、夜になるとローカル・カップルのデート・スポットになっている。

田んぼに水が張られている時期は、蛍の乱舞が見られるはず。

道端にバイクを止めて、きっと「Aku cinta kamu」なんて言い合っているのだろうな。


家族経営のワルンで、オーナーはジュンジュンガンの村人。

看板娘・リナ(RINA)ちゃんの携帯電話「081-236-512-074」をゲットした。

携帯に電話をして「蛍情報」を訊いてから出掛けてもよし。

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定休日は儀礼祭礼日。

インドネシア料理のワルン。

メーニューのすべてをアップしてみました。

★食事:ガドガドRp11,000-/フーヨンハイRp12,000-/チャプチャイRp15,000-/ナシゴレン&ミーゴレン&ビーフンゴレンRp20,000-/ララパンRp22,000-/チキンカレーRp23,000-/

★飲物:インスタントコーヒー&テ・ボトル&アクアRp5,000-/パパイヤ・ジュースRp10,000-/ビンタンビール大Rp30,000-小Rp20,000-/

(注)メニューはツーリスト価格かもしれない。

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写真は、ガドガドです。


posted by ito-san at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月26日

架橋工事の再開(49)

果たして、この橋の開通でウブドの慢性的交通渋滞に歯止めがかけられるか?

サンバハン村のスウェタ通り北部(ウブド第一高等学校から100メートルほど北上)とタマン村のスリウエダリ通り(テガランタン村手前)の間にある渓谷に、2つの通りを結ぶ架橋工事が着工されたのは昨年4月のことだ。

工期8ヶ月で、完成予定は同年12月。

開通すれば、ウブド中心部の交通渋滞緩和に繋がると、少々期待されている橋だ。

サクティ村に位置するゆえ、この橋を便宜上「サクティ(Sakti)橋」と命名しておく。

読者の方は、それぞれ「チャンティク」「ビアビア」「ビンタン」など、かってに付けてください。


交通渋滞の原因は、大型バスの侵入、観光客を乗せた車の乗降、駐車場スペースなど様々。

ウブド南部プンゴセカン村方面とテガス村方面から来る観光客を乗せた車が合流する、モンキーフォレスト通りが渋滞のメイン道路。

モンキーフォレスト通りがウブド大通りと交わる地点が、ネックとなっている。

サクティ橋が架けられる地域は、観光ルートでも幹線道路でもない一般村道。

交通渋滞に、あまり影響がない地域。

なぜ、ここに????? 疑問符がたくさん浮かぶ。

ほかに、渋滞の鬱血を緩めることができる適所があるはずだ。

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テガランタン村側に崖崩れがあったのは、2012年9月19日。

乾季の真っ盛り、乾燥する日々が続き崖の土が砂状になり、道路のアスファルトいっぱいまで路肩が滑り落ちた。

アスファルトの下は、えぐれていた。

これでは危なくて自動車は通れない。

さっそく、自動車通行止めのパネルが立てられた。

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現場の状況から判断して12月完成はありえない。

崖崩れが要因で工事が遅れているとは思えない。

8ヶ月の工期では、短いのか。

私は工事関係者に尋ねた「いつ完成ですか?」

すると、自信たっぷりに「12月末には完成できる」の答えが返ってきた。

「ホントに!」私は彼に感動の言葉を返したのではなく、疑いの顔でつぶやいたのだ。

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2013年の年が明けると、完成予定は3月に延長された。

3月が近づくと、さらに6月に延長されていた。

5月にはいると工事はストップとなり、現場作業員は仮設住宅を去っていった。

ストップの原因は、川幅の測量ミスで橋が短く予算オーバー&工事資金を誰かが横領した、このふたつの噂がたっている。

どちらもありそうな話だ。


作業員が現れたのはラマダン(イスラム教断食月)前の7月。

道路の杭打ち作業を終えると、再び姿を消した。

ラマダンの明けの祭日「Eid al-fitr」(8月8日・9日)後に、仮設住宅に作業員が戻り、工事が本格的に再開された。

州知事・県知事の選挙が終わり、新年度の予算が下りたのだろうか。

これで途中放棄される心配はなくなった。

最後までやり遂げて欲しいものだ。


工事中のサクティ橋を渡ってみた。

橋上から望む渓谷は、手つかずのジャングル。

谷底には、細い川が流れている。

テガランタン村側の道路面と橋は同じ高さだが、サンバハン村側は道路面が橋より2メートルほど低い。

道路をかさ上げすると言っているが、どうなることやら。

作業を終えた年配の職人に、完成予定を訊くと「わからない」と答えた。

そう「わからない」というが一番正確な答えだ。

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サクティ橋が開通して、誰がどう恩恵を受けるのか?

橋まで100メートル以内の距離に滞在している私にとっては、無用。

モンキーフォレスト通りを通らずに王宮のある十字路に行かれるが、これが渋滞を回避したことにはならない。

対岸にすぐ渡れる、それは一部の村人が便利になるだけのこと。

ウブド第一高等学校の生徒が助かるのではと言う意見があるが、それだって一部の生徒だろう。

「外国人のあなたには関係ないかもしれないが、地元の人にとってはメリットのある橋です」とお叱りをうけそうですが、テガランタン村の住人だとて恩恵に浴するとは思えない。

環状線を造る計画の一環だとしたら、中心部から近すぎる。

それとも、私の貧弱な脳力では想像できない、将来を見越したプロジェクトが進められているのだろうか。


唐突ですが「ウブド公設市場(PASAR UMUM UBUD)」(2013年3月19日オープン)の新築工事にともなって建築された「シンガクルタ村大型市場」は、その後どうなっているのだろう。

宝の持ち腐れに、なっていないか。

ウブド市場地下駐車場&シンガクルタ市場バスターミナルの話は、噂話で終わったようだ。

サクティ橋の開通で、ウブドの慢性的交通渋滞に歯止めがかけられるか?

宝の持ち腐れに、ならなければいいが。


posted by ito-san at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月13日

行進の練習(48)

8月17日は、インドネシア独立記念日。

今年で68回目になる。

独立記念日が近づくと、車道を占領して颯爽と行進する高校生の一団を見かける。

バイクで走っていて、ちょっとした渋滞が、この行進の時もある。

これは、独立記念式典のイベントである行進コンテストの練習風景。

行進は、競歩でなく “強歩”(グラックジャラン=Gerak-jalan)のことらしい。

強歩コンテストは、“バリの各県ごとで催されている。

独立記念式典は国家行事だが、ひょっとするとこのコンテストは、私が知らないだけで全国レベルで行っているのかもしれない。

ウブドの高校生は、ギャニアール市まで出張して出場する。

練習時は体操着だが、コンテストではコスチュームも凝っている。

どこをどう採点するのか知らないが、真っ昼間の炎天下のアスファルトの上を、えんえんと歩かされる子供たちを見るとちょっと可哀想な気もする。

それも強く歩く、強歩ですよ。

途中、沿道の村人に冷やかされることもあるだろう。

これも文化と言われれば、それまでだが。


ブログ用に写真を撮っておこうと、その気になると、意外と行進に遭遇しないものだ。

見つけても、カメラをバッグから出すタイミングには、行進は後ろ姿になっている。

夕方の帰宅途中、テガランタン村の入り口で、行進とすれ違った。

もしかすると、我が家の前が行進ルートになっているのかもしれない。

それなら、写真が撮れる場面に出会えるかもしれない。

そんなことを意識しながら、早めに帰ったある日。

我が家の前を、若い女性たちの元気な掛け声が聞こえた。

急いで通りに出ると、女子生徒との一団が通り過ぎるところだった。

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行進は男女別のグループになっているようだ。

それはそうだ、強歩だから体力差が出てしまうからだ。

時間は午後4時、この日は、霧雨が降っていた。

背の高い女子から低い女子に、3列縦隊に横8列ができていた。

最前列の女子の責任は重大だ。

大きな声で「カナン(右)、キリ(左)」と、掛け声をあげ、両手を大きく振って整然と行進する。

掛け声は、時々、可愛らしい唄声になる。

最後尾の2人の男性は、先生だろう。

救護班と思われる、女性が運転するバイクが2台続いている。

熱射病で倒れる生徒もいるだろうな。

その後をジャージ姿で歩いているおじさんは、便乗して散歩してるのか?


知人が「ウブド第一高等学校」の生徒だろうと教えてくれた。

それぞれの高校から、各学年1組が選抜されるらしい。

第一高校は、ウブド王宮のあるスウェタ通りのスンバハン集落にある。

行進は、スウェタ通りを北進しブントゥーユン村から右に大きくカーブしてU字にスリウェダリ通りへ入る。

U字の途中にあるT字路を進むとジュンジュンガン村に通じる。

スリウェダリ通はブントゥーユン村、テガランタン村、タマン村へと順に南下し、ウブド大通りに突き当たる。

ウブド大通りから王宮角を右折し、再びスウェタ通りに戻って帰って行く。

全長約10キロのコースだ。

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ベッドに横になって読書をしていると、男性の野太い声が表を通った。

男子生徒の行進練習だろう。

時計は6時30分を過ぎている。

「遅くまで、大変だね」とつぶやいていた。

バリの子供たちは従順なのだろうか?

嫌々ながら参加している娘もいるに違いない。

中には、さぼっている子もいるだろう。

どうやって、彼らは折り合いをつけているのだろうか?

生徒たちは、年に一度のビッグ・イベントのためだとあきらめているのかな。


私の通っていた高校なら「かったるい」「格好悪い」と、成り立たないイベントだ。

もちろん私は、参加しないだろう。

もしかすると、反対運動をしているかもしれない。

1923年設立以来の伝統だった丸刈りを強制でなくしたのは、私の在籍した時代だった。

舟木一夫の髪型を真似した奴、アイビーカットの奴。

私は前髪にひさしを作っていたっけ。

高校3年生だった頃のことを「ふっ」と、思い出した。

何年前の話だって、か。


posted by ito-san at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月09日

愛猫ちびた&レーシー(47)

テガランタン村に引っ越して半年以上も経つというのに、愛猫ちびたと先住猫レーシーは、未だに仲良くなっていない。

この頃、私は、レーシーにもエサをあげている。

レーシーは、私が扉を開けるのを待っていたかのように、テラスの下の階段にいる。

エサを皿に入れるのを待って、テラスにあがる。

「日本料理店・影武者」から戻る深夜には、バイクの音を聞きつけるのか、どこからともなく現れる。

待っていてくれたのかと、私の顔が少し微笑む。

私は、皿にエサを入れると扉を閉めてしまう。

時々、先住犬ブラッキーにエサを横取りされているようだ。

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ちびたのユルんだお腹がお気に入りのようで、パチュン家の家族に可愛がられている。

頭やアゴを撫でると「キャン!」と啼き、お腹を擦るとパンチを繰り出す。

突然、ゴロンと横になる仕草を面白がっている。

ユルんだお腹を左右に揺すって歩く姿もユーモラスだ。


私がテラスで寝転がっている時には、座布団に座っているか、私の身体の一部に寄り添っている。

両手両足をいっぱいに伸ばし、私と同じようにお腹を上に向けた格好で寝る。

子猫の時から育てたちびたは、私に守られているという安心感があるのか、まったく無防備。

この頃、寝言を言うし、イビキもかくようになった。

これは高齢になった証拠なのかな。

私も66歳の高齢期、自分では気がつかないが、寝言とイビキをしているかもしれない。

斉藤式猫年齢換算法で計算すると、私に飼われてから8年が経っているちびたは、60歳の中高年期だった。

今は私より若いが、2年もすると私より高齢になる。

バリの猫には当てはまらないかもしれないが、斉藤式換算式では、6〜10年は5を掛けて20を足すと猫年齢になる。

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ちびたの行動範囲は、着実に広がっている。

しかし、屋敷中を我が物顔で散歩しているレーシーの姿を気にしながらの徘徊だ。

窓から出て、隣の家に遠征に出掛けることもある。

ムラジャン(家寺)で、ちびたの悲愴な声が聞こえる。

レーシーに遭遇して、固まっていた。

私は間に入って、両猫を分ける。

屋敷に侵入する他猫を目ざとく見つけると、レーシーは壁際まで追いつめる。

先住犬も一緒になって追い出そうと駆け寄る。

完全に見えなくなるまで、レーシーは塀の上で見張っている。

ちびたには、そこまで攻撃を仕掛けてこない。

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レーシーが近づくと、ちびたは尻尾を太くして「ウーウー!」とクグモッタ小さなうなり声をあげて威嚇する。

完全に拒絶しているようには見えない。

尻尾の先を少し振るだけで、レーシーは落ち着いたものだ。

時として、攻撃態勢に斜めに構える。

箱入り猫で育てられたちびたは内弁慶で、危険を察知すれば、安全圏とも言える部屋に逃げるか私のそばに避難する。

私の部屋も以前は、レーシーのテリトリーだったろう。

先住猫は、テリトリーを侵されて腹を立てているかもしれない。

心の広いレーシーは、そんなことも許しているようにうかがえる。

私には、一緒に遊びたがっているように思える。

ちびたは、どうしたら仲良くなれるのか迷っているのかもしれない。

イブ・マデに「焼きもちだね」と言われるが、どちらがどういう風に焼きもちをやいているのかわからない私は、対処の仕方に困っている。

庭で仲良く遊んでくれると有り難いのだが。

メス(ちびた)とオス(レーシー)だし、どちらも高齢だから、少々の相性が悪くても、いずれは喧嘩をしなくなるだろうと楽観している。

posted by ito-san at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月29日

Bali Not For Sale(46)

テガランタン村の北の端は、ジュンジュンガン村との村境。

その村境の田んぼの中に「not for sale」の野立て看板があるのは、以前「テガランタン村北部(25)」と「ジャランジャランの2(31)」で紹介した。

この場所で、ライブ・コンサートがあると言うニュースが流れている。

テガランタン村のこんな近場でのコンサートは、村始まって以来の出来事だろう。

7月21日(日)の予定は、コンサート開催の許可証を取っていなかったようで7月26日に延期された。


ステージは「not for sale」の野立て看板の前。

観客は、田んぼの畦道で鑑賞することになる。

私は、オカちゃんの弟・アノム君が建てたヴィラの2階から鑑賞すればベスト・ポジションだと思っていた。

残念ながら「数ヶ月前にインド人が年間契約で借りている」とアノム君に言われ、断念せざるを得なかった。

住人のインド人は「アナンダ・アシュラム(Anand Ashram)」のグルのようだ。

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7月26日午後4時ちょうどに、開演の挨拶が始まった。

ステージの周りには、たくさんのカカシが立っている。

MCの発する言葉から「プラスチック」「ノット・フォー・セイル」という言葉が頻繁に出ているところをみると、環境問題に取り組んでいる事はわかる。

バリ南部ブノア湾のマングローブ保存や観光開発による環境破壊問題に真摯に取り組んでいるロックバンドが出演と聞いている。

今回の無料コンサート「Bali Not For Sale」もその一環のようだ。


サイクリングの一団が、ライブ現場に近づいて来る。

ウブド・チャンプアン橋の袂にある 「S.I.D=Superman Is Dead」 のメンバー経営のTシャツショップ「RUMBLE」を午後3時に集合・出発したグループだ。

50人位はいるだろう。

「RUMBLE」の販売するTシャツを着ている若者は、 S.I.D のファンだと一目でわかる。

グループの誰かと似ているファッションが多い。

上空にリモコンの飛行物体が飛び、サイクリングの一団とライブ場所周辺を撮っている。

ビデオ・カメラのついた、最新機器だ。

この機器は、ウブドの王族の大きな火葬儀礼の時にも活躍したと聞いている。

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トップバッターは、ジョクジャカルタのグループ。

この日は、ソロで唄った。

1グループが3〜4曲を演奏する。


ジュンジュンガン村に住む、TAKEさんがバイクの前部に子供2人を乗せて現れた。

川を一つ隔てているが、家までロックの音が聴こえてきたので、覗きに来たと言う。


4番目のグループの、バリのローカルテレビでよく流れている曲が始まると、拍手が沸いた。

スリン(縦笛)演奏者として名声の高い、地元ジュンジュンガン村出身のアーチスト、アグス・デジャ・セントーサ君のスリン演奏だ。

アグス・デジャは、インドネシア国立芸術大学デンパサール校演奏科を優秀な成績で卒業している。

「リッタ・デウィ(Nritta Dewi)」のリーダー、舞踊家 “カデッ・デウィ・アルヤニ(Kadek Dewi Aryani)の弟で、グループでは、ガムラン奏者のリーダーをしている。

哀愁を帯びたスリンの音色と旋律は、椰子の木と田んぼの背景にはピッタリだった。

私はロックより、バリの音楽の方が気が入っている。

24年滞在しても、未だに興味が薄れないバリの音楽の魅力って、一体なんだろう。


5番目に「日本料理店・影武者」の女将が大ファンの 「 S.I.D=スーパーマン・イズ・デッド」が登場した。

メンバーは、3人。

S.I.Dは、バリ出身でインドネシアの人気バンドだ。

きっと女将は、ステージまぢかで見ていることだろう。

畦道は足場も悪く、ぬかるんでいるため座り込むことができない。

私は、道路脇にバイクを止めて座席に乗って聴いている。

ここからステージの様子は遠くて見えない。

スリンのアグス・デジャと S.I.D 以外のグループを私は知らない。

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聴衆は、増減があり正確には掴めないが、常時百数十人が聴き入っていた。

たくさんのテガランタン村の顔見知りに会った。

カポが、私に近寄り「スリンを聴きに来た」と言う。

「もう、終わったよ」と言うと、残念がっていた。

彼らはじっくり聴くという風ではなく「なにやってんだろう」という感じで覗いていく。

主催者側のコンセプトには共感するが、村人のコンセンサスを得ているのだろうかと、気にかかった。

娯楽の少ない村のこと、村人も楽しんでいることだろう。

私はそう納得している。


村側の責任者とコンサートのスタッフとが、話し合いをしている場面に遭遇した。

7時30分には、終わるように言われている。

8時までの予定と聞いていたが、どうやら問題があったようだ。

最終的には、7時40分で決まったようだ。

待機しているグループも残っている。

出演グループが、まだ、駆けつけて来る。

9つ目のグループが登場したところで、時計が7時30分を廻っていた。

開演してから3時間30分が経過していた。

夜風が冷たくなってきた。

私は、これが最後のグループになるだろうと判断して帰ることにした。


posted by ito-san at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月27日

家寺のオダラン(45)

ウク暦の第二十八週・KELAWUのRABU (BUDA) WAGEは、Upacara Rambut Sedana(ランブット・スダナ)の祭礼日。

お金に感謝し、大金の貸し借りはしない、借金を返さない日とされている。

この日には返済しないということで、借金を返さなくても良いという意味ではありません。

そんなことが許されるなら、今頃私は、小富豪になっていたことでしょう。

商売を営んでいる家では、必ず、祠に供物を捧げます。

市場の寺院・ムランティン(Pr.Melanting)が近くにある企業は、お参りに出掛け聖水を頂いて来る。

7月24日が、その日だった。


パチュン家の屋敷寺(ムラジャン)のオダランも、ランブット・スダナの祭礼日と同じ日に当たる。

ウク暦の1年は、30週×7日の210日で数える。

前回は、1月にあった。

1月には、私は、まだ引っ越していなかったので見学をしていない。

今回は、居候の住人としてお祈りに参加しようと心づもりをしていた。

が、目覚めたのは、プマンクの奏でるグンタ(鈴)の音だった。

時すでに遅く、家族はムラジャンに腰をおろし、祠に向って合掌している最中だった。

グンタを持つ白装束の男性は「ジャランジャランの1(30)」で紹介したプマンクだ。

闘鶏(タジェン=tajen)用の鶏を持つ風貌とは違った、霊験あらたかな姿。

仕事はできるプマンクのようだ。

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パチュン家は本家でないので、参拝に訪れる人も少ない。

どちらかと言えば、こじんまりとした儀礼だ。

3人の子供たちが結婚すれば、賑やかな儀礼になるだろう。

そんなことを思いながら私は、厳粛な儀礼を普段着で写真を撮っている。

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パチュン君は前日までガイドの仕事があり、仕事の合間をみつけてムラジャンの飾り付けをしていた。

2人の息子が手伝っていた。

娘は仕事が忙しく、手伝っていない。

イブ・マデは、3日前から供物作りで忙しく、寝不足で足下がおぼつかない。

夫婦は、2日後に控えた親戚の結婚儀礼の手伝いもありで大忙し。

親類縁者一同が会する本家や分家の屋敷寺に参拝する義務がある。

パチュン君の祖父には、3人の奥さんがいたようで、大家族だ。

最初の奥さんの子供が4人いて、上の3人は女性、末っ子の男子がパチュン君のお父さん。

お父さんとその3人の姉は、すでに他界している。

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テラスでまったりしていると、イブ・マデが、サテとラワールの入ったナシチャンプールを私の昼食用に持って来てくれた。

「30分ほど眠ったら、眠気が覚めた」と元気になっていた。

バリ人は、小刻みに睡眠をとることができるようだ。

私も小刻みに寝る事ができるが、日本人の知人の中には昼寝もできない人がいる。

供物のお下がりのお菓子と果物もたくさんもらった。

ナシチャンプールを手で食べながら、来年のオダランには、必ず、参加しようと強く心に誓う。


オダランは一日だけ。

私が経験した知人の家に比べて、あっさりした儀礼だった。

翌朝には屋敷寺の飾り付けは片付いていた。

「雨が降ると、面倒だから」と言う理由だった。

パチュン君は、意外と始末屋のようだ。


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2013年07月25日

ウブド・本の交換会@サリナ(44)

毎月恒例の「ウブド・本の交換会」は、今回で第52回を迎える。

7月20日(土)、会場は「サリナ・ワルン」。

4月以来3ヶ月ぶりに、私の滞在するテガランタン村での開催となる。

月に一度の開催で「カフェ・アンカサ」「ワルン・ソフィア」「サリナ・ワルン」をローテーションしているので3ヶ月に1度は、テガランタン村に巡ってくることは、もちろんわかっている。

わかってはいるが、オラが村で皆様をお迎えするという役柄がちょっと嬉しい興奮をさせてくれる。

「サリナ・ワルン」としては「居酒屋・萬まる」からバトンタッチして、今回で2度目の開催となる。

「テガランタン村滞在記|ウブド・本の交換会(18)」で「次回の本の交換会の時には、サリナ・ワルンがオープンしているかも」と期待させる報告をしたが、残念ながらスタッフの選抜ままならずで未開店です。


「本の交換会@サリナ」は、午後5時開始だが、スタッフの集合は4時となっている。

私もスタッフのひとり。

あいにく、今日は雨模様。

私の家から「サリナ・ワルン」まで、歩いて5分。

小雨降る中、50メートルほど南下する。

予定では、歩いている途中から「サリナ・ワルン」の前庭に、細い鉄柱にビニールシートの屋根を張った簡易テントが見えるはず。

ところだが、どうしたわけかテント建っていない。

スタッフの姿も、彼らが乗ってくるバイクも車も見当たらない。

ひょっとすると、私が一番乗りかも。

それとも、日にちを間違えたのかもしれないと、不安になる。

店内を覗くと、すでにスタッフは揃っていた。

歩いて5分の私が遅れをとった。

「遅くなってすみません」

時間は、まだ4時になっていない。

時間厳守の場合、遠くから来る人が余裕をもって出掛ける傾向があるようだ。



テントがない理由は、最近のウブドは、ポトンギギ、結婚式、葬式と儀礼が続いているからだ。

儀礼が続いていると、なぜテントがないか?

「本の交換会@サリナ」では、テントとテーブルと椅子を借りている。

いつも借りている「タマン・デコラシ」が、この 20日、在庫総出の大忙しで借りられなかった。

その原因が、儀礼が続いているからだった。

テーブルと椅子は、実行委員一同が奔走してあちこちから借り集めて、なんとか都合をつけた。

この状況の説明を、今、聞いた。

前日に、その旨の連絡がフェースブックで送られていたが、私は見ていなかった。



テントがないので、前庭にバザー・コーナーができない。

雨で、客席も用意できない。

すべてを店内にレイアウトするのに苦労をした。

中庭も雨のため利用できないために、フリーマーケットは住居の片隅に島流し状態になった。

ちっと可哀想だった。

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今回のバザーのラインアップを紹介しよう。

「チェリーブロッサム」から「パン各種」

「チッタ・オベスト」から「ナポリタン」

「ビアビア+」から「グランゴレン(小魚揚げ)」

「ソフィア」から「揚げシュウマイとさつま揚げと野菜の煮物」

「サリナ」から「冷し中華と餃子、そして魅惑のスイーツいろいろ」

「アンカサ」から「中トロ刺身」が予定されていたが、なぜか登場しなかった。

そのほか「笹寿司」「どら焼き」などなど、美味しくて安い品揃え。

今回の目玉商品は「お好み焼き」の実演販売。

実演販売は「交換会」開始の5時から終了の7時まで作りっぱなしの大盛況でした。

出店いただいた、安くて美味しい「OKONOMIYAKI」は、マス大通りにあります。
TEL:0812-3916-7289(YUKO)/0819-9935-7947(LUH NIK)/

店長に変わって宣伝させていただきます。

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「サリナ」三姉妹の作った “レモン・メレンゲ・パイ” の販売を応援しようと、大声で口上をあげると “メロン・メロンゲ・パイ” になってしまった。

何度も繰り返しても “メロン・メロンゲ・パイ” になってしまう。

そうこうしてるうち、私が買う前に、売り切れてしまっていた。

食べていれば、メレンゲがメロンゲにならずに覚えられたかもしれないのに。悔し〜い。

今回も、いっぱい食べた(餃子、小倉クレープ、揚げシュウマイ、ナポリタン、笹寿司、お好み焼き)し、
持ち帰りもたくさん買った(パン各種、ロールケーキ、いちごクレープ)。

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このところ「本の交換会」より、どちらかと言えば「バザー」に期待している私がいる。

これを主客転倒というのか。

あいにくの小雨模様だったが、大勢の方が訪れ、交流を深めていた。

在住者、リピーターが再会を喜んでいる姿も見えた。

主役が変わっても、在住者のコミュニケーションを計るという趣旨が遂行できれば本望だ。

ウブド在住者のホットなイベントに大満足。



「ウブド・本の交換会」は、スタッフと参加者の共同作業によるイベント。

末永く続く事を願った。


★次回「第53回:ウブド・本の交換会」は、8月18日(日曜日)「カフェ・アンカサ」17.00pm〜20.00pm/です。

今回の「カフェ・アンカサ」は、試験的に日曜日となっています。ご注意ください。


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2013年07月09日

結婚儀礼(43)

7月8日は「ルアック・ウブド・ヴィラ」と反対側の隣家で、結婚儀礼があった。

私の寝起きする「バレ・ダジョー(=ムテン)」と隣接する家だ。

結婚式の準備は、数日前から始まっている。

5日は、村人がゴトンロヨン(相互扶助)をしていた。

日頃、こういった手伝いに参加していないと、自分の家の儀礼の際に協力が得られないことがある。

特に困るのが、火葬儀礼の時に邪魔されることだ。
男衆と女衆は、別々の場所で作業をする。

寺院のお祈りの時も芸能を鑑賞する際にも、男衆と女衆は分かれて座る。(例外として、恋人同士や仲良し家族がいる)

男衆は、サテの串を作っている。

串の種類は4種類あると聞いたが、詳細を聴くのを忘れたので、次回の課題とする。

男衆の中に、パチュン君、カルちゃん(カルタ)、オカちゃん、「日本料理店・影武者」のスタッフ・デワ君の顔が見える。

女衆は、供物を作り。

女衆の中に、イブ・マデもいる。

イブ・イブ(婦人たち)は、カジャンクリオン(5日)、暗月(7日)と、日々の供物作りにも忙しい。

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7日の深夜(8日の早朝)に、儀礼料理のためのポトン・バビ(豚の屠殺&解体)が行われるとパチュン君から聞いていた。

たいていは深夜3〜4時頃から行われるので、この日は、それまでは起きているつもりだ。

見られるタイミングは滅多にないし、隣家で行われるので、写真を撮っておこうと意気込んでいた。

残念な事に、ポトン・バビは6日の夜10時頃から始まり、すでに終わっていた。

考えてみれば、結婚儀礼当日の早朝にポトン・バビをすることはなかった。

大失敗だ。

6日の夜、隣家から大勢の人の声が聞こえていた。

それにしても、バビの断末魔の悲愴な声が聴こえなかったな〜。

私が聞き逃しただけだろう。

重い空気が私の部屋を包んでいたのは、バビの怨念だったのか。

寝つけなかったのは、そのせいか。

屠殺は終わったが、解体が終わっていないかもしてない。

未練がましく覗いてみたが、バビは、すでに細かい豚肉(ダギン・バビ)になっていた。

ポトン・バビと儀礼料理は、男衆の仕事。

テガランタン村にはワルンの経営者(ベンディ&デワ)や料理人が多くいるので、料理が美味しいと言うことは経験済みで知っている。

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結婚儀礼当日の8日、時間は昼2時。

テガランタン村の美味しい儀礼料理の匂いが、私の部屋まで漂ってくる。

ちょうどよいほどに、私のお腹は空いていた。

ポトン・ギギ( 削歯)儀礼は、午前中に終わっているはずだ。

カメラを片手に家の前まで来た。

挙式をあげるご両人と私は、まったく面識がない。

招待状も届いていない。

誰も声を掛けてくれない。

こっそり紛れ込んで儀礼料理を食べたかったが、それもさもしいことだと遠慮した。

結婚儀礼を見学せずに、屋敷門の飾り付けの写真を撮って、そそくさと退散。

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儀礼がすむと、新郎新婦は新婚旅行に出発する。

行かない行かない、バリ人に新婚旅行の習慣はないのだ。

夕方からは友人たちの訪問を受け、深夜まで親睦を深める。

そして、3日間、家から出ない事が義務づけられている。

最近は、新婚旅行に行くカップルもいるし、翌日から仕事に出るそうだ。

ちなみに、結婚した当月のことをインドネシア語でブランマドゥー(bulan madu)。

英語のハネムーン(honey moon)、日本語の蜜月と同じ語源だった。

バリ語には、ブランマドゥーに相当する言葉はないようです。


『Selamat mununpuh hidup baru=新しい人生に祝福を』


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2013年06月28日

ワヤン・クリシュナ(42)

家族紹介(7)」で、パチュン家の末っ子で次男のコマンの名前「イ・グスティ・ヌラー・プリマナンダ(I Gusti Ngurah Primananda)」の「プリマナンダ」は、ワヤン・スタモ君の奥さんの命名だと書いた。

縁とは不思議なもので、ワヤン・スタモ君の名前が、パチュン家で出るとは思わなかった。

ワヤン君の奥さんは、パチュン君の奥さんイブ・マデとはバリ南部クタの同郷で家も近く幼友達だった。

ワヤン夫妻は、パチュンの奥さんを頼ってテガランタン村に滞在していた時期がある。

ワヤン君の奥さんは、インドのサティア・サイババからパワーをもらった人物。

サティア・サイババ(2011年4月24日年没)は、世界的に有名なインドの聖者。この時は、まだ健在だった。

そんないきさつから名付け親になったようだ。

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今回は、バンリ県出身の「ワヤン・スタモ君」について話すことにする。

実は、私とワヤン君との出会いは1998年と古い。

出会いは、ふらっと出掛けたバンリのダラム寺院のオダランだった。

その時、境内を歩いている私に日本語で話かけてきたのがワヤン君だ。

彼は、独学で日本語を勉強していた。

そう言えば「アパ?情報センター」の開設も、ダラム寺院プリアタンのオダランで知り合ったニョマン君との出会いからだった。

私はオダランで知り合った、向上心のある男性をスタッフにハンティングする癖があるようだ。

日本人と生きた日本語を話したいと思っているワヤン君は、訪れる旅行者の少ないバンリ市で日本人に出会える機会はまったくない。

そんなことから、私に声を掛けてきたのだ。
「もっと日本語が話したいので訪ねました。

よかったら、バンリの街を案内しましょう」
この言葉に、これは新手の客引きかと疑った。

たとえ押し売りガイドだとしても、許せるだけの好感を持つ彼の言葉に、私は素直に従った。


バンリの街、遺跡のある村、伝統を残す村、湖や田畑の美しい景色など、近郊の見所をくまなく案内してくれた。

ガイド料は請求されなかった。

彼はやはり、日本語が話したかっただけだった。

そして、自慢の故郷バンリを紹介したかったのだ。


3日間行動を共にしただけだが、それだけでも彼の誠実さが充分に理解できた。


「もし、ウブドで働きたければ紹介できるところがあるから、その時は、私の作業場に訪ねて来るといい」
連絡先を書いたメモを彼に手渡し、バンリ市の旅を終えた。

神々に捧げる踊りその二:バトゥ・ガイン寺院」に、その時のエピソードを書いた。


後日、ウブドに訪ねて来た彼には「アパ?情報センター」を手伝ってもらうことにした。


そして半年後、彼は「この仕事は、わたしには向いていません」。

そう言ってバンリへ帰っていった。

ウブド滞在の半年間の彼の不可解な行動は、今でも私の知人の間では語り草になっている。

その不可解な行動とは?

「伊藤さんは、光明を見ましたか?」と訊いてきたことがある。

以前、瞑想中に一条の光が額に飛び込んで来た体験を、私は話した。

その頃から彼は、夜な夜な白装束に身を包みホームステイの家寺で横になることが多くなった。

信仰心の厚いバリ人でも珍しい行動だった。

彼は、瞑想に興味をもち、モンキーフォレス通りにあった欧米人の主宰する「瞑想センター」に通い始めた。
こうして、精神世界にのめり込んでいったようだ。


バンリに帰った彼は、バンリ市の役所に勤めて植樹の仕事をしていた。

多くの人と向き合う仕事より、自然と触れ合う仕事のほうが彼には向いているようだ。

バンリに帰ったあとも、私は彼と連絡を取り合っていた。

結婚し、一子を授かる。

私の提案で、クヘン寺院前に「アパ?情報センター・バンリ支店」を開設した。

この頃、夫婦中が悪化していたようで、離婚することになってしまった。

奥さんの実家はクヘン寺院の横、「アパ?情報センター・バンリ支店」真ん前だった。

そんなことで、バンリ支店は、短期間で閉鎖した。


バンリでのオダランでトランス奉納があると連絡があると、私はよく出掛けていった。

アパ?のバリアン体験・ツアーの切っ掛けをつくってくれたのが彼だ。

ジャンゲール・ムボルボールも彼の紹介だ。

バロンの大集合もそのひとつだった。


再婚相手が、現在の奥さん。

ワヤンの瞑想好きが、彼女を呼び寄せる切っ掛けとなったことは想像できる。

バリヤン体験・ツアーには、奥さんのツアーもメニューに含まれるようになった。

現在、導師(グル)である奥さんは「イブ・アユ・ラクシュミ」と呼ばれている。

ワヤンは「クリシュナ」という名を持っている。

そうして現在に至まで「アパ?のバリヤン体験・ツアーを手伝ってくれている。

バンリの瞑想センターに招待された時の話は、次の機会に報告したいと思っています。
posted by ito-san at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月26日

この頃思う(41)

テガランタン村に滞在し始めて、この頃思う。

それは、1990年にロジャーズに滞在始めた時と同じような日課を過ごしているということだ。

扉を開け放すと、お手伝いのワヤン譲が朝食を運んで来てくれたロジャーズ・ホームステイとの違いは、イブ・マデのバリコピとバリ菓子に変わった。

その頃の日課だった洗濯は今、ニュークニン村にあるソープナッツの「エコ・フレンドリー・ランドリー」にお願いしてるから、ごく薄手の物しか手洗いしない。

夜は、パサールにあったセンゴールに通っていたのが「日本料理店・影武者」に変わった。

水マンディがお湯の張ったバスタブになったのは、大きな変化かもしれない。

電灯の明るさは増したが、静寂は以前に戻った。

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(写真提供:田尾美野留氏)


しかし、何かが大きく違う。

「日本人滞在者が増えたが友達は減った」と感じる。

別段、日本人の友達が欲しいと思っているわけではないが。

ウブド滞在の目的が多様化してきただけのことだろうが、価値観の違う滞在者が増えたのは確かだ。

それも、ひとつかもしれないが、もっと根本的なことのような気がする。


私が「ウブドに長期滞在したい」と考えた理由は、日本の文明社会からの逃避だったかもしれない。

過多の情報と、際限ない贅沢から逃れたかったからだ。

今の私は、文明の波に飲み込まれている。

テレビ、冷蔵庫、扇風機、オーブントースターを持っている。

ほとんど使わなくなったが、掃除機、炊飯器、アイロン、ドライヤーも持っている。

電子レンジ、自動車を持っていたこともある。

ビデオデッキは故障したので廃棄にした。

携帯電話とパソコンは、しかたがないとは言え、放せない物となってしまった。

ウブドに来て削ぎ落とされたはずの文明の贅肉(私にとって)が、知らず知らずのうちに再生されつつある。


人の住むところは、必ず変化していく。

変化には、文明の発展が伴うことが多い。

ウブドにも、手が届く範囲に便利な物が溢れ始めた。

文明に慣れた私の身体は、受け入れるのも早かった。

拒絶しながらも享受してしまう。

便利を知っているからだろう。

しかし、そんなことは言い訳でしかない。

やすやすと飲み込まれるのは、自分の意思が弱いからだ。

嫌なら、止めればいいだけのことなのに。

自分が望む環境は、自分で作るものだ。

今、私は自分の生活を見直しているところです。


posted by ito-san at 01:07| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする