2019年03月24日

ココナッツ石鹸作りに挑戦!(301)

ジョクジャカルタ・マゲラン滞在に向けて「巻き寿司作り」以外に、もうひとつ挑戦したことがある。

タイトルにもある「ココナッツ石鹸作り」だ。

バダさんの経営するカフェには、地下水が大量に湧く泉がある。

泉水は、近隣の家々に配られている。

この泉の湧く場所で、時々、村人がマンディ(水浴び)をする。

その時、持ってきた石鹸の包装紙を捨てていく。

バダさんは、そのゴミがいつも気になっていた。

石鹸をこちらで用意すれば、ゴミはなくなるかもしれない。

前々から、石鹸を作りたいと考えていたようだ。

この話に、私が乗ったというわけだ。

石鹸作りは、以前に挑戦したことがある。

「ブンブン・カフェ」を開店した20年前だ。

ワルンやレストランから廃油を引き取って、リサイクルできないかと考えていた。

「居酒屋・影武者(現在の和食・影武者)」で廃油を分けてもらい、挑戦した。

みごとに失敗に終わった。

苛性ソーダ(水酸化ナトリウムの通称)を加えるのを知らなかった。

そりゃ、固まらまらないわ。

苛性ソーダは固めるために使うのかな?

加水分解されて石鹸になると説明されても、わからない。


作り方は「巻き寿司作り」同様に、「YouTube」で検索した。

これも、様々な動画が出てくる出てくる。

親切丁寧で、手に取るように理解できる。

見ているだけで、できる気になってくる。

まずは、必要な物を揃える。

材料は、ココナッツオイルと精製水と苛性ソーダ。

これだけで、石鹸はできる。

ココナッツオイルは、私が売っているのですぐに手に入る。

精製水は、アクア(飲料水)で代用。

苛性ソーダは、インドネシアでは「ソーダ・アピ」という名前で建材屋で売っている。

計量する必要があるので、ポータブルのハカリを買った。

微妙な温度調節のために、温度計が必要だ。

初めは「和食・影武者」で借りていたが、マゲランに持っていく必要があるので、購入する必要があった。

ネット通販で買おうかなと思っていたら、デンパサールのレノン地域に開店したダイソーでRp28,000-で売っていた。

目盛りは200℃まである。

あとは、手鍋と攪拌棒。

熱源は携帯コンロ。

さあ、用意はできた。

coconut_oil.jpg

参考にしたYouTubeでは、

材料、ココナッツオイル:500g・精製水:150〜170g・苛性ソーダ:85gだった。

1)苛性ソーダと精製水を混ぜて、苛性ソーダ水溶液を作る。
  水溶液は、60〜80度になる。

2)ココナッツ・オイルと苛性ソーダ水溶液を、40度の同じ温度にする。

3)同じ温度になったら、ココナッツ・オイルの入った容器に苛性ソーダ水溶液をゆっくり注ぐ。
  30分、トレース状になるまで、ゆっくり混ぜる。 

4)型に流し込む。
  1日、保温して寝かす。

5)寝かした石鹸を取り出す。

6)使いやすい大きさに切り分ける。

7)切り分けた石鹸は、風通しの良いところで乾燥・熟成させる。
  1年未満でも3ヶ月経てば使えますが、肌に刺激を感じるかも。
  少なくとも半年以上はしっかり熟成させてください。

8)これで出来上がり。


2018年12月から、2019年1月2月3月と隔月で制作。

数ヶ月、風通しの良いところで熟成させると良いと書かれてあったので、違いのチェックにそうしてみた。

合計で、5回作った。

ココナッツオイル:500g・アクア水:160g・苛性ソーダ:80gで、3回。

その後、ココナッツオイル:500g・アクア水:100g・苛性ソーダ:50gで、1回。

そして、ココナッツオイル:500g・アクア水:160g・苛性ソーダ:60gで、1回。

苛性ソーダの量を、それぞれ違えて実験してみた。

アクア水:100g・苛性ソーダ:50gの石鹸は、しっかり固まらない。

苛性ソーダは水に溶かすと発熱するので、アクア水に苛性ソーダを少しずつ入れて溶かしていくほうが良さそうだ。

水溶液中の苛性ソーダ小片が気になるので、小片が見えなくなるまで、よく撹拌する。

以前、市販されている石鹸で、ピリピリしたことがあった。

あれは、苛性ソーダがよく溶けていなかったのではないかと思う。

ココナッツ・オイルの入った鍋に、水溶液を加える。

アルミ製手鍋は腐食したので、ホーローかガラスの鍋を使った方が良いだろう。

30分ほど攪拌するうちに、乳白色に固まってくる。

参考YouTubeにはトレース状になるまでとあるが、型に流し込んでもよさそうな硬さになれば良しとした。

石鹸は、柔らかいうちがカットしやすいので、翌日に切り分けた。

ワイヤー&カッターナイフ、最終的には包丁でカットしたが、どれも上手くいかなかった。

これは、マゲランに行ってからの課題とした。

乾燥・熟成1ヶ月の石鹸を使ってみたが、ピリピリ感はなかった。

最終的には、初期に実験した分量が良しと結論した。

作った石鹸を携えて、4月1日は出発だ。

マゲランでも作るゾ!


posted by ito-san at 19:19| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月17日

バリで温泉 @ キンタマーニ(300)

バリ島随一の景勝地、キンタマーニ高原。

高原と言っても、実際は外輪山のこと。

バトゥール山とアバン山に挟まれたバトゥール湖を、外輪山から眺める。

展望台があるところはペノロカン村だが、この一帯がキンタマーニ高原と呼ばれている。

眺望に、自然に涙が溢れたのは、初めて訪れた30年も過去のことだ。

バトゥール湖畔のトヤ・ブンカ村には、温泉が湧き出ている。

温水プール施設のある「Toya Devasya」に行ってから、すでに10数年経っている。

「Toya Devasya」ができる前には、波打ち際にある浅い池に地元の人と一緒に浸かった。

外輪山に囲まれた夜空は、プラネタリウムのような満天の星。

流れ星を眺めての温泉は、格別だった。

数年前、「Toya Devasya」に隣接して「Batur Natural Hot Spring 」がオープンした。

一度は行ってみたいと思っていた。

今回、友人母子(Sさん&A君)が来ウブドしたのを機会に、希望を叶えた。

私の娘ほどの年齢のSさんと、その息子A君。

A君のバイク乗りは、今回で3度目。

かなり慣れてきている。

しかし、お母さんの乗せてのツーリングは、もう少し経験が必要だろう。

A君は一人乗りで、私がSさんを乗せる。

カルデラを登り下りするに「スクピー」の2人乗りは心もとない。

Sさんには内緒ですが、ひとまわりパワーのあるバイクに交換した。

バイクを2台連ねて、いざ出発!!

パノラマの美しい外輪山のカフェで、ドリップコーヒーを飲みながら小休止。

急坂を下ると、湖の景色が開けてくる。

湖の北端にあるソンガン村に直行。

ここには、有名な「ウルン・ダヌ・バトゥール寺院」のルーツの寺院が残っている。

湖面に浮かぶ「湖の女神」像を、遠目から見学。

ソンガン村からバトゥール山の北面を目指す。

ここには、A君に見せたい景色がある。

大自然の脅威で驚異の溶岩流。

溶岩流を目の当たりにして、自然の力を思い知らされるだろう。


さてさて今回のメインイベント、トヤ・ブンカ村の「Batur Natural Hot Spring 」だ。

「Toya Devasya」の隣と聞いていたので、探すのに少し苦労した。

温泉は隣接しているが、入口はかなり離れている。

Rp190,000-を支払って入場。

水着に着替えて、プールに向かう。

湖畔に並べられたデッキチェアの下には、湖水が侵入している。

これは故意にしているのか、湖面が上がったのか?

湖から2番目のプールの温水が、私にはちょうど良かった。

アバン山とバトゥール湖の景観を見ながらの温泉。

あ〜気持ちいい!

バスタブのない部屋で下宿しているので、湯に浸かるのは何年ぶりだろう?

もっかのささやかに夢は、バスタブのある生活だ。

快い疲れを感じながら、帰路に着いた。


帰宅してから、ブログを書くのに「地球の歩き方」開いてみた。

トヤ・ブンカの温泉プールのコーナーに「Toya Devasya」と「Batur Natural Hot Spring」の情報が記載されている。

「Toya Devasya」のほうが料金が高いところを見ると、施設が整っているのだろう。

遠目にも、繁盛しているように見受けられる。

「Batur Natural Hot Spring」の入場料は、Rp150,000-(1名)・ランチ込みのパッケージでRp18,0000-となっている。

値上がっている。

入場券には、ランチは含まれていないが、ウエルカムドリンク、タオル、ロッカーはサービスだった。

アラアラ〜、しっかり見るべきだった。

タオルもロッカーも、我慢したのに。

そういえば、サービスコーナーのような小屋が建っていたな。

あそこで相談すれば、インクルードのウエルカムドリンクももらえたかも。

昼食は、ナシゴレンとコーヒーでRp50,000-ほどだったと記憶する。

こんな失敗をしたが、Sさん&A君も満足している様子。

次回というチャンスがあれば、「Toya Devasya」に行こう。




posted by ito-san at 15:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月08日

ニュピ @ナギ村の奇祭!(299)

30年目にして、初めて眼にしたした情報。

「アパ?情報センター」のフェイスブックにアップされていた。

この頃は、ネットで様々な情報をキャッチすることができで便利だ。

ニュピ前夜、ウブドの北に位置するナギ村で、火を使って戦う儀礼があるという情報。

今年(2019年)のニュピは、西暦の3月7日にあたる。

ニュピは、サコ暦(1941年)の最大祭礼日。

前日は、各村では悪霊払いがある。

夜には、オゴホゴ神輿の行列が繰り出す。

ナギ村の奇祭は、情報では午後6時開始と載っている。

こんな奇祭を見逃す手はない。

是非、観ておきたい。

私に次回のチャンスは、ないかもしれない。


3月6日・ニュピ前日

午後3時頃から雨が降り始めた。

我が家からナギ村までは、バイクで15分以内に着けるはず。

開始30分前には、会場に到着していたい。

各村でオゴホゴ神輿の出陣準備で、道路が封鎖されていることが多い。

5時には、家を出たいと考えていたが、雨は降り止まない。

5時30分になっても、降り続いている。

あきめて、部屋でノンビリ過ごすことにした。

6時近くになって、小降りになってき。

これは止むかもしれない。

開始時間は、雨待ちで遅れているだろう。

道路封鎖がされる前に、とりあえず、ナギ村に行ってみようと思い立つ。

小雨の降る中、雨合羽をカブって出かけた。


北部に隣接するジュンジュンガン村、プトゥル村、クトゥ村を避けて、ウブド大通りを通った方が渋滞は少ないだろう。

タマン村の通りには、巨大なオゴホゴ神輿が若者たちと出陣を待っていた。

アンドン交差点を左折して、テガララン方面に向かう。

ホテル「Kamandalu」の看板のある道を右折すれば、ナギ村だ。

200メートルほど先に、二股に分かれる道がある。

左手に進めば「Kamandalu」「Vaiceroy」などの宿泊施設がある。

右手には寺院とワンティラン(集会場)がある、ナギ村集落の入口だ。

道路左側にある広場に、バイクを止めさせてもらう。


時計は、午後6時15分。

大小のオゴホゴが数体、ワンティランの中と周りに並んでいる。

奇祭はどこでおこなわれるか、わからない。

雨を避けて、集落入口の小屋に腰掛けて待つことにした。

正装の村人が三々五々集まって来る。

観光客の姿は、少ない。

村の警備員が、小屋に溜まりだした。

そのうちに一人が「ワンティランで待つと、いいよ。儀礼は、あそこで行われるから」と教えてくれた。

この小屋、今日は警備員が張り込む場所なもかもしれない。

私は、その場を離れてワンティランに向かう。

まだ、小雨は降り続いている。


ワンティラン前の小さな広場に、椰子殻の山が2箇所作られた。

火のついた椰子殻をこの距離から投げ合うのか。

かなり危険だが、傍観者としては興味深い。

中高生くらいの娘たちによる、踊りが始まった。

新作と思わせる、舞踊だ。

スマホのバッテリーがなくなっていて、開始時間は確認できない。

雨は上がっていた。

近くのホテルの宿泊客だろう、見物人に多くの観光客の姿が見える。

娘たちと同年代だと思われる青年が混じり、ケチャ舞踊が演じられた。

こちらも、モダンな振り付けだ。

娘たちが下がると、椰子殻の山に火がつけられた。

上半身裸のケチャ軍団だった青年たちが、火のついた椰子殻を両手に持って飛び跳ねる。

いきなり、一対一で火のついた椰子殻をぶつけ合う。

両陣営で投げ合う団体競技かと思っていたので、度肝を抜かれた。

火の粉が飛ぶ。

熱くないのか?

目の前で繰り広げられる、火祭り。

なぜか微笑ましく、感じたのはなぜだろう。

詳細は、省きます。

あとは動画でお楽しみください。




posted by ito-san at 16:25| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月05日

ニュピ(Nyepi)について考察(298)

今回は「ニュピ」についてのウンチクを少々語ります。

ウンチク(蘊蓄)の漢字が、読めない書けないので、カタカナにしました。

バリ島民は、世界共通の西暦(グレゴリオ暦)のほかに、古くから伝わる独自の暦を使っている。

それは、宗教儀礼や日々の供物を捧げる時の大切な目安となっている。

独自の暦には2種類あり、ひとつをウク暦、もうひとつをサコ暦と呼んでいる。

1343年、バリはマジャパイト王朝によって征服され、16世紀のゲルゲル王朝時代に、ジャワ・ヒンドゥー文化の影響を強く受けるに従い、ジャワ・バリ暦と言われるウク暦が中心となっていった。

征服される以前に建立された寺院の多くは、サコ暦に従って祭礼が行われている。

サコ暦は、インドが起源と考えられ、「釈迦」に由来するとも言われる。

西暦78年(79年という説もある)が元年とされ、例えば、今が西暦2019年だどとすると、78を引いた数サコ暦となる。

今年は、サコ暦の1941年。

サコ暦の1年は、353日、355日あるいは356日で巡ってくる。

ひと月は、約29日半なので、数年に1度のうるう月がある。

1年は、12のサシー=月(sasih)に分かれている。

うるう月では足らないので、何年かごとのうるう月を設けている。

2016年には13ヶ月あった。

第11番目の月・Sasih Jiyestha(雨季の終わり)と、第12番目の月・Sasih Sadha(乾季の始まり)の間に、「Sasih Mala Jiyesta」

ニュピは「サコ暦」最大の祭礼のこと。

月が隠れる・暗月(ブラン・ティラム・bulan tilem)の翌日から新しい月が始まり、次の暗月までをひと月とする。


満月と暗月の日には、普段より多めに供物が捧げられる。

サコ暦は太陰暦で、月のサイクルに合わせた暦。


第1番目の月(Sasih Kasa =サシー・カソ)は、西暦の6月頃。

第7番目の月(Sasih kepitu=サシー・クピトゥ・西暦の12月頃)の暗月前日に行われる祭礼が「Hari Siwaratri(シワラトリ)」。

第10番目の月(Sasih kadasa=サシー・カダソ)の第1日目が、ニュピとなる。

雨期の終わる、西暦の3月か4月に巡ってくる。


1年の穢れを払い浄める祭儀が、ニュピだ。

ニュピ前日の暗月の日に、冥界のヤマ神が大掃除をするので、悪霊ブト・カロ(Bhuta Kala)が地界から追い出され、地上にはい出て来る。

バリ中のすべての村の公共広場では、僧侶によるムチャル(悪魔払い)儀礼が執り行われる。

ウブドではスゥエタ通りの王宮前に祭壇が設けられ、儀礼が行われる。

夕方になると、家々では家族総出で鍋釜など音の出るものを手に、屋敷内の隅々をガンガンと鳴らしながら廻る。

これは、ングルプック=Ngerupuk(プングルプガン)と呼ばれる儀礼。

人間の生活を乱そうとする悪霊を追い払うためだ。

陽が落ちると、オゴホゴ(Ogoh-ogoh)と呼ばれる、張りぼて人形の御輿が村を練り歩く。

この行事が始まったのは新しく、インドネシア独立後(1945年)と聞く。


こうして、地上から悪霊ブト・カロを追い払った翌日がニュピ。

ニュピは、バリ語のスピ(Sepi=静かな)が語源で「静寂の日」とも言われる。

いかにも「この島には誰もいません」と言うように、生活の匂いを感じさせないよう家に引きこもり、悪霊ブト・カロに見つからないように静かに過ごす。

この日は、労働(アマティ・カルヤ)、通りへの外出(アマティ・ルルンガン)、火の使用(アマティ・グニ)、殺生(アマティ・ルラングアン)などが禁じられている。

火は、現代では電灯も含まれる。

この4つを守り、精神を集中させ、心を穏やかにし、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈る。

こんな崇高な気持ちになれない私は、痛切に門外漢を感じる日である。

4つの禁止事項は、バリ島にいるすべての人に義務づけられる。

数年前から、テレビ、ラジオの配信もストップされた。

信じられないのは、観光で経済が成り立っている島なのに、この日、国際線の航空便を含む島内すべての交通機関が閉鎖される。

昨年(2018年)からは、インターネットも使えなくなった。

思い切った政策だが、良いことにはバリ島民は反対しない。

ニュピは、貴重な「サイレント・デー」として、世界中から注目されている。

ついでに新しい情報。

ゴミの問題は、バリでも深刻。

特に、プラスチックゴミは目を覆いたくなるほど。

今年に入って、スーパーマーケットやコンビニの持ち帰りビニール袋が姿を消した。

エコバックの使用を推進している。

順次、小さな店のビニール袋の使用も禁止されだろう。


ニュピをサコ暦の正月と捉える人がいるが、私は違う考えだ。

バリ人に、新年という概念はないように見受けられる。

本格的な雨期に入る、第7番目の月・サシー・クピトゥから、雨期が終わる、第11番目の月(西暦の4月頃)サシー・ジェスタまでの期間は、体調を壊しやすい時期である。

昔は疫病も流行ったことだろう。

悪いことが起こるのは、悪霊のせいだと考えるバリ人のこと、雨期の終わった時期に、お祓いをしようというわけだ。

日本人的な考えで、言葉を当てはめようとすると、間違いが生ずる。

「ニュピ」は、バリ独特の祭礼「静寂の日」の名称。

ちなみに、ウク暦の最大の祭礼日は「ガルンガン」だが、ガルンガンを、日本的にお盆と考えるにも無理がある。

単純に、210日に一度巡ってくる祭礼日として理解したほうが、私にはしっくりくる。 

今年のニュピは、3月7日。

何もできない1日をどう過ごそうか、悩んでいます。
posted by ito-san at 18:44| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月02日

巻き寿司作りに挑戦!(297)

私には、味覚センサーが鈍いのと、料理センスがない。

いつの頃からか、食べることにあまり執着しない人間になっていた。

空腹になっても、作るよりは我慢してしまう。

料理は作れないので、食べる専門。

だから持ち寄りパーティーには、誰も呼んでくれない。

人が集まるところが苦手だから、ちょうど良いのだが、ちょっと寂しい。

そんな私が、なぜ「巻き寿司」を作ろうと思い立ったのか。

それには、こんなわけがあります。

昨年(2018年)11月、バダさんの結婚式に招待されて、ジョクジャカルタ・マゲランに行った。

4日の間、お世話になった。

これといったお礼もできずに、ウブドに戻ってきた。

2015年に、南米コレンビア・サレントでジュンペイさんに6ヶ月間お世話になった時に気づかされたことが、ここで思い出された。

お世話になったお礼に、日本食を振る舞ってもよかったのではないかと。

料理に興味がないから、まったく気がつかなかった。

きっと、ささやかなも料理でも喜んでくれたはず。

私は、そんな努力を怠った。

これから海外旅行に出る若者にアドバイスする。

「日本食の一つくらい覚えておこう!」

きっと、コミュニケーションの役に立つはず。

日本料理で、材料や道具が少なくて外国人に喜ばれるもの。

思い立ったのが「巻き寿司」だった。

次回、マゲランを訪れる時には「巻き寿司」を食べてもらおう。

できるかどうかわからないが、とにかく挑戦してみることにした。


料理に興味のない私の部屋には、調理道具は皆無。

とりあえず他人の家で経験させてもらおうと考え、知人のレストランで行われる「たこ焼きパーティー」に「巻き寿司作り」を便乗した。

寿司を巻く道具がないので、片面がビニールコーティングされた包装紙を代用した。

この包装紙は、ナシ・チャンプールやサテなどのブンクス(持ち帰り)用に多用されている。

招待客となった私は、料理の下準備をしなくてもいい。

この日は、巻くことに専従。

巻き寿司は「海苔巻き」のことで、カルフォルニア・ロールは「裏巻き」「逆巻き」のことらしい。

料理作りは和気あいあいと進んだ。

初体験でまったくうまく巻けないが、巻き寿司の全貌は見えてきた。


「YouTube」で「巻き寿司」を検索すると、作り方が出てくる。

様々な動画がアップされていて、手に取るように理解できる。

見ているだけで、できる気になってくる。

まずは、調理道具を揃えなくてはいけない。

寿司を巻く道具は、「巻き簀」と呼ぶらしい。

「巻き簀」のことを「簀巻き」と言っていた私は、うぶな奴。

「簀巻き」だと、土左衛門(水死体)を連想してしまってよくないよね。

竹を削って「巻き簀」を作り始めた。

完成はしてみたものの、「YouTube」で見た物と比べると使いにくそうだ。

日本から誰かに持ってきてもらおうかと考えていた時、「和食・影武者」女将が、デンパサールに昨年開店したダイソーで買ってきてくれた。

makisu.jpg
(手前の薄汚いのが、私の手作り巻き簀)

ご飯を炊く炊飯器もない。

預けてあった携帯コンロを返してもらった。

1合が炊ければいいので、小さな鍋を買った。

鍋でご飯を炊くには、得意だ。

スーパーで、計量カップと計量スプーンを見つけたので即買い。

計量スプーンは、寿司酢を作る時と、炊いたご飯に、寿司酢を入れてを酢飯(すめし)を作る時に使う。

さてさてあとは、何が必要だろう。

包丁はとりあえず、工作用のナイフで間に合わせよう。

木の柄杓と小さなまな板も揃えた。

炊いたご飯に寿司酢を掛けてほぐすために、プラスチックのパットを買った。

布巾もある、皿と丼が一つずつあれば、あとは何とかなるだろう。


「巻き寿司」は、毎週土曜日の夕食として作ることにした。

いよいよ、実践に入る。

料理の説明は、皆さんの方がよくご存じだと思うので省きます。

巻き寿司だから、海苔は必須。

「和食・影武者」が、1パックを援助してくれた。

そして、寿司酢。

寿司酢は、酢に砂糖と塩を加えたもの。

(メモ:調合は、酢180cc・白砂糖大さじ5杯・塩大さじ1杯)

今回は、調合された寿司酢を、これも「影武者」から頂いた。

台所もないので、床に直接座り込んで作業する。

モビールを作る時と同じだ。

一合の米は150gで、炊き上がると370gになった。

茶碗のご飯で二膳分。

370gのご飯に対して、標準より少し多めの30ccの寿司酢を入れる。

これで、太巻きだと2本、細巻きだと4本が作れる。

慣れるまでは、前もって92gをサランラプして用意しておくことにした。

キュウリが入るカッパ巻きは、すぐに習得できた。

マグロの刺身がないので、鉄火巻きは作れない。

マゲランでは、カルフォルニア・ロールの方が喜ばれるだろう。

酢飯が表になるカルフォルニア・ロールは、うまく巻けずに苦戦した。

具に、キュウリにアボガトと人参、キュウリに生ハム、キュウリにスモーク・サーモンなどを使った。

サランラップを巻くと使いやすくなるのを「YouTube」で知った。

細巻きを作ると、酢飯が3本に少しあまる。

切り分けてから、もう一度巻き簀で形を整える。

早い段階で、包丁を購入した。

包丁に水を浸すと切りやすくなるのも、切ったあと包丁を濡れ布巾で拭き取るのも「YouTube」で知った。

食べる時には、キューピー・マヨネーズを使った。

キューピーは高価なので、現地ではローカルの「Mama Suka (Minyak Kedelai 67%. Telur6%)」を使うことになるだろう。

6回目の土曜日で、何とか形が整うようになった。

これ以上、技術の進歩は望めない。

あとは、現地の本番で覚えることにする。

条件は違うが、売り物じゃないので、許してくれるだろう。

バダさんたちにも、一緒に巻いてもらおうと目論んでいる。

彼らの好みの具を入れてもらうつもりだ。

楽しい「巻き寿司パーティ」が、目に浮かぶ。

4月に1ヶ月ほどの滞在で、マゲランを訪れる予定でいる。


posted by ito-san at 23:06| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月24日

SKTT、四苦八苦の結果入手!(296)

私は今、5年間有効のリタイヤメント・ビザでバリ島ウブドに滞在している。

55歳上に適用されるビザで、就業しないことが条件。

取得には、かなり厳しい諸条件が提示されている。

それについては、ネットで容易に調べることができるので、ここでは割愛する。

ちなみに私は、この厳しい条件をまったくクリアーできないが、ビザ代行業社の助力で事なきを得ている。

リタイヤメント・ビザは、通称KITAS(Kartu Izin Tinggal Sementara=キタス)と呼ばれるものの一種。

キタスは、制限付き滞在許可書のことで、他に、就労ビザ、婚姻ビザが含まれる。

2年ほど前から、インドネシア人がKTP(Kartu Tanda Penduduk=住民登録証)を持つように、我々リタイヤメント・ビザ所持者にも、それに準じたSKTT(Persyaratan Surat Keterangan tenpat Tinggal=居住地証明証)を取得する必要が生じた。

このSKTT、リタイヤメント・ビザの申請の時に提出するだけで、それ以外に使い道はないようだ。

これまでは、ビザ代行業社がウヤムヤに済ませていたたが、今回から厳しくなったようだ。


このSKTTを入手する手続きが面倒。

今回は、その苦労の一部始終を報告したいと思います。

要領よく動けば、数日で終わる(はず)。

それには、まず、用意する書類の目録と各種書類を手に入れること。

各県の市民登録局(Dinas Kependudukan dan Pencatatan Sipil)に、出向く。

書類の提出も「市民登録局」なので、場所を覚えておく必要がある。

私は、ギャニヤール県在住なので県都ギャニヤールの市民登録局に行くことになる。

ウブドからだとバイクで30分ほどの距離。

pencatatan_sipil1.jpg

私は昨年、友人に伴って訪れた際に、書類の一式をもらってきているのでそれに書き込めばOK(のはず)。

ビザ代行業社から、キタスの書類がメールで届くのを待ってから、行動を開始した。

目録を参考に、一つ一つ書類を作成していく。

パスポートとキタスのコピー、私の顔写真、大家さんのKTPのコピー。

ここまでは、簡単だ。

まずは、ドミシリーと呼ばれる書類。

この書類に、居住地のバンジャールの村長とウブドの役所で所長のサインをもらう。

ドミシリー作成に金銭を請求したり、作ってくれないバンジャールの村長もいると聞く。

ビザ代行業社のお金を支払って作ってもらっている人もいる。

書類を提出せずに、市民登録局で取得するのと同じSKTTを手にしていた。

ウブドの村長は不在のことが多いので、書類の入手に数日かかることがある。

運良く、1日待って入手できた。

付き合いの古いバンジャールの住人である私は、ドミシリー作成に問題なかった。

そして、警察でSTM(Surat tanda melapor)をもらう。

これは、5分ほどで終わった。

申請経費Rp30,000-。

pencatatan_sipil2.jpg

目録には何項目もあったが、インドネシア語が理解できない私は、これだけを揃えて市民登録局を訪問した。

悪いことをしているわけじゃないが、役所というところは緊張する。

事務所前でたむろする一団の中に、スマラ・ラティ歌舞団のアノムさんの息子グンゲ君の顔が見えた。

グンゲ君は、赤ん坊の頃から知っている。

昨年から、ここで働くようになったと聞いている。

困ったことがあれば、頼りになりそうだ。

スタッフの遅い昼の休憩を待って、カウンター前の椅子に座る。

提出した書類をチェックした局員は、書類が2つ足らないと目録に丸印が書いた。

「Foto copy kartu keluarga(KK)penanggung jawab」と「Surat pernyataan dari capil」だ。

グングデ君が助け舟を出してくれたが、書類が足らないのでは助けようがないようだ。

出直しだ。

KKはコピーを取りに行けばOKだが、「Surat pernyataan dari capil」については、ドミシリーと同様にバンジャールの村長とウブドの役所の所長のサインが必要だ。

所長のサインをもらうには、3日かかった。

やっと書類がそろった。

今回は、SKTTを入手できるだろうと勇んで出向いた。

書類は受け取ってくれたが、金曜日に所長に電話をしてから来るようにと言われる。

えっ! すぐにできないの?

これも、小さな嫌がらせか?

煩わしい手続きを省くため、正式のルートではないが、ビザ代行業社にRp50万を支払って取得する方法もあるかなと思ってしまう。

電話をするように言われたが、インドネシア語でどう説明すればいいのかわからず不安でいっぱいだ。

当日、電話をしたが生憎というか、よかったというか、通じなかったので市民登録局に直接出向くことにした。

カウンターでグンゲ君を見つけ、助太刀をお願いした。

頼もしい育った、グンゲ君の姿に感動する。

しばらく待たされて、めでたくSKTTを入手。

SKTTは、銀行のキャッシュカードより少し大きめの紙製だった。

これにプラスチックのカバーをして持ち歩くのだ。

pencatatan_sipil3.jpg


◎知人のコメントを、承諾の上、掲載させていただきました。

ギャニャールの役所は、わいろに関してとても厳しい対応をしています。
わいろは一切受け付けない。
わいろの温床になるエージェントは関与させない。
そのため、SKTT取得は代理人の関与を認めません。
また、取得に当たっては所長の前で担当者が
・申請者自ら手続きを取ったこと
・わいろなど一切のお金の支払いはしなかったこと
・エージェントは使っていないこと
を、宣言して、申請者が承認します。
そのため、所長不在の時はSKTTの発行はしてもらえません。

✴︎詳細は「バリ島移住物語」(https://www.umaumabali.com
「SKTTの取得について」https://www.umaumabali.com/entry/20110404/1301873086



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2019年02月15日

ケヘン寺院のビンギン樹に会いに(295)

バリ島には、8つの県がある。

北の「ブレレン」、左周りに「ジュンブラナ」、「タバナン」、南に「バドゥン」、東隣に「ギャニヤール」、その東隣に「クルンクン」、クルンクンの北部に「バンリ」、東端が「カランアサム」。

この中で、海に接していない県がひとつある。

バンリ(Bangli)県だ。

私の滞在するギャニヤールの東隣に位置している縦長の県。

北部に、風光明媚なバトゥール山とバトゥール湖を有する。

珍しい儀礼の多い地域で、私は何度も訪れている。

奉納舞踊で幾度か参加させてもらった地域でもある。

県庁所在地は、バンリ市。

バンリ市には、バンリ王朝時代の国寺であったクヘン寺院(Pura Kehen)がある。

11世紀頃、スリ・ブラフマ・クムティ・クトゥ(Sri Brahma Kemuti Ketu)によって建立された。

市北部の小高い丘に、町を見下ろすように建っている。

境内のビンギン大樹は、樹齢600年。

大樹の胴回りは、私の目算でおよそ30メートル。

樹元に耳を当てると、水が吸い上げられる音が聴こえるようだった。

余談だが、アパ?情報センターのスタッフだったワヤン君をスカウトしたのは、クヘン寺院近くのダラム寺院の祭礼日だった。

通称ワヤン・バンリと呼んでいた。

ワヤン・バンリ君は今、インドのサイババから支持を得て、バンリ市にアシュラムを開いた奥さんのアシスタントをしている。


2月4日:久しぶりに朝から晴れ間が見えた。

このチャンスを見逃す手はない。

思い切って、ケヘン寺院のビンギン大樹に会いに行こう。

いざバンリへ・・・・・。

ウブドからバイクで40分ほどで着く。

祭礼のない平日、参拝客は私ひとり。

ビンギン大樹目指して、階段を上っていく。

闖入者に驚いた犬が、吠える。

大樹は今も、かつての姿を残し佇んでいた。

見上げる大きさと、気根の造形に圧倒される。

現在、壁に拒まれて一周することはできない。

以前訪れた時には、大樹の周りを一周できた。

その時に、話し掛けてきた老人の名前は「グデ・ライさん」。

幾人かの日本人に、ワヤンクリッを教えたと言っていた。

ウブドに戻りカセットショップを覗くと、グデ・ライさんのカセットが販売されていた。

ダラン(ワヤンクリッ=影絵芝居の演者)で有名な人とは知らず、バリ芸能について語り合った。

寺守りの村人にグデ・ライさんの消息を聞くと、「亡くなった」と悲しい情報が返ってきた。



線香と花を寺守りの村人に用意してもらい、奥の境内に腰を下ろす。

静寂の中でのお祈り。

合わせた両手の指先に花を挟み、眉間の前にもっていく。

神聖で厳かな涼風が頬を撫でていった。



ケヘン寺院は、アパ?情報センター:「古都バンリを巡る旅!」などのツアーで参加できます。

見どころは、ワヤンの登場神の石彫、樹齢600年を超える巨大バンヤン樹、壁に埋め込まれた中国陶器など。

何と言っても、心地よい風が心身を癒してくれる。

是非、ご利用ください。


posted by ito-san at 16:29| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月08日

LOLOH BALI(バリの伝統療法)294

ウブドには、ホームステイを営む家が多い。

屋敷内にはバリの伝統に従って造られた幾つかの棟があり、その一部をツーリストに貸している。

宿泊すれば、ヒンドゥー・ダルモを信仰するバリ人の日常を垣間見ることができる。

彼ら信仰や慣習は、たいへん興味深いものがある。

そんな中の一つに、彼らの伝統療法がある。

私もホームステイしていた時に、しばしばお世話になった。

熱がある時に、大きな葉っぱをお腹に貼ってくれてことがあった。

お腹の調子が悪い時には、生薬を処方してくれた。

バリ人の屋敷は、どこも緑が庭に溢れている。

なにげなく植えられた草花には生薬も含まれていて、ちょっとした薬草園だ。

村人の多くが漢方医のようなもの。

もっとも薬草にたけているのが、バリヤンと呼ばれる人々。

葉っぱや根っこや実を潰したり絞って、飲み薬や塗り薬にする。

中でも、葉っぱから作られる生薬のことをバリ語でロロ(Loloh)と呼ぶ。

処方は、採りたてを絞ってジュースにして服用することが多い。

ジャムーと同じルーツだろうが、バリ特有の生薬に興味が惹かれる。

バリ独特のものとして商品化できないものだろうか、と考えた。


ご存知の人も多いと思うが、インドネシアには伝統療法の「ジャムー=JAMU」がある。

日本では、インドネシアの漢方のようなものと説明している。

古くから伝わるハーブ薬のことで、インドネシアに自生している植物の実や皮、葉、根、木の皮などを原料としている。

インドからヒンドゥー教が伝えられた時、インド古代医学のアーユルヴェーダもインドネシアに入ってきた。

アーユルヴェーダをヒントに、改良を重ねられて行き出来上がったものがジャムーだと言われている。

ルーツがアールヴェーダであることは、中部ジャワのボロブドゥール遺跡にも描かれているらしい。

これらの知識は、ネットで調べた。

インド(印度)からのルーツだとすれば、漢方と言わずに ”印方” が正しいのじゃないかと、へそ曲がりの私なんかは考えてしまう。

印方では、聞き間違いが起こる可能性があるか。

私のジャムー初体験は、ペットボトルを何本も背負って売り歩いているおばさんだった。

ペットボトルの中身は、乳白色に濁った液体ジャムー。

ジャムーが、不味いという情報は知っている。

『良薬口に苦し』だ。

体の調子はすこぶる良いが、好奇心がジャムーを求めた。

勇気を出して、私は、おばさんを呼び止めた。

おばさんは、道端の縁石に荷物を降ろして店開きを初めた。

ペットボトルから、ジャムーをコップに移し替え、私に手渡す。

「む〜ん、苦い!」

不調だったら、これもまずく感じないのかな?

とりあえず、バリ島入門の通過儀礼のひとつが終了した。

ボトルごと買うこともできる。

こういった行商以外に、店を構えているジャムー屋もある。

ジャムー屋には、工業生産で作られた商品を売っている。

生が一番だろうが、我々旅行者は、そうもいかない。

そこで、持って帰ることができる、乾燥ハーブとなった。

粉末やカプセルもあるが、個人的には、煎じて薬湯として啜ることをお勧めする。

ウブドの3つのスーパー(デルタ、ビンタン、ココ)に、ジャムー・コーナーがあるのに驚いた。

かなり以前から「Utama Spice」「Nadis Herbal」「Angelo Store」「Cantika Spa Zest」などのコスメ専門店でも販売しているらしい。

観光客が買っていくということだろう。

私が知らなかっただけだ。

loloh2.jpg

ロロを商品化するなら、ジャムーを知る必要があるだろう。

スーパーで売られているジャムーの全種類を買い込んだ。

ロゼラ、レモングラス、明日葉、シルサック、バタフライピーなどの葉、そしてマンゴスチンの皮などなど。

ハーブ茶と粉末の2種類が売られている。

売られているジャムーの中に、ロロの種類は少なかった。

loloh1.jpg

ハーブ茶は、煎じて飲んだ。

カビ臭い匂いと味がした。

粉末も、煎じて飲んでみた。

口内に粉末が残り不快だったので、濾過して試した。

お湯で溶くだけと聞いたので、そうしてみた。

ハーブ茶も粉末も、どちらも苦くてまずい。

私は、蜂蜜を入れて飲んでみた。

苦味は薄まるが、まずいのは変わら無い。

ジャムー屋では、ウズラのタマゴや蜂蜜などを混ぜて、症状に合わせて処方する。

全種類を飲み終えるには、何日も掛かった。

効能は、飲み続けないとはわからないだろう。

一発で効果が出たのは『Daun Jati Cina』。

「ダイエット、コレステロール値を下げる、便秘解消、体内脂肪を便として出す」と効能に書かれていた。

分量が多すぎたのだろう、一週間も続く下痢になった。

メタボの友人に『Daun Jati Cina』を、お土産に渡した。


ロロの生産は、栽培するところから始めなくてはならない。

それをハーブに、そして粉末にする。

ハーブ茶にしたり粉末にしては、効果は半減するだろう。

こんなに苦くてまずくては売れるとは思えない。

バリ人宅で、その場で薬草を処方してもらったほうが効果は期待できる。

そうだ、そうした方が良い。

そこで一考。

バリ人の信仰や慣習を体験する「アパ?情報センター」のプログラムに加えられないだろうか?

「バリ人宅を訪問してロロを飲む」

こんなツアーを企画しては、どうかと思うようになった。

こうして昨年からの懸案であった「ロロの商品化」は、努力の甲斐もなく挫折したのでありました。


◼︎補足:LOLOHの種類、私が聞いた限りでは以下でした。

『Daun Sirsak』 Sursak

『Daun Sambiloto』

『Daun Dapap』

『Daun Sembung』

『Daun Kayumanis』

『Daun Bluntas』

『Daun Dapap』

『Daun kelor』モリンガ

これ以上に、あると思います。



posted by ito-san at 15:41| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

トゥガナン村の奉納舞踊ルジャン(293)

バリには、ジャワ島から「カースト」を持ったヒンドゥー教徒が移り住む以前から、バリ島民がいた。

ジャワ文化に影響を受けず、古来からの慣習を守り続けている集落がある。

その村のことを「バリ・アガ」と呼ぶ。

「バリ・アガ」で有名なのが、カランアッサム県トゥガナン村。

グリンシン(縦横絣)を織る村として名が知られている。

村では年に一度、ウサバ・サンバ(Usaba Sambah)の祭礼が催される。

中央の長い建物には、グリンシンをまとった独身女性たちの美しい姿。

その前では、上半身裸の男性たちが棘のある葉を持って戦い合うムカレ・カレ(Mekare Kare)の奇祭が繰り広げられる。

この地域のバリ・アガ独特の木製巨大ブランコも見応えがある。

祭りの間、村に残る独特の響きを持つ鉄製ガムラン、ゴン・スロンディン(Gong Selonding)が村内で奏でられる。


知人から、トゥガナン村の祭礼が1月18日から22日まで5日間催されると情報が入った。

都合で、21日しか行くことができない。

スケジュールは、まったくわからない。

ムカレ・カレが見られたらいいなと、小さな期待を持って出かけた。

正午に下宿を出発した。

到着したのは、1時40分(所要時間:バイクで1時間40分)。

小さな展示館が完成し、入村するエントランスが観光地らしく整っていた。

入村料はドネーション。

ドネーション帳の記載には、Rp20,000-が多かったので、私もそれに倣った。

村内は静かで、祭礼が行われる雰囲気がまったくない。

家々に、ガルンガン祭礼日ペンジョールが飾られていない。

バリ・アガだからだろうか?

屋台でアクアを買い、コピバリを注文した。

縁石に腰を下ろし、コピバリを啜る。

スロンディンの調べは、聴こえてこない。

祭礼の開催は5時からだ、と村人が教えてくれた。

3時間は待てない。

村の最奥に、お気に入りのビンギン大樹がある。

気根がトンネル状になっているビンギンだ。

今日は、それを見て帰ろう。



ビンギン大樹を見たあと、写真を撮りながら村内を散策。

時間は4時になっていた。

あと一時間も待てば、祭礼が見られる。

雨が落ちてきた。

この間に、昼食を済ませてしまおうと考えた。

トゥガナン村近辺にワルンがないようなので、チャンディダサまで足を伸ばした。

雨脚が激しくなってきた。

この状態で、祭礼は行われるだろうか?

とりあえず、雨の中をトゥガナン村に戻った。

中央の長い建物に、正装の女性たちの姿が見える。

なんらかの祭礼が行われそうだ。

私は持つことにした。

いくつかの屋敷門から、着飾った若い娘たちが出てきた。

娘たちは一応に化粧が上手く、ツケマツゲが施されている。

足元には、カカトの高いサンダル。

時代の様変わりを感じる。

トゥガナン村独特の気怠いルジャン(Rejang)の奉納が始まった。




今回の祭礼が、どうも腑に落ちない。

帰宅してから、「地球に歩き方・バリ島」を開いてみた。

トゥガナン村のページのコラムに「ウサバ・サンバ」が載っている。

そこには、ウサバ・サンバは例年6月か7月に3日間行われるとある。

お祭りの期間はムカレ・カレやトランスダンスのほかにも、二日目の深夜にドラマゴン、三日目の夜にジョケッ・ブンブンで、おおいに盛り上がると記載されていた。

祭りの一週間くらい前から、村には露店が出て、とても賑やかになる。

闘鶏なども見ることができる。

もしかすると今回の祭礼は、それと異なるのではないだろうか。

「アパ?情報センター」のワヤン君に、次回の「ウサバ・サンバ」の情報を調べてくれるようにお願いした。

posted by ito-san at 16:20| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月24日

エアメールでお礼の言葉を(292)

エアメール(AIR MAIL)って、懐かしい言葉ですよね。

私の子供の時代は、家族に、もちろん私にも、海外に知り合いがいないので、航空郵便にはまったく縁がなかった。

いつの頃からか、E-mal(Electronic mail)に取って変わられ、久しく使わなくなった言葉。

E-malが普及したおかげで、不揃いの字を書く私は、恥をかかなくてすんでいる。

「ウブド・本の交換会」に、本を送っていただいたリピーターの方にお礼の手紙を出さなくては。

と思って、連絡先を調べてみると・・・・・。

E-malもフェイスブックにも繋がっていなかった。

そんなわけで、お礼のエアメールを出すことになった。

バリから絵葉書で手紙を出したことはあるが、封書での手紙は何年ぶりだろう。

思い出せないほどの昔だ。

20歳のころの節約旅行では、最初の3ヶ月は世界の各地から日本の両親にエアメールを送った。

そのあとの一年間は、便りをしなかった。

親からすれば「なしのつぶて」「音信不通」状態。

きっとあの時以来、手紙を書いていないかもしれない。

AIR MAIL.jpg

封筒も便箋も持っていない。

どこで売っているかも、わからない。

ウブド郵便局に併設していたコンビニで売っていたような記憶があるが、現在、改装中で店がない。

便箋は、手持ちのコピー用紙でいいだろう。

よく行く文房具店に、エアメールの封筒は置いていなかった。

コンビニを数件廻ったが、こちらにもなかった。

普通の封筒に、エアメールと赤文字で記せばいいのは知っている。

しかしそれでは、お礼の手紙としてははやるせない。

縁に赤・青の縞模様が入り、PAR AVION・AIR MAIL・CORREO AEREOと書かれた封筒がベストだ。

スーパーマーケットのデルタ・デワタで売っていた。

一枚しか使わないのに、ひと束買うのももったいないが、やむを得ない。

ワンセット10枚をRp10,000-で購入。

「郵便局でひとつでもわけてくれるよ」と、教えてくれた知人がいたがすでに遅かった。

知人は、いつも持ち歩いているらしい。

「うちのスタッフは無くしてしまうので、給料袋は目立つエアメールで渡している」と言う。

E-malが普及していない頃、郵便局止めの届く手紙を受け取りに行くのを楽しみにしていた友人がいた。

郵便物は、3ヶ月ほど局に保存されたあと処分される。

このシステムは、現在どうなっているのだろう。


手紙の最後に「乱筆乱文にて失礼いたします」と謙遜の意味で書く言葉がある。

私の文集は、支離滅裂で理解に苦しむだろうな。

文字は、読みに難い、ただの下手くそ。

さぞかし、解読不能な手紙だったと思う。

なのに、手紙の最後に「乱筆乱文にて失礼いたします」と記していた。

恥ずかしい話、謙遜して使う言葉を堂々と書いていたのだ。

それに気がついてからは、その言葉を使っていない。

人前で話をするより、手紙の方が苦手だ。

手紙は、残ってしまうのも嫌だ。

今では、シャベリも動画で撮ると録音されてしまう。

赤面ものだ。


お礼の手紙は、前略も時候の挨拶もなしに、いきなり本題に入る。

本題だけだと、要件は三行で終わってしまう。

ナニヤカンヤを継ぎ足して、やっと5行の手紙が完成した。

どんなけ苦手なんだ、と思うでしょう?

だからブログは、凄く努力しているんですよ。

「それでも、この程度かい!」そんな声が聞こえてた気がするのは空耳か。

重要なのは、気持ちですよね。

書き終えたエアメールは、郵便局のカウンターに持って行った。

これで一件落着。


posted by ito-san at 17:13| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする