2020年08月05日

ウブドは今、閑古鳥が鳴いている!(340)

バリ州政府は、7月31日より、国内観光客に対して観光を再開する旨の発表をした。

これで、少しでも観光業が潤えばいいな。

国内観光客にはインドネシア在住の外国人も含まれるが、海外からの観光客は含まれない。

海外からの観光客受け入れは9月からと言われているが、どんなもんでしょう。

まず、日本人の来バリ島は無理でしょうね。

それぞれの村にもバリ州から指示書が配布されているようです。

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観光地(kanko-chi)ウブドは今、閑古鳥(kanko-dori)が鳴いている。

ウブドは、閑古鳥が啼くゴーストタウン状態です。

自粛が緩んだ今でも、閉店、休業中のシャッターが目立ちます。

見ると心が沈みますよ。

すれ違う人も心なしか、元気がないように見える。

観光客ゼロのバリ島の懐具合は、寂しいと思います。

しかし、バリ人は逞しいのだ。

道端には、弁当や揚げ物などなどの店が、続々と登場。

ネットで、野菜やスイーツなどなどの販売。

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「なるようにしかならない」と考えるのか、日本人のように悲観感は漂っていない。

時の流れに身をまかせるように生きている。

楽しい会話の中に包み込んで陰にならなければ、落ち込まない(暗くならない)ですむ。

「果報は寝て待て」と言ったところか。

今回の新型コロナウイルス感染症が、「災い転じて福となす」になればいいな。



在デンパサール日本国領事館からのメールを掲載します。

バリ州に入域する際の諸要件に関しては、変更はない。

国内観光客がバリ州に入域する際の諸要件に関する通達(骨子)

1 認定機関が発行したPCR検査陰性証明書、あるいは迅速抗体検査(Rapid検査)陰性証明書の提示。

2 同証明書の有効期限は発行日から14日間。

3 有効な同証明書を提示した観光客は症状がない限り同検査の受検が免除される。

4 同証明書を提示できない観光客はPCR検査、あるいは迅速抗体検査を受検しなければならない。

5 迅速抗体検査結果の陽性者は続いてPCR検査を受検しなければならない。同検査結果が出るまでの間バリ州政府が指定する機関で隔離される。

6 PCR検査結果の陽性者はバリ州に所在する医療機関に入院し看護を受ける。

7 検査費用及び入院等のかかる費用は観光客が負担する。

8 すべての観光客はバリ州に入域する前にLOVEBALI(https://lovebali.baliprov.go.id)にアクセスして同アプリをインストールしておかなければならない。

9 観光客はバリ州に滞在する期間、以下の新時代における生活秩序のプロトコールを実践しなければならない。

a マスクの着用

b 手洗い等の励行

c 他者と1m以上間隔を開ける

d 清潔かつ健やかな生活を営む

e くしゃみや咳をする時にハンカチ等で鼻・口をふさぐ

f 目・鼻・口など顔の表面を直接に手で触らない

g 体温計の携行

h 携帯電話等身の回り品を清潔に保つ

i 新型コロナウイルス感染防止に協力する

j 他者との身体接触を避ける

10 観光客はバリ州に滞在する間、安全確保のためスマートフォンのGPS機能をオンにすること。

11 観光客はバリ州に滞在する間、LOVEBALIアプリを通じて体調不良や問題を通報することができる。

12 観光客は本通達の諸要件に従わなければならない。これに違反した場合は法により処罰される。


こんなに面倒な手続きが必要だけど、旅行する人がいるのかな?

なにはともあれ、経済の活性化は必須でしょう。


posted by ito-san at 15:34| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

SKTT(居住地証明証)・2度目の申請は楽勝!(359)

私のパスポートの延長期限は、今年12月末日。

5年間の延長が終わったので、新規取得のためにシンガポールの出国する必要がある。

新型コロナウイルスの影響で、出国できるのか不明だが、準備をしておくことは大事だ。


今年もビザの申告用に、SKTTを入手しなければいけない。

リタイヤメント・ビザを取得するに、必要な書類のひとつ。

SKTTとは、Persyaratan Surat Keterangan tenpat Tinggal=居住地証明証のこと。

インドネシア人のKTP(Kartu Tanda Penduduk=住民登録証)のようなもの。

3月末、書類を揃えてギャニアールにある市民登録局(Dinas Kependudukan dan Pencatatan Sipil)に出向いた。

あいにく役所は、その日から新型コロナウイルスの影響で業務を停止されていた。

そして、外出自粛にはいった。

提出書類は、11種類ある。

詳しくは、2019年02月24日:■SKTT、四苦八苦の結果入手!(296)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/464294839.htmlで。

もっとも手間取るのがドミシリー。

居住地の集落(バンジャール)の長が所有する書類に、長のサインをもらう。

就業しているので、在宅を狙うのが大変。

金銭を請求する悪習が残っている、集落長もいる。

集落によって金額も異なる。

ドミシリーが欲しいのは外国人だからと、法外な金額を請求する集落もあると聞く。

作成しない決まりのある集落もあるようだ。

このあと、集落長のサインの入った書類をウブドの役所に持っていく。

所長のサインをもらうためだ。

所長がオフィスに居れば、ラッキー。

スムーズにことが運べば、2〜3日で出来上がる。

ドミシリー以外にも金銭出費と手間時間がかかるという理由で、SKTTをビザ代行業社にお願いしている人が多い。

どんなテクニックがあるのか、SKTTの手続くを省いてKITAS取得をしている。

私は、入場料金がドメスティック価格になるので、是非SKTTを取得したい。

ボロブドゥール遺跡&プランバナン遺跡の入場料金が、外国人ツーリストは30ドル以上するが、地元価格だとRp4万だ。


4月15日、市民登録局に再度訪問。

ものものしいディスタンス状態になっていた。

インドネシアもやるときはやるのだ!

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なぜか客は、私以外に1組の男女だけだった。

申請用紙を預け、金曜日にできると伝えられた。

金曜日(17日)に行くと、建物の外で熱検査の鉄砲を額に当てられる。

36.5度で、無事通過。

受付に行くと、月曜日(20日)朝9時に変更された。

こういうことは、良くある話で、どうってこともない。

バリ人の信仰するヒンドゥー教の中に、3つの教えがあるそうな。

怒らない(Jangan Marah!)

嫌わない(Jangan Benci!)

逃げない(Jangan Minggat!)

彼らはこれを、小学校から習うと聞いている。

人間関係には、必要なことだ。

だから私も、怒らない。

そして、月曜日。

5分も待たず、手に入れることができた。

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昨年と同じ写真を使用。

現在の私は、白いヤギ髭をたくわえている。

使用できる期間が残り5ヶ月しかないが、とりあえず一安心。


posted by ito-san at 12:55| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月24日

バリの風物詩・凧あげ(Layang-layang terbang)(358)

会う人会う人が、暗い話ばかりする。

それは、新型コロナウイルスに対する憶測。

それも、本人に都合のよい推測でしかない。

できることなら、明るいニュースが聞きたい。

不況を吹き飛ばす、前向きな情報はないのか。


吹き飛ばすと言えば、凧ですよね。

かなり無理のある、こじつけですが。

この季節、バリは凧揚げのシーズンです。

毎年7月、8月、9月は、オーストラリア方面から吹く風が凧揚げに最適で、青空に凧が飛び交う。

バリの風物詩ともいえる。

サヌール海岸の「大凧大会」は、海外からの参加もあり有名ですが、ほかの地域でも開催されている。

大凧は、トラックの荷台からはみ出すほどの大きさ。

トラックの前後には、応援隊のバイクがガードしていて、他の車両を寄せ付けない。

そんなことで、この時期は、凧渋滞となる。

今年は、コロナの影響で中止になったようだ。

しかし、こんなことでバリ人はメゲません。

青空に浮かぶ凧は、いつもの年より多い。


プリアタンにある「凧資材屋」が大繁盛。

竹、ラタン、生地、テグスetcなどが売られている。

通りのあちらこちらにも、にわか「凧屋」がオープン。

これって自粛景気?

凧Rp10万etc、骨組みRp3,5etc。

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我が下宿の家族も、凧揚げが大好きだ。

コマン君が幾つも作っている。

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揚げているところを撮影させてもらった。

遠くを見て、風を読んでいる。

大きな樹の先の揺れを見ている。

30分以上も待つこともある。

糸を引くタイミングも難しそうだ。

毎回、風に乗り切るまで、ハラハラして見ている。

上げ終わり凧が安定すると、テグスをどこかにくくりつけ、その場を後にする。

いったい何も楽しんでいるのだろう。

パチュン君に聞いてみた。

「上がった凧を見るのが楽しんですよ」と言う。

凧揚げは、大人の遊びのようです。



凧を風にのせるタイミングの緊張感を共有してください。


星の瞬きが多い夜だ。

他の惑星に来たような、錯覚をする。

こんな美しい星空を見るのは、初めてだ。

自粛で、空気が綺麗になったのか。

それとも、私が覚醒してしまっているのか。

バイクを止め、目を凝らして夜空を見上げる。

瞬きが、微かに揺れている。

さらに目を凝らして見ると、ドローンのように浮遊する光がある。

ここで、気がついた。

これは凧だ!

凧に、点滅電球がついているのだ。

今年のブームは、電飾凧か。

バリ人の遊び心に、感心するやらウットリするやら。


こんな凧にも、バリの風物詩だと悠長なことを言ってられない事故がある。

失速して落下した凧は、見つけられない場合は放置される。

樹木や電線に引っ引っ掛かって、ゴミと化した凧。

問題は、透明なテグス糸だ。

電線や枝に掛かったテグスは、バイクや歩行者を危険にさらす。

規制が必要になるかもしれない。


私が下働している「アパ?情報センター」では、来年の今頃、コロナが終息していることを願って新企画を立てたようです。

《 親子で凧揚げ!・ツアー 》

期間は、2021年7月、8月、9月。

無風、雨の日は、中止です。

鬼が笑う来年のことですが、予約受付中。


posted by ito-san at 16:11| Comment(5) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月19日

「東インド諸島への航海」追記(357)

興味深い記載が2箇所あったので、追記します。


《 流刑の地だったヌサ・ペニダ 》

バリ島上陸:1596年1月28〜2月21日


*現在、リゾート地として人気の「ヌサ・ペニダ」が、かつて流刑の地だったという、現実がある。


10ないし12年前のこと、王の近親の1人が多数の兵士を集めて大がかりな陰謀を企てた。

宮殿を襲って王を殺し、みずからその座につこうとしたのであるが、露顕して、ことごとく捕らえられて死刑を宣告された。

しかし、王はこの者たちを不憫に思い、その宣告を改めて流罪に処することとし、バリの南東にあるプロー・ロサ(5)すなわち荒島と称する荒涼とした未開拓の島に追放したのであった。

 (5)マライ語でプラウ・ロサ。「鹿の島」の意。バリの東南にあるプニダ島をさす。なおプニダpenidaもバリ語で鹿を意味する。

かれらは今なおこの島に住んでいて、そのバリの王に服しているのだが、バリ島に帰ることは許されない。

かれらには大勢の部下や奴隷がいたから、今日、この島は非常に良く開墾され、人口もいちじるしく増えている。

家畜の繁殖もおびただしい。

島民はバリの住民と同じく異教徒である。

(*ここで言う異教徒とは、バリのヒンドゥー教のことだ)


《 ジャワ・芸能 》

「第32章 ジャヴァの農民、小作人および奴隷について」


中部ジャワの王都スラカルタSurakartaでの光景

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かれらは銅鑼をならす。

またかれらは当時〔ホラント〕で塔の上で〔鐘を鳴らす時に〕使うような調子で音楽を奏でる。

(*:バリでは、クルクルと呼ばれる伝達手段の道具で、木洞や竹筒で作られている)

それらの銅鑼は銅で鋳造されているから、とても響きがよい。

これは人々を国王の名のもとに呼び集めようとする際にもかれらは人々にわれわれと売買をさせるのにそのようにした。

もっとも、われわれはそのことほとんど気づかなかったのだが」(第34図)

かれらは男も女も、鋼鉄の板の上にのせた数本の葦〔竹〕がならす音に合わせて踊る。

それはオルガンもしくはクラヴサンに似ている。

かれらはまた節をつけてうたいながら、腕と脚をのばし、巣から這いだして来た犬のように全身をくねらせる」(第35図)

(*ジャワのヒンドゥー教徒の芸能は、バリ芸能のルーツと考えられる。
この舞踊の影響を受けている舞踊を知らない)

*人々や服装が西洋風になっているのは、実写ではないからだろうか。

舞踊も聞き描きかもしれない。


posted by ito-san at 15:06| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月15日

「東インド諸島への航海」著者:ハウスマン(356)

1959年の航海記を読んでいる。

ホラントの船隊が遭遇したもろもろの冒険の物語とともに、同船隊が渡航した地の民族の特質、宗教、風俗、経済およびそれらの諸民族のもとで見出される貨幣、香料、薬種、商品ならびにその価格に関する詳細な記録等々をおさめたインディエの物語。

バリに関係のある「第42章 なぜ、船隊はバリ島に来たか、そして、そこでどんなことが起こったか」

「第43章 バリ島の記述」から、興味ある記事を抜粋しました。


バリ島上陸は、1596年1月28〜2月21日。

クタ海岸に立ち寄ったのち、バドゥン半島を迂回してパダンバイ海岸に立ち寄ったようだ。

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14世紀末、バリはゲルゲル朝の始まり。

1515年、ジャワのマジャパイト朝瓦解。これ以降、バリ独特のヒンドゥー文化が醸成されていく。

16世紀半ば、ゲルゲル朝の最盛期。バリ宗教文化の原型が作られた時代と考えられる。

ハウトマンの一行がバリを訪れた頃には、東海岸のゲルゲルに王がいて、バリ全体を支配していた時代。

本書に、奴隷や奴隷の売買があったことが記せられているのに驚かされた。


《 バリの貴族の輿》

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バリ島の貴族たちは宮廷に赴いたり、国内を旅行する際には屋根のついた担ぎ椅子すなわち輿に乗って、それを奴隷の肩にかつがせる。

それはバンブーという太い葦〔竹〕でできている。

貴族たちはそれに乗って非常に早く道を進んで行く。

こうした担ぎ手は数多くいて、たえず交代している。

護衛兵や鉾槍兵がその前後を多くの槍や吹矢筒や盾を持って騎馬や徒歩で進む。

婦人たちはベテレの小箱や水壺を持って、そのあとに従う。

写真説明:輿に乗って4人の奴隷に担がせ、その前を約20名の従者がそれぞれ紅白の長い綿の房飾りをつけた長い槍を持って歩いて行く。


《 バリ王が乗る牛車の図 》

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王は、次の図〔第59図〕に見られるような車に乗ってその岸辺に来た。

美しく彫刻した車を、きれいな布を掛けた2頭の白い水牛に引かせ、穂先を金めっきした長い槍と吹矢筒を持った護衛兵に先導されて来たのである。

王の要望により、ホランディア号も数発の礼砲をもってこれに答えた。

翌日、王はさらに4樽の水を船に送って来た。

△ネーデルランド(オランダ)人が描くと、バリ人も欧米人風になっちゃうんだ。


《 寡婦殉死の掟 》

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バリでは、夫が死ぬとその遺体と一緒に多くの妻が白檀に多量の油をそそいで焼かれる、という無残な慣習がおこなわれている。

夫とともの焼かれる女は夫への愛をつらぬく貞節な妻であり、夫についてあの世に行き、そこで生活を共にするのだという。

この慣習はインディエでもおこなわれているが、最初これを定めたのは、ある王であった。

女たちが夫に厭きて他の男を愛するとか、些細な理由から、さまざまな手口で夫を毒殺したためである。

すなわち、かかる女たちによって国の要人の命が失われていくのを見て、その王が、これを激しく取り締まるためにこの法(ウエット)を定めたものである(6)。

われわれのバリ滞在中、ある大官が死亡して、その遺体とともに50人もの女たちが生きながら焼かれるという話だったが、それはまことに恐るべて光景に違いなく、われわれの誰ひとり見に行こうという者はなかった。

  (6)これはヒンドゥー教の定める寡婦殉死の掟である。
バリ島の文化はヒンドゥー=ジャヴァ文化を基盤として独自の発展をとげたもので、この殉死の風習もヒンドゥー文化の一要素として行われていたらしい。
なお殉死の起源に関する説明は『東方案内記』351ー352頁に基づいている。

△高い塔(遺体をバデに担ぎ上げる時に用いる階段のような)から身を投げる図を見て知っていたが、直接、火に飛び込んでいたとは。
オランダ統治時代に、この慣習は禁止された。

バリに関する日本語訳された文献は少ないので、この航海記は興味深く読めた。


posted by ito-san at 13:13| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月10日

バリ人の信仰するヒンドゥー教の二元論について考える(355)

今回は、バリについて考えてみた。

大層なタイトルをつけましたが、たいした話にはなりませんでした。


バリ関係の本を読むと、次のように説明されることが多い。

「バリのヒンドゥー教は、すべての物事は善と悪、生と死といった形で必ず相反する事象で成り立っているされている。それらのバランスが維持され共存する世界といえる」

この考え方を「二元論」というそうだ。

ウキペディアで検索すると、

「二元論(にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する2つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など」

とあるが、チンプンカンプンだ。

ひとつの価値は、対極にある価値に引き立てあって意味が生まれる。

ひとつだけでは何も産まれない、と言うことのようだが、私の頭脳は明確には理解してくれない。

例えば、天と地、善と悪、陽と陰、聖と俗、生と死、明と暗、夜と昼、浄と不浄、表と裏、白と黒、男と女、などなど。

ウキペディアには「二元論的な考え方は、それが語られる地域や時代に応じて多岐に渡っている」と付け加えられている。


では、バリの二元論はどうなんだろうか?

バリでは、善と悪については重きを置いていない節を感じる。

私と同じで、性善説かもしれない。

芸能の一つであるチャロナラン歌舞劇聖獣バロン悪霊ランダの物語は、善と悪の戦いと伝えられているが、ランダが極悪としては、扱われてはいない。

歴史上にも、悪が善になったり、善が悪になったこともある。

善悪の判断も難しい。

『西遊記』に登場する三蔵法師(玄奘三蔵)は、「この地には善悪なし」と云っている。


バリ人の宗教観は、天と地、山側(カジョ)と海側(クロッド)、聖と穢れ、に代表される。

神々の島バリは、精霊信仰だ。

天上界と地下界に、神がいる。

山側と海側にも、神々は棲む。

山岳信仰では山の天霊が住み、海洋信仰には海に天霊がある。

海は、御神体(ススオナン)を浄化し、祖先霊を流すところ。

天と地の間には、精霊に守られ共に暮らす空間、人々の営みがある。

天と地の大宇宙(マクロコスモス)に対して、人の体は小宇宙(ミクロコスモス)と捉える。

人間の頭は聖なる天界に、足元は穢れの地界に通じる。

聖職者高僧は、高い位置で儀礼を執り行い、儀礼で運ばれる聖水やグボガン(供物)は、必ず、頭上で戴く。

御神体やバロンやランダ(バロンとランダも御神体)が、目前を通過する際には、村人は道端に引き下がりうずくまる。

王制時代の過去には、王様にも敬意を表して、腰を低くした。

寝室の寝具は、山側に頭がくるように質られられる。

帽子やヘルメットなど頭にかぶる物は、決して地面や床には置かない。

決して足先を山側には向けないなどのルールがある。

右手は聖で、左手は穢れと考えられていて、幼少の頃から躾けられる。

儀礼などで聖水を頂く時には、左掌の上に重ねた右掌でいただく。

米粒は、右手で取って、額に押し付ける。

子供が可愛いからといって、頭に触れること、特に左手で触ることはタブーだ。

このタブーも、外国人ツーリストに対しては許している。

ツーリストの冒涜行為に対しては、見えない物として扱っているようだ。

見えない者として扱われるのだけは、避けたいですね。

近年、ツーリストの入場を断っている寺院祭礼も増えた。

本心では、文化、宗教、慣習を理解して欲しいと思っているはず。


各屋敷では、山側に家寺を持ち、海側には台所と決まっている。

これも屋敷を小宇宙と捉える、バリのヒンドゥー教独自の考え方だ。

屋敷寺と台所の間に、各種儀礼を行う四阿「バレ・ダギン」が建ち、四阿を中心として家族の生活がある。

現在は、海側に水浴び場、トイレ、洗濯場を設けるため、不浄なところと捉えがちだが、本来は精霊のすむかまどがある。

精霊は、日本で言うところの幽霊やオバケではない。

時としてイタズラをする悪霊がいるが、邪悪なものではない。

現れた時には「何か用ですか?」「何か問題がありますか?」と問えばいい。

不可思議な事件が起こった時、バリ人は呪術師(バリアン)に救いを求める。

たいていの答えは、どこそこの供物が足らないと注意を促している。

地面に供物を置き、礼拝するのは、地の霊を鎮めるためのもの。

バリの二元論は、天と地、山側と海側の対極するものではなく、中間には人々の生活があることに気づく。

もうこれは二元論ではない。

対極にある、背反する2つのものと考えていいだろうか。

2つの背反するものは、一本線の両極にある。

ここで少しの疑問が湧いた。

両極の二項対立ではあるが、間には線が存在するのではないか。

白と黒に間には、黒に近い白もあれば白に近い黒もある灰色のグラデーション、グレーゾーンだ。

男と女の間には、男性と女性に色分けできない性質の人もいる。

これについては、両極に分ける必要がない。

夜と昼は、サークルで繋がっているのでないだろうか。

夜、夜明け、昼、黄昏時、やがて夜に戻る。

私が悩んでいるのは、二元論とは関係のないことかもしれない。

難しく考えず、あるがままのバリの宗教観を受け入れよう。


posted by ito-san at 17:17| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月08日

「和食・影武者」の営業時間は夜8時まで!(354)

「自由筆記帳」の連載が終了した。

1997年から2006年までのおよそ10年の旅人のメモだが、当時の心境が手に取るように理解できる。

このあとウブドを訪れた旅人の感想も、現在に至るまで大筋で変わってはいないと思う。

さてさて、今回は何を書こうか?

つらい辛い「新型コロナウイルス」との対応を、思考の片隅に追いやって。


7月1日から「和食・影武者」に、出勤したことを報告しよう。

いやいや、正式には出勤じゃないですよね。

ただ飯を食わせてもらっているだけですから。

ただ飯だからと言って侮れませんよ。

女将の心尽くしの裏メニューですからね。

「和食・影武者」の営業時間が、午前11時から午後8時までと自粛している。

コロナ以前は、午後11時まで。

その頃は、マンディを終え、夜9時に下宿を出て影武者に行っていた。

1日からは、家を夜7時に出発している。

営業時間の短縮で、ルーチンの変更が余儀なくされた。

現在私は、インターネット、読書三昧、適度な運動、水彩画を習得中の1日を送っている。

家飯のルーチンは、昼食午後1時頃、夕食7時頃だったので問題はない。

今月に入って家飯の夕食は、キャンセルした。

2ヶ月の間、昼夜と食べたバリ家庭料理は美味しく食べられた。

代わり映えしない具のナシチャンプールだったが、飽きることはなかった。

もちろん、スプーンもホークも箸も使わない、右手指先の手づかみで食べる。

問題は、マンディ・タイム(風呂)だ。

7時前では早過ぎる、帰宅してからでは遅過ぎる。

大家さんは早寝なので、10時過ぎてからのマンディは気がひける。

私的には早いが、7時前にマンディをすますことにした。

2ヶ月間の禁欲(食欲)生活を耐え忍び、晴れて「影武者」出勤。

適切な言葉が浮かばないので、出勤を使わせてもらう。

店内は、ディスタンスを確保し、感染予防と拡散防止に努めていた。

盛況時を知っている者には賑やかさが物足りないが、ゆったりとした雰囲気が影武者には似合っていると感じた。

1日からの一週間の食事は、掲載しましす。

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食事が終わっても、まだ8時。

以前は、9時半頃食事を終えた後は、友人知人と雑談する時間だった。

女将を交えて、話に盛り上がると、12時を過ぎることもあった。

この時間が私は好きだった。

自粛中は遅くとも9時半までには、店を後にすることを心掛けている。

帰宅は10時前。

以前のルーチンには、いつ戻れるのだろうか。

詮無いことを考えている。


2ヶ月の自粛の間、女将は再開店後の対策を練り、値打ちな弁当を販売するようになっていた。

弁当は15種類。

試食させてもらった「照り焼き弁当」は、感動するほとのご馳走だった。

2ヶ月間外食を控えたから感じた美味しさ、以上のものだった。

これがRp50,000-とは、破格の値段だ。

たくさんの注文がもらえるといいねと、応援した。




posted by ito-san at 12:11| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月29日

自由筆記帳・一部公開最終回(363)

メッキされるウブドの色が変わってきている。

ウブドを訪れるツーリストの目的が、これまでの「芸能・宗教・慣習」から「ヨガ、スパ」と変ったのは、いつ頃からだろう。

徐々に徐々に、そしていつの間にか、ヨガの聖地になっていた。


2003年8月13日

今日、クタからウブドに来ました。

今年は2回目のバリ。昨年より寒いよ〜!

来て早々、エアコンの故障。

でも今は、もうなおったよ! 

今日から土曜までの滞在。そのあとは日本だけど、4日間は、すごく楽しみにしてたから、遊んで、食べて、見て、歩いて・・・。

また今度も来たいから、まっててえ!(R)


2003年8月21日

静岡から、はるばるやって来ました。

HOTELは、コマネカ・リゾートです。

最高ですね、コマネカ!! 

プールが変な味だけど・・ってか。

バリさいこ?すっ。

人がみんな優しくてスキスキ。

今から、スパ行きます。

そこの新しくできた“HIRO”ってスパは、どうなんでしょ〜ねぇ。 (C)


2003年8月22日

静岡から来ました!
 
いろいろとあったし、ちょっと恐い思いもしたけど、比較的スキです。

この適当さ。

今、5日目です。

今日は、レゴン見ます。

楽しみ☆☆

コレ読んでて、“誰を信用していいのかわからない”ようなことが書いてあって、ちょっと同感です。

ちょっと恐いと、すぐ疑ってしまって、本当の親切心から話しかけてくれる人に申しわけないと思いながら、ちょっと疑ってます。

悲しい・・・・。

あと3日、無事楽しんで帰れますように!!! (K&Y)


2003年11月25日

ジャズ・カフェの向かえにあるALON?ALON(アロン・アロン)、行って来たよ。

オープンしたばかりのお店っていうからワクワクして行ったけど、すっごくカワイかった。

壁の色とか、すごくカラフルで、でも落ち着いて! 

グラタンとブルーベリー・ラッシー頼んだら、盛り付けもかわいくって、値段もすっごく安くて、ビックリ!
 
ビリヤードもやりたい放題っていうから、トライしてみたけど・・・でした。

明日帰るから、しばらく行けないけど、また、ぜったい行きたいよ〜う。

友だち同士でもカップルでも、大満足できると思います! 

オススメ!! (M)


2004年2月17日

ウブド2泊目。

今日はチャリで、ゴア・ガジャ→イエ・プル→昼食→テガララン村へ行って来ました。

しんどかった〜。

しかも、帰り大雨にうたれてビシャビシャ。

テガララン村へは、ベモかタクシーがいいかもね。(H)


2004年2月19日

ボロブドゥールへは行けなかったけど、ウブドはステキな町です。

人が親切でした。

ミヤリ酸はかかせません。

下痢に効きます。

(ミヤリ酸ってなんや!? ほしい!!) (Y・A・A)


2004年2月21日

ハラがいて〜。

フォーシーズンズ・ジンバランで浴びたシャワーを鼻から飲んでしまって以来、さしこむように痛い!
 
なんか体もだるいし、ちくしょう。

これからバリの占い師に治してもらいに行ってくる。

それではみなさんよい旅を。(H)


2004年2月29日

バリ初来!! 

バリはあついねえ〜。

そしてバリ人は人なつっこいねえ〜。

卒業旅行が楽しいものになりますよ〜にっ。

“蚊”にくわれた。

ナムナム・・・。

マラリア大丈夫かな?? (A)  

汗だく。

でも日本は冬だから、あったかいのはいいねぇ。

ウブドは静か いいところ。

レギャンはちょっと怖い。

「おね〜さん、かわいいねぇ」とか。

日本人いじめないでね。(K)


2004年3月12日

バリ16Days。

11日目です!! 

クタ、ヌサドゥア、サヌールに泊まって、やっとウブドにやってきました。

自然がキレイね。

イルカ・ウオッチングが感動しました。

☆ HAVE A NICE TRIP ☆ (T)


2004年3月13日

ひとりでコマネカ・リゾートはさみしい。

シャワーもターザンか!!っっ〜くらい草しげって幻想的と思いきや、ほんとに草でしかおおわれていなし。

そりゃ虫入ってくるっつ〜の。

でもいいHotel。(S)


2006年10月26日

今日、日本に帰ります。

まっちゃん、本当によく来たね。

はじめて来たのは7年前。本当に変わったね〜。

夜なんてまっくらやったのに・・・。

8回目は、いつ来れるかなぁ〜。

APA?にもたくさんお世話になりました。

いつまでも、かわらないBALIでありますように・・・。

テレマカシ。(Y&M)


2006年11月1日

明日、日本に帰ります。

5日間とまりました。

本当は、オーストラリアに行く予定だったけど、バリになりました。

日本とは、まったくちがいました。

一番楽しかったことは、プールです。

海や食事も、まったく日本とちがいました。

楽しかった。(S)


2006年11月7日

明日、日本に帰ります。(T&H)


2002年10月12日の「バリ島爆弾事件」あと、2004年12月26日:スマトラ沖地震、2006月5月27日:ジャワ島中部地震などが隔年で起こり、ウブドを訪れる観光客が減ったのが、書き込みの減少で汲み取れる。


最後になってしまいましたが。

筆者に無断で公開なので、都合の悪い方は削除の連絡をください。

事後報告で、申し訳ありません。

ウブド好き&バリ好きの皆様の健康を祈るとともに、「新型コロナウイルス」の早期終息を切望しています。


posted by ito-san at 13:56| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月28日

自由筆記帳・一部公開その8(362)

ウブドは、爽やかで温暖で、地味が豊かで、風景が美しくて、人々はおっとりとしている。

おまけに、芸能・宗教・慣習が手の届くところで繰り広げられている。

こんな、いいことずくめのところは、世界でも珍しいに違いない。

あなたは、どんな感想を持ちましたか!


2002年1月26日

初めてのバリ島ですねん。

暑いねえ。

今日で7日目、早いねん。

もう仕事のやり方も忘れてしまったかもしれない・・・。

日本語もスラーっとしゃべれんようになってもーてますね。

想い出たくさん持って帰りますわ。

重くないしね。

又、機会が会ったら、来たいね。

一期一会がたーくさんありまんな。

みなさん楽しい旅をしてくだせえ。(N)


2002年1月26日

皆さん楽しい旅をしていますか?
 
私は最高デス。

2回目のバリ、雨期は初めてだったので雨が心配だったけど全然ダイジョウブ。

暑すぎずいい感じです。

レンボガン島へ行ったことのない方、是非行ってみて下さい。

はっきり言って、何もないけどすごく静か。

ウブドではヌール・ビューティ・サロンがオススメ。

たぶんAPA?のマップにのってます。

100,000Rpくらいで全身マッサージしてくれます。

まっ裸で少しハズカシイけど。

最後に一言・・・どの街に行っても客引きや声掛けが多くて、うんざりしている人多いと思うけど、悪い人達ばかりじゃありませんよ。

一度いろんな話してみて下さい。

きっといい友達が出来るはず。

注)もちろん悪い人もいますよ。

皆さん素敵な旅の想い出を作りましょう。(M)


2002年2月13日

ようやく着いたウブド。

高校の時に日本で見たケチャが忘れられなくて、1人で来てしまった・・・。

サヌール4日、ウブド?日いるつもり。

それにしても、バリニーズってHな男が多いね〜。

ダイブ・ショップ友達になった奴は、みーんな女の子の話ばかりしてるよ。

ボラれることもあるけど友達になってしまえば、みーんなイイ人ばかり。

今日だって、サヌールからウブドまでタダで送ってもらっちゃたし・・・。

自分の意見を言えば、友達になれるよ。

注)ただ、油断だけはしないで旅行しよう。

それでは、みなさん良い旅を!! (I)


2002年2月27日

Aサロンはダメだったというのを今、他の自由帳で見て知った。

ほんっとよくなかった。

食用油を使うからオイルマサージをやった後はベタベタで、体を洗っても気持ちが悪い。

損した気分…。

Mサロンのクリーム・バスもやってみたけど、人によってぜんぜん違う。

ティモールから嫁いできたという女こ子は、チップを要求するけど上手。

きちんとブローもして髪をかわかしてくれるしね。

あとおすすめは、王宮の向かえにある「IBU OKA」のバビ・グリン・スペシャル(っていうか、スペシャルとノーマルしかない)。

ぶたの丸焼きとライスとお野菜。

スペシャル+水で12,000ルピアでした。

P.S: ブサキ寺院には、ばったくりガイドがいっぱいです。

5万ルピア位要求してきます。

「僕と一緒じゃないと中に入れない」といいます。

だけど私は5,000ルピアしか払わなかった。

払う必要ないよ〜。

中に入っても、あんまりよくないしね。(M)


2002年3月16日

初めての1人旅で、バリへとやって来ました。

不安だらけだったけど、いろんな友達ができて、とても楽しい毎日を過ごしています。

今日はスバリ村の方へと散歩に行きました。

すると、道ばたで1人のおじさんに声をかけられました。

「暑いだろう!! 君が来るのが見えたから、下からココナツを2つ持って来てあげたよ。

さあ、お飲み!!」

とさし出してくれたので、私は「なんて、いい人なんだ」と思い、ゴクゴク飲みました。

すると、そのおじさんは「明日、病因に行くから10,000Rpくれ」と言いはじめたのです。

「何て奴だ」と思いましたが、1,000Rpだけ払って、その場をあとにしました。

私の気持ちはビッグ・ダウンです。

いろんなことがあるけど楽しみます。(Y)


2003年8月13日

レンボンガン島からUBUDに到着。

去年と同じパターンでした。

レンボンガン島では、海に面した宿で、海風が涼しいくらいでしたが、ここでは田んぼを渡る風が肌寒い。

去年のテロの影響からか、UBUDのツーリストの数が少ないように感じる。

半年以上過ぎて、回復してもよさそうだが、SARSの影響もあるのだろう。

8月7日に、バリのテロリストの裁判判決が出て、死刑となったようだ。

その前日8月6日、ジャカルタで、また爆弾テロが起きてしまった。

このままでは、観光で外貨をかせいでいるバリの将来が心配・・・。

することもないか。

結構、みんなのんびり、たくましく生活しているし。

8月16日にKUTAに戻り、17日に日本へ出発。

数日だけど、UBUDでのんびりしよう。(L)


次回は最終回です。

自分の旅と比べるのも、楽しいですね。


posted by ito-san at 12:52| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

自由筆記帳・一部公開その7(361)

みんさん、様々な経験していますね!

旅行中に、「ごまかされた」「また故障だ」「待たされる」などと、愚痴のオンパレード。

嫌いになるために、旅しているような人もいる。

この国はこうなんだと貶めて、優越感を持つのも考えものだ。

それでは、旅を楽しむことはできないだろう。

世界には、我々と異なった文化を持つ国が多い。

国ごとに、様々な文化があるのが、旅の醍醐味だ。


2000年2月19日

きのう、となりの部屋に来た日本人の女の子と4人で、チャリで、ゴア・ガジャに行ってきました。

バンガローのスタッフに聞いたら、モンキー・フォレストの近くから5分くらいで行けると教えてくれた。ところがどっこい、坂道、くだり道、ボコボコ続きで20分くらいかかったと思う。

骨盤がはずれそうだ。

ゴア・ガジャに、たちの悪いガイドがいるらしい。

ちょっとガイドしてRp200,000もとろーとする、自称17才の苦学生がいるらしい。

注意した方がいいと思います。

その帰りには、バケツをひっくりかえしたみたいなスコールに合って、パンツの中までグチャグチャになってしまいました。

かなりサバイバルだった。

スラマッ・ジャラン!!(A)


2001年4月12日

インドネシアに来たのは2回目です。

以前は、1年前にジャカルタ、スラバヤ、ウブド、クタで滞在しました。

今回は、とくにあてもない旅行ですが、以前、ウブドに訪れた印象がとても美しかったので、また来てしまいました。

3泊位して、またウロチョロする予定です。

4/27〜バンコクからマレーシア鉄道に乗りシンガポールへ行こうと計画しています。

女性1人での旅なので、少々怖い気もするけど、こんなチャンスは滅多にないので頑張ります。

私のような、女性1人旅をしているバックパッカーの方へ!!

くれぐれもお互い体を大切にして、ビーチボーイやギャンブルなど恐ろしい!!ものには気を付けよう!! 

せっかく、親や彼を説得して、日本からたった1人で旅立ったんだから。

親や彼に「わがまま!!」とか、いろいろ言われたけれど、今となって、彼らにしてあげられるのは、無事に帰国するコト。

お互い、色々なものを見て、感じて、食べて、吸収しましょう!! 

では、Good Luck!! (O)


2001年4月25日

いろんな人が訪れて、皆さん様々なこと体験していきますね。

私はバリは初めてで、いきなり1人。

4ヶ月(60日×2)滞在。

初日がクタだったせいか、ウブどはとてもリラックスできる・・・けど、やっぱり声をかけられると、神経がピリピリして、うーん、複雑。

ちょっとほっといてくれーいって気もしますネ。

泊まっているロスメンの人は親切で、きのう自分が出演するバーに連れていってくれ、初日の夜を淋しい思いをせずにすみました。

いろんな人に会うのは当然の事で、自分がちゃんとした人を見る目と判断する力を持っていれば、多少の失敗はあったとしても、それはそれで自分の道だと思います。

私も、もうちょっと強くならなくちゃ!!
 
自分を鍛えなくちゃ!! 

楽しむための、短い旅行だったらもっと気楽でいいのかも、と思うけど、4ヶ月となると力も入る。

でも、楽しくね。

大丈夫、大丈夫、私なら大丈夫。

毎日自分に言いきかせてます。(M)


2001年6月20日

昨日は、ウブドからKUTAに行って来た。初めてのバリ旅で、初めからウブドなのでKUTAはやっぱり恐いよー。

両替したけど案の定だまされて(自分で数えたのに)。

クレーム言いに行ったら返してくれた。

泣き寝入りはしないように!! 

すごく怒った感じて行けば、大丈夫かも。

今は、NYOMAN KALSA(エステ・ジェラティック)の近くに泊まってます。

スタッフの人もすごく親切。

初めて来たのに、すぐ友達になった。

ホタルを見に、つれて行ってくれたりもします。
 
あと2日、BALIを楽しむー。

また近いうちにBALIに来し・・・。(S)


2001年8月11日

サヌールに6泊した後、昨日ウブドに来ました。

親子5人の珍道中。

昨日は「U・I」ウブド・インに泊まっていたけど、あまりの部屋の悪さに、今日から3泊は、「オカワティ」にchangeすることにしました。

でも、「U・I」で1つ良かったことが・・・。

ナ・ナント道路に面したレストランでランチしていたら・・・15年ほど前、いっしょの職場だった友達が歩いて来たでは!

眼が合った瞬間ウッソ!!! 

しばらく、おしゃべりしに花が咲きました。(M)


2002年1月2日

おとといブサキ寺院に行ったら「自分はここの門番で、自分が一緒にいないと寺院の中に入れない」と言われて、一緒にまわった。

変な場所につれて行かれ、何も言われずにお坊さんみたいな人に祈られ「金、払え」って言われた。

最初3,000ルピア置こうとしたら「少ない!! 

$15払え」って言われた。

お前に払うんじゃない。

これは俺の気持ちだ!! 

だいいち神様は、お金を使う事できねーだろう、って言ったけど、ひつこかったんで50,000ルピア置いて来た。

次に来た日本人の女の子に、その事を教えてやろうとしたら、門に鍵をかけられた。

これから行く人は気をつけて。(M)


続く。


posted by ito-san at 12:23| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする