2019年05月21日

チャンディ・ボロブドゥール@ マゲラン滞在!(309)

マゲランに来て、バリ語の混じった言葉を耳にすることがある。

畦道ですれ違ったおばさんに「アロンアロン!(alon alon)」と声を掛けられた。

アロンは、バリ語の丁寧語でゆっくりの意味。

2度続けるのは、強調しているのだろう。

疑問をバダさんにぶつけると、ジョグジャカルタの王宮(クラトン)で使われる言葉とジャワ語とバリ語は、ルーツが同じだと言う。

マゲランは、ジャワ語圏だからと納得。

バリ語のNikiもよく聞く。

Nikiは丁寧語で、普通語はNe、インドネシア語のIniだ。

インドネシア語の「ゆっくり」には、いろんな言葉があるようだが、私は「プランプラン(pelan-pelan)」を使っている。


ボロブドゥール遺跡(Candi Borobudur)見学は、4月17日にした。

この日は平日、おまけにインドネシア大統領選挙の投票日。

訪れる客は、少ないだろうと考えた。

と言っても、投票日は公休日になる。

投票を終えてから来る人もいるだろう。

私は、午前9時に小屋を出た。

バス停は、チャンディ・パオンへ(14日)行った時に、バスが止まった雑貨屋の前とした。

手を上げればどこでも止まってくれるが、人目を引く場所のほうより良いだろう。

雑貨屋は、開店前だった。

バスの姿は見えない。

私は、隣のワルンに歩いて行った。

店内には、3人の男性と女将らしいおばさんがいた。

男性の1人が「チャンディ・ボロブドゥールにいくのか?」と声を掛けてきた。

私が「そうだ」と答えると、「オジェックで行け!」と続けた。

「Rp25,000-」のバイクタクシーをすすめてくる。

「私はバスに乗りたいのです」フレンドリーに断った。

「今日は投票日だから、午前中バスは走らないよ」

男性は私の出鼻を挫くショックな言葉をはいた。

昨日の夕食時、会話の中でそんな話をしていたような気がする。

バダさんは「投票時間は朝から晩までだから、交代で投票して交代で勤務に就くことも考えらるよ」とも言っていた。

時間は今、9時15分。

午後を迎えるには、まだまだ時間がある。

小屋に戻って出直すか、歩いて行くかの二者選択。

オジェックを頼む手段もあるが、今回の旅では避けたい。

出直すのも気勢がそがれるし、片道3時間を歩くのも大変だ。

さて、どうしよう。

とりあえず、ワルンでコピを頼んだ。

コピを運んできた女将に、チャンディ・ボロブドゥールまでのバス料金を尋ねた。

その答えがなんと「私は、バスに乗らないから知らない」だった。

女将はオジェックの男性に気を使ったのだろうが、私の女将評価は最低となった。

「Rp5,000-!」奥から男性の声が聞こえた。

3人の男性がワルンを出るのを見送りながら、コピの口をつけた。

"甘〜い!"

女将の評価は、さらに下降していった。

コピは口をつけただだけで、残してきた。

料金はRp10,000-、高く感じるのは気のせいか?

”何も考えずに、歩こう〜!” 元気よく歩き出した。

しばらく歩いて、考え始めた。

チャンディ・ボロブドゥールに3時間掛けてたどり着き、そのあと見学。

果たした、回廊を周り周り、天辺まで登って行ける気力・体力は残っているのか。

私は、どうでもいいようなことを、くよくよ考える人種のようだ。

バスの姿は見えない。

今なら、小屋に戻って出直す時間もある。

どうしよう。

体は、戻る行為に移っている。

道端に、座り込んでいる青年がいた。

少女が、近くにたたずんでいる。

バスを待っている仕草だ。

「今日、バスは走らないんですか?」と聞いてみた。

「30分も待てば、来るよ」元気が出る言葉を聞いた。

青年と一緒に、ここでバスを待つことにした。

おばさんがひとり、こちらに向かって来る。

”ここはやっぱりバス停なんだ” 喜んだのも束の間。

おばさんは、私の横を抜けて小道に入って行った。

”あらら!” 青年と少女がついて行ってしまった。

振り向くと、バスが向かって来るところだった。

結局のところ、雑貨屋の前に立ってから、バスに乗るまでの時間は30分ほどだった。


ボロブドゥールのバスターミナルまで、10分ほどで着いた。

バスに乗れてよかった。

バスターミナルからチャンディ・ボロブドゥールまでは、歩いて5分ほど。

チャンディ・ボロブドゥールは、今回で3度目の訪問。

1度目は30年近く前、2度目は20年近く前で、ボロブドゥールの印象は曖昧だ。

インターナショナルのチケット売り場で身分証明書(KTKK)を見せると「ドメスティックで入場できます」と言われた。

外国人価格の大人Rp350,000-が、現地価格になる。

ドメスティックのチケット売り場に移動して、身分証明書を提出する。

電光掲示板にはRp40,000-とあるが、実際に払ったのはRp36,000-。

なぜか、安くなっている。

午前10時に入場した。

遺跡公園だから入園かな。

Candi Borobudur2_2.jpg

回廊を一層二層三層と周りながら、曼荼羅を上っていく。

遺跡公園をあとにしたのは、正午12時を回っていた。

2時間を費やしたことになる。




無教養かなと思われるのもしゃくだから、ネット検索したチャンディ・ボロブドゥールの解説を添付しておく。

ジャワ島中部のケドゥ盆地にあるチャンディ・ボロブドゥールは、カンボジアのアンコール・ワット、ミャンマーのバガンと並ぶ、世界三大仏教遺跡のひとつ。

チャンディは、8世紀に栄えたシャイレーンドラ王朝によって建造されたとされている。

ピラミッド状に積み上げられた建造物は、仏教における宇宙観を立体の曼荼羅として表している。

各層の壁には、釈迦誕生図などの物語がレリーフで描かれ、これらを見ながら上層階に上っていくと、悟りの道が開けるという。

壮大かつ綿密に造られたものながら、完成後まもなくジャングルの中に埋もれ、1000年以上も人々の記憶から忘れ去られていた。

その理由は、火山の噴火によるもの、イスラム教徒の破壊を恐れて埋めたというものなど、諸説が囁かれている。

以上、簡単にまとめてみました。


posted by ito-san at 16:54| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月12日

チャンディ・パオン(Pawon)@ マゲラン滞在!(308)

愛用のカメラが、機能しなくなった。

写真は今日から、スマホ(iphone)で撮ることになる。

チャンディ・パオン(Pawon)の画像から、iphoneからiPhotoに送信できなくなった。

解決策は、ウブドの戻って「和るん・あんかさ」のコテツちゃんに頼むこと。

ブログのアップは、ウブドに帰ってからになりそうなので、支障はない。


さてさて今日は、4月14日(日曜日)。

天気も良いことだし、チャンディ・パオン(Pawon)に行こうと思う。

歩いて行こう・・・と考えたが、チャンディ・パオンまではチャンディ・ムンドックからに2キロ先。

チャンディ・ムンドックまで1時間、さらにチャンディ・パオンまでは1時間は要する。

往復4時間は、老人にはキツイかな。

少々、自信がない。

そんなわけで、乗りたかったローカルバスで行くことにした。

ジョクジャカルタとボロブドゥールを往復する中型バスが、30分ほどに1本の割で通過する。

決まったバス停はない。

幹線道路にT字で交わるところまで出て、雑貨屋の前でバスを待つ。

時間は今、午前11時。

前を通るバスは、すべてボロブドゥール行きだから乗り間違えることはない。

まっすぐに伸びた幹線道路に、バスの姿は見えていない。

雑貨屋に入った。

チャンディ・パオンまでのバス料金を聞くのが目的だ。

アクアとオレオを買って、料金を聞いた。

店を出ると、タイミング良くバスが来た。

「チャンディ・パオン」と車掌に伝えて、運転手の後ろの席に腰を下ろす。

バスは、4分ほどでチャンディ・ムンドックの前を通り過ぎた。

1時間かけて歩いた道は、バスならあっという間だ。

チャンディ・パオンの入口まで、バスの所要時間7分だった。

なんて早いんだろう。

雑貨屋で聞いたバス料金Rp3000-を、車掌に手渡した。

バスを降りた地点から、チャンディ・パオンまでは歩いて10分。

Pawon1.jpg

Pawon2.jpg

チャンディ・パオンの外周をひとまわりする。

これだけの観光地。

もうひとつ工夫が欲しいかな。

土産屋が並んでいるが、購買を誘い商品がない。

売り娘の熱意にほだされて、ボロブドゥール遺跡の写真集を購入。


チャンディ・パオンからチャンディ・ボロブドゥールまでは、一本道。

ゆっくり歩いて約30分だった。

チャンディ・ボロブドゥール遺跡公園の入場料は、地球の歩き方(2018〜19)には25ドルと書いてあった。

今の私には高額。

近いうちには入場するが、今日ではない。

念のために、価格を確かめていくことにした。

チケット売り場は、左手にインターナショナル、右手にドメスティックと別れている。

インターナショナルの電光掲示板には、大人Rp350,000-/子供Rp210,000-。

この金額では、何度も見学することはできないな。

ドメスティックには、大人Rp40,000-/子供Rp20,000-とある。

ここで、あるアイデアが閃いた。

もしかすると、キタス(リタイヤメントビザ)で割引が効くかもしれないゾ。

ドメスティックは、KTP(身分証明書)を掲示している。

キタス所有者の取得する身分証明書(KTKK)も有効かもしれない。

次回、入場するときは聞いてみよう。


遺跡公園前のネットができるカフェで、地元っちの振りをして時間を潰した。

ボロブドゥールからの最終バスは、午後5時と聞いている。

そろそろ戻らなくてはいけない時間だ。

バスターミナルに向かう。 ひなびたバスターミナルに、バスの姿はない。

若い兄ちゃんが、オジェック(バイクタクシー)Rp25,000-で行けと誘ってくる。

料金がRp5,000-なのは、雑貨屋で聞いている。

私は、後学のためローカルバスを利用したい。

しばらくして到着したバスに、飛び乗った。

車掌に町の名前を伝えたが発音が悪かったようで、魚研究所の前で降ろされた。

バダさんに「Ibu Empat」と伝えれば、T字路で降ろしてくれるよ」と教えられた。

Ibu Empat(イブ・ムパット)は、亡くなられたバダさんのお母さんの名前。

レストランの名前が、バス停の名称になるほど有名なんだ、と感心した。

「イブ・ムパット」は、伝家の宝刀のように効き目があった。


posted by ito-san at 18:08| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月07日

バルコンデス @ ジョグジャカルタ(307)

ボロブドゥールからウブドに戻ってきたのは、4月30日。

生活環境の時差ぼけで、パソコンを開く気もおこらず過ごしている。

いつまでもダラダラしておれない。

気力を奮い起こして、ブログを書き始めた。

当分、ボロブドゥールの生活ブログが続きます。


バルコンデスについては「バルコンデス @ マゲラン滞在!(305)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/465218138.html」で説明した。

ジョグジャカルタにも、チャンディ・プランバナン周辺の村々に「バルコンデス」計画があるようだ。

チャンディ・プランバナンは、カンボジアのアンコール・ワット同様に遺跡群の一つだ。

ジョグジャカルタのバルコンデス第一号が大成功しているということで、見学に行くことになった。

先日「kopi mpat」を訪ねて来たShivaValleyさんに招待されたのだ。

4月9日、案内役をかってくれたShivaValleyさんの村にある「CANDI BANYUNIBO」の前のカフェで待ち合わせ。

CANDI BANYUNIBO.jpg


BANYUNIBOへは、マゲランから車で約1.5時間。

村で亡くなった人が2人いて、Shivaさんは儀礼のために少し遅れて顔を出した。

カフェは村人の手で運営されている。

JIP WISATA(4WDツアー)、 乗馬、トレッキング、などのアクティビティもある。

小規模ながら、これも村おこしの一つ。

案内したいところを先に回りたいということで、コーヒーは戻ってからにすることになった。

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私は、Shivaさんの運転するJIP(ジープ)の助手席に乗る。

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ジープは、スズキ・ジムニーだった。

かなりの年代物で、乗り心地はあまり良くはない。

まずは、開発途中のゴア・ジャパン(日本軍が作った洞窟)に立ち寄った。

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ゴア・ジャパンからの景色。

さてさて、これがどうように開発されるか楽しみだ。

私も微力ながらお手伝いできれば、嬉しいな。


そして、大成功をおさめているバルコンデスの施設「TEBING BREKSI」に向かう。

急坂をオンボロのジープが息急き切って登り切ると、断崖が現れた。

鉱山採石場跡地だ。

2015年5月30日、バルコンデスによって観光地に変身。

毎日数千人という観光客が訪れていると言う。

駐車場に車を止めると、目の前に石灰岩の断崖が押し迫ってくる。

断崖は、30メートルと見上げる高さだ。

広大な敷地には大駐車場が完備され、レストラン、フードコートなどが点在している。

ジョクジャカルタの街を一望できる丘に立つ施設は、サンライズ&サンセット・ビューポイントでもある。

時間を忘れるほど、サンセットを堪能。

発着する飛行機の機影が、私の郷愁を誘う。

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隣接するホテルを見学して「CANDI BANYUNIBO」のカフェに戻った。



posted by ito-san at 17:59| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月26日

ジャラン・ジャラン @ マゲラン滞在!(306)

19日の満月の夜「Kafe Mpat」で、アーチストを集めたイベントが行われた。

午後5時からの開場で、ライブ・ミュージックが始まる8時までフリータイム。

コーヒーを飲みながら、オシャベリをする人。

スケッチをする人、景色や満月の写真を撮る人など、それぞれ時間を楽しんでいた。

ライブ・ミュージックは、マゲランの街から来た6人編成で、ギター、ベースに民族楽器を加えたユニークな音色を奏でるグループだった。

客席には、20数名のファンとイベント参加者が。

午後11時過ぎまで盛り上がっていた。

私は、午後1時からバナナ・ペーパー・作りのワークショップをした。

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バナナ・ペーパーは、バナナから作る紙ですが、実ではなくて、実を収穫したあとの不要となった幹の繊維を取って作ります。

南米コロンビアに旅した2015年5月以来のワークショップです。

その時の話は「バナナ紙作り@ CHICHAN(31)」http://itosan-ubud.seesaa.net/article/419931388.htmlを読んでください。

想像以上に簡単に紙ができるのを見て、みな一様に驚く。

興味を持つ人が多く、27日にも開催することになった。

貧しい家庭の子供達を援助している女性は、援助資金を作る手段としてバナナ・ペーパーを考えていた。

一軒のバルコンデスのスタッフも興味を持ってくれた。

人の役に立てるとすれば、幸いなことだ。


今日の本題は、散歩(ジャラン・ジャラン=Jalan Jalan)の話。

ジャラン・ジャランはインドネシア語。

スンダ語もジャラン・ジャランだが、ジャワ語は、まったく違う言葉だった。

インドネシア語も充分に話せないので、今のところ、ジャワ語もスンダ語も覚える気はない。

とは言え、調べてはみた。

ジャワ語の散歩は、丁寧語がMlapah Mlapahで一般語はMlaku Mlakuと教えられた。

バダ一家は、毎週月曜日早朝5時出発の散歩がルールとなっている。

バダさんとワオンさんは「kopi_mpat」を始める前、2人で毎日歩き回っていたそうだ。

1年以上歩き続けて、さまざまなルートを開拓した。

今のように週一でスタッフ参加になったのは、昨年10月から。

強制ではないが、健康にために提唱しているバダさんの意向を汲んで私も参加した。

早起きは苦手だが、9時には戻るので、また寝ればいいだろう。


夜明け前の暗いうちから歩き始める。

散歩の途中で撮った写真を集めてみました。

バダさんのお母さんが経営していたワルン「Bu Empat」の看板。

ウンパットは、3年前に亡くなったお母さんの名前。

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距離が違う看板。

私の目測では、150メートル。



メイン通りとT字で交わる道の角にあるワルン。

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私が前を通り過ぎる時、扉から子供が顔を出していることが多い。



湧き水が豊富なので、魚の養殖が盛んな村。

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この派手な玄関のある建物は、魚研究所と市場とか。


廃墟の窓から顔を覗かせる、この木何の木?。

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チャンディ・ムンドックに立ち寄った。

甘い香りの花が咲く木に出会った。

木の名称はサラ(=SALA)、英語名はキャノンボールと聞いた。

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1人の時とは違った角度から観察できて、新鮮だ。



呼吸法の道場を発見。

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月曜日は休日だった。

日をあらためて訪れるつもりだ。


バリで「トゥンジュン」と呼ばれる蓮の花は、いたるところで見られる。

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我々が想像する、パドマと呼ばれる蓮を見かけることは少ない。

「Kafe Epat」の池にないので、育ててくれるように頼んだ。


バリと似た風景

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こうして、少しずつ土地鑑を育てていくのであった。


posted by ito-san at 22:40| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月18日

バルコンデス @ マゲラン滞在!(305)

マゲラン名物「ミー・ドゴッ(Mie Godok・Mie Godog)」を食べに外食。

ミーというからには、麺料理だろう。

「ミー・ドゴッ」は、Bakmi Godokとも呼ばれる。

初回はスープに甘いソースが入っていたので、2回目をソース無しにしてもらった。

このソース抜きが、日本の薄味ラーメンに近い味で、私には美味しかった。

Rp13,000-、およそ100円。

待つのが長く感じたので、作っているところを覗いてみた。

初回の店は2人前、2回目の店では1人前づつ作っていた。

これでは待たされるはずだ。

5人で入店して注文すると、5人目のミー・ドゴッが到着する前に、最初の人は食べ終わっている。

なぜだかな〜?




ミー・ドゴッもそうだが、マゲランに来て、初めて聞く言葉に出会うことが多い。

「バルコンデス(Balkondes)」と言う言葉も初めて聞いた。

このバルコンデスは、balei ekonomi desaを短縮した新語。

直訳すると、村の経済の建物(意味不明だけど)。

村の経済的発展を助ける制度だそうだ。

現在の大統領ジョコウィ氏が、1年ほど前から奨励した制度らしい。

素晴らしい制度などで、紹介したい。

国営企業が、村々に金銭的援助をする。

日本円でおよそ850万円と言われる。

インドネシア国営の企業は、電気、ガス、水道、石油、電話、電車、セメント、航空、などなど20社以上はある。

援助企業は、経営に口出しをしない。

そのために、専門的な管理会社が設立されている。

管理会社は、バルコンデスを観光地としてPRするのが役目だ。

バルコンデスは、村所有の土地を利用して作られる。

宿泊施設をメインにして、レストランや土産物店などが付設されていることが多い。

村の特徴を探し、特色を持った経営が望ましい。

管理会社は、1年から3年の間をサポートする。

サポート期間の間に、村人に経営ノウハウを取得してもらい、村営として成り立つようにアシストする。

その後は、自力で経営しなければならない。


バルコンデスは、世界遺産のあるボロブドゥールとジョクジャカルタで見られる。

ボロブドゥールには20の村があり、それぞれにバルコンデスがある。

そのいくつかの村を見学した。

村によって意気込みが違うのを感じた。

興味深い試みなので、成功して欲しいと願っている。

以下に、4つのバルコンデスの写真をアップします。

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posted by ito-san at 18:25| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

チャンディ・ムンドゥ @ マゲラン滞在!(304)

インドネシアの大統領選挙を今月4月17日に控えて、各地で集会が催されている。

ジョコウィ氏の再選、プラボウォ氏の挑戦、軍配はどちらに?

この3〜4日、夕刻まで、幹線道路から爆音が聴こえてくるので「何事か?」とバダさんに聞くと。

大統選挙の立候補者を応援するデモンストレーションで、公道をバイクでアピールしているのだそうだ。

動画は、昨日13日のデモンストレーションの模様です。



マゲランには、幾度か訪れているが、まったく土地鑑はない。

自分の居住する現在地を把握するのは、必修だ。

将来的に移動手段は、バイクに乗るつもりでいるが、まずは、近場を歩いて探索するつもりでいる。

マゲランは、ジョクジャカルタと同じ盆地にある。

ケドゥ盆地と言うらしい。

私の居住している小屋からも、360度、遥か遠くまで平野は続く。

テラスから西方を望むと、稲穂の波と椰子林の向こうに、峰々を背にしたチャンディ・ボロブドゥールのシルエットが薄っすらと見られる。

遺跡は、お椀型の小高い丘で、乳頭が少し尖っているが、おっぱいのように見える。
ボロブドゥール遺跡の見学は、次回に残して、まずは近場の観光地「チャンディ・ムンドゥ(Mendut)」に行くことにした。

チャンディ・ムンドゥは、ボロブドゥール周辺の寺院遺跡群の一つであり、チャンディ・ボロブドゥールについで有名なところだ。

遺跡群は、西暦8世紀から9世紀に建立されたとか考えられている。

チャンディ・ムンドゥは、通算2度目の訪問。

前回は、チャンディ・パオンと共に見学した記憶がある。

20年ほども前の話だ。


4月6日、道草をしながら1時間ほど歩いて、チャンディ・ムンドゥに到着。

入場料金は、チャンディ・パオン(Pawon)の2カ所が見学できてRp3,000-。

プラス、保険料のRp500。

勉強不足で、チャンディ・ムンドゥの詳細は知らない。

まずは写真に残すことにした。

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出入り口の隣に、日本軍戦没者の墓が、ひっそりと建っていた。

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大東亜戦争の名残だ。

太平洋戦争、第二次世界大戦の呼び名もある。

日本の宗教団体(創価学会)の援助で建てたと言われる仏教寺院にも入った。


帰路のこと。 お腹の調子が悪くなった。

普段でもお腹はゆるいが、マゲランに来て辛い物を食べている。

それが原因で、下痢になったのかな。

あと100メートルで小屋に着くというところで、辛抱たまらず小川に飛び込んだ。

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久しぶりの川厠(かわかわや)。

こんなところが、田舎の良いところだ。


小屋に戻り、「地球の歩き方・インドネシア編」を見ると、シャイレンドラ王朝の8世紀末〜9世紀初に建立されたとに載っていた。

チャンディ内の中央に如来像、左手に観世音菩薩、右手に文殊菩薩。

中央如来像の高さは3mと言われる。

興味がなかったので、全く知らない。

おいおい、調べることにしよう。


posted by ito-san at 18:00| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

チャンディ・ボロブドゥール @ マゲラン滞在!(303)

フェイスブックのサービスには面倒なものが多いが、有難いサービスもある。

過去の思い出を振り返ってくれるサービスは、物忘れの激しい私には嬉しい。

ブログを始めたことをフェイスブックに投稿したのは、6年前(2013年)の4月5日だったようだ。

実際には「2013年03月05日:はじめ no 一言(1)」から始まっている。

4年前のこの日は、南米コロンビアでマネーチェンジにトラブっていた。

こんなことをしてたんだと、懐かしい。

昨年のバイク事故は、4月4日。

翌朝5日の手術あと「アパ?情報センター」のワヤン君がお悔やみコメントをフェイスブックにアップしていた。

その節は、皆様に、ご心配をおかけしました。

励ましの言葉を、たくさんいただきました。

クラウドファンディングにも、協力してもらいました。

傷は完全には癒えてませんが、元気に日々を送っています。

そして、只今、マゲラン滞在中。


バダさんには、4月行くよと伝えてある。

「伊藤さんがこちらに居る時の家を今建ててる」の、メッセージとともに写真が送られてきた。

「場所はこの前使った家の池の向かいにあって、少し離れるが誰にも邪魔されず、ゆっくり住めると思います」

「周り田んぼで、遠くにチャンディ・ボロブドゥールがベランダから観れて、サンセットが楽しいです」

暖かい言葉とともに、建築中の経過が送られてくる。

「小さな木の家ですけど」

「中古の木を使っています」

テラス部分を残して、建物が出来ている。

「来週中には出来上がる予定です」

「建てたら、写真を送ります」

あっという間に、完成していた。

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まさかと思っていたら、こんな立派な小屋が完成していた。

小屋を目の前にして、本当に作ってくれたんだと感動する。

今、この小屋に泊めてもらっています。

毎日朝食は、敷地内で採れたヤングココナッツをお願いした。

ボロブドゥール遺跡が見えるテラスで・・・・・

飲みながらノンビリ・・・・

爽やかな風が通り過ぎる・・・・

流れる水の音、落ちる音・・・・

夜は、虫の音、蛍の光。



夕陽をお楽しみください。



夕食は、先回、お気に入りになったマゲラガン(Mageragan)をリクエスト。

マゲラガンは、ナシゴレンとミーゴレンが一緒になった地元マゲラン料理。

ナシゴレンとミーゴレンは、どちらも私の大好物。

これでRp10,000-は、安いでしょう。

マゲラガンをブンクス(弁当)。

mageragan.jpg


快適生活。

さあ、これから何しようかな?

posted by ito-san at 22:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月04日

長距離バスに乗ってジョクジャカルタへ!(302)

ジョクジャカルタへ行く。

昨年(2018年)11月17日、バダさん&リカさんの結婚式に訪問して以来だ。

(バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(285)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/462995643.html

今回は、長距離バスを利用することにした。

長距離バスを利用するのはジャカルタを往復した1990年と、数年前にジョクジャカルタからバリまでの復路の2度経験している。

トラックとバスが繰り広げるチキンレースに、肝を冷やされた記憶がある。

1990年のチキンレースは、おちおち眠っておられないほど、凄かった。

あれから年月が経過し、道路も整備され、運転のマナーも改善されたであろう。

久々に、長距離バスに乗ってみたいと思った。

それに「SAFARI DHARMA RAYA」のバスが、マゲランの目的地から2キロの地点(palbapang)に止まってくれるのもありがたい。

チケットは、ウブドの「プラマ・シャトル」で扱っている。

2週間前に購入して、座席を前列の左「1A」を確保した。

料金Rp250,000-。

バリの発着地は、ムングイに完成したバスターミナル。

友人に送ってもらい、いよいよ出発。

ジョクジャカルタまで16時間のバスの旅が始まる。

心配なのは、腰が痛くならないかということ。

4月1日:午後3時発のバスは、2時30分に変更となり、実際には2時43分に発車した。

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おやつが配られた。
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バリ島西端にあるフェリー乗り場ギリマヌク港に、到着。

6時10分、フェリーはギリマヌク港を出て、対岸の街バニワンギのクタパン港に向けて直進した。

フェリー内でバスから降りるタイミングで車掌に、palbapangでの下車を願いして、Rp50,000-の付届けた。

運転手&車掌の交代があるかもしれないが、ここは運に任せるしかないだろう。

(運転手2名、車掌1名は、運良く最後まで変わることはなかった。)

バニワンギは、10月11日のバイクの小旅行以来。

この時の乗船では、警察によるパスポート(フォトコピーを使用)と荷物のチェックがあった。

チェックは、テロ対策だろう。

その時の話は「突然、思い立ったように小旅行・その3(280)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/462332028.html」に書いた。

バスでの乗船では、何のチェックもなし。

チケット購入の際に、身分証明がされているからだろう。

フェリーでは、バニワンギ出身のおじさんに声をかけられ、1時間の船旅を退屈することなく過ごすことができた。

7時36分、バニワンギ港に上陸。

10時00分〜40分、ドライブインにて夕食。

おやつと夕食がついて、Rp250,000-の乗車券は安い。

付届けのRp50,000-を足してもRp300,000-

puritama1.jpg

puritama2.jpg


今回、非常に気になったのがバイク。

車掌がひんぱんに「アワス=Awas=気をつけろ!」と声を発するので見ると、バイクがバスの前に入って来るところだった。

車高の高いバスは、フロント前の足元が見難い。

バスのスピードを考えず、突然、車道に入ってくるバイクに「アワス!」。

沿道を走る不安定走行のバイクに危険を感じ「アワス!」。

もっと恐ろしことを、夜になって目撃。

街灯が乏しい道は暗い。

バスの前を走るバイクの姿は、ボンヤリとしたシルエットで見えるだけ。

前から来る車のライトで照らされた時だけ、浮き上がる。

私が運転していなら、追突してしまいそうだ。

なぜ、こんなに見難いのかと考える。

テールランプが点いていない。

赤く光る反射板もないのだ。

きっと、ヘッドライトも灯ってないだろう。

追い越したバスから振り変えると、ヘッドライトの心細い灯が見えた。

完璧な未整備車だ。

かなり年代物のバイクが走っている。

ほとんどのバイクがこんな状態。

これでよく事故が起きないものだと感心する。


途中2度、時間調整のような休憩をした。

ジョクジャカルタに着いたあたりから、スマホでバダさんと連絡をとる。

翌朝2日の9時に「palbapang」に降り立った。

バダさんが、迎えに来てくれていた。


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2019年03月24日

ココナッツ石鹸作りに挑戦!(301)

ジョクジャカルタ・マゲラン滞在に向けて「巻き寿司作り」以外に、もうひとつ挑戦したことがある。

タイトルにもある「ココナッツ石鹸作り」だ。

バダさんの経営するカフェには、地下水が大量に湧く泉がある。

泉水は、近隣の家々に配られている。

この泉の湧く場所で、時々、村人がマンディ(水浴び)をする。

その時、持ってきた石鹸の包装紙を捨てていく。

バダさんは、そのゴミがいつも気になっていた。

石鹸をこちらで用意すれば、ゴミはなくなるかもしれない。

前々から、石鹸を作りたいと考えていたようだ。

この話に、私が乗ったというわけだ。

石鹸作りは、以前に挑戦したことがある。

「ブンブン・カフェ」を開店した20年前だ。

ワルンやレストランから廃油を引き取って、リサイクルできないかと考えていた。

「居酒屋・影武者(現在の和食・影武者)」で廃油を分けてもらい、挑戦した。

みごとに失敗に終わった。

苛性ソーダ(水酸化ナトリウムの通称)を加えるのを知らなかった。

そりゃ、固まらまらないわ。

苛性ソーダは固めるために使うのかな?

加水分解されて石鹸になると説明されても、わからない。


作り方は「巻き寿司作り」同様に、「YouTube」で検索した。

これも、様々な動画が出てくる出てくる。

親切丁寧で、手に取るように理解できる。

見ているだけで、できる気になってくる。

まずは、必要な物を揃える。

材料は、ココナッツオイルと精製水と苛性ソーダ。

これだけで、石鹸はできる。

ココナッツオイルは、私が売っているのですぐに手に入る。

精製水は、アクア(飲料水)で代用。

苛性ソーダは、インドネシアでは「ソーダ・アピ」という名前で建材屋で売っている。

計量する必要があるので、ポータブルのハカリを買った。

微妙な温度調節のために、温度計が必要だ。

初めは「和食・影武者」で借りていたが、マゲランに持っていく必要があるので、購入する必要があった。

ネット通販で買おうかなと思っていたら、デンパサールのレノン地域に開店したダイソーでRp28,000-で売っていた。

目盛りは200℃まである。

あとは、手鍋と攪拌棒。

熱源は携帯コンロ。

さあ、用意はできた。

coconut_oil.jpg

参考にしたYouTubeでは、

材料、ココナッツオイル:500g・精製水:150〜170g・苛性ソーダ:85gだった。

1)苛性ソーダと精製水を混ぜて、苛性ソーダ水溶液を作る。
  水溶液は、60〜80度になる。

2)ココナッツ・オイルと苛性ソーダ水溶液を、40度の同じ温度にする。

3)同じ温度になったら、ココナッツ・オイルの入った容器に苛性ソーダ水溶液をゆっくり注ぐ。
  30分、トレース状になるまで、ゆっくり混ぜる。 

4)型に流し込む。
  1日、保温して寝かす。

5)寝かした石鹸を取り出す。

6)使いやすい大きさに切り分ける。

7)切り分けた石鹸は、風通しの良いところで乾燥・熟成させる。
  1年未満でも3ヶ月経てば使えますが、肌に刺激を感じるかも。
  少なくとも半年以上はしっかり熟成させてください。

8)これで出来上がり。


2018年12月から、2019年1月2月3月と隔月で制作。

数ヶ月、風通しの良いところで熟成させると良いと書かれてあったので、違いのチェックにそうしてみた。

合計で、5回作った。

ココナッツオイル:500g・アクア水:160g・苛性ソーダ:80gで、3回。

その後、ココナッツオイル:500g・アクア水:100g・苛性ソーダ:50gで、1回。

そして、ココナッツオイル:500g・アクア水:160g・苛性ソーダ:60gで、1回。

苛性ソーダの量を、それぞれ違えて実験してみた。

アクア水:100g・苛性ソーダ:50gの石鹸は、しっかり固まらない。

苛性ソーダは水に溶かすと発熱するので、アクア水に苛性ソーダを少しずつ入れて溶かしていくほうが良さそうだ。

水溶液中の苛性ソーダ小片が気になるので、小片が見えなくなるまで、よく撹拌する。

以前、市販されている石鹸で、ピリピリしたことがあった。

あれは、苛性ソーダがよく溶けていなかったのではないかと思う。

ココナッツ・オイルの入った鍋に、水溶液を加える。

アルミ製手鍋は腐食したので、ホーローかガラスの鍋を使った方が良いだろう。

30分ほど攪拌するうちに、乳白色に固まってくる。

参考YouTubeにはトレース状になるまでとあるが、型に流し込んでもよさそうな硬さになれば良しとした。

石鹸は、柔らかいうちがカットしやすいので、翌日に切り分けた。

ワイヤー&カッターナイフ、最終的には包丁でカットしたが、どれも上手くいかなかった。

これは、マゲランに行ってからの課題とした。

乾燥・熟成1ヶ月の石鹸を使ってみたが、ピリピリ感はなかった。

最終的には、初期に実験した分量が良しと結論した。

作った石鹸を携えて、4月1日は出発だ。

マゲランでも作るゾ!


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2019年03月17日

バリで温泉 @ キンタマーニ(300)

バリ島随一の景勝地、キンタマーニ高原。

高原と言っても、実際は外輪山のこと。

バトゥール山とアバン山に挟まれたバトゥール湖を、外輪山から眺める。

展望台があるところはペノロカン村だが、この一帯がキンタマーニ高原と呼ばれている。

眺望に、自然に涙が溢れたのは、初めて訪れた30年も過去のことだ。

バトゥール湖畔のトヤ・ブンカ村には、温泉が湧き出ている。

温水プール施設のある「Toya Devasya」に行ってから、すでに10数年経っている。

「Toya Devasya」ができる前には、波打ち際にある浅い池に地元の人と一緒に浸かった。

外輪山に囲まれた夜空は、プラネタリウムのような満天の星。

流れ星を眺めての温泉は、格別だった。

数年前、「Toya Devasya」に隣接して「Batur Natural Hot Spring 」がオープンした。

一度は行ってみたいと思っていた。

今回、友人母子(Sさん&A君)が来ウブドしたのを機会に、希望を叶えた。

私の娘ほどの年齢のSさんと、その息子A君。

A君のバイク乗りは、今回で3度目。

かなり慣れてきている。

しかし、お母さんの乗せてのツーリングは、もう少し経験が必要だろう。

A君は一人乗りで、私がSさんを乗せる。

カルデラを登り下りするに「スクピー」の2人乗りは心もとない。

Sさんには内緒ですが、ひとまわりパワーのあるバイクに交換した。

バイクを2台連ねて、いざ出発!!

パノラマの美しい外輪山のカフェで、ドリップコーヒーを飲みながら小休止。

急坂を下ると、湖の景色が開けてくる。

湖の北端にあるソンガン村に直行。

ここには、有名な「ウルン・ダヌ・バトゥール寺院」のルーツの寺院が残っている。

湖面に浮かぶ「湖の女神」像を、遠目から見学。

ソンガン村からバトゥール山の北面を目指す。

ここには、A君に見せたい景色がある。

大自然の脅威で驚異の溶岩流。

溶岩流を目の当たりにして、自然の力を思い知らされるだろう。


さてさて今回のメインイベント、トヤ・ブンカ村の「Batur Natural Hot Spring 」だ。

「Toya Devasya」の隣と聞いていたので、探すのに少し苦労した。

温泉は隣接しているが、入口はかなり離れている。

Rp190,000-を支払って入場。

水着に着替えて、プールに向かう。

湖畔に並べられたデッキチェアの下には、湖水が侵入している。

これは故意にしているのか、湖面が上がったのか?

湖から2番目のプールの温水が、私にはちょうど良かった。

アバン山とバトゥール湖の景観を見ながらの温泉。

あ〜気持ちいい!

バスタブのない部屋で下宿しているので、湯に浸かるのは何年ぶりだろう?

もっかのささやかに夢は、バスタブのある生活だ。

快い疲れを感じながら、帰路に着いた。


帰宅してから、ブログを書くのに「地球の歩き方」開いてみた。

トヤ・ブンカの温泉プールのコーナーに「Toya Devasya」と「Batur Natural Hot Spring」の情報が記載されている。

「Toya Devasya」のほうが料金が高いところを見ると、施設が整っているのだろう。

遠目にも、繁盛しているように見受けられる。

「Batur Natural Hot Spring」の入場料は、Rp150,000-(1名)・ランチ込みのパッケージでRp18,0000-となっている。

値上がっている。

入場券には、ランチは含まれていないが、ウエルカムドリンク、タオル、ロッカーはサービスだった。

アラアラ〜、しっかり見るべきだった。

タオルもロッカーも、我慢したのに。

そういえば、サービスコーナーのような小屋が建っていたな。

あそこで相談すれば、インクルードのウエルカムドリンクももらえたかも。

昼食は、ナシゴレンとコーヒーでRp50,000-ほどだったと記憶する。

こんな失敗をしたが、Sさん&A君も満足している様子。

次回というチャンスがあれば、「Toya Devasya」に行こう。




posted by ito-san at 15:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする