2017年09月04日

ウブドのバリ舞踊定期公演を総チェック(149)

ウブドの定期公演を鑑賞することが、まったくなくなった。

スマラ・ラティに関してはチョクチョク鑑賞していたが、その他の定期公演は、25年ぶりの日本一時帰国を果たす2014年以前からご無沙汰だ。

かれこれ、10年以上は見ていないだろう。

見なくなった理由は、定期公演の内容が滞在を始めた1990年から、ほとんど変っていないこと。

一番の原因は、老舗グループの30年間入れ替わらない踊り手だ。

内容と踊り手が変らないことは、リピーターにとって懐かしくて嬉しいかもしれない・・・が。

そして致命的なのは、入場料がRp7.5〜Rp10万となったことだ。

私の心細い懐具合では、死活問題の金額。

しかし、10数年ぶりに、すべての公演をチェックしてみたいとも考えている。

「アパ?情報センター」のホームページも一新したことだし、古希を迎えたことだし。

理由はともかく、このタイミングを逃しては、次いつ ”遣る気” が起こるかわからない。

問題は、鑑賞料金をどう捻出するかだ。

ガイドブックの編集者にお願いしたら、快諾がとれた。

スポンサーも見つかったことし、やるしかない。

ウブドは数カ所の会場で、毎晩9〜10の定期公演が行われている。

ということは、毎日鑑賞しても9〜10週間かかる。

これって2ヶ月は要するわけだよね。

毎日見ても10月末までかかってしまう。

全部見る気力が私にあるのか?

それが問題だ。



独断と偏見でチェックして、評価をつけようと思っている。

評価は「アパ?情報センター」ホームページの「ウブドの定期公演」に、順次反映させていく。

主眼は、ツーリストの視点で鑑賞すること。

グループの過去の実績は、関係ない。

目の前で繰り広げ得られる、パフォーマンスが100%だ。

たいていのツーリストは、再び訪れることはないだろうという思いで、鑑賞している。

自国で見る機会の少ない、バリ芸能。

バロン(聖獣)、ケチャダンスくらいは、名前を聞いたことがあるかもしれない。

ガイドブックを読んだくらいでは理解できないだろう。

開演前に手渡されたプログラムの解説に目を通すひまがないので、演目の内容を理解していない。

想像しながら鑑賞するしかない。

初めて聴く伝統楽器ガムランは、ウルサイだけ。

踊りは、どれも似たり寄ったりで、難しいテクニックはいらないように見える。

初見で、芸術性や技量を見分けることはむずかしいだろう。

一度きりのウブド滞在。

写真に残しておこうと考えるだろう。

美しい写真が撮れれば、それで満足だ。

私は、被写体としての芸能を重要視した。



8月24日から始まった定期公演鑑賞は、2週目に入っている。

途中報告をさせて頂きます。

どの会場にも、以前の倍以上の入場者数。

ツーリストが倍増しているんだね。

ウブドの人気のほどがうかがわれる。

定期公演の出演料だけで、生計が立てられるプロも現れていると聞く。

老舗グループが、同じ演目を繰り返すのは、衰退の危機感がないからなのか。

比較的新しいグループに、新作舞踊の群舞が登場している。

いくつかのグループで演目がかぶっているのは、その演目がツーリストに理解されやすいからだろう。

バロン、レゴン・ラッサム、バリス・トゥンガル、がそうだ。

1時間30分だった公演時間は、いつのまにか10分から30分短くなっている。

メンバーの足りない、グループも目立つ。

なのに、入場料が上がっているというのは、どう言うこと。

一回こっきりの観光客に対して、ぼったくっても良しと考ているのか。


ガムラン演奏は、奏者の真面目さを評価した。

真面目さとは、本気であること。真剣であること。

演奏者の足りないグループは、減点。

ケチャは、団体演技の統一性+くちガムランの歌唱力。

特に注視しているのは、踊り娘だ。

踊り娘は、若くて清楚な美しさがいい。

中年の妖艶な色っぽさはいらない。

年齢で差別するわけではないが、二重あご、上腕のたるみは、いただけない。

50歳以上は、もう老人。

老人が美しくないとは言わないが、若さはそれだけで美しい。

美しい写真が撮りたい、そんなツーリストの要望に答えて欲しい。



まだまだ、定期公演巡りは続く。

次回は、どんな独断と偏見が飛び出すやら。


posted by ito-san at 16:42| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

ツゥカッ・チュプンの滝 ・リベンジ(148)

このブログは、前回「 tukad cepung waterfall @ instagram(147) 」から続きます。

さあさあリベンジだ!

まずは、好天を狙わねばなるまい。

初訪問の7月13日から、すでに一ヶ月以上が経過している。

なかなか、天候に恵まれない。

晴れ間が長く続かないのだ。

目的地のバンリ県トゥンブクは、山間部のため天候の変化が著しい。

ウブドから「 tukad cepung waterfall 」までは、約1時間30分。

よほどの晴れていないと、途中で天候が崩れることもある。

前日の晴れ間を計算しながら、今か今かと再訪問の日を待ちこがれる。

やっとその日が訪れた。

8月25日。

いよいよリベンジは遂行された。


現地到着は、午後12時30分。

晴天に恵まれたこの日、訪れる観光客も多い。

滝の入口までの案内は、重複するので省略です。

前に訪れた際にぬかるんでいた道は、今回は乾いて歩きやすかった。

滝のある方角から、歓声が聞こえる。

川原に下りると、真っすぐ川を下っていった。

私が見逃した絶景は、この先だと考ていた。

ハズレだった。

引き返すと、濡れた身体の一団とすれ違った。

先ほど聞こえた歓声は、このグループだろうか?

彼らが来た方角に進む、家族連れがいる。

大きな岩をくぐって行った。

tukad cepung6.jpg

先回、この先は行き止りだと思わせるほどの暗闇だった。

進むことをためらって、引き返した。

岩の向こうは、陽が射していた。

もしかすると、この先に絶景ポイントがあるのかもしれない。

岩をくぐった。

川原が右手に湾曲している。

ザーザーと、水の落ちる音が聞こえる。

その先に、ワヤン君から送られた写真に似た岩場が見えた。

スマホを取り出して、比べてみた。

ここだ!

ドンピシャの風景。

絶景のインスタグラム・スポットはあった。

浸蝕された岩が作り出す、曲線の造形美。

そこの射し込む、光線の帯。

岩間の向こうに、滝が落ちる姿が見える。

美しい光景だ。

滝に近づくために、水に足を入れる。

透明度の高い、奇麗な水だ。

水と小石が、素足に心地よい。

奥に進む。

岩のドームは、直径10メートル以上。

滝は、幅6メートル、落下差は10メートル以上あるだろう。

陽射しとともに、落ちる滝。

雨季と乾季で、水量が違うと聞いた。

水源は、湧き水だとも聞いている。

滝に打たれる観光客も多い。

心地よさに、思わず歓声を上げてしまう気持ちがわかる。

リベンジしなければ、この感動を味わえなかった。


好天であっても、写真撮影には陽射しも重要なポイントだ。

時間帯が問題だ。

太陽が真上がよいのか、少し傾いている午前10時&午後2時がよいのか。

ワヤン君の撮影は、午前10時頃だったと言う。

午前中に、2組のウエディングがここで行なわれたらしい。

やはり、午前中がベストなのかもしれない。

2組のグループは、5〜6人の韓国人と中国人の観光客。

ちなみに、場所代はRp300,000-。

さすがに人気のインスタグラム・スポットだね。

近場なら、何度も訪れたい場所だ。

リベンジも果たしたし、心も癒された。


動画の前半は、初回の訪問時。

階段を下りて岩間から川原が見られるところまで。

動画の後半は、リベンジ時の動画です。

慎んでご覧下さい。




posted by ito-san at 17:06| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ツゥカッ・チュプンの滝 @ instagram(147)

今バリは、観光客の ”滝巡り” が流行のようだ。

インスタグラム・スポットとして、バリ人の人気も高まっている。

これまで、まったく見向きもされなかった ”滝” 。

数年前から、脚光を浴びるようになった。

インターネットが普及して、グーグルマップが見られるようになってからだと推測する。

これまで人知れず残っているグッドプレースが、空中写真で見つけられる。

新たに進出するホテルなどは、景観のある立地をグーグルアースで探しているという話だ。


バリの ”滝” は、スケールが小さい。

ガイドブックに紹介されるほどの大きな滝はない。

しかし、小さいながらも雰囲気を持っている。

たいていの ”滝” は、沿道から離れた場所にある。

目的地までのトレッキングを含めて、流行っているのではないだろうか。

これといった産業も観光名所もない山あいの村に ”滝” があれば、新たな収入源となる。

沿道に案内看板を掲げ、目的地までの道程を整備する。

幾多の ”滝” が観光スポットとして名を挙げている。

観光客の観賞に堪えられるかは、疑問だ。

それに加えて、アクセス。

そして、安全性は?


私のまわりで、インスタグラム・スポットとして噂にのぼっている ”滝” がある。

アパ?で紹介出来るかどうか、さっそく現地視察をすることにした。

”滝” の名前は「 tukad cepung waterfall 」。

バンリ県トゥンブク(Tembuku)村にある。

鉛色の空の下、バイクを走らせる。

トゥンブク村は、バンリ県都北部からブサキ寺院に向かう街道の途中にある村。

この街道、バイクツーリングに最適のコース。

トゥンブク村の十字路には、中央に高さ4メートルほどの時計塔が立っている。

目的地の「 tukad cepung waterfall 」は、時計塔のある十字路を山側に進む。

Tembuku2.jpg

5分ほど北上したところは、小雨が降っていた。

バイクをダラム寺院の前に止めて、雨具を着る。

Tembuku3.jpg

ダラム寺院から50メートルほど先に、案内看板が立っている。

tukad cepung1.jpg

案内看板を右折し、道なりに進むとすぐ左手に寺院があり、奥の空地が駐車場になっていた。

ウブドを出発から1時間30分程で目的地に到着。

バイクを空地に駐車し、寺院横の小道を入った小屋で入場料Rp15,000-を支払う。

tukad cepung2.jpg

コンクリート敷きの小道をしばらく進むと階段になる。

急な階段が、しばらく続く。

水門の前に出ると、樹木の少ない森になり、平坦な土の道になった。

小川に沿って、さらに奥へと足を進める。

先ほどの雨で、道はぬかるんでいる。

ちょっとしたトレッキング・コースだ。

ウッソウと生い茂るヤブを分け入る。

いよいよ滝のある川に行くのだ。

薄暗い階段を降りていく。

苔むした岩場を、注意しながら進む。

川原に下りた。

(※この行程は、リベンジ編に動画でアップします)


「 tukad cepung waterfall 」の見所は、岩場に差し込む幻想的な陽射しだと聞いている。

が、あいにくの曇天で、陽射しは皆無。

インスタグラム・スポットの写真は、撮れなかった。

年寄りには階段がキツいし、泥道のトレッキングも最悪だった。

注意事項:その1)滑りやすいので雨が降った後は避けること。

     その2)光のある日に行くこと。


もしかすると、私は絶景を見逃したのかもしれない。

後日、確認のために、アパ?のワヤン君がガイドブックの撮影に同行した際に撮った写真を送ってもらった。

tukad cepung7.jpg

tukad cepung8.jpg

えっ! こんな素晴らしい景観があったの?

やはり私は、見逃している。

もっと奥に入らなければいけなかったのだ。

日を改めて、好天の日にリベンジだ。

次回、リベンジ編に続く。


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2017年08月14日

岩肌に彫られた仏殿 @ Gunung Kawi (146)

ウブド近郊の観光地を、今さらながら紹介する。

たまには観光客気分で・・・・。

現在のペジェン村地域には、10世紀から14世紀に栄えたといわれるバリの王国・ワルマデワ王朝時代の遺跡が多く残っている。

疑問なのは、王宮の形跡がまったく残っていないこと。

ジャワのマジャパイト王朝がバリに侵攻した際に、打ち壊されてしまったのだろうか。

謎の残る事実だ。

数多く残る遺跡の一つ「グヌン・カウィ(Gunung Kawi)」を数年ぶりに訪れた。

ウブドの渋滞を抜けて、バイクで30分ほどの地点。

ゴアガジャ遺跡を通り越し、タンパクシリン村に向けて北上して右手にある。

Gunung Kawi1.jpg

グヌン・カウィは、岩肌に彫られた仏殿(Candi tebing)の名称。

チャンディ(Candi) は古い石造の仏殿、トゥビン(tebing)は川端、断崖の意味。

チャンディ・トゥビンは、バリ島のいたるところに残っている。

グヌン・カウィは、バリ島最大のチャンディ・トゥビン。

パクリサン川渓谷を挟んだ両岸に残る、心地よい空間にある。


それではグヌン・カウィを見学しよう。

遺跡までは、渓谷の急な階段を降りていく。

その道すがらの景色は、田んぼが広がるナイスビューと売店。

Gunung Kawi5.jpg

Gunung Kawi4.jpg

階段は途中から、岩を削った道になる。

岩壁の狭い道を進むと、岩をくり抜いた狭い門が見える。

入ることを拒む、結界を念わせる。

Gunung Kawi7.jpg

その昔、この門をくぐると異界だったのだろう。

人びとは、平穏を求めてこの地を訪れる。

今、門の前には案内板が立ち、観光客の便を図っている。

掲示板には、この地に建つヒンドゥー・バリ寺院の名がいくつか表示されていた。

Gunung Kawi8.jpg

左下に、CHANDI PRASADHA UKIRの表示。

ここではCandi tebingをCHANDI PRASADHA UKIRと呼んでいるようだ。

辞書を調べると、巨大な建造物(PRASADHA)&彫刻(UKIR)のこと。

巨大な仏殿石彫とでも訳せばいいのか。

右下にあるグヌン・カウィ寺院。

スバトゥ村に同名の古い寺院があるが、関係はわからない。

未調査でゴメンナサイ。

Gunung Kawi9.jpg

渓谷の川沿いに建つ「Candi tebing Gunung Kawi」。

高さ7メートル、奥に2メートル。

その大きさに圧倒される。

岩をくりぬく方法はインドのアジャンタやエローラ遺跡と同じで、インドの影響を受けたものとされている。

かつて栄えたワルマデワ王朝の壮大さがしのばれる石窟遺跡だ。


橋を渡った対岸にもチャンディが残っている。

川を挟んで対称になっている。

Gunung Kawi11.jpg

グヌン・カウィ寺院を抜け、川沿い進むと、瞑想のためのほら穴がいくつもある。

ここで瞑想をしていく、観光客もいるようだ。

Gunung Kawi12.jpg

のんびり散策していると、いにしえにタイムスリップしたような気分になる。

そして、心地が良い。

久しぶりに訪問だが、心は癒された。

前回の訪問では、復路の急な階段で息切れをした。

今回は、まったく疲れを感じなかった。

アグン山登山に向けて、数回した散歩に効果があったようだ。

階段の上り下りはキツイが、一見の価値有りで、お薦めしたい。

■入場時間:8.30am〜5.00pm
■料金:Rp15,000-(腰紐、腰布代含む。短パン、ミニスカートは腰布を巻く)
■駐車場料金:車Rp5.000- バイクRp2,000-
※参照文献:「地球の歩き方・バリ島'17 '18」



※付録動画
階段を登り切った田んぼビューの中に、近日オープンのレストラン「グヌンカウィ」。




posted by ito-san at 16:59| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

GREEN KUBU CAFE @ instagram(145)

「古希記念・アグン山登頂」から2週間。

皆々様より、暖かい祝いの言葉の数々。

嵐のように過ぎ、今は、平常の日々に戻っております。

オジさんの近況より、ウブドの話題をお望みの皆様に、取って置きの情報をプレゼント。


有線電話の普及が遅れているうちに、インターネット社会に突入してしまったウブド。

現在、ウブド人のスマートフォン普及率は、先進諸国と変らないだろう。

先進諸国という言葉は好きではないが、ここではあえて比較のために使用した。

バリ人は熱中するタイプか?

流行ると、一斉に行動する。

フェースブックもそうだったが、今は、インスタグラムが大流行。

これまでツーリス客がほとんどだったレストランが、インスタグラム効果でローカルの若者で占領されるようになった。

一躍脚光を浴びて、人気スポットになる。

クチコミがソーシャルメディアでスピードアップされる。

これもスマートフォンの普及が成せる技。

自分撮りの好きなバリ人は、観光スポットをバックに自撮棒が大活躍。

こうして人気になったところを「インスタグラム・スポット」と、私はかってに呼んでいる。


ウブドで人気の「インスタグラム・スポット」No1は《 ブキット・チンタ=Bukit Cinta=愛の丘 》だ。

ウブドの西・チャンプアン橋のほとりにあるグヌン・ルバ寺院横の小道を進んだ小高い尾根のことだ。

ツーリストには「Campuhan Hill」と呼ばれている。

いつの間にか、ローカルのカップルや家族連れが訪れ、デートやウォーキングのコースになっている。

これも、フェースブック&インスタグラムの影響だ。

「アパ?情報センター」の主幹・ワヤン君のフェースブックに、ウブド近郊のインスタグラム・スポットが掲載されていた。

さっそく、視察に行って来ました。

では、そのレポートを。

ウブド・サレン王宮のある変則十字路から、バイクでおよそ30分の距離。

カジェン通りを北上して、ジュンジュンガン村をさらに北上。

この先は、テガラランのライステラスに続く街道。

左折するとアバンガン村&クラバンモディン村に向かうY字路を通り過ぎる。

しばらく進むと、左手に広告塔が立っている。

まだ一軒しか広告看板はないが、一番上にある看板をよくご覧下さい。

JL.CINTA1.jpg

視力の弱い人のために、写真をアップにしました。

JL.CINTA2.jpg

この先の通りは「JL.CINTA」です。

なんとCINTA(愛)通りですよ。

左右にライスフィールドの広がる道が、チンタ通り。

蛍の乱舞する景色が想像できる。

恋人たちのささやきが聞こえてきそうな、ロマンチックな匂いもする。

そんなチンタ通りを走っていると、左手の田んぼの奥の賑やかな風景が眼に飛び込んで来る。

バイクを止めて畦道を進んで行くと「GREEN KUBU CAFE」がある。

GREENKUBU3.jpg

新しいインスタグラム・スポットですよ。

サイクリング会社の運営するレストラン。

一般客も食事ができます。

価格がワルン並みで安い。

箱庭のような、小さなライステラスが可愛い。

バリ・ロータス ”トゥンジュン" の池。

GREENKUBU4.jpg

田んぼを埋めて、カラフルなクッションで寛ぐ客席。

GREENKUBU5.jpg

棚田を鑑賞しながらの、雑談するのもいい。

大きな「GREENKUBU」の看板の前は、写真を撮るスペース。

よく見ると水に浮かぶのは、ハート形をした島だった。

GREENKUBU6.jpg

各テーブルのハート形のナンバースタンドも可愛い。

GREENKUBU7.jpg

あとは、動画でご覧下さい。



■メニュー:インドネシア料理
■食事:ミーゴレンRp20,000-/ナシゴレンRp21,000-/etc
■飲物:コーヒーRp15.000〜Rp18,000-/紅茶Rp9,000〜Rp13,000-/ジュースRp12,000-/ビンタンビール大Rp42,000-小Rp24,000-/etc
■営業時間:11.00am〜6.00pm(定休日:儀礼・祭礼日)


テガランタン村の我が家からだと、バイクで15分の距離。

この頃、ちょくちょく利用している。

蛍観賞のために、閉店時間を遅らせるという話も聞く。

そうなれば、クナンクナン(蛍)・ツアーが復活できる。

ロマンチックに、クナンクナン観賞。

ご一緒してくれる女性、探さなくっちゃ。


posted by ito-san at 17:30| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

古希記念・アグン山登頂(144)

アグン山登山のテンションがおさまり、疲れもやっと癒された。

心穏やかになるのに、一週間もかかった。

登頂の模様を、冷静に振り返る余裕がよみがえってきた。

そろそろブログを仕上げるとしようか。


7月25日は、私の70歳の誕生日。

それがどうした、というわけでもないが。

70歳は、古希と言うらしい。

こんな言葉があるくらいだから、ちょと貴重な誕生日じゃないかい。

そんなことで、記念行事的なことをしようという気になった。

60歳の時は「アグン山還暦祝い登山」を遂行した。

同行させられた友人たちは、迷惑したんだろうな。

今回も人の迷惑を顧みず、アグン山山頂で古希を祝おう「サンライズ・トレッキング・ツアー」を企画。

『itosanを知ってる人も知らない人も、老若男女、みんな集合!

パサール・アグン寺院からの4時間30分岩場コース。

みんなで登れば怖くない。』

そんなキャッチフレーズで、脳天気な募集内容を書いている。

還暦登山に同行したコテツちゃんとトシ君からは「えっ! また登るの?」と疑問符の返答。

辛かった登山をすっかり忘れている、こりない男がtosanです。


集合場所は、ニュークニン村にある「バロン・ブリッジ・カフェ」。

集合時間は、午後10時。

一番のりは、大原さんと私。

参加者は他に「バロン・ブリッジ・カフェ」のトシ君、そして「和るん・あんかさ」のコテツちゃん。

旅人のミチヨさんとあっ君の総員6名。

まずは結団式(寄せ書き)。

寄せ書き4.jpg

午後11時、14人乗りの小型バスに乗り込む。

見送りの知人たちに励まされ、バロン・ブリッジ・カフェを出発。

アパ?情報センターのワヤン君は、登山不参加で助手席を暖める。

ワヤン君から「HARI SUCI HINDU=ヒンドゥーの聖なる日」には、パサール・アグン寺院からの登山はできないという話があった。

神様が休みの日だからだ、そうだ。

これまでの登頂で、一度も ”聖なる日” に当たらなかったのは必然か。

運転手は、知人のロロス君だった。

ミチヨさんから「到着まで、車中でゆっくりお休みください」と襟巻き枕の誕生日プレゼントがあった。

優しい心遣いが嬉しい。


0時10分、パサール・アグン寺院に到着。

観光客の訪れることの少ない寺院は、漆黒の闇に包まれていた。

深夜走行は渋滞がないからか、1時間10分という早さで着いている。

日付は変わったが、誕生日の祝いは頂上でということなのだろう、誰からも声はかからなかった。

駐車場の一画にあるワルンの電灯がともっている。

先回の下見で、ガイドのコマンさんに会ったのがここだ。

コピ・バリで暖をとりながら、ガイドのコマンさんを待つ。

コマンさんが、Tシャツ姿で現れたのには驚いた。

もうひとり、地元ガイドのワヤン君が同行する。

入山の記帳をすませ、いよいよ、登山の決行だ。

数台の車が駐車場に入って来た。

車から欧米人が降り立つ。

彼らも、サンライズ・トレッキングのグループだ。

登山道は、パサール・アグン寺院の横手にある。

午後1時、駐車場から見上げる長い階段を上って寺院に入る。

10年前は、この階段で音を上げていた。

今回は、心配したほど疲れていない。

私の体力は、進化しているかもしれない。

登山の安全を願って、全員でお祈り。

深夜のお祈りは、昼間の比べ静寂が深い。

円陣を組んで「ファイト〜!」の声で気勢を盛り上げた。

円陣1.jpg

静寂の寺院に、奇声が響き渡る。

少しは、テンションが上がったろう。


午前1時15分、登山開始。

10年前は、2時スタートで6時半前に頂上を征服して、サンライズを拝んだ。

(パサール・アグン寺院から登る頂上とブサキ寺院から登る頂上は、異なる)

あの時より、45分早い。

深淵の闇に向かって、一列縦隊で進む。

湿り気が満ちる林道。

額に付けたヘッドライトが、足下を照らす。

ライトが、朝もやをまるく浮き上げる。

林を照らす。

木々を飛び移るリスの姿が見えた。

左右は渓谷。

峰伝いに登っているよのがわかる。

かなり狭い峰を歩いている。

快適な滑り出しだ。

これなら行けるかも、と手応えを感じる。


勾配がキツくなって来た。

生易しい角度ではない。

目の前を、立ちはだかるように切立っている。

これは登山で、トレッキングなんて生易しい言葉を使ってはいけない。

林道を抜ける前に、大原さんがリタイアした。

中間地点にも到達していない。

大原さんに合わせていたスピードが、私のスピードに変った。

立ち木が、だんだんと少なくなってきた。

足下は、岩が砕け、さらに小さくなった石の道。

歩き辛い。

ガイドに「あと何時間」と問うと「3時間」と答える。

このペースでは、サンライズには間に合わない。

10年前と同じリズムで前進しているつもりだが、距離が縮まらない。

休憩の数も少ないし、休む時間も短いのに。

後続の登山者に追い越されていく。

雲間から時折見える、満天の星空に癒される。

岩場ルートになった。

ここからは、さらにキツイコースになる。

私も大原さんと一緒に残ったほうがよかったかも、後悔する。

薄明かりの中で、雲海が見渡せた。

下界では見られない雄大な風景に、精神力を鼓舞する。

私のペースに合わせていては、サンライズは拝めないのは確実だ。

仲間にサンライズを見てもらいたい。

こんな気持ちで、大原さんもリタイア宣言したんだろうな。

私の足が、限界に達したかのように動かない。

ここであきらめよう。

「ここの窪地で休憩するから、先に行って」

休憩をリタイアと言い変えてもよかった。

登頂を続ける友人たちの姿が、岩場に見え隠れする。

私の心は、少しでも頂上に近づきたいと願っている。

友人たちが下山してきたとすれば、その地点から私も下山すればいい。

そんな思いから、歩み出した。

後ろには、コテツちゃんが控えてくれている。

重い足を引きずるように、ひたすら頂上に向かって進む。

倒れ込むようにして登る。

何度も何度も「ギブアップ」の誘惑と闘う。

寄せ書きの旗を頂上に掲げたい。

7時30分、そんな思いが頂上まで導いてくれた。

頂上6.jpg

先駆けの仲間たちの暖かい声援を受けて、登頂を果たした。

1時間の遅れだったと、あとから聞いた。

みんなよく待っていてくれた。

感謝!感謝!

朝陽は拝めなかったが、山頂で誕生日を迎えることができただけで満足している。

まずは、お祈り。

無事に登頂できたことに感謝。

身体の芯が、アグン山にコネクトした。

あとは空となり、バリの神々に委ねるだけ。

お祈りのあと、トシ君からいただいたイチゴ・タルトをほうばりながら、コテツちゃんがドリップしてくれたアンカサ・コーヒー飲む。

至福のひととき。

「和食・影武者」からの差し入れ ”おにぎり” に空腹を満たしながら、アグン山の頂きを満喫する。

頂上でのフィナーレは、あっ君から書き下ろしパフォーマンスのサプライズ・プレゼンだった。

今回の登山で、ミチヨさんとあっ君という掛け替えのない友人を得た。

天候にも恵まれ、思い出深い「古希記念アグン山登頂」でした。

みんなありがとう、そして、お疲れさま。

下山8.jpg



1997年の「アグン山登頂」は・極楽通信vol.22「●The Twilight Rider アグン山登頂!」P12に記録されています。


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2017年07月22日

小手調べのバトゥール山登山(143)

「古希記念アグン山登山」本番まで、あと5日と迫った20日。

小手調べでバトゥール山に挑戦した。

小手調べだから、サンライズもサンセットもお呼びじゃない。

体力チェックの登山だから、昼間に登る。

20日は、晴れるだろうと予測を立て、運を天に任せて決行する。

ガイド君とは、バトゥール湖畔の村トヤ・ブンカにある温泉ホテル「Toya Devasya」の駐車場で午後1時の待ち合わせ。

所要時間を2時間と見立て、ウブドを午前11時に出発。

同行者大原さんの宿「アルチャ・イン」から、一路バトゥール山へ向けてレッツらゴー。

もちろんバイクです。

2人会わせて141歳の老人コンビ。

外輪山にあるペネロカン村の火口湖への降り口まで、なんと1時間で到着してしまった。

待ち合わせ時間まで、1時間残っている。

下降口を左手にとって、バトゥール山の裾野を右回りに走ろうと即決。

幾つかの懐かしい場所に立ち寄りながら「Toya Devasya」に。

ジャスト1時到着。

ガイド君に電話。

さっそく駆けつけてくれた。

駐車場で「イトさん!」と声を掛けられる。

ウブドの友人・ランドゥン君だった。

ガイド君の家に、案内される。

お願いしたガイド君はこの日、他の仕事があるため、姉上ワヤン嬢を紹介してくれた。

見た目もアスリートな女性で、心強い見方を得た気分。

家族と雑談しながら、コーヒーをご馳走になる。

スタート地点まで、バイクで移動。


午後2時、歩き始める。

20数年ぶりのバトゥール山。

記憶では、楽勝の散歩コースだった。

50歳のアグン山登頂を目指してトレーニングした。

当時、40代後半だが、まだ若かった。

久々のバトゥール山の登山道は、険しくなっていた。

林道を抜けると、急斜面の岩場が続く。

これは、ブサキ寺院から登るアグン山の登山道と同じレベルだ。

体力が落ちているのは、承知している。

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大原さんに、悪いことをした。

出発前に「楽勝だよ!」と励ましていた。

記憶が、ねつ造されていたのかもしれない。

大原さんもアグン山登山に参加する。

バトゥール山で、自信をつけてもらいたかった。

小休止のたびに「ダマされた〜!」と連呼する。

午後4時15分。

頂上に、倒れ込むようにたどり着いた。

「楽勝だよ!」の言葉を信じれば、確かにダマされた感はある。

大原さんの頑張りを実況中継していれば、見ている人はきっと感動することだろう。

姉上ワヤン嬢の誘導も、巧みだった。

2時間15分、頑張りました。

このままのテンションで行けば、アグン山登頂も大丈夫だ。

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頂上には、われわれ3人だけ。

サンライズ・トレッキングなら、数百人が頂上に鈴なりになる。

登山道にも、長蛇の列。

1,000人を記録したこともあると聞く。

残念だが、ワルンも閉店している。

姉上ワヤン嬢が、湯気の吹き上がる岩場に卵を置いた。

待つこと10分、ゆで卵が出来上がる。

美味しく食す。

湯気を網に集めて貯めた水を発見。

ごりやくがありそうな水だったので、ペットボトルにいただいた。

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下山は、1時間30分。

私は、小手調べに満足を得ることができた。

心地よい疲れを全身に感じ、バイクを駆る。

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2017年07月19日

「CAFE POMEGRANATE」新装オープン(142)

ウブドが観光地として発展していくうち、行き先を通りの名称で言うようになった。

日本は何丁目何番地だが、通りの名前を住所としている国も多い。

インドネシアも、通りの名前を住所にしている国の一つ。

私が逗留していた「ロジャーズ・ホームステイ」の住所は、カジェン通り=Jl.Kajeng No1。

Jlは、Jalan(通り)の短縮形ですよね。

以前と言っても、私が知っているのは1990年のことですが。

ウブドから遠出する時は、ハヌマン通りに行くと言わずに「パダンテガルに行く」。

スリ・ウェダリ通りに行くと言わず「タマンに行く」と大雑把だった。

今、ツーリスとで賑わっている「ゴータマ通り」は、名無し。

名前はあったのだろうが、使う人はいなかった。

デヴィ・シータ通りを知らないウブド人も多かった。

カルナ通りは、パサール(市場)の裏の道と言っていた。

通りの名前より、エリアを重要視していた頃の話です。


余談ですが、「ウタン・ケラ通り=Jl.Hutan Kera」って、どこだかわかりますか?

モンキーフォレスト通りの正式名ですよ。

インドネシア語で、猿はケラ、森はウタン。

英語のモンキーフォレストが、いつのまにか通りの名前として定着してしまった。

新しい通りも増えている。

畦道が広くなって「ビスマ通り=Jl.Bisma」に。

村と村が繋がった「ジャタユ通り=Jl.Jayayu」など。

(※1994年現在の通りの名称が「極楽通信UBUD・Vol.2・P18「UBUDよろず百科・JALAN」に掲載されています)


「Jl.Subak Sok wayah」は、畦道です。

行ったことはあるが、名前は知らないという人も多いと思う。

Subakは水利組合、Sokは供物の皿、wayahは古いと言う意味らしい。

広めの農道に付いた名称だ。

かつては、牛車が通っていたのだろう。

ウブドで人気の散歩道。

カジェン通り散歩道の復路だと言われれば、理解できる人もいるだろう。

ウブドの西北部、渓谷と田んぼヴューが楽しめる散歩コース。

ここを「サリ・オーガニック散歩コース」と命名しておこう。

畦道には、オーガニック・カフェが建ち並ぶ。


それでは、本題に入ります。

そんな一画に、パオに似たテント屋根のレストランがオープンした。

老舗「ボッタ・マリア」の南に位置する。

ユニークなテントが、アイキャッチャーになっている。

「サリ・オーガニック散歩コース」の中で、もっとも人気の高いカフェ。

それが「CAFE POMEGRANATE」。

読み方は難しく、私は取りあえず「ポメグラネテ」と呼ぶことにした。

ザクロのことらしい。

「何でザクロなの?」と聞いてみたいところだが、「私の勝手でしょう」と言われそうなので止めている。

強風に2度も飛ばされたテント屋根は現在、新素材によって改装された。

内装に重厚感が増して、2017年7月始めに新装オープンした。

POMEGRANATE1.jpg

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田んぼヴュー、サンセット・ヴュー、蛍ウオッチングで、早朝9時から閉店の夜9時まで、散歩客で賑わっている。

私は時々「サンセット・ヴュー+蛍ウオッチング」を楽しみに訪れる。

■メニュー:hummus, salads and soups
■営業時間:9.00am〜9.00pm
■TEL:0878 6080 3632 / Free WiFi
■E.mail:cafepome.ubud@gmail.com
■Web:www.cafepomegrante.org

「サリ・オーガニック散歩コース」



《 復刊!極楽通信UBUD 》
懐かしの「極楽通信UBUD」がPDFとして復刻した。
1994年から1999年にかけてバリ島UBUDから発信されていた幻のミニコミ誌。
当時はバリで取材した原稿を日本に郵送し、それを元にPageMakerによってDTP作業後LaserWriterでプリントアウトした版下原稿をバリに送付し、UBUDでコピー印刷されて製本され、日本の読者に郵送されていたという、アナログ60%+デジタル40%というシロモノでした。
今回は保存されていたPageMakerファイルを、InDesignによって復活整理させた結果、すべてがクリアなデジタルデータとして甦った。
しかも、バリでの印刷時に版下に手書きで追加されていた現地ニュースなどもそのまま貼り込まれている。
Club Bali・極楽通信UBUD」からダウンロードできます。


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2017年07月14日

ブロッコリーの葉っぱ@家庭菜園(141)

古希記念アグン山登山まで、残すところ10 日と迫った。

体力作りには、3ヶ月前から始めればいいだろう考えていたが、結果的には何も努力していない。

今の体力で大丈夫だろうか、ちょっと心配になっている。

まあ、体力不足は根性でカバーできるだろう。

これが私の性格。

家庭菜園も、そんな考え方で進んでいる。


昨年の5月から始まった、私の家庭菜園。

その時の話は、こちらに「家庭菜園を始めた(58)」で。

その後は、「家庭菜園に奮闘中(92)」で。

アヒルに、若芽を食べられたこと。

鶏の被害にもあった。

ここ掘れワンワンにも、荒らされた。

大雨で盛り土は、流され。

大家さんの「これは雑草です」の一言で、無慈悲に抜かれた。

こんな哀しい話を、綴っています。

1年経っても、まったく成果はあがっていない。

最大の原因は、陽当たりが悪いことだ思われる。


私の畑は、セナ家の敷地内をテンテンとしている。

たらい回しにされているわけではない。

ベストの場所を探して、移動している。

ジプシー農業だ。

現在は、私の部屋の横。

窓越しに見える。

セノ家の長男ワヤン君が、タイヤを並べてくれた畑(?)。

タイヤ畑.jpg

そして、軒下に、花壇のような小さな畑。

花壇畑.jpg

こんな猫の額ほどの空地に、畑を作っている。

ここも、陽当たりがいいわけではない。

射していた光が、太陽の傾きでいつの間にか日陰になっていた。


この1年で完成した野菜は、わずかだ。

キュウリ2ヶ。

オクラ2ヶ。

散々な結果で終わっている。

しかし、私は負けない。

現在は、ブロッコリーが生育している。

葉っぱは、ドンドン伸びているが、ブロッコリーの芽が出てこない。

あまりの繁茂に、心配になった。

知人に、葉っぱは、間引きしないといけないと教えられた。

時遅し、その日の夜の大雨で倒れてしまった。

頭でっかちで、雨水に絶えられなかったのだ。

竹で補強して、立て直した。

早速、間引きした。

切り取り過ぎたかな。

葉っぱは食べられると教えられたが、我が家に台所はない。

あったとしても、料理はしないだろう。

恥ずかしい話だが、まったくできない。

男子が女性にもてる条件として「料理ができる」が加わったと聞いている。

私の青春時代は、料理はできなくてもよかった。

彼女の手作りの料理を「美味しい!」と言って食べるのが、男の条件だった。

ブロッコリーの葉っぱは「和食・影武者」に持って行って、料理してもらうことにした。

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ニンニクと一緒に、炒めてくれた。

茎が固いので、大きめの茎は落としてあった。

美味しかった。


端正込めて育てようという心がない私のを見抜いた、リピーターのオジさんに、「農業をバカにしちゃいけないよ」と言われた。

種をまいて放っておいて、いつのまにかできているといいなとは思っているが、バカにしているつもりはない。

これ「ナマケもの農法」。

どんな芽が出て来るか知らない。

知ろうと努力もしない。

雑草と野菜の若芽を見分けられない。

だから、成長するまで待つ。

見覚えのある野菜を見つければ、それを収穫する。

生野菜を食べるのが、私の究極の目的。

いつになったら、新鮮な野菜サラダが食べられるかな。

手をこまねいて待つのみがテクニックの「ナマケもの農法」実戦中です。


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2017年07月10日

飛ぶ鳥、跡を濁さないで!(140)

ある夜の「和食・影武者」の大テーブル。

常連に名古屋からの友人Mが加わって、いつもより賑やかな晩餐。

その席で、友人から寝耳に水の一言が発せられた。

「Aさんが、バリ南部に引っ越したようだよ」

部屋をAさんに紹介したのは私。

私がコロンビアの旅に出る前に、同じ条件で貸してもらえるように頼んだ経緯がある。

家賃が80万ルピアから100ルピアと値上げになったが、それでも充分に安い。

私に、断りも入れずに出て行くわけがない。

「Aさん、大家さん家族と、うまくいってなかったのかな?」

「そんなこと、知らないわ」

私に発言に、K子さんから冷たい言葉が返ってきた。

Aさんが引っ越した理由を知っていそうな口ぶりだ。

「どうして引っ越したのかな?」と聞く私に、友人Mは、

「話し合った方が良いよ」と言う。

いかにも、私に落ち度があるような言い方だ。

身の覚えのないことで、何を話し合えというのだ。

友人MとK子さんは、Aさんから私が悪者になっている話を聞いているのかもしれない。

古くからの友人に、信頼されていないと感じたのがショックだった。


次の日私は、Aさんが本当に引っ越したかを確認するために、P家を訪ねた。

部屋は、もぬけの殻。

掃除は、されていなかった。

「Aさんは、どうしてここを出ていったの?」

「急に、出ると言って、慌ただしく引っ越して行っちゃった」

「理由はわからないの?」

「儀式があるのでテーブルを一つ、一日だけ貸して欲しいと頼んだら、怖い顔をして睨まれた。

それしか考えられないんだよ。

家賃値上げの件は、itosanから頼まれたので保留にしたし。

何が原因で出て行ったのかまったくかわからないので、気になってしかたがないんですよ。

家族みんなで気を使ったつもりだったが、残念です(少々涙目)。

そうそう、itosanのオーブントースターの件で、一度、揉めたことがあったな。

でも、それが原因とは考えられない」

「なぜ私に、一言の連絡もせずに出て行ったんだろう?」

「冷蔵庫、持っていったよ。itosanと話はついていると言っていた。そう言われると、それ以上言えなくて」

「プリンターと変圧器もないね?」

壊れたので処分したのなら説明があるはずだ。

そのうち何か言ってくるだろう。

夜逃げのように引っ越していった、原因はわからなかった。

まさか、冷蔵庫を無断で持って行ったことが、原因とは思いたくない。

こちらが善かれと思ってしたことで、相手が傷つくこともある。

知らないうちに、傷つけたことがあったのだろうか。

それなら、誤解を解いた方がいい。

私は大家さんをなだめて、その場をあとにした。


3日後。

もしかしたら、Aさんが委託で商品を置いている店の人なら情報があるかもしれないと、訪ねた。

委託のコーナーは、カラッポだった。

「委託の期間が終わり、今後は場所代を払ってもらう契約になっていたのですが、

商品を撤収したまま、顔を見せないんですよ。

この通り、釘のあとを残したままにして。

itosanの話を聞いて、Aさんはそういう人なんだな、と納得しましたよ。

今後は、関わりを持たないようにします」

Sさんは、不浄な物でも捨てるように話を終えた。

私は「飛ぶ鳥跡を濁さず」を心がけている。

世話になった人に、後ろ足で砂をかける行為が、もっとも嫌いだ。


数日して、Aさんが影武者に現れた。

私の顔を見ないようにして、帰って行った。

え〜! どうしちゃったの?

私、悪者! 犯罪者!

身に覚えがない!

濡れ衣だ!

「和るん・あんかさ」でも「ティー・ルーム」でも、無視された。

無視されるって不愉快ですね。

何度も無視されると、こちらも顔を合わせてはいけない気持ちになってくる。

自己嫌悪になる。

Aさんは私に、まったく関係のないヒトに戻れとアピールしているのだろう。

知人は、何か誤解しているのだろうと言う。

誤解を説くためには、私から話しかけるべきなのか。

無視する知人に、なぜ、話しかける必要があるのか。

理由もわからないのに、和解を求めることはできない。

「去る者追わず、来るもの拒まず」が、私の流儀だ。

私もSさん同様に、今後は関わりを持たないようにしようと決めた。

ちなみに、大切な人なら、無視されても修復をはかる努力をしますよ。

結論は、大切な人じゃなかったということか。

ゴメン。

いや〜人間関係って難し〜い!

(※この逸話は、実体験にもとづいたフィクションです)

posted by ito-san at 15:01| Comment(3) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする