2018年07月04日

彼女が18才の春だった(208)

「日本から電話です」

スタッフに、耳元でささやかれた。

「和食・影武者」の電話に、私に掛かってくることは滅多にない。

私はスマートホンを使っていて、たいていはこちらに掛かってくる。

以前、「知人の知人ですが」の電話がよくあった。

煩わしい用件に立ち会うこともしばしば。

そんなわけで、スマートホンも登録した名前が表示されないと出ることはない。

「誰から?」と問うと、首を傾げて「昼にも掛かってきました」と答える。

知らない人からの電話には出たくないので、取り次がないように頼んである。

スタッフとしては、2度も掛かってきた電話だから重要だと考えたのだろう。

彼らの気持ちもわかる。

訝しく感じながら、電話に取ることにした。

「もしもし、伊藤です」

「タツトシだけど」の声がした。

札幌の住む息子の声だと、すぐにわかった。

何年振りだろう。

「久しぶりだね」

私の言葉にかぶせるように「お母さんが死んだ」と、つぶやくように答えた。

これは、悪い冗談だろうか?

久しぶりの電話に、いきなり、別れた妻の訃報。

それはないだろう。

息を飲み込んだまま、私は沈黙した。

答える言葉が見つからない。

「俺、今、東京に住んでいるんだけど、一週間前に死んだらしい」

その一言で、私の胸が悲しみに震えた。

孤独死だったんだ。

悲しい死に、私は責任を感じた。

私の思考を遮断するかのように、息子の声がした。

「また、電話するから」

こんな短い会話で、電話は切られた。

何かを忘れている。

私は何かをしなければいけない。

寂しさに、瞼の裏が滲んでいる。

今は、考え付かない。


遠い過去が蘇ってきた。

馴れ初めを思い出している。

24才の私がいる。

この日、愛車Nコロが故障して、市バスで通勤した。

一日の疲れた身体を引きずって、バスに乗る。

バスは、起点駅の栄からサラリーマンやOLでギュウギュウ詰め。

黒川、上飯田の駅で、乗客の半数ほどが降りた。

私は先ほどから、吊り革に身体を預けている、ひとりの女性が気になっていた。

そこだけにスポットが当たったように、クローズアップされていている。

パンタロンの似合う、背の高いスリムな姿に魅入っていた。

愛車が故障して、仕方なく乗ったバスに乗り合わせた女性に、運命の巡り合わせを感じた。

上飯田橋を渡ったあたりから空席ができ、彼女は出入り口に近いひとり席に腰を下ろした。

乗客がまばらになった車内で、私は、どう声を掛けようかと戸惑っている。

空席が目立つのに立っているのは不自然だと、私は、最後部の座席に坐った。

ここからなら、彼女の姿が見える。

終点に近づくにつれて、乗客は減っていく。

彼女に、降りる気配はない。

私は、次の駅で降りなくてはならない。

バスが止まり、自動ドアーが開いた。

彼女は降りない。

私も降りなかった。

次の駅でも、彼女は降りなかった。

この次は終点駅だ。

彼女が降り、そのあとに私が続いた。

今のご時世なら、ストーカーと言われてしまうような行動だ。

私は、彼女の背中を見ながら、どう声を掛けたものか悩んでいる。

終点で降りた、ほかの乗客2〜3人が、家路を急いで私を追い越していった。

彼女は、私のことをまったく気に掛けず、前を歩いている。

こんなところで後ろから声を掛ければ、彼女はきっと、怖がって逃げてしまうだろう。

あきらめよう、という心とは裏腹に

「あの〜、すみませんが、お茶でも飲みませんか?」

と、私は声を掛けていた。

彼女は、ビックリした顔で振り返り、私を覗くようにして見た。

しばらくの間をおいて、彼女の口から「いいですよ」の幸運な言葉が返ってきた。

2人は、バス停の近くの小さな喫茶店に入った。

最終のバスがなくなるまで話をしたことは覚えているが、興奮していたのか、何を話したかはまったく覚えていない。

恥ずかしい話だが、この時、私の財布にはお金が入っていなかった。

「ごめんなさい。お金持っていないので、貸してくれる」

なんて、ず〜ず〜しい奴だと、思っただろう。

このあと、連絡先を聞いて、私は2駅を歩いて家に帰った。

この機の逃してはというあせる気持ちが、私をこんな恥も外聞もない行動にさせたのだろう。

一目惚れ。

彼女が18才の春だった。


馴れ初めのシーンが、足早に通り過ぎていった。

我にかえると、連絡先を知らないことに気がついた。

別れた妻の電話番号も知らない。

東京に住む、息子の電話番号もわからない。



posted by ito-san at 16:37| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月30日

ATM最終話『祝い再発行!』(207)

ATMの結末を気にかけてくださっている方がいるかも・・と考え。

これが最後の報告になることを期待して、アップします。

「いやいや、もうチュクップ(cukup=インドネシア語で充分に意)です」

こんな声が聞こえてきそうですが、まあ聞いてください。

毎度の夜の影武者でのこと。

銀行に出向いても、カードは発行されなかったという話をした。

その場のみんなは、「それは、怒らなければいけないよ」一応に言う。

怒れば、銀行側も困って発行してくれるというわけだ。


6月26日:「3度目の正直」

この諺が、ふさわしいかどうか不安ですが、とにかく3度目の銀行詣でです。

今回の私は、怒るゾと心に決めて部屋を出た。

銀行には、午前10時に着いた。

今日も、人で埋め尽くされている。

整理番号は528。

番号は、500から始まっているにだろう。

電光掲示板に表示されている番号は516。

かなり待たされるだろうと、覚悟した。

運良く、一番前の長椅子の左端が一人分あいていたので、腰を下ろした。

いつもなら待ち時間を利用して本を読むのだが、今朝は早く起きたのでまだ眠く、本を取り出すのをやめた。

どう怒るか、を考えることにした。

他人に怒りをぶつけることは得意でない。

怒りは、いつの間にか自分にも原因があるかもしれないと考え直している。

デビットカードをATMに飲み込まれてしまったのも、私の落ち度かもしれない。

自分に自信がないのだ。

時間が経つと、許している。

どうせ、私のインドネシア語や英語では通じないだろう。

演技で怒ってみようか。

待ち時間が1時間を過ぎた。

エアコンで身体が冷えてきた。

風邪をひきそうだ。

私の番が回ってくるまでは、まだは時間がかかるだろう。

さらに30分が過ぎると、トイレに行きたくなった。

順番は、あと6人目。

今トイレに立つと、戻ってきて座るところがなくなっているかもしれない。

立って待つのは辛いので、ギリギリまで座っていることにした。

電光掲示板の数字が525番になったが、そこから、先になかなか進まない。

辛抱できなくて、トイレに立った。

トイレから出ると、電光掲示板の表示が530と変わっている。

私の番号が飛び越えられた。

先客が座っているカウンターと銀行員のいないカウンターがある。

幸い、先ほど座っていた席が空いていた。

もう一度、腰を下ろした。


空いていたカウンターに、女性銀行員が座った。

私は席を立ち、整理番号528を見せた。

女性銀行員に「デビットカードを再発行したいのですが」と告げる。

「それで?」と言う顔をされたので、カードが戻ってこなかったことを説明した。

「では、デンパサールの本店に電話をして確認してみますので、しばらくお待ち下さい」丁寧な対応。

この段階で、私は怒る気力は失せていた。

彼女は席を外し、本店とコンタクトしたのかどうかはわからないが、しばらくして戻ってきた。

「調べるのに時間がかかるので、紛失届を提出したほうが早いですよ」と提案された。

「紛失届は、銀行が出してくれるのですか?」

「いえ、あなたが警察に行ってもらってきてください」

私がなくしたわけでもないのに、なぜ、私が警察に出向かなければならないのか。

警察は、なぜか緊張するので行きたくない場所だ。

グズグズしていて、書類作成に時間がかかるだろう。

ここは、怒ってもいい場面ですよね。

「今から警察に行って紛失届の書類を申請して、来週、出直して来るのですか?」不満を含んだ言葉で言ってみた。

「警察はすぐに作ってくれます。今から行ってください。戻ったら、私を指名してください」彼女はニッコリと微笑んだ。

「私は言葉ができないので、手紙を書いてください」ささやかな抵抗をした。

彼女は、メモを書いてくれた。

私は素直に、ウブド警察署に向かった。

警察署には昨日、大原さんに付き合って20年ぶりに来ているので、今日は緊張も少ない。

受付カウンターでメモを見せると、ベンチに座っていた男性が私を部屋に案内した。

書類はスムーズに出来上がった。

お礼も受け取らなければ経費も受け取らない、クリヤーな警察になっていた。

銀行に戻り、再び彼女のカウンターに着く。

時間は、昼12時を大きく回っていた。

「昼食はすみましたか?」彼女に、こんなことを聞く余裕ができている。

「私は、先ほどすませました。あなたわ?」

525から番号が進まない時に食事をとっていたのだろう。

私はまだですと答えると「飴でも食べてください」とカウンターの隅ある飴の入った器を指差した。

こんな会話をしながら、カードは速やかに作られ、再発行が完了した。

「テレマカシ!」と声をかけて席を立つ。

ガードマンに手伝ってもらい、新しいカードに、新しい暗証番号を登録した。

こちらの銀行のガードマンは、受付の役目もするのだ。

こうして、私のATM問題は、解決したのであった。



posted by ito-san at 03:26| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月23日

クラウド・ファウンディング(206)

私の貧困生活を心配した友人が、見舞金のお願いをしてくれました。

皆様からの励ましの言葉に、心より感謝しております。



伊藤さんの友達が、事故で怪我をした伊藤さんに、みんなでお見舞金を送るクラウド(フレンド)ファウンディングをはじめました。

ぜひ、みなさんの温かいご支援をお願いします。

詳しくはこちらから

https://polca.jp/projects/pEdes9b5uPI



polcaで支援するにはログインが必要です。

facebookからログインするか、携帯電話番号を登録して、SMS認証によってログインするかのいずれかが必須となります。

支援者の本名は伊藤さんや主催者には伝わりませんので、誰からの支援なのかを伝えたいときはユーザーネームを工夫するか、伊藤さんにメッセンジャー等で直接ご連絡ください。

なお、支援金の支払い方法はVISAかマスターカードに限定されています。

不便な部分もありますが、運営会社が手数料を徴収せず、支援金全額を伊藤さんに届けることができるのでpolcaを使っています。

何卒ご了承ください。







posted by ito-san at 17:16| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

カードの紛失届を出してください(205)

この3日間、ウブドは大雨が降り続いている。

バイクで、この雨の中を走るのは、勇気がいる。

しかし、今日21日は、走るしかない。

行ってきましたよ、豪雨の中、銀行へ。

連休明けの今日は、人が大勢押しかけているだろうな。

予想した通り、待合ロビーは人で埋め尽くされていた。

私は、警備員を見つけて、声を掛けた。

1週間前、プンゴセカン村のガソリンスタンド内のATMで、カードが入ったまま戻ってこなくなったことを告げた。

警備員の男性は、笑顔を絶やさずに、私の訴えを聞いてくれた。

そして、こう言った「カードは、デンパサールの本店にいっているかもしれないね」。

だって。

14日に対応してくれた警備員は、この銀行に戻ってきているから、ここに取りに来るようにと言ってくれた。

だからこうして来ているのだ。

デンパサールの本店にあるとしたら、本店からこちらに持ってくるのが、親切というものだろう。

私は、デンパサールまで行く気はない。

それを察したのか、次の言葉は、「警察に行って、紛失届を出してください」だった。

ウブドの警察署は、当銀行の目と鼻の先にある。

遠くはないが、この雨を中を行くのは気が進まない。

それに、私はカードを紛失した覚えはない。

私のカードは、ATMが飲み込んだまま、出してくれないのだ。

これは銀行の落ち度ではないのか。

どうして、私が警察に行って紛失届を出さなくてはいけないのか?

その説明にも「警察に紛失届を出してください。それを持って銀行に来てください」と優しく諭す。

落ち度がない私が、どうして、そんな面倒なことをしなくてはならないのだ。

私は面倒なことを省きたいので、今のカードを捨てて新たに作り直すことはできないのか?と提案した。

警備員は「ティダ・アパ・アパ」と答えた。

出ました、バリ人がよく使う、日本語で言うところの「問題ない」。

「ピン(暗証番号)があるから、問題ありません」

あなたは問題ないかもしれないが、私には問題大有りなんだけど。

本当に、こんなことでいいのか。

日本では、こんな場合、どんな対応をしているのだろうか。

ロビーのお客は、一向に減ってはいない。

今から、カードの申請をしていては、何時間かかるかわからない。

今日のところは帰って、来週、新たに出直すことにする。

そろそろ家賃を払いたい。

手元に、カードがないのは心細いが、仕方がない。

素直に、銀行がカードを再発行してくれるかも心配だ。

もうしばらくの辛抱だ。

まだまだ続くのか、ATM物語。



posted by ito-san at 18:51| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

カードが吸い込まれたまま戻らない!(204)

やっとATM問題から解放された!

安心していたら、こんなところに大きな落とし穴があった。

事件は、6月14日(木)の夜9時に起こった。

「和食・影武者」に、出勤途中。

出勤と言っても働いているわけではない。

リピーターや時々私の話を聞きに訪れるツーリストに会えるのを期待して、自主的に顔を出しているにすぎない。

プンゴセカン村のガソリンスタンド内になる、ATMに立ち寄った。

明日から、イスラム教徒は連休に入る。

イスラム教徒の1ヶ月の断食(ラマダン=断食月)があけ、6月15日(金)・16日(土)はレバラン(断食明け大祭)=イドゥル・フィットリ(Idul Fitri)である。

レバランは、国民の祝祭日。

政府はレバランから1週間、休暇を取ることを奨励している。

レバラン前から休暇をとる人も多く、この時期ウブドは、インドネシア各地から旅行者が訪れる。

それは嬉しいのだが、ウブド在住のイスラム教徒も休日に入り、休みになる店も増える。

もちろん、官公庁も銀行も休みだ。

銀行が休み????

もしかすると、ATMも止まってしまうかもしれない。

止まってしまうことを考えて、少し現金を手元に残しておこうと考えた。


ATMでの現金の引き出しに、一抹の不安が残る私。

ブログに、ATMの解説ができるほどになったのに、何を恐れる。

困ったらキャンセルを押せばいいのだ。

今日で、自信を勝ち得よう。

出金ボタンの固定金額100万ルピアを押した。

心地よい音で、10万ルピアが10枚出てきた。

スムーズな出金に、この調子なら明日からも使用できるかもしれないと思う。

今日の出金は、このくらいにしておこう。

この後、画面を2度ほど間違えて押している。

私は、切り札のキャンセル・ボタンを押した。

カードが戻ってこない。

冗談でしょう?

こういう思いをしたくないから、勉強したのに!

冷静でいられなくなった。

何度もキャンセルを押し、他のボタンも闇雲に押した。

画面が「カードを入れてください」に変わった。

私のカードが出てこないのに、他のお客様のカードを入れてくださいって、どういうこと。

画面の出ている緊急連絡先の電話番号にかける。

「あなたの電話はプルサがありません」のメッセージ。

よりによってこんな時に、携帯使用料金がエンドになっている。

電話もできない。

ATMの前で、ジッ〜とカードが出て来るのを待つわけにもいかない。

銀行の支店に行けば、ガードマンがいるだろうから、相談しよう。

今にもカードが出てきそうなATMを、振り返りながらバイクにまたがる。


煌々とした電灯の明かりに照らされて、ガードマンはいた。

これで、なんとかなるだろう。

助っ人を呼んで、私のカードを救い出してくれるはずだ。

携帯電話で連絡をとってくれていたが、なかなか繋がらないようだ。

スマホを持ち出し、2台使って奮闘している。

こうしている間に、カードが出てきているかもしれない。

一度戻って、見てこようかな。

諦めの悪い自分の性格に、ウンザリする。

30分ほどして「通じない。7日後に来てくれ」と伝えられた。

ショック!

しかしこれ以上、ガードマンに望みを託せない。

もう一度、ガソリンスタンド内のATMに立ち寄ったが、カードは落ちていなかった。

7日後までは、手も足もだせないのであがきようがない。

諦めるしかない。

7日後の21日は、連休明け。

混雑が予想されるので、気が重い。

ATM症候群になっていく。

次回からは、英語を選択することにする。


posted by ito-san at 16:11| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月09日

ATMの出金で冷や汗!(203)

今日は、クニンガン祭礼日。

昼食にウブドの出た。

開いててよかった「ビアビア・プラス」。

ブログは、ここでアップしよう。


ブログに、銀行口座を開設してキャッシングカード(デビットカード付き)のをゲットしたことを書いたのは、2月だったね。

◼︎「インドネシアの銀行口座を開設(184)」

カードについては、バイク事故の通院やスーパーで現金の足らない時の支払で使い、慣れてきている。

暗証番号読み取り機で、シャーとやる奴です。

これはATMと違って、テンキーが見やすいから私でも容易に使える。

電卓、コンピューターなどで0から9までの数字を入力するキーのことを、テンキーというらしい。

ひとつ勉強しました。

問題は、ATM。

ATMの使い方に、私は困惑していた。

ここはインドネシア・バリ島ウブド。

画面は、すべてインドネシア語で説明される。

現金の引き出しについては、英語とインドネシア語を選択できるようになっている。

私はどちらの言語も充分に理解できない。

操作の方法がわからないので、いつまでたってもカードが戻ってこなくて焦ったことが何度もある。

ATMのボックスの中で、アタフタ、ドギマギする。

そんなことで、インドネシア語の画面を訳そうと試みた。

もしかすると、私と同じレベルで困っている人がいるかもしれない。

私のため、私と同様にドジな人のために利用法を書いておこう。

画面を写真に撮って、Google翻訳を使った。

Google翻訳さんでは、充分に理解できなかった。

「地球の歩きかた・バリ島 / 2018〜19」を見ると、P413に〈バリ島のATM利用方法〉の英語バージョンが解説されていた。

ウブドに長期滞在している私は、あくまでもインドネシア語で理解しようと、「地球の歩きかた」を参考にしながら補填していった。

ちなみにウブドのATM第1号は、1996年にBCA(バンク・セントラル・アジア)に設置されました。


ATM.jpg

ATMの機器が古かったり、日中の太陽の照り返しや照明が当たって、画面が見えずらい。

インドネシア語の画面を睨んで、モタモタしてする。

後ろに待っている人がいると、気になって、さらに失敗を重ねてしまう。

落ち着かなくて、とりあえず、終わったように装ってATMボックスから出る。

どんなに気が小さいか、わかるでしょう。

しかし、ここまでくると恥ずかしいね。

1).jpg

カードを挿入する。

さすがに裏表は間違えないが、左右を間違えることがある。

自動販売機で千円札がスーッと吸い込まれて行くときと同じで、嫌な感触になる。

吸い込まれたまま、戻ってこないのではないかという不安が伴うんですよね。

カードが飲み込まれたまま、戻ってこなかったことがあった。

あせりましたよ。

ATMボックスの中で、熊のようにウロウロ。

ウロウロしてても、出てこないものは出てこない。

〈 カードを飲み込んだ場合は、電話1500046までご連絡ください 〉とあるが、電話で会話できる能力はない。

銀行前のATMだが、すでに銀行は閉店している。

幸い警備員が勤務していた。

機械の故障だった。

相談すると「前の人も同じようの戻ってこないので、明日、きてください」と言われた。

翌日、警備員から無事カードが手渡された。

1)bniカード .jpg

テンキーのガードは暗証番号が読まれないようにとの配慮だが、使用する方も屈みこむようにしなくてはいけないので見ずらい。

さらに、文字が薄くなっていて、よく読めない。

これはウブドのATMだけのことですかね。

数字の配列は、暗記しているので問題はないのですが。

指の動きで、番号が盗まれる可能性もあるのか。

2).jpg

最初に言語選択画面が出るので、英語かインドネシア語を選択。

日本のATMは、日本語だけですかね?

5).jpg

引き出し金額は固定金額が表示されるので、その金額のところを押す。

自分で引き出したい金額をテンキー入力できるATMもあるが、わたしは固定金額を何度も繰り返す方法にしている。

金額を入力して、機械が札を数える音を聞くまで、心配だ。

そして、正確な金額が出てくるか。

なんて不安を抱えながらのATM。


日本で使い慣れている人は、言語が変わっても大丈夫ですよね。

所変われば、システムも変わることもあるけど。

コロンビアでは、挿入口に差し込んだキャッシュカードは、引き込まれず、見える状態で入出金する。

カードが飲み込まれてしまったら、使用不可になってしまうのだそうだ。

お世話になりたくても、カード不所持者に私には、縁のない場所だったので、そんな悲しい話にはならなかった。

◼︎「サレント&ウブドの銀行事情(87)」



そろそろ写真入り解説をと思って書き始めたたが、時が経ち、何度もATM現金引き出しを経験するうちに慣れてきた。

よ〜く考えれば、こんなことに困っているのは、私ぐらいのものだろうと思うようになった。

困ったときには、キャンセル・ボタンを押せばいいというのが結論です。

とりあえず簡単な説明で、止めておくことにしました。

何の参考にならない話でゴメンなさい。


posted by ito-san at 15:30| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月31日

ウブディアン=Ubud-ian @ fecebook(202)

Ubud-ian.jpg

フェイスブックに、新しいページを作成した。

「アパ?情報センター」のフェイスブックとは、違った切り口で情報を交換したいと考えている。

名称を「ウブディアン=Ubud-ian」。

ウブディアンとは、正式にはバリニーズのウブド人のことを言う。

このページのウブディアンは、ウブドをこよなく愛する人々すべての称号とする。

愛し方にもいろいろあろうが「私はウブディアンだ」と自認できる方なら問題はない。

以前発行していた「極楽通信・UBUD」では、ウブドが大好きな人のことを「ウブド熱愛症候群」という言葉を使った。

私のブログを読んでくれている人に中にも、「ウブド熱愛症候群」の人がたくさんいると思う。

ウブドに関わることなら何でも受け入れます。

思い出を語ってもよし。

懐かしい写真を掲載してもよし。

どしどい投稿してください。

掲示板的な使い方で、情報交換していただければ満足です。

イベントのお知らせ、自己PR、会社のPR、なんでも受け付けますよ。

日本での情報でもOK。

せいぜい、ご利用ください。

fecebook「Ubud-ian」:https://www.facebook.com/ikariyachouhatu/

クリックしてください。


5月30日は、ガルンガン祭礼日だった。

前日のプナンパハンとガルンガン当日、翌日のマニス・ガルンガンは、バリ人にはハレの日。

私は、ツーリストを思い知らされる日である。

3日間、儀礼に参加せず、ただただグウタラ。

動画は、タマン村スリウェダリ通りに飾られた、ガルンガンのペンジュール。

動画の前半部分は、定位置での180度撮影。

後半部分(こちらを先に撮影している)は、負傷の右手でハンドルを持ち、左手にスマホを持ってスリウェダリ通りを南下する。

友達に知れたら、激怒もんだね。

本人もドキドキものでした。




posted by ito-san at 18:13| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

『LOVE_TRAIN』再会は果たせなかった(201)

5月16日、名古屋から知人が訪ねてきた。

「和食・影武者」の女将・由美さんからメッセージがあったのは、私が下宿に着いてからだった。

「伊藤さん、ちょっと電話取ってよー」

2度目の電話のあと、午後6時06分に、こんなメッセージが届いた。

番号を登録していない電話には、出ないことにしている。

この番号は、由美さんの新規購入のスマートホンだった。


スウェントラ氏の火葬儀礼を終えて、バリ西部ヌガラからウブドに戻り「バロン・ブリッジ・カフェ」で、遅い遅い昼食をした。

4時から5時まで時間をつぶしたあと影武者に立ち寄った。

火葬儀礼に同行した大原さんも今夜は疲れているだろうから、夕食用におにぎり弁当に作ってもらった。

このあと、大原さんにバイクで送ってもらったばかり。


登録していない電話にリダイヤルした。

「伊藤です」

「今、名古屋の知り合いっていう人が来てるよ。かわるよ!」

由美さんは影武者から電話している、ということは。

えっ! すれ違いだったのか?

バリに行きますのメールが届いていたのは知っている。

まさか、ウブドまで足を伸ばしてくれるとは思ってもいなかった。

「ラブ・トレインの浅岡稔です」

電話の向こうから、懐かしい声が聞こえていた。

「やあ、久しぶり。40年ぶりかね」

私は25歳の時のクライアントだと勘違いしている。

「35年ぶりですよ、伊藤さん」

30歳の時の仕事だったのか。

5年ほど、遊んだ仲間でもある。

6kmほど先に、懐かしい友人がいる。

今からでも会いに行きたいが、今朝は6時起きでスウェントラ氏の火葬儀礼に参加して、眠気と疲れで体力を落としている。

それに今は、バイクに乗れない。

稔君は「声が聞けただけでいいですよ」と言ってくれた。

すぐに、また訪ねてきてくれるだろうと勝手に解釈して、今回の再会を諦めた。


3日後の影武者で、由美さんから嬉しい言葉を聞いた。

「ラブ・トレイン、伊藤さんのデザインのまま今でも営業してるってよ!」

ジ〜ン!胸に響く言葉。

水商売のことだ、もうとっくに移転したか閉店していると思っていた。

2014年の日本一時帰国の時も、そう思って訪ねなかった。

なんとかして会っておくべきだったか。


さっそく、現在の「ラブ・トレイン」の写真を送ってもらった。

連絡は、松本ニョロ芳寿さんとふざけた名前のスタッフと取っている。

ボスの稔君は、インターネット系が苦手のようだ。

営業形態は変わったようだが、内装はオープン当初と変わっていないようだ。

写真に、SINCE1979の文字。

39年前にオープンした店だ。

LOVE_TRAIN1.jpg

LOVE_TRAIN2.jpg

LOVE_TRAIN3.jpg

LOVE_TRAIN4.jpg

LOVE_TRAIN5.jpg

『 LOVE_TRAIN 』が、いつまでも続くことを祈っています。

再会を夢見ているよ。


『 LOVE_TRAIN 』
愛知県名古屋市中区錦3丁目9ー15サンロードビル5F
TEL:052-971-9988
Web:http://sound.jp/lovetrain

LOVE_TRAIN.jpg


posted by ito-san at 18:20| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月23日

オジン3人の昼食会(200)

さあいよいよ、バイクの乗るゾ。

いまだに右手の手術あとは痛いのだが、日々の行動範囲が狭すぎで、精神的に不完全燃焼になりがち。

そろそろいいのじゃないかと自己判断をして、夜の「和食・影武者」の帰りからバイクの乗ることにしていた。

それが、5月20日。

右手は、まだ細い物は握れない。

バイクの右グリプに、これまで使っていた包帯を巻いて太くした。

grip.jpg

4月4日の事故当日以来だから、45日ぶりのバイクの運転になる。

なんとか家路に着くことができた。

家に着くまで、大原さんがうしろを走行してくれた。

どこまでも優しいオヤジだ。

腕の疲れは、動かしていなかったからだろう。

当分はウブドの中心部には出ず、下宿のあるテガランタン付近で走り慣らすことにする。


今回の事故で大原さんには、多大な世話になった。

4月6日から昨日の5月19日まで毎週土曜日と日曜日以外、「和食・影武者」から夕食とポットに入れたコピ・バリを運んでくれた。

日曜日は、週一の楽しみ「影武者」での夕食。

バイクの後ろに乗せて「影武者」を往復してくれた。

本当に助かりました。

感謝・感謝です。

土曜日は女将・由美さんの定休日なので、弁当も休み。

この日の夜は、大原さんと私に坂田さんを加えた3ジジで外食。

そんな夕食会で、ピザを作ろうという話になった。

本格的なピザは大変だからと、ピザ・トーストに落ちついた。

それが、4月14日に実行された。

pizza_toast.jpg

坂田さんと私は、まったく料理ができない。

自然の流れとして、シェフは大原さんということになる。

大原シェフの料理は、予想以上に美味しかった。

器用な男だ。

次週も、何か作ろうということになった。

ピザ・トーストを頬張りながら、それぞれが食べたい物をリクエストする。

「来週はスパゲティだね」というように、次週の献立がきまる。

spaghetti.jpg

こうして土曜日の昼食は恒例となり、大原シェフが腕をふるうことになった。

大原さんにとっては、初めて挑戦する料理もある。

一週間ごとに課題が出された生徒のように、どうすれば美味しく食べられるか下調べも怠らない。

坂田さんと私は、食べる専門。

調味料などについての説明があるが、2人にとってはチンプンカンプン。

作り甲斐のない食客で、ゴメンなさい。

chyahan.jpg
4月28日:チャーハン

paella.jpg
5月05日:パエリア

yaki_udon.jpg
5月12日:焼うどん

steak.jpg
5月19日:ステーキ


昼食会は、坂田さんが帰国(21日)する2日前の19日まで続いた。

6週にわたって料理を作ってくれた大原さん、お疲れさまでした。

どれも美味しくいただきました。

また、いつかこんな催しをしたいですね。


45日間、ほぼ毎日の弁当の配達。

毎週土曜日の昼食会。

私の都合に合わせてバイクで送り迎えもしてくれた。

大原さんに、心から感謝。

おりがとうございました。


posted by ito-san at 15:59| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

「スアールアグン芸術団」団長・スウェントラ氏逝去(199)

5月9日深夜(00時25分)ウブド在住の知人Aさんからメッセンジャーが届いた。

文面には「スウェントラさんの容態が非常に悪く」と書かれてあった。

察するに、以前から病気だったが、容態が悪化したということか。

「サンラー病院に入院されてますが、会いたい、と思われる方は躊躇せず会いに行った方がいいような状態です」

これって危篤ということでしょう。

「ステージ4のガンで、この2ヶ月ほど急激に容態が悪くなったようです」

ここ数年交流がなかったので、まったく知らなかった。

「奥様のKさんは、あまり公にしたくないようなので、スウェントラさんの昔からのお知り合いの方にだけ、取り敢えずお知らせさせていただいています」


スウェントラ氏は、ジェゴグ・ファンなら誰でも知っている「スアールアグン(Suar Agung)芸術団」団長さん。

廃れたジェゴグを復活させ、30年の間に世界的民族音楽に仕立てた中心人物だ。

私がスウェントラ氏を知ったのは、1992年のこと。

ウブドから車で5時間かけて、ジュンブラナ県ヌガラ郡サンカルアグン村のスウェントラ氏の屋敷に出かけた。

裏庭で、スアールアグンのジェゴグを鑑賞した。

ジェゴグ体験は2度目だが、スアールアグンを聴いたのは初めて。

視覚・聴覚に圧倒的なパワーを感じた。

波動が、大気と地面から押し寄せてくる。

いつのまにか涙を流していた、のを思い出す。

この感動を多くの人と分かち合いたいと「アパ?情報センター」主催で、定期公演を企画した。

5時間の道のりが苦でなかった。

定期公演が手を離れてからも、応援は続いている。


5月9日早朝(9時37分)には、知人NさんからLINEが届いた。

Aさんと、同じ内容のメールだった。

先日まで自宅で治療していた、と書かれていた。

入院先は、サンラーの肺専門病棟。

肺がんだったのか?

お見舞いについては「会いたい人は早めに行った方がいいかも」とあった。


5月9日(11時41分)Aさんから「個室に移るまでは、お見舞い控えてほしい、とのことです」と連絡が入った。

「個室に移ったらまた連絡をくれるそうです」

危篤状態なので、面会もままならないのだろう。

いや〜な胸騒ぎがする。

芸能解説「ガムラン・ジェゴグ(jegog)」

極楽通信「感動の槌音・ジェゴグ」


5月10日(午後3時51分)訃報の第一報は、Nさんから届いた。

逝去は、午後2時。

情報を得てから、瞬く間の急逝。

信じられないの一言。

信じたくないのかもしれない。

考えることを放棄した。


これより約1時間前(午後2時41分)名古屋の友人Mさんからメッセンジャーが届いていた。

スウェントラ氏の手術費用に対して、フェイスブックで寄付を募っているということだった。

他の知人からも「寄付をしたいのですが?」と、連絡が入っている。

奥様のKさんが公にしたくないというのだから、控えた方のがようだろうと思った。

内容がわからないので、私は名古屋の知人に、もう少し様子を見てからと返事をした。

すでに、この時には他界していたのだ。

寄付を募っていたのは、スウェントラ氏の息子グデ・オカさんだった。

アメリカに在住しているグデ・オカさんが英語でコメントしているのを、日本人の知人がシェアしていたようだ。


16日の火葬儀礼に参列してきた。






1948年生まれのスウェントラ氏。

享年69歳は、私より1歳若い。

安らかな永眠をお祈りいたします。



posted by ito-san at 23:07| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする