2024年05月18日

【皆さまにお知らせとお願いがございます】

お待たせしました。

皆様、お待ちかねの企画です!

シェア&拡散のご協力、よろしくお願いいたします!

8352009523749430678.jpg


関 将さんからのメッセージ!

昨年9月に和子さんが無くなった報を頂いて直ぐ、居ても立っても居られなく9月末にバリ島へのエアチケットを購入しました。

お別れ会の1週間後の到着でしたが、伊藤さんらと個人的な送別会的な集まりの際に、和子さん、スウェントラさん、スアール・アグンの想い出の文集的なものを作りたい、という話になりました。

それが発展して、このようなコンテンツを作る運びとなりました。

皆さんからの文章、画像、映像を送って頂けますでしょうか?

以下、案内の文章となります。

【バリ島を、ジェゴグを、スアール・アグンを愛するみな様へ】

ご存知の方が多いと思いますが、「スアール・アグン」創立者であるイ・クトゥ・スウェントラ氏が2018年5月10日に、スウェントラ氏と共にジェゴグ復興に尽力した奥様の和子さんが2023年9月10日にお亡くなりになりました。

このご不幸の間にコロナ禍が重なり、かつてあれほど人気だった「スアール・アグン」の活動も、ここ数年思うようにできていないのが現状です。

多くの日本人ファンを魅了したジェゴグが人々の記憶から消えてしまう前に、スウェントラさん、和子さんご夫妻を偲ぶメモリアルをデジタルコンテンツとして残せないだろうか。

そんな思いから、「ジェゴグ復活ドキュメンタリー制作プロジェクト」を立ち上げました。

そこで、皆さまに以下のふたつのお願いがあります。

@クラウドファンディングにご協力ください

スウェントラご夫妻やスアール・アグンの功績をドキュメンタリー風のデジタルコンテンツとして制作する資金を募ります。ぜひこのクラウドファンディングにご協力ください。 
 
詳しくは、このプロジェクトのクラウドファンディングをご覧ください。

アクセスはこちら。
https://camp-fire.jp/projects/view/756887

●なお、クラウドファンディングのお支払方法は基本的に日本で発行されたクレジットカードかpaypay などのオンライン決済になります。

この方法が不可能な方は伊藤までご相談ください。

A思い出の写真、動画、コメントなどを送ってください

デジタルコンテンツは、ゆかりのある方々へのインタビュー、思い出のコメント、画像・動画などで構成します。

そこで、ジェゴグファンの皆さまにこの企画に参加していただきたいのです。

掲載可能な画像があったら、ぜひお送りください。

思い出のコメントも募集しています。

皆さまから寄せられた素材をコンテンツに活用させていただきます。

詳しくは、このプロジェクトのクラウドファンディングをご覧ください。

アクセスはこちら
https://camp-fire.jp/projects/view/756887

「ジェゴグ復活ドキュメンタリー制作プロジェクト」実行委員

関将

伊藤博史 

中谷薫

西村久美子

posted by ito-san at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ウブドにラーメン店が増えている! ラーメン専門屋「you & mie」

ウブドのラーメン屋1号店は、アンドン十字路西南角のオープンした「イダバグース・ラーメン」。

現在、不動産屋「Ubud Property」になっている。

開店年を正確に覚えていないが、「居酒屋・影武者」1991 年に開店したあと、1992〜3 年にオープンした

日本食「漁師」と同時期だと覚えている。

正確な開店年をご在知の方がいらっしゃったら、情報を待ってます。

イダバグース・ラーメンは数年後に閉店してしまったが、餃子が美味しかったのでよく通った。


バリにも、ラーメンに似たものがある。

中国人が伝えたと思われる麺類で、ミー(Mie)と呼ばれている。

もっともポピュラーなのが、ミー・アヤム=鶏肉入りスープ麺(外国人の来店がある店では、メニューにチキンヌードルとある)。

ミーを炒めたものをはミー・ゴレン(焼きそば)で、肉団子(牛肉or魚肉)入りのスープ麺をミー・バッソと言う。

ウブド大通りとハヌマン通りのT字路近くに、デンパサールが本店の「ミー・アヤム・ジャカルタ」は、人気店だった。

ここのミー・アヤムは、スープと麺が別々の器で出てくる。

それをミー・アヤム・ジャカルタと呼ぶらしい。

なぜ、ジャカルタというかわからない。

スープを一口、麺を二口。

麺の器にスープをぶっかけて、3種類目の味を楽しむことができる。

あっさりした味は、私の好みだ。

今はない。
 

「イダバグース・ラーメン」が姿を消して30年ほどがたった今、ウブドはラーメン店の激戦地になっている。



取り敢えずグーグルマップ記載されていた店を紹介します。

●Fu Shou Noodle lub=アンドン通り

●You & Mie=スクマ通りトゥブサヨ

●Mie Kuy Ubud=スクマ通りトゥブサヨ

●En Ramen and Bar Ubud=ハノマン通りパダンテガル

●La-Mien=ゴータマ通りパダンテガル

●KIMI RAMEN=ゴータマ通りパダンテガル

●Ramen Dining Kazumi=ゴータマ通りパダンテガル


私の知る限り「イダバグース・ラーメン」の後に開店したラーメン専門店は「you & mie」。

「you & mie」のオープンは、2018年3月6日。

激動のコロナ禍を過ごし、現在は人気店のひとつになっている。

6年ぶりに、訪問してみることにした。

場所は同じスクマ通りで、以前の店より南下している。

初店より、倍ほど広くなった。

メニューには、オープン当時と同様にチキン・ヌードルと書かれている。

menyu.jpeg

ローカルのミーアヤム味とは一味違い、チョッピリ日本風味でラーメンと呼んでも許せるかなというところ。

当時Rp20,000-だったチキン・ヌードルは、現在(小)でRp35,000-。

会計で、ミネラル飲料+税金で=Rp55,000-だったのは、(大)Rp45,000-の間違いかな。

私はスモールを頼んだつもりだったが、サービスされたのはビッグだったのかな。



posted by ito-san at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月14日

プダンダ(高僧)・プマンク(僧侶)の奏でるグンタ(鈴)を求めて!(535)

ウブドを徘徊していると、どこからともなく清んだ音が聴こえてくることがある。

清んだ音の正体は「GUNTA=グンタ」と呼ばれる鈴。

グンタは、聖職者であるプダンダとプマンクがマントラとともに、バリ人の信仰するヒンドゥー・ダルマの儀礼で使用する。

リ〜ン リ〜ン! 澄んだ音色が聞こえると、今、お祈りをしているところだろうと想像できる。

寺院祭礼のお祈りの場に立ち会うと、瞑想的なグンタの音に心が洗われるのを感じる。

境内を長く響き渡る、鈴の音が好きです。

少し、グンタについて説明します。

グンタは、神の武器(神器)一つです。

Nawa Sangga.jpeg

方位はカンギン(東)、神はイスワラ神、・色は白、音はサンになります。


◼️五元論・パンチョ デワォ=Panca Dewa(グンタ「5」、デワォ「神」)
ヒンドウーの教義では、東西南北とその中心という5つの方位が、それぞれの方位に対応する神、神の武器(神器)、色、音、聖数などと結びついた形で、宇宙の秩序原理をなすという考え方がある。

◼️五元論・ナワォ サンゴ=Nawa Sangga
パンチョ・デワォに北東、南西を含めた九元論

◼️十一元論・九元論に上と下の方位を合わせる
ヒンドゥーではもっとも高次の秩序原理。
ブサキ寺院で行われる100年に一度のエコダソ・ルドロ=Eka Desa Rudoraに見られる。


説明が長くなりましたが、それでは本題であります神器グンタを求めてて俳諧の巻。

今回は、グンタを購入したいという、シンギングボール奏者の友人のお供です。

私も興味があったので、喜んで同行した。

クルンクン県スマラプラ市にパンデ(鍛冶屋)階層が多く住む村がある。

Pudak通りの沿道に小さな看板が出ている。




ウブドからバイクで40分ほどで、到着。

看板が出ている家を、軒並みというか、片っ端から訪問する。

グンタを扱うのはほとんどが家内工業で、バリ人のお宅訪問というスタイルだ。

1.jpeg

屋敷内にショーケースを置いて、販売している。

ショーケースには、グンタ以外の神具も並べられていた。

グンタは、クニンガン=Kuningan(真鍮)製で大きさはマチマチで、鈴の直径によって音色が違う。

直径が大きくなるほど、低音になる。

友人は、一つ一つの音色を丁寧に聞いている。

グンタを使ったヨガや瞑想を企画して、選別も真剣だ。


私的には、長く響き渡る音が好みのようだ。

説明はこのくらいにして、あとは動画でご覧ください。


posted by ito-san at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月07日

ウブド滞在34目にして思うことは、日本に帰国!(534)

IMG20221217174518.jpeg


二度と帰るつもりのない決心で、日本を脱出した。 
 
日本を離れ、終の住まいを探す旅だ。

最初に訪れたのがバリ島。

2日目には、ウブドに居た。

1990年5月7日、私はウブド滞在を初めた。

42歳の春です。

今年2024年で、34年目ということででいいですよね。


バリ島は常夏。

日本から来たひとりの中年バックパッカー。

節約旅行の長期滞在なので、ホームステイに居を構えた。

初めての訪問地で、当然、知り合いはいない。

宿の家族とは、すぐに仲良くなった。

散歩の途中で声を掛けてくる村人とも、顔見知りになった。

村人とは仲良くなっていくが、日本人の知り合いはいない。

滞在が長期になっていくうちに、宿で知り合う日本人や、ナイトマーケットで知り合う日本人が増えていく。

しかし、ほとんどが数日で離れていくバックパッカー。

節約旅行を終えて日本に戻る人、これから旅が始まる人。

チェンマイ、ベトナム、インドと行き先はマチマチだ。

世界一周旅行に出発した若者もいた。

夢を抱いた彼らの旅は、まだまだ続く。

中期滞在者と知り合った私は、島内を旅した。

当時、入れ替わり立ち替わりで20名ほどの日本人がいただろうか。

30数年前のバリ。

楽しかった。

ジェゴグを知ったのは、この時だ。

多くの旅行者を見送った。

「また、帰ってくるから!」涙を浮かべての約束でも、あてにならないことを知る。


こうして、ウブドに沈没。

国外退去も辞さない覚悟の旅行者なので、何も怖くない。

長期滞在を考えた時には、偽装結婚も考えた。

労働ビザを取得せずに、居酒屋・影武者を営業。

イミグレに脅された時には「逮捕してくれと!」叫んだ。

不良外人だった。

今は改心して、自称模範ツーリストである。

30年滞在すれば永住権を取得できるかもしれないという期待は、みごとに裏切られ、諦めざるを得なくなった。


そして34年目に考えたことは、日本帰国だった。

33年間、四季を体験せずに暮らしてきた。

日本帰国も私にとっては、旅の続きという考え方。

不安も多いが、旅だと思えば我慢もできるだろう。

7月15日で77歳の喜寿だ。

寿命は80歳までと、考えている。

あと3年。

もう少し生き延びそうで怖い。

これまで、バリの神々に守られてきたかのように、運良く生き永らえてきた。

日本に帰らない決心をしたウブド生活だったが、体力的に不安になり、金銭的にも最悪。

もう仕事ができる能力もないので、日本帰国にさいしては、生活保護の恩恵に預かろうと考えています。

死ぬこともままならない、路上生活者になる自信もない。

知人には、生活保護を受けることは、公言しないほうがいいですよと、アドバイスされたが、それは私の本心ではない。

今回は、ウブドの戻らない覚悟で本帰国です。

本人的には、そんなに悲観的ではないので、心配無用です。

若いからこそできた人生。

年寄りには年寄りの楽しみ方があるはず。

それを探そう!

パソコンが使えなくなって、SNS等の更新できなくなるかもしれませんので、ご容赦ください。

posted by ito-san at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月26日

ウズベキスタンのナシゴレン「Plove」を食べてみた!(533)

1.jpeg

バリ島にロシア人が増えつつあるという噂は、コロナの流行以前からあった。

ウブドには、ロシア村と揶揄されて呼ばれる村がある。

ことの発端は「コワーキングスペースPARQ」ができたからだ。

広大な敷地に、ノマドワーカーの拠点「パルク・ウブド」が出現したのは、2019年初頭。

詳しくは;伊藤博史のブログ|生涯旅人
「コワーキングスペースPARQを徘徊! @ Ubud・Bali(408)」をご覧ください。
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/485673543.html


特に、ウクライナとの戦いが始まって以来(2022年2月24日)、急増しているのは、肌で感じている。

徴兵を逃れる若年層が世界中に移民していると聞く。

ウブドには、ロシア村ができてしまうほどロシア人が長期滞在している。

バリ島中で20,000人、ウブドで数千人はいるだろう。

ロシア村発信源「パーク・PARQ」 @ テガランタン・ウブド・Bali




そろそろ、今回の本題に入ろう。

ロシア人が増えている割には、ロシア料理店が見つからないのだ。

彼らは、どこで何を食べているのだろう?

気になるので、時間がある時には、探し回っている。

ロシア料理のレストランを探しているうちに、ウズベキスタン料理の店にぶちあたった。

レストラン名は「Buhara Chaihana Balic」。

クトゥ村ティルタタワール通り(Jl.Tirta Tawar)にあります。

グーグルマップの口コミには、ピラフの美味しい店とあった。

焼き飯・チャーハン・ナシゴレン・ピラフに目のない私は、早速視察。

ウズベキスタンのナシゴレンは「Plove」と言うらしい。

メニューには、steamed fried rice cooked on fire oak, raisin,carrots and young lamb. と記されている。

料理法に特徴があるようで、説明を受けたが理解できませんでした。

相変わらず食レポはできませんが、美味しかったです。

3.jpeg


ところで、ウズベキシタンっていう国はどこにあるの?

ウズベキスタンは中央アジアの国で、旧ソ連の構成国でした。

あなたは、知っていましたか?

もちろん、私は知りませんでした。

ブログは書いているタイミングで知人が、ウズベキシタンを旅しています。

私も行きたいな!

追記:ウブドにあるロシア料理店をご存知の方は情報を待ってます。




おまけの情報
久しぶりに遭遇した!
背伸びしないと用を足せない便器。
身長178センチの私でも、爪先立ちます。

5.jpeg
posted by ito-san at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月15日

私は親権を妻側に委ねた男!(532)

437347933_7796263813757054_2448802937191406995_n.jpeg


この頃、 X(=ツイッター)に「共同親権」という言葉が頻繁に上がってくる。

親権については、離婚経験者なので理解しているが「共同親権」は耳新しい。

それが今、国会で、共同親権制度を強行裁決しようとしていた。

わずか10日のスピード審議だそうだ。

どこから浮上して、なぜそんなに急いでいるのかわからない。

私のような政治オンチには、どんな思惑があるのか、まったく理解できない。


親権は、親の権利ではなく子供に対する責務。

共同親権制度が導入された場合、どんな問題が危惧されるのか?

離婚の原因が児童虐待だった場合、被害の継続や拡大がありうる。

それは、子供にとって不幸なことだ。

もちろん夫婦間の暴力もある。

離婚が成立したら、二度と連絡を取りたくない人もいるだろう。

私でさえ、これぐらいは思いつく。

共同親権が採決されて浮上してくる問題点は、私の頭脳では思いつかないほどあるだろう。

それはこれから勉強していくとして、今は「共同親権に反対!」の声を上げておく。 



今回は「親権」に関連した、プライベートな話を書いてみた。

私は親権を妻側に委ねた男。

海外旅行を計画していた私は、住民票の申請に市役所を訪れた。

受け取った住民票は、養子だったはずの私の名前が、元の姓に戻っていた。

カウンターの女性に、その事を聞くと「奥様がご両親と見えて、離婚の申請をしていきました」との答え。

息子は、妻の両親の養子になっていた。

私は離婚した覚えはないし、息子を養子に出した覚えもはない。

「こんなことが相談もなく、勝手にできるんだ!」と唖然とした。

しかたなく、旧姓にもどった住民票を受け取った。

同じ屋根の下で暮らしながら、何の話し合いもなかった。

離婚の理由はわからないが、私の生活力のなさだとは想像できる。

妻の両親と姉妹が望んんでいるのなら、修復は無理だろう。

息子には、可哀想だが、従うしかない。


家庭裁判所からの呼び出しがあった。

調停委員は、離婚の理由は伝えず、健全な両親の援助がある妻側に息子を引き取らせることを提案した。

日本の親権は、妻側が有利な単独親権。

それが私の常識だった。

子供のことを考えれば、それで良かったと思っている。


私のケースは、息子が成人して、本人が父親に会いたいと考えるまで、会うことは許されない。

どうせ会えないのならと、私は息子とは同じ土地に住むことを拒み、行き先も告げず日本を離れることにした。

息子に、別れの言葉もなく姿を消した

二度と日本には戻らないことを覚悟した、終の住処を探す旅となった。

そして、バリ島ウブド村に長期滞在して34年。

8歳で別れた息子は、20歳になって会いに来てくれた。

空港の歓迎ロビーに、子供から大人に変化した息子が立っている。

「おう、久しぶり!」

涙の対面にはならず、ミョウチクリンな声をかけていた。

会う前には、あれも言おう、これも聞こうと思っていたのに、照れていたのか言葉にならない。

しかし私の心は、12年間の空白を一瞬に埋めていた。

最後の荷物を取りに行った日、息子は私の車を、泣きながら追っかけた、と話してくれた。


親の離婚の被害者は、子供達だ。

離婚の理由には、様々なケースがあると考えられる。

親権についても、様々なケースに対応できる解決策が必要になるだろう。

「共同親権」については、今後も注視していきたいと思っている。

posted by ito-san at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月09日

内緒にしておきたい情報「インディゴ染めの店2軒」!(531)

インドネシアの国土は東西に広く、アメリカ合衆国の幅と同等の長さに17,000を超える島々を抱える群島国家。

その横長の国を東西に二分して、バティック&イカットの布の文化が分布する。

バリ島を含む西の島々にはイカットが、ジャワ島を含む東の島々にはバティックの伝統が残っている。

イカットに興味を持ちロンボク島、スンバワ島、スンバ島、フローレス島と巡ったことがある。

それぞれの土地に特徴があって、興味深い旅だった。

バリ島のイカットは、日本の絣模様に似ている。

インドネシアのバティックは、2009年10月、ユネスコの世界無形文化遺産に認定されて脚光を浴びている。

バティック&イカットの詳細は、ここでは説明しないので各自で学習してください。


バリはイカット文化が根付いている地域だが、近年はバティックも生産している。

今回は、バリのバティックについて取り上げてみた。

文化遺産に認定された伝統模様のバティックでなく、モダンな図柄に出会った。

染料もインディゴ、私の大好きな藍染だ。

伝統柄の良さは理解できるが、それよりも好きな色と柄が見つかったのです。

日本の伝統模様を大柄にアレンジして、キャンパス布に藍染されている。

力強い仕上がりには存在感があり、時を経て色あせたとしても、温もりを残してくれることを約束してくれているようだ。


ウブドにあるバティックの店を二軒紹介したい。

@『 IKATBATIK=イカットバティック 』

ウブドで有名な藍染の店。

モンキーフォレスト通りの南端にある。

1.jpeg




ファサードは狭いけど、店内に入ると中庭を挟んで素敵な展示スペースが点在している。

ikat batik2.jpeg

ikat batik3.jpeg

ファブリックはもちろんだが、インディゴカラーの陶器、アクセサリー、雑貨小物がセンス良く展示されている。

品揃いも豊富で、購買意欲をそそられる。

なぜか、シンギングボールもあった。

オーナーは以前、「Gaya Ceramic And Design」でマーケティング担当として実績を積んでいる。

「なるほど!」と納得できる経歴だった。




A『 Indigo Batik Pejeng 』

こちらは、ペジェンの王族が経営する工房。

王家の後継は、村人思いの芸術家で、村人の雇用のために始めたビジネスだと聞いている

バティック制作風景も見られます。

もちろん販売もしています。



ペジェン村の王族が経営する藍染の工房「Indigo Batik Pejeng」を見学!


posted by ito-san at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月04日

あの坂本龍一氏も訪れたマンディ場 @グヌン・カウィ寺院 スバトゥ村(530)

友人からのメッセンジャーに、家族の近況報告とユーチューブ動画が送られてきた。


動画は「1985年 音楽の旅はるか 坂本龍一YAS-KAZU バリ島」だった。


神々と電子音楽の饗宴




友人は、坂本龍一の超々崇拝者。


坂本龍一33歳の姿とバリの風景に感動する。


動画の中でマンディ(水浴び)する場面がある。


どこだろうと、場所が気になって、何度も見返した。


テロップには「プジョン」とある。


スバトゥ村で、録音したという話は有名だ。


もしかするとプジョンは、プジュン=Pujungのことだろうか。


プジュンなら私も知っている。


グヌン・カウィ寺院(Pr.Gunung Kawi)スバトゥが位置する集落がプジュンだ。


村人は、この辺りをプジュンと呼ぶのが通例。


余談だが、テガラランのライステラスは、村人にはチキン(Ceking)テラスと呼ばれている。


坂本龍一とヤスカズが入ったマンディ場は、スバトゥのグヌン・カウィ寺院だと確信を持った。


あとは、確認するのみ。




そして、愛バイク・スクーピーを転がして行ってきました。


ウブドから北上すること約10キロ、テガラランのライステラスを過ぎた、小さな村。


パサールのある十字路を右折。


メイン道路を外れるので、少し不安になるほどの田舎道をしばらく走って左折すると、左手に見下ろす形で寺院が見えてくる。


グヌン・カウィ寺院 スバトゥは、見下ろしたことはあるが参拝したことはない。



バイクを止め、ローカル価格Rp20,000-を払って入場

8.jpeg


門を入ると、右手に鯉が泳ぐ池が見える。

7.jpeg


May Peace Prevail On Earth(世界人類の平和でありますように!)の表示板

ウブドにもあったのを思い出す

2.jpeg


奥の寺院にいる村人が、お供えの花とお香を用意してくれる

5.jpeg



故・坂本龍一氏 とヤスカズ氏が入ったマンディ場



正式には、ムルカット(聖なる沐浴)場です。


1985年の映像では門柱に、右側が男子(pria)で左側が女子(wanita) の表示になっていますが、現在表示はありません。


マンディとして使用されていた頃は、男女別のマンディ場だった。


いつの頃からか、左右どちらも使うムルカット場になったということでしょう。


正装はしてきたが、濡れても良い準備をしてこなかったので、ムルカットは次回に持ち越すことにした。





posted by ito-san at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月24日

34年目にして、マディ・クルトネゴロ氏と初対面!(529)

ウブド東端の十字路を北に向かうアンドン通り。

銀行の支店が10軒ほど出店している地域。

ガソリンスタンドにスーパー・マーケットが2軒とレストランが並んでいる。

私が滞在始めた1990年5月頃には、何もない通りだった。

・Made Kertonegoro1.pg.jpg

そんな場所に、ユニークなアート・ギャラリーがあることは聞いていた。

マディ・クルトネゴロ(Madi Kertonegoro)氏のアトリエ「Future Peace Art Gallelry」だ。

・Made Kertonegoro2.jpg

1994年、ダヤ・ヌラニ・デワ・カトン(「直観力による知覚の光」の意味)という名のヨーガ学校を開設。

2冊の日本語版の本に出会って、マディ氏を知る。

マディ氏著・日本語訳は、武内邦愛(愛称クニ氏)。

81WiGGj7vVL._SL1500_.jpg
(スピリット・ジャーニー/1990年7月15日・発行)

51Eo-GST29L.jpg
(ウブッド十字路の番人・バリ島今昔譚/1997年4月15日・発行)


90年代初頭は、徒歩で行動していて、アンドン交差点から北へ行くことがなかった。

クニ氏とフェイスブックで繋がる機会に恵まれ、マディ氏の経営するジャムウ・カフェの情報を得た。

バイクを乗る生活になっていたので、機会を見つけて出かけた。

2024年3月、何度目かの訪問。

常席である、道路側のカウンター席に先客がいたので、奥のテーブル席に腰をおろした。

ターメリックのジャムウを注文して、展示テーブルの本に手を伸ばした。

手にした本は、英語版「ウブッド十字路の番人・the guardof ubud corner」だった。

英語版には、挿し絵が多くあった。

作家の思うところの説明がありそうな抽象画。

原画はカラフルだと想像できるが、残念なことに、コピー用紙で製本したような本の挿絵は白黒だった。

蔵書に興味を持ったことを、スタッフが知らせたのか、クマディ氏の奥様を伴っていた。

初対面である。

訳者のクニ氏の友人だと伝えると、クニ氏を思い出したのか、懐かしそうに喜んでくれた。

「これらの絵は観られますか?」と聞くと、ギャラリーがあると言う返事。

購入した本代の支払いを済ませ、ジャムウを飲み干し、奥様に案内してもらいことにした。

カフェエリアと屋敷を隔てる門をくぐる。

1990年以前に建てられたであろう、写真で見た2階屋の階段を上る。

ギャラリーには、気になった絵は飾られていなかった。




ギャラリーを出て、さらに奥に進むとムルカット場になっていた。

屋敷寺もある。

現在マディ氏は、高僧の位を取得して宗教活動をしているという。

IMG20240319151121.jpeg

写真を撮っていると、母屋からマディ氏が登場した。

33年目にしての初対面である。

若い頃の写真で存じ上げているだけの人物だが、初対面とは思えない親近感だった。

IMG20240319151303.jpeg

「クニによろしく伝えてください!」

ご夫妻の言葉をいただいて、帰路に着いた。





ジャムウ・カフェ『Jamu Ubud Sehat』@アンドン通り・ウブド


■ジャムウ・カフェ『Jamu Ubud Sehat』@アンドン通り・ウブド(524)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/502423765.html

■マディ・クルトネゴロ氏のアトリエ発見!@UBUD(415)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/486244064.html

posted by ito-san at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月22日

「ALAS HARUM」のナイスビューが Rp50,000-で鑑賞できるって、ホント!(528)

ウブド近郊に、ルアック・コーヒーの店が出店し始めたのは、いつ頃のことだろう。

どの店も、渓谷沿いの広い土地を所有している。

ルアック・コーヒーの説明、選別、焙煎などのプロセスを見学できる。

インドネシアのコーヒー各種をデミタスカップで無料で提供し、ルアック・コーヒーも試飲できた。

帰路は、土産コーナーの前を通らなければならない導線になっていて、買い物を誘導する。


スゥイング(ぶらんこ)が人気になったのは、いつの頃だろう。

インスタグラムが普及し「インスタ映え」という言葉が流行した時代か。

日本では、2017年の流行語大賞になっている。

ルアック・コーヒーとスゥイングがセットとなった店が増えた。

テガラランのライステラスにもたくさんのスゥイングができている。



今回、私が訪れたのはルアックコーヒーの店「ALAS HARUM」。

ルアック・コーヒーもスゥイングにもまったく興味がない私が、なぜ、訪れる気になったのか?

それは、友人のフェイスブックに写っていたプールが、元店舗デザイナーの創造心を刺激したから。

印象に残っていて、是非一度訪れてみたいと思っていた店が「ALAS HARUM」だった。


テガラランのライステラスがある地域にあり、駐車場にルアックの大きなモニュメントがある。

前を通り過ぎる時があるが、いつも観光客で溢れている。

ルアック・コーヒーとスゥイングの施設で、なぜ、こんなに繁盛しているのか疑問だった。

渓谷を見下ろす、ライステラスを模したようなプールがある。

人気の理由は、これだ。

もちろん、スゥイングも根強い人気だ。

写真を見た時は、高級レストランだと思って敬遠していたが、リピーターの友人の説明を受けると、入場料Rp50,000-だとのこと。

諸々の施設を使わなければ、その金額で見学できる。


入り口には、ルアックの大きなモニュメントがある。
1-1.jpeg

ライステラスをイメージたかのようなプールは、おしゃれで美しい。
10.jpeg

16.jpeg

18.jpeg

従来のテガラランのライステラス・ビューは、隣接するレストランが共有しているが、「ALAS HARUM」は、その場所と少し離れた位置に、対岸までのライステラス・ビューを独占していた。

ルアック・コーヒー&スイング&プール&レストラン&カフェ&散歩コースと施設が充実。

入場料金:Rp50,000-(何も利用しなければ、この金額で景色を楽しめる)

駐車料金:無料





『付録・読み物』

私がウブドに滞在を始めた頃のテガラランのライステラスは、こんなところだった。

1990年6月、日本で東南アジアの雑貨を扱っている友人に頼まれて、木彫のバリ土産を受け取りにテガララン村に行く途中、右手に見えた風景が、

人生42年で初めて見る美しいライステラスだった。

ガイドのワヤン・カルタ君に「車を止めて!」と叫んだ。

カルタ君は「普通です!」と、ひとこと言って通り過ぎてしまった。

こういう景色が私は見たいのです、と伝えると、帰路は立ち寄ってくれた。

今のように道沿いに店はなく、道路から眼下に、そして対岸に田んぼの風景が続いていた。

箱庭のような景色に感動した。

ここは、土産物を求めるバイヤーしか利用しなかった道。

キンタマーニ高原に行く観光客は、ゴアガジャを見学してタンパクシタンを経由するルートがメイン。

観光客が増えると同時に、ライステラスは急速に観光地化していく。

友人を伴って何度か行ったが、レストランが増え、スゥイングが人気になったころから、私はほとんど行かなくなった。

posted by ito-san at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする