2015年01月03日

スラバヤ二泊三日の旅・その弐

離陸予定は、12時50分。

飛行時間は40分弱。

なんやかんだで、機上してから降りるまで50分ほど。

到着予定は、12時40分。

太陽を追いかけて、バリとスラバヤの時差は一時間。


離陸時間が少し遅れて、13時05分となった。

空港には、A子さんが迎えに来てくれることになっている。

遅れるむねを、携帯電話にコメントを入れた。

前日のフェースブックでの連絡で、私はスケジュールにエアー・アジアと書いていたようだ。

スラバヤにはターミナルが2カ所にあり、エアー・アジアは2014年に完成したターミナル2で、ライオン・エアーはターミナル1を使用。

ターミナル1とターミナル2とは、かなり距離が離れているようだ。

彼女は、便名からライオン・エアーと判断してターミナル1で待っていてくれた。

機転がきくところが、彼女の長所のひとつでもある。

ちなみに、スラバヤの空港は「ジュアンダ空港」と呼ばれている。

ジュアンダの意味は、未調査。


スラバヤ到着12時30分(晴)

携帯電話の時計は、自動的に変っていた。

無事A子さんと再会。

私は25年ぶりのスラバヤです。

初訪問はバスだったので、ジュアンダ空港は始めてだ。

空港から市内までは、高速道路を利用した。

車窓から見えるスラバヤ平野は限りなく広く、遥か遠くまで見渡せる。

モスクの丸い屋根が、あちらこちらに見える。

都心部に近づくにしたがって、チラホラと高層ビルがそびえている。

建築中の高層ビルもいくつも見える。

高度成長著しい都市の姿だ。

市内に戻ってから、昼食ということになった。

入った店は「Warung・Rawon・Setan」。

東ジャワ料理のラウォン=Rawon。

黒いスープに入った牛肉の角煮は、溶けるように柔らかい。

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A子さんは、雑誌にレストラン紹介記事を書いているほどの通だ。

今回の旅は、彼女のセレクトする料理を食べることも楽しみの一つとなっている。


スラバヤは、インドネシア初代大統領スカルノの出身地。

1945年の独立宣言後、イギリス軍や再植民地化を謀るオランダ軍との間に激しい攻防戦が繰り広げられた地域である。

英雄記念塔があり、戦士のモニュメントがいたるところに建っている。

オランダ植民地時代のレトロな建物が点在する旧市内に入った。

「あれも古いね!」

「これもコロニアル建築だ!」

感動していると、車はホテル・マジャパヒトの車寄せに入っていった。

高級ホテルと聞いているので、緊張する。

緊張する理由は、高級ホテルに入る服装をしていないこと。

ビーチサンダルでは不都合だろうと、靴を履いてきている。

ジーンズにTシャツは、ウブドでのファッションと変らない。

ホテルのスタッフは、笑顔で迎えてくれた。

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夕食は「ルママカン・ハンナン=海南飯店」に。

客席40ほどの中華料理店。

客の100パーセントが中華系インドネシア人。

中国人の習慣か、ほとんどが家族連れだ。

我々がテーブルを確保すると、満席になった。

空席待ちの客が、扉の外で並んだ。

A子さんお薦めの「蟹カレーとハンナン・ライス」に舌鼓。

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店を出ると、この日始めての雨が降っていた。

A子さんが携帯で運転手に電話。

店の前に、車が横付けされた。

すっかり駐在員の妻の領分を心得ているようだ。

ウブドで、バイクを自由に乗り回していた彼女からは想像できない華麗な変身だ。


ホテル・マジャパヒトのベッドは、フンワカと気持ちがよい。

お休みなさい。

posted by ito-san at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | スラバヤ探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする