2021年05月07日

バリ絵画を応援するサイト「ギャラリー・ブンブン」第三弾(369)

お待たせしました、バリ絵画の第三弾!

今回は、バリ島の神々をテーマにした絵画を特集しました。

第三回『 バリの神々・デワ&デウィの絵画 』と題して更新しています。

『 バリの神々・デワ&デウィの絵画 』と銘打って、作品を紹介したいと思います。

シワ、スタソマ、サラスワティ、ガネーシャ、ラワナ、ウィシュヌ、デウィガドゥラ、ガルーダ、マハバラタetcの神々。

グスティ・カデッ氏を中心に、長兄のグスティ・コンピアン氏、そして友人の作品となっています。

人気のモチーフは、芸術と学問の神様・サラスワティのようですね。

カマサンスタイルの古典絵画は、ご愛嬌ですの出品です。

売り上げの数%が、私の生存の一部になっていますので、ご協力のほど、よろしく御願いいたします。

バリ絵画を応援するサイト「ギャラリー・ブンブン」
http://informationcenter-apa.com/galeri_bumbung.html


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バリ絵画を応援するサイト「ギャラリー・ブンブン」
http://informationcenter-apa.com/galeri_bumbung.html

写真と原画の色彩が少し異なることがあります、ご了承願います。

拡大して、ご覧ください。

申し込み方法は、末尾に掲載しました。

■ご注文の絵画を、コロナ終息してバリ島旅行が可能になるまで、お預かりすることもできます。


posted by ito-san at 09:25| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月22日

バリ・ウブドで、新型コロナ感染症の接種を受ける!(368)

世界中に新型コロナウイルスが蔓延して、すでに一年以上が経過した。

各国でワクチンが開発され、接種が始まっている。

早い時期から接種が始まっている国では、終息の兆しも見えてきた。

日本は、接種の遅れている代表国だ。

私の滞在するインドネシアは、どうだろう。

インドネシアでは、2021年1月3日から全国34の州と地域(医療施設1万カ所と、検疫所40余り)に向けて、中国シノバック・バイオテック製のワクチンの配布が始まった。

イスラム教徒が戒律に従って接種が許される「ハラル」のワクチンだということです。

ワクチン接種は、1月13日から。

インドネシア大統領ジョコ・ウィドド(Joko Widodo)大統領が接種第1号で、国民に安全性を強調した。

政府は国民の7割にワクチンを投与し、免疫を持った人が増えて感染拡大を抑える「集団免疫」を獲得したいとの考えだ。

世界的観光地であるバリ島は、優先して接種が行われるという噂。

グリーンゾーンと銘打って、ウブド、サヌール、ヌサドゥアをコロナ解放地区として指定し、接種が先行される。

ジョコ・ウィドド大統領が、訪問した3月16日から開始されている。

大統領は「6〜7月にはバリ島観光を再開したい」と話したそうだ。

ウブド地区は、いち早く接種が始まった。

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ハヌマン姿は、スマララティのリーダー・アノム氏。


私のまわりに、接種を受けるかどうかで悩んでいる人がいる。

今回のコロナウイルスは、強烈のようだ。

どれだけの脅威か、私に知る由はない。

かかったら死ぬかもしれない、と考えても罪はない。

コロナに感染して命を落とすか、ワクチンの後遺症に悩むか。

身体に悪影響を及ぼすとか、染色体が壊されるとか、の情報もある。

この二者以外にも、選択肢はあるだろう。

新型コロナ感染症とは、生死を賭けた戦いだと思え。

「家に居るのに飽きたから、外に出た」

冗談じゃない!

日本人は、もっと危機感を持った方が良いと思う。


私の滞在するプンゴセカン村は、一回目の接種が4月7日と8日に実施される。

ワクチンは、ひと月ほどの期間をおいて二度目の接種をするのだそうだ。

7日は、村人中心。

8日は、プンゴセカン村で勤務をしている人と村民以外の住民。

私は、8日に集合がかかっている。

今ウブドで接種されているワクチンは、アストラジェネカ製(イギリス)。

これは、かなりキツいらしい。

副作用は、注射部位の痛み、腫れ、筋肉痛、倦怠(けんたい)感、発熱などで、軽〜中程度と説明されている。

7日に接種した知人は、微熱と少しの頭痛、倦怠感と空腹を感じたと伝えてきた。

解熱剤を配っている村もあると聞く。

ワクチンには、ファイザー(アメリカ)・モデルナ(アメリカ)・スプートニク(ロシア)・ジョンソン&ジョンソン(アメリカ)などのメーカーがあるようだ。

ネット上で、選択の論議が持ち上がっている。


今回は、その接種時の様子を紹介したい。

動画で残しておいたので、そちらも合わせてご覧ください。

4月8日、午前10時。

回答を記入した申込用紙を持参する。

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ワクチン接種会場は、人口密だった。

午前11時40分、私の名前が呼ばれた。

待つこと1時間40分。

体温:36.5 / 血圧:150

接種可能な血圧は、100から150の間だそうだ。

ギリギリセーフだった。

左右2つのグループで、接種は行われている。

質問をされる場面があって、インドネシア語の会話能力が十分でないので困った。

係官の目の先は、申込用紙にチェックが記されていない箇所のようだ。

申込用紙の内容は、Google翻訳で読んでいるので、理解した。

すべて「ティダ・アダ(問題ない)!」で通した。

流れ作業のように、進んでいく。

接種後、様子をみるために30分ほど休憩をとる。

12時10分、ワクチン接種終了証明書を手にする。

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本日接種したワクチンは、ビオファルマ(Bio Farma)だった。

ビオファルマのワクチンは、シノバックから原料を調達し、国営製薬持ち株会社ビオ・ファルマで製造したワクチン。

二回目のワクチン接種は、5月6日と記載されていた。





posted by ito-san at 18:52| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月10日

スマララティを応援しよう!(367)

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コロナ禍で、バリ人の多くが困窮している。

スマララティ歌舞団も、そのひとつだ。

そんな彼らを応援できないものか。

今回のスマララティ公演は、特別なものになるだろう。

一年間活動がストップしている。

ガムラン奏者、舞踊家が発表の場をなくした痛手を思い描くことはできないが、悔しさは想像出来る。

行き場の無くなった芸術家魂を、そろそろ解放しなくては。

今回、オンライン・ライブを企画した。

▪️日時:5月2日・バリ時間15時から3時間ほど。

▪️申込み:https://semararatih.peatix.com/view

▪️フェイスブック「スマララティを応援しよう!」のグループに、情報を広報しています。
https://www.facebook.com/groups/136520508397106


スマララティ魂の爆発が観られる。

こんな機会は、2度とない。

あるはずがない。

人類は、コロナを克服するから。


posted by ito-san at 12:24| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワルン・ニョマン・ダナのナシ・チャンプール!(366)

迷い迷って"ニョマン・ダナ!"

場所がわからなくて迷ったのではない。

入ろうか入らないでおこうか、で悩んだのです。

私は、ず〜っと「ニョマン・ダナ」を追っかけている。

ワヤン君&「ウブドTV」から情報を得ていたが、入店する機会が見つからなかった。

「和食・影武者」以外での外食も減ったし、場所がメイン道路からほんの少し離れているだけなのに立ち寄ろうという気にならなかった。

もともとは、ハヌマン通り南のY字路付近(現在「ALAYA」ホテル)の場所にあった人気のローカル・ワルン。

この頃は、よく通った。

その後(2016年以前)、パダンテガル村のジャヤユ通りに移転した。(下記写真)

この頃から、少し遠のくようになった。

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コロナ禍の初期に、トゥブサヨ村スクマ通りに移転したとの情報がある。

ジャヤユ通りは何度も通過しているが、閉店していたのには気がつかなかった、

今年に入ってからの移転だと思われる。

この日、プリアタン村の裏道を徘徊した後、是非、立ち寄ってみたいと考えていた。

プリアタン大通りからトゥブサヨ村スクマ通りに向かう道を入る。

スクマ通りのT字路に突き当たり、ヨガバーン方面に左折する。

スクマ通りを南下する感じだ。

20〜30メートル進んだ左手に「ワルン・ニョマン・ダナ」のテント看板が見える。

通り過ぎた。

入ろうか入らないでおこうか、まだ、悩んでいる。

このまま、直進して帰路につこうかと考えるが、やっぱり入ろうとUターン。

再び、「ワルン・ニョマン・ダナ」の前。

また、通り過ぎる。

何をそんなに躊躇うんだろう?

入り難いわけでもないし、食べたくないわけでもない。

自分でも理解できない。

プリアタンに抜けるT字路を超えて、ハヌマン通りへ向かうT字路をジャヤユ通りに左折した。

未練がましく、バイクを路肩に止めた。

ここまで来たんだ、この機会を逃したら次回はもっと縁遠くなってしまうだろう。

行くしかない!

再度挑戦を、心に強く決めた。

空に暗雲が立ち込め、雨が降りそうな模様だ。

雨宿りの心境にも後押しされ、やっとの思いで入店した。

イブ(奥様)の姿は、見当たらなかった。

ニョマン・ダナは、料理上手なイブの名前だ。

話し相手がいないので、キョロキョロしてしまう。

チョイ辛だったけど、咳込むほどではなかったので、テ・パナス(紅茶)で喉を潤した。

案の定、食事中に雨が降り出した。

バリらしいスコール。

バリの風物詩、これもいいもんだ。

1時間ほど雨宿りをして、読書。


店前を行ったり来たりの、迷い動画。

曇っていで、画像が暗くて申し訳ない。




posted by ito-san at 01:04| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月03日

第7弾:徘徊老人のハイカイ先は? (365)

久しぶりのブログアップ。

新たな散歩道が見つからず、徘徊の回数が減った。

残り少ない、徘徊コースをご覧ください。


《 第28回:徘徊老人「アクション・カメラのテスト」@プリアタン村 》

プリアタン大通りの一本西の道を徘徊。

途中、バッテリーを変えようとしましたが、蓋が開かず諦める。

この後から、音声が入っていない。

ダニーさんと挨拶を交わしたのに。

iMovieで編集すると、解像度が落ちてしまう。

残念!

この日(3月16日)、インドネシア大統領のJoko Widodo氏が、サレン王宮を訪問するということで、王宮周辺が通行止め(朝8時から昼3時まで)となっている。





《 第27回:徘徊老人 @ 17分の散策 》

バンジャール・カラ(プリアタン)からプンゴセカン村に東西に抜けるBima通り(旧マデ・ルバ通り)を50メートルほど進むと右手に、小川に沿って脇道がある。

脇道は、ダラム寺院の裏&横道を通り抜けて、アルマ・リゾートの裏手にある田んぼに続く。




《 第26回:徘徊老人 @ 精霊の通り道 》

久しぶりに晴れ間が見えたので、徘徊しました。

無修正につき、無駄な画面があると思いますが、それも愛嬌。

説明不足だと思いますので、質問OKです。

わかる範囲内で、お答えします。




《 第25回:徘徊老人 @ ニュークニン村の裏道 》

気になるモニュメントは、ヨガ・スタジオ「Taman Hati」のようだ。

ロカパラ・ヴィラを裏手から拝見・https://www.facebook.com/lokapalavilla

今日は、17分ほどの徘徊でした。




posted by ito-san at 13:22| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月06日

ウブドTV・チャンネル登録のお願い!(364)

ウブドに想いを馳せて。

コロナ禍の今、日本に居てウブドを感じられる方法はないだろうか?

ウブドに滞在している身で想像してみた。

外出自粛だから、おのずと室内生活が多くなっている。

私は、本を読む時間が増えた。

皆様は、バリ関係の本を読んでください(命令するなって?)。

じっくり学術書を読むチャンスかもしれない。

極楽通信の「バリ関係・推薦本http://informationcenter-apa.com/suisen_hon.html」から探すのが、早いですよ。


フェイスブックで「Ubud-ian」を見るのもいいですね。

ウブドの日常を切り取った情報が得られます。
https://www.facebook.com/apainformation/

「アパ?情報センター」のワヤン君のフェイスブックも、バリ人目線で魅力的です
https://www.facebook.com/wayanapa

伊藤さんのフェイスブックでも、それなりに楽しいですよ。
https://www.facebook.com/hiroshi.ito.524


そしてYouTubeが、ありがたいね。

映像を見て、ウブドにワープできる。

多くの旅行者がさまざまな映像をアップしているので、選択するのが大変。

長期滞在者のYouTubeも豊富だ。

お薦めをYouTubeを以下に列挙しておいたので、参考にしてください。

「オランドローンShide@バリ島ウブドの住人」の、美しい映像は圧巻。
https://www.youtube.com/channel/UCGO0ejo2Sa9Q_3JHajSmCew

ワヤン君の「APAinfoWAYAN」も、興味深い動画がアップされていますよ。
https://www.youtube.com/channel/UCnASfevgzzY1Do9jYj2cb9Q

プリアタン村マンダラ家の末裔・マキ君の「Goenk Maki」も、楽しい。
https://www.youtube.com/channel/UCGfgCK_7BbpvD76RFKoyEe

とりいただしTadashiTorii。
https://www.youtube.com/user/monbuu011

Oji君の「バリ倶楽部」もディープですゾ!
https://www.youtube.com/channel/UCQ-rhGb4q-Pejj9gsEiCtSA

伊藤博史
https://www.youtube.com/channel/UCuxCYokJu-mzTfxTK5Xe2eg

まだまだ沢山あります。

あとは、自力で・・・。


特出しているのが「ウブドTV」だね。

週一(土曜日)で、生放送しているって、貴重でしょう。

視聴者参加型で、盛り上がっています。

第二の故郷のように、毎年訪れていたウブドに、もう一年も帰っていない。

そんなウブディアンのために、ウブドの仲間がコロナ禍の中、頑張ってくれています。

ただいま、チャンネル登録者を募集しています。

もっと充実した画像を送るために、チャンネル登録者を1,000名にする必要があるらしい。

チャンネル登録をしたからといって、迷惑のかかることはないですよ。

収益を目的とした呼びかけではありません。

ポチッと押してやってください。

https://www.youtube.com/channel/UCnTcl_dSjcUIPFUCwY_qVlA
www.youtube.com/c/UBUDTV-from-angkasa

ウブドに想いを馳せて。




posted by ito-san at 14:02| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月25日

マタハリ・コテージからカフェ・ビンタンへ (363)

今回は、ウブド在住40年の先輩・鈴木さんを紹介したいと思う。

ブントゥーユン村にある「カフェ・ビンタン」に併設して、彼の住居がある。

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鈴木さんは、以前「マタハリ・コテージ(Matahari Cottage)」を経営していた人物です。

マタハリ・コテージは、ウブドで日本人経営の宿一号店。

鈴木靖峰(すずき やすお)、昭和13年生まれ。

1978年から毎年通い続けていた鈴木氏が開設したコテージ。

1982年6月23日、ウブド西部ジンバワン通りのウブド郵便局を南に少し行った東側に建った。

東側は、渓谷沿いになる。

数年後、近隣に「スハティ・バンガロー」が開業。

こちらも日本人経営の宿だった。

バックパッカーが主流だった頃。

1985年のガイドブック「地球の歩き方・インドネシア編」に、2つの宿は紹介されていた。

情報の少なかった時代。

日本人の宿泊客は、多かったようだ。

露天風呂を作ったが、人気のほどはいまひとつだった。

5年の賃貸契約が終わり、マタハリ・コテージを手放す。

1991年、鈴木氏は、ウブド王宮のある十字路からスゥエタ通りを2キロほど北上したブントゥーユン・サクティ村にコーテージをオープンした。

こちらは、目の前に広大なライスフィルドと遠くクタ方面までが見える美し景色の広がるコテージだ。

コテージ名は「ビンタン・パリ」。

ビンタン・パリは十字星という意味だと聞いている。

併設するレストランは「カフェ・ビンタン」。

日本からの観光客が急増し始めた時期だったこともあり、ウブドの日本人コミュニティーに多大な貢献をした。

ブントゥーユン村に巨竹ガムラン・ジェゴグを寄付し、定期公演推進の努力を惜しまなかった。

ビンタン・パリが15年の契約が終了して、人手に渡った。

鈴木氏は、スゥエタ通りをさらに北上したブントゥーユン村に、「カフェ・ビンタン」を併設して居を移して、現在に至っている。




posted by ito-san at 17:57| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月06日

定期公演でアンコールだって! (362)

今、フェイスブックのUbud-ianで《 ウブドなんでも事典 》を連載している。

@すの項目で、スマラ・ラティ(Semara Ratih)歌舞団を書いていて、急に思い出したことがある。

それは、ウブドの定期公演で初めてだと思われるアンコールのこと。

背景が曖昧だったので、その当時の定期公演の常連だった影武者の女将・由美さんに確認してみた。

彼女は覚えていて、その記憶をブログに書いたことがあるという。

ブルグは「ダプール・バリ 神々の島の台所」で、「Semara Ratih」のタイトルで書かれてあった。

https://blog.goo.ne.jp/dapurbali/e/a3973d7cdddf51d276234c1f9610954e?fbclid=IwAR30lca3trVpGjuaB4sDLc020avS1dVtqQz85OQpI4vYLgtQAY1OGBDARpQ

彼女のブログを参考に、私も当時の光景を思い出してみた。

1995年頃のことだと彼女は言う。

この頃、スマララティの定期公演の観客は、常時100人ほどの入り。

オランダ公演前の定期公演だっただろうか、演目の全てが終わってからも拍手は鳴り止まない。

海外公演に臨むメンバーの意気込みがそうさせたのか、魂の入った演奏と舞踊だった。

この日の演目は、ウエルカム・ダンス、演奏曲、アノム氏のバリス・トゥンガル、レゴン・ジョボッグ、ジャウック、演奏曲、ワヤン・プルワントのクビヤール・ドゥドゥック、アユのトルナ・ジャヤ。

感動を抑え切れない観客が総立ちになった。

観客全員が同じ思いだったのだろう、アンコールの声があがる。

メンバーも驚いたことだろう。

ガムラン演奏が始まった。

お約束のアンコールではない、演者と観客が望むアンコールだ。


折角だから《 ウブドなんでも事典 》の「スマラ・ラティ(Semara Ratih)歌舞団」を紹介しておく。

Semaraは愛の神、 Ratihは月の女神だが、Semara Ratihは、肉体的な愛の結合の意。

1988年:グループ結成

リーダー:アノム氏=Anak Agung Gede Anom Putra

バリの芸能は元来、神々のために奉納されるもの。

ガムランは、王宮や村(バンジャール)が所有し、おもに儀礼のために演奏されていた。

スマラ・ラティは、今までのような古い習慣にとらわれない純粋に芸術性を求めて活動できる集団を創りたいと考えた。

目的を同じくするASTI(現在ISI=インドネシア芸術大学)の卒業生や在校生、そして、ウブド近郊の村々の優秀なガムラン奏者と踊り手たちによって結成された。

アノム氏と奥さんのアユと妹のオカ、演奏者で舞踊家でもあるマデ・シジャ&グスティ・ラナン、クビヤールのデワ・マハルディカ&ワヤン・プラワント、客員として高名な舞踊家が参加した。

ガムラン奏者のリーダーは、太鼓奏者で感覚派のデワ・ブラタ氏(現在Cudamani=スダマニのリーダー)と精巧派のチャタル氏。

鍵盤楽器の中心を奏でるデワ・アリット君(現在Gamelan Salukatのリーダー)の優雅なバチさばきも見応えがあった。

結成初期、村人たちは、彼らに練習場を提供しなかったと言う。

「ほかの村にお願いにいっても、掌をひらひらさせて皮膚病の犬でも追い払うように扱われた」とアノム氏は語る。

屈辱的行為を受けたわけだ。

ウブド村から遠く離れた村で、隠れるように練習を重ねる日が続いた。

グループのメンバーに対しても嫌がらせや邪魔が入り、練習ができないことが何度もあった。

そんなことでグループを脱退して行く者も出た。

収入のないグループに、メンバーは手弁当で参加した。

そして1990年、いよいよ定期公演(ラーマヤナ舞踊劇)をすることになる。

公演は、ラーマヤナ舞踊劇。

舞踊劇の前に、アノム氏のバリス・トゥンガルが演じられた。

定期公演は旗揚げしたものの、ウブドの観光案内所でチケットは扱ってもらえず、旅行者が訊ねても案内所では何も教えない。

そんなことから、メンバー自らチケットを売って歩いた。

まったく情報のない状態で、メンバーが誘った観客が前列に10人も満たないという、寂しい日が何ヶ月も続いた。

それでもメンバーたちは、いかにも楽しそうに公演している。

実力は、年々認められ、知名度があがっていく。

初の日本公演は、1992年。

日本公演後、定期公演はラーマヤナ舞踊劇から、日本公演で成功した演目に変わった。

バレガンジュールで入場には、度肝を抜かれた。

バリス・トゥンガル=アノム

レゴン・ジョボク=オカ&アユ・ワルン

クブヤール・トロンポン=デワ・マハルディカ

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故デワ・マハルディカ

タルナ・ジャヤ=アユ

思い出すたびに、目頭が熱くなる。


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2021年02月04日

ついに一般公開「ギャラリー・ブンブン」(362)

生活苦のため、小さな商い始めました。

応援のほど、よろしくお願い致します。

下記の文面でフェイスブックに投稿しました。


私のウブド滞在は、バリの神々のお陰で奇跡的に30年を過ごさせていただいた。

滞在が危ぶまれた局面は、さまざまな形であった。

そのたびごとに、見えない力に助けられてきた。

多くのバリ好きさん達の援助も大きかった。

ここ数年は、小商いもジリ貧状態。

自業自得は心得ている。

いよいよ、そのご利益も無くなってきたようだ。

「もう、お前は必要ない!」と伝えているのか。

そして、コロナの来襲。

世界中の人々が、困惑している。

私はどうすればいい!

自問してみた。

ウブドの生活は、続けたいのか?

答えは「このまま南国バリで、一生を終えたい」だった。

では、どうすれば糧を得られる?

私に、今できること。

友人からアドバイスがあった。

ネット販売をしてはどうか?

バリ人の多くが、私同様にコロナ禍で困窮している。

彼らを応援しながら、自分にも幾らかの収入になる方法はないものか。

そうして思いついたのが、バリ絵画を販売するギャラリーだった。

Web「極楽通信・UBUD」に、新規ページを開設した。

垢抜けしないページですが、覗いてください。

私には、これが精一杯。

『ギャラリー・ブンブン』:http://informationcenter-apa.com/galeri_bumbung.htmlです。

将来、どのような展開になっていくかわかりませんで、今は、入魂しています。

バリの神々は、私を見放さないか?

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2021年01月30日

徘徊老人・孤独の食堂レポ @ Ubud Raya (361)

「ウブド・ラヤ」が、自宅で再開したことを聞いた。

2020年7月のことだ。

ウブド・ラヤは、ウブドで初の日本人経営のレストランだ。

開店は、1986年。

ウブド大通りのネカ・ギャラリーの近くにあった。

私は1990年に、一度、食事に立ち寄っている。

ところが、この年に、プンゴセカン通りのプラマシャトル横に移転した。

私がウブドに来たのは、1990年の5月。

ギリギリセーフのタイミングで、立ち寄ったことになる。

プンゴセカン通り店では、バンガローも経営していた。

日本人観光客が増加し始めた時期。

1998年、椎名誠の「あやしい探検隊・バリ島横恋慕」が出版された。

これは、「山と渓谷社」の編集者だった彼女とアグース氏がコーディネートした仕事でした。

アグン山登頂には、アグース氏が同行している。

と聞いていたが真実は、プロのガイドさんが同行し、アグ―ス氏は麓で待機してたとのこと(笑)。

2013年に閉店するまでの23年間、観光客と長期滞在者の胃袋を満たしてくれた。

多くの日本人旅行者が、お世話になった。

公私ともにお世話になった人も多いはずだ。

もちろん私の胃袋もお世話になった。

その「ウブド・ラヤ」が、約8年間の空白のあとプンゴセカン村にワルンとなってよみがえったのである。

行かずばならないと考えていた。

2020年11月、私はプンゴセカン村に引っ越してきた。

ウブド・ラヤは、200メートルと満たない目と鼻の先。

自宅で開店したと聞いていたので、うる覚えの場所を探した。

表通りを一本入った村道を、何度も通り過ぎたが見つからない。

鉄門のある駐車場あたりが、自宅のあったところだと記憶する。

もっと立地条件の良い場所に、出店したのかもしれない。

近辺を徘徊してみたが、見つからない。

こうして数ヶ月が過ぎた、ある日、インスタグラムに、ワルン・ウブド・ラヤのケーキを見つけた。

今日は、営業しているかもしれない。

期待を込めて出かけていった。

鉄門はしまっているが、目線先の店舗とおぼしき建物に、レストランのスタッフを思われる女性が立っている。

「開店してますか?」と聞くと「はい!」とうなづいた。

やっと見つけたぞ!




本通りから来店するのに、わかりやすいように動画で撮ってみた。

私は、村道を反対側(北から)来る。

こちらからだと、看板が見えないのだ。

道理で、見つからなかったはずだ。

わかってしまえば、なぜ見つからなかったのか不思議なくらいに、わかりやすい場所だった。




オーナーのTOSHIKOさんが居たので、いくつかインタビューさせてもらった。

店名の「ウブド・ラヤ」、私はてっきりジャラン・ラヤ・ウブドにあったからつけた名前だと思っていた。

由来は、ユニバーサルをインドネシア語に訳したらRAYAになったと、答えてくれた。

30年を経て、初めて知った事実です。

「ノンビリと生活するには、こんな小さなワルンで十分ですよ。スタッフ無しです」と微笑んでいた。




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*コーヒーがドリップなのが、嬉しかった!

■営業時間:11.00am〜5.00pm
■定休日:火曜日・金曜日・ニュピ
■Phon:0361-975036
■WA:085_732_012_436

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posted by ito-san at 16:58| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする