2016年09月22日

BENAR(正しい)& SALAH(間違い)(86)

昼過ぎに起床。

外は、カンカン照りのバリ陽気。

今日(21日)の予定は、ゼロ。

まったく、することが浮かばない。

こんな日は、どこにも出かけず部屋で本でも読んでいるに限る。

お腹は空いていないが、取りあえず昼食にしよう。

トゥブサヨ村の「ワルン・サリ・ラサ」で、ナシゴレン。

ここのナシゴレンは、腹痛でも、空腹でなくても食べられる。

ナシゴレンを食べたら、元気がでてきた。

ジリジリと肌を刺すような太陽の陽射し。

よし、今から流木拾いにでかけよう。

日射病になりそうな暑さの中を、なぜか出かける気になっていた。


途中のトゥンクラ村に入って思い出した。

数日前、「和食・影武者」で、SATORUさんから、聞いていた情報。

http://furuyasatoru.com・HAPPY UBUD DAYSの悟さんです)

トゥンクラ村のプセ&デザ寺院入口前に、掲げられた看板のことだ。

看板は、寺院に入る正装についての注意書き。

「BENAR(正しい) 、SALAH(間違い)」が、写真で説明されていると言う。

ウブドのプセ寺院の看板は「 DRESS WITH RESPECT!!、FULL ADAT ONLY!! 」と英語で外国人ツーリスト
に注意を呼びかけている。

英語訳できないけど、きっと「厳粛な伝統衣装の正装で!」と呼びかけているのだろう。

FULL_ADAT_ONLY.jpg

トゥンクラ村の寺院に、ツーリストが参拝することはあまりない。

BENAR、SALAHは、インドネシア語。

悟さんは、地元の人に呼びかける注意だろうと言う。

大テーブルで情報を聞いた常連客は、看板を見ていないが、口々にかってな意見を飛ばす。

「地元のバリ人に、注意を促す必要はないだろう」

彼らは、すでに正装については心得ていると言う考え方だ。

「それに、バリ人に対するならバリ語で書くのではないか」

「バリ人でないとすれば、他の島から来るインドネシア人を対象としているのでは」

どちらにしても、不可解な情報であった。

「次回、写真を撮って持ってきます」の悟さんの発言で、この晩はお開きになった。


寺院へ行く場合の正装についての注意事項。

女性の場合、上半身には袖付きのクバヤ(ブラウス)、下半身にはカマン(腰布)を着け、腰にはスレンダン(帯)を巻くのが一般的です。

髪の長い方はまとめます(既婚女性はサングル付けたりと、まとめ方があります)。

色使いは特に決まった決まりはないようですが、生地・デザインとともに流行があります。

男性は、上半身には袖つきのサファリ(シャツ・ジャケット)を着て、下半身にはカマンを巻いた上にサプッ(腰巻き)を巻いてからスレンダンで締めます。

頭には、ウダンと呼ばれるはち巻をします。

色使いはサファリとウダンを白(または白系の色)にし、サプッを黄色あるいは白にします。

寺院に行く際は、事前にシャワーを浴びるなどして体をきれいにした後で正装しましょう。

境内でのカメラのフラッシュ撮影は禁止。

祭司やご神体より高いところにあがらない。

生理中、出産後間もない方、近親が亡くなって間もない方、けがで出血をしている方、飲酒している方は残念ながら、寺院に入れません。

以上を守れば、気持ちよく参加できるはず。

ルールを守れば、地元の人々もこころよく受け入れてくれます。

・・・とはいっても、必要以上にドキドキしなくても大丈夫。

わからないときには周りの人たちをよく見て、行動を。

これは、アパ?情報センターのホームページ・オダラン情報に記載されているものです。


そして、私は見ました。

大きな赤いバッテンのついた「SALAH」の看板。

これは、バリ人に対しての注意書きだ。

悟さんは、正しかった。

benar.jpg

女性の正装については、毎年のように流行があり、クバヤの色・デザイン、カマンの巻き方にも工夫が見られます。

結婚式などのお祝い事の儀礼なら許される正装も、いざ寺院となると厳格になる。

では、何が SALAH(間違い)か。

▲長い髪をまとめていない(女性)。

▲女性の短い袖、男性のベスト。肌を見せないのが基本です。

▲カマンがだらしない(男性)。

▲女性の場合、カマン(腰布)の合わせ目から、足首より上の生足がのぞくのはアウトです。

カマンのように巻かないタイトスカートタイプの便利でオシャレなサロンが流行しています、これも、スリットからおみ足が見えるのが SALAHのようです。

都会なら許されそうな正装も、トゥンクラ村の田舎ではまだまだ市民権を得られないのかもしれませんね。


プルナモ(Purnama)海岸、炎天下の流木拾いは、収穫ありでした。

さてさて、何を作ろうかな?



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2016年09月16日

ウブドの変則十字路の意味(85)

ウブドの道路には、変則十字路、T字路、S字カーブが多い。

Jl.rayaubud2008.jpg
サレン王宮の変則十字路(撮影:2008年)

ハヌマン通りのT字路.jpg
ハヌマン通りとウブド大通りとのT字路


Cat Cafe Ubud7.jpg
プンゴセカン通りのS字カーブ


何故だろうか?

それは、バリ人の風俗習慣に関係する。

彼らは、悪霊は真っすぐにしか進めなくて行き止りがあると右往左往する、と考えている。

だから辻には、必ず、悪霊を鎮めるため祠が建っている。

深夜、辻々に、犬がたむろするのは、そこに何らかの霊的パワーがあるからだろう。

屋敷の門をくぐってすぐ正面にある、背の低い壁も悪霊除けだ。

悪霊除けの低い壁は、アリン・アリン(=aling_aling)と呼ばれる(丁寧語も普通語も同じ)。

各家々で、工夫を凝らして作られている。

作られていない家もあるようなので、必須ではないようだ。

aling_aling1.jpg

aling_aling2.jpg
悪霊除けの壁・アリンアリン

壁にぶつかって、引き返す悪霊も罪がない。

悪霊がはびこっていると考えるところがバリらしい。

沖縄にも、そんな魔除けの壁があると聞いている。

インドネシア語の「チャンプール」は、沖縄の「チャンプル」と同義語らしい。

もしかして、ルーツが同じかも。


バリ人の住む地域の道路は、ほとんどが変則十字路、T字路、S字カーブの構造になっている。

村々では、村はずれの結界だと思われる場所がそうなっている。

たいてい、そこには寺院がある。

pura2016.jpg
S字カーブに建つ寺院


交通量の少ない時代には、自動車&バイクのスピード緩和に役立っていた。

年々交通量は増え、道幅が狭いため交通渋滞を頻繁におこしているのが現状だ。

と言って、道を拡張してバリのユニークな風習が途切れるのは問題だ。

ウブドは、この村規模のまま発展させたい。

『 流入車両の規制と駐車場の完備 』

これしか、問題解決の方法はないのだろうか?


posted by ito-san at 18:19| 愛知 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月09日

虫に刺されて寝正月(84)

ガルンガンは、ウク暦の最大の祭礼日。

正月のようであり、お盆のようでもある。

三が日は、当日ガルンガンと前日プナンパハン、翌日マニス・ガルンガン。

毎年言っているが、滞在者の私が観光客だと実感する日。

今回は、寝正月だった。

実は、4日の早朝のこと。

寝床の中で左足の小指と薬指の付け根に、針で刺されたようなチックとした感覚がした。

急いで飛び起き、付け根を見たが、刺された跡は見えない。

蜂の仕業だと思ったが、蜂の姿は無い。

こんな狭い指の間に、蜂が入り込むことはないか。

痛みも残っていない。

再び寝床に着いた。

しばらくすると、今度は左手の小指と薬指の付け根に同じ感覚の痛みが来た。

付け根を見るが、刺された形跡は残っていない。

ムカデかもしれないと、ブランケットをはたいてみた。

何も出てこない。

手の指の付け根なら、ムカデの動きはわかるはず。

虫に刺されたのではないとすると、身体の中からの反応か。

内蔵のどこかが悪いのかもしれない。

足と手との違いはあるが、同じ左で小指と薬指の付け根。

ここに何か符号があるのか。

少し不安になる。

とにかく横になることにした。

足はなんともないが、手の方がカユミをともなってジワジワと痛くなって来た。

見ると、手の甲が腫れていた。

みるみる小指が太くなり、腫れは肘のあたりまでに達した。

5日、知人からカユミ止めのクリームをもらった。

効果てきめん、カユミ、痛みは止まった。

やっぱり虫さされだったのだろうか?

左手が不自由なため、三が日は寝正月となった。



虫に刺される前に、撮っていた動画をアップします。

8月末、「アパ?情報センター」の掲示板・Web版自由筆記帳に、質問があった。

「モンキーフォレスト大駐車場のその後は、どうなっていますか?」

モンキーフォレスト東通りの大駐車場(3)」で報告してしてから、8ヶ月が過ぎている。

私も気になっていたので、現場に行って来ました。


大駐車場入口に、電光掲示板が建った。





駐車場は、完成当時の一年ほど前と変らず、稼働しているのは四分の一程度。

利用台数が少ないのは、路上駐車が可能だからだろう。

全面駐車禁止にしない限り、ウブドの渋滞は解消されない。

流入車両に対して駐車場が足らない。

指数を出して、行政が駐車場経営をバックアップする必要があるのではないだろうか。







posted by ito-san at 16:55| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

かごめ、かごめ・・・?(83)

バリの祭礼日「ガルンガン」。

9月6日:プナンパハン

9月7日:ガルンガン

9月8日:マニス・ガルンガン

この期間、ツーリストの私は、いたって暇な時。

読書に耽ることにした。

手にした本「ダレカガナカニイル・・・」著者:井上夢人に、「かごめ」歌詞について面白い解釈が載っていた。

ご存知の方も多いとは思いますが、私には初耳の話なのでメモして残すことにした。


かごめ、かごめ

 籠の中の鳥は、いついつ出やる

夜明けの晩に、鶴と亀がすべった

 うしろの正面だあれ


子供の頃に、こんな歌を唄った覚えはありませんか?

私は、覚えがあります。

歌詞のほうは、今、考えてもさっぱり意味がわからない。

かごめは、カモメじゃないことを私は知っている。

名古屋出身の人はカゴメと言えば、まず「カゴメ株式会社」を思い起こす。

それは私だけか。

カゴメ株式会社は、名古屋が本社の飲料、食品、調味料の大手総合メーカー。


本には、鶴と亀がつっぺったの歌詞がある。

鶴は宇宙を現して、亀は大地の象徴。

つっぺったは、突っ入ったと書き、突入する意味とある。

歌詞にでてくる“かごめ”は、竹で編んだ籠の目だ。

鳥かご.jpg

「カゴメ株式会社」も古くは、籠目の六角形のロゴ・マークを使用していたと記憶している。

籠目の六角形に星形の目は、ユダヤ民族を象徴するダビデの星と同じ。

イスラエルの国旗などにも使われている。

イスラエルの国旗.png

日本の籠目は、厄除けの力があるという。

伊勢神宮の燈籠にも、籠目が刻まれている。

何か奥深い物を感じるが、調べることは止めにした。


書物内の新解説ですが。

本文から抜粋しました。

「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やるー

鳥というのは、大空を翔るものの代表でしょう?

宇宙を翔るものー真理を追い求めるものってことね」

「宇宙の真理が現れるのはいつでしょう。

そう歌は問いかけているの。その問いに対してー夜明けの晩に鶴と亀がつっぺった。

うしろの正面だあれ。と歌は答える。

夜明けの晩というのは、朝でも夜でもない時間、だから時間など超越した境地に達した時ということね。

そうなった時、鶴と亀がつっぺったー

宇宙と大地と、つまりすべての存在が突然出合うことになる。

なにもかもが融合するの。

そして、それがかなえば、うしろの正面だあれー

それまで知覚できなかったものを知ることになるでしょう、と言っているんです」

新解釈は私には難しくて、私が解釈することは避けました。


地方により歌詞が異なるようなので、それもメモしておきました。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ

かごめかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもお鳴きゃぁる(お鳴きやる) 八日の晩に 鶴と亀が滑ったとさ、ひと山 ふた山 み山 越えて ヤイトを すえて やれ 熱つ や(お灸を据えて、やれ熱や)

籠目籠目 加護の中の鳥居は いついつ出会う 夜明けの番人 つるっと亀が滑った 後ろの少年だあれ?

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だぁれ?

ウィキペディアには、そのほかさまざまな説が載っていた。


ガルンガンは浄化儀礼。

浄化された心は解き放たれて、人間本来の心を取り戻す。

これ、「かごめ」の新解釈からヒントを得た、私の「ガルンガン」新解釈。



posted by ito-san at 18:27| 愛知 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

ホームセンター・エース(82)

私の買い物と言えば、ほとんどが日用品だ。

フットワークを軽くするため什器の購入を控えているし、バイクで運ぶことのできる程度の大きさの物しか買わない。

ウブド内のコンビニかスーパーで用は足りている。

スーパーは、チャンプアン橋を越えたサンギンガン地域の「ビンタン」に行くことが多い。

アンドン地域にある「デルタ・デワタ」の方が価格が安いようだが、レジが混んでいることが多いので避けている。

それでも、ウブドの変則十字路の交通渋滞が著しい時には、「デルタ・デワタ」にバイクを走らせる。

コンビニは、地元民が値段が安いと噂するプリアタン村南部の「アルファ・マート」がメイン。

あとは、都合に合わせて最寄り店に行く。


バトゥブラン村に、バリ南部にあるホームセンターの「エース=ACE」の支店が開店したのは昨年のことだったか。

クタの「エース」に行った時、男心を誘う道具&工具類の品揃いに興奮したのを覚えている。

そんな店が、ウブドからバイクで30分の距離に開店した。

こりゃ行くしかないだろう。

ACE1.jpg

ACE2.jpg


クタの「エース」に比べて小規模だが、それでもウブドでは見られない商品があるので、私には充分満足。

最初の買い物は、電気ドリルだった。

これがあれば、細かい作業の効率があがる。

一台目は、ドリルの先がブレルという致命的な欠陥商品だったので交換してもらった。

モビールを作ったり、ルドラークシャに穴を開けるのに、現在活躍中です。


次に買ったのが、シュラーフザック。

略称、シュラーフ。

寝袋とかスリーピングバッグとも言う。

今回の引っ越しでは、部屋を広く使いたいために、ベッドを置かなかった。

作業スペースをとるために、移動可能なシングルサイズのクッションを「デルタ・デワタ」で購入した。

クッションの上で、シュラーフにくるまって寝ている。

schlafsack.jpg

アウトドア派の私は、テント生活が希望だ。


機能的に優れたリュックサックも手に入れた。

リュックともザックとう言う。

rucksack.jpg

知合いから頂いたリュックサックも、傷んで来た。

見た目も汚れている。

コロンビアの旅を無事に終えた僚友は今、大事に保存されている。


時々、裏庭でルドラークシャを拾うついでに、落ち葉掃除をしている。

バリ人のようにホウキでは、うまく集めれない。

短いホウキは、腰を疲れさせる。

熊手を探していたら、「エース」にあった。

rake_熊手.jpg

日本では、竹や太い番線で出来た熊手がある。

竹が豊富にあるバリで、なぜか竹の熊手を見かけない。

見つけたのは、プラスチックの熊手だった。

柄は、アルミ製。


裏庭の掃除が終わったら、ハンモックでも買おうかな。

木々に渡したハンモックで、のんびり揺られたい。

揺られながら、畑から収穫した野菜を生かじり。

いいな。

セノ家の家族と友達を招いてバーベキューもいいな。

夢は広がる一方だ。

あれっ!(首を傾ける)

荷物を増やさないと言いながら、「エース」がオープンしてから買い物、増えてないか?


posted by ito-san at 23:15| 愛知 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

小型スーパー・マッサーズの役割 (81)

一週間前、居候先のイブにミニャッ・クラパ(ココナッツ・オイル)を作ってもらった。

イブのアルバイトになればと、「ウブド・本の交換会」で試しに売ることにした。

今回は、8月20日に「和るん・あんかさ」での開催だ。

ミニャッ・クラパを、小瓶に小分けしなくてはならない。

小瓶は、100mlと250mlを購入してある。

小分けに使う道具は、ジョウロだったかジョウゴだったか。

いつも迷う。

先日、畑に水をやるために購入したのがジョウロ。

漢字にすると、如雨露。

ジョウロは、露とあるので水を撒く道具とわかる。

ジョウゴは、漏斗(=ろうと)ととも言う。

さっそく、ジョウゴを買いに、ウブド南部プリアタン村にある小型スーパー「マッサーズ=MASSA'S」へ。

ウブドには「デルタ・デワタ」と「ビンタン」と2つの中型スーパーがあるが、こんな雑貨の買い物の時は「マッサーズ」に限る。

MASSA'S1.jpg

店内に入って、真っ先に店員を捕まえた。

捕まえたのはいいが、ジョウゴのインドネシア語を私は知らなかった。

調べて来ていない。

ジョウゴは「口の狭い容器に液体を注ぎ込む道具」で「上方が朝顔の花のように開き、下端が細く尖っている」。

片言のインドネシア語で、これを説明した。

やり取りに5分くらいを費やして、やっとこさ理解してくれてた。

インドネシア語でジョウゴは、corong。

チョロンと発音するようだ。

名は体を表す、ジョウゴらしい名前だ。(かな?)

5メートルほど先の陳列棚に並んでいた。

この位置なら、店内を物色すれば、すぐに見つけられた。

MASSA'S2.jpg

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「マッサーズ」は、日常雑貨の種類が豊富にあるので、チョットした物を探す時に立ち寄る。

ローカル色豊かな、コンビニエンス(便利)な店だ。

バリ人の日常使われる道具が、雑然と所狭しと並んでいるところが良い。

日本では、見られない道具類にも興味が引かれる。

例えば、料理やお菓子作りの道具。

ブリキの道具も可愛いし、台所用品もユニークだ。

まないたが、丸太の輪切りなのがバリらしい。

営業時間&定休日を聞くのを忘れた。

まっ、いっか。


ミニャッ・クラパの瓶ずめは無事終了した。

100mlをRp20,000-で、250mlをRp40,000-で販売する予定。

minyak_kelapa.jpg



posted by ito-san at 14:58| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月09日

ウブドの水道事情(80)

マス村(5日)、ペネスタナン村(6日)の合同火葬儀礼も終わり、ウブド近郊では残すところプリアタン村(20日)だけとなった。

まったく関係のない私にも、どことなく醸し出している慌ただしさが感じられるウブド。

加えて、ハイシーズンを迎えたウブドは今、観光客が歩道に溢れ活気づいている。

昼2時頃から5時近くまでは、交通渋滞でお祭り騒ぎのようだ。

合同火葬儀礼の話も、もう食傷気味だなと考えていたら、ブログのアップが滞っていた。

ネタも枯渇しているし、このまま、しばらく休んじゃおうかな。

と思ったが、小さなネタが見つかった。

pasar_ubud.jpg
ウブド公設市場


この頃、我がセノ家は、時々、断水する。

ハイシーズンを迎えて、ホテル&ヴィラの利用者が増えたせいだろうか。

断続的に降る雨の量が減っているのも原因だろう。

日中は暑いので、シャワーは必須だ。

ウブド近辺の川は汚濁が進んでいて、昔のように川で水浴びというわけにもいかない。

バケツに貯めたおいた、もしかのための水を使って、急場をしのいでいる。

断水を想定しての “もしか” です。


テガランタン村は、昔から、井戸の枯れる地域だった。

上水道が敷設されるようになって、井戸は埋められた。

当時、井戸と上水道の併用は、許されていなかったと記憶する。

パチュン家もそうだったが、セナ家も枯れた井戸は埋められている。

上水道になってからも、テガランタン村は断水が多い。


上水道は、公共が供給している。

給水制限がされることもあるので、事前にタンクに水を貯めて使っている。

井戸を復活させている家もある。

税金がかかるが、上水道と井戸を併用だ。


以前、井戸は手掘りだった。

1990年、「和食・影武者」の井戸も人力で掘った。

直系1メートル20センチほどの穴を掘っていく。

穴が深くなると、掘った土をバケツに入れて上に上げる。

狭い穴の中での作業は、動きずらそうだ。

地上には、バケツを上げ下げする助っ人がいる。

何度も何度もバケツが往復する。

掘り手は、不安定な縄梯子を伝って下りていく。

10メートルも掘り進むと地下の空気が薄くなって苦しいだろうが、そんな素振りをみせない掘り方さん。

掘り方さんは、地下水の湧き出る地点まで掘りすすむ。

今回は、12メートル掘ることになっている。

少しづつ水が溜まってくる。

底に溜まる水に潜って土を掘っていく。

眼を真っ赤にして井戸から出て来る職人さんを見て、感動と感謝した。

危険がともなう仕事。

年々、井戸掘り師は少なくなっていると聞いている。


今は、スムールボル(Sumurbol)がある。

鉄パイフを水圧で地中に挿していく“スムールボール”と呼ばれる井戸掘り手法だ。

Sumurbol.jpg

高校生の頃にアルバイトでやったことがある、ウエル・ポイント工法だ。

工事現場の地下水を汲み上げる鉄パイプを挿す。

現場の水を確保する時にも、施す。

人力で、4〜メート5ルほどのパイプを何本も刺していく。

掘り抜き井戸のスムールボルは、50メートルの水脈まで打ち込むことができる。

ウブド近郊は、もうこの深さでは水が出なくなって来ている。

ホテル&ヴィラ、別荘など建築ラッシュが原因だと言われる。

プールは、中級クラス以下の宿泊施設にまで完備されている。

場所によっては、100メートル前後も打ち込まなければ水脈にあたらない。

公共水道局の水が枯れ、一般家庭に供給できないこともたびたび。

農業にも影響を及ぼして来ている。

交通渋滞は一部地域だが、水の確保とゴミ処理はバリ島の深刻な問題だ。

このまま開発が進めば、一般市民の社会生活にも支障をきたすだろう。

早急な解決が望まれている。


※バリ島滞在記「ウブドに沈没」3月・28)建築現場はショックの連続


posted by ito-san at 15:49| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月01日

ウブドの交通渋滞緩和の将来は?(79)

この頃のウブドの天気。

一日に、曇&雨&晴の揃い踏み。

短いと30分おき、長くて2〜3時間おきにと、めまぐるしく変化する。

晴れ間は嬉しいのだが、断続的に降る雨は困り者。

我が家を出る時に晴れ間だった空は、パダンテガル村のハヌマン通りに入ると雨が降り始める。

慌てて雨具を着るが、一キロ先のプンゴセカン村は降っていない。

アスファルト道路に、降った形跡も見えない。

ウブドは、雨の地域が、まだら模様に存在する。

「和食・影武者」の食後、雨が上がってから帰路につく。

タマン村のスリウェダリ通りから、パラパラと雨模様。

この程度の雨なら雨具はいらない。

テガランタン村に入ると、大雨。

あと500メートルほどで我が家だ。

突っ走れ!

今夜も濡れた。

「風邪に、ご注意ください」天の声


交通渋滞の時に降る出す雨は、バイク乗りには苦行だ。

雨合羽を取り出すタイミングが難しい。

私は、濡れ鼠のことが多い。

「くれぐれも、風邪にご注意ください」天の声


ウブドの交通渋滞は、相変わらずだ。

現在は、プンゴセカン村のガソリンスタンドがあるT字路が、異常な渋滞を起こしている。

中華系の観光客がバリに訪れるようになって、ウブドに大型観光バスが乗り入れるようになった。

この頃から、ウブドの渋滞が始まったと考えられる。

2010年頃、外国人滞在者から「大型バス通行禁止」のキャンペーンが盛り上がった。

2016年02月22日:■大型観光バス乗り入れ反対(33)にも書いた。

大型観光バスが、モンキーフォレスト通りとハヌマン通りを通行すると大交通渋滞をまねく。

ウブド市場前での、乗下車も渋滞を巻き起こしていた。

その頃、トゥブサヨ村のダラム・プリ寺院の広場は、大型観光バスの駐車場となった。

交通渋滞を引き起こす原因のひとつだった、大型観光バスを収容している。

駐車料金の収入は、ダラム・プリ寺院の修復費などに当てられると聞いている。

モンキーフォレスト通り&ハヌマン通り通過する大型観光バスが減り、また、ウブド市場前で乗下車していたのを止めたお陰で、渋滞は少々緩和された。

モンキーフォレストの大駐車場、スゥエタ通りの駐車場、民間の月極駐車場も増え、徐々にではあるが改善されつつある。

shunsetu3.jpg
ダラム・プリ寺院前の駐車場

シャトルバスが運行しているのを発見。

ダラム・プリ寺院に駐車する大型観光バスの乗客を送り迎えしているようだ。

トゥブサヨ村から徒歩でウブド市場方面に向かう観光客に対する、送迎サービス。

ボディにバリ風景のイラストが描かれたシャトルバスが、4台待機している。

シャトルバスは、ダラム・プリ寺院が運営していると聞く。

収益金は、寺院の運営費に割り当てられるそうだ。

shuttlebus.jpg

この位の大きさのバスなら、渋滞も少なくすむだろう。

一台50,000〜100,000ルピアで、チャーターできる。


モンキーフォレスト通りの大型観光バス乗り入れは、激減した。

しかし、交通渋滞は続いている。

ウブドの交通渋滞の原因は?

そろそろ抜本的政策を強行しなくてはいけないのでは。

「抜本的政策」とは。

今、考えています。


posted by ito-san at 23:08| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月29日

69歳の誕生日を迎えて(78)

7月25日をもちまして、69歳を迎えました。

1年前の68歳の誕生日は、南米コロンビアのサレントで迎えた。

お祝いのメッセージが、フェイスブックで繋がっている友達からたくさん届いた。

遠く離れていても「一人じゃないんだ」という心の支えとなった。

25年間のウブド滞在から脱皮しようと、様々なことを考えてのサレント滞在。

南米コロンビア版「寝床を探す旅」は、思いのほか高揚することがなく、潔く退去することにした。


やっぱりウブドは、居心地がいい。

ウブドに戻った今年も、大勢の仲間からお祝いのメッセージをいただいた。

ついにと言うか、やっとと言うか、69歳。

70歳の区切りを前にして、やり残したことは無いか? と自問する。

来年の誕生日は、3度目のアグン山登頂を目標にしている。

目標に向けて体力作りでもしようかな。

一緒に登ってくれる人、募集しています。

「みんなで登れば、怖くない」


そして、必ず巡ってくる70歳。

残りの人生、どうやって過ごそうか。

どちらにしてもたいしたことはできないが、悔いの残らない一生で終わりたい。

今生は、変貌するウブドを見届けることにした。

それが私の使命のような気がしている。

皆様の暖かい応援を励みに、これからも精進していきたいと考えています。

今後とも、よろしく。


※誕生日の日に行ったプルナモ(Purnama)海岸。

purnama.jpg

3週間前は、午後3時到着で満潮時だった。

潮の満ち引きの時間は、日々変ると聞いて、この日は2時到着にした。

当てずっぽうに出かけた時間は、干潮が始まるところだった。

波高し。

あいにく、流木はゴミ共々姿を消していた。


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2016年07月25日

開いてて良かった「カキ・リマ・ベンシン」(77)

ウブド地域に、ガソリン・スタンドの一号店がオープンしたのは、1998年のテガス村(マス方面)だった。

ガソリン・スタンドは「ポンパ・ベンシン(Ponpa Bensin)またはプルタミナ(PERTAMINA)」と言わないと、バリでは通じない。

ポンパ・ベンシンができるまでは、雑貨屋(ワルン)でガラスビンに小分けして売られていた。

Kaki-Rima-Bensin1.jpg

雑貨屋の店先に「PETROL」書かれた看板を出している。

ウブド大通りはもちろんだが、村道沿いには軒並み(100メートルおき)に見つけられた。

そんな雑貨屋は「カキ・リマ・ベンシン」と呼ばれていた。

古くは、台車(カキ・リマ)で出し入れしたことから付いた名前だろう。

たいていが、一瓶5,000ルピア。

「10,000ルピア」と金額で注文すると、2瓶を入れてくれる。

瓶から、濾過布のついたプラスチックのジョウゴに注ぐ。

Kaki-Rima-Bensin2.jpg

そんな話を、ウブド村徒然記「カキ・リマ・ベンシン(33)」に書いてある。


ポンパ・ベンシンの2号店は、テガス・カンギナン(Tegas Kanginan)村の2001年。

続いて、アンドン地域の2005年。

プンゴセカン村は、2006年に開店。

ポンパ・ベンシンの出店で、近辺の「カキ・リマ・ベンシン」は姿を消した。

ウブドでは、遠く離れなければ見つけることが困難なほど激減した。

現在、大きな街を繋ぐ幹線道路にはポンパ・ベンシンがある。

村々を繋ぐ村道には、まだまだカキ・リマ・ベンシンが残っている。

Kaki-Rima-Bensin4.jpg
サバ村近郊のカキ・リマ・ベンシン(撮影:2016年7月25日)


ウブドで生き残っている「カキ・リマ・ベンシン」もある。

そんな店が、この頃、写真のようなガソリン販売機を店頭に置き始めた。

「PERTAMINI」の見慣れた文字。

ちがった!

見慣れた文字は、国営石油会社の社名「PERTAMINA」だ。

この販売機は、PERTA-MINIだ。

MINIは、プルタミナのミニ版と言う意味か。

販売機は、プルタミナから7〜8,000,000ルピアで購入するらしい。

手回しだけど、グレードアップな感じだ。

10,000ルピアで、ポンパ・ベンシンでは1.52リットル。

PERTA-MINIのオヤジは「10,000ルピアで1.5リットルくらいかな」んて、曖昧なことを言っている。

pertamini.jpg

ウブド生活者の私は、アンドン&プンゴセカンのガソリン・スタンドを利用している。

時々、ガソリンメーターがレッドゾーンの時がある。

時計の針は、交通渋滞の時間帯をさしている。

こんな時には、近くの「カキ・リマ・ベンシン」に急ぐ。

開いてて良かった「カキ・リマ・ベンシン」。

ガラスビンからハンド吸出機?(呼び名を知らない)に持ち替えたイブ(お母ちゃん)は、多いに戸惑い気味。

こうしてウブドは、様変わりしていくのであった。


posted by ito-san at 17:48| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする