2020年06月27日

自由筆記帳・一部公開その7(361)

みんさん、様々な経験していますね!

旅行中に、「ごまかされた」「また故障だ」「待たされる」などと、愚痴のオンパレード。

嫌いになるために、旅しているような人もいる。

この国はこうなんだと貶めて、優越感を持つのも考えものだ。

それでは、旅を楽しむことはできないだろう。

世界には、我々と異なった文化を持つ国が多い。

国ごとに、様々な文化があるのが、旅の醍醐味だ。


2000年2月19日

きのう、となりの部屋に来た日本人の女の子と4人で、チャリで、ゴア・ガジャに行ってきました。

バンガローのスタッフに聞いたら、モンキー・フォレストの近くから5分くらいで行けると教えてくれた。ところがどっこい、坂道、くだり道、ボコボコ続きで20分くらいかかったと思う。

骨盤がはずれそうだ。

ゴア・ガジャに、たちの悪いガイドがいるらしい。

ちょっとガイドしてRp200,000もとろーとする、自称17才の苦学生がいるらしい。

注意した方がいいと思います。

その帰りには、バケツをひっくりかえしたみたいなスコールに合って、パンツの中までグチャグチャになってしまいました。

かなりサバイバルだった。

スラマッ・ジャラン!!(A)


2001年4月12日

インドネシアに来たのは2回目です。

以前は、1年前にジャカルタ、スラバヤ、ウブド、クタで滞在しました。

今回は、とくにあてもない旅行ですが、以前、ウブドに訪れた印象がとても美しかったので、また来てしまいました。

3泊位して、またウロチョロする予定です。

4/27〜バンコクからマレーシア鉄道に乗りシンガポールへ行こうと計画しています。

女性1人での旅なので、少々怖い気もするけど、こんなチャンスは滅多にないので頑張ります。

私のような、女性1人旅をしているバックパッカーの方へ!!

くれぐれもお互い体を大切にして、ビーチボーイやギャンブルなど恐ろしい!!ものには気を付けよう!! 

せっかく、親や彼を説得して、日本からたった1人で旅立ったんだから。

親や彼に「わがまま!!」とか、いろいろ言われたけれど、今となって、彼らにしてあげられるのは、無事に帰国するコト。

お互い、色々なものを見て、感じて、食べて、吸収しましょう!! 

では、Good Luck!! (O)


2001年4月25日

いろんな人が訪れて、皆さん様々なこと体験していきますね。

私はバリは初めてで、いきなり1人。

4ヶ月(60日×2)滞在。

初日がクタだったせいか、ウブどはとてもリラックスできる・・・けど、やっぱり声をかけられると、神経がピリピリして、うーん、複雑。

ちょっとほっといてくれーいって気もしますネ。

泊まっているロスメンの人は親切で、きのう自分が出演するバーに連れていってくれ、初日の夜を淋しい思いをせずにすみました。

いろんな人に会うのは当然の事で、自分がちゃんとした人を見る目と判断する力を持っていれば、多少の失敗はあったとしても、それはそれで自分の道だと思います。

私も、もうちょっと強くならなくちゃ!!
 
自分を鍛えなくちゃ!! 

楽しむための、短い旅行だったらもっと気楽でいいのかも、と思うけど、4ヶ月となると力も入る。

でも、楽しくね。

大丈夫、大丈夫、私なら大丈夫。

毎日自分に言いきかせてます。(M)


2001年6月20日

昨日は、ウブドからKUTAに行って来た。初めてのバリ旅で、初めからウブドなのでKUTAはやっぱり恐いよー。

両替したけど案の定だまされて(自分で数えたのに)。

クレーム言いに行ったら返してくれた。

泣き寝入りはしないように!! 

すごく怒った感じて行けば、大丈夫かも。

今は、NYOMAN KALSA(エステ・ジェラティック)の近くに泊まってます。

スタッフの人もすごく親切。

初めて来たのに、すぐ友達になった。

ホタルを見に、つれて行ってくれたりもします。
 
あと2日、BALIを楽しむー。

また近いうちにBALIに来し・・・。(S)


2001年8月11日

サヌールに6泊した後、昨日ウブドに来ました。

親子5人の珍道中。

昨日は「U・I」ウブド・インに泊まっていたけど、あまりの部屋の悪さに、今日から3泊は、「オカワティ」にchangeすることにしました。

でも、「U・I」で1つ良かったことが・・・。

ナ・ナント道路に面したレストランでランチしていたら・・・15年ほど前、いっしょの職場だった友達が歩いて来たでは!

眼が合った瞬間ウッソ!!! 

しばらく、おしゃべりしに花が咲きました。(M)


2002年1月2日

おとといブサキ寺院に行ったら「自分はここの門番で、自分が一緒にいないと寺院の中に入れない」と言われて、一緒にまわった。

変な場所につれて行かれ、何も言われずにお坊さんみたいな人に祈られ「金、払え」って言われた。

最初3,000ルピア置こうとしたら「少ない!! 

$15払え」って言われた。

お前に払うんじゃない。

これは俺の気持ちだ!! 

だいいち神様は、お金を使う事できねーだろう、って言ったけど、ひつこかったんで50,000ルピア置いて来た。

次に来た日本人の女の子に、その事を教えてやろうとしたら、門に鍵をかけられた。

これから行く人は気をつけて。(M)


続く。


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2020年06月26日

自由筆記帳・一部公開その6(360)

外出自粛は、現役を離れた孤独老人の心境だ。

どこにも行けない。

話し相手もいない。

趣味もない。

ないない尽くし。

おかげで、パソコン内の整理がはかどっている。


1999年12月26日

3回目のバリ旅行です。

これまでは、リゾート・エリアばっかりだったので、ドキドキしてます。

ガイド・ブックには「気をつけるように!」の文字ばかりで、なんだか気がぬけません。

でも、バリは好き〜!! 

2000年1月6日まで、ゆ〜っくりと過ごします。

バリのいいところをもっともっと見つけたいなと、思ってます。

バリって、突然、フシギなこと起こると思いませんか。

そんな体験をもっとしたいなーと思います。(T)


1999年12月15日

私、オーストラリアのワーホリ帰り。

オーストラリアに比べて物価が安くてびっくり。

でも、お金の単位がゼロいっぱいで、こんがらがる。

日本円、オーストラリア$で考えると安いんだが、どうもかなりボラレ ぎみ。

たいした金額じゃないのに、自分がどんどんケチになるー!!

いい人もいるけどムズカシイ。

素直に信じられないのが悲しい。

リラックスするつもりが、けっこう疲れています。

あー、もう少しいろいろやって楽しんだら、バリ好きになれるのかなー!! 

のんびりのんびりいきたいよー!!

ロスメンの人はとっても優しくてよかった。

お祭りの時、もらったゴハンは、とてもおいしかった。

もっと現地密着型の旅がしたーい!! 

夜のダンスはとってもよかった。

ツアーにいかないで、ダンスを何回か見たほうがよかったのか・・・。(Y)


1999年12月1日

ウブドはイイネ〜、のんびりしてて。

クタの両替はレートがいいケド、極端にイイ処は、ほとんど(絶対)イカサマしてきます。

4か処ほど廻ったが、後で“コミッションだ”とか、数えるふりをして机の下に落とします。

気をつけましょう。

両替専門店かチケット・オフィスで交換がベター。

みなさん、良い旅を・・・。(K)


1999年11月21日

母と妹と来ました!

雨期だけど、雨はだいだい夕方から降るし、日本みたいにじめじめしていませんでした。

みんな人なつっこい笑顔で“こんにちはー”って言ってくれました。

私にインドネシア語を話させてくれー! (Y)


1999年11月8日

孫にひかれてBALI参り。

先週まで寒さにふるえていたのに、プールで泳ごうとは・・・。

BALIは素晴らしい。(80才ジジ)


1999年11月5日

バリは1人で来ました。

初1人旅で9日間です。

お腹もこわさなかったし、元気にやってっる・・・と思ったら最終日の今日、すごく具合が悪くなってしまいました。

あまり無茶したつもりはなかったのですが。

お腹の調子がよくなくて、頭がガンガンするよー。

本当に昨日まで何もなかったのに。

いっぱい虫に刺されたので、その刺した虫の中に悪い奴がいたらどうしようか、と思って心配です。

虫よけスプレーは必須アイテムですねえ。(持ってたんだけどな)  

あと5時間でフライトの時間だし、本当にどうしよう・・・。

みなさんも体にだけは気をつけて旅を楽しんで下さい!! 

本当にね。(A)


1999年7月15日

アパ?で紹介してもらって楽器を習ってみました。(竹のやつ、木琴みたいなの)

バイクで3〜4分のところ「I GUSTI PUTU SANA ART STUDIO」です。

ちいちゃな息子をつれた若い人が先生。

日本語はしゃべれないそうですが。

基本的には先生が弾いたのをマネするという教授法なので、問題はありません。

とりあえず、一曲通してひけました。

2時間かかった。

あしたももう一度、行ってみようと思います。

あー楽しかった。(S)


続きは、残すところ、あとに回ほどになります。

最後まで、お付き合いください。


posted by ito-san at 12:45| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月25日

自由筆記帳・一部公開その5(359)

価値観は、一つしかないと、それはもはや価値観ではない。

価値観は、いろんな価値観と比べてこそ、価値観。

自分の価値観も、他の価値観と比べてみて、初めて価値観だとやくわかる。


1999年2月20日

初めてBaliにやってきました。

小学校の時に初めてガムランを聴いてから、もうずっと 訪れたくてしょうがなかったBali-Ubud。

やっと実現できて(しかも誕生日に独り旅で!!)すっごく嬉しいです!! 

余談ですが行く決心がついたのは「アキオ紀行バリ」を読んだからです。

深谷さんのマンガ大好き!!

ここに来てから毎日がリラックスです。

そして、会社をやめる決心がつきました。

次からセラピストの訓練を受ける決心もつきました。

癒されることの気持ちよさを知ったので、私も人を癒す仕事がしたいです。

もっとゆとりのある仕事がしたい!! 

Baliに来てよかった。

ちなみに今日は私に誕生日、本日PM19:15(日本Time)で30才になります。

♪Happy Birthday 自分〜♪ 

わ〜っっ パチパチパチ

明日、日本に帰ります。

旅行中に出逢ったみなさん、どうもありがとう(S)


1999年2月24日

1ヶ月女2人でバリ、ロンボクとまわって、昨日ウブドに来ました。

なんだか人間不信になりそうな島バリ。

さんざんだまされて今日まできました。

楽しくハッピーな旅行になるはずが、何ともいえぬ気持ちをひきずりつつ重苦しい旅になってしまっているように感じます。

彼らが思うほど、あと、みんなが納得しちゃうほど日本人は金持ちじゃないし、このために何ヶ月も働いてきてるんだし「神に誓ってウソをつく」とあったけど本当。

天罰くだる人たくさんいるぜ。

切なくなってくるぜ。ちくしょー、みんな1のコトに100疑ってかかるぐらいでバリに挑め。

こ・・・ことばがないよ・・・。

涙も出ないよ。どうすればいいのさ。

日本がアジアの中で特殊だってつくづ〜く思いしったね。

月並みだけど。帰りたくなってきた。

ホントコンナハズデハ・・・。トホホのホ。

うまいメシくいたいよ→。くいと→。(I)


1999年3月1日

初のバリ。

クタは嫌。

「社長サン、アブラエ」「ヘイ、ヤンキー」「毒キノコあるよエヘヘヘ」「タイマ、マヤクどうエヘヘヘ」と言われた。

ウブドは、それにくらべるととてものどかだ。

初めて声をかけたのが屋台のおっさんで、そこで食べたミー・バッソがめちゃおいしかった。

踊りは、よくあなんなに大きな眼をずっと開けていられるんだな、と感心した。

明日から東側のバリを見る。

そのあと、ジャワ島。

そういえば、ロスメンで30cmくらいの大きなヤモリを見た。

このヤモリは「トッケー」と鳴くのでトッケーと言うそうだ。

ずっとながめていたかったけど、すぐどこかへ行ってしまった。

クタでバンジーをやった。

50mの高さから落下。

結構、死んだ。

一度やってみたら?

日焼け止めクリームを塗らなかったとこだけ、おもいっきり日焼けしてショック。

 
1999年3月4日

女3人で初めてバリに来ました。

ウブドはいい所だね。

クタとデンパサールも行ったけど・・・う〜ん。

どうでしょう。

人間不信に落ち入るね。

思ったより観光地化されすぎていて、素なバリニーズを見ることが出来ん。

ちょっと残念。子供までもが・・・。

でもいいホテル選んで、いい人に出会えたのでよかった。

さっきホテルの人に教えてもらってパダン料理を食べた。

めちゃめちゃ辛かったけど、うまかった。安かった。

日本円にして63円。

ドリアン食べたかったのに、あんまし売ってない。

売ってるけど高い。

ので、ドリアン・ビスケットを食べた(知らずに買って食べたらくさかった)。

3000Rpです。ぜひ、おためしあれ。くさいよ。

ホワイト・ハウスはいいロスメン。

みんないい人。彼らのおかげで楽しかった。

トゥリマカシー! (M)


1999年3月11日

クタに5日間いて、そのあとウブドへ来ました。

クタはもーくたくた、という感じです。

マニキュアおばさんにつかまり(すっごい力で腕をつかまれて)「サービス、サービス」全部の指を塗られ、あげくに60万ルピアなんてふっかけられた。

高い!とクレームをつけたら「うるさい!!」と言われたネ。

20分ねばって20万ルピアにしたけど、それでも高い。

もーくやしくって夜寝られなかった。

ひどい話だ。(走って逃げれば良かった) 

もうクタはイヤだ。絶対に行かないぞ!

ウブドはそれにくらべれば静かだけど、自分が思っていたより物売りはいる。

でもクタよりしつこくないけれど・・・。

あと3日ウブドにいて、あとロンボクヘ行ってきます。

またどんな人間が手ぐすねひいて待っていることやら。

まあ、いい人生勉強だと思ってあきらめます。それではいけないか・・。

バリは2回目だけど、来るたびに人間不信に落ち入るなあ。

そんな人ばかりとは思いたくないけどね。

私は日本でぬくぬくしている甘ちゃんなのさ!しょせん・・・。(N)


1999年3月13日

ウブドへ来て4日目です。

怖い思いをしたのは、友達と2人でレストランで食事をしていると、バリ人の人が話かけてきて、ロスメンに帰る時も、うしろをつけられたことです。

何もされなかったけど・・・。

その他は、バロン・ダンスやケチャ・ダンスを見て、すごく感動したりしています。

ウブドは、毎日どこかでダンスをしているので、すばらしいと思います。

日本でならダンスを見にいってもとても高いけれど、バリはお手軽な値段(私たちにとってだけかもしれんけど)で見れるのでうれしいです。

あと12日間くらい、おもいきりenjoyしようと思います。(S)


さらに続きます。

飽きずにお付き合いください。


posted by ito-san at 12:52| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月24日

自由筆記帳・一部公開その4(358)

国が違えば、おのずと文化も違う。

自国での常識は、他国では非常識かもしれない。

わたしは日本人で、日本ではこんな場合こんな風にするなんて主張したら、それでおしまいだ。

日本人から見れば、受け入れがたくても、バリ人にしてみれば常識であったりする。

自分のモノサシで評価すると大きなシッペ返しがくる。

シッペ返しは、無理解からのトラブルだ。

われわれツーリストは、バリのやり方を尊重し、つねに優先しなければいけない。


1998年3月11日

今回で6回めのBALIです。1回めは10年前でした。

今のウブドは昔のKUTAのようです・・・・。

BALIもずいぶん 変わったように思います。

BALIの人たちもイロイロですよね・・・・。

一言ではいえないケド・・・人によって感じ方もちがうだろうし・・・今回はアト10日間です。

イロイロあるケド めげずに いい旅にきっとできるよう楽しくゆっくりすごします。

みなさんもイロイロ気を付けて、いい旅をして下さいNe。(M)


1998年4月8日

今回でBaliは3回目です。1人での旅は初めてです。

3週間の滞在で、3日前までは友人Kと一緒でしたが今は1人です。

1日Rp15,000(朝食込み)のホームステイに泊まっています。

あすは結婚式があるから是非見て、写真とって! とオーナーに誘われてワクワクしています。

1人になっても、いろんな人が声をかけてくれて、今のところ充実していて、さみしくないです。

気楽なモンです。

でも、悪い人もいるらしい。

私は運良く、ひどい目にあってないけど・・・。

バリの人好きだから、私は信じてついていってしまいます。

あまり疑ってばかりだと旅は楽しめません。

仕事をやめてしまって、バリに住もうとしている私は、日本ではさんざん言われたけど、ここに来て、このノートとか見ていてうれしくなりました。

とりあえず20日に一旦帰国するけど、5月からはずーっとBaliにいるつもりです。

だんだん、道ばたで声をかけられなくなったなーと思ってたら、行きつけのワルンの兄ちゃんが「マレーシア人かフィリピン人みたいだ」と言ってたから、ああ、日焼けしたんだ・・・とうれしいのか かなしいのか・・・。

皆さん 楽しい旅を!!(M)


1998年9月8日

あくまで私的な感想です。

全員では決してありませんが、バリ人は対面を気にすると思う。

というか、上手く言えませんが、うわさ好きのわりに、他人のことに関わりたがらず、知っていても知らぬふり。

隠し合い、かばい合い、TAMUに対しては特にそう。

不幸にして、私のまわりはそんな人ばかり。

フレンドリーな笑顔の下に、同情、哀れみ、嘲笑が隠れている。

自分のことは棚に上げ、他人のことは批判するけれど、肝心な時は「知らない。人の事はわからない」だって。

マジックやバンジャールが怖いもの? 

本当にJUJURな人はどこにいるの? 

神様を信じているのに、時には、神にかけてと言いつつウソをつく。

何人もの“心の友”のうち、本当に心を許し合っているのはどれだけいるかな?

恐るべしバリ。恐るべしバリ人の『常識』。(K)


1998年10月31日

バリにはTOTALで約5ヶ月いるけど、初めてバリに来た頃に戻りたいなぁと、この頃強く思う。

バリは本当に好きだけど、もっと他の国も見てみることにした。

いっぱい悪い人がいます。

特に、日本語がペラペラのヒゲ剃りあとの濃い、トゥガナン村の“M”には関わらないように。

これ以上、被害者が増えないことを祈ってます・・・。(M)


1998年10月31日

5回目のバリです。

いまだにインドネシア語はチンプンカンプン。

簡単なようで実は難しい言語ですね。

でも、早くマスターして地元の人とペラペラっとしゃべれるようにガンバルゾー。

みんなもガンバレー。(Y)


1998年12月23日

ウブドに来たのは2回目です。

なのにいきなり1人旅。

10日間の旅で、26日に帰国します。

3日目からは自分の足で宿を探しました。

いろんなホテルを見れたし、いろんな人に会えて楽しかったです。

9件まわってプリ・ゴン(PURI GONG)に落ち着きました。

もうちょっとお金があれば、クブク・インに泊まりたかったです。

バスルームから空が見えて、田んぼの中で、とっても風情があってよさそうでした。

次は泊まるぞー!!

ウブドで「偶然、人に会う」ことが2回ありました。

その一、前回の旅での現地添乗員さんに、ばったりあった。

その二、プリ・ゴンのスタッフと仲良くなって滞在4日目ぐらいに、話をしていて、実は前回の旅で私と彼は会っていたことに、お互いが気付いた。

わたしがボナ村のケチャを見に行っていた日に、彼はプリ・ゴンに泊まっていた日本人男性を案内して来ていた。

その時、少し話をしたのを思い出した。

今、私はその日本人男性が泊まって部屋に泊まっているとの事。

だからどうしたと言われれば、それまでですが。

でもやっぱり、私には不思議な出来事で嬉しい・・・。

2回目のウブドは、本当に楽しい。

前回よりも。

だけど、このノートを読んだりいろんな人の話を聞いていると、それだけじゃなさそうですね。

今が一番楽しいのかなー!?

でも、私はいつまでもウブドを好きでいたいです。(T)


1998年12月29日

今日帰るのがとてもさみしい。

ウブドはとても気に入った。

こんな素晴らしい自然が残っているなんて・・・。

このまま大切にしなければならないと思う。

この素晴らしいところに、今度は、父と母を連れて来たいと思う。

バロン・ダンスを見て、日本舞踊を習いたいと思った。

自分の国にも素晴らしい文化があるんだなあと、日本を見直す事ができた。

やっぱり旅はするものやな〜。(Y)


まだまだ、続きます。


posted by ito-san at 14:22| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月23日

自由筆記帳・一部公開その3(357)

「ウブド滞在30年です」と事実を述べたら、「それって自慢ですか?」とリアクションされたことがある。

自慢に受け止められるのは、嫌だ。

ウブド初訪問のツーリスト。

30年間、通い続けているリピーター。

年に2〜3回は訪れる、ウブド熱愛症候群の方。

望んでもできない人にとっては、羨ましいことかもしれない。

「もう30年です」と言えば、自慢ぽいし。

「まだ30年です」と謙虚に言っても、嫌みだし。

日本語って難しいです。

相手の心理状態、私の言い方・態度によって受け止め方は変わるんだろうな。


1997年6月22日

バリは2回目。

前はJALで今回はガルーダ・インドネシア航空。

料金が安いのはいいけど、AM11:00発がPM7:00まで遅れた。

もう信用しないぞガルーダ。

前はクタとウブドに泊まって、ウブドの魅力にハマッてまた来ました。

友人にとってバリはハワイとかグアムとかと同じイメージらしく、超ミーハーに見られて、くやしい。

ぜんぜん違うのにー。

バリはリピーターが多いと聞いたけど、来てきてわかった。

今度また来る時は、安宿に泊まって長期滞在してみたいな。

前、来た時一緒にいた友が、バイクのヒッタクリにあい、一緒に日本に帰れなかった。

ガイド・ブックにのっていたとうりなってしまった。

こんなことって本当にあるのね。

クタは危険!(S)


1997年7月7日

たぶんあと3日ウブッにいて、ジョクジャ→ジャカルタで日本に帰る。

60日間の内、やっぱりウブッにほとんどいた。

はじめてのバリで1人旅で色々心配だったけど、周りの人がとても良くしてくれてよい旅になった。

しんじられる人と、しんじられない人もいるから、本当に良い人に冷たいたいどをとってしまった時もあったかもしれん。ごめんなさい。

でも、バリは好き。ウブッも好き。

来てよかったなァーって、つくづく思います。

日本に帰ったら日本の生活になれるためのリハビリが必要かもしれん・・・。

ロンボック、チャンディダサ、ティルタガンガ、ロビナも良かったです。

ウブッにきて、優しくしてくれたすべての人にサンキュー ここに住みたいわァ。(M)


1997年10月1日

バリに来て!!

バリでは4泊だけど、毎日違うダンスを見たり、ネカ美術館に行ったり、ホテルのプールで泳いだり、ゴア・ガジャに行ってみたり(本当はこれから行く)。

いろんなものを見て、行って、すごく楽しいです。

初めての海外旅行で、英語も、もちろんインドネシア語も話せなくて、最初は不安だったけど、バリの人はとっても明るく、やさしく、楽しいので、すぐに(1時間くらい)なじみました。

1人で美術館の絵を見れたし、やっぱり、初めての海外旅行はバリのウブドで良かったと思う。

正直、日本の人も好きだけど、言葉が通じない分、新鮮だし、心がすごくきれいになれる気がする。

原始的なジェスチャーで、心がよく通じる。

そう思います。日本人の人よりわかりあえる。

立て前がない分。

確かにバリの人、日本人金持ちだから親切なのはわかる。

だけど、心が通じるところがあるのがわかる。

いい経験をしました。

最後に。私達の泊まったホテルは、鍵は一応閉まるけど鍵はないようなもので、押すと、私達の寝室の中に入れてしまいます。

みなさんのところもそうなんでしょうか?(S)


1997年10月23日

2回目のバリです。

前回はUBUDだけだったけど、今回はクタに3泊、サヌールに3泊、そしてここに1週間。

プリアタンの“P・B・N”というホーム・ステイに泊まっています。

奥さんは日本人だし、御主人のバグースさんは親切で日本語OKだし、いとこのバグース君はとってもフレンドリーで品のいい男の子だし(実際、バグちゃんみたいな男の子に今まで会ったことないですって位よ)。

アユちゃんは、超シャイでかわいい。

おうちも新しく清潔で、もう言うことなしの居心地の良さなんですよ。

奥さんのTさんと日本で会って、で泊めれもらえるようお願いしたんですけども。

東京/新宿の「NEWS」ツーリスト・カフェで、ここのホーム・ステイのことを知りました。

ぜひ、みなさんも利用して下さいね!!。

ところでクタは、初めて行ったんですが、おどろきました。

UBUDしか知らなかった私にとって、クタは大きなショックでした。

ほこりっぽく、品がなく、騒々しくて、なんか悲しくなりました。

(でも、良い人もいました。もちろん)

サヌールは、少しだけビーチ・リゾートを味わいたくって行ったんだけど、とても良い時間を過ごしました。

カヌーをブッキングしてくれた男の子がすごくいいヤツで、バイクでデンパサールにつれて行ってもらったり、カヌーで2人で遠くまで行ったり、すごく居心地良いヤツだった。

カヌーからビーチを眺めてた時、茶髪でちゃらとした日本人の女の子が1人、男の子たくさんにつれてたのが見えたのね。

そのうちの1人が彼の友達だったらしく、私は「あー・・あの女の子・・・」と言ったら、笑って「大丈夫。

あいつは僕の友達だから。それにここはクタとは違うよ」(←英語)と言ってたの。

なんだかとてもほっとして、嬉しかったんだよね。

サヌールって、そういう所みたい。

ちょっと海を見たい!!って時はサヌールヘ行ってみてね。(J)


1997年12月31日

今日、バリ島東部パダンバイからウブドに来ました。

パダンバイは、道が平らで、海のすぐそばで、ロスメンとかは、あまり選べないけど、のどかで、よい所です。

ジュクンでシュノーケリングに行きました。

20分くらい船にのり、ついた所は、竜宮城のようでした。

船から熱帯魚やさんごがバッチリみえます。

さんごも、ちゃんと生きてます。

2m〜5mくらいのところで、あまり泳げないので、ちょっとこわかったけど、フィンとマスクだけで充分たのしめました。

小さなサメや、エンゼルフィッシュ、熱帯魚の群れもみました。 
 
J・ハヌマン沿いのバンガローに滞在してます。

ウブドは4度目ですが来るたびに開発されていて、ちょっと、さびしいような・・・・・。

でも、とってもバグースです。(T)


さらに続きます。



posted by ito-san at 13:48| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月22日

自由筆記帳・一部公開その2(356)

共感できる書き込みは、ありましたか?

このシリーズ(と言っていいのかわかりませんが)7回ほど続きそうです。

では、続きをご覧ください。


1997年5月25日

今はまだ学生(短大の2年)、長期滞在したいんだけど、時間がなくて悲しい。

30日とか来たいけど、有休とかもそんなにとれないし。

来れるチャンスは98年2月or3月しかない。

でも、卒業とかいろいろあるし・・・。

ウブドゥはサイコー。

クタとかレギャンはなんかちがう気がする。

クタやレギャンに行く人にバリに来た意味をおしえてもらいたい。

あんな観光地にした観光客がさびしい。

でも、私もそんな観光客なのかもしれない。

さもしい。ゴメンネ。(I)


1997年5月31日

今回7年ぶりにバリに来て、ちょうど2ヶ月がたちました。

6月1日に帰国(日本)しなければいけないのが少し残念でもあり、又、少しホッとする気分でもあります。

50日程、毎日踊りの練習してました。

ヤセた。

好体調維持とプロポーション作りしたい方で長期滞在される方は、毎日1時間ずつでも踊りを習ってみては・・・? 

体にはとても良いと思われます。

私は、いつもUBUDパレスで踊っているアグン・ラカに習っていました。

とっても上手い女性です。

詳細はブンブン・カフェの伊藤氏に・・・。

昨夜、お寺で踊る機会があり、日本人ばかり6人でwelcome Danceを演じました。

でも、私だけが初心者で、あとは皆さん長い事踊りを習っている人ばかりで、すごく恥ずかしかった。

しかも、お寺で踊る事が急に(私がはっきり聞いたのは当日)決まった上に、全員で一度も練習ができなかったので、私としてはとっても不安でした。

びみょうに振りも違うだろうし、私が彼女達に合わせるのは不可能だし・・・。

でも、みんな「大丈夫、大丈夫、できる、できる、せっかくなんだから、ぜひTRYして!」と温かく励ましてくれ、私の優しい(?)彼氏(??)も「大丈夫。誰だって初めはあるんだから。今まで一生懸命やってきた事をそのまますれば良い! 他の人達の踊りを見ずに、自分の踊りをして」と言ってくれたので、とりあえずチャレンジ!してみました。

結果は・・・案の定、顔はひきつって“ほほ笑み”どころではないし、やはり少し皆と振り付けが違ってるし、前の人に合わせなきゃ・・・と必死で、振りそのものを忘れるし・・・と、惨々でしたが、とても良い経験ができました。

こちらの人のセレモニーに参加できた事、まがりなりにも神サマに捧げる事ができたコト。

(多分、神サマはあきれて、怒ってるかも)

で、終わってみて、もっと上手くなりたい!! と心底思いました。

やるぞ。私は。日本でも。

2ヶ月UBUDに居て、色んな人と会えて(日本の方ともバリの人とも)踊りの先生んちのおうちのセレモニーにもずーっと参加して思った事・・・。

どんなガイド・ブックを読んでも、なんか少し違う、と感じる様になった。

自分なりのバリっていうのが、誰にでもあると思うので、なーんにも読まずに長く居るのもオモシロイと思う。

(でも、宗教、芸能関係の本は読んどくべきかも・・・)

ガイド・ブックって、時々、ハラ立つ。

特にロンリー・プラネット、おのれは何様じゃい、と思う所が多々あったぞ。

ホント、白人仕様ですね。

まだ書くか、ってカンジですが、彼氏が来るまで暇なので書く。

今回、伊藤氏にラカを紹介してもらってホント助かりました。

お寺ではちゃんと踊れなかったけど、伊藤さんがっかりしないでネ。

NEXT TIME . I CAN DO!!ですから。

バリで何がおもしろいって、私にとっては「人間関係」が一番おもしろかった。

私が知る範囲なので、そんなに広い訳ではないが、結局のところみーんな実は知り合いで、知ってたけど、今まで話さなかったんだけど、私を介して初めてしゃべったみたいな、妙な人間関係が、私にとってはおもしろかったよーん。

UBUDはやっぱり村だった。

なんかこういう横のつながりって、とても懐かしい気がする。

日本では隣の人とも、1度もしゃべった事ないからネ。

私。(ちなみに大阪ミナミのどまん中に住んどりました)

と、いう訳で、2ヶ月の滞在も終わり、たく山の写真とまっ黒になったBODYと、リラックスしたHERTを持って日本に帰ります。

そして、次は半年コースで来てやるゾ。

日本で新しい仕事が見つかりますように。

皆さん身体に気を付けて、UBUDをENJOYして下さい。(A)

P.S、なんで彼は来ないのだ????


1997年6月9日

6月1日に初めてBaliに来ました。

いろんな人から話だけはいーっぱい聞いていたけど、実際来てみると、結構どうにかなるっていうか、神経質に考えていたことも、何でもなかったりして、情報を入れておくこともいいけど、やっぱり人それぞれ思うこと、感じることちがう。

日本でバリ舞踊やってるけど、こっちではじめて習って、あつい。

毎日できつい! 

でも、じゅーじつしてるって感じでいい。

時間がなくてぐちゃぐちゃ。

今からボナ村へケチャ。

もう11日に、帰らなくてはいけないのダ。

今度は、いつこられるのだろう? 

仕事は、もう休むとクビになるよー。(E)


続きは次回に。


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2020年06月21日

自由筆記帳・一部公開その1(355)

パソコン内の整理をしていたら、自由筆記帳のメモがでてきた。

ウブドを訪れた旅行者の書き込み。

可愛いイラストはないが、読み応えがあるので、一部を抜粋して掲載することにした。


1997年1月13日

盗難(20万円)にあいました。

場所はJl.Monkey Forestの「S」です。

手口やスタッフの行動から、内部の犯行だと思われます。

もちろん、良いスタッフもいるのですが・・・。

特に、ボスは要注意です。

あくどくて、女好きで有名な奴です。

あやまるどころか、とぼけていました。

多分、ボスとスタッフの共同作業だと思われます。

ルームサービスをしてる奴にも気を付けてください


1997年5月1日

埼玉から来たハヤシ&千葉から来たタキカワです。

3回目のバリです。2回目まではツアーで楽しみました。

今回は2ヶ月という長い間?滞在するつもりです。

絵も、芸能も、ともかくたくさん観て、でもゆっくりしたいです。

キンタマーニ、チャンディダサへも、1週間くらい居れたらいいな、と思ってます。


1997年5月3日

4月24日にバリに来て、今日、日本へ帰ります。

totalで9日間、うち7日間UBUDにいました。

いろいろ感想を書いてみます。

昨日の夜はオダラン(年に一回の寺の祭り。寺はたくさんあるので見にいけるチャンス大!informationはここAPA?で、ツアーも行います)に行きました。

村の祭りで、おどりを演じるのは村の人。

意外なキャスティングに村の人が笑ったり、酔っぱらいすぎて、予定と違うおどりをしていたりと、そのふんい気はとてもいい。

やっぱり、どの国も、おどりは生活の中にあるものだから、できればオダランに会えば、見逃さないでほしい。

昨日行ってわかったのは、観光客向けのshowでも、演じる人は一流で、これも見逃さないこと。

ラフティングおもしりかった。

MEGAダイブというショップでダイビングをしたけど、安いだけに、器材はぼろぼろ、時間はルーズで、2回のうち1回しか時間的にできなかった。

今回、実はヌガラでJEGOGを見ようと来たけど残念ながら月一回の日に出会えなかった。

クタのカルティカ・プラザ・ホテルで毎週水夜19.00、夜食こみ$21見れて、それに行ったけど、それはいまいち。

やっぱりヌガラで見たい。

ただし、ホテルのショーでも、その重低音を感じられる。(A)


1997年5月5日

バリは2度目の横浜からきた夫婦です。

トパティ・バリという日本人経営のホテルに泊まっています。

今日は我々夫婦一組だけ。

若い日本人女性スタッフ2人がいて、とってもアットホームな高級ホテル(2星位かな)。

明日は、スラウェシ島のタナ・トラジャへ行ってきます。

(3泊3日)全部込み(航空券、日本語ガイド、ホテル、食事、車)で$455。

安いと思いませんか。あの舟型家屋で有名なトラジャの里です。


1997年5月6日

4月25日からBaliに来て、今日の夜(5月6日)日本に帰ります。

来てから2日目の夕方、プンゴセカンのパノラマホテルの前で、友人が、バイクにのった2人組にバッグをひったくられ、パスポートからお金、チケット・・・全部盗まれました。

友人は5月2日に無事帰れたけど、PolisiにRp25,000、イミグラシにRp500,000払いました。

Baliへは10年前ぐらいから来ていて、ここ4年ぐらいはけっこうしょっ中来ていますが、Bali&Orang Baliのことを知れば知る程、こわくなります。

ここでは″誰を信じたらいいのか゛がけっこう大きいと思いませんか? 

真実と違うことを言うのを嘘と、日本ではいいますが、こっちはそれは嘘にならないことが多い!!! 

こっちの人は言いわけうましい・・・。

今、私は迷ってます、非常に・・・。

Enjoyするよりも考えることの方が多かった今回の滞在です。

Bali語ができるようになれば、もっとOrang Baliを理解できるだろうか? 

いや、やっぱりいい加減さが、もっと目につくだろう・・・? 

はじめの頃の何も分からなかった、お気楽ツーリストに戻りたいな・・・と思ってしまいます。

完ぺきな人間はこの世にいない、というのは頭で分かっていても、こっちの人のような善と悪をバランスよく持ち合わせてるのを実際この目でみると、やっぱりまだまだ修行が足りないと思います。

こっちの人って、表向きはわーわー適当にやっているけど、必ず心の中では、冷たい目で物ごと見てると思います・・ぜったい口には出さないけど・・。

うわ〜、やっぱこわい。

親切というのは、真実を教えてくれることではなく、真実を知っていても黙っていて、いつかその人が気付くのを待つって、ことでしょうか、ここでは。(A)


1997年5月20日

Baliに4月6日からきて5月20日に帰る予定だったけど、やっぱり帰りたくない。

もう少しここにいたいので5月25日に変更しました。

5月6日の(A)さんが書いてある内容は私も同感できます。

私は恋人をさがしにきたわけではないのに、好きな人が出来てしまい。。。

友人も同じです。

今まではみ〜んな友人だったけどね。

私も今回、いろいろ考える事の多かった滞在。

1〜4度目は5日6日だけだったから、おきらくだったな、あの頃は。

でも、どうしてバリ人は日本人と結婚をしたがるのか? 

バリ人にきいてみたら“つまの為”とみなさん言いますが、私はどうも信じられないです。

中には本当に“つまの為”にという人もいるかもしれないですけど。

でも、結婚はむずかしいと思います。

実際の話で、ある日本人女性とバリ人男性が結婚しました。

でも、お金(日本人女性)はどんんどんなくなる。

こちらではお祭りをやるのは、すごく費用がかかります。

日本人女性はお金がなくなり、日本へも帰れる費用がなくなり、某HOTELにいって働きたい!と言ったそうです。

でもそれもムリで・・・。

むずかしいです。。。

やっぱり結婚は。

みなさんどう思いますか? (Y)


意外とイニシャルだけの匿名が多いのに、今更ながら気づいた。

今回はここまでです。


posted by ito-san at 12:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月20日

アパ?情報センター「自由筆記帳WEB掲示板」(354)

今回のコロナ禍で、人生進路を大幅な変更が余儀なくされた人も多いことだろう。

死活に大きく関わっている人もいるはずだ。

そういう私も、少なからず被っている。

残り少ない人生の予定が、遅延した。

今後の予定さえ、できない。

1日も早く「新型コロナウイルス」が終息し、地球が救われることを熱望してやまない。

そんな折、意気消沈することが起こった。

原因は、アパ?情報センターの「掲示板・自由筆記帳」だ。


「アパ?」のオフィスがモンキーフォレスト通りにあった頃、A4ほどの横長スケッチブックを自由筆記長として、待合の円形テーブルに置いていた。

色鉛筆も用意した。

自由筆記長は、オフィスに訪問したさい、旅の印象などを書いてもらうつもりの徒然ノートだ。

伝言板でもいい。

好き勝手に書いてもらう。

友達同士で、親子で、カップルで、もちろん一人旅で、女性、男性と様々だ。

イラスト入りの可愛い、書き込みが多かった。

節約旅行者が訪れ、安宿、安食堂などの感想を書き込んでいく。

情報が詰まっていた。

これを見た旅行者が、参考にすることがあるのではないかと嬉しかった。

立派にコミュニケーション役を果たしている。

旧スケッチブックが閲覧できるので、自分が前回訪問した時の感想を読むこともできる。

子供の殴り書きが、数ページにわたって描かれたこともある。

親は、注意しなかったのか。

スケッチブックにしたのがいけなかったのだろう、これは反省している。

他人は、自分の思惑通りには、行動してくれない。


アパ?のオフィスがスグリオ通りに移転したさい、スペースが手狭のためスケッチブックは置かなくした。

その後「アパ?」のホームページが更新され「自由筆記帳WEB掲示板」と改名。

Web自由筆記長になってから、自由筆記帳的書き込みはなくなり、ほとんだが問い合わせとなった。

問い合わせは、別枠でリンクしてある。

メールでの問い合わせは、大歓迎。

メールに問い合わせがあれば、丁寧に返事を送っている。

誰でも閲覧できる「自由筆記帳WEB掲示板」に、個人情報の書き込みは尻込みするのだろう。

当初の意図であった自由筆記帳には、適さないということか。

自由とうたっているから、問い合わせするのも売り込みするのも自由だが。

自由筆記帳に、アパ?として返事を書く義務はないと考えていた。

しかし、業務に関わる書き込みであれば、お答えせねばならない。


今回の書き込みは、子供の殴り書きレベルではない。

「返事が遅い!」「誠意がない会社だ!」「何様だと思っている!」と罵詈雑言が飛ぶ。

インターネット上で「誹謗中傷」が、問題になっている。

イチャモンもつける輩は、必ずいる。

不特定多数が、匿名で書き込みできるWeb掲示板。

趣味の悪いポルノ動画が、投稿されてくることもある。

ポルノ動画は、もちろん速やかに消去した。

アナログ人間の私には、察知することができないインターネットの世界。

できるだけ、距離を置くことに決めた。

ファンも少なからずいただろうが、自由筆記帳の役目を果たせなくなった自由筆記帳は、もはや必要ない。

検討した結果、2020年5月31日付けで「自由筆記帳WEB掲示板」を削除した。

問い合わせは、メールでお願いしたい。

今後とも「アパ?情報センター」のご愛顧を、切望しております。


posted by ito-san at 14:31| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月16日

トルコの旅番外編・泥棒騒動 @ バンコク(6)

バリ島ウブドに戻る前に、タイ・バンコクに立ち寄る。

3日間ほど滞在する予定だ。

いつもはシンガポールでインドネシアのビザ取得するのだが、今回はトルコの旅で立ち寄りバンコクで取得した。

ビザ取得は、トルコに行く前に済ませてある。


バンコクの人気スポット、ウイークエンド・マーケットへ出かけるという前夜に、問題が起こった。

夜11時45分、ベッドに入る。

テレビは、BGMがわりにつけたまま。

枕元の電気スタンドを消し、ガラス窓を背にして横になる。

しばらくして窓の外で、カサカサとかすかな音が聞こえた、気がした。

隣の部屋との境あたりだ。

鳩でも、止まったのだろう。

部屋は4階にある。

いくら治安の悪いと言われるバンコクでも、4階の窓から強盗が入って来るとは思えない。

テレビを消して、再び横になる。

街のネオンが、窓外を明るくしている。

寝返りをうって、ガラス窓を背にした。

ウツラウツラと睡魔と戦っていると、背後で音が聞こえた。

気のせいじゃなく、確信した。

音がした方に、ゆっくり首を動かした。

窓のカーテンが、わずかに左右に揺れている。

室内に、人の気配はない。

厚手のカーテンの端は、手を引っ込めた形跡を残してめくれている。

粟立つものを身体に感じ、形跡を凝視した。

窓外で、何かが移動する気配。

まだ、潜んでいたのか。

ベッドを降りて、窓に近づき、カーテンを引いた。

ガラス窓が、40センチほど開いていた。

明らかに、何者かが侵入しようとしたようだ。

私は、窓から顔を出した。

あとから考えると、無防備な行動だった。

ウブドでの話が頭をよぎる。

それは、泥棒に入られた欧米人の長期滞在者が、殺された事件だ。

逃げる泥棒を追って窓を開けて、外を覗いた途端、窓の下で潜んでいた泥棒に、ナイフで喉を突き刺されたのだ。

窓の外には、80センチほどの庇が出て、隣とつながっていた。

懐中電灯で庇を照らす。

雨除けの庇に、エアコンの室外機が設置されている。

隣室との間は鉄柵があり、庇より10センチほど外に飛び出している。

渡ろうと思えば、出来ないこともない。

不思議現象でなければ、何者かが侵入しようとしたことになる。

私が気がついたので、逃げていっただろう。

泥棒は、未遂で終わったのだ。

人がいないのを見計らっての空き巣ならまだしも、寝込んだところを忍び込もうとしたのか。

もしそうなら、発見された泥棒は強盗に居直ったかもしれない、そう考えると恐ろしい。

何か無くなった物はないか、確認することにした。

明日のお出かけ用のリュックは、長椅子の上に置いてある。

しかし、リュックの上にあるはずのウエストバックが無くなっていた。

ウエストバックには、パスポートと幾らかの現金が入っていた。

床から80センチのところにある窓は、二枚開きの引き違い戸。

長椅子は窓側にある。

これはピンポイントで盗られている。

窓は、幅1メートル60センチに高さ80センチ。

頼りないクレセント鍵だが、壊れていなかった。

まさか4階の部屋に、泥棒に入られるとは想像もせず、鍵を閉めわせれたのかもしれない。

ここはタイのバンコク。

しかも、何があっても不思議でないカオサン街。

感心している場合じゃない、問題はパスポートだ。

ビザも取得し直さなくてはならない。

気が重い。


時計を見ると、深夜0時20分。

被害にあってから、いくらも時間が経っていない。

今なら、捕まえることができるかもしれない.

泥棒に入られたことを報告するために、1階のフロントに向かった。

小さなカウンターに、女性がひとりいた。

「泥棒に入られた」と告げると「あっ!」というような顔になった。

「そういうことがないように、大事な物はセフティ・ボックスに預けてください」

そう言われても、眼の前にあるロッカーを見ると、とても信用できる代物ではない。

彼女は、それがどうしたのという表情で黙り込んだ。

警察を呼んでくれと頼んでも「もう遅い、明日にしてくれ」と言う。

これまでにも泥棒に入られたことがある対応に思えた。

フロントの女性も、仲間かもしれないと疑ってしまう。

これ以上話しをしても、進展しないだろう。

パスポートを再発行してもらうためには、ポリス・レポートが必要だ。

カオサンにあるツーリスト・ポリスに行くことにした。

こんな事件は頻繁にある、警察は真剣に取り合ってはくれないだろう。

案の定警察は状況を詳しく聞くわけでもなく、現場を調べようともせず、書類ができると、どうぞお帰りくださいと言わんばかりに書類を押し出した。


ホテルには、各フロアーに防犯カメラを設置して廊下を監視している。

窓外は、盲点だ。

「あの部屋は怖いので、他の部屋にかわりたい」と頼んだが「駄目だ」とあっさり断られた。

「それならほかのホテルに替わりたいので、宿賃を返してくれ」と言うと、

「もう12時をまわっているので、泊まったことになる。だから返せない」これも拒否された。

今夜は寝ずに、明日の朝にホテルを替わろうと心に決めた。

やるせない気分で、部屋に戻る。

未練がましく、長椅子の後ろの窓を開け外を覗く。

一部始終を見ていただろう庇は、何の教えてくれない。

落ち着かない気持ちで、わたしは長椅子に座り、明日は日本大使館とインドネシア大使館に連絡をしなくてはと考えている。

3日後には、バリに帰える予定だった。

未練がましく、何度目かの窓を開ける。

「なんだこれ!!」と素っ頓狂な声をあげた。

クーラーの室外機の上に、プラスチック・カバーのついた小冊子が乗っていた。

手に取ると、正真正銘の私のパスポートだ。

パスポートが返ってきた。

大事な落とし物が返ってきた時には、こんな気分になるんだろうな。

狐のつままれた気分。

不思議な泥棒だ。

泥棒に感謝するのも可笑しいが、パスポートを返してくれて有り難う。

現金とウエストバックは、見当たらなかった。

一睡もすることなく、翌日はウイークエンド・マーケットに出かけていった。

皆様も、気をつけください。


posted by ito-san at 15:24| Comment(0) | トルコの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月11日

トルコの旅・お世話になったあの方に!(5)

メルスィンからは、時計回りに岐路につくつもりでいた。

この先には、バムッカレ石灰華段丘、トロイの考古遺跡などの見所がたくさんある。

しかし、しかしだ。

観光してまわるには、懐がきわめて心細いのに気づいた。

無念だが、イスタンブールまで直通長距離バスで戻ることにした。

イスタンブールに戻ると、すぐにオマール君と再会した。

幸運にも、彼の参加するサッカー試合を見学することになった。

トルコは、かなりサッカー熱が高いと聞く。

金網に囲まれた小さなサッカー場で、活躍していた。

少人数で小さなグランドでするサッカー。

当時まだ、人気もなく、私はフットサルを知らなかった。

チマチマしたサッカーの見学は、幸運でもなかったかもしれない。

オマール君は怪我をして、早々に退場。

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オマール君とわかれ、バンコクに戻る。

トルコの旅は、これで終わる。

念願のカッパドキヤを訪れることができて大満足である。

皆様、お世話になりました。

最後に、素晴らしい笑顔の子供たちの写真を掲載させていただく。

みなさ〜ん、無断でゴメンなさい。

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次回は最終回です。

タイ・バンコクのホテルで遭遇した泥棒の話。

よほど腹がたったのだろう、かなり詳しいメモが残っていた。

それでは、最終回をお楽しみに。


posted by ito-san at 17:26| Comment(0) | トルコの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする