2018年10月29日

その4・突然、思い立ったように小旅行(281)

ギリマヌッの桟橋を離れたフェリーは、30分ほどで対岸の船着場クタパンに近づいた。

桟橋の順番待ちが30分。

接岸するまでの乗船時間は1時間になる。

フェリーのゲートが降りると、さっそくバイクで飛び出す。

ウブド長期滞在は旅の途中だが、久しぶりに旅人になった気分。

旅先にいても、さらに旅をしたくなる。

自称「生涯旅人」は、根無し草体質なのだろう。

表通りに出て、左手に進路をとる。

こちらは国道3号線。

右手は国道1号線で、遠くスラバヤに通じる。

「地球の歩きかた・インドネシア編」は持ってきていないが、何度も見てる。

バニュワンギの地図は、おぼろげに理解している。

「イジェン火口湖」のブルーファイアを見学に行くつもりで、調べたことがあった。

ムラピ山の西側に、1キロメートル幅のターコイズ色をした酸性の火口湖を持つイジェン山。

湖では硫黄採掘が行われている。

ナショナル・ジオグラフィック誌がイジェン山火口の鋼青色の炎を紹介したことにより、観光客が急増した。(wikipediaより)

サンライズ・トレッキングに含まれたツアーがある。

1時間半の登山コースは、バリのバトゥール山と同じレベルだと聞いた。

行けるものなら行ってみたいと思っていたが、一人では心細い。

思っていたほど良くなかったという情報もあったので、見学は80パーセントは諦めている。

宿は、インターネットではなく、行き当たりばったりで探す。

船着場の町・クタパンの街道沿いに宿があったが、町歩きが目的なのでバニュワンギ市内で泊まりたい。

バニワンギの中心部に行けば、宿はあるだろう。

10分ほどで、街に入った。

さすがに交通量が多い。

大きなマスジット(モスク)のある十字路を越えると、すぐ右手に小さなホテルが見えた。

Hotel_Bakti1.jpg

「ホテル・バクティ=Hotel Bakti 」

バクティは、サンスクリット語。

インドネシア語のバクティは、誠実・奉仕などと訳されるが、バリ語では「お祈り」のことを表す。

「お祈り」の丁寧語は、ムスポ。

インドネシア語の「お祈り」は、スンバヤンと言っている。

バクティ・マニアの私にとっては、魅力的なネーミングだ。

名前に惹かれて、立ち寄った。

フロントの女性の対応は、素っ気なかった。

ウブドのホテル・スタッフのようなフレンドリーさを期待した私が間違いだった。

料金は、扇風機付きでRp125,000-。

シンガラジャのホテルよりRp5,000-高い。

新築なのだろう、真新しいホテルは清潔感で満たされていた。

即決。

昼12時前だったが、チェック・インすることができた。

チェックアウトは、昼12時と掲示してある。

Hotel_Bakti2.jpg

Hotel_Bakti3.jpg

フロントに女性に「町の地図は、置いてありませんか?」と訊くと、「スマホで見てください」と返事が返ってきた。

そりゃそうだ、今はネット社会。

グーグル・マップを見ればいいだよね。

残念なのは、その社会に着いていけない私がいること。

まずは、疲れを癒すためにベッドに横になる。

壁に取り付けられた扇風機が、左右に首を振る。

時折、ガクンと首が折れる音を立てる。

けだるく回る扇風機の風とガクンの音が眠気を誘う。

Hotel_Bakti4.jpg

★続く


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2018年10月23日

その3・突然、思い立ったように小旅行(280)

さてさて小旅行は続く。

10月11日、朝7時30分に宿を発つ。

もちろん誰の見送りもない。

ホテル・スタッフの姿も見えない。

昨夜、コーヒーを頼んだら「今、ガスが切れていてできない」と断られた。

朝食も出ない、そんな宿でした。


今日はフェリーに乗ってジャワ島に渡る計画だ。

ご存知のように、バリ島はロンボク島とジャワ島に挟まれている。

東隣のロンボク島にはフェリーで4〜5時間、西隣ジャワ島へは1時間で着く。

今夜はジャワ島最東端の街・バニュワンギに泊まる予定。

バリ島を離れるのは久しぶり。

2年前にビザの取得にシンガポールに行った以来かな。

まずは、フェリー乗り場のあるバリ島の西の端・ギリマヌッを目指す。

シンガラジャからギリマヌッまでは、80キロほど。

長距離なので、バイクの調子が心配だ。

4月4日のバイク事故で、どこか悪くなっている可能性がある。

★「バリ滞在28年初のバイク衝突事故!(194)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/458853034.html

これまでに少しずつ走行距離を伸ばして試してきた。

今回のような長距離は、はじめてだ。


途中、リゾート地ロビナがあるが、それを過ぎると宿泊施設のない村が続く。

故障やパンクが心配だ。

昨日もかなり走ったが問題はなかった。

この調子なら、大丈夫だろうとふんだ。

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ロビナにあったユニークなカフェ

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ロビナにあったレジャーセンター

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プラキ寺院(Pura Pulalki)

mungyangan.jpg
ダイビングポイント・ムンジャンガン島に渡るフェリー乗り場


いよいよフェリーに乗ってジャワ島の渡る。

ジャワ島から長距離バスでバリ島に渡ったことは3度ほどあるが、バリ島からジャワ島へははじめてかもしれない。

いや、インドネシアの友人とジョクジャカルタまで車で行ったこと一度あるのを思い出した。

バイクで渡るのは初めての経験。

それも一人で。

これって、意外と無鉄砲な行動かもしれない。

ゲートの前で警察の検問を受ける。

バイクの車検証(SAMSAT)と免許証の提示を求められる。

車検証は取ったばかり。

免許証は有効期間5年を持っている。

不正に入手した免許証なので緊張したが、問題なく通過できた。

★「運転免許証取得で、もう安心!(179)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/456307983.html

検問を過ぎ、書類に名前を書き込んで、乗船チケットRp25,000-を購入。

時間帯が早かったのか、乗客は少なかった。

あとで知ることになるが、バニュワンギの北東で大きな地震があった。

その影響だったということは、ないですよね。

私は深夜2時45分に、シンガラジャのホテルで揺れを感じた。

「また、ロンボク沖で地震かな。大きな被害がなければいいが」と思いを馳せていた。

そんなことも知らずにフェリーに乗り込んだ。



★続く


ブログを読んでいただいている方から「伊藤さんのブログ、何が言いたいのかわからない」と言われたことがある。

文章が下手なのは、自覚している。

苦手なのに、起承転結を考えずに書いている。

言い訳ですが、私のブログは、何かを言いたいわけではなく、単なるメモと報告です。

今回もそんな感じで終わります。

読み難い点は、お許しください。


posted by ito-san at 17:37| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月19日

その2・突然、思い立ったように小旅行(279)

アグン山の全景を左に見ながら、バリの東海岸をひたすら走る。

噴火の爪痕は、ここからは見当たらない。

山腹に立ち上る白煙は、水蒸気か山火事か、はたまたマグマが流出しているのか。

滝の看板が眼に入る。

かなり以前に行ったことのある滝だ。

滝巡りを再開した私としては、是非寄ってみたいところだ。

沿道からかなり奥まったところにあったのを思い出した。

今回は、体力的にキツイかもと判断して断念した。

テジャクラ村の中心を過ぎた。

もうここは、北海岸だ。

しばらく走ると、海岸とは反対の山側に、異彩を放つ風景が現れた。

もしかすると、これがサイモン画伯のアトリエかもしれない。

山奥にあると聞いていたので、違うかもしれない。

しかし、雰囲気はサイモン・テーストだ。

名前も「ART ZOO」。

ウブドにあったサイモン・ギャラリー・スタジオ(Symon Gallery Studio)にも「ART ZOO」と付いていた。

アメリカ人のサイモン画伯は、1972年からバリに住み始めた。

私が滞在始めた時には、すでにサイモン画伯のギャラリーはチャンプアンにあった。

騒音と車の汚染に犯され始めたウブドを見限って、移動したと聞いている。

見学は次回の楽しみに取っておくことにした。




湧き水のプールがあるイエ・サニ(Yeh Sanih)前で、バイクを止めた。

もうここまで来れば、県都シンガラジャも近い。

昼食にしよう。

プールには、以前、入ったことがある。

併設のホテルに宿泊したこともある。

プールを覗くと、平日ということもあるだろう、お客の姿がない。

寂れた感じが漂っている。

元気を吸い取られそうで、道を隔てた2階にあるレストランに入った。

ここも寂れていた。

チキン・カレーを注文した。


今夜は、シンガラジャ泊。

宿は、昔々、インドネシア製の映画製作に出演した時に、ロケで宿泊した「Duta Karya」と決めている。

看板にはホテルとあるが、私的には商人宿(一泊Rp 120,000-/扇風機付き)の範疇だ。

Duta Karya1.jpg

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■映画の話は「映画「Puputan Margarana」出演(18)」に書いてある。
2013年08月17日「映画「Puputan Margarana」出演(18)」http://itosan-ubud.seesaa.net/article/372195948.html
2013年12月05日「映画出演の続き・その壱(30)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/381958239.html
2013年12月10日「映画出演の続き・その弐(31)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/382353561.html
2013年12月12日「映画出演の続き・その参(32)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/382523379.html


宿のシャワーで汗を流して、ひと休みのあと、バイクで街に出る。

一方通行が多いので、たびたび迷子になったが、ちいさな街なのでなんとかなる。

前回訪問の時に入った映画館は、ショッピング・センターに変わっていた。

オランダ植民地時代の建物が残る旧港は今、市民の憩いの広場になっていて、夜は夕涼みの人々が集まっている。

ローカル向けと思われるお洒落なレストランが増えている。

そんな一件で、夕食をとった。


中国寺院.jpg
旧港近くにある中国寺院


さてさて、明日からの予定だが。

この調子で走ると、明日にはウブドについてしまう。

予定を変更して、いっその事、ジャワ島東部の街・バニュワンギまで足を伸ばしてしまおうか。

実は出発前に、バリ島一周にするかバニュワンギに行くが悩んでいた。

ガイドブックも荷物を持ってきていないが、なんとかなるだろう。


★続く


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2018年10月15日

その1・突然、思い立ったように小旅行(278)

10月10日は、ウブドのサレン王宮で結婚儀礼が執り行われる予定だ。

10日から数日間、王宮を中心として地域で混雑が予想される。

私は渋滞を避けて、遠征に出かけることにした。

反時計回りで、3日間ほどでバリ島を一周しようと思っている。

先ずは、バリ東部の街・カランガッサム県の州都アンラプラに向かう。

もちろん、愛車のスクーピーを駆って。

途中、ゴア・ラワ(Goa_Lawah)でケツ休め。

Goa_Lawah1.jpg

朝8時30分に家を出て、2時間ほどでアンラプラの街に着いた。

この小旅行は、大きな街の市場を巡りたいと考えている。

今日は、ここで1泊するつもりだ。

たっぷり時間を取って、旧市街を1日散策をしたい。

カランガッサム王宮と市場の周辺で宿を探したが、見つからない。

一足進んでウジュン村にある「水の王宮跡」に行ってみた。

1921年、カランガッサムの王によって建てられた「水の王宮」。

1979年の地震により、多大なダメージを受ける。

2004年に史跡公園として整備された。

正式名称「タマン・スカサダ・ウジン=Taman Soeka Sada Ujung」。

何年ぶりに訪問か考えるのも億劫になるほど遠い昔のことだ。

突然に思い立ったこの小旅行は、絶好の機会と立ち寄ることにした。

駐車場にバイクを止め、料金場で入場料を払う。

駐車料:バイクのRp2000-、車Rp5,000-、バスRp10.000-。

入場料:Rp50,000-

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ヨーロッパの庭のような、すっかり綺麗になった公園を散策できる。

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柱だけが残った遺跡。



昼食にはまだ時間があったが、少々小腹が空いたので、何か補充をしておこうと駐車場前のワルンに入った。

選択肢のないメニューで、インスタント・ラーメンを食す。

ワルンの主人の話では、奥様が以前、トゥンクラ村で日本人のベビーシッターをしていたという。

私の知っている日本人だった。

「このあたりに宿はないですか?」と尋ねると、主人は「アメドまで行けば安宿はあるよ」と教えてくれた。

アンラプラに戻るのを諦めて、先に進むことにした。

海岸沿いを走ってアメドに向かう。

アメドに近づくにつれ、ホテルが増えてくる。

ここはバリ東部のリゾート地域。

リゾート気分ではないので、漁港アメドまで、いっきに駆け抜ける。

右手に広がる景観をチラ見しながらの走行は、かなり危険です。

アメドには安宿らしいところがあるが、いかんせん、ダイビング目的のツーリストが闊歩しているのでスルーした。

今回は、ロスメンと呼ばれる商人宿に泊まろうと決めている。

もちろん料金が安いからだが。

時間は午後1時。

このまま、ブレレン県の州都シンガラジャまで行こうか。

旅の目的である「各街の市場を巡り」の計画が、崩れつつある。

心が、東ジャワのバニワンギに傾き始めた。

行き当りばったりが私の旅行スタイル。


昨年9月のアグン山の噴火以降、東側はアグン山から6キロの地域内は、立ち入り禁止になっていた。

今年に入って噴火警戒レベルが3に下りで、危険区域が4キロの範囲までに縮小されている。

アメドからシンガラジャに向かう一部地域が、6キロ圏に含まれていて、それまでは走行できなかった。

トランベン村にあった日本人経営のホテルが廃虚となっていた。

アグン山噴火より以前に閉店していたようだ。

このあたりの風景は、ウブドの豊富な緑を見ている私には、サバンナのような殺伐さを感じる。

以前、「極楽通信・UBUD」で「もうひとつのバリ」と紹介したことがある。

アグン山の麓付近で、煙が立ち込めていますが、山火事でしょうか、水蒸気の靄でしょうか?

噴火の爪痕は、見られない。

動画を御覧ください。



★続く



posted by ito-san at 17:06| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月09日

ゴアガジャ寺院の創立祭でチャロナラン舞踊劇(217)

9月24日から始まったゴア・ガジャ寺院(Pura Goa Gajah)の寺院創立祭(オダラン)。

最終日の10月4日は、チャロナラン(Calonarang)舞踊劇が奉納される。

Pura_Goagajah1.jpg

古代遺跡「ゴア・ガジャ」内にあるプラで上演されるチャロナラン舞踊劇は、1年前に鑑賞している。

その時に、ウブドで見るチャロナラン舞踊劇とは、違った感触を受けた。

同じ芸能でも場が変わると、こうまで空気感が違うのかと感じた。

Pura_Goagajah2.jpg


もう一度、ゴア・ガジャ寺院の空気を感じたくて、鼻風邪気味だがマスクをして出かけた。

夜10時少し前に、寺院に到着。

白と黄色の布で飾り付けられた寺院は、ハレの姿に輝いていた。

開演は10時と予想したが、チャロナラン舞踊劇が始まったのは11時だった。

バロン・バンカル、バロン・ケケ、シシアン、テレック、ジャウック、ゴンブラント続いた。

深夜0時前に、クラウハン(Kerauhan)儀礼は終了した。

クラウハンとは「神と合体して会話し、自ら神として行動し、無限の享受を味わう。神が憑依した霊的な状態」を言うのだそうだ。



突然、背後から魔女ランダが登場した時には驚いた。

一瞬、息が止まったかと思うほど苦しくなった。

驚いて息を止めたのは確かだが、苦しかったのは鼻にティッシュが詰めてあったからだった。


クハオハンの騒動が落ち着いたところで私は席を立って、「象の洞窟=ゴア・ガジャ」と呼ばれる洞窟に向かう。

深夜0時30分、誰もいない洞窟に入る。

洞窟内も白と黄色の布で、ハレの姿になっていた。

普段は、電気が点いていなくて真っ暗闇だが、オダラン期間中は、お祈りする人があるため明るくしてあるようだ。

暗いほうが神秘的ではある。



左側奥にガネーシャ神(Ganesha)、右側奥には3体のリンガ(Linga)が祀られている。

それぞれのリンガはヒンドゥーの3大神、シヴァ(Siva)、ヴィシュヌ(Wishnes)、ブラフマ(Brahma)を表している。

洞窟内でお祈りした後、再び奉納舞踊のチャロナランを鑑賞する。

Pura_Goagajah3.jpg

終演は深夜3時だった。


★「トランス・その1(喧嘩神輿)」http://informationcenter-apa.com/gt_trance1.html
★「トランス・その2(集団トランス)」http://informationcenter-apa.com/gt_trance2.html
★「ゴア・ガジャ」http://informationcenter-apa.com/kb_goagajah.html
★「チャロナラン舞踊劇」http://informationcenter-apa.com/gk_calonarang.html
★「魔女ランダ」http://informationcenter-apa.com/gk_rangda.html



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2018年10月02日

滝巡り再開!@ Kanto Lampo Waterfalls (216)

個人的に盛り上がっていた「滝巡り」だが、7月25日の誕生日以来、遠のいていた。

念願のツインの滝を制覇してから、熱が冷めてしまったのかもしれない。

先日、滝の情報が知人からもたらされた。

何度も通っているバン村(Bang・Gianyar)にある「Kanto Lampo Waterfalls」だった。

グーグルで調べたコースと違うコースを教えられた。

こちらからだと、ウブドから30分とかからない。

情報で写真を見る限り、あまり期待できない。

近場だということで、行く気になった。


9月26日。

2ヶ月ぶり「滝巡り」。

ウブドから30分以内という近距離にあるフォトジェニック・スポット。

Kantolampo1.jpg

バイクを道端に止めて、20段ほどの階段を降りる。

途中の小屋で、入場料Rp10,000-を払い、さらに階段を降りていく。

欧米人ツーリストと正装したバリ人とすれ違う。

正装のバリ人は、階段に途中にある泉の湧くペジ寺院でお祈りをしていた。

ペジ寺院を右に折れると、水着姿のツーリストが大勢いた。

正装に包まれたバリ人と、ツーリストの水着姿が対照的で「どんなかな?」と疑問に思った。

水着の女性の横を抜けて先に進む。

右の崖から水が湧き出ている。

足元の岩場が、水に濡れて滑りやすい。

川に降りる階段は、岩場に作られていて、こちらも危険なほど滑る。

私は、手摺につかまって、屁っ放り腰で降りて行く。

Kantolampo2.jpg

フォトジェニック・スポットは、川を入った先にある。

流れ落ちる滝を背景に、楽しそうにポーズをとるのが、定番のようだ。

天気の良い日は、川で泳ぐのもいいだろう。

水着持参をおすすめする。

私は、川に入らずに動画を撮った。

上り下りする階段も、他の滝スポットより少なくて、楽チンだ。

フォトジェニック・スポットとしても合格点をあげられる。




(撮影:2018年9月26日)

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2018年08月29日

合同火葬儀礼の季節って?(215)

バリ島は、毎年7月から9月の間、合同火葬儀礼の季節になる。

火葬儀礼は、バリのヒンドゥー教の大切な儀礼。

マジャパイト王朝時代(14世紀)に入ってきたもので、それまで庶民は土葬であった。

ジャワのヒンドゥー教の影響を拒絶したバリ・アガと呼ばれている村では、今でも土葬か風葬(遺体を地上に放置)だ。

個人葬が主流だった時代から、合同葬として、何年かごとに村で一括して行うことが増えている。

合同葬の場合、個人葬に比べて、各遺族の経済的負担が軽くなるという利点があるからだ。

それまでは、数年から10数年、中には数10年も仮埋葬したままの遺体があった。

インドネシア政府は、疫病の心配があるとして、一つの村で2年から6年の周期で火葬を行うように指導している。

合同火葬儀礼は、ガベン・マサル(Ngaben Masal)と呼ばれる。

個人火葬儀礼の場合は、スードラ階層は「ガベン(ngaben)」、トリワンサ階層(プダンダ、クシャトリア、ウエシャ)は「プレボン(plebon)」という。


8月16日、私がお世話になっているテガランタン村が合同火葬儀礼の日だった。

火葬儀礼は、ダラム寺院前の広場で行われる。

広場は、仮埋葬の場でもある。

カーストを持った家族のエリアと持たない家族のエリアとに分かれていた。

その時、初めて目にする光景が2つあった。

ひとつは、エリアから離れた場所で、ささやかな儀礼を行っている集団だ。

知り合いのバリ人に、この疑問を尋ねると、

このグループは、小さなうちに亡くなった子供たちの儀礼だという。

歯が生える前に亡くなった子供だ、と答えが返ってきた。

他の知人からは、ティガ・オトン(ウク暦210日で1年で、3年目の通過儀礼)を行っていない子供だ、と教えてくれた。

人間としての通過儀礼であるポトン・ギギ (Potong gigi)が終わっていないからだろうか?

疑問は残るが、これは課題にしておこう。


もう一つの疑問は、一体だけ全体とは違う方角を向いているプトゥルガン(棺桶)だ。

これは、この家族に聞いた。

彼らは、パセック(pasek )親族集団の一つであるプラサリ(pulasari)一族とのこと。

プラサリの一族だけが、東方が望めるように、遺体の頭部が西側に安置される。

ダラム・バトゥレンゴン王が君臨するゲルゲル王朝時代(16世紀)に、それまであった曖昧な階層は、王国中心の階層に塗り替えられた。

パセック(pasek )親族集団は、ゲルゲル王朝時代以前からあったバリ土着に集団。

プラサリは、ダラム・カルカンの子孫で、王族の跡目争いから逃れるために、パセックの農民に身を隠した。

その後、王宮に戻りたいと許しを請うたが「一度、野にくだった者は、農民として暮らせ」と許しを得ることができなかった。

この一族が、パセック・プラサリと呼ばれている。

頭の向きは、それと関係しているのかもしれない。

王族としての、遺体の位置を違えることで威厳を保ったのかもしれない。

いや、まだまだ知らないことがたくさんある。

だから止められない、バリ島滞在。





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2018年08月15日

やっと、お礼を伝えることができた(214)

8月4日。

バイク事故から、まる4ヶ月が経った。

事故直後、現場近くのホテルの青年スタッフが、親身になって世話をしてくれた。

その時のことは、まだ記憶に新しい。


バイクが横転した状態から素早く抜け出し、エンジンを止めた。

ここまでは冷静で速やかな行動だった。

立ってはいるが、全身が痛みで悲鳴をあげている。

死にいたるような怪我ではないのは、わかる。

何をどうしていいのやら判らない状態で、呆然としている。

後方、15メートルほどのところで、ガンという音がした。

振り返ると、私にぶつかったバイクが倒れていた。

音を聞きつけた人々が、ワラワラと現れる。

一人の青年が「大丈夫ですか?」と、私に声をかけてくれた。

あとの数人は、後方のバイクに向かったようだ。

私は、返事をしたのかどうか覚えていない。

右手からは、血が滴り落ちていた。

リュックから日本手ぬぐいを出して傷口を縛った。

手ぬぐいは、すぐに真っ赤になった。

青年は、私のバイクを起こし、押していった。

私は、彼のあとについていった。

近くのホテルの駐車場まで運んでくれた。

「ここに座ってください」フロントの椅子を指差した。

青年の服装を見て、ホテルのスタッフだと理解した。

ホテルのエントランスを汚すわけにはいかないので、中に入ることを拒んだ。

道路に面した方に向かい、エントランスの段差に腰を下ろした。

少し気持ちが落ち着き、全身をチェックする余裕ができた。

手ぬぐいを解き右手甲を見ると、小指と薬指の間の切り傷がかなり深いのが見えた。

出血は、ここからだ。

右手ヒジ、左右の足のヒザ、左右の足首に擦り傷がある。

打撲もしているようだ。

重傷というわけではない。

安心をしたら、状況が見えてきた。

いつまでも、ここにいるわけにはいかない。

私はスマホを取り出し、友人に迎えに来て欲しいと伝えた。

青年がミネラルウォーターを差し出した。

これで傷口を洗えと言っているのだ。

私は、彼の好意に甘えることにした。

渡されたミネラルウォーターで傷を洗う。

「友人が迎えに来るまで、もうしばらく、ここにいさせて欲しい」と頼んだ。

次には、消毒用に、赤チンを持ってきてくれた。

化膿の応急処置を施してくれている。

どこまで親切なスタッフだ。

赤チンを傷口にかける。

傷の痛みで、赤チンのしみる痛みを感じない。

青年は、友人が迎えに来るまで、ず〜と側にいて、心配してくれた。

床の汚れもそのままに、私はバイクを運転して「和食・影武者」に向かった。


世話をしてくれた青年に、まだ、お礼をしていない。

青年にお礼を述べておかないと、見舞いの寄付をしていただいた人々の暖かい行為に背くことになるような気がする。

それよりも自分の気持ちが許さない。

ほとんど毎日、時には昼夜の2度、青年の勤めるホテルの前を通り過ぎる。

気になっているので、前を通る時には必ず覗くようにしている。

横見は危ないけどね。

青年の顔が見えたら声をかけようと思っているのだが、未だに姿を見かけたことがない。

こうして、4ヶ月が過ぎてしまった。

記憶が色あせてしまう前に、是非、お礼を伝えたい。

シフト勤務で、会えないかもしれないが、伝言だけでも置いていこう。

皆んなで分けられるように、人気店のケーキを買って持ってホテルを訪れた。

フロントにいた青年は、事故の時に世話をしてくれた青年に似ている。

「4ヶ月前、ここの前でバイク事故をした者ですが」

青年は、覚えていてくれたようで「あの時は、私だったです」と、顔をほころばせた。

「傷は大丈夫ですか?」

さっそくケガの心配をしてくれる。

「ありがとう。すっかり良くなりました」

私は、何度もお礼を言った。

これで、思いがけずおこった災難の区切りがついた。

青年の名前は、エディ君。

出身は、クルンクン県パクサバリ村だった。

毎年クニンガン祭礼日に繰り広げられる「喧嘩神輿」で有名な村だ。

私は、何度も見学に行っている。

次回の喧嘩神輿は、エディ君の勇姿を見に行こうかな。

そんな約束をして別れた。


エディ君の勤務先は「yoga ubud villa」

yogaubudvillas.jpg

▪︎Address: Jln.Sri wedari no.999 ubud-Bali
▪︎TEL:+62 361 9082525
▪︎Email:booking@yogaubudvillas.com
▪︎Web:www.yogaubudvillas.com

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2018年08月05日

天変地異の脅威にさらされて(213)

「和食・影武者」の女将・由美さんは、毎週土曜日が休日。

出勤しない日に、私のスペシャル・夕ご飯は用意されない。

そんなわけで、土曜日は他の店で夕食をとることが多い。

以前は、毎週のように「和るん・あんかさ」に行っていた。

「あんかさ」に、コテツちゃんが顔を見せなくなってから、足が遠のいた。

コテツちゃんは、「あんかさ」のオーナー・カデちゃんの旦那様。

こんな説明は、いらないか?

最近、コテツちゃんが夜8時頃から店に居ることが多くなり、私の立ち寄る頻度も高くなった。


28日(土)

「あんかさ」で夕食。

コテツちゃんと大原さんと3人で雑談をしながら、時折、テレビの画面に目を向ける。

テレビでは、日本のニュースが流れていた。

海岸線の道路に、高波が押し寄せている映像だった。

続いて、台風12号が日本に上陸する予想図が出た。

愛知県を直撃するかに見える台風は、Uターンして関西方面に進路を変えようとしているらしい。

これは大変だ。

西日本は、7月6日から降り続いた豪雨で被害を被ったばかり。

未だに復旧されていない状態で、さらに追い打ちをかけられるのか。

これ以上の被害を受けなければいいが、と心配になる。

「バリも2〜3日前から、高波の被害を受けているよ」

コテツちゃんが教えてくれた。

波打ち際に建つ住宅やホテル、ワルンやレストランに被害が出ているようだ。

「流木は高波にさらわれて、海岸は綺麗なものだった」

大原さんが情報を提供してくれた。

海岸からゴミがなくなるのは喜ばしいことだが、海からなくなったわけではない。

波に打ち上げらえていないのは、海中に漂っているからだ。

海岸のゴミの山や海中を漂うゴミを、ニュースで目にすることがある。

観光地としてのイメージを著しくダウンする画像だ。

ゴミ問題の解決を急がなければ、観光地としてのバリの地位も危ぶまれる。

個人的には、せっかく見つけた流木の穴場が砂を被って埋没してしまったことが悲しい。

サーファの知人は、波が高くてありがたがっていた。


29日(日)

寝床で地震を感じた。

目覚まし時計を見ると、6時50分を指していた。

外では家族が騒いでいる。

私は、どうにでもなれという思いで、再び眠りにつく。

その後は、普段の日常に戻った。

インターネットでニュースを検索。

ニュースでは、29日午前7時(日本時間同8時)前、マグニチュード(M)6.4の地震があった、と報じている。

震源地は、ロンボク島のリンジャニ山付近。

震源の深さは7.5キロ。

国家防災庁は、少なくとも14人が死亡し160人以上が負傷したと発表した。

死亡した中には、観光客も含まれているようだ。

隣の島で死者の出るほどの地震が起きたことに、大きなショックを受けた。

幸いバリは震度2.5ほどで、被害は出ていない。

バリに震度6以上の地震があれば、造作の甘いバリの家屋は全壊するところが出るだろう。

私は、違う意味でも軽いショックを受けていた。

週末が予定で埋まったので、週明けの月曜日にロンボク島に行く予定をしていた。

それは、明日(30日)だった。

ウブドからパロマのシャトル・バスに乗り、ギリ諸島のアイルと呼ばれる小島に渡るつもりをしていた。

目的地のギリ諸島も、途中に立ち寄るマタラムの街も地震の被害を受けている。

週末に渡っていれば、私も被害に遭っていたかもしれない。

これは運が良かったと言える。

バリではアグン山の噴火、ロンボクでは地震、日本では大雨と台風。

人智で及ばない天変地異の脅威にさらされている。


30日(月):16.00

在デンパサール日本国総領事館から、メールが届いた。

1)29日,西ヌサ・トゥンガラ(NTB)州ロンボク島北東部において,M6.4の地震が発生し,その後も余震が断続的に続いています。

2)同島に滞在されている方や渡航を予定されている方におかれましては,土砂崩れや家屋が倒壊している当該地域への来訪は避け,関連する災害や事故に巻き込まれないよう安全確保に努めてください。

3)万一,関連する災害や被害にあった方または被害にあった方を認知した場合には,総領事館に御連絡ください。

4)なお,この地震を受け,リンジャニ山の北側斜面に土砂崩れが生じた模様であり,現在登山禁止措置が執られています。


台風は、その後、九州南部・奄美地方を抜けて遠ざかって行ったようなので安心した。

バリの高波もおさまりつつある。

ロンボク島の地震も小康している。

私は、流木拾い&ロンボク島行きを、しばらく様子を見ることにした。


★7月5日:再びロンボクでマグニチュード(M)7の地震があった。
私が体感したのは、午後7時50分。


posted by ito-san at 15:48| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月30日

ツインの滝 @ タバナン県(212)

バイク事故に遭って(4月4日)から、そろそろ4ヶ月になろうとしている。

怪我の回復に合わせて、少しずつバイクの走行距離を伸ばしている。

遠出ができないので、滝巡りはご無沙汰だ。

バイク・ツーリングをしたい欲求が芽生え始めた。

前々から気になっている、タンブリンガン湖の近くにある滝に行きたい。

今日25日は、私の71歳の誕生日。

久々に晴れ間が見えたので、思い切って出かけることにした。

滝の名前は「Twin Waterfalls」。

片道2時間のバイク・ツーリングになる。

途中で雨に降られたら、諦めよう。

それより、右手の怪我がどのくらい耐えられるかが心配だ。


ノンストップで、インスタグラム・スポットの丘に到着。

怪我の痛みも疲れも思ったより少ない。

目的地の「Twin Waterfalls」は、この先だ。

途中、滝の案内看板がいくつもある。

タンブリンガン湖が左手に見え隠れする道の右手に、目的地の看板を見つけた。

「Twin Waterfalls」の正式名は「Banyumala Twin Waterfalls」だった。

ここから先は、急坂を下る道になる。

車のわだちにコンクリートが敷かれ、二本の線が続いている。

コンクリートは、ところどころ割れ目ができている。

自動車とすれ違うため、バイクを止め、道の端に退けた。

走行に、かなり神経を使う。

右手に負担がかかったが、どうにか滝の近くまでたどり着いた。

青年に駐車料金Rp2,000-を払い、バイクをさらに先に進ませる。

空き地にバイクを止め、歩いて入場料金所まで行く。

無理すれば、ここまでバイクで来られそうだ。

今の私のテクニックでは、危険だろう。

滝までの道は、行き(下り)はヨイヨイ、帰り(登り)は地獄だった。

ツインの滝と聞いていたので、二筋の滝だとばかり思っていた。

滝については、これ以上は説明をしません。

気に入ったので、角度を変えて何度も動画を撮っています。

編集も長いものになってしまった。

では、動画で楽しんでください。



入場料金所で働く18歳の青年と話をした。

彼の誕生日は、7月20日。

私は「おめでとう!」と言って、手を差し伸べた。

握手をしながら「私は今日が誕生日だよ」と言うと、笑顔でお祝いの言葉をかけてくれた。

そのあと、庭で育てている果物や植物の話を聞いた。

この地域は、コーヒー豆とブンガ・スリブを生産している農家が多いと言う。

ブンガ・スリブは、たくさんのブンガ(花)という意味のインドネシア名。

インドネシア人は、ピサン(バナナ)・スリブのように、たくさんあることをスリブと表現するようだ。

バリ語の名前は忘れた、と言っていた。

ブンガ・スリブは、紫陽花(あじさい)のことだった。


昼食は、帰りに立ち寄ったチャンディクニンの市場でとった。

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市場では、お土産にイチゴを3パック買った。

一個は下宿の大家さん家族に、一個はいつもお世話になっている「和食・影武者」のスタッフに、あと一つは今夜の夕食のデザートにする。

「和食・影武者」での夕食は、友人たちが私の誕生日を祝ってくれた。

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この日は、好天と友人に恵まれた1日でした。

感謝!


posted by ito-san at 13:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする