2019年01月19日

「ダイソー」@レノンに立ち寄った(291)

1月15日(火):デンパサール・レノン地域にあるイミグレーション事務所に出頭。

私のビザ(入国査証)は、昨年の12月半ばで切れている。

本来なら今、私はオーバーステイ。

罰金は1日、30ドルと聞いている。

ひと月近くのオーバーステイ。

相当の罰金になるだろう。

遅延の責任はビザ代行業者にあるとは思うのだが、罰金の幾らかを私が負担しなくてはいけない事態になるかもしれない。

金欠状態の私は、昨年末からドキドキものだった。

「来週、イミグレーション事務所で会いましょう」ビザ代行業者のAlexさんから連絡が入った。

月曜日の朝8時、イミグレーションで待ち合わせ。

約束の時間に、30分も早く到着した。

この機を逃しては、と待つのを覚悟で家を早く出た。

Alexさんは、いつもと変わらない態度で現れた。

オーバーステイの話もしない。

その話には触れないのが賢明だろうと、私も口をつぐんだ。

待合室のベンチに、二人並んで腰を下ろした。

たわいもない世間話で待ち時間を消費し、いつものように写真と指紋をとられて無事終了。

追徴金は、なかった。

パスポートは、このあと3日間ほどで手元に戻ってくる。

延長の日付はいつのなるのだろう?

手元に返って来ればわかることがだ、ちょっと気になる。

イミグレーションの駐車場で、Alexさんとわかれた。

「テレマカシ=ありがとう」

感謝の気持ちが、いつもより大きい。


時間は、朝9時を少し回ったところ。

まっすぐ帰れば、10時頃には帰宅できる。

天気は快晴。

どこか寄り道をして帰ろうか?

流木拾いは、昨日行った。

今は、コーヒーが飲みたい気分だ。

帰路の途中にある「プラザ・レノン(Plaza Renon)」に行ってみよう。

最近ここに、日本の百円ショップ「ダイソー( DAISO JAPAN)」が出店した。

ウブドでは手に入らない物が、売っているかもしれない。

他に、日本人長期滞在者がよく利用するパン屋やレストランやカフェが入っている。

3階建てで、地下一階は駐車。

屋外の駐車場にバイクを止め、そこにいた青年に開店時間を聞くと「10時だ」と教えてくれた。

時計はまだ、9時30分。

店頭にある「スターバックス」で時間を潰そうと思ったが、ここも10時開店。

オープンエアーの客席を拝借し、読書をして開店を待った。

10時になった。

ショッピングモールに入るのは、シンガポール以来だからもう3年も前だ。

ウブドのカントリーボーイには、不似合いな場所だ。

「ダイソー」は、ちょっと大きめコンビニといったところ。

日本のダイソーを知らないので、比較することはできない。

目の前に包丁が・・・・。

店長と思われる男性に「これはいくらですか?」と指さすと、「すべての商品がRp28,000-です」という答えが返ってきた。

これは、今のレート(Rp10,000=130円)だと、日本円で220円ほど。

百円ショップではありませんね。

よ〜く見ると、ギザギザのあるパン用のナイフだったのでキャンセル。

開店早々ということもあってか、通路には商品が散乱している。

いやいや、これは開店前に済ませる業務だろう。

足元の商品を避けながら、一列一列丁寧に見て歩く。

見つけたいのは、日本製のサランラップ。

これでいいのかわからないが、耐熱ラップというのを買った。

料理用温度計があった。

これも探していた一品だ。

お買い上げは、この他に、お米の軽量カップとコンパクト軽量スプーンと巻きす。

五品のトータル、Rp14万。

この買い物リストで、料理ができない私がどうして、と不可解に思ったでしょう。

次回ジョクジャカルタ・マゲランに行った時、世話になるバダさんたちに巻き寿司を作ってご馳走したいと考えているんですよ。

だから、このところ自主練中。

「スターバックス」でコーヒーでもと思ったが、時間は11時。

チュルク村で見つけた「ワルン・トーキョー」で昼食にしようと「プラザ・レノン」を出た。

あっ! 写真を撮るのを忘れてる。

再訪はないとは思うが、あまいいか。

駐車料金1時間20分で、Rp4,000。

車(時間)Rp3,000-/バイク(時間)Rp2,000-とあった。

追加料金については見てこなかった。

コーヒーを飲んでいたら、もっと金額は大きくなっていたな。

館内に映画館があったけど、映画を見てショッピング&食事をしていたら駐車場料金はRp10,000-は超えるだろう。

130円(Rp10,000-)で、ビビっている私だった。


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2019年01月10日

ムコテカンと呼ばれる珍しい儀礼見学(290)

2019年1月5日:クニンガン祭礼日

この日、タナロット寺院の近くのムングー村で、珍しい儀礼が行われる。

儀礼の名前は、ムコテカン(Mekotekan)。

地図で確認すると、ウブドからバイクで飛ばせば40分ほどの距離。

迷路のような村道が続いて、いつまでたっても目的地が見えない。

目的地の近くにいたのに、迷いに迷って2時間以上もかかって到着。

屋根に立てかけた長い数本の細木の近くに、若者たちがいる。

そんな光景が、沿道のあちらこちらに見える。

Mekotekan1.jpg

バイクを裏道に止めて、メイン道路に出る。

街の中心と思われるデサ寺院前で待機していると、午後2時にあと10分という時間にバレガンジュールの音が聴こえてきた。

手に手に細木を持った若者たち数百人の行列が、ブリンギン大樹のある南方に向かって歩き始めた。

ムングー村の12の集落から集まった若者たちだ。

長さ2〜3メートルの表皮を剥いだ白い細木は、一見長槍のように見える。

Mekotekan5.jpg

ブリンギン大樹の前で婦人たちのお祈りが始まると、威勢の良い若者たちの掛け声と共に細木が重ねられた。

円錐形の山が、細木で形作られていく。

この時の音が、ガムラン演奏のコテカン(裏打ち)に似ていた。

そんな理由から、ムコテカンという名前が付けられたのかな〜、と想像する。

細木の山に、勇敢にも飛び乗る男がいる。

男は、鼓舞するように見栄を張る。

しばらくして、山は崩れる。

再び、山は作られる。

細木の山がふたつ作られ、ぶつかり合う。

こんな儀礼を見るのは、初めてだ。

1946年に始まった、ムングー村の伝統儀礼だという。



このあと行列は、村を巡る。

これは、ご神体・聖獣バロンと同じ厄払いの意味があるのだろう。

儀礼の内容については、ただいま調査中。

行列は、1時間後、村の北端に到着するという情報をキャッチした。

私は、先回りして待つことにした。

バンジャールに帰って行った隊列もある。

残った細木隊は、それでもかなりの人数がいた。

小休止したあと、掛け声とともに細木の山が作られた。



儀礼は、無事に終えられたようです。

雨季の真っ只中だったが、好天気に恵まれたクニンガン祭礼日でした。

儀礼に参加している村人、特に若者たちは、暑かったことでしょう。

お疲れ様でした。

見学させていただいて、ありがとうございました。

次のクニンガン(2019年8月3日)には、「アパ?情報センター」がツアーを組む予定をしています。

皆様、是非見学してください。


ムコテカン儀礼の伝説は、2つのバージョンがある。

ルスラン君が主宰する「ubud community」に、英語の解説が載っていた。

私は訳せないので、ここに原文を掲載します(誰か訳して)。

There are two version about the history of Mekotekan.
According to Ida Pedanda Gede Sidemen Pemaron, Mekotekan ritual related to Raja (king) IV Cokorda Nyoman Munggu from Puri Agung (palace of) Munggu who govern Mengwiraja territory. One day in the past, Yeh Penet river was flooding and floot off a shrine which then be stuck fast at the root of Jepun Sudamala tree. The king heard about this and order his men to retrieve it.
At the same time, one of the villagers was in trance and declared himself as a represent of Ida Betari (goddess of) Ulun Danu Beratan and told people to build a temple dedicated to Ida Betara (god) Luhur Sapu Jagat, guardian god of Mengwiraja. He also told that they will find chunks of iron to make kingdom’s weapons and holy stones which should be keep in the temple.
All words from the man comes true when the ground had dug.They found tamiang (guard) shape stone and iron weapons. The king ordered his blacksmith to make keris and spear.Three months later after all weapons had been blessed, on Kuningan holy day, all men from Munggu village had performed a battle scene and since then thisMekotekan have been performing on Kuningan day and became tradition in Munggu village.
Other version as told by Ketut Kormi−custom leader of Munggu village, is Mekotekan which have been performing by community in Munggu village from generation to generation, is related with the expansion trip of the King of Munggu to Blambangan. On the way back to the village, the kingdom troops had merrily celebrate victory from the battle field by lifting the spear upwards.As they were too excited, some of their body got pierced by the spears and get injured.
In his meditation, the king got instructions to perform Mekotekan ritual in order he can heal his troops wounds quickly and also to chase away the plague which may come in Munggu village.


posted by ito-san at 17:02| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月07日

正月は餅つきだ!・2019年(289)

あけまして、おめでとうございます。

『一年の計は元旦にあり』と言われていますが、私はいつも通りこれといった計画は立てていません。

今年も、健康で楽しい一年が送られたらいいなと、願うばかりです。

そして、読者の皆様に幸せが訪れることを祈う私です。

(実は内密ですが、年内か遅くとも再来年の初頭には、仏教遺跡ボロブドゥールのある村に本拠地を移そうと考えています)


私の過ごした元旦の1日を、ザ〜と紹介します。

いつもより早めに下宿を出て、バイクにまたがりプンゴセカン村にある「カフェ・トピ」に向かう。

本日「カフェ・トピ」で、恒例の「餅つき」がある。

笑い声が聞こえる。

在住者の方々の歓談の輪が、あちらこちらに見られる。

「笑う門には福来る」

こいつは元旦から縁起が良いわい。

私はマイ箸を持参しての初参加。

つきたての餅で作られた「おはぎ、きな粉、のり巻き」をほうばる。

雑煮も振る舞われた。

美味しかった!

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このあと「カフェ・トピ」隣接の「ソパ・ガーデン」でネット。

夕方6時の待ち合わせには、まだ時間があったので、一度を下宿に戻ることにした。

待ち合わせ時間より、ちょっと早めに着いた「和るん・あんかさ」で、知人母子と歓談。

楽しいひと時を共有できた。

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久しぶりの「スマラ・ラティ」を、知人母子と鑑賞。

運良く、今夜の演目は特別公演だった。

応援を続けて、30年になる。

リーダーのアノム夫妻の子供たち4人が、大きく育ち、グループに加わってい姿に感無量。

30年を経ても色褪せない、素晴らしい舞踊と演奏の「スマラ・ラティ」だ。

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〆は、「和食・影武者」で、夕食。

今夜は、心尽くしのおせちと雑煮でした。

赤味噌の雑煮に、感動。

大晦日は、年越し蕎麦をご馳走になった。

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「和食・影武者」が、〆のはずだった。

が、帰宅途中、モンキーフォレスト通りにある「和るん・あんかさ」の電気が、おいでおいでをするように輝いていた。

深夜12時、もう帰り仕度をしているだろう。

迷惑も顧みず、吸い寄せられるように店内に入っていった。

2階の大テーブルに、いるいる知人たちが。

昼、母子と歓談した大テーブルだ。

愉快な仲間たちと酒を酌み交わす。

集合記念写真は、ありません。

以上、私の元旦のでした。

今年もよろしくお願いします。



posted by ito-san at 15:25| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月01日

続き最終回:バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(288)

《 ジョグジャカルタの旅のメモ 》

年内には最終回を書き終えるつもりだったのに・・・。

ウダウダしてる間に、年が明けてしまっていた。

『あけましておめでとう、ございます』


もうひとつ、案内しておきたい場所があります。

ボロブドゥール近郊に仏教徒の村がある。

キリスト教徒の村もあった。

村の名前は、教えてもらったはずだが、覚えていない。

足を伸ばして、キリスト教徒の村に出掛けた。

車は、ボロブドゥールから1時間ほど南に走り、幹線道路を右折した。

いくつかの村を過ぎて、田んぼの風景がある道を進んだ。

「このあたりからキリスト教徒の村になります」バダさんが教えてくれた。

十字架のある建物がなければ、普通の田舎の村だ。

「あの看板が、犬のサテを売っている店の印です」

キリスト教徒の村で、犬のサテが食べれるワルンがあるのは、教えられていた。

そうか、今日は、そこを案内していくれているのだ。

「私は食べないけど、ワルンでコーヒーは飲むことはできるよ」とバダさんは言う。

興味はあるが、食べたいとは思わない。

ワルンの椅子に腰掛けて、興味本位に店内を物色するのは気がひける。

看板の犬の写真を見て、嫌悪感は倍増している。

B1は犬を意味し、 B2は豚を意味するらしい。

イスラム教徒の多いこの島では、表示することが義務ずけられているのだろう。

できれば早く通り過ぎて欲しい。

我々の他にも、看板を一瞥して素通りする車があった。

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最後に、バダさんから聞いた面白い実話。

バダさんの友人が、ジャカルタでの任期を終えて日本に帰国することになった。

帰国する前に、御別れ会をしたいと考えたバダさんは、電話を入れた。

「Tolong beritahu(トロン・ブリタウ)・・・・」

このあと”日本に帰る前に”と続く。

「日本に帰る前に、教えてね」と伝えたのだった。

数日後、友人は、豆腐を持ってバダさんのマンションを訪ねて来た。

「えっ! 何で豆腐?」とバダさん。

「だって、トロン・ブリ・タウと言われたでしょ」と友人。

ここでバダさんは、大きな勘違いを発見した。

友人は、ブリタウをbeli tahu(豆腐を買う)という意味に受け取っていた。

以前に、豆腐を買って来てと頼まれたことがあったのかもしれない。

豆腐はインドネシア語では、タウと発音する。

どちらも同じタウ。

買うのブリ(beli)と、教えてのberitahuのブリ(beri)。

エル(l)とアール(r)の違いを、聞き取らなければならない。

発音のできない私には、現地の人の微妙な違いを、今でも聞き分けられないでいる。

私よりインドネシア語が堪能な友人でも、聞き間違えることがある。

インドネシア語にも、発音が似ていたる言葉があるという話でした。

余談だが、バリ語でお兄さんのことはブリで、 オカ兄さんはブリオカと呼ぶ。

魚のブリを買ってきては、ブリブリかな。

くだらない冗談は、このくらいにして。

最後までおつき合い、ありがとうございました。

今年を、よろしくお願いしまう。


posted by ito-san at 15:15| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月21日

続きその2:バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(287)

《 ジョグジャカルタの旅のメモ 》


この日(11月19日)、私の帰バリ航空券を購入するために、ボロブドゥールの町に出かけることになった。

バダさんの運転する車に、Waunさんと私が同乗する。

Waunさんは、バダさんのジャカルタ時代からの友人で「Kafe-mpat」が気に入り住み着いている。

Kafe-mpatは、4月から工事が始まり9月にオープンした。

下見やプランニングは、1年前から進めていたらしい。

ランドスケープの仕事をしている絵描きさんのWaunさんは、造園が得意なのでのプランニングの段階から腕をふるっている。

花を愛でるのが好きな、飄々とした小柄の中年男性だ。

両人は、何のスキルも持っていない私に「ここに、住んではどうか?」と薦めてくれる。

私も住みたいと思い始めている。


チケットはネットで購入するつもりでいたが、バダさんが煩わしそうだったので、旅行代理店で頼むことにした。

結婚式が終わったばかりの新婚さんに、面倒な仕事をお願いするのは気がひける。

この地では、Free WiFiも容易に見つけられないし、私の場合支払いがコンビニなので手間が掛かる。

バリの戻る予定にしていた20日は、イスラム教徒の祝日だった。

そんなことはまったく失念していた。

チケットは売り切れ、延期するしかない。

バダさんが「ゆっくりしていけばいい」と言ってくれた。

翌日(21日)夕方発のチケットを予約した。

22日に予定が入っているが、余裕でセーフだ。


チケットを入手したあと、仏教遺跡ボロブドゥール周辺を案内してもらうことにした。

仏教遺跡ボロブドゥールの入場は、バダさんたちは何度もに来ているはずだから、今回は遠慮した。

私は2度見学しているが、何度でも通いたい場所だ。

遺跡周辺は今、観光化が進んでいると言う。

ボロブドゥールを中心にして、ぐるりと一周できる道沿に、安いロスメンから高級ホテル&レストランが急増している。

ウブドの観光化と似た動きがあると言われている。

地元の若手リーダーに面会した。

ウブドに30年近く滞在している私から、観光地としての心得を聞きたいと言っていた。

短い時間では語り尽くせないので、次回、ゆっくりと時間を作って会うことを約束して辞去した。


ここ近年、ボロブドゥール周辺に多くに絵描きさんが住み始めている。

ウブドから移り住んだ絵描きさんも多い。

家賃や物価がウブドより格段に安い。

ウブドがアーチストの集まる場所として栄えたと同じ現象が、この地で始まっているのだ。

近くに、旧都ジョクジャカルタという大きな商圏がある。

学生の街と言われるジョクジャカルタのヤングパワーも、ジョイントしてくるだろう。

空港も国際空港としての整備も整い、海外からの観光客の増加も予想される。

そうなれば、ボロブドゥール周辺の発展は可能性は大だ。

「いと〜うさんも知っている絵描きさんがいるから会いに行きましょう」とバダさんに言われ、行くことになった。

バダさんは、いとうの”と”を一度あがり、”お〜”と伸ばして発音し、さんと落ちる発音をする。。

連れて行ってもらった画家の家は、大きな川が合流する地点の丘の上にあった。

やはり、ウブドで何度も会ったことのある顔見知りだった。

彼は、町の有名人になっていた。

「彼がいれば、この近くにいと〜うさんが住み始めても安全だよ」

困ったことがあれば彼に相談すればいい、と心強い言葉が添えられた。

広い敷地に、住宅とアトリエと宿と画廊がある。

知人、友人の近況報告をしたあと、見学させてもらった。

ユニークな家に住んでいた。

すべて手作りだそうだ。

私もこんな家に住みたい。




記憶があいまいで、記載が出来事順に書かれていない。

今更直せないので、このままでいきます。

ごめんなさい。


posted by ito-san at 19:49| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月06日

続きその1:バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(286)

《 ジョグジャカルタの旅のメモ:その1 》

飛行機は、10月28日に墜落した「Lion Air」を避けて「AIR ASIA」にした。

久しぶりの国内線に、右往左往。

ボディチェックに、新設備「Pro Vison」が設置されていた。

入り口は、3箇所。

右手は、従来の額縁型ボディ探知機(正式名称は知りません)。

中央が、円筒形探知機「Pro Vison」。

左手は、探知機のない入り口。

私は、係官に手招きされて、「Pro Vison」の前に立った。

「Pro Vison」のベルトコンベアーに荷物を乗せた。

ご存知の方も多いと思うが、備忘録として新設備「Pro Vison」について説明をしておく。

ProVison.jpg

何も危険な物は持っていませんよと、両手を挙げて中に入る。

出口の向こうにいる係官が、ベルトも探知機に乗せろとジェスチャーする。

えっ! これプラスチック製のパックルだよ。

ベルトもハイジャックの武器になるのかな?

まさかベルトを外すと思っていなかった。

外に出て、ベルトコンベアーの暗幕内にベルトを突っ込む。

ズボンが下がる。

手で押さえながら、再び「Pro Vison」に入る。

係官が、足元を見るようにとジェスチャーをした。

下を見ると、そこには足跡のマークがあった。

マークに従って足を乗せると、左側を向く姿勢になる。

そこは半円のガラスだった。

ガラスに書かれているイラストのように、私は両手を広げた。

ズボンが落ちる。

半円のガラスは二重になっていたようで、カメラのシャッターのように移動した。

「Pro Vison」は、一瞬にボディチェックを終えた。

これなら人員削減できるだろう。

外に出ると、係官が2人立っていた。

横を抜けようとすると、手を挙げるようにと指示された。

えっ! チェック終わったんじゃないの?

右隣の従来型ボディ探知機と同じ扱いだ。

探知機のない左手の入り口の方が、スムーズに流れている。

こんなことなら「Pro Vison」は、いらないのでは。

取扱チェック期間か? それとも怪しげな人物に対しての厳重ダブルチェックか?

私は、危険人物には見えないと思うがね。

開発途上時には、こういうことが起こるんですよね。


昼食は、マゲランで有名なワルンでKupat Tahuを食べた。

Kupatは、バリで言うティパット(蒸しご飯)のことだろう。

Tahuは、豆腐1

他にテンペと野菜が入って、ちょっと甘辛い料理でしたが美味しかった。

kupatTahu.jpg

夕食は、マゲラガン(Mageragan)をブンクス(弁当)。

マゲラガンは、ナシゴレンとミーゴレンが一緒になった地元マゲラン(Magerang)料理。

地名のマグランから変化して、マゲラガンという名前になったようだ。

これが美味しい。

そりゃそうだろう、どちらも私の好物だから。

おまけに、Rp10,000-と安い。

写真を撮るの忘れてた!

ナシゴレンとミーゴレンなら、写真がなくてもわかってもらえるか。


こんな感じで、「ジョグジャカルタの旅・メモ」があと2回ほど続きます。

お楽しみに。

Kafe-mpat.jpg

おまけの写真。

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2018年11月30日

バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(285)

9月15日、友人のバダさんからWhatsAppにメールが届いた。

WhatsAppは、インドネシアで主流のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)。

「おはよう、お知らせだけです。まだ日付決まってないけど、11月に、ここの田舎娘と結婚する予定です」

ここの田舎娘とは、現在バダさんが住んでいる中部ジャワ・ジョグジャカルタ近郊の町・マゲランのことだろう。

マゲランは、仏教遺跡「ボロブドゥール」の近郊の村。

9月27日のフェイスブックのメッセンジャーには、

「元気? WAしたけど、11月17日に結婚する予定です。時間があれば来てねぇ」と、伝えてきた。

「WAって何?」と質問したら、「WhatsAppのことだ」と返事があった。

「もちろん、出席します」と返事をした。


西ジャワ・マジャレンカ(チレボンの隣)出身のバダさんに会ったのは、プンゴセカン通りにあった「居酒屋・影武者」だった。

当時、27歳の青年は「Rangin Sambadaです」と自己紹介した。

大阪のデザイン学校を卒業したバダさんの第一印象は、大阪弁をしゃべる変なインドネシア人だった。

名古屋に住んだことがあり、名東区本郷にあった「キャラバン・サライ」でアルバイトをしていた。

フルムーン・パーティを主催し、訪れたこともないバリ島の伝統芸能ケチャを演じて人気を得ていたと言う。

店長のジミーさんやライブに出演していたマーボさんなど、私と共通の友人が何人かいた。

ミニコミ「極楽通信・ウブド」Vol4(1994年8月25日発行)に、「バダからの頼り・Jalan-Jalan」を寄稿してもらったこともある。

その記事は、http://www.potomak.com/bali/ubud/ubud.htmlで、読むことができる。

インドネシア語教室を「ブンブン・カフェ」で開催していたこともあったね。

不思議な縁で、付き合いは28年間続いている。


ということで、挙式の行われるジョグジャカルタ近郊の町・マゲランに行くことになった。

マゲランには、バダさんの両親の家がある。

久しぶりだが、何度も訪れているので迷うことはないだろう。

儀礼の時間には間に合いそうもないが、レセプションには参加したい。

帰りの予定は決めていないが、3〜4泊はしようと考えている。


2018年11月17日:結婚式当日。

タクシーでバダさんの実家に駆けつけた。

空港からの渋滞で、実家でのレセプションは終わっていた。

実家にはバダさんの家族が大勢揃っていた。

何人かの知った顔が見える。

挨拶と近況報告をし、挙式の様子を訊く。

結婚儀礼は奥様の実家で、レセプションはバダさんの実家の中庭で、滞りなく終了したようだ。

バダさんと新婦のリカさんは、夜の部のレセプションが行われる「Kafe-mpat」に行っていて会えなかった。

全員のお祈りが終わるのを待って「Kafe-mpat」に向かう。

(写真:Bada&Rika)

バダさんは、現在55歳。

奥様リカさんは、20歳。

これは親子の年齢。

愛があれば、35歳の歳の差なんて!

リカさん両親は、バダさんより年下なんだけど。

バダさんは、年下の義父をどう呼ぶのかな。

まさか、お父さんはないでしょう。


リカさんの実家は、ボロブドゥールの麓にある小さな村。

夫妻は、しばらくバダさんの実家で暮らしたあとKafe-mpatに移り住む予定だと言う。

末長くお幸せに!



動画の最後に写っている小屋。

この小屋の2階で、4泊お世話になった。

電気は、電線敷設の予算が高いので、今は発電機で供給している。

暗くなる午後5時頃から9時ころまでの時間制限で、発電機を起動させている。

電気は無用の生活に戻りたい。

ボロブドゥールが見える、こんなところに長期滞在してみたいな〜!。

(写真:Kafe-mpat)
夕焼けと星空が美しい。
posted by ito-san at 17:29| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

最終編・突然、思い立ったように小旅行(284)

ウブドを出発した日から、朝は7時には起きている。

普段は、昼12時頃まで寝ているのに、旅になると目覚めが早い。

なんでだろう。

1日の使い方が違うからだろうか。

今日、急に思い立った3泊4日の小旅行を終えてウブドに戻る。


「朝は、コーヒーか紅茶をサービスしています」

主人の声に送られて、ホテルをチェクアウトする。

クタパン港にあるフェリー乗り場に向かう。

不安だったが、バリ島からクタパン港の入島はスムーズだった。

帰りも問題はないだろう。

ゲート前に、検問の警察官の姿はなかった。

タイムスケジュールを知らずに飛び込んで来たが、フェリーは終日営業のようだ。

運航は1時間ごとにある。

乗船カードに、名前と住所とパスポートナンバーと年齢を書き込み、性別の欄の男性にチェックを入れた。

カードを提出して、Rp25,000-を払い込めばフェリーに乗れる。

はずだった。

料金場ゲートの列が、なかなか進まない。

係員と話をして、その場を離れる人がいる。

「何かあったのですか?」と尋ねると「新しいルールができて、カードを買う必要がある」と教えてくれた。

乗船カードを書き込むエリアで、カードを発券していた。

これを購入しないと乗船できないようだ。

係員に「観光客の私も購入する必要があるのか?」と聞くと、困った顔をして首を縦に振った。

しかたなく私も、発券テーブルに向かう。

プラスチックのカードが配られていた。

何の目的で発券しているのかわからないが、このカードがないと今後、乗船できないと言う。

「2度と乗船しないのに購入しないといけないのか?」

ここのスタッフは、無表情で首を縦に振った。

この態度は、忙しいから仕方がない。

乗船料込み、Rp48,000-也のカードを購入。


バリ島側のフェリー乗り場、ギリマヌッ港に到着。

乗船時間は、帰りもキッチリ1時間。

警察官の検問を受ける。

バリ入島は、テロリスト対策のチェックが厳しい。

車検証と免許証を提示。

しかめっ面をして、カードを返してきた。

銀行のカードを免許証と間違えて渡していた。

ゴメンなさいの笑顔を作ったが、むさ苦しいお爺の笑顔をいらないととでもいうように、手を振って早く行けと促した。

バリ島に上陸してしまえば、もう怖いものない。

あとは、暗くなるまでにウブドに着けばいい。


天気は快晴、幹線道路も思いの外空いていて、快適なバイク・ツーリングをしている。

ヌガラの町からは、何度も通った通い慣れた道。

純粋にツーリングを楽しめる。

時間に余裕がある。

前々から行きたかったところに、寄ってみよう。

このチャンスを逃すと、次はないかもしれない。

ウブドに滞在初めて(1990年5月)、すぐに知った場所。

地方新聞「バリ・ポスト」に掲載された記事に、興味を惹かれた。

ウブドからは遠く、脇道のため、行く機会がなかった。

ヌガラとタバナンを繋ぐ幹線道路の中間地点に、北上してププアン(Pupuan)に向かう脇道がある。

今回は、この脇道を上って目的地に向う。

Desa-Asahduren.jpg
途中の村にあったリアルな彫刻


目的のところは、道路を塞ぐようにあるので、決して見逃すことはない(はず)。

脇道を30分ほど車で走ると、目的地に到着した。

車が潜りくけることのできる、珍しい大樹。

これが見たかったのですよ。

複雑に絡んだ幹が、私の心を騒つかせる。

「大樹の前で瞑想するといいですよ。夜にでもまた来ると良い」と僧侶が教えてくれた。

村の名前は「ブヌッボロン=bunut bolong」。




ウブドに帰るに、来た道を戻らずに、ププアンから抜けたほうが近道だと教えられたが、これはかなりの誤算だった。

箱庭にような棚田が望める場所に、新しくワルンができていた。

癒された昼食ができたので、誤算は帳消しになった。




この小旅行、何か収穫はあったかな?

ブヌッボロンの大樹が見られただけでも満足だった。

そのくらい恋い焦がれた場所でした。

久しぶりに冒険心が湧き上がったのも確かだ。

旅心にも、火が点いたかな。


★おわり



posted by ito-san at 17:17| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月10日

その6・突然、思い立ったように小旅行(283)

「ホテル・バクティ」は、狭いながらも快適だった。

朝8時にチェックアウト。

フロントの女性は、昨日の女性とは違った。

ヒジャブと呼ばれるイスラムの女性が被るスカーフをしていた。

バリのデンパサール生まれで、小学校に通う子供を両親に預けて、バニュワンギの旦那の生家に来ている。

ホテルで働きながら、年に何度か実家に帰るそうだ。

地震の話をすると「たいしたことは、ありませんでした」と言う。

「津波がなくてよかったね」と言うと、「それは言わないで」と震えた。

「すぐそこは海だからね」と、今度は笑顔で答えてくれた。


今日の予定は、まずは宿探し。

昨日、下見をした市場のある地域に泊まろうと思っている。

探し当てた宿は「ホテル・アンダ=HOTEL ANDA」。

アンダはインドネシア語で「あなた」だから、あなたのホテルということかな。

ロビーでタイル貼りの工事をしていたが、そんなことを気にする私ではない。

商人宿的なホテルで気に入った。

料金は、扇風機付きでRp120,000-。

共同マンディ(シャワー&トイレ)の部屋はRp35000-だと言われたが、今回は遠慮した。

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次は、バイクに跨って街の探訪だ。

ガイドブックに、バニュワンギは4ページ紹介されている。

「イジェン火口湖」以外に、これといった観光名所はない。

地図に載ってた「ブーム・ビーチ」に行ってみることにした。

ブーム港は護岸工事中。

ブーム海岸は、平日の金曜日のためか、人影が少なかった。

対岸に見えるのがバリ島か?

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昼食のために、一度、ホテルに戻った。

ホテルから歩いていけるサテ・カンビン屋「NIKMAT」に入る。

「NIKMAT」は、楽しむという意味のインドネシア語。

ここまで来て、なんでサテ・カンビンだと思うでしょうが、イスラム色の強い本場を食したかったから。

濃厚なタレが美味しかった。

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2つある公園は、遠目に見学。

さてさて、これからどうしたもんか?

再び、バイクに跨って街巡り。

「fashon store a&r」と書かれた建物を発見。

バニュワンギ市民は、どんなファッションが好みか興味が湧いたので入ってみることにした。

バリとほとんど変わりない、品揃えと見た。

足首を絞ったズボンが気に入ったので購入。

3階にあるフードコートに入って、ローカルに混じってコーヒーを飲む。


3階のテラスから見た、バニュワンギのほぼ全景。


夕食は、フードコートにある「MIE RAMEN HAKERU」と決めた。

一度、ホテルに戻りマンディをし、先ほど買ったスボンをはいて出かける。

注文したのは、テリヤキ。

これならハズレはないだろうと、楽観したのが大間違いの味だった。

追加したサテ・シューマイもイマイチだった。

女主人には「美味しかった」と、愛想を振りまいて席を立った。


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MIE RAMEN HAKERU2.jpg


なんだか楽しい一日が終わった。

電車に乗ってみたかったが、それは次回の楽しみに取っておくことにしよう。

明日は、ウブドの戻る。

★続く

posted by ito-san at 17:33| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月07日

その5・突然、思い立ったように小旅行(282)

バニュワンギ市内観光は夕方からにして、まずはツーリングに出発だ。

どうせ走るなら「イジェン火口湖」の近くまで、行ってみたい。

目と鼻の先に「イジェン火口湖」が存在すると思うと、行ってみたい衝動にかられる。

一抹の期待を抱いているが、条件が揃えば登ってみようと目論んでいる。

観光案内所やツアー会社を探すが、見つからない。

「地球の歩きかた・インドネシア編」を持ってきていないのが、悔やまれる。

「Ijen=イジェン」の看板は、いたるところに目にする。

道案内の表示もある。

看板に誘導されて行くことにした。

イジェンへは、バニュワンギの中心部か国道3号線を逸れて、山側に向かう一本道。

Merapi山とRuang山の間を縫って走る道。

迷うことはないだろう。

イジェン火口湖は、ムラピ山西側のイジェン山にある。

幾つかの村を通り過ぎた。

登山道入口に近づいたのだろうか、宿を見かけるようになった。

登る時には、このあたりで宿を探そう。

すでに次回は「イジェン山」に、登るつもりになっている。

ブルーファイア見学は興味が失せたので、サンライズとイジェン火口湖を見るだけで充分だ。

道の途中で、崖崩れを起こしているところがある。

何カ所かで修復工事をしていた。

ガイドブックには、バニュワンギ市内から登山道入口まで車で1時間ほどと書いてあったと記憶する。

私の乗るバイクはオートマチックのスクター「ホンダ・スクーピー=Scooby」。

車よりは、時間が掛かるだろう。

すでに1時間は走っている。

登山道入口が見つからなかったとしても、1時間半走れば、高原のホテル「イジェン・リゾート&ヴィラス」に到着するはずだ。

ホテルで一服しよう。

昼3時を過ぎると森は深くなり、山間の道は左右から樹木が覆いかぶさってくる。

薄く霧が立ち込め、肌寒い。

帰路を考えると、この先に進むのは危険だ。

まさかとは思うが、山中の追い剥ぎも怖い。

進むのを諦め、引き返すことにした。

イジェン山のサンライズ・トレッキングは、準備を整えてチャレンジすることにしよう。


ホテルに帰る前に、バイクで街を流した。

シンガラジャと同じ規模の街を、想像して貰えばいいだろう。

と言っても、シンガラジャがどんな規模かわからないか?

カラフルな風景が、視界に入った。

それは、小さな川の両岸に施された彩色だった。

橋から見えるバラックが、ペイントされている。

川沿いにウッドデッキが張り巡らされ、回遊できるようになっていた。

スラム街に、こんな施している国が増えていると聞いている。

見られては困るものに蓋をしよう、という政策。

生活している人々は、どんな気持ちなんだろう。

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ここから、ホテルは近かった。

一方通行が多くて、何度も同じ道を通っている。

大きなマスジット(モスク)がランドマークになっていて、ホテルを探すのは容易だった。




ホテルに帰ってスマートホンを見ると、

フェイスブックに、10日早朝の地震について知人がコメントしていた。

震源地は、東部ジャワ島。

バニワンギの北方で、意外と近いところだった。

街を徘徊したところでは、地震の被害は見当たらなかった。


夕食は歩いて行ける「レストラン」にした。

バイクで流した時に見つけておいた、今風のレストラン。

何を食べたか覚えていないが、コーヒーは美味しかった。

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もう一泊して、バリに戻ることにした。

明日は1日、バニュワンギ市内観光と町歩きだ。

★続く



posted by ito-san at 16:37| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする