2020年07月10日

バリ人の信仰するヒンドゥー教の二元論について考える(355)

今回は、バリについて考えてみた。

大層なタイトルをつけましたが、たいした話にはなりませんでした。


バリ関係の本を読むと、次のように説明されることが多い。

「バリのヒンドゥー教は、すべての物事は善と悪、生と死といった形で必ず相反する事象で成り立っているされている。それらのバランスが維持され共存する世界といえる」

この考え方を「二元論」というそうだ。

ウキペディアで検索すると、

「二元論(にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する2つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など」

とあるが、チンプンカンプンだ。

ひとつの価値は、対極にある価値に引き立てあって意味が生まれる。

ひとつだけでは何も産まれない、と言うことのようだが、私の頭脳は明確には理解してくれない。

例えば、天と地、善と悪、陽と陰、聖と俗、生と死、明と暗、夜と昼、浄と不浄、表と裏、白と黒、男と女、などなど。

ウキペディアには「二元論的な考え方は、それが語られる地域や時代に応じて多岐に渡っている」と付け加えられている。


では、バリの二元論はどうなんだろうか?

バリでは、善と悪については重きを置いていない節を感じる。

私と同じで、性善説かもしれない。

芸能の一つであるチャロナラン歌舞劇聖獣バロン悪霊ランダの物語は、善と悪の戦いと伝えられているが、ランダが極悪としては、扱われてはいない。

歴史上にも、悪が善になったり、善が悪になったこともある。

善悪の判断も難しい。

『西遊記』に登場する三蔵法師(玄奘三蔵)は、「この地には善悪なし」と云っている。


バリ人の宗教観は、天と地、山側(カジョ)と海側(クロッド)、聖と穢れ、に代表される。

神々の島バリは、精霊信仰だ。

天上界と地下界に、神がいる。

山側と海側にも、神々は棲む。

山岳信仰では山の天霊が住み、海洋信仰には海に天霊がある。

海は、御神体(ススオナン)を浄化し、祖先霊を流すところ。

天と地の間には、精霊に守られ共に暮らす空間、人々の営みがある。

天と地の大宇宙(マクロコスモス)に対して、人の体は小宇宙(ミクロコスモス)と捉える。

人間の頭は聖なる天界に、足元は穢れの地界に通じる。

聖職者高僧は、高い位置で儀礼を執り行い、儀礼で運ばれる聖水やグボガン(供物)は、必ず、頭上で戴く。

御神体やバロンやランダ(バロンとランダも御神体)が、目前を通過する際には、村人は道端に引き下がりうずくまる。

王制時代の過去には、王様にも敬意を表して、腰を低くした。

寝室の寝具は、山側に頭がくるように質られられる。

帽子やヘルメットなど頭にかぶる物は、決して地面や床には置かない。

決して足先を山側には向けないなどのルールがある。

右手は聖で、左手は穢れと考えられていて、幼少の頃から躾けられる。

儀礼などで聖水を頂く時には、左掌の上に重ねた右掌でいただく。

米粒は、右手で取って、額に押し付ける。

子供が可愛いからといって、頭に触れること、特に左手で触ることはタブーだ。

このタブーも、外国人ツーリストに対しては許している。

ツーリストの冒涜行為に対しては、見えない物として扱っているようだ。

見えない者として扱われるのだけは、避けたいですね。

近年、ツーリストの入場を断っている寺院祭礼も増えた。

本心では、文化、宗教、慣習を理解して欲しいと思っているはず。


各屋敷では、山側に家寺を持ち、海側には台所と決まっている。

これも屋敷を小宇宙と捉える、バリのヒンドゥー教独自の考え方だ。

屋敷寺と台所の間に、各種儀礼を行う四阿「バレ・ダギン」が建ち、四阿を中心として家族の生活がある。

現在は、海側に水浴び場、トイレ、洗濯場を設けるため、不浄なところと捉えがちだが、本来は精霊のすむかまどがある。

精霊は、日本で言うところの幽霊やオバケではない。

時としてイタズラをする悪霊がいるが、邪悪なものではない。

現れた時には「何か用ですか?」「何か問題がありますか?」と問えばいい。

不可思議な事件が起こった時、バリ人は呪術師(バリアン)に救いを求める。

たいていの答えは、どこそこの供物が足らないと注意を促している。

地面に供物を置き、礼拝するのは、地の霊を鎮めるためのもの。

バリの二元論は、天と地、山側と海側の対極するものではなく、中間には人々の生活があることに気づく。

もうこれは二元論ではない。

対極にある、背反する2つのものと考えていいだろうか。

2つの背反するものは、一本線の両極にある。

ここで少しの疑問が湧いた。

両極の二項対立ではあるが、間には線が存在するのではないか。

白と黒に間には、黒に近い白もあれば白に近い黒もある灰色のグラデーション、グレーゾーンだ。

男と女の間には、男性と女性に色分けできない性質の人もいる。

これについては、両極に分ける必要がない。

夜と昼は、サークルで繋がっているのでないだろうか。

夜、夜明け、昼、黄昏時、やがて夜に戻る。

私が悩んでいるのは、二元論とは関係のないことかもしれない。

難しく考えず、あるがままのバリの宗教観を受け入れよう。


posted by ito-san at 17:17| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月08日

「和食・影武者」の営業時間は夜8時まで!(354)

「自由筆記帳」の連載が終了した。

1997年から2006年までのおよそ10年の旅人のメモだが、当時の心境が手に取るように理解できる。

このあとウブドを訪れた旅人の感想も、現在に至るまで大筋で変わってはいないと思う。

さてさて、今回は何を書こうか?

つらい辛い「新型コロナウイルス」との対応を、思考の片隅に追いやって。


7月1日から「和食・影武者」に、出勤したことを報告しよう。

いやいや、正式には出勤じゃないですよね。

ただ飯を食わせてもらっているだけですから。

ただ飯だからと言って侮れませんよ。

女将の心尽くしの裏メニューですからね。

「和食・影武者」の営業時間が、午前11時から午後8時までと自粛している。

コロナ以前は、午後11時まで。

その頃は、マンディを終え、夜9時に下宿を出て影武者に行っていた。

1日からは、家を夜7時に出発している。

営業時間の短縮で、ルーチンの変更が余儀なくされた。

現在私は、インターネット、読書三昧、適度な運動、水彩画を習得中の1日を送っている。

家飯のルーチンは、昼食午後1時頃、夕食7時頃だったので問題はない。

今月に入って家飯の夕食は、キャンセルした。

2ヶ月の間、昼夜と食べたバリ家庭料理は美味しく食べられた。

代わり映えしない具のナシチャンプールだったが、飽きることはなかった。

もちろん、スプーンもホークも箸も使わない、右手指先の手づかみで食べる。

問題は、マンディ・タイム(風呂)だ。

7時前では早過ぎる、帰宅してからでは遅過ぎる。

大家さんは早寝なので、10時過ぎてからのマンディは気がひける。

私的には早いが、7時前にマンディをすますことにした。

2ヶ月間の禁欲(食欲)生活を耐え忍び、晴れて「影武者」出勤。

適切な言葉が浮かばないので、出勤を使わせてもらう。

店内は、ディスタンスを確保し、感染予防と拡散防止に努めていた。

盛況時を知っている者には賑やかさが物足りないが、ゆったりとした雰囲気が影武者には似合っていると感じた。

1日からの一週間の食事は、掲載しましす。

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食事が終わっても、まだ8時。

以前は、9時半頃食事を終えた後は、友人知人と雑談する時間だった。

女将を交えて、話に盛り上がると、12時を過ぎることもあった。

この時間が私は好きだった。

自粛中は遅くとも9時半までには、店を後にすることを心掛けている。

帰宅は10時前。

以前のルーチンには、いつ戻れるのだろうか。

詮無いことを考えている。


2ヶ月の自粛の間、女将は再開店後の対策を練り、値打ちな弁当を販売するようになっていた。

弁当は15種類。

試食させてもらった「照り焼き弁当」は、感動するほとのご馳走だった。

2ヶ月間外食を控えたから感じた美味しさ、以上のものだった。

これがRp50,000-とは、破格の値段だ。

たくさんの注文がもらえるといいねと、応援した。




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2020年06月29日

自由筆記帳・一部公開最終回(363)

メッキされるウブドの色が変わってきている。

ウブドを訪れるツーリストの目的が、これまでの「芸能・宗教・慣習」から「ヨガ、スパ」と変ったのは、いつ頃からだろう。

徐々に徐々に、そしていつの間にか、ヨガの聖地になっていた。


2003年8月13日

今日、クタからウブドに来ました。

今年は2回目のバリ。昨年より寒いよ〜!

来て早々、エアコンの故障。

でも今は、もうなおったよ! 

今日から土曜までの滞在。そのあとは日本だけど、4日間は、すごく楽しみにしてたから、遊んで、食べて、見て、歩いて・・・。

また今度も来たいから、まっててえ!(R)


2003年8月21日

静岡から、はるばるやって来ました。

HOTELは、コマネカ・リゾートです。

最高ですね、コマネカ!! 

プールが変な味だけど・・ってか。

バリさいこ?すっ。

人がみんな優しくてスキスキ。

今から、スパ行きます。

そこの新しくできた“HIRO”ってスパは、どうなんでしょ〜ねぇ。 (C)


2003年8月22日

静岡から来ました!
 
いろいろとあったし、ちょっと恐い思いもしたけど、比較的スキです。

この適当さ。

今、5日目です。

今日は、レゴン見ます。

楽しみ☆☆

コレ読んでて、“誰を信用していいのかわからない”ようなことが書いてあって、ちょっと同感です。

ちょっと恐いと、すぐ疑ってしまって、本当の親切心から話しかけてくれる人に申しわけないと思いながら、ちょっと疑ってます。

悲しい・・・・。

あと3日、無事楽しんで帰れますように!!! (K&Y)


2003年11月25日

ジャズ・カフェの向かえにあるALON?ALON(アロン・アロン)、行って来たよ。

オープンしたばかりのお店っていうからワクワクして行ったけど、すっごくカワイかった。

壁の色とか、すごくカラフルで、でも落ち着いて! 

グラタンとブルーベリー・ラッシー頼んだら、盛り付けもかわいくって、値段もすっごく安くて、ビックリ!
 
ビリヤードもやりたい放題っていうから、トライしてみたけど・・・でした。

明日帰るから、しばらく行けないけど、また、ぜったい行きたいよ〜う。

友だち同士でもカップルでも、大満足できると思います! 

オススメ!! (M)


2004年2月17日

ウブド2泊目。

今日はチャリで、ゴア・ガジャ→イエ・プル→昼食→テガララン村へ行って来ました。

しんどかった〜。

しかも、帰り大雨にうたれてビシャビシャ。

テガララン村へは、ベモかタクシーがいいかもね。(H)


2004年2月19日

ボロブドゥールへは行けなかったけど、ウブドはステキな町です。

人が親切でした。

ミヤリ酸はかかせません。

下痢に効きます。

(ミヤリ酸ってなんや!? ほしい!!) (Y・A・A)


2004年2月21日

ハラがいて〜。

フォーシーズンズ・ジンバランで浴びたシャワーを鼻から飲んでしまって以来、さしこむように痛い!
 
なんか体もだるいし、ちくしょう。

これからバリの占い師に治してもらいに行ってくる。

それではみなさんよい旅を。(H)


2004年2月29日

バリ初来!! 

バリはあついねえ〜。

そしてバリ人は人なつっこいねえ〜。

卒業旅行が楽しいものになりますよ〜にっ。

“蚊”にくわれた。

ナムナム・・・。

マラリア大丈夫かな?? (A)  

汗だく。

でも日本は冬だから、あったかいのはいいねぇ。

ウブドは静か いいところ。

レギャンはちょっと怖い。

「おね〜さん、かわいいねぇ」とか。

日本人いじめないでね。(K)


2004年3月12日

バリ16Days。

11日目です!! 

クタ、ヌサドゥア、サヌールに泊まって、やっとウブドにやってきました。

自然がキレイね。

イルカ・ウオッチングが感動しました。

☆ HAVE A NICE TRIP ☆ (T)


2004年3月13日

ひとりでコマネカ・リゾートはさみしい。

シャワーもターザンか!!っっ〜くらい草しげって幻想的と思いきや、ほんとに草でしかおおわれていなし。

そりゃ虫入ってくるっつ〜の。

でもいいHotel。(S)


2006年10月26日

今日、日本に帰ります。

まっちゃん、本当によく来たね。

はじめて来たのは7年前。本当に変わったね〜。

夜なんてまっくらやったのに・・・。

8回目は、いつ来れるかなぁ〜。

APA?にもたくさんお世話になりました。

いつまでも、かわらないBALIでありますように・・・。

テレマカシ。(Y&M)


2006年11月1日

明日、日本に帰ります。

5日間とまりました。

本当は、オーストラリアに行く予定だったけど、バリになりました。

日本とは、まったくちがいました。

一番楽しかったことは、プールです。

海や食事も、まったく日本とちがいました。

楽しかった。(S)


2006年11月7日

明日、日本に帰ります。(T&H)


2002年10月12日の「バリ島爆弾事件」あと、2004年12月26日:スマトラ沖地震、2006月5月27日:ジャワ島中部地震などが隔年で起こり、ウブドを訪れる観光客が減ったのが、書き込みの減少で汲み取れる。


最後になってしまいましたが。

筆者に無断で公開なので、都合の悪い方は削除の連絡をください。

事後報告で、申し訳ありません。

ウブド好き&バリ好きの皆様の健康を祈るとともに、「新型コロナウイルス」の早期終息を切望しています。


posted by ito-san at 13:56| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月28日

自由筆記帳・一部公開その8(362)

ウブドは、爽やかで温暖で、地味が豊かで、風景が美しくて、人々はおっとりとしている。

おまけに、芸能・宗教・慣習が手の届くところで繰り広げられている。

こんな、いいことずくめのところは、世界でも珍しいに違いない。

あなたは、どんな感想を持ちましたか!


2002年1月26日

初めてのバリ島ですねん。

暑いねえ。

今日で7日目、早いねん。

もう仕事のやり方も忘れてしまったかもしれない・・・。

日本語もスラーっとしゃべれんようになってもーてますね。

想い出たくさん持って帰りますわ。

重くないしね。

又、機会が会ったら、来たいね。

一期一会がたーくさんありまんな。

みなさん楽しい旅をしてくだせえ。(N)


2002年1月26日

皆さん楽しい旅をしていますか?
 
私は最高デス。

2回目のバリ、雨期は初めてだったので雨が心配だったけど全然ダイジョウブ。

暑すぎずいい感じです。

レンボガン島へ行ったことのない方、是非行ってみて下さい。

はっきり言って、何もないけどすごく静か。

ウブドではヌール・ビューティ・サロンがオススメ。

たぶんAPA?のマップにのってます。

100,000Rpくらいで全身マッサージしてくれます。

まっ裸で少しハズカシイけど。

最後に一言・・・どの街に行っても客引きや声掛けが多くて、うんざりしている人多いと思うけど、悪い人達ばかりじゃありませんよ。

一度いろんな話してみて下さい。

きっといい友達が出来るはず。

注)もちろん悪い人もいますよ。

皆さん素敵な旅の想い出を作りましょう。(M)


2002年2月13日

ようやく着いたウブド。

高校の時に日本で見たケチャが忘れられなくて、1人で来てしまった・・・。

サヌール4日、ウブド?日いるつもり。

それにしても、バリニーズってHな男が多いね〜。

ダイブ・ショップ友達になった奴は、みーんな女の子の話ばかりしてるよ。

ボラれることもあるけど友達になってしまえば、みーんなイイ人ばかり。

今日だって、サヌールからウブドまでタダで送ってもらっちゃたし・・・。

自分の意見を言えば、友達になれるよ。

注)ただ、油断だけはしないで旅行しよう。

それでは、みなさん良い旅を!! (I)


2002年2月27日

Aサロンはダメだったというのを今、他の自由帳で見て知った。

ほんっとよくなかった。

食用油を使うからオイルマサージをやった後はベタベタで、体を洗っても気持ちが悪い。

損した気分…。

Mサロンのクリーム・バスもやってみたけど、人によってぜんぜん違う。

ティモールから嫁いできたという女こ子は、チップを要求するけど上手。

きちんとブローもして髪をかわかしてくれるしね。

あとおすすめは、王宮の向かえにある「IBU OKA」のバビ・グリン・スペシャル(っていうか、スペシャルとノーマルしかない)。

ぶたの丸焼きとライスとお野菜。

スペシャル+水で12,000ルピアでした。

P.S: ブサキ寺院には、ばったくりガイドがいっぱいです。

5万ルピア位要求してきます。

「僕と一緒じゃないと中に入れない」といいます。

だけど私は5,000ルピアしか払わなかった。

払う必要ないよ〜。

中に入っても、あんまりよくないしね。(M)


2002年3月16日

初めての1人旅で、バリへとやって来ました。

不安だらけだったけど、いろんな友達ができて、とても楽しい毎日を過ごしています。

今日はスバリ村の方へと散歩に行きました。

すると、道ばたで1人のおじさんに声をかけられました。

「暑いだろう!! 君が来るのが見えたから、下からココナツを2つ持って来てあげたよ。

さあ、お飲み!!」

とさし出してくれたので、私は「なんて、いい人なんだ」と思い、ゴクゴク飲みました。

すると、そのおじさんは「明日、病因に行くから10,000Rpくれ」と言いはじめたのです。

「何て奴だ」と思いましたが、1,000Rpだけ払って、その場をあとにしました。

私の気持ちはビッグ・ダウンです。

いろんなことがあるけど楽しみます。(Y)


2003年8月13日

レンボンガン島からUBUDに到着。

去年と同じパターンでした。

レンボンガン島では、海に面した宿で、海風が涼しいくらいでしたが、ここでは田んぼを渡る風が肌寒い。

去年のテロの影響からか、UBUDのツーリストの数が少ないように感じる。

半年以上過ぎて、回復してもよさそうだが、SARSの影響もあるのだろう。

8月7日に、バリのテロリストの裁判判決が出て、死刑となったようだ。

その前日8月6日、ジャカルタで、また爆弾テロが起きてしまった。

このままでは、観光で外貨をかせいでいるバリの将来が心配・・・。

することもないか。

結構、みんなのんびり、たくましく生活しているし。

8月16日にKUTAに戻り、17日に日本へ出発。

数日だけど、UBUDでのんびりしよう。(L)


次回は最終回です。

自分の旅と比べるのも、楽しいですね。


posted by ito-san at 12:52| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

自由筆記帳・一部公開その7(361)

みんさん、様々な経験していますね!

旅行中に、「ごまかされた」「また故障だ」「待たされる」などと、愚痴のオンパレード。

嫌いになるために、旅しているような人もいる。

この国はこうなんだと貶めて、優越感を持つのも考えものだ。

それでは、旅を楽しむことはできないだろう。

世界には、我々と異なった文化を持つ国が多い。

国ごとに、様々な文化があるのが、旅の醍醐味だ。


2000年2月19日

きのう、となりの部屋に来た日本人の女の子と4人で、チャリで、ゴア・ガジャに行ってきました。

バンガローのスタッフに聞いたら、モンキー・フォレストの近くから5分くらいで行けると教えてくれた。ところがどっこい、坂道、くだり道、ボコボコ続きで20分くらいかかったと思う。

骨盤がはずれそうだ。

ゴア・ガジャに、たちの悪いガイドがいるらしい。

ちょっとガイドしてRp200,000もとろーとする、自称17才の苦学生がいるらしい。

注意した方がいいと思います。

その帰りには、バケツをひっくりかえしたみたいなスコールに合って、パンツの中までグチャグチャになってしまいました。

かなりサバイバルだった。

スラマッ・ジャラン!!(A)


2001年4月12日

インドネシアに来たのは2回目です。

以前は、1年前にジャカルタ、スラバヤ、ウブド、クタで滞在しました。

今回は、とくにあてもない旅行ですが、以前、ウブドに訪れた印象がとても美しかったので、また来てしまいました。

3泊位して、またウロチョロする予定です。

4/27〜バンコクからマレーシア鉄道に乗りシンガポールへ行こうと計画しています。

女性1人での旅なので、少々怖い気もするけど、こんなチャンスは滅多にないので頑張ります。

私のような、女性1人旅をしているバックパッカーの方へ!!

くれぐれもお互い体を大切にして、ビーチボーイやギャンブルなど恐ろしい!!ものには気を付けよう!! 

せっかく、親や彼を説得して、日本からたった1人で旅立ったんだから。

親や彼に「わがまま!!」とか、いろいろ言われたけれど、今となって、彼らにしてあげられるのは、無事に帰国するコト。

お互い、色々なものを見て、感じて、食べて、吸収しましょう!! 

では、Good Luck!! (O)


2001年4月25日

いろんな人が訪れて、皆さん様々なこと体験していきますね。

私はバリは初めてで、いきなり1人。

4ヶ月(60日×2)滞在。

初日がクタだったせいか、ウブどはとてもリラックスできる・・・けど、やっぱり声をかけられると、神経がピリピリして、うーん、複雑。

ちょっとほっといてくれーいって気もしますネ。

泊まっているロスメンの人は親切で、きのう自分が出演するバーに連れていってくれ、初日の夜を淋しい思いをせずにすみました。

いろんな人に会うのは当然の事で、自分がちゃんとした人を見る目と判断する力を持っていれば、多少の失敗はあったとしても、それはそれで自分の道だと思います。

私も、もうちょっと強くならなくちゃ!!
 
自分を鍛えなくちゃ!! 

楽しむための、短い旅行だったらもっと気楽でいいのかも、と思うけど、4ヶ月となると力も入る。

でも、楽しくね。

大丈夫、大丈夫、私なら大丈夫。

毎日自分に言いきかせてます。(M)


2001年6月20日

昨日は、ウブドからKUTAに行って来た。初めてのバリ旅で、初めからウブドなのでKUTAはやっぱり恐いよー。

両替したけど案の定だまされて(自分で数えたのに)。

クレーム言いに行ったら返してくれた。

泣き寝入りはしないように!! 

すごく怒った感じて行けば、大丈夫かも。

今は、NYOMAN KALSA(エステ・ジェラティック)の近くに泊まってます。

スタッフの人もすごく親切。

初めて来たのに、すぐ友達になった。

ホタルを見に、つれて行ってくれたりもします。
 
あと2日、BALIを楽しむー。

また近いうちにBALIに来し・・・。(S)


2001年8月11日

サヌールに6泊した後、昨日ウブドに来ました。

親子5人の珍道中。

昨日は「U・I」ウブド・インに泊まっていたけど、あまりの部屋の悪さに、今日から3泊は、「オカワティ」にchangeすることにしました。

でも、「U・I」で1つ良かったことが・・・。

ナ・ナント道路に面したレストランでランチしていたら・・・15年ほど前、いっしょの職場だった友達が歩いて来たでは!

眼が合った瞬間ウッソ!!! 

しばらく、おしゃべりしに花が咲きました。(M)


2002年1月2日

おとといブサキ寺院に行ったら「自分はここの門番で、自分が一緒にいないと寺院の中に入れない」と言われて、一緒にまわった。

変な場所につれて行かれ、何も言われずにお坊さんみたいな人に祈られ「金、払え」って言われた。

最初3,000ルピア置こうとしたら「少ない!! 

$15払え」って言われた。

お前に払うんじゃない。

これは俺の気持ちだ!! 

だいいち神様は、お金を使う事できねーだろう、って言ったけど、ひつこかったんで50,000ルピア置いて来た。

次に来た日本人の女の子に、その事を教えてやろうとしたら、門に鍵をかけられた。

これから行く人は気をつけて。(M)


続く。


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2020年06月26日

自由筆記帳・一部公開その6(360)

外出自粛は、現役を離れた孤独老人の心境だ。

どこにも行けない。

話し相手もいない。

趣味もない。

ないない尽くし。

おかげで、パソコン内の整理がはかどっている。


1999年12月26日

3回目のバリ旅行です。

これまでは、リゾート・エリアばっかりだったので、ドキドキしてます。

ガイド・ブックには「気をつけるように!」の文字ばかりで、なんだか気がぬけません。

でも、バリは好き〜!! 

2000年1月6日まで、ゆ〜っくりと過ごします。

バリのいいところをもっともっと見つけたいなと、思ってます。

バリって、突然、フシギなこと起こると思いませんか。

そんな体験をもっとしたいなーと思います。(T)


1999年12月15日

私、オーストラリアのワーホリ帰り。

オーストラリアに比べて物価が安くてびっくり。

でも、お金の単位がゼロいっぱいで、こんがらがる。

日本円、オーストラリア$で考えると安いんだが、どうもかなりボラレ ぎみ。

たいした金額じゃないのに、自分がどんどんケチになるー!!

いい人もいるけどムズカシイ。

素直に信じられないのが悲しい。

リラックスするつもりが、けっこう疲れています。

あー、もう少しいろいろやって楽しんだら、バリ好きになれるのかなー!! 

のんびりのんびりいきたいよー!!

ロスメンの人はとっても優しくてよかった。

お祭りの時、もらったゴハンは、とてもおいしかった。

もっと現地密着型の旅がしたーい!! 

夜のダンスはとってもよかった。

ツアーにいかないで、ダンスを何回か見たほうがよかったのか・・・。(Y)


1999年12月1日

ウブドはイイネ〜、のんびりしてて。

クタの両替はレートがいいケド、極端にイイ処は、ほとんど(絶対)イカサマしてきます。

4か処ほど廻ったが、後で“コミッションだ”とか、数えるふりをして机の下に落とします。

気をつけましょう。

両替専門店かチケット・オフィスで交換がベター。

みなさん、良い旅を・・・。(K)


1999年11月21日

母と妹と来ました!

雨期だけど、雨はだいだい夕方から降るし、日本みたいにじめじめしていませんでした。

みんな人なつっこい笑顔で“こんにちはー”って言ってくれました。

私にインドネシア語を話させてくれー! (Y)


1999年11月8日

孫にひかれてBALI参り。

先週まで寒さにふるえていたのに、プールで泳ごうとは・・・。

BALIは素晴らしい。(80才ジジ)


1999年11月5日

バリは1人で来ました。

初1人旅で9日間です。

お腹もこわさなかったし、元気にやってっる・・・と思ったら最終日の今日、すごく具合が悪くなってしまいました。

あまり無茶したつもりはなかったのですが。

お腹の調子がよくなくて、頭がガンガンするよー。

本当に昨日まで何もなかったのに。

いっぱい虫に刺されたので、その刺した虫の中に悪い奴がいたらどうしようか、と思って心配です。

虫よけスプレーは必須アイテムですねえ。(持ってたんだけどな)  

あと5時間でフライトの時間だし、本当にどうしよう・・・。

みなさんも体にだけは気をつけて旅を楽しんで下さい!! 

本当にね。(A)


1999年7月15日

アパ?で紹介してもらって楽器を習ってみました。(竹のやつ、木琴みたいなの)

バイクで3〜4分のところ「I GUSTI PUTU SANA ART STUDIO」です。

ちいちゃな息子をつれた若い人が先生。

日本語はしゃべれないそうですが。

基本的には先生が弾いたのをマネするという教授法なので、問題はありません。

とりあえず、一曲通してひけました。

2時間かかった。

あしたももう一度、行ってみようと思います。

あー楽しかった。(S)


続きは、残すところ、あとに回ほどになります。

最後まで、お付き合いください。


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2020年06月25日

自由筆記帳・一部公開その5(359)

価値観は、一つしかないと、それはもはや価値観ではない。

価値観は、いろんな価値観と比べてこそ、価値観。

自分の価値観も、他の価値観と比べてみて、初めて価値観だとやくわかる。


1999年2月20日

初めてBaliにやってきました。

小学校の時に初めてガムランを聴いてから、もうずっと 訪れたくてしょうがなかったBali-Ubud。

やっと実現できて(しかも誕生日に独り旅で!!)すっごく嬉しいです!! 

余談ですが行く決心がついたのは「アキオ紀行バリ」を読んだからです。

深谷さんのマンガ大好き!!

ここに来てから毎日がリラックスです。

そして、会社をやめる決心がつきました。

次からセラピストの訓練を受ける決心もつきました。

癒されることの気持ちよさを知ったので、私も人を癒す仕事がしたいです。

もっとゆとりのある仕事がしたい!! 

Baliに来てよかった。

ちなみに今日は私に誕生日、本日PM19:15(日本Time)で30才になります。

♪Happy Birthday 自分〜♪ 

わ〜っっ パチパチパチ

明日、日本に帰ります。

旅行中に出逢ったみなさん、どうもありがとう(S)


1999年2月24日

1ヶ月女2人でバリ、ロンボクとまわって、昨日ウブドに来ました。

なんだか人間不信になりそうな島バリ。

さんざんだまされて今日まできました。

楽しくハッピーな旅行になるはずが、何ともいえぬ気持ちをひきずりつつ重苦しい旅になってしまっているように感じます。

彼らが思うほど、あと、みんなが納得しちゃうほど日本人は金持ちじゃないし、このために何ヶ月も働いてきてるんだし「神に誓ってウソをつく」とあったけど本当。

天罰くだる人たくさんいるぜ。

切なくなってくるぜ。ちくしょー、みんな1のコトに100疑ってかかるぐらいでバリに挑め。

こ・・・ことばがないよ・・・。

涙も出ないよ。どうすればいいのさ。

日本がアジアの中で特殊だってつくづ〜く思いしったね。

月並みだけど。帰りたくなってきた。

ホントコンナハズデハ・・・。トホホのホ。

うまいメシくいたいよ→。くいと→。(I)


1999年3月1日

初のバリ。

クタは嫌。

「社長サン、アブラエ」「ヘイ、ヤンキー」「毒キノコあるよエヘヘヘ」「タイマ、マヤクどうエヘヘヘ」と言われた。

ウブドは、それにくらべるととてものどかだ。

初めて声をかけたのが屋台のおっさんで、そこで食べたミー・バッソがめちゃおいしかった。

踊りは、よくあなんなに大きな眼をずっと開けていられるんだな、と感心した。

明日から東側のバリを見る。

そのあと、ジャワ島。

そういえば、ロスメンで30cmくらいの大きなヤモリを見た。

このヤモリは「トッケー」と鳴くのでトッケーと言うそうだ。

ずっとながめていたかったけど、すぐどこかへ行ってしまった。

クタでバンジーをやった。

50mの高さから落下。

結構、死んだ。

一度やってみたら?

日焼け止めクリームを塗らなかったとこだけ、おもいっきり日焼けしてショック。

 
1999年3月4日

女3人で初めてバリに来ました。

ウブドはいい所だね。

クタとデンパサールも行ったけど・・・う〜ん。

どうでしょう。

人間不信に落ち入るね。

思ったより観光地化されすぎていて、素なバリニーズを見ることが出来ん。

ちょっと残念。子供までもが・・・。

でもいいホテル選んで、いい人に出会えたのでよかった。

さっきホテルの人に教えてもらってパダン料理を食べた。

めちゃめちゃ辛かったけど、うまかった。安かった。

日本円にして63円。

ドリアン食べたかったのに、あんまし売ってない。

売ってるけど高い。

ので、ドリアン・ビスケットを食べた(知らずに買って食べたらくさかった)。

3000Rpです。ぜひ、おためしあれ。くさいよ。

ホワイト・ハウスはいいロスメン。

みんないい人。彼らのおかげで楽しかった。

トゥリマカシー! (M)


1999年3月11日

クタに5日間いて、そのあとウブドへ来ました。

クタはもーくたくた、という感じです。

マニキュアおばさんにつかまり(すっごい力で腕をつかまれて)「サービス、サービス」全部の指を塗られ、あげくに60万ルピアなんてふっかけられた。

高い!とクレームをつけたら「うるさい!!」と言われたネ。

20分ねばって20万ルピアにしたけど、それでも高い。

もーくやしくって夜寝られなかった。

ひどい話だ。(走って逃げれば良かった) 

もうクタはイヤだ。絶対に行かないぞ!

ウブドはそれにくらべれば静かだけど、自分が思っていたより物売りはいる。

でもクタよりしつこくないけれど・・・。

あと3日ウブドにいて、あとロンボクヘ行ってきます。

またどんな人間が手ぐすねひいて待っていることやら。

まあ、いい人生勉強だと思ってあきらめます。それではいけないか・・。

バリは2回目だけど、来るたびに人間不信に落ち入るなあ。

そんな人ばかりとは思いたくないけどね。

私は日本でぬくぬくしている甘ちゃんなのさ!しょせん・・・。(N)


1999年3月13日

ウブドへ来て4日目です。

怖い思いをしたのは、友達と2人でレストランで食事をしていると、バリ人の人が話かけてきて、ロスメンに帰る時も、うしろをつけられたことです。

何もされなかったけど・・・。

その他は、バロン・ダンスやケチャ・ダンスを見て、すごく感動したりしています。

ウブドは、毎日どこかでダンスをしているので、すばらしいと思います。

日本でならダンスを見にいってもとても高いけれど、バリはお手軽な値段(私たちにとってだけかもしれんけど)で見れるのでうれしいです。

あと12日間くらい、おもいきりenjoyしようと思います。(S)


さらに続きます。

飽きずにお付き合いください。


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2020年06月24日

自由筆記帳・一部公開その4(358)

国が違えば、おのずと文化も違う。

自国での常識は、他国では非常識かもしれない。

わたしは日本人で、日本ではこんな場合こんな風にするなんて主張したら、それでおしまいだ。

日本人から見れば、受け入れがたくても、バリ人にしてみれば常識であったりする。

自分のモノサシで評価すると大きなシッペ返しがくる。

シッペ返しは、無理解からのトラブルだ。

われわれツーリストは、バリのやり方を尊重し、つねに優先しなければいけない。


1998年3月11日

今回で6回めのBALIです。1回めは10年前でした。

今のウブドは昔のKUTAのようです・・・・。

BALIもずいぶん 変わったように思います。

BALIの人たちもイロイロですよね・・・・。

一言ではいえないケド・・・人によって感じ方もちがうだろうし・・・今回はアト10日間です。

イロイロあるケド めげずに いい旅にきっとできるよう楽しくゆっくりすごします。

みなさんもイロイロ気を付けて、いい旅をして下さいNe。(M)


1998年4月8日

今回でBaliは3回目です。1人での旅は初めてです。

3週間の滞在で、3日前までは友人Kと一緒でしたが今は1人です。

1日Rp15,000(朝食込み)のホームステイに泊まっています。

あすは結婚式があるから是非見て、写真とって! とオーナーに誘われてワクワクしています。

1人になっても、いろんな人が声をかけてくれて、今のところ充実していて、さみしくないです。

気楽なモンです。

でも、悪い人もいるらしい。

私は運良く、ひどい目にあってないけど・・・。

バリの人好きだから、私は信じてついていってしまいます。

あまり疑ってばかりだと旅は楽しめません。

仕事をやめてしまって、バリに住もうとしている私は、日本ではさんざん言われたけど、ここに来て、このノートとか見ていてうれしくなりました。

とりあえず20日に一旦帰国するけど、5月からはずーっとBaliにいるつもりです。

だんだん、道ばたで声をかけられなくなったなーと思ってたら、行きつけのワルンの兄ちゃんが「マレーシア人かフィリピン人みたいだ」と言ってたから、ああ、日焼けしたんだ・・・とうれしいのか かなしいのか・・・。

皆さん 楽しい旅を!!(M)


1998年9月8日

あくまで私的な感想です。

全員では決してありませんが、バリ人は対面を気にすると思う。

というか、上手く言えませんが、うわさ好きのわりに、他人のことに関わりたがらず、知っていても知らぬふり。

隠し合い、かばい合い、TAMUに対しては特にそう。

不幸にして、私のまわりはそんな人ばかり。

フレンドリーな笑顔の下に、同情、哀れみ、嘲笑が隠れている。

自分のことは棚に上げ、他人のことは批判するけれど、肝心な時は「知らない。人の事はわからない」だって。

マジックやバンジャールが怖いもの? 

本当にJUJURな人はどこにいるの? 

神様を信じているのに、時には、神にかけてと言いつつウソをつく。

何人もの“心の友”のうち、本当に心を許し合っているのはどれだけいるかな?

恐るべしバリ。恐るべしバリ人の『常識』。(K)


1998年10月31日

バリにはTOTALで約5ヶ月いるけど、初めてバリに来た頃に戻りたいなぁと、この頃強く思う。

バリは本当に好きだけど、もっと他の国も見てみることにした。

いっぱい悪い人がいます。

特に、日本語がペラペラのヒゲ剃りあとの濃い、トゥガナン村の“M”には関わらないように。

これ以上、被害者が増えないことを祈ってます・・・。(M)


1998年10月31日

5回目のバリです。

いまだにインドネシア語はチンプンカンプン。

簡単なようで実は難しい言語ですね。

でも、早くマスターして地元の人とペラペラっとしゃべれるようにガンバルゾー。

みんなもガンバレー。(Y)


1998年12月23日

ウブドに来たのは2回目です。

なのにいきなり1人旅。

10日間の旅で、26日に帰国します。

3日目からは自分の足で宿を探しました。

いろんなホテルを見れたし、いろんな人に会えて楽しかったです。

9件まわってプリ・ゴン(PURI GONG)に落ち着きました。

もうちょっとお金があれば、クブク・インに泊まりたかったです。

バスルームから空が見えて、田んぼの中で、とっても風情があってよさそうでした。

次は泊まるぞー!!

ウブドで「偶然、人に会う」ことが2回ありました。

その一、前回の旅での現地添乗員さんに、ばったりあった。

その二、プリ・ゴンのスタッフと仲良くなって滞在4日目ぐらいに、話をしていて、実は前回の旅で私と彼は会っていたことに、お互いが気付いた。

わたしがボナ村のケチャを見に行っていた日に、彼はプリ・ゴンに泊まっていた日本人男性を案内して来ていた。

その時、少し話をしたのを思い出した。

今、私はその日本人男性が泊まって部屋に泊まっているとの事。

だからどうしたと言われれば、それまでですが。

でもやっぱり、私には不思議な出来事で嬉しい・・・。

2回目のウブドは、本当に楽しい。

前回よりも。

だけど、このノートを読んだりいろんな人の話を聞いていると、それだけじゃなさそうですね。

今が一番楽しいのかなー!?

でも、私はいつまでもウブドを好きでいたいです。(T)


1998年12月29日

今日帰るのがとてもさみしい。

ウブドはとても気に入った。

こんな素晴らしい自然が残っているなんて・・・。

このまま大切にしなければならないと思う。

この素晴らしいところに、今度は、父と母を連れて来たいと思う。

バロン・ダンスを見て、日本舞踊を習いたいと思った。

自分の国にも素晴らしい文化があるんだなあと、日本を見直す事ができた。

やっぱり旅はするものやな〜。(Y)


まだまだ、続きます。


posted by ito-san at 14:22| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月23日

自由筆記帳・一部公開その3(357)

「ウブド滞在30年です」と事実を述べたら、「それって自慢ですか?」とリアクションされたことがある。

自慢に受け止められるのは、嫌だ。

ウブド初訪問のツーリスト。

30年間、通い続けているリピーター。

年に2〜3回は訪れる、ウブド熱愛症候群の方。

望んでもできない人にとっては、羨ましいことかもしれない。

「もう30年です」と言えば、自慢ぽいし。

「まだ30年です」と謙虚に言っても、嫌みだし。

日本語って難しいです。

相手の心理状態、私の言い方・態度によって受け止め方は変わるんだろうな。


1997年6月22日

バリは2回目。

前はJALで今回はガルーダ・インドネシア航空。

料金が安いのはいいけど、AM11:00発がPM7:00まで遅れた。

もう信用しないぞガルーダ。

前はクタとウブドに泊まって、ウブドの魅力にハマッてまた来ました。

友人にとってバリはハワイとかグアムとかと同じイメージらしく、超ミーハーに見られて、くやしい。

ぜんぜん違うのにー。

バリはリピーターが多いと聞いたけど、来てきてわかった。

今度また来る時は、安宿に泊まって長期滞在してみたいな。

前、来た時一緒にいた友が、バイクのヒッタクリにあい、一緒に日本に帰れなかった。

ガイド・ブックにのっていたとうりなってしまった。

こんなことって本当にあるのね。

クタは危険!(S)


1997年7月7日

たぶんあと3日ウブッにいて、ジョクジャ→ジャカルタで日本に帰る。

60日間の内、やっぱりウブッにほとんどいた。

はじめてのバリで1人旅で色々心配だったけど、周りの人がとても良くしてくれてよい旅になった。

しんじられる人と、しんじられない人もいるから、本当に良い人に冷たいたいどをとってしまった時もあったかもしれん。ごめんなさい。

でも、バリは好き。ウブッも好き。

来てよかったなァーって、つくづく思います。

日本に帰ったら日本の生活になれるためのリハビリが必要かもしれん・・・。

ロンボック、チャンディダサ、ティルタガンガ、ロビナも良かったです。

ウブッにきて、優しくしてくれたすべての人にサンキュー ここに住みたいわァ。(M)


1997年10月1日

バリに来て!!

バリでは4泊だけど、毎日違うダンスを見たり、ネカ美術館に行ったり、ホテルのプールで泳いだり、ゴア・ガジャに行ってみたり(本当はこれから行く)。

いろんなものを見て、行って、すごく楽しいです。

初めての海外旅行で、英語も、もちろんインドネシア語も話せなくて、最初は不安だったけど、バリの人はとっても明るく、やさしく、楽しいので、すぐに(1時間くらい)なじみました。

1人で美術館の絵を見れたし、やっぱり、初めての海外旅行はバリのウブドで良かったと思う。

正直、日本の人も好きだけど、言葉が通じない分、新鮮だし、心がすごくきれいになれる気がする。

原始的なジェスチャーで、心がよく通じる。

そう思います。日本人の人よりわかりあえる。

立て前がない分。

確かにバリの人、日本人金持ちだから親切なのはわかる。

だけど、心が通じるところがあるのがわかる。

いい経験をしました。

最後に。私達の泊まったホテルは、鍵は一応閉まるけど鍵はないようなもので、押すと、私達の寝室の中に入れてしまいます。

みなさんのところもそうなんでしょうか?(S)


1997年10月23日

2回目のバリです。

前回はUBUDだけだったけど、今回はクタに3泊、サヌールに3泊、そしてここに1週間。

プリアタンの“P・B・N”というホーム・ステイに泊まっています。

奥さんは日本人だし、御主人のバグースさんは親切で日本語OKだし、いとこのバグース君はとってもフレンドリーで品のいい男の子だし(実際、バグちゃんみたいな男の子に今まで会ったことないですって位よ)。

アユちゃんは、超シャイでかわいい。

おうちも新しく清潔で、もう言うことなしの居心地の良さなんですよ。

奥さんのTさんと日本で会って、で泊めれもらえるようお願いしたんですけども。

東京/新宿の「NEWS」ツーリスト・カフェで、ここのホーム・ステイのことを知りました。

ぜひ、みなさんも利用して下さいね!!。

ところでクタは、初めて行ったんですが、おどろきました。

UBUDしか知らなかった私にとって、クタは大きなショックでした。

ほこりっぽく、品がなく、騒々しくて、なんか悲しくなりました。

(でも、良い人もいました。もちろん)

サヌールは、少しだけビーチ・リゾートを味わいたくって行ったんだけど、とても良い時間を過ごしました。

カヌーをブッキングしてくれた男の子がすごくいいヤツで、バイクでデンパサールにつれて行ってもらったり、カヌーで2人で遠くまで行ったり、すごく居心地良いヤツだった。

カヌーからビーチを眺めてた時、茶髪でちゃらとした日本人の女の子が1人、男の子たくさんにつれてたのが見えたのね。

そのうちの1人が彼の友達だったらしく、私は「あー・・あの女の子・・・」と言ったら、笑って「大丈夫。

あいつは僕の友達だから。それにここはクタとは違うよ」(←英語)と言ってたの。

なんだかとてもほっとして、嬉しかったんだよね。

サヌールって、そういう所みたい。

ちょっと海を見たい!!って時はサヌールヘ行ってみてね。(J)


1997年12月31日

今日、バリ島東部パダンバイからウブドに来ました。

パダンバイは、道が平らで、海のすぐそばで、ロスメンとかは、あまり選べないけど、のどかで、よい所です。

ジュクンでシュノーケリングに行きました。

20分くらい船にのり、ついた所は、竜宮城のようでした。

船から熱帯魚やさんごがバッチリみえます。

さんごも、ちゃんと生きてます。

2m〜5mくらいのところで、あまり泳げないので、ちょっとこわかったけど、フィンとマスクだけで充分たのしめました。

小さなサメや、エンゼルフィッシュ、熱帯魚の群れもみました。 
 
J・ハヌマン沿いのバンガローに滞在してます。

ウブドは4度目ですが来るたびに開発されていて、ちょっと、さびしいような・・・・・。

でも、とってもバグースです。(T)


さらに続きます。



posted by ito-san at 13:48| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月22日

自由筆記帳・一部公開その2(356)

共感できる書き込みは、ありましたか?

このシリーズ(と言っていいのかわかりませんが)7回ほど続きそうです。

では、続きをご覧ください。


1997年5月25日

今はまだ学生(短大の2年)、長期滞在したいんだけど、時間がなくて悲しい。

30日とか来たいけど、有休とかもそんなにとれないし。

来れるチャンスは98年2月or3月しかない。

でも、卒業とかいろいろあるし・・・。

ウブドゥはサイコー。

クタとかレギャンはなんかちがう気がする。

クタやレギャンに行く人にバリに来た意味をおしえてもらいたい。

あんな観光地にした観光客がさびしい。

でも、私もそんな観光客なのかもしれない。

さもしい。ゴメンネ。(I)


1997年5月31日

今回7年ぶりにバリに来て、ちょうど2ヶ月がたちました。

6月1日に帰国(日本)しなければいけないのが少し残念でもあり、又、少しホッとする気分でもあります。

50日程、毎日踊りの練習してました。

ヤセた。

好体調維持とプロポーション作りしたい方で長期滞在される方は、毎日1時間ずつでも踊りを習ってみては・・・? 

体にはとても良いと思われます。

私は、いつもUBUDパレスで踊っているアグン・ラカに習っていました。

とっても上手い女性です。

詳細はブンブン・カフェの伊藤氏に・・・。

昨夜、お寺で踊る機会があり、日本人ばかり6人でwelcome Danceを演じました。

でも、私だけが初心者で、あとは皆さん長い事踊りを習っている人ばかりで、すごく恥ずかしかった。

しかも、お寺で踊る事が急に(私がはっきり聞いたのは当日)決まった上に、全員で一度も練習ができなかったので、私としてはとっても不安でした。

びみょうに振りも違うだろうし、私が彼女達に合わせるのは不可能だし・・・。

でも、みんな「大丈夫、大丈夫、できる、できる、せっかくなんだから、ぜひTRYして!」と温かく励ましてくれ、私の優しい(?)彼氏(??)も「大丈夫。誰だって初めはあるんだから。今まで一生懸命やってきた事をそのまますれば良い! 他の人達の踊りを見ずに、自分の踊りをして」と言ってくれたので、とりあえずチャレンジ!してみました。

結果は・・・案の定、顔はひきつって“ほほ笑み”どころではないし、やはり少し皆と振り付けが違ってるし、前の人に合わせなきゃ・・・と必死で、振りそのものを忘れるし・・・と、惨々でしたが、とても良い経験ができました。

こちらの人のセレモニーに参加できた事、まがりなりにも神サマに捧げる事ができたコト。

(多分、神サマはあきれて、怒ってるかも)

で、終わってみて、もっと上手くなりたい!! と心底思いました。

やるぞ。私は。日本でも。

2ヶ月UBUDに居て、色んな人と会えて(日本の方ともバリの人とも)踊りの先生んちのおうちのセレモニーにもずーっと参加して思った事・・・。

どんなガイド・ブックを読んでも、なんか少し違う、と感じる様になった。

自分なりのバリっていうのが、誰にでもあると思うので、なーんにも読まずに長く居るのもオモシロイと思う。

(でも、宗教、芸能関係の本は読んどくべきかも・・・)

ガイド・ブックって、時々、ハラ立つ。

特にロンリー・プラネット、おのれは何様じゃい、と思う所が多々あったぞ。

ホント、白人仕様ですね。

まだ書くか、ってカンジですが、彼氏が来るまで暇なので書く。

今回、伊藤氏にラカを紹介してもらってホント助かりました。

お寺ではちゃんと踊れなかったけど、伊藤さんがっかりしないでネ。

NEXT TIME . I CAN DO!!ですから。

バリで何がおもしろいって、私にとっては「人間関係」が一番おもしろかった。

私が知る範囲なので、そんなに広い訳ではないが、結局のところみーんな実は知り合いで、知ってたけど、今まで話さなかったんだけど、私を介して初めてしゃべったみたいな、妙な人間関係が、私にとってはおもしろかったよーん。

UBUDはやっぱり村だった。

なんかこういう横のつながりって、とても懐かしい気がする。

日本では隣の人とも、1度もしゃべった事ないからネ。

私。(ちなみに大阪ミナミのどまん中に住んどりました)

と、いう訳で、2ヶ月の滞在も終わり、たく山の写真とまっ黒になったBODYと、リラックスしたHERTを持って日本に帰ります。

そして、次は半年コースで来てやるゾ。

日本で新しい仕事が見つかりますように。

皆さん身体に気を付けて、UBUDをENJOYして下さい。(A)

P.S、なんで彼は来ないのだ????


1997年6月9日

6月1日に初めてBaliに来ました。

いろんな人から話だけはいーっぱい聞いていたけど、実際来てみると、結構どうにかなるっていうか、神経質に考えていたことも、何でもなかったりして、情報を入れておくこともいいけど、やっぱり人それぞれ思うこと、感じることちがう。

日本でバリ舞踊やってるけど、こっちではじめて習って、あつい。

毎日できつい! 

でも、じゅーじつしてるって感じでいい。

時間がなくてぐちゃぐちゃ。

今からボナ村へケチャ。

もう11日に、帰らなくてはいけないのダ。

今度は、いつこられるのだろう? 

仕事は、もう休むとクビになるよー。(E)


続きは次回に。


posted by ito-san at 13:08| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする