2020年10月15日

知っていました? バリの祭壇・祠の数々(350)

《 知っていましたか? 》

ウブドを散策していて、T字路の交じ合う場所に、必ずと言ってよいほど祠が設置されているのを。

屋根を持たない座椅子のような造りの祠です。

このあたりには神々のいることが多く、平穏無事を願う村人は、神々に休んで頂こうと祠に供物を用意して感謝をあらわしているのだそうです。


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ウブド大通りとスリウェダリ通りのT字路

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ウブド大通りとハヌマン通りのT字路

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ハヌマン通りとデヴィシータ通りのT字路

寺院や屋敷寺にも、座所がある。

大寺院の祭壇を「パドマサナ=Padmasana」と呼ぶが、小さな祠は「パドマサリ=Padmasana」と呼び分けているようです。

この解釈でいくと、T字路の祠はパドマサリと呼ぶのかな。

村人は、使い分けているようには思えないが。

神々や祭壇には様々あり、名称がはっきりしないところもある。

パドマサナは、太陽神スルヨ(Surya)のための祭壇。

スルヨはバリ・ヒンドゥーの教えによると、最高神イダ・サンヒャン・ウィディ(Ida Sanghyan widhi)でもあり、またシワ神でもある。

最高神イダ・サンヒャン・ウィディの座する処なので、上部に物質はないのです。

神々は、祭礼時に決められた祭壇に降臨してくると考えられている。

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プラタナンサシ寺院のパドマサナ

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グスティ家の屋敷寺のパドマサナ


フェイスブックに、沖縄にも石敢当(いしがんとう)と呼ばれる、似たような風習があるとのコメントがあった。

T字路に、悪霊除けの石敢当と呼ばれる守り神を置いているそうです。

精霊信仰の残る地域には、同じような風習が残っているようですね。

バリでは、邪悪に対する供物は地面に直接置く。

ブタ・カラと呼ばれる悪霊は、地表を徘徊するするからだ。

パドマサナは、神の座する処との認識のようです。

*蛇足だが、パドマは蓮。
両足を組む座法・蓮華座は「パドマ・アーサナ」と言うようですね。
語源は、ここかな。

バリには、「Tunjung」という呼び名の蓮がある。

Padma_tunjung.jpg
調べてみると、睡蓮のようです


《 知っていましたか? 》

こんなのも、道端に立っているのを。

パドマサナとは、違う形をしていますね。

名称は、Indrablakaと言うそうです。

Indrablaka1.jpg
道端に立つ祠

Indrablaka2.jpg
屋敷門に立つ祠

また、田んぼに立っているのも見かけます。

田んぼには、田んぼと稲の女神デウィ・スリ(Dewi Sri)を祀っている。

これはサンガと呼ぶようです。

Sanga.jpg
田んぼに立つ祠

一般カーストの屋敷寺もサンガ。

このタイプの祠は、寺院や屋敷寺などにもあるが名称は異なるようです。

限りなく面倒なので、私はこれ以上知るのをやめることにした。


《 知っていましたか? 》

バリ人の屋敷を訪れて、門を入った正面に小さな壁があるのを。

壁の名称は「アリン・アリン=Aling aling」。

aling_aling1.jpg

aling_aling2.jpg

これはマジック避けの壁。

手品じゃありませんよ。

レアック=Leakによる魔術のこと。
レアックの話は:「極楽通信・UBUD 」レアック=Leyakをお読みください。

悪しきものの侵入を防ぐための壁。

邪悪な存在は、真っ直ぐにしか進めないと考えているようです。

これなんかは、沖縄の石敢当と似てますね。

アリン・アリンを見かけない屋敷も増えてきた。

これは、近年の傾向か?

理解せずに習慣として行ってきた風習が、少しづつ消えていっていると感じる。

変化するのは、仕方がないことだ。

見られるうちに、体験しておきたいと思う今日この頃です。


posted by ito-san at 17:14| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月08日

老舗ワルン・Dew Warungの移転(349)

ウブドには、かつてナイトマーケット(夜市)があった。

1989年〜1993年11月22日までの4年間のことです。

地元の人は「センゴール=Senggol」と呼んでいた。

センゴールの昔話は、「極楽通信・UBUD 」センゴール=Senggolをお読みください。

場所は、現在のウブド・パサールの駐車場になっているところ。

駐車場は、午前中は朝市に使われ、午後から駐車場になる。

当時は、砂塵の舞い上がる小さな砂漠のような空き地で、やはり午前中は朝市に使われていた。

夕方になると、カキリマ屋台が15軒ほど運び込まれてセンゴールに変身する。

日本人ツーリストが溜まったワルンは、今のデワ・ワルンの前身だ。

もちろん、私もそこの常連客。


センゴールが閉鎖され、デワ・ワルンはスグリオ通りに出店した。

その後、ゴータマ通りに移る。

「ワルン・ビアビア」の出店は、立地の回遊性とデワ・ワルンがあるということで、今後発展するだろうと考えたからだ。

思惑通りゴータマ通りは、出店が相次ぎ、ツーリストに人気の通りとなった。

格安メニューのデワ・ワルンは、ツーリスト御用達として繁盛店の地位を確保とする。


今回のコロナ禍には勝てず、涙を飲んでゴータマ通り店20年の歴史を閉じる。

テガランタン村の実家に移転。

ウブドの中心部から3キロメートルと、これまでに比べると立地は悪くなる。

老舗の根性を見せて欲しいと願う。




実家テガランタンのワルン。

偶然、スリン(笛)奏者で有名なGus Teja君に会う。

彼は、デワ・ワルンの常連のようだ。




屋敷裏に田んぼの風景が残っていた。




食べているところのレポート。

これは食レポとは言わないようです。




デワ君とのツーショット。

恥ずかしがり屋なのに、よく写ってくれました。


Wewa_Warung Menu.jpg





posted by ito-san at 16:23| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月03日

第3弾:徘徊老人のハイカイ先は? (348)

今日も今日とて、あてどもなく徘徊。

コンセプトの乏しい動画ですか、コロナ禍終息まで、今しばらくお付き合いください。


《 第9回:徘徊老人・ダラム寺院ウブド 》

15分57秒の長い徘徊ですゾ!

火葬場の場面で挿入した動画が、急に大きな音になるのでご注意ください。




《 第10回:徘徊老人・トゥブサヨ村裏道 》

今回の徘徊目的は「Aji Bungalow」の確認です。

途中、空しか写っていない箇所があったので5分ほどカットしました。




《 第11回:徘徊老人・ウブド王宮周辺 》

ウブド王宮の敷地を一周する道があるのをご存知でしたか。

今回は、観光客のあまり利用しない裏道を徘徊しました。

なんの変哲もない小道ですが、情報として知っていても良いかも。




《 第12回:徘徊老人・トゥブサヨからプリアタンへ 》

戻りは、上り坂が長くて疲れた。




posted by ito-san at 18:52| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月26日

第2弾:徘徊老人のハイカイ先は? (347)

「徘徊老人のハイカイ先は?」シーリズ化していますが、未だに上手く収録できないでいる。

台本なしのぶっつけ本番なのが、よくないのかな。

と言って、あんちょこを用意するほどの語りもしない。

動画の編集もままならないので、見苦しい仕上げになっています。

新型コロナ感染症が終息するまでの徘徊予定です。

いつになるのかわかりませんが、それまでお付き合いください。


《 第5回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

ニュークニン村とシンガクルタ村を結ぶ橋は、1997年2月の完成。

それまでは、人がすれ違うにいっぱいの狭い竹の橋を渡っていた。

ツーリストは、この橋を「サーカスブリッジ」と呼んでいたようだ。

沐浴場だった川ですが、ホテルが建ち、観光客に見られるのを村人が嫌ったようで、今では沐浴する姿は見られません。

徘徊老人のカクカク動画は、NG物ですが、これもありかなと思ってアップ。




《 第6回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

「クブンインダ(Kebun_Indah)・バンガロー」

プンゴセカン通りに「初代・影武者」があった頃、友人の多くが泊まったバンガロー。

そう、あなたとあなたのために動画をアップしました。

畦道の奥にあり、田園風景も美しかった。

台本なしの行き当たりばったりのレポートは、ボキャブラリーが少ないので難儀ですね。

クブンインダは「カフェ・ワヤン」の経営で、他にトゥブサヨの実家は「ファミリー・ゲスト・ハウス」を、ニュークニン村には「アラム・インダ=Alam Indah」」「アラム・シャンティ=Alam Shanti」「アラム・ジワ=Alam Jiwa 」がある。




《 第7回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

今回は散歩道を探してのハイカイ。

3カ所ほど早送りがあって見苦しいですが、全編が長くなってしまうので、我慢ください。

回遊性がないのが残念ですが、ウブド内の散策で、この景色はレベルが高いですよ。

編集が下手でゴメンなさい。




《 第8回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

パンダワ(Pandawa)ミュージックの北面の小道を抜けて、カルナ通りへ。




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2020年09月18日

先進国と発展途上国という言葉に異論!(346)

田舎っぽさが気に入って、滞在を始めたウブド。

滞在を始めてすぐ、この村は人類が理想とする先進した村ではないだろうかと思った。

そう言う意味で、使い古された言葉だが「最後の楽園」を感じた。

街づくりに興味がある私が最初に驚いたのは、1990年に訪れた時に、すでに「セミパブリックスペース」があったことだ。

今では、日本でも普通に使われている言葉だろう。

セミパブリックスペースとは、プライベートなスペースとパブリックなスペースの中間的な役割をする場所。

例えば、屋敷内と外。

ウブドには、屋敷の道路側に幅の狭い空間があり、ほとんどが小さな庭になっている。

私は、曖昧なスペースと呼んでいる。

曖昧な部分は、バリの二元論にも通じると思っている。

「バリ人の信仰するヒンドゥー教の二元論について考える(355)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/476168500.html

道路ギリギリに、家が建っているわけでないので、圧迫感がない。

滞在当時、塀も生け垣だったり、低い土塀だったので、さらに圧迫感は薄い。


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(写真提供:中村政広氏)

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(写真提供:中村政広氏)

現在は、わずかしか残っていないが、田舎に行け、ばまだ見られる風景だ。

滞在が長くなるうち、この曖昧さは、バリの個性でもあること気がついた。

そう、キッチリ割り切らなくてもいいだろう、と言う考え方だ。

これが、ストレスを溜めないテクニックに思えた。


バンプ(Bump)の存在にも目を奪った。

バンプとは、道路の一部を隆起させ、通過する車両に上下の振動を及ぼすことで運転者に減速を促す構造物の総称。

機能や形状によって、スピードバンプやスピードクッションなどとも称される。

インドネシア語では、ホリス・ティドゥールと云う。

横たわっている警察官とも訳そうか。

日本では、ニュータウンや住宅地などに設置されている。

ウブドでは、幹線道路を除いて、すべての道にバンプが敷設されていた。

残念ながら、簡易なため壊れやすいバンプでもあった。

bump.jpg


先進国、後進国という言葉がある。

先進国は、高度な工業化を達成し、技術水準ならびに生活水準の高い、経済発展が大きく進んだ国家のこと。

後進国は、経済発展や開発の水準が先進国に比べて低く、経済成長の途上にある国を指すらしい。

後進国は、侮蔑的な言葉とされ、現在では発展途上国(開発途上国)の呼称が一般的になっている。

途上国という言葉にしても、先進したとされる国の、上から目線としか思えない。

よその家と比較して「うちはお宅より、文化的生活しています」だから先進国なのよ的な発想だ。

先進国にしても、到着点に達したわけではない。

すべての国は、現在進行形の発展途上国。

あえて先進を使うなら「先進途上国」だろう。


人間がもっとも人間らし生きられる国造りに、すべての国は邁進している。

インドネシアには、外部と接触を持たない村があり、数世紀前の文明のままで生活している人々がいる。

先進国の人々は文明人と称し、文明に取り残された(本人たちは、そう思っていないかもしれないのに)人々をしばしば未開人=野蛮人と呼ぶ。

果たして文明は今、正しい方向に向かっているのだろうか、それは疑問だ。

発展途上国とされる国民は、先進したいと願っているのだろうか。

果たして、先進する必要があるのか。

開発することが良いのか?

発展することが良いのか?

私的には、先進の反意語は後退だと思っている。

人類は、今、後退するべきかもしれない。

退行的進化だ。


ウブドが、退行的進化した村ではないかと感じた点を、いくつかあげてみる。

バンジャールと呼ばれる最小単位の村組織は、その一つだ。

役割は、寺院の維持、管理、寺院祭礼の運営や奉仕活動(ンガヤ)だ。

さらに、バンジャールの集会場や村内の道路などの労働奉仕(ゴトンロヨン)。

そして、村民同士の相互扶助。

相互扶助は人類の誕生以来、世界各地に存在していたようだが、現存しているのは珍しいと思われる。

日本にもあった、ようですね。

ンガヤ&ゴトンロヨンの連絡が頻繁にあるため、干渉は密である。

先進国のコミュニケーション不足と比べれば、かなり干渉過多かもしれない。

生活の拠点がバンジャールにあれば、日本のような孤独死はない。

日常生活にも、退行的進化を感じた。

朝陽とともに仕事を始め、日没には仕事を終える。

それは、信仰儀礼中心の生活だからだろう。

庭には野菜や果物がなり、飼われた鶏は卵を産む。

半自給自足。

儀礼の時には、鶏や豚を生贄にする。

生贄にされた動物は、その後ご馳走になって給される。

飲料水には、湧き水が豊富に供給できる。

充分に食事がとれて、健康であれば、それで良いのではないだろうか。

裸足での生活。

古着のようだが、洗濯は頻繁にされている。

無駄に贅沢はしないのだ。

バリアンと呼ばれる呪医師がいる。

呪医師は、いろいろな薬用植物を使用して治療する。

あとは、近代医療設備の整った病院があれは、もう怖いものない。

万全な医療と衛生管理が行き届いた生活。

自分に必要と思われる物だけを選んで、享受していこう。

望むならば、個人個人が楽しくあれば、いい。


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2020年09月13日

ミンタ・ウアンに遭遇したら!(345)

徘徊老人の動画を撮りに出かけた、ある日の午後。

行き先は、ウブドの西・チャンプアン橋を越えたサンギンガン通りにある「ビンタン・スーパー」。

「ビンタン・スーパー」の南側に、壁に沿うようにして階段がある。

階段を上り路地を進むと、見晴らしのよい田んぼに出る(はず)。

今回の徘徊は、このあたりの散歩コースを開拓したいと目論んでいる。


帰りに買い物をしたいので、バイクを「ビンタン・スーパー」の駐車場に止めた。

駐車場の端にある階段を下りる。

歩道に出ると、幼児を抱えた若い女性が右手を出してきた。

ミンタ・ウアン(minta uang)=お金を求める仕草だ。

妖怪じゃありません、我々と同じ人間ですよ。

お乞食さん、でもありません。

一説では、バリ東部の貧困の村がらの出稼ぎだという。

某村の風習のようなもので、ある時期になると出現する。

顔ぶれは変わるが、今では一年を通して見かけるようになった。

幼児は同郷の村人から借りてくることもあるらしい。

モンキーフォレスト通りやガソリンスタンド近くなどの、大勢の人がいそうな場所にいる。

観光地ウブドのイメージが悪くなるのを懸念して、ギャニアール県は時々、警官を動員して彼女ら締め出しをする。

私は、遭遇すると、たいてい小銭を渡すようにしている。

これは、托鉢する修行僧に対するお布施のようなものだと心得ている。

ウエストバッグに、小銭が入っていた。

掴むとRp500-が、4枚出てきた。

いつもなら全部渡すところだが、この日はなぜか2枚を差し出した。

手のひらにのせて、歩き始める。

彼女たちは、感謝の意を表さない。

5メートル先に、もうひと組の親子がこちらを見ていた。

先ほどの女性よりも、さらに若い。

コインを渡すところを見ていただろう。

グループじゃないだろうから、ひとりに渡したからって済むことではない。

彼女に、施しをしないわけにはいかないだろう。

残っていたRp500-2枚を渡した。

財布の中には、一万ルピア以上の札しか入っていない。

もうひと組いたら、どうしてただろう。

2組のミンタ・ウアンをやり過ごして、徘徊ために階段を上る。


次の日、動画の撮り忘れがあったため、再びビンタン・スーパーへ向かった。

買い物がないので、バイクを路肩に止めることにした。

路肩には、バイクが列をなして止まっている。

ちょうど階段前に、一番分のスペースがあいていた。

駐車して、歩き始めると、目の前に一台のバイクが止まった。

婦人が運転していた。

バイクに乗ったまま、声を掛けてくる。

「この近くで、仕事はありませんか?」

かなり唐突な質問だった。

サンギンガン通りの従業員募集の情報が、私の耳に届くはずもない。

コロナ禍で解雇の噂は、聞こえてくるが。

私は、困惑した。

そんな私の表情を見てとったのか、こんなことを言う。

「仕事が見つからなくて。シンガラジャまで戻るのですが、ガソリンがなくなりかけていて」

今すぐ、お金が必要な状況なのだと理解した。

ということは、砂やブロックを運ぶ日当の仕事を探していたのか。

ウブドに、日雇い仕事の受けいれ業者があるかどうかも知らないし、昼3時を過ぎた時間から仕事を探すのも難しいだろう。

彼女の話を、腰を据えて聞いてやる時間はない。

私の頭の中は、混乱している。

仕事は見つけられないが、なんとかしてあげたい。

できることと言えば、ガソリン代を少しカンパすることくらいだ。

「これでガソリンを買ってください」と、1万ルピア札を渡した。

節約生活している私にとって、たとえ少額でも痛い出費だ。

果たして、これでシンガラジャまで帰れるかどうかはわからないが、今の私にはこれしかできない。

婦人を疑う気持ちは、起こらなかった。


2日続けてのミンタ・ウアン遭遇。

観光客がいなくなった今、ビンタン・スーパーマーケットの脇は長期滞在の外国人を待ち構えるに最適な場所なのだろう。

ガードマンのいる入り口には近づかないし、駐車場内には入ってこないので、普通は遭遇しない。

初めから渡すつもりでいる私には問題ないが、こういう行為の許せない人にとっては「鬱陶しい」ことかもしれない。

風習とは言え、好ましい行動とは考え難い。

インドネシアの経済が発展すれば、ミンタ・ウアンの姿も減るのだろうか?


posted by ito-san at 15:01| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月02日

徘徊老人のハイカイ先は?(344)

コロナ禍の外出自粛で、怠惰な時間を浪費する日々。

何もしないより、何かをしていたい。

そんな思いで、自撮り棒を買ったのをキッカケにして、フェイスブックに己の姿をさらけ出すことにした。

みんなに忘れられないために、との言い訳を含んで。

高齢になって、恥ずかし気もなく露出趣味が漏出してきた。

この歳になると、「恥ずかしい」という感覚が希薄になるようだ。

「徘徊老人のハイカイ先は?」のタイトルで投稿している。

写真じゃなく、それも動画で喋りも入れて。

と言っても、全編私の顔が入っているのも鬱陶しいだろうと考え、景色はカメラで撮影しています。

フェイスブックの友達が、ブログの読者とは限らない。

重複している人には申し訳ないが、投稿を掲載させていただいます。

フェイスブックで繋がっていない友人のために。

これまでの4回分を、公開します。


《 第1回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

デヴィシータ通りの橋の上に立って、緊張気味にコメントしている。

さて、行き先はどこだ!





《 第2回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

プンゴセカン通りのある場所に立っています。

「グリーン・フィールド」と「テガル・サリ」のリピーターの方には、懐かしい風景かもしれません。

自撮り棒の使い方がイマイチ掴めないのと、畦道での使用は危険だと判断して、普通のカメラに持ち替えました。

ひとりで喋るのって、難しいね。

他人には、独り言をつぶやいて歩いている、変な徘徊老人に見えているのかな?





《 第3回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

プンゴセカンにあった頃の「初代・影武者」の跡を訪ねてみた。

庭から見えていた田んぼは、全滅。

これではホタルも飛んできませんね。

裏にあったコスは、廃墟。

「二代目・・影武者」は、ゲスト・ハウスになっていました。





《 第4回:徘徊老人のハイカイ先は? 》

「和るん・あんかさ」のある路地をハイカイしました。

「アパ?情報センター」があったところも紹介しています。

「ホワイト・ハウス・バンガロー」を「スリー・ブラザーズ」と言い続けていますが、終了間際に気づいて訂正しています。

誤報のないように気をつけていますが、そこは老人のすること間違いは多くなると思います。

そこのところ、よろしく!

畦道を通って「ホワイトハウス」に行くのですが、右手・南側には下りの田んぼが遠くまで続く風景でした。





バリ関係と旅の動画を、細々とYouTubeにアップしているので、覗いてやってください。

https://www.youtube.com/channel/UCuxCYokJu-mzTfxTK5Xe2eg?view_as=subscriber

よろしく!



posted by ito-san at 11:39| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月25日

自撮り棒についての考察(343)

自撮り棒(インドネシア語でTongkat selfie)を買っちゃったですよ。

私はナルシストじゃない。

自撮り棒を手にしてまで、なんで己の写真を撮るのかな。

冷めた目で見ていた私であったが、潜在的に欲しかったんだと気づく。

よく利用するスマホ屋さんで、プルサを買いにいった時に見つけて、価格を聞いたら安かったので。

5万ルピアが4,5万になると聞いて、400円もしないと、即買い。

この値段で、手元で操作できるのに驚いた。

手元で操作できないと多いに困るのだけど、こんなことに感心している無知に私。

一週間もしないうち、35,000とデスカウントされていた。(小さくショック!)

現在の自撮り棒には、様々な機能が付いて、さまざまな機種が販売されているようだ。

安かったのは、時代遅れだからかもしれない。

老人には、これでも画期的ですから満足です。


自称・生涯旅人のわたくし、一人旅が多い。

旅先で、どうしても景色の中に収まった自分が撮りたいときがある。

そんな時は、三脚を立ててセルフタイマーで撮る。

タイミングが掴めず、間抜けたな写真ができあがることもある。

そんなアクシデントも楽しかった。

人混みが多い時には、カメラから離れることはできない。

そんなときは、近くにいる人に、お願いして撮ってもらう。

カメラを持って逃げられるのじゃないかと心配しながら、信用できそうな人を選んでカメラを渡す。

「写真を撮ってもらえませんか?」の英語を必死に覚えたものです。

Would you mind taking a picture for me?

通じない時には、「JTBの六カ国語会話」を指差した。

こんな体験が「旅の指さし会話帳」の出版のキッカケになっているのではないかと、今更ながら感心した。

Google翻訳には「Could you take a picture of me?」と表記された。

こっちの方が覚え易いな。

私の場合、撮ってあげる機会の方が多かった。

旅先でのコミュニケーションだと、大歓迎だった。

自撮り棒が普及すると、こんなことも無くなってしまうのだろうか。


百も承知だとは思いますが、自撮り棒についておさらいします。

これは、自分のために確認です。

ウキペディアによると、1980年代初頭に日本で開発され世界で発売されたが、普及しなかったとある。

それ以前にも、棒の先にカメラをつけて撮っていた人は、各国にいたようだ。

スマートホンのカメラに、自撮りに切り替える機能がついた。

写真や動画が瞬時に公開できる。

SNS(ツイッター&フェースブックetc)で、さっそくアップロード。

流行りましたね「何処何処・ナウ!」。

私には理解できなかったが、以外と自分の写真を公開する人は多いんですね。

みんな、ナルシストなんだ。

「ナウ」はしないが、そういう私も最近は頻繁に自分の写真をアップロードしている。

カメラを手に持っての撮影には、限界がある。

自分一人じゃなくて、友人も一緒に入った写真が撮りたい。

それは、少し遠くから撮る必要がある。

そこで登場したのが、自撮り棒。

各種SNS(インスタグラムetc)の普及が拍車をかける。

ヒットしたのは、2014年と言われている。

インドネシアの自撮り棒普及は、早かった。

おりから韓流ブーム。

ボーカル・グループのコンサートでは、熱狂的ファンの自撮り棒が立ち並ぶ。

これは自撮りじゃないね。

こんなところが、私の自撮り棒に関する認識だ。

おおむね正しいようだね。


私は、写真を撮るのではなく、動画を撮りたいと思っている。

「徘徊老人のハイカイ先!」と銘打って、フェイスブックにアップし始めた。

生存確認のメッセージです。

ひとりでしゃべっているので、変なおじさんに見られるんじゃないかと心配になるが、現代人には見慣れた風景だろうから気にする必要はないかもしれない。


何をしようとしているのか?@ NG編


posted by ito-san at 16:21| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

朝市 @ プンゴセカン村(342)

朝市(Pasar Pagi)と言えば、バリ人の台所だ。

村々には、必ずと言ってよいほど朝市が開かれている。

大きな町では、大きな朝市(Pasar Pagi)が開かれている。

州都デンパサールには及ばないが、ウブドにも、この地域で最大の朝市が立つ。

ウブドの朝市は、さまざまな形で紹介されているので、ご存知の人も多いだろう。

そんなわけで、今回は、小さな朝市を見学したい。

もっとも適していると思われるのが、プンゴセカン村の朝市だ。

もしかすると、古くから受け継がれている朝市の風景を感じられるかもしれないと考えた。

毎朝6時頃から9時ころまで開かれる、と知人が情報をくれた。

7時に到着できるように、早起きしてプンゴセカン村に向かった。

画家グスティ・サナさんの家の前に、無断でバイクを止めさせてもらう。

サナ家の長男コンピアン君からバリ舞踊を習ったり、「アパ?情報センター」主催のバリ風結婚式の会場として利用させてもらったり、舞踊&絵画の体験の紹介をさせてもらった関係がある。

勝手知ったる他人の家。


広場には、供物用の花と葉、取り立て野菜と果物、朝食の具や弁当、新鮮鶏肉などの屋台店が、肩を寄せ合って軒を連ねている。

Pasar Pagi3.jpg

Pasar Pagi4.jpg

古い動画には、風呂で使うような低い椅子に腰を下ろした売り子の前に、やはり低に机に品物を並べての商売だった。

上半身裸の女性の姿が見られるが、さすがに今の時代にそれはない。

屋台の設備は様変わりしたが、冷蔵庫のなかった時代から変わらない品揃えだろう。

その日に使い切る品々が並んでいる。

売り手は、村内からがほとんど。

私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

振り返ると見知った顔があった。

「和食・影武者」の厨房スタップの女性だ。

親戚のおばさんの弁当屋を手伝っていると言う。

買い物客は、歩いて来ている村人たちだ。

村人が作った農作物や家で飼っていた鶏肉などを持って来たのだろう。

近隣の村からも駆けつけている人売り手も、少しはいるだろう。

もしかすると、古く物々交換の時代から、連綿と続いているのかもしれない。

工芸の得意な者は、カゴやゴザなどの生活雑貨を店頭に並べていたかもしれない。

村人による、村人のための朝市として、今なお続いている。

賑わいを見て、スーパーマーケットの出店に危惧していた私は、胸をなでおろしたのであった。

金銭的な活動を行っていない私の行動範囲は、まったく村から出なくてよい。

村人も、他の村に行くことは少なかっただろう。

朝市で買い物をして、あとは行商が通るのを待っていれば、それで充分かもしれない。

バンジャールには、スーパーマーケットもコンビニもない。

バンジャールとは、村の最小単位・集落のこと。

ウブドは、2000年初頭からスーパーマーケット&コンビニの出店が相次いだ。

便利になることは良いことだが、ウブドらしさが失われていくようでもあり、複雑な気分だ。

経済的に打撃をうけた村人も多かったことだろう。

プンゴセカン村には、村はずれにコンビニあるが、共存しているようにみえる。

日本の小さな村でも、地域に根ざした相互扶助な商売が増えて欲しいと思っている今日この頃。




帰路の途中に、マウス・マスクをしていないことに気づいた。

村人のほとんどがマスクをしているのに、私としたことが、この日に限って忘れて出かけてしまった。

家に着くまで、冷や汗が流れていた。


posted by ito-san at 14:32| Comment(4) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月08日

クレープの店・MEALS ON WHEELS(341)

まだまだ、自粛の日々は続いている。

久しぶりに太陽が顔を見せたので、いつもより少し遠回りでウブドに出ることにした。

たまには、息抜きのバイク・ドライブも必要だ。

テガランタン村を北上して、ジュンジュンガン村のT字路からクトゥ村に南下する道を選んだ。

その途中左手に、フォルクスワーゲン(VOLKSWAGEN)・タイプ2(バス)の止まる店を発見。

フード・トラック(キッチン・カー)だ。

ワーゲンはビートルとタイプ2を愛用したことがあり、バスはバニングにして乗りたかった時期もあり、憧れの車種だった。

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場所は、クトゥ・カジョ村ティルタ・タワール通りの、昔々「ボタニック・ガーデン・ウブド」があった駐車場の跡地。

ボタニック・ガーデンは、2006年6月17日に開園したが、いつの間にか閉業。

極楽通信UBUDのニュースには、「2006年10月12日(晴):ウブド植物園オープン」とある。

内容には、こう書かれてある。

ウブド大通りとティルタ・タワール通り(Jl.Tirta tawar)が交わるT字路から、1.5キロ北上したクトッ・カジョ村に、6月17日、「BOTANIC GARDEN UBUD=ウブド植物園」が開園した。

のんびり散策して1時間ほどの、安全なジャングル・トレッキングといったところだ。

入場料50,000ルピア(ローカル30,000ルピア)。

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恐竜の造形物は、その名残り。

アルミ箔は、新たに装飾されたのだろう。

恐竜がマスクをしてたら、インスタグラム・スポットになるかな。

ジャングル・トレッキングも楽しかった。


ワーゲン・バスも魅力だが、店舗も私の趣味にドンピシャ。

さっそく入ってみた。

店名は「MEALS ON WHEELS」

廉価な予算で開店できたと思われる、オープンスペースの店が。

コロナ対策には適していが、風雨対策には万全ではない。

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ワーゲン・バスは改造されて、クレープのキッチンになっている。

クレープがメインで、7月18日に開店したようだ。

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可愛いワゴンが、ジュースコーナー。

メニューにはアイスコーヒーしかなかったが、私はアイスコーヒーを飲まないので、ホットコーヒーを頼んだ。

ホットコーヒーは、ネスカフェでRp30,000-。

料金を考慮すれば、ジュースにすればよかったと後悔。

2人いる女性スタッフの1人が、テガランタン村から来ていて、私の下宿近くの娘だった。

共通の知人がいて、話が盛り上がった。

もうひとりは、少し遠方のパヤンガン村からの娘で、こちらは共通点がみつからなかった。

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私のウブド滞在年(30年)より年下の彼女たち。

「チャンティック=可愛い!」の一言に、快く写真撮影に応じてくれた。

「インスタグラムにアップしてよ!」と、お願いしてくる。

デリバリーは、テガランタン村の娘が配達するという。

「大変ですね」と言うと「大丈夫です」とガッツポーズをした。

オーナーらしいスペイン人の女性が現れたので、席を立った。

椅子の座り心地が落ち着かないので、永いができない。

ネスカフェは、ほとんど口をつけていない。

インスタントコーヒーは、私の口に合わなかった。

クレームばかり書いてしまったが、開放感には満足している。

次回は、クレープとジュースを注文することにする。

*営業時間:昼12時からよる8時まで。

*定休日:月曜日。

*メニューは、写真で。

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posted by ito-san at 15:38| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする