2018年02月13日

インドネシアの銀行口座を開設(184)

私のブログを読んでくださった方から「時々、何が言いたいかわからない内容がありますね」と言われることがある。

文章がうまく書けないのは自覚しているので「そうなんですよ」と答えている。

備忘録なので自分が後から読んでわかればいい、そんなブログです。

今回も、そんな感じに仕上がりました。


預金するほどのお金は持っていないんですが、ある事情から、銀行の口座を開設することになった。

以前は、BCA=Bank Central Asiaを持っていた。

べー・チェー・アーと読む。

作ったのは、渡バリした1990年。

クタからウブドに移動する途中、デンパサールのBCAで作った。

持ち歩くには、ちょっと多額だったので預金した。

同行した知人は、渡航記念に作っていた。

あの頃は、ツーリストでも簡単に口座を開設できた。

数年前から、入金と出金がほぼ同等の生活になり、預けておく余裕がなくなった。

どうせバリにず〜と居るわけでもないしと、ATMカードと一緒に預金通帳をゴミ箱に捨てた。

預金通帳が必要になるなんて、考えてもいなかった。

近頃、ツーリストはもとより長期滞在する外国人も口座を作ることが難しくなった。

細々とでも残しておけばよかったな〜と、後悔。


説明しておかなければならない。

私は「リタイヤメント・ビザ」で滞在している。

55歳以上の外国人は、5年有効の「リタイヤメント・ビザ」が取得できる。

インドネシアで就業していない老人専用ビザだ。

1年ごとに、イミグレーションで延長の手続きができる。

「リタイヤメント・ビザ」が実施された当初は、条件にベラボウの預金と住居、使用人を数人、自家用車が必須で、年金の提示も求められた。

いつのまにか、それらはお目こぼしになり、私のようなお金をもっていない老人でも取得できるようになった。

こういう点は、インドネシアは緩くていい。

昨年末のビザ延長時に、ビザ代行業者から預金通帳と保険加入の証明書とその他1の提出を求められた。

これまで15年間、用意する必要がなかったのに、なんで今更?

担当者が変わり、裏技でごり押しは無理だと言う。

あと1週間で、ビザが切れる。

もっと早く言ってくれれば、対応できたかもしれないのに。

今からでは、間に合わない。

このままだとツーリスト・ビザかソーシャルブダヤ・ビザで取り直しになってしまう。

「書類は揃わないので、これまでと同じように、なんとかしてくれ!」私は懇願した。

延長手数料の金額が上乗せされた。

「金額は了承した、オーバースティにならないように手配してくれ!」

ビザが延長できなければ、出国しなければならない。

シンガポールへの航空券手配が必要になる。

パソコンで、エアーアジアのサイトとニラメッコ。

今なら安いチケットが買える。

宿は、現地に着いてから探せばなんとかなる。

出国日当日になって、スマートフォンにメッセージが入った。

「オーバーステイの料金、安いから大丈夫」

呑気なこと伝えてくる。

先の見えない、ウエーティングって辛いよね。

胃が痛くなるような、日々が続く。

オーバースティ2日目になって「パスポート取りに来て」だって。


冒頭に書いたある事情とは、ビザ延長時の提出書類についてのこと。

次の延長で、胃が痛くなるような思いをしたくないので、銀行口座を開設することにした。

銀行は、代行業者お勧めで「BNI=Bank Negara Indonesia」。

BNI=べー・エヌ・イーと読む。

インドネシア国営銀行だから、安心だということで勧めてくれたようだ。

必要なものは、パスポートとKITAS(私の場合はリタイヤメント・ビザ)。

パスポートは手元にあるが、残念なことにリタイヤメント・ビザが届いていない。

不備は承知で「運良く」を期待して、アパ?情報センターのワヤン君に付き添ってもらいBNIに行った。

結果は、昨年のリタイヤメント・ビザを見せてもだめだった。

「当銀行と10年以上取引のあるお客様と同伴でお越しいただければ、開設できます」と教えられた。

ワヤン君は、BNIと取引がなかった。

「ほかの銀行なら、簡単にできるよ」とワヤン君は言ってくれたが、私は代行業者のお勧めを重視した。

以前、パチュン君が日本人知人の口座開設をお手伝いしたことは知っていた。

奥様が条件を満たしている。

その知人は、ツーリスト・ビザだった。

10年以上取引のある友人が同行すれば、口座は開設できるということだ。

「親しき中にも礼儀あり」

手数をかけるので遠慮していたが、パチュン君に連絡をとると快く同行を承諾してくれた。

後日、パチュン君夫妻を伴ってBNIを訪れた。

初回入金額Rp250,000-とRp1000,000-とがあり、ATMカードは4種類。

どれも、デビット(debit)付きだった。

クレジットカードを持たない(持てない)私には、ありがたい。

これがあれば、シンガポール行きの航空券や宿の予約ができる。

もっとも諸経費の少ないカードをお願いした。

たくさんの書類に、あれこれ書き込んで、口座開設手続き終了。

一仕事終えた実感。

BNI_Taplus.jpg

預金通帳とATMカードを手にした。

早い時点でわかっていれば、通帳を取得していて、延長時のトラブルも少なかっただろうに。

保険加入の証明書については、代行業者が次回の申請の時にデンパサールの業者を紹介してくれると言っている。

その時になってみないとわからないが、とりあえず、代行業者さんに任せることにした。

労をねぎらって、3人でカキアン・ガーデンデンで祝杯。

パチュン君ご夫妻に感謝!

『テレマカシ・バニャ』



posted by ito-san at 15:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

湖道沿いに、インスタ映えする造形物群(183)

乾季まで待てず。

7日:行ってきました、リベンジのバイク・ツーリング。

レケレケ(LekeLeke)の滝 @ Tabanan」に書いた、ブヤン湖とタンブリン湖を見下ろす丘。

丘というより、火山の外輪にある峰。

湖が見渡せる峰の反対側を振り向くと、11キロほど先の北部バリの海に向かって急斜面が広がる。

海岸線には、ブレレンの街が点在する。

この急斜面に、多くの滝が存在している。

幾つかの滝を訪れるのも、今回の楽しみでもある。


午前中パラついていた雨が、午後になって上がった。

1時になると、青空が見えてきた。

3時30分から「ウブド・本の交換会」のミーティングが始まる。

時間内に戻れないかもしれないが、バイク・ツーリング日和のチャンスを見逃したくない。

スタッフの皆様、ゴメンなさい。

ウブドを出る頃には、快晴になっていた。

快適なツーリングは、私の思考能力を低下させるようだ。

Apuanの街を通過して、やっと現在地点が把握できた。

Margaあたりで、道を間違えたのだろう。

通ってみたかった街道だから、ラッキーと考えよう。

ルンルン気分は、どこまでも楽天的にさせる。

幹線道路に戻ると、そこはPacung村。

そして、バトゥリティ、ブドゥグルと続く。

ブキット・ムンスを越え、ブラタン湖畔を抜け、イッキに目的地へ向かう。

左前方に、先回飛び込んだワルンが見えた。

ウパチャラでもあるのか、ワルンと彫刻屋の店は閉まっていた。

出発してから、すでに2時間を経過しているが、空は雲ひとつない晴天。

この調子なら、ブヤン湖とタンブリン湖の素晴らしい眺望が見られるだろう。

登り坂の途中に、野生の猿が日向ぼっこをしている。

急坂を上り詰め、鋭角に左折する。

しばらく走ると、左手にブヤン湖が見え隠れする。

湖の対岸に建つ家並みまでも見える。

展望台の東屋に人の姿がまばらなのは、今日が平日からだろう。

峰の湖側に東屋が立ち並び、その間をインスタグラム・スポットと思われる造形物が湖を背景に浮かんでいる。

湖道沿いに、突如として出現する造形物群。

村人としては、観光施設として財源にしたいのだろう。

純粋に湖をみたい人にとっては、邪魔な遮蔽物だろうな。

一時的な流行で終わらなければいいが。


空は、まだ晴れている。

最奧にあるタンブリン湖畔の村を訪問したい。

水位が上がり、村が避難したと聞いている。

10年以上ぶりに、変貌した村を確認したい。

この雲行きなら大丈夫だろうと、インスタグラム・スポットの見学を後まわしにした。

ブヤン湖を通り越した。

続いて、タンブリン湖が見えてきた。

両湖は、狭い陸地で分断されている。

その陸地に、バリ・ヒンドゥー寺院が建つ。

タンブリン湖を回り込むようにして、湖に降りていく道があったはず。

記憶は曖昧だが、近く行けば分かる自信はある。

海側から丘を這い上がるようにして、霧が立ち込めてきた。

霧雨が体を濡らす。

バイクを止めて、雨合羽を着込む。

湖側にも、霧が出てきた。

これでは、リベンジが果たせないかもしれない。

湖畔行きの道が見つからない。

雨は、一段と強くなる。

山の気候が変わりやすいのは知っているが、まさかの失態。

バイクをUターンさせた。

ブヤン湖とタンブリン湖を見下ろす丘に立つ。

湖は、雨で隠れてしまっていた。

雨宿りをして、しばらく待ってみよう。

展望台に東屋を持つ、レストランの一つに飛び込んだ。

ナシゴレンとバリコピを注文した。

雨は、土砂降りと小降りを繰り返している。

小降りの時に撮った動画がこれ。


これはこれで幻想的で、よろしいです。


雨模様の中、撮ったインスタグラム・スポットがこれ。

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instagram_spot3.jpg




今回も、雨に祟られてしまった。

滝見学は、諦めるより仕方がないだろう。

私の心がけが悪いとは思えない。

この地域は、3時頃から天気が崩れるのだろうか。

だとしたら、3時には下山する予定を組んだ方がいいかもしれない。

次回のリベンジは、滝見学を必須とする。

ご期待ください。


posted by ito-san at 03:32| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月03日

レケレケ(LekeLeke)の滝 @ Tabanan(182)

キンタマーニ高原へ行ったことで、バイクでの遠出に自信がついた。

次には、ブラタン湖方面に行こうと考えている。

こちらは片道2時間ほどの行程で、ちょっと遠い。

25日午前11時、晴れ間が見えたので愛バイクを駆った。

ブラタン湖へ行くには、キンタマーニと違うルートを使う。

ウブドからは、西のムングイ方面に行ったあと北上する。

バリ島北部の町シガラジャへ向かう途中にある。

左右は田園風景。

ゆるやかな登り坂。

田んぼの向こうに小川があるのだろう、椰子の並木が道路に寄り添うように続いている。

風も心地よい、絶好のツーリング日和。

バトゥリティの市場をしばらく過ぎたあたりから、この先にWaterfallがあることを示す案内看板が目立つようになった。

滝巡りが、私のライフワークのひとつだったことを思い出した。

目的地到着は遅くなるが、寄り道しないわけにはいかないだろう。

久しぶりの滝訪問だ。

LekeLeke2.jpg

LekeLeke Waterfall は、アクティビティ複合施設だった。

◎Swing ◎Tubing ◎Treking ◎Camping

私は入場料:Rp30,000-を払ってレケレケの滝へ向かう。

雲行きが怪しくなってきた。

携帯用の雨合羽が、バイクの座席下の物入れに入っている。

こんな時のために買ったのに。

滝見学にも、雨合羽が必要だった。

持ってればよかったと後悔する。

滝見学をそうそうに終え、下りてきた道を登る。

詳細は動画で、ということで説明を省きます。



往路、復路とも20分ほど。

久しぶりのトレッキングで、フクラハギが痛い。


時間は昼を回ったが、昼食は目的地でしたい。

とにかく急ごう。

今のところ、雨は降っていない。

標高1000mを超えて肌寒くなってきたが、快適なバイク・ツーリングだ。

登り坂を幾度も曲がると峠に出る、ブキット・ムンス(ムンスの丘)だ。

峠の中央には、トウモロコシのモニュメントが立っている。

左手の大きなゲートをくぐると「バリ植物園」に続く道。

ゲートの隣にあるのが「果物市場」。

峠を越えると、雨が降り始めた。

レストランや土産物店が立ち並ぶ、観光地の風情になった。

ブラタン湖と湖畔に建つウルン・ダヌ・ブラタン寺院は、観光客が訪れる人気の行楽地。

ガイドブック「地球の歩き方MOOK・バリ島」創刊号の取材に同行して訪れたのが2011年。

その後、2016年のニュピの次の日に素通りして以来だ。

ニュピ前夜に体験した、タバナンの不思議な儀礼の話「2016年03月14日:■オゴホゴ神輿@パジャハン村(39)」も読んでもらえると嬉しいです。

今回の目的地は、ブラタン湖ではない。

目的地はさらに北にある、ブヤン湖とタンブリン湖を見下ろす丘だ。

ローカルのインスタグラム・スポットとして人気の場所。

湖畔のウルン・ダヌ・ブラタン寺院を、右手に見ながら通り越す。

雨あしが、きつくなった。

バイクを路肩に止め、雨合羽を着込む。

雨合羽は、寒冷地では防寒にもなる。

顔にあたる雨が痛い。

もう少し、と元気つけながら、急坂を登る。

ここを通るのも、ニュピの次の日以来になる。

その時、すでに人気の眺望スポットになっていたが、帰路を急いでいたので通り過ぎた。

雨と霧で、かすみがかかったように視界が悪い。

この先、進んでも状況は変わらないだろう。

あきらめようか?と自問した。

無駄なら無駄を確認したい。

とにかく、目的地まで行ってみよう。

展望台には、もちろん人の姿はない。

いつもならローカルが賑わっていると聞く。

晴れた日には腰を下ろしているだろう東屋も、今は雨よけのテントがおりている。

食堂も閉じられていた。

目的は、達成されなかった。

乾季になったら訪れようと心に決めて、私はバイクをUターンさせた。

雨はまだ、激しく降っている。

そそろそ、休憩をしたい。

雨宿りもしたい。

まだ、昼食をとっていない。

warung1.jpg
ブラタン湖の手前で飛び込んだワルン。

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warung3.jpg
ワルンの隣の彫刻屋の若者が、こんなものを作っていた。


雨もあがり、お腹も満ちた。

さて、もうひとっ走りだ。

posted by ito-san at 16:19| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月26日

キンタマーニ・コーヒー(KINTAMANI COFFEE)(181)

アパ?のワヤン君がフェイスブックにアップしていた「キンタマーニ・コーヒー」。

興味が惹かれたので、行ってみることにした。

キンタマーニは村の名前だが、バリ島の景勝地のひとつである「キンタマーニ高原」のことを指している。

これまで展望エリアのあるぺネロカン村周辺のことをキンタマーニ高原としていたが、この頃はエリアが広がり外輪山全てをキンタマーニ高原と呼ぶようになっているようだ。

近年は、コーヒーの生産地としてキンタマーニの名前を知られてきた。

バリ産のコーヒーをキンタマーニと総称している。

熱帯高地のため、良質のアラビカ種コーヒー豆が採れる。

そんなキンタマーニ産のコーヒーを販売しているのが「キンタマーニ・コーヒー」だ。

外輪山の道路はぺネロカン大通りと呼ばれ、沿道にはバトゥール山とバトゥール湖が望めるレストランが建ち並んでいる。

22日は、午前中から晴れていた。

これ幸いとバイクを駆って、コーヒーの生産地で生産地のコーヒーを飲もうと勇んで出かけた。

バイクの免許証を持っているので、警察官に対する不安もないので、心地よい。

「キンタマーニ・コーヒー」の情報はウルン・ダヌ・バトゥール寺院に近い、ただそれだけ。

ウブドからぺネロカンの展望台に行くには、タンパクシリン方面とテガララン方面とパヤンガン方面からがある。

すべての道が、尾根伝いにキンタマーニ高原を目指している。

目的地が不案内なので、よく知っているタンパクシリン方面からの道をたどることにした。

途中、心細くなったガソリンを補充するために、スタンドに立ち寄った。

たどたどしい日本語を話すスタンドの兄ちゃんが「日本語少し少しです」と言いながら、バリ語は「ブディ(ク)・ブディ(ク)=Bedik」だと教えてくれた。

さっそく、その日の夜「和食・影武者」でスタッフのダユーに、今夜のご飯は少なめでと伝えるために「ブディ・ブディ」を使ったみた。

通じた!

喜んでいたら、そのあと、

女将の由美さんに「ダユーは、高僧のカーストだから言葉が違うよ」と指摘された。

「ガビ〜ん!」大失態だ。


バンリからの道と逆Y字で合流する地点で、遅めの昼食をとるためにローカル・ワルンに入った。

ナシ・チャンプールとテ・ボトルで、Rp17,000-。

食事中、大雨が降り始めた。

運良く、雨宿りとなった。

いつ雨が降られてもいいように、雨合羽を着込んで出発。

雨合羽は、寒さ避けにも最適だった。

これまで、料金場を通らなければいけなかったが、今回は素通り。

通行料金は、徴収されなくなったのか?

急坂を登ると、そこはぺネロカンの展望台。

ぺネロカン大通りを時計回りに進む。

目的地は、テガララン方面とパヤンガン方面からの中間地点にあった。

ぺネロカン大通りに出て、テガララン方面からだと左に、パヤンガン方面からだと右に進んだバトゥール山側に建っている。

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2017年6月にオープンした「キンタマーニ・コーヒー/Kintamani Eco Bike Coffee」。

ルアック・コーヒーの看板がないのが、気に入った。

ルアック(ジャコウネコ)は、コーヒーの果肉が好物。

それも美味しい実を選んで、食するらしい。

豆は、消化できず排泄される。

その貴重な豆が、高価で売られているコピ・ルアック。

数匹のルアックをゲージで飼い、いかにも彼らの糞から取った見せかけて売っている。

どう考えても、あれだけのコピ・ルアックが生産できるほどの数ではない。

宣伝効果があるのか、コピ・ルアックの看板が目につく。

嘘くさいルアック商法が嫌いな私は、看板が掲げられていないだけで安心できる。

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2階席から、1階入口とカウンター部分を覗く

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1階店内から、ウインドー越しに見えるバトゥール山

バトゥール山とバトゥール湖が見渡せる、奥のテラス席に腰を据えた。

コーヒーは、アメリカン(Rp35,000-)を頼んだ。

私には酸味のキツイ、コーヒーだった。

フィルタードリップと頼むのを忘れたので、出てきたのエスプレッソだった。

他に、アエロプレス、フレンチプレスでの抽出も用意されていた。

バトゥール山の景色を望みながらインターネット。

贅沢な時間だ。

ドリップ・コーヒーを飲みに、再訪すると約束して店をあとにした。

kintamani4.jpg
崖っぷちに建つトイレが可愛かった

★食事:ワッフルRp30,000〜Rp35,000-/サンドイッチRp40,000-&Rp50,000-/スパゲティボロネーゼRp65,000-/etc
★飲物:エスプレッソ(S)Rp25,000-(W)Rp29,000-/アメリカーノRp35,000-/カプチーノ(Hot)Rp42,000-(ice)Rp45,000-/etc
★営業時間:月〜金 9.00am〜6.00pm / 土・日 9.00am〜8.00pm
★TEL:(+62)878-6132-2552
★Free WiFI



posted by ito-san at 17:04| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月23日

ウブド全域駐車禁止を考察する(180)

昨年の12月18日から施行されている、ウブドの駐車禁止。

かなりの広範囲が駐車禁止区域となった。

(詳しくは「2017年12月24日:■ウブド全域駐車禁止?!(172)」をお読みください)

しかし、未だに徹底されていないのが現状。

「こんな愚策、早急に廃止されるだろう」と、口にする住人も多い。

今年に入って、これ以上は静観できないと考えた(かどうかはわからないが)関係機関は、駐車違反車の後部ウインドーにステッカーを貼る作戦を敢行。

今のところは、注意勧告だけだ。

ステッカーが貼られたからといって、罪も罰も受けない。

これも、一時しのぎで終わることだろう。

今後は、罰金刑の強硬策に出るかもしれない。

日本のように強制撤去されたら、驚くだろな。

警察署がレッカー車のレンタル会社と提携して、取り締まりだすかもしれない。

どちらにしても、早急に駐車場を作らなければ、いつまでたっても違反車は減らないだろう。

sticker.jpg

アグン山噴火の影響だろう、年末年始の観光客は例年より少なかった。

それでも、久しぶりに賑わいをみせてくれた。

ウブドを訪れて、渋滞は減っているが、駐車禁止で戸惑った車も多かったことだろう。

これまでも路上駐車はままならなかったが、なんとか隙間を見つけて止められた。

駐車場は紹介されているが、今までに比べれば不便を感じる人も多いだろう。

シャトルバスが巡回しているが、バス停も時間もハッキリしていない。

ハッキリしないのが嫌いな文明人には、利用しずらい。

そこで私は考えた。

バス停を作ろうと。

そんなことは誰でも思いつきますよね。

もう一つ提案。

座りたくなるようなベンチが設置されていて、雨や暑い陽射しが避けられるように屋根付きでバス停。

いいでしょう。

今、走っているパダンテガルのシャトルバスは、モンキーフォレスト通り⇨ウブド大通り⇨ハヌマン通りを巡って、モンキーフォレストの大駐車場に戻ってくる。

走行距離、一周3キロほど。

約500メートルおきに6カ所のバス停を設置してはどうか。

(✳︎このブログをアップした前後に、バス停標識が立った。

発着地点のモンキーフォレスト大駐車場を加えるて10カ所。

平均300メートルおきにある計算だ。

ナンバーが付けば、最寄りのバス停を説明できるのだが。)

ウインドーショッピングしながら500メートルくらい歩いてよ、という感じです。

バス停とわかるように、道路に少しせり出した島を作る。

シャトルバス以外でも利用できるように、バス停というよりは停車エリアにしてはどうかな。

ホテルやトランスポートの送迎車も停車できる。

クラクラ・バスと接続できれば、遠距離の人にも便利になる。

もちろん客の乗り降りだけの停車です。

現在、シャトルバスは渋滞がなれば20分おきくらいに廻って来る。

3台所有しているから、利用者が増えれば7分おきも可能だ。

全面駐車禁止に、住人はどう思っているだろう。

渋滞は避けたいが、自分たちも不便になる。

ウブドの発展を祈願しての、住民の意見の一致が見られての施行だろう。

我々外国人滞在者と違って、駐車禁止の情報は前もって告知されている。

ハニマン通りにある人気カフェは、店舗横に駐車場を用意していた。

KAFE.jpg

屋敷内に駐車場を持っていない家は、近くの月極駐車場を借りている。

問題は、駐車場が足らないことだ。

市場の火災跡地を、駐車場として利用する方法を考えてみた。

更地にして、ウブド大通り沿いで軽トラックを止めて開かれていた朝市を移転し、朝市後は駐車場として活用する。

もうひとつ、一階店舗の立体駐車場。

以前、アンドンにある警察署裏の空き地を駐車場にするという噂があった。

思い切って、警察署を移転させてしまえば、かなり広い駐車場が確保できそうだ。

無責任な意見だが、実現可能ではないだろうか。

ビジネスとして採算が合えば、一般の貸し駐車場も増えるだろう。

終日駐車禁止でなくてもいいのでは、と思っている。

例えば、夜10時から翌日の朝市が終わる時間までの深夜は、全域駐車可とする。

納品や工事などの資材納入も、この時間にすませばいい。


以上、最近の交通事情について考えてみた。
毎日のように、宗教儀礼が身近に見られる、世界でも類のない観光地。

交通渋滞が解決され歩きやすくなれば、これまで以上に観光客も増えること間違いなし。

歩くことが普通と考えられるまで、駐車場を持っていない店は苦戦を強いられるだろうが、歩いている人が増えれば町に活気が出る。

どんな風に発展するかは想像できない。

その時はその時、考えよう。

関係機関が、どんな手を打ってくるかも楽しみだ。

ジャランジャランして楽しいウブドを目指そう。



posted by ito-san at 16:03| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月19日

運転免許証取得で、もう安心!(179)

インドネシア語で、運転免許証は「Surat Izin Mengemudi」。

略して「S・I・M=シム」と言っている。

以前、普通車(A)とバイク(C)の免許証を持っていたことがある。

ギャニヤール警察署で取得した、一年間有効の運転免許証だ。

手続きが今ほど難しくなく、筆記試験も実地試験もアンダーマネーでクリア。

身長が165cセンチに縮まって、なんと WANITA(女性)になっていた免許証を手にして驚いたのを覚えている。

「これで、大丈夫ですか?」係官に聞くと、

「ティダ・アパ=問題ない」バリならではの答えが返ってきた。

私には問題があるんですがね、とは言えず。

これから一年間、女性として生きていかなければならないのか、と戸惑った。

幸い、他人に運転免許証を提示する機会も訪れず、一年が過ぎた。

1998年に切れているから、かれこれ20年前の話。

1998_SIM_C.jpg

あれから今まで、無免許で走っている。

これまでは、ウブド近辺と警察の検問の比較的少ない地域にしか出かけなかった。

今回、運転免許証を取ることにした。

もう少し、行動範囲を広めたいと考えての行動だ。

そして、先週(9日)のこと。

リタイヤメント・ビザを受け取ったあとに、行ってきました警察署。

取ってきましたよ、C免許。

有効期間5年。

取ってきたというよりか、お金を払ってもらってきたという感じですがね。

居住するギャニヤールの警察署に出向くのが通常だが、ビザ代行業者のコネクションがある州都デンパサール警察署におもむいた。

ギャニヤールで取得した知人から、4時間ほど待たされると聞いていたし、書類の用意も面倒そうだ。

不正なことが嫌いな私としては常道ではないが、今回は袖の下に紛れることにした。

個人情報をパソコンに入力する担当者が不在で、しばらく待たされたが、業者の計らいで短時間で終わった。

数人の先客がいたコーナーも、スムーズに順番が来た。

右手親指の指紋を押して、写真を撮られてサインをして終了。

お礼を言って席を立ち、一階に降りて別棟に入ると、受付には、すでに私の免許証が用意されていた。

ハイテクのスピードだ。

筆記試験も実地試験もない。

本当はあるのだろうが、私は免除されたのだ。

どうしてかと言うと、多額のお金を払ったからだ。

外国人価格の限度額を超えていた。

警察署に「袖の下事業部」でもあるのか?

この話、内緒にしていてくださいよ。

バレると免許証を取り上げられたり、逮捕されるかもしれないから。

2018_SIM_C.jpg

これでクルンクン方面にも安心して出かけられる。

と言うのは、以前、パダンバイ港に行く途中で、警察署前に立っていた警察官に止められたことがある。

ヌサペニダ島出身の友人は、先に行ってしまった。

その時の私は、何を聞かれても「ウブド・ウブド」を連呼して、言葉の通じないふりをした。

警察官は、あきれたように「もう、行ってよい」と、犬を追い払うように右手を振った。

こうして事なきを得たが、小さなプライドは傷ついた。

数年後に、同じ場所を通った。

2人の警察官が立っていたが、止められなかった。

いつのまにか通り過ぎていた。

警戒心がなかったので、警察官も見逃したのか。

この時は、免許証を持っていた年。

以前の屈辱を清算したかったのか自慢したかったのか、私は後戻りをした。

警察官の前にバイクを止め、自信満々に免許証を提示した。

免許証を見つめる目が、こころなしか微笑んだように思える。

「WANITAとなっているけど、私は女性じゃないからね!」

女性となっているのは気にしていないようだ。

身長165cセンチも問題ない。

では、この薄ら笑いはなんだ。

突っ込みどころを見つけたのか?

・・・・・・・・・・沈黙。

「この免許証、期限切れてるよ」

え〜〜〜!

免許証の期限切れには、気がつかなかった。

「俺、2人の子持ちなんだ!」警察官の声。

それがどうした。

「俺にも、2人の子持がいるんだ!」もうひとりの警察官の声。

気の優しい私は、彼らの子供のために、義援金を渡して見逃してもらった。

『持ちつ持たれつ』インドネシアの体質が、こんなときは助かる。

しかし、私の正義感はズタズタに傷ついていた。

それにしても、バカだよね。

ワザワザ戻って無免許を暴露し、アンダーマネーを請求されるとは。

こんな経験がしたくないから、免許証を取ることにしたのだ。

有効期間5年、期限切れは当分ないので、後戻りをしてでも運転免許証見せるゾ。


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2018年01月16日

トゥガナン村のマデ(エディー)君の訃報(178)

昨年末、カポ君の経営する宿が完成した。

見学するために、テガランタン村の実家を訪れた。

その時、マデの訃報を聞いた。

「3ヶ月ほどの入院のあと、一週間ほど前に息を引き取った」

葬儀は、年を開けての合同葬儀になるらしい。

できることなら、私も見守りたいと思っている。

カポ君は、直ちに情報を流そうと考えた私の心を読み取ったのか、

「亡くなったばかりだから、今は、控えた方がいいよ」と言う。

グーグルで「トゥガナン村のバリアン・マデ」で検索すると出てくる。

またの名を「エディー」。

漫画に、ブログに、登場する「マデ」とは、いったいどんな人物なのだろうか?

「トゥガナン村の村長の息子」「バリヤン」「手相占い師 」「高級ホテルのマネージャー」「誰々さん(ウブドの知名人)の友達」「バリ舞踊の踊り手」と異名をとる。

そして、その実態は「要注意人物」だった。


私とマデは、古くから顔見知りだ。

「居酒屋・影武者」をオープンした1991年に会っている。

モンキーフォレスト内にあるダラム寺院の祭礼でお祈りをすませた帰り、うしろからついてきていたのがマデだった。

これをきっかけにして、マデは私を友人だと言って日本人に近づくようになった。

バリ南部のクタにいられなくなって、ウブドに流れて来たとの噂がある。

20年数年前から、マデの悪い噂が立ち始めた。

被害を受けた人には、極悪人と言われた。

マデと知り合いだが、被害に遭っていない女性もいる。

どんな基準で、ターゲットを絞り混むのだろう。

そんな話を聞く機会を逃してしまった。

日本人女性に対する悪さは、数年前まで続いていた。


「アパ?情報センター」のワヤン君から、日本人女性ツーリストが被害に遭っているので、告知したいと連絡が入った。

2013年年2月のことだ。

死者に鞭を打つようで忍びないが、これはひとつのニュースとして聞いて欲しい。

以下がその告知です。


『日本の観光客のみなさん 。

バリではいろんな種類の詐欺が多発していますのでご注意ください 。

詐欺で有名な、マデ・マハールディカという男がいます。

特徴:日本語を巧みに操り、積極的に日本人に声をかけてきます 。

自称「バリアン」「手相占い師 」。

車は CR-Vに乗っています。

時々、バイク。

グリンシングという高価な布で有名な、テンガナン村出身。

「お金取る人は本物じゃないよ、私は、無料で見てあげる」

「奥さんは日本人(といいますが、実際は4年前に逃げられた) 」

「家でゆっくり見てあげる」

「ホテルは高いから、家に泊まればいい」よなど言ってきます。

日本人の奥さんが家にいるなら大丈夫かなと思わせます。

日本人の奥さんがいないことがバレると、バリの奥さんを妹だと紹介し、もしあなたが女性なら、自分を好きにさせるマジックを使うこともあります。

ガムランボールを15,000円くらいで売ってきます。

しかし、原価は250円くらいのもの。

お坊さんが、特別に祈祷したと言いますが、 お坊さんは商売しません。

グリンシングという高価な布は、特別な人しか巡り会えない希少なものだと言って、自分の村へ連れていき、2万から30万くらいのものを売りつけます。

特に、ヨガをやっている人には、お坊さんのところへ連れていき、チャクラに問題がある、クンダリーニに問題があるといって怖がらせ、儀式が必要と言い、1万円かかると最初は見せかけ、儀式直前になってから、お坊さんが、あなたを霊視したら、危険なの状態なので、お金がもっと必要だと、10万、15万円とつりあげていきます。

正常な判断ができていれば、用心深くなるのですが、 魔術、マジックを使い、なぜかお金を払うようにしてしまいます。

ヒーリングしてあげるよと言われ、マジックをかけられていることもあります。

肩や手を馴れ馴れしく触ってきますが、少しでも触れたら、ぴしゃりと、触らないように言ってください。

お坊さんに祈祷してもらうから、名前と生年月日と願い事を書いてといわれますが、これはマジックのために使われるものと思われますので、個人情報は何も教えないでください。

本名、生年月日、職業、メールアドレスなど。

食べ物にマジックがかけられていたりするので、もらっても食べないでください。

でっちあげの瞑想法を教えてきます。

これはマデのマジックにかかりやすくするためや、言うなりにさせるため思われます。

ちゃんと瞑想を毎日やっているか、私には、全部感じられてるよと怖がらせます。

本当に実力のある誠実なヒーラーやお坊さんを紹介されることもありますが、言葉が通じないため、マデの都合の良いように通訳されます。

お坊さんが、あなたのことをこう言ってたよ、これをしなさいと言ってたよ、この瞑想法をするようにと伝えられたよなど。

もし、本当か確かめたかったら、マデの通訳を無視し、相手の連絡先を直接聞いて、自分で雇った信頼できる現地ガイドと出直して聞いてみてください。

しかし、この特徴のある男に出会ったら、関わるのを避けるのが無難でしょう。

マデのバリ人の妻は、スグリオ通りで、ヒーリングセンターをしています。

ここに連れて来られることもあるでしょう。

他にもいろんな新種の手口があるようです。

ネットなどで調べ、対策されるといいかもしれません。

安全でよい旅を!』


「アパ?情報センター」もスグリオ通りにあり、日本人観光客が多く訪れるのを知っているマデは、時々、前まで遠征して来て声を掛けていたようです。

ワヤン君は、マデが恐いので注意できなかったと言う。

被害にあった日本人女性から、切実な訴えを聞いたワヤン君。

よほど立腹していたのだろうと思われる文章ですね。

マデの悪行は、ほかにも数々ある。

「もう、このくらいにしてよ」と、泣きが聞こえてくるので、やめておきます。

こんな奴でも、私には知り合いのひとり。

「マシ・ヒドゥップ(まだ、生きているのか)?」が、互いの挨拶だった。

今にして思えば、こうした生き方しかできなかった彼が不憫に思えてくる。

ウブドの歴史の一コマとして、私の記憶の片隅に留めておこう。

安らかに眠りなさい。

心から冥福を祈っているよ。


posted by ito-san at 14:57| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月13日

人の機微を考える時間(177)

昨年11月末のこと。

気になっていた日本の友人に、ふっと思い出したようにメールを送った。

「元気にしていますか?」と。

何かを予言するかのような、短いメール。

20年間通い続けたウブドに、もう2度と訪れないと別れを告げた女性。

女性の名前をA子さんにしておこう。

A子さんから来ない限り、私からメールを出すこともないだろうと考えていた。

何かの力に動かされたかのように、数年ぶりのメールを送った。

そのメールが、彼女の境遇を刺激したのか、早速返事が届いた。

「4年ぶりにウブドに行きます」

そんな内容だった。

私は、彼女に再会できることを素直に喜んだ。


A子さんのウブド訪問は、彼女の決心を揺るがすほどの傷心を癒すためだった。

数ヶ月前、会社の帰宅途中で倒れ、半身が不自由になったと言う。

生きがいになっていたギターが弾けなくなった。

私の生活費の5年分ほどの金額を注ぎ込んで購入したギター。

A子さんの情熱をうかがい知ることができるエピソードだ。

最愛のギターを弾くことを諦めなくてはならないのか。

悲痛を訴えるメールだった。

私には、そんな経験もない。

小説か映画でしか知ることのない、自分の周りで起きることの少ない話。


今回の旅は、ギターを弾くリハビリ。

ギターを弾くことができる見通しがつけば、心のリハビリにもなる。

A子さんの痛手を、私は想像することさえできない。

私は、どう受け止めてあげればいいのか思案した。

興味本意で、聞く話でもない。

掛ける言葉が見つからない。

同じ辛さを共有していない者に、もっとも辛い時期に慰められても反発するだけだ。

共有していたとしても、人それぞれだろう。

中途半端な言葉は、相手を傷つけるだけのような気がする。

私にどんなリアクションを求めているのかもわからない。

過度の対応に、拒否反応を示すかもしれない。

悩んだ。

果たして、私にA子さんの傷心を癒すことができるのか。

A子さんが元気を取り戻す手助けができれば、それでいい。

無駄な詮索をせずに、A子さんが求めていることだけを答えたい。

それが私の務めのような気がする。

A子さんからの言葉に、相槌を打つ程度でよいのではないか。

普段通りに接することにした。


堅い話が続いたので、ここで一休み休憩


年末年始に、A子さんはウブドを訪れた。

私は、子供の頃の待ちに待った遠足のような気持ちになっていた。

あれもしてやりたい、これもしてやりたい。

久ぶりに会ったA子さんは、見た目には健康そのものだった。

華奢な指は、以前とまったく変わらないように見える。

数日間、時間があれば共にした。

少しでも元気を取り戻してくれただろうか?

きっとウブドが、A子さんの心をほぐしてくれたことだろうと信じている。

待ちに待った時間は、またたくまに終わってしまった。

再会を誓って別れた。

結果的には、A子さんの左手の指に触れることはできなかった。

今、私の心は、空虚感だけが残っているだけ。

人は、それぞれに悩みを抱えて生きている。

ウブドで、癒されようと訪れる人も多い。

ウブドの住人として、そんな手助けができたらいいな。

今回は、人の機微を考える貴重な時間だった。


posted by ito-san at 16:42| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月10日

クレープの店「The Spell」(176)

アグン山の噴火で、観光客の激減したウブド。

年末年始は、少し戻ってきているようだ。

御多分にもれず、私の友人・知人もウブドに里帰り。

ちょっと観光客が増えたこの時期に、ゴータマ通りは鋪装工事中。

四角ブロックの「石畳」を敷いている。

車両通行禁止だ。

徒歩は可能だが、なんせ工事中のため、歩きずらい。

だからだろうか、いつもに比べて観光客の姿はマバラ。

しかし、完成すれば、歩きたくなる通りに変身するだろう。

遊歩道になるといいな。

その頃には、観光客も戻ってきて、賑やかになっていることだろう。


ゴータマ通りの中ほど(No.9)に、前々から気になっていた店がある。

どことなく、南米コロンビアに行った時、サレントで見かけたような店。

ウブドらしい外観かどうかは疑問だが、表通りから見上げる二階の風情が気にいっていた。

工事中で客足が少ない今なら、ゆっくりとできるだろう。

TheSpell2.jpg

TheSpell1.jpg

そんなファサードの郷愁に誘われて入った「Theb Spell」。

クレープの店だった。

一階は座敷になっていて、輪切りの形がいびつな小さな木製テーブルとクッションが所狭しと置いてある。

この狭さも、面白い。

二階は、落ち着いたテーブル席。

注文したクレープは、The Hobbit Rp35,000-(写真)。

そこには、私にとっての正統派クレープがあった。

クレープの話は、何度も書いているような気がするが。

やっと巡り合った、私にとっての正統派クレープ。

砂糖がまぶされただけのクレープ。

TheSpell4.jpg

これが、20歳の私の思い出の味だ。

パリで過ごした半年間に、テークアウトでよく食べた。

50年ぶりに、辿り着いたという、感じだ。

実際には、アイスクリームがのっていたが。

おいしかったよ。

(V-vegan GF. glutenfree / we are Palm Oil and MGS Free! )

★クレープRp35000〜Rp65,000-/

★ロングブラックRp25,000-/

★営業時間:9.30am〜11.00pm/年中無休

★Tel:+62(0)82.34.113.20.69/

★Free WiFi/



南米コロンビアで経験したクレープは、ショックだった。

その時の話は「2015年06月22日:■WiFi ポイント・その壱「CREPERS CO」(42)」を読んでください。

2015年4月から10月の6ヶ月間の「南米コロンビアの旅」も読んでくれるとありがたいな。

動画もたくさん残しております。

そちらは、youtubeの「伊藤博史」で。(チャンネル登録もよろしく)


posted by ito-san at 14:30| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

モンキーフォレストの循環バスに乗った(175)

バイクをモンキーフォレストの大駐車場に止める。

目の前の緑色のバスが、出発しようとするところだった。

運転手に目配せして、ジュスチャーで「そのバスの乗りたい」と伝えた。

急いで駆け寄ると、助手席を示した。

助手席に乗り込み、「サッカー広場で降ろしてください」と伝える。

ゴータマ通りにあるクレープ屋に行くために、循環バスに乗った。

バスの座席は、前向きにベンチが5列。

ゆったり座って12人。

詰めれば、17人くらい乗れそうだ。


観光バスで、ウブドを走るのは久しぶり。

ジェゴグ・ツアーでヌガラに行った時以来かも。

遠足気分で、ウキウキしてしまう。

日頃バイクを乗っているから、見下ろす高さも新鮮だ。

町並みが見られるのも、楽しい。

バスは、ゆっくりモンキーフォレスト通りを北上する。

バリ人青年が一人降りた。

少し走ると男性の声が「カフェ・ワヤンの前で止めて」と告げる。

「ベモじゃないんだから」と運転手。

青年が降りたところから、カフェ・ワヤンまでは20メートルほど。

いくらも走っていない距離で止めるなよ、と私も思った。

基本的には、停車場は決まっている。

青年には、停車場じゃないところで止まった。

運転手は、カフェ・ワヤンを少し超えてストップした。

バリ人の優しさが出る光景だ。

私は、サッカー広場の前で降りた。

ここからは徒歩。

ウブドを歩くのも久しぶり。

デヴィ・シータ通りを通って、ゴータマ通りに向かう。

ショッピングはしないが、左右をキョロキョロお上りさん。


鋪装工事の真っ只中のゴータマ通り。

アグン山の噴火で、観光客の姿もマバラ。

四角ブロック「石畳」を敷いている。

完成すれば、歩きたくなる通りに変身するだろう。

遊歩道になるといいな。

子供達の遊ぶ姿も、町の一部になって、楽しい風景だ。

そうなれば、賑やかさが戻って来るだろう。

楽しい通りになるといいな。



クレープ屋に入った。

紹介は、次回のブログに。


ウブド大通りに出ると、王宮方面に緑のバスが見える。

この距離なら、待ち時間も少ない。

所有台数3台のうち、常時2台が30分間隔ほどで運行している。

ハヌマン通りの北口、イワン君のギャラリー「アート・スペース」前で待つ。

車窓から見るハヌマン通りも、また新鮮。

友人の店が見える。

知人の働く店が見える。

コントラの張り紙は、閉店したことを教えてくれる。



動画は、アタ・バッグの店「Dari Bali」のウインドウに映るバスで終わっている。

「Dari Bali」は旧友の店。

実は、内緒で、私のルドラクシを置いてもらっているので宣伝。

循環バスは、モンキーフォレストの大駐車場に戻ってきた。

駐車料金Rp2,000-を支払う。

観光気分で、楽しかった。

どこへ止めようかと頭を悩ませるなら、いっそ大駐車場に止めた方が楽チン。

クラクラバスと組み合わせれば、かなり広範囲で行動できそうだ。

感想は「これは便利で快適だ」です。

ウブドの快適な町づくりに協力するために、皆様も是非ご利用ください。


posted by ito-san at 16:32| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする