2020年06月26日

自由筆記帳・一部公開その6(360)

外出自粛は、現役を離れた孤独老人の心境だ。

どこにも行けない。

話し相手もいない。

趣味もない。

ないない尽くし。

おかげで、パソコン内の整理がはかどっている。


1999年12月26日

3回目のバリ旅行です。

これまでは、リゾート・エリアばっかりだったので、ドキドキしてます。

ガイド・ブックには「気をつけるように!」の文字ばかりで、なんだか気がぬけません。

でも、バリは好き〜!! 

2000年1月6日まで、ゆ〜っくりと過ごします。

バリのいいところをもっともっと見つけたいなと、思ってます。

バリって、突然、フシギなこと起こると思いませんか。

そんな体験をもっとしたいなーと思います。(T)


1999年12月15日

私、オーストラリアのワーホリ帰り。

オーストラリアに比べて物価が安くてびっくり。

でも、お金の単位がゼロいっぱいで、こんがらがる。

日本円、オーストラリア$で考えると安いんだが、どうもかなりボラレ ぎみ。

たいした金額じゃないのに、自分がどんどんケチになるー!!

いい人もいるけどムズカシイ。

素直に信じられないのが悲しい。

リラックスするつもりが、けっこう疲れています。

あー、もう少しいろいろやって楽しんだら、バリ好きになれるのかなー!! 

のんびりのんびりいきたいよー!!

ロスメンの人はとっても優しくてよかった。

お祭りの時、もらったゴハンは、とてもおいしかった。

もっと現地密着型の旅がしたーい!! 

夜のダンスはとってもよかった。

ツアーにいかないで、ダンスを何回か見たほうがよかったのか・・・。(Y)


1999年12月1日

ウブドはイイネ〜、のんびりしてて。

クタの両替はレートがいいケド、極端にイイ処は、ほとんど(絶対)イカサマしてきます。

4か処ほど廻ったが、後で“コミッションだ”とか、数えるふりをして机の下に落とします。

気をつけましょう。

両替専門店かチケット・オフィスで交換がベター。

みなさん、良い旅を・・・。(K)


1999年11月21日

母と妹と来ました!

雨期だけど、雨はだいだい夕方から降るし、日本みたいにじめじめしていませんでした。

みんな人なつっこい笑顔で“こんにちはー”って言ってくれました。

私にインドネシア語を話させてくれー! (Y)


1999年11月8日

孫にひかれてBALI参り。

先週まで寒さにふるえていたのに、プールで泳ごうとは・・・。

BALIは素晴らしい。(80才ジジ)


1999年11月5日

バリは1人で来ました。

初1人旅で9日間です。

お腹もこわさなかったし、元気にやってっる・・・と思ったら最終日の今日、すごく具合が悪くなってしまいました。

あまり無茶したつもりはなかったのですが。

お腹の調子がよくなくて、頭がガンガンするよー。

本当に昨日まで何もなかったのに。

いっぱい虫に刺されたので、その刺した虫の中に悪い奴がいたらどうしようか、と思って心配です。

虫よけスプレーは必須アイテムですねえ。(持ってたんだけどな)  

あと5時間でフライトの時間だし、本当にどうしよう・・・。

みなさんも体にだけは気をつけて旅を楽しんで下さい!! 

本当にね。(A)


1999年7月15日

アパ?で紹介してもらって楽器を習ってみました。(竹のやつ、木琴みたいなの)

バイクで3〜4分のところ「I GUSTI PUTU SANA ART STUDIO」です。

ちいちゃな息子をつれた若い人が先生。

日本語はしゃべれないそうですが。

基本的には先生が弾いたのをマネするという教授法なので、問題はありません。

とりあえず、一曲通してひけました。

2時間かかった。

あしたももう一度、行ってみようと思います。

あー楽しかった。(S)


続きは、残すところ、あとに回ほどになります。

最後まで、お付き合いください。


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2020年06月25日

自由筆記帳・一部公開その5(359)

価値観は、一つしかないと、それはもはや価値観ではない。

価値観は、いろんな価値観と比べてこそ、価値観。

自分の価値観も、他の価値観と比べてみて、初めて価値観だとやくわかる。


1999年2月20日

初めてBaliにやってきました。

小学校の時に初めてガムランを聴いてから、もうずっと 訪れたくてしょうがなかったBali-Ubud。

やっと実現できて(しかも誕生日に独り旅で!!)すっごく嬉しいです!! 

余談ですが行く決心がついたのは「アキオ紀行バリ」を読んだからです。

深谷さんのマンガ大好き!!

ここに来てから毎日がリラックスです。

そして、会社をやめる決心がつきました。

次からセラピストの訓練を受ける決心もつきました。

癒されることの気持ちよさを知ったので、私も人を癒す仕事がしたいです。

もっとゆとりのある仕事がしたい!! 

Baliに来てよかった。

ちなみに今日は私に誕生日、本日PM19:15(日本Time)で30才になります。

♪Happy Birthday 自分〜♪ 

わ〜っっ パチパチパチ

明日、日本に帰ります。

旅行中に出逢ったみなさん、どうもありがとう(S)


1999年2月24日

1ヶ月女2人でバリ、ロンボクとまわって、昨日ウブドに来ました。

なんだか人間不信になりそうな島バリ。

さんざんだまされて今日まできました。

楽しくハッピーな旅行になるはずが、何ともいえぬ気持ちをひきずりつつ重苦しい旅になってしまっているように感じます。

彼らが思うほど、あと、みんなが納得しちゃうほど日本人は金持ちじゃないし、このために何ヶ月も働いてきてるんだし「神に誓ってウソをつく」とあったけど本当。

天罰くだる人たくさんいるぜ。

切なくなってくるぜ。ちくしょー、みんな1のコトに100疑ってかかるぐらいでバリに挑め。

こ・・・ことばがないよ・・・。

涙も出ないよ。どうすればいいのさ。

日本がアジアの中で特殊だってつくづ〜く思いしったね。

月並みだけど。帰りたくなってきた。

ホントコンナハズデハ・・・。トホホのホ。

うまいメシくいたいよ→。くいと→。(I)


1999年3月1日

初のバリ。

クタは嫌。

「社長サン、アブラエ」「ヘイ、ヤンキー」「毒キノコあるよエヘヘヘ」「タイマ、マヤクどうエヘヘヘ」と言われた。

ウブドは、それにくらべるととてものどかだ。

初めて声をかけたのが屋台のおっさんで、そこで食べたミー・バッソがめちゃおいしかった。

踊りは、よくあなんなに大きな眼をずっと開けていられるんだな、と感心した。

明日から東側のバリを見る。

そのあと、ジャワ島。

そういえば、ロスメンで30cmくらいの大きなヤモリを見た。

このヤモリは「トッケー」と鳴くのでトッケーと言うそうだ。

ずっとながめていたかったけど、すぐどこかへ行ってしまった。

クタでバンジーをやった。

50mの高さから落下。

結構、死んだ。

一度やってみたら?

日焼け止めクリームを塗らなかったとこだけ、おもいっきり日焼けしてショック。

 
1999年3月4日

女3人で初めてバリに来ました。

ウブドはいい所だね。

クタとデンパサールも行ったけど・・・う〜ん。

どうでしょう。

人間不信に落ち入るね。

思ったより観光地化されすぎていて、素なバリニーズを見ることが出来ん。

ちょっと残念。子供までもが・・・。

でもいいホテル選んで、いい人に出会えたのでよかった。

さっきホテルの人に教えてもらってパダン料理を食べた。

めちゃめちゃ辛かったけど、うまかった。安かった。

日本円にして63円。

ドリアン食べたかったのに、あんまし売ってない。

売ってるけど高い。

ので、ドリアン・ビスケットを食べた(知らずに買って食べたらくさかった)。

3000Rpです。ぜひ、おためしあれ。くさいよ。

ホワイト・ハウスはいいロスメン。

みんないい人。彼らのおかげで楽しかった。

トゥリマカシー! (M)


1999年3月11日

クタに5日間いて、そのあとウブドへ来ました。

クタはもーくたくた、という感じです。

マニキュアおばさんにつかまり(すっごい力で腕をつかまれて)「サービス、サービス」全部の指を塗られ、あげくに60万ルピアなんてふっかけられた。

高い!とクレームをつけたら「うるさい!!」と言われたネ。

20分ねばって20万ルピアにしたけど、それでも高い。

もーくやしくって夜寝られなかった。

ひどい話だ。(走って逃げれば良かった) 

もうクタはイヤだ。絶対に行かないぞ!

ウブドはそれにくらべれば静かだけど、自分が思っていたより物売りはいる。

でもクタよりしつこくないけれど・・・。

あと3日ウブドにいて、あとロンボクヘ行ってきます。

またどんな人間が手ぐすねひいて待っていることやら。

まあ、いい人生勉強だと思ってあきらめます。それではいけないか・・。

バリは2回目だけど、来るたびに人間不信に落ち入るなあ。

そんな人ばかりとは思いたくないけどね。

私は日本でぬくぬくしている甘ちゃんなのさ!しょせん・・・。(N)


1999年3月13日

ウブドへ来て4日目です。

怖い思いをしたのは、友達と2人でレストランで食事をしていると、バリ人の人が話かけてきて、ロスメンに帰る時も、うしろをつけられたことです。

何もされなかったけど・・・。

その他は、バロン・ダンスやケチャ・ダンスを見て、すごく感動したりしています。

ウブドは、毎日どこかでダンスをしているので、すばらしいと思います。

日本でならダンスを見にいってもとても高いけれど、バリはお手軽な値段(私たちにとってだけかもしれんけど)で見れるのでうれしいです。

あと12日間くらい、おもいきりenjoyしようと思います。(S)


さらに続きます。

飽きずにお付き合いください。


posted by ito-san at 12:52| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月24日

自由筆記帳・一部公開その4(358)

国が違えば、おのずと文化も違う。

自国での常識は、他国では非常識かもしれない。

わたしは日本人で、日本ではこんな場合こんな風にするなんて主張したら、それでおしまいだ。

日本人から見れば、受け入れがたくても、バリ人にしてみれば常識であったりする。

自分のモノサシで評価すると大きなシッペ返しがくる。

シッペ返しは、無理解からのトラブルだ。

われわれツーリストは、バリのやり方を尊重し、つねに優先しなければいけない。


1998年3月11日

今回で6回めのBALIです。1回めは10年前でした。

今のウブドは昔のKUTAのようです・・・・。

BALIもずいぶん 変わったように思います。

BALIの人たちもイロイロですよね・・・・。

一言ではいえないケド・・・人によって感じ方もちがうだろうし・・・今回はアト10日間です。

イロイロあるケド めげずに いい旅にきっとできるよう楽しくゆっくりすごします。

みなさんもイロイロ気を付けて、いい旅をして下さいNe。(M)


1998年4月8日

今回でBaliは3回目です。1人での旅は初めてです。

3週間の滞在で、3日前までは友人Kと一緒でしたが今は1人です。

1日Rp15,000(朝食込み)のホームステイに泊まっています。

あすは結婚式があるから是非見て、写真とって! とオーナーに誘われてワクワクしています。

1人になっても、いろんな人が声をかけてくれて、今のところ充実していて、さみしくないです。

気楽なモンです。

でも、悪い人もいるらしい。

私は運良く、ひどい目にあってないけど・・・。

バリの人好きだから、私は信じてついていってしまいます。

あまり疑ってばかりだと旅は楽しめません。

仕事をやめてしまって、バリに住もうとしている私は、日本ではさんざん言われたけど、ここに来て、このノートとか見ていてうれしくなりました。

とりあえず20日に一旦帰国するけど、5月からはずーっとBaliにいるつもりです。

だんだん、道ばたで声をかけられなくなったなーと思ってたら、行きつけのワルンの兄ちゃんが「マレーシア人かフィリピン人みたいだ」と言ってたから、ああ、日焼けしたんだ・・・とうれしいのか かなしいのか・・・。

皆さん 楽しい旅を!!(M)


1998年9月8日

あくまで私的な感想です。

全員では決してありませんが、バリ人は対面を気にすると思う。

というか、上手く言えませんが、うわさ好きのわりに、他人のことに関わりたがらず、知っていても知らぬふり。

隠し合い、かばい合い、TAMUに対しては特にそう。

不幸にして、私のまわりはそんな人ばかり。

フレンドリーな笑顔の下に、同情、哀れみ、嘲笑が隠れている。

自分のことは棚に上げ、他人のことは批判するけれど、肝心な時は「知らない。人の事はわからない」だって。

マジックやバンジャールが怖いもの? 

本当にJUJURな人はどこにいるの? 

神様を信じているのに、時には、神にかけてと言いつつウソをつく。

何人もの“心の友”のうち、本当に心を許し合っているのはどれだけいるかな?

恐るべしバリ。恐るべしバリ人の『常識』。(K)


1998年10月31日

バリにはTOTALで約5ヶ月いるけど、初めてバリに来た頃に戻りたいなぁと、この頃強く思う。

バリは本当に好きだけど、もっと他の国も見てみることにした。

いっぱい悪い人がいます。

特に、日本語がペラペラのヒゲ剃りあとの濃い、トゥガナン村の“M”には関わらないように。

これ以上、被害者が増えないことを祈ってます・・・。(M)


1998年10月31日

5回目のバリです。

いまだにインドネシア語はチンプンカンプン。

簡単なようで実は難しい言語ですね。

でも、早くマスターして地元の人とペラペラっとしゃべれるようにガンバルゾー。

みんなもガンバレー。(Y)


1998年12月23日

ウブドに来たのは2回目です。

なのにいきなり1人旅。

10日間の旅で、26日に帰国します。

3日目からは自分の足で宿を探しました。

いろんなホテルを見れたし、いろんな人に会えて楽しかったです。

9件まわってプリ・ゴン(PURI GONG)に落ち着きました。

もうちょっとお金があれば、クブク・インに泊まりたかったです。

バスルームから空が見えて、田んぼの中で、とっても風情があってよさそうでした。

次は泊まるぞー!!

ウブドで「偶然、人に会う」ことが2回ありました。

その一、前回の旅での現地添乗員さんに、ばったりあった。

その二、プリ・ゴンのスタッフと仲良くなって滞在4日目ぐらいに、話をしていて、実は前回の旅で私と彼は会っていたことに、お互いが気付いた。

わたしがボナ村のケチャを見に行っていた日に、彼はプリ・ゴンに泊まっていた日本人男性を案内して来ていた。

その時、少し話をしたのを思い出した。

今、私はその日本人男性が泊まって部屋に泊まっているとの事。

だからどうしたと言われれば、それまでですが。

でもやっぱり、私には不思議な出来事で嬉しい・・・。

2回目のウブドは、本当に楽しい。

前回よりも。

だけど、このノートを読んだりいろんな人の話を聞いていると、それだけじゃなさそうですね。

今が一番楽しいのかなー!?

でも、私はいつまでもウブドを好きでいたいです。(T)


1998年12月29日

今日帰るのがとてもさみしい。

ウブドはとても気に入った。

こんな素晴らしい自然が残っているなんて・・・。

このまま大切にしなければならないと思う。

この素晴らしいところに、今度は、父と母を連れて来たいと思う。

バロン・ダンスを見て、日本舞踊を習いたいと思った。

自分の国にも素晴らしい文化があるんだなあと、日本を見直す事ができた。

やっぱり旅はするものやな〜。(Y)


まだまだ、続きます。


posted by ito-san at 14:22| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月23日

自由筆記帳・一部公開その3(357)

「ウブド滞在30年です」と事実を述べたら、「それって自慢ですか?」とリアクションされたことがある。

自慢に受け止められるのは、嫌だ。

ウブド初訪問のツーリスト。

30年間、通い続けているリピーター。

年に2〜3回は訪れる、ウブド熱愛症候群の方。

望んでもできない人にとっては、羨ましいことかもしれない。

「もう30年です」と言えば、自慢ぽいし。

「まだ30年です」と謙虚に言っても、嫌みだし。

日本語って難しいです。

相手の心理状態、私の言い方・態度によって受け止め方は変わるんだろうな。


1997年6月22日

バリは2回目。

前はJALで今回はガルーダ・インドネシア航空。

料金が安いのはいいけど、AM11:00発がPM7:00まで遅れた。

もう信用しないぞガルーダ。

前はクタとウブドに泊まって、ウブドの魅力にハマッてまた来ました。

友人にとってバリはハワイとかグアムとかと同じイメージらしく、超ミーハーに見られて、くやしい。

ぜんぜん違うのにー。

バリはリピーターが多いと聞いたけど、来てきてわかった。

今度また来る時は、安宿に泊まって長期滞在してみたいな。

前、来た時一緒にいた友が、バイクのヒッタクリにあい、一緒に日本に帰れなかった。

ガイド・ブックにのっていたとうりなってしまった。

こんなことって本当にあるのね。

クタは危険!(S)


1997年7月7日

たぶんあと3日ウブッにいて、ジョクジャ→ジャカルタで日本に帰る。

60日間の内、やっぱりウブッにほとんどいた。

はじめてのバリで1人旅で色々心配だったけど、周りの人がとても良くしてくれてよい旅になった。

しんじられる人と、しんじられない人もいるから、本当に良い人に冷たいたいどをとってしまった時もあったかもしれん。ごめんなさい。

でも、バリは好き。ウブッも好き。

来てよかったなァーって、つくづく思います。

日本に帰ったら日本の生活になれるためのリハビリが必要かもしれん・・・。

ロンボック、チャンディダサ、ティルタガンガ、ロビナも良かったです。

ウブッにきて、優しくしてくれたすべての人にサンキュー ここに住みたいわァ。(M)


1997年10月1日

バリに来て!!

バリでは4泊だけど、毎日違うダンスを見たり、ネカ美術館に行ったり、ホテルのプールで泳いだり、ゴア・ガジャに行ってみたり(本当はこれから行く)。

いろんなものを見て、行って、すごく楽しいです。

初めての海外旅行で、英語も、もちろんインドネシア語も話せなくて、最初は不安だったけど、バリの人はとっても明るく、やさしく、楽しいので、すぐに(1時間くらい)なじみました。

1人で美術館の絵を見れたし、やっぱり、初めての海外旅行はバリのウブドで良かったと思う。

正直、日本の人も好きだけど、言葉が通じない分、新鮮だし、心がすごくきれいになれる気がする。

原始的なジェスチャーで、心がよく通じる。

そう思います。日本人の人よりわかりあえる。

立て前がない分。

確かにバリの人、日本人金持ちだから親切なのはわかる。

だけど、心が通じるところがあるのがわかる。

いい経験をしました。

最後に。私達の泊まったホテルは、鍵は一応閉まるけど鍵はないようなもので、押すと、私達の寝室の中に入れてしまいます。

みなさんのところもそうなんでしょうか?(S)


1997年10月23日

2回目のバリです。

前回はUBUDだけだったけど、今回はクタに3泊、サヌールに3泊、そしてここに1週間。

プリアタンの“P・B・N”というホーム・ステイに泊まっています。

奥さんは日本人だし、御主人のバグースさんは親切で日本語OKだし、いとこのバグース君はとってもフレンドリーで品のいい男の子だし(実際、バグちゃんみたいな男の子に今まで会ったことないですって位よ)。

アユちゃんは、超シャイでかわいい。

おうちも新しく清潔で、もう言うことなしの居心地の良さなんですよ。

奥さんのTさんと日本で会って、で泊めれもらえるようお願いしたんですけども。

東京/新宿の「NEWS」ツーリスト・カフェで、ここのホーム・ステイのことを知りました。

ぜひ、みなさんも利用して下さいね!!。

ところでクタは、初めて行ったんですが、おどろきました。

UBUDしか知らなかった私にとって、クタは大きなショックでした。

ほこりっぽく、品がなく、騒々しくて、なんか悲しくなりました。

(でも、良い人もいました。もちろん)

サヌールは、少しだけビーチ・リゾートを味わいたくって行ったんだけど、とても良い時間を過ごしました。

カヌーをブッキングしてくれた男の子がすごくいいヤツで、バイクでデンパサールにつれて行ってもらったり、カヌーで2人で遠くまで行ったり、すごく居心地良いヤツだった。

カヌーからビーチを眺めてた時、茶髪でちゃらとした日本人の女の子が1人、男の子たくさんにつれてたのが見えたのね。

そのうちの1人が彼の友達だったらしく、私は「あー・・あの女の子・・・」と言ったら、笑って「大丈夫。

あいつは僕の友達だから。それにここはクタとは違うよ」(←英語)と言ってたの。

なんだかとてもほっとして、嬉しかったんだよね。

サヌールって、そういう所みたい。

ちょっと海を見たい!!って時はサヌールヘ行ってみてね。(J)


1997年12月31日

今日、バリ島東部パダンバイからウブドに来ました。

パダンバイは、道が平らで、海のすぐそばで、ロスメンとかは、あまり選べないけど、のどかで、よい所です。

ジュクンでシュノーケリングに行きました。

20分くらい船にのり、ついた所は、竜宮城のようでした。

船から熱帯魚やさんごがバッチリみえます。

さんごも、ちゃんと生きてます。

2m〜5mくらいのところで、あまり泳げないので、ちょっとこわかったけど、フィンとマスクだけで充分たのしめました。

小さなサメや、エンゼルフィッシュ、熱帯魚の群れもみました。 
 
J・ハヌマン沿いのバンガローに滞在してます。

ウブドは4度目ですが来るたびに開発されていて、ちょっと、さびしいような・・・・・。

でも、とってもバグースです。(T)


さらに続きます。



posted by ito-san at 13:48| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月22日

自由筆記帳・一部公開その2(356)

共感できる書き込みは、ありましたか?

このシリーズ(と言っていいのかわかりませんが)7回ほど続きそうです。

では、続きをご覧ください。


1997年5月25日

今はまだ学生(短大の2年)、長期滞在したいんだけど、時間がなくて悲しい。

30日とか来たいけど、有休とかもそんなにとれないし。

来れるチャンスは98年2月or3月しかない。

でも、卒業とかいろいろあるし・・・。

ウブドゥはサイコー。

クタとかレギャンはなんかちがう気がする。

クタやレギャンに行く人にバリに来た意味をおしえてもらいたい。

あんな観光地にした観光客がさびしい。

でも、私もそんな観光客なのかもしれない。

さもしい。ゴメンネ。(I)


1997年5月31日

今回7年ぶりにバリに来て、ちょうど2ヶ月がたちました。

6月1日に帰国(日本)しなければいけないのが少し残念でもあり、又、少しホッとする気分でもあります。

50日程、毎日踊りの練習してました。

ヤセた。

好体調維持とプロポーション作りしたい方で長期滞在される方は、毎日1時間ずつでも踊りを習ってみては・・・? 

体にはとても良いと思われます。

私は、いつもUBUDパレスで踊っているアグン・ラカに習っていました。

とっても上手い女性です。

詳細はブンブン・カフェの伊藤氏に・・・。

昨夜、お寺で踊る機会があり、日本人ばかり6人でwelcome Danceを演じました。

でも、私だけが初心者で、あとは皆さん長い事踊りを習っている人ばかりで、すごく恥ずかしかった。

しかも、お寺で踊る事が急に(私がはっきり聞いたのは当日)決まった上に、全員で一度も練習ができなかったので、私としてはとっても不安でした。

びみょうに振りも違うだろうし、私が彼女達に合わせるのは不可能だし・・・。

でも、みんな「大丈夫、大丈夫、できる、できる、せっかくなんだから、ぜひTRYして!」と温かく励ましてくれ、私の優しい(?)彼氏(??)も「大丈夫。誰だって初めはあるんだから。今まで一生懸命やってきた事をそのまますれば良い! 他の人達の踊りを見ずに、自分の踊りをして」と言ってくれたので、とりあえずチャレンジ!してみました。

結果は・・・案の定、顔はひきつって“ほほ笑み”どころではないし、やはり少し皆と振り付けが違ってるし、前の人に合わせなきゃ・・・と必死で、振りそのものを忘れるし・・・と、惨々でしたが、とても良い経験ができました。

こちらの人のセレモニーに参加できた事、まがりなりにも神サマに捧げる事ができたコト。

(多分、神サマはあきれて、怒ってるかも)

で、終わってみて、もっと上手くなりたい!! と心底思いました。

やるぞ。私は。日本でも。

2ヶ月UBUDに居て、色んな人と会えて(日本の方ともバリの人とも)踊りの先生んちのおうちのセレモニーにもずーっと参加して思った事・・・。

どんなガイド・ブックを読んでも、なんか少し違う、と感じる様になった。

自分なりのバリっていうのが、誰にでもあると思うので、なーんにも読まずに長く居るのもオモシロイと思う。

(でも、宗教、芸能関係の本は読んどくべきかも・・・)

ガイド・ブックって、時々、ハラ立つ。

特にロンリー・プラネット、おのれは何様じゃい、と思う所が多々あったぞ。

ホント、白人仕様ですね。

まだ書くか、ってカンジですが、彼氏が来るまで暇なので書く。

今回、伊藤氏にラカを紹介してもらってホント助かりました。

お寺ではちゃんと踊れなかったけど、伊藤さんがっかりしないでネ。

NEXT TIME . I CAN DO!!ですから。

バリで何がおもしろいって、私にとっては「人間関係」が一番おもしろかった。

私が知る範囲なので、そんなに広い訳ではないが、結局のところみーんな実は知り合いで、知ってたけど、今まで話さなかったんだけど、私を介して初めてしゃべったみたいな、妙な人間関係が、私にとってはおもしろかったよーん。

UBUDはやっぱり村だった。

なんかこういう横のつながりって、とても懐かしい気がする。

日本では隣の人とも、1度もしゃべった事ないからネ。

私。(ちなみに大阪ミナミのどまん中に住んどりました)

と、いう訳で、2ヶ月の滞在も終わり、たく山の写真とまっ黒になったBODYと、リラックスしたHERTを持って日本に帰ります。

そして、次は半年コースで来てやるゾ。

日本で新しい仕事が見つかりますように。

皆さん身体に気を付けて、UBUDをENJOYして下さい。(A)

P.S、なんで彼は来ないのだ????


1997年6月9日

6月1日に初めてBaliに来ました。

いろんな人から話だけはいーっぱい聞いていたけど、実際来てみると、結構どうにかなるっていうか、神経質に考えていたことも、何でもなかったりして、情報を入れておくこともいいけど、やっぱり人それぞれ思うこと、感じることちがう。

日本でバリ舞踊やってるけど、こっちではじめて習って、あつい。

毎日できつい! 

でも、じゅーじつしてるって感じでいい。

時間がなくてぐちゃぐちゃ。

今からボナ村へケチャ。

もう11日に、帰らなくてはいけないのダ。

今度は、いつこられるのだろう? 

仕事は、もう休むとクビになるよー。(E)


続きは次回に。


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2020年06月21日

自由筆記帳・一部公開その1(355)

パソコン内の整理をしていたら、自由筆記帳のメモがでてきた。

ウブドを訪れた旅行者の書き込み。

可愛いイラストはないが、読み応えがあるので、一部を抜粋して掲載することにした。


1997年1月13日

盗難(20万円)にあいました。

場所はJl.Monkey Forestの「S」です。

手口やスタッフの行動から、内部の犯行だと思われます。

もちろん、良いスタッフもいるのですが・・・。

特に、ボスは要注意です。

あくどくて、女好きで有名な奴です。

あやまるどころか、とぼけていました。

多分、ボスとスタッフの共同作業だと思われます。

ルームサービスをしてる奴にも気を付けてください


1997年5月1日

埼玉から来たハヤシ&千葉から来たタキカワです。

3回目のバリです。2回目まではツアーで楽しみました。

今回は2ヶ月という長い間?滞在するつもりです。

絵も、芸能も、ともかくたくさん観て、でもゆっくりしたいです。

キンタマーニ、チャンディダサへも、1週間くらい居れたらいいな、と思ってます。


1997年5月3日

4月24日にバリに来て、今日、日本へ帰ります。

totalで9日間、うち7日間UBUDにいました。

いろいろ感想を書いてみます。

昨日の夜はオダラン(年に一回の寺の祭り。寺はたくさんあるので見にいけるチャンス大!informationはここAPA?で、ツアーも行います)に行きました。

村の祭りで、おどりを演じるのは村の人。

意外なキャスティングに村の人が笑ったり、酔っぱらいすぎて、予定と違うおどりをしていたりと、そのふんい気はとてもいい。

やっぱり、どの国も、おどりは生活の中にあるものだから、できればオダランに会えば、見逃さないでほしい。

昨日行ってわかったのは、観光客向けのshowでも、演じる人は一流で、これも見逃さないこと。

ラフティングおもしりかった。

MEGAダイブというショップでダイビングをしたけど、安いだけに、器材はぼろぼろ、時間はルーズで、2回のうち1回しか時間的にできなかった。

今回、実はヌガラでJEGOGを見ようと来たけど残念ながら月一回の日に出会えなかった。

クタのカルティカ・プラザ・ホテルで毎週水夜19.00、夜食こみ$21見れて、それに行ったけど、それはいまいち。

やっぱりヌガラで見たい。

ただし、ホテルのショーでも、その重低音を感じられる。(A)


1997年5月5日

バリは2度目の横浜からきた夫婦です。

トパティ・バリという日本人経営のホテルに泊まっています。

今日は我々夫婦一組だけ。

若い日本人女性スタッフ2人がいて、とってもアットホームな高級ホテル(2星位かな)。

明日は、スラウェシ島のタナ・トラジャへ行ってきます。

(3泊3日)全部込み(航空券、日本語ガイド、ホテル、食事、車)で$455。

安いと思いませんか。あの舟型家屋で有名なトラジャの里です。


1997年5月6日

4月25日からBaliに来て、今日の夜(5月6日)日本に帰ります。

来てから2日目の夕方、プンゴセカンのパノラマホテルの前で、友人が、バイクにのった2人組にバッグをひったくられ、パスポートからお金、チケット・・・全部盗まれました。

友人は5月2日に無事帰れたけど、PolisiにRp25,000、イミグラシにRp500,000払いました。

Baliへは10年前ぐらいから来ていて、ここ4年ぐらいはけっこうしょっ中来ていますが、Bali&Orang Baliのことを知れば知る程、こわくなります。

ここでは″誰を信じたらいいのか゛がけっこう大きいと思いませんか? 

真実と違うことを言うのを嘘と、日本ではいいますが、こっちはそれは嘘にならないことが多い!!! 

こっちの人は言いわけうましい・・・。

今、私は迷ってます、非常に・・・。

Enjoyするよりも考えることの方が多かった今回の滞在です。

Bali語ができるようになれば、もっとOrang Baliを理解できるだろうか? 

いや、やっぱりいい加減さが、もっと目につくだろう・・・? 

はじめの頃の何も分からなかった、お気楽ツーリストに戻りたいな・・・と思ってしまいます。

完ぺきな人間はこの世にいない、というのは頭で分かっていても、こっちの人のような善と悪をバランスよく持ち合わせてるのを実際この目でみると、やっぱりまだまだ修行が足りないと思います。

こっちの人って、表向きはわーわー適当にやっているけど、必ず心の中では、冷たい目で物ごと見てると思います・・ぜったい口には出さないけど・・。

うわ〜、やっぱこわい。

親切というのは、真実を教えてくれることではなく、真実を知っていても黙っていて、いつかその人が気付くのを待つって、ことでしょうか、ここでは。(A)


1997年5月20日

Baliに4月6日からきて5月20日に帰る予定だったけど、やっぱり帰りたくない。

もう少しここにいたいので5月25日に変更しました。

5月6日の(A)さんが書いてある内容は私も同感できます。

私は恋人をさがしにきたわけではないのに、好きな人が出来てしまい。。。

友人も同じです。

今まではみ〜んな友人だったけどね。

私も今回、いろいろ考える事の多かった滞在。

1〜4度目は5日6日だけだったから、おきらくだったな、あの頃は。

でも、どうしてバリ人は日本人と結婚をしたがるのか? 

バリ人にきいてみたら“つまの為”とみなさん言いますが、私はどうも信じられないです。

中には本当に“つまの為”にという人もいるかもしれないですけど。

でも、結婚はむずかしいと思います。

実際の話で、ある日本人女性とバリ人男性が結婚しました。

でも、お金(日本人女性)はどんんどんなくなる。

こちらではお祭りをやるのは、すごく費用がかかります。

日本人女性はお金がなくなり、日本へも帰れる費用がなくなり、某HOTELにいって働きたい!と言ったそうです。

でもそれもムリで・・・。

むずかしいです。。。

やっぱり結婚は。

みなさんどう思いますか? (Y)


意外とイニシャルだけの匿名が多いのに、今更ながら気づいた。

今回はここまでです。


posted by ito-san at 12:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月20日

アパ?情報センター「自由筆記帳WEB掲示板」(354)

今回のコロナ禍で、人生進路を大幅な変更が余儀なくされた人も多いことだろう。

死活に大きく関わっている人もいるはずだ。

そういう私も、少なからず被っている。

残り少ない人生の予定が、遅延した。

今後の予定さえ、できない。

1日も早く「新型コロナウイルス」が終息し、地球が救われることを熱望してやまない。

そんな折、意気消沈することが起こった。

原因は、アパ?情報センターの「掲示板・自由筆記帳」だ。


「アパ?」のオフィスがモンキーフォレスト通りにあった頃、A4ほどの横長スケッチブックを自由筆記長として、待合の円形テーブルに置いていた。

色鉛筆も用意した。

自由筆記長は、オフィスに訪問したさい、旅の印象などを書いてもらうつもりの徒然ノートだ。

伝言板でもいい。

好き勝手に書いてもらう。

友達同士で、親子で、カップルで、もちろん一人旅で、女性、男性と様々だ。

イラスト入りの可愛い、書き込みが多かった。

節約旅行者が訪れ、安宿、安食堂などの感想を書き込んでいく。

情報が詰まっていた。

これを見た旅行者が、参考にすることがあるのではないかと嬉しかった。

立派にコミュニケーション役を果たしている。

旧スケッチブックが閲覧できるので、自分が前回訪問した時の感想を読むこともできる。

子供の殴り書きが、数ページにわたって描かれたこともある。

親は、注意しなかったのか。

スケッチブックにしたのがいけなかったのだろう、これは反省している。

他人は、自分の思惑通りには、行動してくれない。


アパ?のオフィスがスグリオ通りに移転したさい、スペースが手狭のためスケッチブックは置かなくした。

その後「アパ?」のホームページが更新され「自由筆記帳WEB掲示板」と改名。

Web自由筆記長になってから、自由筆記帳的書き込みはなくなり、ほとんだが問い合わせとなった。

問い合わせは、別枠でリンクしてある。

メールでの問い合わせは、大歓迎。

メールに問い合わせがあれば、丁寧に返事を送っている。

誰でも閲覧できる「自由筆記帳WEB掲示板」に、個人情報の書き込みは尻込みするのだろう。

当初の意図であった自由筆記帳には、適さないということか。

自由とうたっているから、問い合わせするのも売り込みするのも自由だが。

自由筆記帳に、アパ?として返事を書く義務はないと考えていた。

しかし、業務に関わる書き込みであれば、お答えせねばならない。


今回の書き込みは、子供の殴り書きレベルではない。

「返事が遅い!」「誠意がない会社だ!」「何様だと思っている!」と罵詈雑言が飛ぶ。

インターネット上で「誹謗中傷」が、問題になっている。

イチャモンもつける輩は、必ずいる。

不特定多数が、匿名で書き込みできるWeb掲示板。

趣味の悪いポルノ動画が、投稿されてくることもある。

ポルノ動画は、もちろん速やかに消去した。

アナログ人間の私には、察知することができないインターネットの世界。

できるだけ、距離を置くことに決めた。

ファンも少なからずいただろうが、自由筆記帳の役目を果たせなくなった自由筆記帳は、もはや必要ない。

検討した結果、2020年5月31日付けで「自由筆記帳WEB掲示板」を削除した。

問い合わせは、メールでお願いしたい。

今後とも「アパ?情報センター」のご愛顧を、切望しております。


posted by ito-san at 14:31| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月07日

30年前・ウブドに沈没!(353)

今なお、「新型コロナウイルス」の蔓延が、世界中を脅かしている。

観光の島バリは、呼吸するのがやっとの状態。

熱帯の陽光のもと、貧窮の風が背筋を寒ざむと通り過ぎていく。

先行きは、未だ闇の中。

一日も早く終息をすることを熱望してやまない。


30年前の1990年5月7日、私はバリ島ウグラライ空港に降り立った。

当時の心境を「ウブドに沈没」で語っている。

読み返して、振り返ってみた。


■はじめに

このコラムは、わたしが1990年5月7日にバリの地を踏んだ時から、ウブド滞在の約1年間を思い出しながら記してみたものである。

コラムというより、日記かメモと呼んだ方がよいかもしれない。

1990年のウブドは、濃緑の墨があるとすれば、そんな墨で描かれた水墨画のような風景だった。

それは、ひとたび闇に包まれると、モノトーンのグラデーションの世界となったものだ。

タイトルの「ウブドに沈没」はウブドが水中に沈むのではなく、わたしがウブドの魅力に惹かれ長期滞在していく過程を意味している。

ウブドを訪れた第一印象は、「日本の30年前に似ている」だった。

郵便局が一軒。

郵便は住所不定の外国人には配達されないので、定期的に郵便局に出向かなければならない。

個人所有のテレビは少数で、村人は集会場に設置されたテレビを鑑賞していた。

モータリゼーションとは無縁の村で、自動車、バイクも数えるほどだった。

それから22年が経過した。

村で数台しかなかった電話は、電話線敷設より携帯電話の普及の方が早かった。

ウブドは、目覚ましく変貌した。

今では、インターネットが使える携帯を持っているバリ人が多い。

WiFi完備のホテル&レストランが普通になりつつある。

22年間、一度も日本に帰国しないほど沈没してしまった「ウブド」っていったいどんなところ?

これを読んで、あなたも「ウブド沈没」気分を味わってみてください。

記憶が薄くなって曖昧なところもあり、途中で思い出して追加&訂正することもあるのでお許しください。

後半は、ネタ薄。


■5月・1)寝床を探す旅

1990年5月7日

隣のシートに、20代後半と思われる日本人女性が座った。

小柄で色白、それ以外にこれといった外見的特徴のない女性だ。

わたしは、彼女に向かって軽く会釈をした。

「わたし、ウブドの花嫁になるの!」

喜びを隠しきれないようすで、彼女は話しかけてきた。

ウブドはインドネシア・バリ島の山間部にある芸術の村として有名なところだが、飛行機に隣り合わせた誰もが知っているとでも思っているのだろうか。
「わたしも、ウブドに行くんですよ」

「貴族に嫁いで有名になった女性もいるけど、わたしの彼は平民なの。そんなこと関係ないわよね。愛があれば」

そう言って、くったくなく笑った彼女の顔に、限りなく広がるバラ色の前途が光り輝いているようだった。

彼女は小さなノートのページをめくり始め、会話は一方的に終止符が打たれた。

同席した親しみで返した、わたしの励ましの言葉は、聞こえなかったようだ。


こんな調子で始まる「ウブドに沈没」。

「寝床を探す旅から」〜1991年3月(29)「ニュピ祭礼日の過ごし方」までを綴っている。

外出自粛の時間つぶしの、お読みい頂けれは嬉しいです。

こちらをクリックしてください:http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html


posted by ito-san at 14:55| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月25日

外出自粛のウブド!(352)

入国制限のため、ウブドの観光客は壊滅状態。

多くの店舗が休業&営業時間の短縮をしている。

新型コロナウイルスの終息は、いつのなるのだろう。

人々は、一縷の望みをつないで息を潜め、ことの成り行きを見つめている。

気になるウブドの感染状況(24日)。

微妙に、増えているようですね。

大型クルーズきゃく船で働いていた人々が帰ってきたからだ、という噂です。

陽性も陰性も理解できない私ですが、参考になったコメントを見つけたので添付します。

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⚫︎Konfirmasi Positif:肯定的な確認(ひょうっとすると、これが陽性のこと?)

⚫︎Sembuh:治癒

⚫︎Pasien Dalam Pengawasan(PDO) :監視対象者
38度以上の高熱、上気道に感染症が認められ、肺炎があり、感染者との濃厚接触あるいは感染国への渡航歴がある人というカテゴライズされている人。
⚪︎上気道(じょうきどう)は、呼吸器(気道)のうち、鼻から鼻腔、鼻咽腔、咽頭、喉頭までをいう。 これに対して、喉頭よりも肺側の気管、気管支、細気管支、肺を下気道(気管より末梢の気道)という。

⚫︎Orang Dalam Pemantauan(ODP):観察対象者

肺炎などの感染症状が出ていないものの、感染国への渡航歴がある人とされる。

⚫︎Orang Tanpa Gejala(OTG):症状のない人(これが理解できない)

⚫︎Lainnya:その他(これも理解できない)

いずれかのグループに区分けされた患者に対して優先的に感染検査が実施されているいうが、検査キットや機材が絶対的に不足していることからとても全員が検査を受けられるという状況ではないという。


ウブドの様子は?


日頃、観光客で賑わう「ウブドの十字路」と「テガララン村のライステラス」。


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タマン村では、スリウェダリ通りとサンダット通りの南入り口で、マスク着用のチェックを行っている。

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ビンタン・スーパーのレジでは、密着を防ぐための立ち位置が指定されている。
コンビニでも、同様に行われてようだ。
スーパー&コンビニでは、出入り口でマスク・チェックと掌にアルコール液の散布も行われている。

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デルタデワタ・スーパーで見かけたブースは、何用か?

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いつもなら大勢の人で賑わうウブド公設市場。

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こちらも、いつもは・・ウブド市場の南のデヴィシータ通りと結ぶカルナ通り。

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ウブド大通り西部、チャンプアン橋に向かう風景。

地獄を見ないうちに、終息して欲しいです。


posted by ito-san at 15:10| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月22日

悩み多き、老人のつぶやき(351)

生活費の困窮を回避する目的で、ボロブドゥールへの本拠地移動を考えていた。

新型コロナウイルスの感染で、足止めをよぎなくされた。

日々、世界中で感染者は増えている。

今後、何ヶ月この状態が続くのか。

終息の先行きは、未だに見えていない。

このままでは、年内に貯金が底をつくのが目に見えている。

問題は、年末のリタイヤメント・ビザ更新だ。

今回の更新は5回目(5年目)の延長がすんだため、新たにビザ申請のために出国する必要がある。

出国はシンガポールにしている。

航空券とシンガポールでの代行業者への支払い、バリに戻ってから代行業者への手数料。

この金銭が用意できなければ、不法滞在になってしまう。

先行き不安な生活は、続いている。

私は、好き勝手に生きてきた。

「末路の哀れは、覚悟のうえ」

泣き言は言わないはずだったが、今回はちょっと堪えている。


的確じゃない例えかもしれないが、現在、人類は癌を宣告されたにも似ている。

正直言って、宣告されたことのない私には本当の意味で理解できないだろうから、不謹慎な発言かもしれない。

あるいは、余命を宣告されたのかもしれない。

手をつくしても、生き永らえることはできない事態。

患者本人、周りの人々の恥部が、露出することもある。

修羅場になるかもしれない。


人類の起源は、600万年前〜700万年前ほど。

人の起源は、20万年前と言われている。

この長い時間を人は、生き続けてきた。

様々な苦難もあったろう。

それでも、人類は続いている。

人の一生は、長くて100年ほど。

人間は、一生をまっとうして消滅する。

今回の新型コロナウイルスは、自然が帳尻を合わせようとしているのか。

人口の自然淘汰か。

そうは思いたくない。

連綿と続いた人類を、滅亡させてはならない。

人類の滅亡は、地球の滅亡でもある。

しかし、前途有望な若者には、地球は必要だ。

人類は、克服しなくてはいけない。

「万物の霊長」と言う傲慢な考えを捨てされ!

人類の恥部をさらけ出すことになるだろうが、新しい世界は、地球を救う力を携えていることだろう。

世界中の人々が総力をあげて立ち向かえば、光明はさしてくるはずだ。


泉谷しげるの「春夏秋冬」を口ずさんだら瞼の裏が熱くなった。

サビの部分は、こんな歌詞だ。

『今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる』

『今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ』

一日も早く、終息することを願望している。

悩み多き、老人のつぶやき、でした。


posted by ito-san at 15:27| Comment(4) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする