2013年05月20日

ジャランジャランの1(30)

さぁ〜て、今日は天気も良いことだし、ちょっと村を散策してみようか。

この村には、これと言って観光するものはないが、バリの村としての機能を見ることはできる。

パチュン君に「テガランタン村のパワー・スポットはどこですか?」と訊いてみた。

「ダラム寺院前にある大きな樹がそうだよ」と教えてくれた。

さっそく、行ってみることにした。

ダラム寺院の前には、大樹が左右に聳えている。

以前、私が奉納舞踊をしたのは、この大樹と寺院の間にあった村道だ。(2013年05月06日:■神々に捧げる踊り(24))

向かってその左手の大樹が、テガランタン村のパワー・スポットだ。

小さな祠の前に腰を下ろすと、清らかな風が頬を撫でた感じがした。

power-spot.jpg


山側(北)に足を伸ばすと、屋敷前にひとりの老人が腰を下ろしていた。

頭の白い布は、プマンク(専属僧侶)の巻き方だ。

「私がバリ人の見本ですよ!」とでも言うように、私が想像するバリ人の風貌がそこにあった。

手には、闘鶏(タジェン=tajen)用と思われるが鶏が大事そうに抱えられている。

老人は、両手で鶏の身体をしごいている。

私は、この長閑な風景を写真に残したいと思った。


インドネシア語で「写真を撮らせてください?」とカメラを手にして訊くと、老人は鶏を籠に戻し立ち上がり「オランダ?」と訊ね返しきた。

私が、侵略者のオランダ人にでも見えたのだろうか。

70年も昔の話、いくらなんでもそんなはずはないだろう。

老人の表情が硬いので、私は怒っているのだろうかと不安になった。

バリ語をまったく理解できない私は、ただニコニコするだけだ。


私のインドネシア語の「ダリ ジャパン」が理解されないので「ニッホン」と言い換えると、老人は理解したのか「ジャパン」と発音した。

部外者の出現が迷惑なのだろうか、どことなく迷惑そうな表情は取っ付き難いが、それに臆せず「写真を撮ってもいいですか?」と再び訊ねると、「この鶏(混合色)が3度勝った」「この鶏(白色)は2度勝っている」「これ(白色)は、まだ試合に出ていない」と、少し和らいだ表情で教えてくれた。

私は、鶏を抱えるジェスチャーをした。

老人は座り直し鶏を籠から取り出した。承諾してくれたようだ。

カメラを向けると、真剣な表情になった。

tajen1.jpg


写真を撮っていると、向かいの家の住人が鶏を手にして現れた。

さっそく、模擬闘鶏の開始となった。

tajen2.jpg

家に帰って、パチュン君に写真を見せると「この人はプセ寺院のプマンクです」と教えてくれた。

あとから現れたおじさんは、運転手の仕事をする公務員らしい。

近々、どこかで闘鶏があるようだ。

こんなバリ人の日常が、散策していると見られる村だ。

極楽通信・UBUD右向き三角1バリ島見聞録右向き三角1
タジェン(闘鶏)
も読んでください。

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2013年05月18日

椰子の実の話(29)

パチュン家の庭には、様々な種類の木が繁っている。

私は時々、庭を徘徊する。

記憶をなくした徘徊老人ではないので、ご心配なく。

私が庭を散歩すると、愛猫チビタが部屋から出て来るのを知っている。

チビタが、この家に慣れてもらうために、私は出来るだけ部屋から遠いところを散歩するようにしている。

案の定、チビタは庭の中央まで出て来た。


私は眼の前の、黄色の実がついた背の低い椰子の木(インドネシア語でクラパ=kelapa)を見上げている。

チビタが、足下にまつわりつく。

パチュン君が庭木に水を撒きに出て来た。

私はパチュン君に「この黄色い実がついたニュー(nyuh=クラパのバリ語)は、ニュー・クニン(kuning)だよね?」と、知ったかぶりをして訊いた。

ウブドの南にあるニュー・クニン村は、黄色の椰子の意味だと聞いたことがある。

「そう、ニュー・クニンは、ニュー・ガデン(gading)とも言う」と教えてくれた。

「ニュー・ガデンは、モンキーフォレスト通りの広場前にあるバンガローの名前だね」

「そう、以前、ベンディのレストランがあったところだ。もう、移転したけど」

ベンディさんは、テガランタン村の出身で、ビジネスで成功している人物の一人だ。


「そして、これがニュー・ガダン(Gadang)で、こちらの薄い緑色したのはニュー・ブラン(bulan)だよ」
パチュン君は、左右の椰子の木を指差して教えてくれた。

「えっ、これ種類が違うんだ。私には、どれも同じに見えるけど」

「バリには、私の知る限りで7種類の椰子の木があるよ。きっともっとあると思う。地霊や邪悪な力を祓うための儀礼・ムチャル/チャル=Mecaru/Caruでは、5種類の椰子の実を使う」とパチュン君。


バリのヒンドゥーの教義では、東西南北とその中心という5つの方位が、それぞれの方位に対応する神、神の武器(神器)、色、音、整数などと結びついたかたちで、宇宙の秩序原理をなすという考えがある。この五元論をパンチョ・デワォ=Panca Dewa(デワォは神)という。(吉田竹也著「バリ宗教ハンドバック」より)

記憶が薄れたので「バリ宗教ハンドバック」を見ながら確認します。

方位の神と色は、カジョ(山側)はウィシヌ神で黒、クロッド(海側)はブラフマ神で赤、

カンギン(右)はイスワロ神で白、カウ(左)はマハデワ神で黄、

プサ(中央)はシワォ神で混合色となる。

色は、パンチョ・ワルナ=panca warna(パンチョ=5、ワルナ=色、マンチャ=manca・ワルナとも言う)と言われ、パチュン君の言うようにムチャルに使われる。

生け贄に使われる鶏がこの5色を用意されると聞いていたが、ムチャルに使われる椰子の実が5色あったとは知らなかった。5色のお米も見たような気がする。

音は、ディン・ドン・デン・ダン・ドゥンだったと思うけど、方位がわからない。

誰か教えてください。


「日本食料理店・影武者」のスタッフ、ダユーにこの話をすると、次の日、5つのニューを用意しれくれた。

nyuh.jpg

カジョ(ウブドでは北・写真では上)はニュー・ガダン&ムルン(mulung)。クロッド(ウブドでは南・写真では下)はニュー・ウダン(udang)、

カンギン(ウブドでは東・写真では右)はニュー・ブラン&プティ(putih)。カウ(ウブドでは西・写真では左)はニュー・ガデン&クニン、

プサ(中央)はニュー・スダマラ(sudamala)。

5色と言っても、そのものズバリの色ではなかった。

それは、役目としての色分けのようだ。

果汁は、味音痴の私にはどれもポカリスエットに似た味だった。


大きなムチャルでは9種の椰子の実を使うと言われる。

これは、ナワォ・サンゴ(Nawa Sangga)と言われる九元論だ。

さらに十一元論がある。

いったいどこに、そんなたくさんの種類の椰子があるのだろう。

私は、見たことがない。きっと、探すのはたいへんなことだろう。

いつの時代から使われるようになったかは定かではない。


ムチャルに使われるニューは古くからバリにあった種類で、オランダ植民地時代にプランテーションとして輸入されたと思われる12メートル以上に成長する背の高いニューはムチャルには使われない。

ひとつ謎が解けると、そこからまだひとつ謎が浮かび上がる。

私にとってバリの不思議は、いつまでたっても尽きることがない。

わかり難い説明になってしまったが、これでおしまいにする。

久しぶりの勉強で、こめかみあたりにシコリができそうだ。

そして、愛猫チビタは、私の座布団を占領して小さな寝息をたてている。


※「ムチャル/チャル」「パンチョ・デワォ」について詳しく知りたい人は、吉田竹也著「バリ宗教ハンドバック」を参照ください。アパ?、影武者、アンカサでRp50,000-にて販売しております。

極楽通信・UBUD右向き三角1極楽通信右向き三角1椰子の木はスーパーマン
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2013年05月14日

雌犬・セリの出産(28)

ひと月程前に、パチュン家の雌犬「セリ」が懐妊中だと聞いた。

出産予定日はわからない。

いつ、どこで生むのかは、見当がつかない。


「セリ」の行動範囲は広いと聞いている。

私は「精霊漂う渓谷(20)」で報告した祠まで散歩をしているのを見かけたことがある。

今は妊犬の心得として、適度の運動をしているのだろう。

それとも出産場所を物色していたのだろうか。

と思っていたら、コロコロと太ったキンタマーニ犬の子犬が台所の前でコロコロしていた。

足取りが軽かったのは、すでに出産したあと数日が経っていたのか。

「昨日、子犬を咥えて渓谷から登ってきた」とイブ・マデが教えてくれた。

人が下りられない程の急なところで生んだようだ。

子犬が、這いずるようになって危なくなっての引っ越しだろ。


猫は、3度ネグラを変えると聞いているが、犬の場合はどうなのだろう。

どこへ引っ越すのかが気になるところ。

このまま、この場所にいたら侵入犬にいじめられるゾ。

道端でたむろっていても、いざ、自分の家によその犬が入ると吠えて追い出す。

放し飼いの犬だけど、ちゃんとテリトリーはわかっている。

それでもズウズウシイ犬は、入って来る。


2〜3日後、私の部屋(バレ・ダジュー)の窓の下で、母親を呼ぶ子犬の声が聞こえてきた。

窓を開けると、下で「セリ」が子犬とジャレ合っていた。

子犬は、まだ目は見えないようだ。

家寺とバレ・ダジューに挟まれた、ここなら安心だ。

家寺の2カ所ある割れ門も一メートル弱と狭いので、侵入犬が入ってくれば「セリ」にもわかるだろう。

そんな侵入犬のこともわかっているように「セリ」は子犬を家寺の奥に隠したのだ。

Seli.jpg

通常、家寺側にバレ・ダジューの窓は作らないと聞いていたが、そうでもないようだ。

開けている時には気を使うが、窓があるおかげで涼しい風を入れることが出来るので、私に文句は無い。

今、子犬は家寺と私の部屋の間で丸くなって寝ている。


極楽通信・UBUD右向き三角1極楽通信右向き三角1バリの犬(Anjing)
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2013年05月12日

レンタル・ハウス(27)

この頃、ウブド内の貸家・貸部屋の料金は急勾配で上っている。

わたしもそんな影響を受けて、引っ越しを余儀なくされた一人だ。

ウブドで生活する長期滞在者にとって、家賃の高騰は死活問題。

「現地雇用の給料では生活がきつい」となげく知人もいる。


私のまわりにいる長期滞在者の事情をパチュン君に話した。

「そういう人に貸せる家賃の家を建てよう!」

パチュン君から、いきなりキャッチフレーズ的展開の答えが返ってきた。

私は「適正な価格はわからないが、月150万ルピア(約15,000円)以下なら借り手がいると思うよ」と返事をした。

ということで、私が居候しているテガランタン村のパチュン家では『只今、入居者募集中』と相成りました。

ウブド大通りから2キロ、バイクで5分以内、歩くと何分?

これは問題ではありません。

私は歩いたことがなくて知らないので、質問形式にしてみました。


要望があってからの建築なので、入居は工事着工後6ヶ月ということになる。

大家さんのパチュン君は、50万円ほど借り入れをする予定だ。

その予算以内なら、入居者のこだわりのデザインにも応えてくれるだろう。

1年間ごとの延長でもよいだろうが、大家さんの都合を考えるなら3年間借りてくれる人がベストだ。

tegal-lantang18.jpg

予定地は、私が知人とキャッチボールをしている場所。

話が決まれば、私のキャッチボール場はなくなってしまうが、これも大家さんのためならあきらめよう。

パチュン君を始めとして、家族はみんな、心根の優しい人たちです。

問題は、同じ敷地内に「ito-san」が居ることでしょう。

そんな障害があっても、借りたいという希望の方は、私に連絡をください。

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2013年05月10日

バンジャールの役目(26)

ホテルが建つと言われている空き地(テガランタン村への道程(21)で紹介)の前を通ると、雑草が刈り取られていた。

いよいよ、ホテルの建築工事が始まるようだ。

何もない空き地だとばかり思っていたら、工事途中の寺院や建物、貯水タンクのタワーなどの形跡が残っている。

以前は、村人が住んでいたということだ。

tegal-lantang17.jpg

この話をパチュン君にすると「あそこの家族は、今、ギャニアールに住んでいる」と教えてくれた。

家族にどんな事情があったかわからないが、土地を売って転居してしまったのだ。

バリ人が屋敷を手放すということは、よほどの事情があったのだろう。

「彼ら家族のガベン=火葬儀礼は、サヌールにある火葬場ですることになる」とパチュン君。

バンジャールの構成員だが、ほとんど参加していないのでテガランタン村では火葬儀礼は出せないそうだ。

バリ人のもっとも重要とする火葬儀礼が、村で執行されないのだ。

それはバリ式に考えれば、死者の霊が浄化されないということになる。

バンジャールに所属していないバリ人は、バリではバリ人でないと同様だと聞いたことがある。

彼らは今でも、バリ人の信仰するヒンドゥー・ダルモの教徒なのだろうか。

転居先に家寺は建てたのだろうか。

人ごとながら、心配になる。


火葬儀礼と言えば、アパ?のスタッフ、ワヤン君の話も悲惨だった。

ワヤン君の家は、ペジェン村にある。

ある年の合同葬儀の日のことだ。

この日は、ワヤン君の家族にも火葬儀礼があった。

バデ(死体を運ぶ神輿)が火葬場に運ばれる。

しかし、途中でバデが道端に打ち捨てられてしまった。

村人が、ワヤン家の火葬儀礼を拒否したのだ。

昔、ワヤン君の家系はペジェン王族の仕事を中心にしていて、村の相互扶助に参加することが少なかった。

その遺恨が今頃になって、噴出したのだ。

そのあとワヤン君の車は村人によって壊され、屋敷には深夜まで投石が続いたとのこと。

家族は危険を感じ、ギャニアールに一時避難した。

警察が介入し金銭的解決をしたが、遺体は、サヌールにある火葬場で荼毘に付したそうだ。

バンジャール組織の係累の強さを物語る事件だった。

「あの時は怖かったけど、今はもう大丈夫です」とワヤン君は語る。


ちなみにバンジャールに所属していない私たち外国人が成仏した場合は、ヌサドゥアにあるカトリック教会が所有する火葬場で荼毘に付すことなる。

遺体は、村に戻ることは許されず、病院から火葬場へ直通だ。

これも、バンジャールの掟だ。

※《極楽通信」・バリ島見聞録》:
バンジャール(Banjar)
火葬儀礼(ガベン=Ngaben)
合同葬儀(Ngaben Masal)
も読んでください。
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2013年05月08日

テガランタン村北部(25)

久しぶりに脳みそを使ったのが禍いして頭痛になり、途中となってしまった「集落の形成」の続きです。

それでは、寺院より北部のテガランタン村を探索してみることにしよう。

ダラム寺院前の広場は、仮埋葬場と火葬儀礼の時には火葬場となる。

kasouba.jpg

以前、オダランでの「チャロナラン舞踊劇」で、悪霊ランダに扮したプマンク(僧侶)がクラウハン(神が降臨する)したのを目撃したのは、このダラム寺院だ。

ランダは舞台を飛び出し広場に向かって走り出し、盛り土して少し高くなったところ(火葬場)に立つと、くぐもった声で叫ぶように話し始めた。

私はしばらくして家に帰ってしまったが、このあと村の行方を解く話が2時間ほど続いたそうだ。

このプマンクが「居酒屋・影武者」の建築工事を仕切った大工の棟梁だと知らされて、私は2度驚かされた。

当時でも、すでに高齢だったが、あの走りはとても老齢者には見えなかった。



寺院群から北の狭い範囲がテガル、そこから村外れまでをパチュンと村人は呼ぶ。

理由は「昔からそうだった」だった。

大家のパチュン君の本家は、パチュンと呼ばれる集落にある。

そんな理由から、彼の名前は命名されたのだろうか?

しかし、名前の由来はわからない。

小学校から南のテガランタンは隙間無く家々が並んでいるが、テガル、パチュンと呼ばれる地域は田んぼに挟まれて点々と民家がある程度だったところに、今は外国人の住む家、建築中のヴィラがいくつか見える。

陶芸家の知人のアトリエと、ウブドが好きで滞在を始めた知人夫妻の屋敷もこの地域にある。

最近、評判?のアナンダ・アシュラム(Anand Ashram)も・・・。

AnandAshram.jpg

プルサダ寺院(Pura Purusadha)が集落の北端。

この寺院は、この村に住むデワ家の親族集団の寺院。

Pr-Purusadha.jpg

2キロに満たない地域に、150家族、およそ800人ほどの村人が生活している。

これが私の滞在するテガランタン村だ。


【付録】

※テガランタン村の隣は、ジュンジュンガン(Junjungan)村。

4月16日から4月24日まで、ダラム寺院ジュンジュンガンで50周年のオダランが執り行われた。

境界線に、オダラン予告の垂れ幕とベニヤ作りの割れ門が設置された。

Junjungan.jpg

※境界線を越えてすぐ右手に「NOT FOR SALE」の文字が見える。

NOT-FOR-SALE.jpg


近年、外国人やジャカルタの富裕層が、この静かな地に、ヴィラを建て始めだした。

売って欲しいという人が頻繁に訪れるのに業を煮やした村人が、写真のような看板を立てたようだ。

このあたりには今も、ホタルが乱舞すると言われるライス・フィールドが残っている。

夜になると、地元の若いカップルのデート・スポットになる。


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2013年05月06日

神々に捧げる踊り(24)

明日5月7日に、私のウブド滞在が24年目に突入する。

24歳になるというのに、私の会話能力はバリ語はおろか、インドネシア語の語学力も小学校低学年レベルだ。

宗教、慣習、芸能の知識についても、未だに中途半端なままだ。

今後もこれ以上の進歩は望めないだろう。

不甲斐ないと思いながらも、ウブド生活の心地よさに埋没している。

滞在し始めた当初は、もう少し探究心があった。

テガランタン村滞在で、そんな頃のことを思い出した。


テガランタン村のダラム寺院には、思い出がある。

それは、私のバリ舞踊初舞台の渋柿を噛んだような苦い思い出でもある。

1993年のダラム寺院オダランでのことだ。

私がウブドに滞在初めて最初に知り合ったワヤン・カルタから「私の村の寺院に、舞踊を奉納しないか?」と誘われた。

カルタは、私がバリの踊りを習い始めていることを知っていて薦めてくれたのだ。

私は奉納舞踊を体験したくて、飛び上がるほど喜んだ。

もちろん快諾だ。


衣裳替えは、小学校の教室だった。

日本人女性6人が、歓迎の踊りを奉納する。

彼女たちも、奉納舞踊は初舞台のようだった。

舞台は、寺院前の村道を塞いで道路上にあった。

今のように弓形に回っている道ではなく、寺院の塀に沿って通っていた道。



日本人女性の歓迎の踊りは、滞りなく終わったようだ。

ワヤン・カルタの娘は、私のあとにチャンドラワイ(極楽鳥)を踊る。

いくつかの踊りが終わり、いよいよ私の出番になった。

私は、幕のうしろに用意された椅子に座った。

奉納舞踊、初お披露目はトペン・ムニエールだ。

幕の横にいた人が、演奏者に合図を送ったようだ。

・・・・・・・・・・・・・



このあとの展開をここに記するだけの勇気が、私にはない。

興味のある方は「神々に捧げる踊り」をお読みください。

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2013年05月05日

集落の形成(23)

何をいまさらと言われそうだが、ウブド近郊の村々は渓谷に沿って形成されている。

バトゥール山を水源とする幾つもの川が海に向かって流れる渓谷に挟まれた尾根沿いに、集落は形成されていったのだろう。

バリでは、聖なる山の方角をカジョ、不浄の方角の海側はクロッドと呼ばれている。

カジョと呼ばれる山側は、ウブド人にとっては北となり、海側はクロッドと呼ばれ南にあたる。

北部バリでは、山側のカジョは南にあたり、海側のクロッドが北になるのだろうか。

さらには、東部バリ、西武バリはどうなっているのだろう。

頭がこんがらかってきたので、この話はこれまでにする。


山間部の道が、つづら折りとカーブが多いのは万国共通だろう。

興味を引かれるのは、バリは集落のあるところには、必ず突き当たりがあるということだ。

突き当たりに見えた道は、左か右かにS字カーブよりきついクランクカーブとなっている。

突き当たるところには、寺院がある。

私の知る限りではという、但し書き付きですが。


テガランタンの集落も、渓谷に沿って南北に形成されている。
そして、テガランタン村にもクランクカーブがある。


クランクカーブの突き当たりは小学校。


その隣は「ダラム寺院」、そして「デサ寺院とプセ寺院」と並んで建っている。


ダラム寺院


デサ寺院とプセ寺院


一般的には、「ダラム寺院」は集落のクロッド(海側)に位置し、「デサ寺院とプセ寺院」は集落の中心かカジョ(山側)にある。

しかし、テガランタン村の「ダラム寺院」は、村の中央に大樹に囲まれて威厳を保つように建っている。

そう言えば、プンゴセカン村のダラム寺院もデサ寺院とプセ寺院と同じ村の中央にある。

私の集落形成の方程式が、これであっけなく崩れてしまった。

まあ、いろいろあって一概に言えないということだ。

今回は、これを結論としておこう。

久しぶりに頭を使ったので、頭痛がしてきた。


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2013年05月03日

スリカヤという果物(22)

「イトー、これ食べるか?」

テラスで寝転んで本を読んでいる私に、イブ・マデ(パチュン君の奥様、ニ・マデ・ムルヤンティニ=Ni Made Muryantini)が声を掛ける。

果物らしきものを手にしていた。

読みかけの本を横に置いて半身になると、棘のようなものがついた大きな果物が差し出された。

ドッシリと重くて、柔らかかった。

庭で採れた果物だろう。

「これは、何て言う果物ですか?」と言う私の問いに、「?????」と、私の聞き取れない果物の名前が飛び出した。

聞き返すと「スリカヤだよ」と教えてくれた。

聞いたことのない名前を、私はすぐには覚えられない。

あまりの大きさに一度では食べ切れないと考え「何日くらいもちますか?」と聞いた。

「冷蔵庫へ入れておけば3日はもつよ」と言って、イブ・マデは台所へ戻っていった。


横に包丁を入れたが切れない。

私の持っている包丁は、切れ味がよくない。

今度は、縦に包丁を入れた。

繊維質が絡んだが、何とか切ることが出来た。

黒い種を含んだ白い果肉が、姿を現した。美味しそうだ。

スイカを食すように食らいついた。食感はドリアンに少し似ている。

柔らかい果肉は、ジューシーで洋梨のような味がした。

しかし、酸っぱい。酸っぱいものは、私は苦手だ。

手から果肉がこぼれ落ちる。

掌がベタベタになる。食べにくい代物だ。


「Fruits of Bali」に、写真が出ていた。

スリカヤ(=srikaya)はバリ名で、インドネシア名は「シルサック(=Sirsak)」だった。

原産地は、熱帯アメリカ。

庭のスリカヤは、幹が細くて大きな木ではなかった。

実をたくさん付けているところを見ると、乾季の果物なのだろうか。

バリには、私が食べたことがない果物がまだまだありそうだ。

食べ物に好き嫌いが多い私だが、知る楽しみが増えたことに感謝しよう。


「シルサックは、ジュースになって紙パックで売っている」と教えてくれた知人は、「それは、甘くて美味しいよ」言っている。

次回は、イブ・マデにジュースにしてもらおう。

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2013年04月30日

テガランタン村への道程(21)

タマン村の村はずれからテガランタン村の精霊の漂うL字道までの約500メートルは、左右に田んぼが広がる。

L字道からは、テガランタン村の入り口までの村道は、左手に渓谷、右手に田んぼの景色が連なる。

晴れた日には、右手田んぼの遠方に霊峰アグン山の美しい姿を望むことが出来た。

「出来た」と過去形で表現したのは、現在、長期滞在者の屋敷やヴィラが建ち、その景色が狭まっているからだ。


精霊の漂うL字道から渓谷沿いに、500メートルほど北上するとテガランタン集落の入り口だ。

それでは、この500メートルほどの沿道をたどってみることにしよう。

右手には、長期滞在者の住む屋敷が並ぶ。


左手に見える建築中の橋は、スゥエタ通りと繋がる。

bridge.jpg

2012年12月完成予定が、予算の都合で大幅に遅れているようだ。


橋を通り過ぎてすぐ、サレン王宮の舞姫・マグニッ(=MANGNIK)が経営する町スパがある。

MANGNIK.jpg

その向こうに、安くて美味しいと地元で人気の「ワルン・サリ・ルジャキ=Warung Sari Rejeki」。

Warung Sari Rejeki.jpg


さらに進むと「ウブド・グリーンス=ubud green」。
田んぼビューのホテルだ。

ubudgreen.jpg
Web:www.ubudgreen.com


そして、前日4月20日に《第49回:ウブド・本の交換会》が行われた「サリナ・ワルン」。

sarina4.jpg


2010年10月18日に、「サリナ・ワルン」前の正面の芋畑が整地されて、プダンダ(=高僧)の火葬儀礼が行われた。

芋畑からパチュン家までの間は、村人のサッカー場だった。

今は、この地に「ルアック・ウブド・ヴィラ=Luwak Ubud Villas」が建っている。

こちらは、渓谷ビューのホテル。

luwakubudvillas.jpg
Web:www.luwakubudvillas.com


新たに、写真の空き地に、田んぼビューのホテルが建つという噂がある。

tegal-lantang15.jpg


「サリナ・ワルン」は、3つのホテルに囲まれる形になる。

こんな小さな村にも観光地開発の波は押し寄せている。

ウブドから2キロの距離は、充分に商圏だ。

1泊が、私のひと月分の生活費とほぼ同じ料金。

この村のほとんどの家族が、それより少ない金額で生活しているかもしれない。

この格差に、私は複雑な心境で暮らしている。


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