2017年07月10日

飛ぶ鳥、跡を濁さないで!(140)

ある夜の「和食・影武者」の大テーブル。

常連に名古屋からの友人Mが加わって、いつもより賑やかな晩餐。

その席で、友人から寝耳に水の一言が発せられた。

「Aさんが、バリ南部に引っ越したようだよ」

部屋をAさんに紹介したのは私。

私がコロンビアの旅に出る前に、同じ条件で貸してもらえるように頼んだ経緯がある。

家賃が80万ルピアから100ルピアと値上げになったが、それでも充分に安い。

私に、断りも入れずに出て行くわけがない。

「Aさん、大家さん家族と、うまくいってなかったのかな?」

「そんなこと、知らないわ」

私に発言に、K子さんから冷たい言葉が返ってきた。

Aさんが引っ越した理由を知っていそうな口ぶりだ。

「どうして引っ越したのかな?」と聞く私に、友人Mは、「話し合った方が良いよ」と言う。

私に落ち度があるように受け止められる言葉だ。

問題が発生した時の解決策が、話し合いからの和解。

勘ぐれば、何か問題があるということだ。

Aさんが勘違いしているかもしれないので、話し合えということだろうと、善意に解釈。

しかし、何を話し合えというのだ。

私に直接説明されたわけでもなく、他人からの内容もわからないアドバイスに、どうして私から和解を申し込まなければいけないのかが腑に落ちない。

これまでのK子さんにしては、歯切れの悪い言葉。

友人MとK子さんは、Aさんから私に落ち度のある話を聞いているかもしれない。

その場では良案が見つからず、私に話し合えと伝えたのかもしれない。

誤解を解くなら私と直接話すようにようと、なぜアドバイスできなかったのだろうか。

古くからの友人に、信頼されていないと感じたのがショックだった。

次の日私は、Aさんが本当に引っ越したかを確認するために、P家を訪ねた。

部屋は、もぬけの殻。

掃除は、されていなかった。

「Aさんは、どうしてここを出ていったの?」

「急に、出ると言って、慌ただしく引っ越して行っちゃった」

「理由はわからないの?」

「儀式があるのでテーブルを一つ、一日だけ貸して欲しいと頼んだら、怖い顔をして睨まれた。

それしか考えられないんだよ。

家賃値上げの件は、itosanから頼まれたので保留にしたし。

何が原因で出て行ったのかまったくかわからないので、気になってしかたがないんですよ。

家族みんなで気を使ったつもりだったが、残念です(少々涙目)。

そうそう、itosanのオーブントースターの件で、一度、揉めたことがあったな。

でも、それが原因とは考えられない」

「なぜ私に、一言の連絡もせずに出て行ったんだろう?」

「冷蔵庫、持っていったよ。itosanと話はついていると言っていた。そう言われると、それ以上言えなくて」

「プリンターと変圧器もないね?」

壊れたので処分したのなら説明があるはずだ。

そのうち何か言ってくるだろう。

夜逃げのように引っ越していった、原因はわからなかった。

まさか、冷蔵庫を無断で持って行ったことが、原因とは思いたくない。

こちらが善かれと思ってしたことで、相手が傷つくこともある。

知らないうちに、傷つけたことがあったのだろうか。

それなら、誤解を解いた方がいい。

私は大家さんをなだめて、その場をあとにした。


3日後。

もしかしたら、Aさんが委託で商品を置いている店の人なら情報があるかもしれないと、訪ねた。

委託のコーナーは、カラッポだった。

「委託の期間が終わり、今後は場所代を払ってもらう契約になっていたのですが、

商品を撤収したまま、顔を見せないんですよ。

この通り、釘のあとを残したままにして。

itosanの話を聞いて、Aさんはそういう人なんだな、と納得しましたよ。

今後は、関わりを持たないようにします」

Sさんは、不浄な物でも捨てるように話を終えた。

私は「飛ぶ鳥跡を濁さず」を心がけている。

世話になった人に、後ろ足で砂をかける行為が、もっとも嫌いだ。


数日して、Aさんが影武者に現れた。

私の顔を見ないようにして、帰って行った。

え〜! どうしちゃったの?

私、悪者! 犯罪者!

身に覚えがない!

濡れ衣だ!

「和るん・あんかさ」でも「ティー・ルーム」でも、無視された。

無視されるって不愉快ですね。

何度も無視されると、こちらも顔を合わせてはいけない気持ちになってくる。

自己嫌悪になる。

Aさんは私に、まったく関係のないヒトに戻れとアピールしているのだろう。

知人は、何か誤解しているのだろうと言う。

誤解を説くためには、私から話しかけるべきなのか。

無視する知人に、なぜ、話しかける必要があるのか。

理由もわからないのに、和解を求めることはできない。

「去る者追わず、来るもの拒まず」が、私の流儀だ。

私もSさん同様に、今後は関わりを持たないようにしようと決めた。

ちなみに、大切な人なら、無視されても修復をはかる努力をしますよ。

結論は、大切な人じゃなかったということか。

ゴメン。

いや〜人間関係って難し〜い!

(※この逸話は、実体験にもとづいたフィクションです)


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2017年07月08日

ピンジャカンの長閑な響き(139)

バリ島の風物詩「ピンジャカン=pinjakan」。

えっ、そんなの聞いたことがない!

と言う、人もいるでしょう。

ピンジャカンは地方によって、ピンジャガン(pjnjagan)、ピンダカン(pindakan)などと呼び名が異なる。

呼び方が様々だって、知らないものを知らないですよね。

見かけたこと、ないですか?

「どこで?」

「田んぼで。それともお店で売っているのを」

無風だと、ダメですが。

微風だと、カタカタ。

強風だと、ウルサイほど、バタバタと鳴る。

田んぼに稲穂が実り出すと、鳥が集まって来る。

ピンジャガンは、そんな鳥を追う道具の一つです。


先日、ニュークニン村の寺院横を抜けて、裏手に廻った。

予想した通り、田園が広がっていた。

あいにく、稲刈りが終わったばかりの風景だった。

バリ島と言えば、田園風景の美しい観光地のイメージがある。

沿道が、ほとんど店舗や住宅で埋め尽くされたウブドで、田んぼの風景を見つけることが難しくなった。

しかし、一歩裏に廻れば、まだまだ田んぼは残っている。

カタカタと鳴り響く音に誘われて、畦道を進んだ。

ピンジャガンが、姿の見えない鳥を追い立てていた。

二枚羽のかざくるまが風を受け、心棒の鎚が、取り付けられた空き缶を叩いて音を出している。



私は空き缶のピンジャガンじゃなくて、竹筒を叩くピンジャガンの方が、音色に風情があって好きだ。

農家の人にとっては、風情を楽しむより鳥追いが使命だろうが。


2週間ほど前に、動画をフェースブックにアップした。

その時、たくさんのコメントが寄せられた。

◎私も竹筒が良いです。

部屋の隣の田んぼに4本、これがあって、風が吹いたら夜中に鳴るんですよ。

かなり寝れなですよ。

(でもね、アルミ素材の部分が徐々に飛ばされていったんです。今は、竹組だけ残ってて竹のカラカラって音しかしないんです。だから爆睡)

◎昔々、知人が日本に持ち帰ってマンションのテラスに付けたら凄い音がして、近隣からクレームがきたそうです。

農夫が牛を追っている、小さなピンジャカンだったのに。

◎これで鳥寄ってこないんすか?笑

◎映画のワンシーンを見てるような映像で、見入ってしまった。

そして、素朴だけど空き缶なのに、印象に残る自然のリズム。

日本で見てると空き缶ですら乾いた感じの風情ある音に聞こえますね〜♡

◎私もこれを買ってベランダにつけました。

が、風が強い日は…ここだけ異国かと思う様な不思議な音に聞こえました。

母親にうるさい〜って言われました(^^ゞ

さわさわ風が吹いてる時は良いのですが・・・私は好きですけどね!

旅行者の時に買って持ち帰り、その後も壊れてはまた探して買い、そしてまた、、と在住するようになった今も、壊れると買ってきてね、と実家から要望があります。


コメントにあるように、皆が見知っているのは、竹筒を叩くピンジャガン。

さっそく、そのピンジャガンの写真を撮ってきました。

@スバリ村

pinjagan@Sebali1.jpg

2本の竹筒を叩くピンジャガン。

ククル(=クルクル)と呼ぶ場合もあるようだ。

pinjagan@Sebali2.jpg


皆様ご存知の、土産物のもなっているピンジャガン。

牛と農夫の動きがユーモラスです。


空き缶&竹筒のピンジャカン。

これ、バリ島の風物詩

どちらの音が風情があるか、聞き比べてみてください。




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2017年06月29日

スラマット・ダタン・ウブド(138)

「スラマット・パギ」おはようございます。

「スラマット・ダタン」ようこそウブドへ。

ウブド滞在一日目の朝。

爽やかに、お目覚めできましたか?

空気感は、違いましたか?

年に一度、相葉さんの主催する「芸術の村・ウブド」ツアーに呼ばれて早起きしている伊藤博史です。

私のことを簡単に紹介すると、42歳でウブドを訪れて、そのまま沈没してしまった男です。

28年間、ウブドを根城にして楽しませていただいております。

このツアーは、ウブドを中心とした文化体験と、相葉さんの得意分野である織物に触れる企画です。

明日は、シドメン村の織物「ソンケット(縫取織)」と、トゥガナン村の経緯絣「グリンシン」を見学する予定ですね。

魅力あるツアーだと思います。

余談ですが、先日、相葉さんのフェースブックを見て驚きました。

相葉さんの得意分野は、織物ばかりではないのですね。

木工家具造りにも、プロの技を持っているのですよ。

私も少しかじったことがあるので、わかります。

相葉さんの好意で、こんな楽しいコーナーを持たせて頂いたことに感謝しています。

先ほど私が挨拶した「スラマット・パギ」ですが、インドネシア語で、おはようございますの意味です。

スラマットは、私のお気に入りの言葉です。

いろいろな意味がありますが、私は「祝福を願う心」と解釈しています。

スラマット・パギは、朝を迎えられたことに祝福を。

スラマット・ダタンは、来訪されたことに祝福を、ですね。


今から、一時間半ほど、私とバリについての雑談を楽しみましょう。

私は学者や先生ではないのに、専門的な話はできません。

脱線するかもしれませんが、許してください。

楽しければ、バグースと言うことで。

バグースは、GOODという意味です。

よく使う言葉ですので、覚えて、使ってください。

このあとウブドの中心部へ散策に出かける予定になっていますよね。

散歩の途中、村人に「チャンティック!」と、声を掛けられることがあると思います。

商品を手に取って身につけると、店員さんに「チャンティック!」と言われたりします。

何度も、言われると思います。

多分、きっと、おそらく。

さて、この「チャンティック」の意味は、何でしょう?

?????????

お客様8名と相葉さんクエッション。

そうです、奇麗、美しい、可愛いと言う意味です。

(リアクションに期待)

冗談は、このくらいにしておきましょう。

aiba2017.jpg

私はどこにいるでしょう?

皆さん全員が、初めてのバリ訪問ですか?

バリをどんなイメージでとらえていますか?

自己紹介を兼ねて、おひとりおひとりから、イメージを聞いてみたいと思います。

突然のお願いで、申し訳ない。

これは「芸術の村・ウブド」ツアーの初日に、私がレクチャーした冒頭の原稿です。

このあと本日のレクチャーのタイトルにもなっている「バリの芸能と文化」についての原稿は作ってあったのですが、

話の流れは自由行動となってしまった。

自己紹介とそれぞれのバリに対する思い入れに皆で対応して、思いのほか話は盛り上がり、楽しい時間が経過した。

人生経験の豊富な方々だったせいか、和気あいあいの雰囲気で、1時間30分を乗り切ることができた。

来年も早起きしますので、呼んでください。

ウブド訪問が、満喫できることを願っています。

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2017年06月27日

「和るん・あんかさ」20周年のプレゼント(137)

ウブドに滞在する日本人&訪れるツーリストに、

「ウブドで人気なカフェはどこですか?」と問えば、

ほとんどの人が「カフェ・アンカサ」と答えるだろう。

誰もが認める、日本人に人気のカフェ。

オープンが1997年と古いから、知名度も高い。

一号店は、サレン王宮のあるスゥエタ通りを北上した左手にあった。

現在、コンビニになっているところ。

この場で12年間ほど続けたあと、モンキーフォレスト通りに移転した。

多くの顧客を掴んでいた。

モンキーフォレスト通りに移転してから8年。

今年の4月で、トータルで20年になった。

ウブドで20年間も営業を続けるのは、至難の技だと想像する。

「カフェ・アンカサ」は今、「和るん・あんかさ」と変名して、和食中心の店になっている。

和食になったが、以前からの苦めのコーヒーは今でも飲める。

私は、ドリップてたてた苦めのコーヒーが好みだ。

ウブドで唯一、私の嗜好に合ったコーヒーが飲めるのが「和るん・あんかさ」だ。

6月24日、20周年謝恩会が催された。

あまり多くの人で溢れていたため、写真を撮ることをためらった。

だから、当日の模様は、一枚もありません。


謝恩会の一足先に、店で使ってもらうランプシェードを届けた。

8年前にモンキーフォレスト通りに移転した時にも、バナナペーパーを貼ったランプシェードを二つプレゼントしている。

この時には、私が作ったバナナペーパーを貼ったと思う。

今回も2つ、要望された。

自信はないが、コテツに頼まれたなら作らニャなるまい。

謝恩会が予定される3週間前ほどから、記憶を頼りに制作を始めた。

銅線を利用した下地の枠は完成した。

しかし、肝心のバナナペーパーが手に入らない。

バナナペーパーは、数年前から「和食・影武者」のスタッフ・クトゥト君が作っている。

私が指導して後を継いでくれた、頼りがいのある奴だ。

そんな彼が、今年3月に急死した。

今でも信じられない気持ちでいる。

手伝っていた村の友人も、もう制作できないと言う。

私がクトゥト君の家に出向いて作るのも、辛いものがある。

メイド・イン・バンリのバナナペーパーは、あきらめるしかない。

思案していたところ、テガランタンのオカちゃんことを思い出した。

そうだオカちゃんは以前、私の見よう見まねでバナナペーパーを作っていた。

忙しい彼だが、私も一緒に作業すると言えば、断らないだろう。

頼むと心良く引き受けてくれた。

今から作れば、ランプシェードに間に合うかもしれない。

クトゥト君の道具を、利用させてもらおう。

お兄さんは寂しそうだったが、承諾をしてくれた。

道具一式を、形見のような気持ちで引き取ってきた。

バナナペーパーは、20周年謝恩会の一週間前に出来上がって来た。

ギリギリで間に合いそうだ。

8年前に制作記憶を思い起こしながら作ったが、まったく形は異なったものとなってしまった。

あの時は、雲をかたどって作った。

思い出した時には、もう半ば出来上がっていた。

「和るん・あんかさ」20周年、おめでとう。

末永く繁栄することを祈っています。


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制作途中のランプシェード

angkasa2017_2.jpg

手前の2つが今回制作のランプシェード



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2017年06月16日

ひっそりと佇むチャンディ(記念碑)(136)

ウブドの良さを再認識する小さな旅。

私の取って置きを教えます「第2弾」。

第1弾は、■取って置きの「マンディ場」教えます(131)でした。

いつのまにかシリーズになっている。

今回は、「Candi Tebin」の遺跡を紹介します。

訪れる人の少ない、密かな名勝です。


バリ・パスフィンダーに載っていた「Candi 」の文字。

こんなところにチャンディがある?

パスフィンダーは、ウブド在住のジャワ人シルビオが編集している地図。

ウブド近郊には、彼が自ら歩いた散歩道が点線で掲載されていた。

「グーグルマップの普及で、私の地図が売れなくなったよ」と嘆いていたのは1年前。

興味をひかれて訪れたのは、20年前のこと。

今回は、そんな昔の記憶を頼りに行ってみた。

当時は、通り過ぎて住まうほど寂しい場所だった。

チャンディのある場所は、シンガクルタ・ジュクパク(Jukutpaku)村。

ウブド南部の村ニュークニンから、左に大きくカーブする橋を渡る。

その昔、「サーカスブリッジ」と呼ばれた竹の橋が架かっていた場所だ。

詳しくは、■サーカスブリッジ@ニュークニン村(72)」を読んでください。

橋の対岸が、シンガクルタ・ジュクパク村。

田んぼの風景が残っている、静かな村。

以前は、遠くまで見通すことのできる田園風景が広がっていた。

橋の架かる渓谷沿いは、緑のジャングルが覆っている。

チャンディは、この渓谷沿いにひっそりと佇んでいる。

橋を渡って200メートルほど行くと、Tの字を右横に倒した形のT字路がある。

進路を左手に取る。

寺院、小学校、公設市場、広場を左に見ながら進む。

大きなビンギン樹のある広場を回り込むようにして左折すると、集落に出る。

ここがジュクパク村の入口だ。

集落に入り、100メートルほどの左手に寺院がある。

寺院横にあるコンクリート・ブロックが引き詰められた道が「Candi Tebin」の入口。

立派な案内板がたっている。

ここから動画を見て頂くと言うことで、説明を省きます。



いくら苦手だからと言って、まったく現場の解説がないのは、あまりにもつれないだろう。

ちょっと反省したので、ちょっと説明を入れます。

苔むした急な階段を下りる時、カメラを持ったまま尻餅をついたことは内緒にして欲しい。

渓流沿いの岩壁に佇む、チャンディ。

いつの時代に造られたのか、銘記されていない。

ペジェンに残るチャンディ遺跡・クヌンカウイと同じなら11世紀だ。

瞑想の洞穴もあるところを見ると、同じ時代の流れを汲んでいるとも考えられる。

清々しい渓流の音に、悠久を感じる。

いにしえの人々も、この清流に癒されたことだろう。

切立った岩壁から流れ落ちるパンチョランも含めて、一見の価値あり。

※パンチョランは、湧き水をパイプ(竹・塩ビ・鉄etc)を通して落としている場所のこと)


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2017年06月12日

底知れぬ・椰子の木のパワー(135)

フェースブックにアップした椰子の木の写真が、大受け。

タイトルは「なんで、こ〜なるの?」

タマン村スリウェダリ通りの椰子並木で、見つけた一本。

毎日通っているのに、なぜ、今日に限って気に留めたのか。

この日は、私の機嫌がよほど良かったのかな。

普段、いかに周囲に注意を払っていないかということですよね。

せっかくバリにいるのだから、もっと景色を楽しもう、と反省。

kelapa.jpg


それにしてもこの曲がり方尋常じゃないよね。

どうやったら、こうなるの。

小さな時に、人の手が加えられ、無理矢理形作ったのか?

そんなことをする意味が見当たらない。


そして、届いたコメントがこちらの数々。

「成長中に根性が曲がったのでしょうか?」

「反抗期のなごり?」

「踊ってるんじゃない?」

「わたしみたい。歪んでる。(^-^)」

「時々、変な椰子の木がありますよね。旦那の実家に上が2つに分かれた椰子の木があります。」

「他と違って変わったのがいますよね。^_^」

「精霊が強く抱きしめたのかも。」

などなど。


これらにコメントに、丁寧にお答えしました。

「身に覚えがあるのかな?」

「とんがってない反抗期なら、可愛いいかな。」

「椰子の葉は、踊りの振り付けにたとえられるけど、妖気に誘われて幹まで踊りはじめたかな。」

「美人は、歪んでいても許されるから。」

「変な椰子の木の写真、コレクションしようかな。二股の椰子の写真、送ってください。」

「これも個性かな。」

「美しい精霊に、めろめろって、感じかな?」


コメントにあった、2つに分かれた椰子の木。

Kさんから送られてきた写真を見て、驚愕。

これがなんと、椰子の幹の先が5〜6つに分かれているではありませんか。

まあ、写真を見てください。

kelapa1.jpg


「なんで、こ〜なるの?」

接ぎ木説がでましたが、信憑性はありません。

写真は、22年前の画像だそうです。

Kさんの実家にある椰子の木。

「帰省した際に、同じ木を探して写真を撮ってきます」と約束してくれました。

この椰子の木が残っているかが問題ですが。

不思議な力が宿っている椰子の木。

22年前を経た今も、きっと残っていると信じたい。

いつが、鮮明な画像がお届けできる日が訪れるでしょう。

ちなみに、Kさんは亡き舅に「接ぎ木でもしたのですか」と聞いたことがあるそうです。

その時の答えは「自然に生えてきた」だったと言う。


これをきっかけに「なんで、こ〜なるの?」椰子の木の写真をコレクションすることにしました。

皆様からの情報(写真)お待ちしております。

kelapa2.jpg
倒れたまま(きっと強風)成長している椰子の木
(写真提供・大原正博)



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2017年06月08日

稲の神「デウィ・スリ」を祀る神聖な棟(134)

バリ人の家屋は、古くからの慣習にしたがって敷地内の建物の配置が決まっている。

ウブドの場合、聖なる家寺は北東の角に位置し。

人間の儀礼を行うバレ・ダギンは中央東側。

家族の住む棟であるバレ・ダジョーは北面、バレ・ダオーは西面にある。

不浄と言われるトイレや台所は南西隅に建っている。

道に面して門が備えられるが、屋敷のレイアウトはどこも同じというのが興味深い。

家屋レイアウト1.jpg
「バリ島ウブド 楽園の散歩道」より


3週間ぶり(6月5日)に、スバリ村のグスティ家を訪れた

グスティ家には、門を入って真っすぐの位置にバレ・ダギンに「ジナン=jineng」が建っている。

ジナンに供物が飾られていた。

27年という長い付き合いなのに、初めて見た。

田んぼを持つ家にある米蔵のことをジナンと呼ぶ。

2メーター四方ほどで、四本の柱で支えられた小さな高床式の2階建て。

米は、屋根裏のような2階に収納される。

1階部分はオープンで、あずまやのような佇まい。

家族の憩いの場所になる。

グスティ家では、いつもここでお婆ちゃんが供物を作っている。

私は、訪れるとまずここに腰を下ろし、お婆ちゃん所有のシリー箱から、噛みタバコを一つかみかすめる。

時々、シリー箱の片隅に小銭を隠し入れる。

グスティ君が留守のときは、戻って来るまでのひと時をお婆ちゃんと雑談を楽しむ。

お婆ちゃんは、供物作りの手を休まずに、話に相づちをうってくれる。

横になって午睡を決め込むこともある。

この日は、グスティ君が留守だった。

もちろん私は、噛みタバコを失敬して、お婆ちゃんと雑談をはじめる。

jineng.jpg
新築される前は、アランアラン葺きの屋根だった


グスティ君が戻って来たので、さっそくジナンの供物について訊ねた。

「今日は、マンタニン=Mantanin」の儀礼があったとの答え。

同じ水路を利用するスバック=水利組合が、稲刈りが終わったあとにする儀礼らしい。

ジナンは、稲の神「デウィ・スリ(Dewi Sri)」を祀る神聖な棟(米蔵)。

右手に聖水の入った壷を持つ、田んぼや稲の女神。

水田のあちこちに、デウィ・スリを祀る祠が建っている。

田植えや稲刈りの始めには、必ず、祠に供物を捧げ儀礼をおこなう。

祠.jpg
田んぼの隅に建っているいる祠


デウィ・スリは女神だから、田植えは男性の仕事だった。

種まきは、男の仕事というわけだ。

この頃は、人手不足で女性も田植えをするようになった。

バリ島の発展とともに、消えていく慣習がある。

農業を継ぐ跡取りが減っている。

農地が観光施設に変っていく。

屋敷のレイアウトにも変化が見られる。

町中では、土地の有効利用からか、家寺が2〜3階に上げられた。

家屋も2〜3階建ての近代的な建築になってきている。

「観光の島・バリ」として発展していく過程で、観光資源の田んぼや慣習が消滅していく。

しかたがないと言ってしまえば、それまでだ。 何か、良いアイデアはないだろうか?

私には、まったく良案は浮かばない。

次世代のバリの若者に期待したい。


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2017年06月02日

デワ・ワルン @ ゴータマ通り(133)

ウブドでバックパッカーに一番人気の『ワルン=Warung』は、どこか?

私なりに考えてみた。

ウ〜ん、私的には「デワ・ワルン=Dewa Warung」でしすかね。

ウブドにあるすべてのワルンを観察したわけではないので、あくまでも主観ですよ。

と言うことで、今回は、デワ・ワルン・ファンの皆様に向けてのブログになりました。

2017-カレンダーバリ.jpg
現在のデワ・ワルン外観


デワ・ワルンは、ウブドにセンゴール(ナイトマーケット)があった時代からの老舗ワルンだ。

ウブドのセンゴールは、現在のパサールの駐車場で、1989年〜1993年11月22日までの4年間存在していた。

テニス・コートが3つ入るほどの広場は、市場より1メートルほど低くなった窪地だった。

広場というにはあまりにもお粗末な、砂塵の舞い上がる小さな砂漠のような空き地に15軒ほどの屋台が並んだ。

デワ・ワルンは、その中の一軒で、バックパッカーの情報交換の場として人気があった。

私も、毎晩のように通った常連の一人だ。

オーナーは、テガランタン村の若者たち。

テガランタン村との付き合いが深いのは、こんな経過があったからだろう。

センゴールが閉鎖されたあと、デワ・ワルンはパダンテガル村スグリオ通りに移転した。

この時、オーナーはデワ君となった。

スグリオ通りの後、ゴータマ通りに移転し現在に至っている。

2002年9月8日に開店した「ワルン・ビアビア=Warung Biah-Biah」と同じ年にオープンしていると記憶する。

場所は「ワルン・ビアビア」から10メートルほど南、デヴィ・シータ通り寄り。

屋敷門を挟んで、3軒目がデワ・ワルンだ。

立地条件と安価が売りで、常に繁盛している。

バックパッカー人気ワルンの地位は、この頃から揺るぎない。

そして、現在も情報交換の場としての役割は失っていないようだ。


センゴールにある時は、毎晩のように通っていたワルンだが、「影武者」を開店させてからは立ち寄ることがなかった。

10年ほど前に一度、訪れたことがある。

その時、運悪く1時間待っても料理が出てこなかった。

お客も少ないのに何で? の疑問を抱いて厨房を覗いた。

そこには、チンタラと働くスタッフの姿があった。

駄弁っている暇があったら手を動かせ!

久々に切れて、紅茶代も払わずに出て来た。

それ以後、一度も行っていない。

先月の終わり、知人が立ち寄った「デワ・ワルン」。

「美味しかったよ!」と言うので、覗いてみた。

高台にあるため、階段を数段上る。

店舗もフロアが二段になっている。

5年前に改装をしたが、雛壇状の店舗は変っていない。

床は、コンクリートの打ちっ放しなしから、タイル張りとなっていた。

安普請だったテーブルは、重厚な一枚板に変った。

スタッフが、たくさんいるので、待たされることはない。

以前、オーダーはお客が用紙に書き込んでいた。

今回は、ウエートレスが注文を聞いてくれた。

スタッフはグレー色のTシャツに、統一されている。

背中の「DEWA WARUNG UBUD」のプリントが、ちょっとハイセンスな感じ。

ナシ・チャンプールも、私的には合格点。

帰りがけに、知った顔が厨房に入って行った。

「居酒屋・影武者」の開店スタッフだったプルナミちゃん(オカちゃんの妹)だ。

彼女が働いているのなら、これからはちょくちょく通おうかな。

「ごちそうさまでした」

dewa_warung2.jpg
ナシ・チャンプール


★メニュー:インドネシア・中華料理。ベジタリアン・メニュー有り

★食事:テンペ・カレーRp22,000-/ナシ・ゴレンRp22,000-/ナシ・チャンプールRp25,000-/

★飲物:アイスティーRp12,000-/ジュース各種Rp15,000-/ビンタン・ビールRp35,000-/

★営業時間:10.00am〜10.00pm / 定休日:ニュピ

★TEL:081-3372-68250/


デワ・ワルン・ファンの皆様に向けて、スペシャルビデオです。




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2017年05月25日

地球の歩き方・バリ島編(132)

残すところ、あと2ヶ月。

7月25日は、私の70歳の誕生日。

誕生日には、アグン山登頂に3度目の挑戦をするつもりだ。

アグン山頂上での暁紅は、50歳と60歳に拝んでいる。

決行日が近づくにつれ、登山に自信がなくなってきた。

そろそろ怠惰な日々に活を入れて、体力作りに励まなくてはと反省している。


近況報告はこのくらいにして、本題に入ろう。

先日、ガイドブック「地球の歩き方・バリ島」が、手元に届いた。

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一目見て、厚さが薄くなったな〜と、気になった。

五分の四ほどになっている。

出版業界は不況と聞いている。

経費節減か、と邪推した。

よく見ると、ページ数は変っていない。

紙質が薄くなっているのだ。

上質な紙のようで、これまでのザラザラ感はなくなり、ツルツル・スベスベと手触りもいい。

印刷の仕上がりも、ハッキリしている。

企業努力が伺われる。


バリ島が「地球の歩き方・バリとインドネシア」から独立して単独のバリ島編として出版されたのは1993年のこと。

その後、バリ島の人気が高まると同様に、ページ数が増えていった。

年々、厚くなっていく。

2年周期が、毎年出版されるようになる。

インターネットの普及でガイドブックが脅かされるようになった。

そんな時世、紙質の改善で軽量化を計ったのだろうか。

私と「地球の歩き方」との付き合いは長い。

「居酒屋・影武者」が記載されたのは、いつからだっただろう。

正確には記憶していないが、「影武者」の開店が1991年7月だから、初版から載っていたのではないかと想像する。

当初は、旅行者からの投稿で「名古屋から移り住んだ日本人夫妻の経営」と書かれてあった。

否定するのも面倒なので、そのままにしていた。

私は初代オーナーで、現在は女将・由美さんが「和食・影武者」を守っている。

1995年(記憶は曖昧)から取材を受け、正しい情報が載るようになった。

2009年には、編集者の好意から「バリ島ウブド 楽園の散歩道」を共著させていただいた。

楽しい仕事が出来たことに感謝している。

バックパッカーのバイブルと言われる「地球の歩き方」。

紙面の充実を楽しみにしています。


私が持って来た「地球の歩き方・バリとインドネシア」と最新版「地球の歩き方・バリ島」を見比べてください。

デヴィ・シータ通りの変貌に驚くでしょう?

と言っても、27年が経過している。

日本の戦後復興30年と比べれば、ノンビリしたものだ。

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'89〜'90版「地球の歩き方・バリとインドネシア」


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2017〜18「地球の歩き方・バリ島」



’96〜'97版、20年前の記事をコピーしたので、読んでください。

¥1円がRp25のレートの頃の話です。

『 居酒屋風日本料理店 Kagemusha

田圃の中にいきなり出現する蔵造り。

「なにか?」と思ってのぞくと、そこがウブドとは思えないような日本料理店「影武者」。

手打ちうどんRp5,500〜、ポテトコロッケRp4,000〜、揚げだしどうふRp3,000〜、野菜と卵ぞうすいRp4,000〜など、日本の味がズラリとメニューに並ぶ。

日本酒の種類も多い。

雑誌、マンガ、小説など日本の本もワンサカあって「日本語禁断症状」に陥った人にもおすすめの店だ。

ウブドラヤからさらにジャラン・ハヌマンを南へ5分ほど歩いたところ。

Rp5,000以上の食事の場合VISA、MASTERカード使用可。

営業時間:月〜土11:00〜15:00、18:30〜23:00

住所=Jl.Pengosekan、Pengosekan、Ubud

☎(0361)96134(’95)』


現在「影武者」は、ニュークニン村に移転し、電話番号は(0361)973-134。

キャッシュカードは、使えません。

「居酒屋・影武者」に興味がある方は『極楽通信/17「お疲れさまでした、居酒屋・影武者」をご覧下さい。


posted by ito-san at 20:07| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

取って置きの「マンディ場」教えます(131)

5月18日、久々にパンチョランでマンディ(沐浴)をしてきた。

パンチョランとは、湧き水をパイプ(竹・塩ビ・鉄etc)を通して落としているマンディ場のこと。

寺院祭礼で舞踊を奉納する前には、必ず身体を清める意味でパンチョランに打たれた。

ほとんど、モンキーフォレスト内にある沐浴場を利用している。

1998年の事です。

ツーリストが今ほど多くなかった時代で、沐浴場まで足を伸ばすツーリストはいなかった。

正装姿で「マンディに行きます」と手を振れば、料金場を素通りできた。

私の奉納舞踊の話は「神々に捧げる踊り」にしたためてあります。


久しぶりに、晴れ間が見えた。

ジメついた身体に活を入れるためにマンディ(沐浴)をしようと、思いついた。

人気のスバトゥ村のムルカットは、混雑が予想されるし、私にはちょっくら遠い場所。

モンキーフォレスト内の沐浴場で、ツーリストの前に裸体を晒すのも何だな。

幾つかのパンチョランを思い起こしたが、どれも「何だな」だった。

そして、天命のように記憶がよみがえった。

ウブド内に素晴らしい「マンディ場」があるのを思い出したのだ。

さっそく正装に着替えて、出発。

記憶がよみがえった場所は、私の取って置きのマンディ場。

取って置きの場所なのに、なぜ、一番に思い出せなかったのかって?

そりゃ、ボケですよ。

「ホテル・イバ」の裏手にひっそりとあるマンディ場は、もう20年近くも行っていない。

なかば、忘れかけていた。


ウブド大通りを西に進むと、チャンプアン橋の手前右手に「ホテル・イバ」の看板が見える。

看板のある道を入り、バイクを道端に止める。

道の正面に見えるのが「ホテル・イバ」のエントランス。

「イバ」に向かって進む。

途中から、左に下る道の先には「グヌン・ルバ寺院」がある。

「イバ」のエントランスで、ガードマンに「マンディに行く」と告げると、心良くゲートを上げてくれる。

ホテルのフロントに向けて歩くと、車寄せの手前左手に幅1メートルほどの小さな鉄扉が見える。

この扉がマンディ場に続く入口。

入口のたたずまいが秘密っぽくて、前途を期待させる。

一歩足を踏み入れると、10センチほどの石を引き詰めた小道になる。

右手は「イバ」のある丘、左手は東Wos川の渓谷を覆い隠す木立。

東Wos川と西Wos川が合流するところが、チャンプアン(混ざる)と呼ばれる。

川の流れる音と鳥の声が清々しい。

時折、強い木洩れ陽が眼に飛び込んでくる。

渓谷沿いのなだらかな下り坂を5分ほど進むと、小さな橋の袂に出る。

橋の向こう側には、アランアラン草葺きのヴィラが見える。

私が訪れた1990年には、ここから先に進めば、東Wos川と西Wos川に挟まれた尾根に出られた。

アランアラン草の生い茂る風景をハイジの丘と名付けて、何度も散歩した。

イメージ貧困で、ゴメンナサイ。

今は、通行止めになっている。

現在、この尾根に行くには「グヌン・ルバ寺院」の横を抜ける専用のルートを使う。

尾根は「ブキット・チンタ=Bukit Cinta 」呼ばれ、ローカルのカップルや家族連れが訪れ、デートやオーキングのコースになっている。

ブキット・チンタとは、愛の丘の意味。

なんて、ロマンチックなネーミングだろう。

ツーリストには、見たそのままの「Campuhan Hill」と呼ばれている。


目的地のマンディ場に行くには、橋を渡らずに右手の細道を進むことになる。

残念なことに、入口の鉄の扉からここまでの映像が撮れていなかった。

どうやら動画モードになっていなかったようだ。

私には、よくあることです。

川の流れる音に、水の落ちる音が重なった。

パンチョランが近いのだろう。

パンチョランは2カ所、東Wos川の水ぎわにある。

「グヌン・ルバ寺院」が建立された8世紀以前から存在する、歴史の古いマンディ場だろう。

どの泉も古くから湧いていたのだろうが、今さらながらに関心する。

祠の近くにあるパンチョランは、聖水として頂くところだろう。

奥にある2つ目のマンディ場で、水浴びをさせていただくことにした。

人っ子一人いない空間。

ウブドの町中に、こんな静かな空間が、今も残っているのに驚かされる。

冷たい水が、気持ちい〜い!

気分はムルカット(浄化儀礼)

私の取って置きの場所だから、他の人に教えないでね(取りあえず、言ってみた)。

あとは、動画でご覧下さい。





posted by ito-san at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする